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第1話:追放された悪役令嬢は死ねなかった

ゴツゴツとした大きな手が私の首に絡みつく。

貴方の汗の臭いが徐々に遠のいていき、少しずつ呼吸が苦しくなっていく。


霞んでいく視界の中、大好きな貴方の顔がグチャグチャに歪んで、泣き虫の私と同じ様にボロボロと泣いている。

それが本当に嬉しくて、自分の生きた意味を感じられて幸せだった。

やっと貴方のその手が、私をルティシアとして選んでくれた。

優しさでは満たされない私の心を、貴方という存在で満たしてくれたと、そう思えた。


霞んでいく意識の中、愛しい貴方との思い出だけが、私の頭の中を駆け抜けていった。


◇◇◇


目を覚ますと、見慣れない白い天井がぼんやりと浮かんできた。

どこかわからない個室、白いシーツ、それに点滴。

少し軋む身体を起こそうとするが、なかなか力が入らない。

その身体の感覚で、なんとなく今の自分の置かれた状況を理解していく。


「生きているんだ、私…」


そういうと、目から涙が溢れてきた。

なんで神様は、私をあのまま死なせてくれなかったのだろうか。

一体誰が私を生かしたのだろうか。


私はいつの間にか着替えさせられていた病院のものと思われるパジャマの袖で涙を拭くと、自分の身体が酷くベタベタして気持ち悪かった。


そんな事を思っていると、ドアが開き、白衣の男が入ってきた。


「良かった、目覚めたのですね」


少し猫背で、自信がなさそうな医者と思われる男はベッドの横の椅子に腰掛けた。


「えーっと、改めてお名前を聞かせてもらって大丈夫かな?」

「ルティシア・マリア・アイゼンベルク…いえ、今はルティシア・マリア・ハウゼンなのかしら」

「何故ここに運ばれたか、覚えていますか?」

「…死のうとしたからよ」

「記憶は正常ですね…身体の具合はどうですか?痛いところとか、動かしづらいところとか、分かりますか?」

「そうですね、身体にあまり力が入らないです。それ以外はまだなんとも」

「わかりました、ありがとうございます。お腹すいたり、喉が乾いたりはしていませんか?」

「喉は、確かに、カラカラで少し痛いわ。お腹はわからないけど、先にトイレに行かせてもらいたいです」

「分かりました」

医師は立ち上がり、私の点滴を外すと、立てかけてあったスリッパを持って私のベッドの下に置いた。

「トイレはこの部屋を出て、すぐ横です。立てそうですか?」

私はゆっくりと、身体を起こし、立ち上がると、身体が自分の物ではないようなフワフワした感覚に襲われ倒れそうになってしまった。


「大丈夫ですか?支えているのでゆっくりで良いですよ」


私の小さな身体を支える、ガッシリとした大人の男の身体。

少し汗臭くて、知らないおじさんに抱き寄せられているのに、何故か少し安心してしまった。

元気な私だったら、引っ叩いていただろうか。


医師の男に支えられ、ゆっくりとトイレに向かう。

点滴のせいか下腹部はち切れんばかりで、トイレに座り込むなり、ずいぶん長いこと用を足した。


トイレを流してしばらくすると、ドアがトントンとノックされた。

「大丈夫ですか?立てそうですか?」

力が入らない腕と足を一生懸命に動かして、下着をなんとか穿き直す。

「はい。入ってきていただいて大丈夫です」


そしてまた、この医者に支えられて部屋に戻ると、ベッドの枕をソファ代わりにしてくれてそこに腰掛けた。

しばらくして、持ってきてくれた白湯を少し口に含むと、カラカラだった身体にじわりと染み込んでいく様な感覚があった。

そして、改めて、自分の生を感じてしまった。


「どうして死なせてくれなかったんですか?」

「私は医者だからね、運ばれてきたら患者は治療しますよ」

「私の死にたいという意思は尊重されないのですね」

「はい。それが私の仕事です」

「わかったわ。では改めて、今、もう一度、ここで死なせて」


医者の目を見て少し強い口調で言ったが、それより更に強い口調で返ってきた。

「出来ません」

無性に腹が立ち、食って掛かってしまった。

「何故?貴方に何が分かるのよ」

「若い命がこんな形で失われるのは…見るに耐えません」

「偽善よ。私なんて生きる価値もない、誰からも望まれない人間なんだから、居ないほうが良いに決まっているじゃない」


「そんな事はありません!君は生きなければならないんです。絶対に、絶対にです」


あまりにも必死で、切実で、何かにすがるような顔を何故この男はしているのか。

私の気持ちなんてろくに分かりもしないくせに、本当に鬱陶しかった。


「私の事は放っておいて、いいから死なせてよ…」


その叫び声に、この医者は、目を閉じ少し俯いて、黙ってしまった。

自分のすすり泣く声だけが部屋に響いて、余計にそれが気持ち悪くて、しんどかった。


「実は…私も死のうとしたことがあるんですよ」


少し寂しそうに、頼りなさそうに笑う顔に私は拍子抜けをした。


「でも、今私は生きていて、ほんの少しでも生きていてよかったと思えるようになれました。だから…ルティシアさんにも、少しは生きていて良かったって、そう思って欲しいんです。私の偽善かもしれませんが、君には生きて、そして笑っていて欲しいです」


「私が何をしたか、どうして死のうとしたくらい、貴方だって知っているでしょ。その私に笑えなんて、貴方何様なの?」


「そうですね…そんな偉い人間じゃないです。けど、お願いです、一度私に騙されたと思って、生きて欲しいのです」


私をまじまじと見る目は、本当に切羽詰まっている様だった。

本気で私に生きていて欲しいと、確かにそう思えた。


「どうして私なんかに貴方は生きて欲しいのよ…人を呪って、陥れて、それで王都からも家族からも追放され、その先でも他人を罵倒することくらいしか出来ない私なんて、生きている価値は無いの…」


「気持ちはなんとなくしか分かってあげられませんが、それでも、生きていて欲しい。辛い時はいつでも私を呼べば良い。罵倒したって良い、殴ったって良い。でも、命を断つことだけはやめて欲しいのです」


「わかったわ…」


コップの水を飲み干し、立ち上がり椅子に座ったその医師の前に立つと、少し感覚を取り戻した腕で私は思いっきりこの男の頬を引っ叩いた。


「…!?」


「いいわ、生きてあげる。でも、約束しなさい。貴方だけは絶対に私を哀れまないで。そして、本当に私に生きていて良かったと思わせなさい」


「はい、わかりました」

医者は心底安堵したように、にっこり笑った。


「貴方、名前は?」

「失礼、名乗っていませんでしたね。私は、アーベル・リント、この病院で働いている医者だよ」


その時、私のお腹がぐぅ〜とみっともなく部屋に響いた。


「お腹空いた?お粥があれば持ってくるよ」


子供を見るような目で、私に問いかけてきた目が、心の底からムカついた。

絶対にこの男を見返してやろう。


それが、貴方と私の出会いだった。

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