#15 判決
裁判の休憩のために与えられた個室は、調度品も最低限のものしか置いておらず、極めて単調だった。目の前にはリア・クローバーとヴィクトリア・エバーグリーンがいた。私はその二人の間の空間を眺めていた。
「分かってるんだろ。ただのマリー」
さっきからリア様の言葉が頭の中を反響する。
いや意味はわかっている。
わかっているからこそ悩むのだ。
ドアが叩かれ、裁判官が入ってきた。
「もうそろそろ再開します」
「ああ、わかった。行くぞ」
リア様が止めた癖に、勝手に仕切っている。
「あの一ついいですか?」
「なんだ」
「これが終わったら全てを話して下さい」
それだけは確約して欲しい。
それだけでいい。
「…いいぞ」
「ありがとうございます」
それだけで全てを捨てられる。
「それでは法廷を再開します」
議場に戻ると未だにザワザワと騒がしかった。裁判長がガベル(木槌)を叩くと静かになった。
「あの…いいですか?」
授業みたいに手をあげて、裁判官に尋ねた。
「なんですか?」
「先程のリア様によって、言う機会を逃してしまいましたので続きを言わせて下さい」
「被告人は聞かれたことに、答えて下さい。ただし、今回は特例で発言をゆるしましょう」
「ありがとうございます」
緊張でもなんでもなく、声が震えた。
「実はリンゴォが亡くなったことには気付いていなかったのですが、実はリンゴォ氏の様子がおかしいことには気付いていました。リンゴォ氏は、流行病で娘さんと奥さんを亡くしたと聞いています」
リンゴォ氏はもう自身を看取ってくれる家族もいなかった。そう、だからこそこれは言えた。
「リンゴォ氏には恩があります。それこそ娘の様に扱って貰えました」
本当に父親の様に思っていた。
「私、父親はすぐに亡くなってしまったのですが、リンゴォ氏を本当の父親の様に、思っていました」
今でも覚えている。衛兵に襲われた時、そしてそれが揉み消された時、涙を流せなかった。でも、それは、涙を流さまいとした訳では無い。一体どんな感情でいればいいかわからなかったのだ。
でも、リンゴォ氏が泣いてくれた。泣いていいって教えてくれた。
強盗に私の両親を殺された以降泣いちゃ駄目だと思っていた私に。
「だからこんなことを言うのは心が痛いです」
決してこの感情は裁判の為の演技ではない。
「晩年のリンゴォ氏はおかしくなってしまいました」
心を砕く音がした。議場がざわついてまるで私を責める様だった。
「私はただの孤児です。スプリングフィールズ家に養子で入りましたが、元はただの孤児です」
私は最低な人だ。手の感覚が無くなるほど、手が冷たくなる。
「リンゴォ氏は妄想によりただの孤児を貴族だと思い込んでしまいました」
横にいたヴィクトリアが手を握ってくれた。
「なっ、何を言っているんだ。君は今君が西のついた嘘は死者の冒涜だぞ」
そう判事が言った。
彼は証拠を持っていた。
でも、それは物言わぬ死者の証拠だった。
その通りだ。
私は嘘つき。
私は死者を冒涜する。
だけど、声を上げる人はいない。
死者は二度と喋らない。
だから。
だからこそ。
「リンゴォ氏が言っていたことは嘘です」
生きるために噓をつく。
その時、私の肩を誰かが叩いた。
「皆様もどれだけ優れた者でも晩年には、おかしくなってしまうことがあるということなど記憶にお有りでしょう」
その時私の肩の荷が降りた。
最後までやり切らないといけないのに、呆然とリア様の弁論を聞いていた。
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言葉がわかるはずなのにリア様が言っていることがわからない。
最初に精霊語を聞いた時みたいだ。
勿論きちんと喋っている。
でも、意味がわからなくなってしまったのだ。
私はそこからはただ呆然と聞いていた。残りはリア様がずっと喋っていた。時々リア様が言って欲しそうなことに頷いていた。
聞いていたヴィクトリアさん曰く、そこからはリア様の独壇場だった。相手の執務官が可哀想になるくらいの弁論だったそうだ。
私は聞いていたにも関わらず覚えていなかった。
ただずっと既視感の正体を探していた。
そうだ。あの時、リア様に連れられて、初めてイスカ様に会った時だった。あれは今と同じだ。城壁の外の人だとバレた時だ。あの時も私は嘘をついて生き残った。あの時と同じ。唯一違うのは、リア様が喋れることだけだ。
裁判が終わるとリア様に右手を、ヴィクトリアさんに左手を握られた。当然奇異の目で見られる。
「あの、これは」
「いいから」
「いや」
「いいから」
そのまま用意された個室に入って行った。
「それでさっきの質問は今にするか? 今度にするか?」
さっきの質問というのは私が質問をさせてくれと頼んだことだった。
本当は疲れて眠ってしまいそうなくらいだった。でも、今聞かないと一生眠れそうにはなかった。
「私が知っている’リア様’は…」
「お前が知っているものの名前はエーテルという。俺がつけた」
「エーテル様というのですか」
不思議な感覚だが、嬉しかった。ぼんやりとしていたエーテル様がしっかりとした実像を持ったかのようだった。
「いい名前だろ」
「ええ」
空いた手で「エーテル」という文字をなぞった。本当にいい名前だ。
「エーテルは恐らく精霊だ」
「恐らくというのは?」
「あいつは精霊の中だと余りにも自我がしっかりとしている。俺達があった精霊は自我が薄いだろう?」
「ええ」
「精霊とは自然そのものだ。自我がある様に見えて、自我がない。俺達が勝手に自我があると思っているだけで基本的に勝手気ままだ。でも、エーテルは違った。結局何なのかはわからないが、俺が魔術を教えた」
「魔術を」
「精霊が魔術を使えれば最強だからな。あいつのお陰で研究が進んだ」
私が今までならった、魔術の基礎知識と違う場所にこの人は立っている。この人はきっと天才なんだと思った。
「それがどうしてリア様の身体にエーテル様が」
「簡単に言うとあの舞踏会と反対のことが起こった。正確に言うとエーテルが連れてかれそうになったから咄嗟にエーテルを憑依術式で縫い止めた。そしたら俺があの籠に入れられたって感じだ」
「エーテルの身代わりになったってこと?」
「うん。だが、エーテルを連れて行かれるくらいならそっちで良かった。また、こうして戻れたのは嬉しいが、あのままでも別に良かった」
それは許さないとばかりにヴィクトリアさんが見つめるのをリア様は宥めた。
「そんな顔をするな。あいつは俺の半身なんだ」
「もうエーテル様は…」
助からないのかと聞いたつもりだった。
「わからない」
強く断言した。
「エーテルが戻ってくる様に研究は進めるが、わからないとしか言いようがない」
「そうですか」
望みは薄いが、ゼロではなかった。それだけで絶望せずに入れられた。
「聞きたいことは他にあるか?」
「そういえば生徒会長とはどんな仲なんですか?」
「友達だ。よく遊びに行ってた」
「遊びに行ってたって」
「これだよ」
パッと精霊門を開いて見せる。
「精霊門の先は次元が歪んでいて、上手く使えば高速で移動できる。目印は必要だが」
「そんなものがあるならどうしてもっと遊びに来てくれなかったのですか?」
ヴィクトリアさんが嫉妬したように言った。
「いや、行っていただろうが」
「え?」
「空飛んで行ってもお前の領地は結構掛かるんだぞ」
「あ」
ヴィクトリアさんは何か納得した様だった。まだあるかという顔をされるが、ずっと疑問なことがあった。
「それともう一つ、リンゴォ氏はどうして死んだのですか?」
「病死だ」
ただ淡々と言った。
「別にお前を裏切ろうとか、お前を貶めてやろうとか思っていない。お前が南の国の貴族というのも、お前の将来が有利になると思って、調べたに過ぎないだろうよ」
「有利ですか?」
「実際バレたのがこんな形でなければ、いくらでも美談にできたよ。例えば、冤罪によって放逐された貴族を心優しいクローバー公爵が真実を見抜き、匿っていたとか。まあ、本当ならそういう風にするために残していたんだろう。それが政治に使われてしまった。それこそ暗号にでもすれば良かったのにな」
「・・・」
「こう言っちゃなんだが、リンゴォはお前のこと娘みたいに思っていたよ。城壁の外の人にしては、あんまりにも貴族としての言葉ができているって、調べたそうだ。後先ない自分の代わりとでも思っていたんじゃないか?」
「娘ですか」
なんとも実感がわかない言葉だった。裁判では、父親の様に思っていたと言ったが、実感はない。私は娘と父の関係性をよく知らないのだ。あの頃の私はただ父親に甘えるだけの存在だったのだ。
「あの手紙もどうしてあんな手紙を送ったのでしょうか」
自分が死んだ後の手紙なんて残さなくて良かったのに。
「なんで送ろうと思ったか知らないが、あいつの書斎にいくつか手紙のパターンがあったよ。まあ、でも手紙を送る気持ちは少し理解できる」
「なんでですか?」
私には理解できなかった。
「悲しんでほしくなかったんだろう」
悲しんで欲しくなかった?
リア様の言ったことを反芻すると少しだけ怒りが湧いてきた。
「悲しいに決まっているじゃないですか」
どうしてこんな周りくどい方法を取るんだ。ずっとどうして手紙を送ったのか、考えていた。それがわかったら気が晴れるんじゃないかと思っていた。陰謀でもあった方がマシだった。
でも、何もなかった。
「あいつ南の国にいた頃は、娘と妻に何もしてやれなかったんだと。二人を流行り病で死なせてから後悔しているって言ってた。馬鹿だよな。こんな周りくどいことしているからだよ」
馬鹿にしているのかと思ったが、悲し気な声色で言うので怒るに怒れなかった。
「愛してるって言ってやればいいだけなのに」
ああ、そうかと気づかされた。確かにリア様の言う通り、貴族としての爵位も手紙も今となってしまっては嬉しくない。
だがどうして嬉しくないのかわからなかった。でも、そんなの決まっている。ただ、リンゴォ氏に家族みたいに思っていてくれていたらそれで満足なのだ。
「それで満足か?」
「…はい」
そう返すとリア様は口をパクパクと動かした。言うか、言うまいか迷った後、言おうと決心したかのようだった。
「マリースプリングフィールズ。お前に問う」
さっきまでとは打って変わって真面目な顔で真面目な表情だった。
「お前俺と結婚する気があるか?」
しばらく思考が停止した後、かろうじて出た言葉はこれだった。
「は?」
「ああ、勿論正妻はヴィクトリアだぞ」
「いえ、そこではなく」
貴方はそんな人じゃないでしょう。
「なんだ。父上との約束を忘れたか?」
「え? あ」
確かに約束していた。もし、リア様が結婚したら、側室にすると。
「それはリア様が結婚してからで」
「俺はヴィクトリアと結婚する気しかない」
ヴィクトリアさんは顔を真っ赤にしていた。もしかして私をだしに告白しているんじゃないだろうか。
「いや、ヴィクトリアさんが嫌だったら」
「私はマリーさえ良ければ良いわよ」
「俺が言うことじゃないが、ヴィクトリアに随分好かれているじゃないか」
そう言うとヴィクトリアさんが、リア様を叩いた。
それを唖然と見ていた。
「ああ、これを断ったからってスプリングフィールズ家との養子を切ったりはしない。フェアじゃないからな」
フェア。もはや何がフェアなのかもはやよくわからない。
「俺が言うのはなんだが、公爵、そして未来の王との結婚は中々できることじゃない。それが妾だとしてもだ。お前にクリスト家の娘としての地位を捨てさせたしな。お前が望むならお前の子供を正統な貴族にすることもできる。どうだ?」
「私にメリットしかないです。おかしいですよ」
そう言うとリア様は笑った。
「お前はそれだけの働きをしたし、俺の父上がとは言えど、約束したんだ。俺は守るぞ」
やっぱりこの人が良い人なのか悪い人なのかよくわからなかった。でも、これはきっと彼にとって私に報いようとしているのだとわかる。冷静に考えて良い話だ。
「でも、俺はエーテルじゃない。ただ、それだけだ。あとはお前の気持ちだけだ」
確かに私はリア様を愛していた。でも、それはエーテル様だった。リア様は口が悪いだけで好感が持てる人ではある。少し見ただけでわかる。彼は天才だ。そして人を魅了する美貌と態度を揃えている。それに私はヴィクトリアさんのことが大好きだ。私はヴィクトリアさんがいたからこそ今の自分がいる。そう思えるくらいに好きだ。
彼らとの結婚生活を想像する。リア様とヴィクトリアさんは美男美女だ。きっと子供だって綺麗な子供だろう。
子供を抱かせて貰えるのが想像できる。
ああ、それはきっと騒がしくて、問題が起こって、それでいて幸せなんだろうな。
今の私からすれば望外の幸せだ。
「何なら今決めなくても、卒業まででも」
「いえ、気持ちが定まりました」
私が幸せだと思える未来が簡単に想像できた。だからこそ。
「お気持ちありがとうございます。お断りします」
それについてリア様は納得した様子で、そしてヴィクトリアさんは納得していない様子をしていた。
「え? なんで?」
「いえ、きっとリア様とヴィクトリアさんと家庭を一緒にしたら幸せなんだろうと思いました」
「だったら」
ヴィクトリアさんは食い下がった。
「でも、そこにエーテル様がいません」
幸せであればあるほどその穴を感じるだろう。
「ハッ、だとしても卒業まで回答を待てば良かっただろうに」
そっちの方が賢い選択というのはわかる。
「告白をちゃんと断らないのは最低な行為ですから」
今のは二人を笑わせようとしたのだが、真面目な顔で聞いていた。
「私、今日最低な人間になったんです。これ以上最低なことはできません」
「…そうか」
ヴィクトリアさんは残念がったが、リア様は平静を装っていた。いや、私が断るのを分かっていたのかもしれない。
「帰りは別々の方が良いか。気まずいだろう」
「そうですね。そうします」
「公爵の馬車を用意させている。先に行け」
「ありがとうございます」
そう言ってドアから出ていった。ドアを丁寧に閉めるとそのままドアに寄りかかった。
後悔はしていない。
後悔はしていない。
そう心で唱えた。
これが正しい選択かはわからない。
「ねえ、なんであんなこと言ったの?」
聞いてはいけない会話を聞いた気がした。ドアに寄りかかっていたのだから、そのまま、部屋の中の声が聞こえてしまったのだ。
「あんなことって?」
「結婚よ。こんなタイミングで言わなければ...」
その時、鼻をすする音が聞こえた。そう私だってこんなタイミングで言わなければもっと迷っていた。って? あれ? リア様泣いていないか?
「俺はエーテルと記憶を共有しているんだ」
え?
「正確に言えば、エーテルが俺として生きた記憶がある。あいつが見たことも、あいつが思ったことも記憶がある」
驚きよりも納得の方が強かった。だって知らないとおかしなことが多かったから。
「エーテルはマリーのことが好きだった」
「——ッ!」
叫びそうになってしまったのを咄嗟に口を押えた。
だってリア様は聞かれたくないと思ったから言わなかったのだ。
立ち去ろうと思った。これ以上はよくない。
「エーテルは自分で気づいていたか知らないけど、確かに愛していた」
でも、立ち去れなかった。
もう私には何も残っていないと思っていた。
あるのは鮮やかな過去の記憶だけ。今も残るものは何もかも捨ててしまったと思っていたのだ。
私はエーテル様を…
「エーテルはマリーを愛していた」
私の愛の証明がそこにあった。
「精霊語にはきっと愛という言葉はなかった」
私と同じだ。
「でも、エーテルは愛していた」
私と同じで、エーテル様も愛を知らなかった。
それがどんな意味か知らない。でも、確かに愛はあった。
それが心が震えるほど嬉しくて、喜ばしくて、そして何よりも悲しくてしょうがない。
ボロボロと涙が落ちる。
何もかも失ったのに、不思議と私の心は満たされていた。
ヴィクトリアさんがどうして離れ離れになったリア様を信じきれたのか、不思議だった。
でも、今ならわかる。
愛なのだ。
肉体的な繋がりでも、一方的な恋簿でもない。
ただ、同じものが同じように見えていた。
私とエーテル様の言葉はそこにあった。
それがわかった。
「だからマリーが好きになってしまった」
ガタンと音がなった。おそらくはヴィクトリアさんが椅子から落ちたのだ。
「安心しろ。好きになったのは俺じゃない」
声が震えているのがわかる。
「俺じゃなくてエーテルだ。それくらいに愛していたんだから。でも、あれだけの愛を持っていたら俺だって好きにはなるよ」
なんだか矛盾していた。
「じゃなきゃ、公爵になるなんて馬鹿げたことしてこない」
結婚すれば良いと言っていたのに、リア様が好きだと言えば、驚くヴィクトリアさん。エーテル様が好きなのにわざわざ告白するリア様。
矛盾しているけど、私は二人にも愛されていた。エーテル様だけでなく、ヴィクトリアさんにも、リア様にも。それがたまらなく嬉しくて仕方ないのだ。そして悲しい癖に、嬉しい私もまた矛盾している。
ゆっくりと音を立てない様にドアから立ち上がった。
これは私だけの秘密だ。
ゆっくりと歩いて用意されていた馬車に乗った。普段なら寝るわけないのに。その日は馬車で疲れて寝てしまった。
幸せな夢を見ていた。
四人で笑い合う。そんなオチもない夢を。




