#12 ヴィクトリアの快進撃
目が覚めてもまだ頭がボーッとした。意識が薄い訳ではなく、ただ頭に靄がかかるような感覚だった。
あの日、マリーが監獄に連れて行かれた日から私の思考は靄がかかっていた。
「お嬢様、体調は如何ですか?」
シンディもリンディも気にかけてくれる。
「うん。大丈夫だから放っておいて」
ぐるぐるとあの日のことを考えてしまう。あの日、どうやって助ければ良かったのか。
結果的に言えば、私は無駄なことをしていた。
私はマリーを助けたい一心で、執行官に歯向かい、そして、関係ないリア様を無理矢理巻き込んだ。それでもマリーを助けられなかった。私だけが助かった。リア様に救って貰った。それなのに私は裏切られた気持ちでリア様を憎んだ。
リア様は決して悪くない。だってリア様はマリーを知らない。リア様にはマリーと過ごした記憶もなければ、マリーを助けるメリットもなかった。マリーを助けたいのは完璧な我儘だった。
なのに私は失望していた。私にそんな権利など無いはずなのに。リア様にそんな必要性ない筈なのに。理不尽極まりない筈なのに。
元はと言えば私のせいだった。私がリアを、元のリア様に戻したいと思ったからだ。でも、リア様がいない未来なんて考えられないのも事実だ。私は結局私が良いようにしかできない。
「ああ」
後悔、失望、罪悪感は「もし」という言葉の中に含まれた観測的な希望だ。現実にはどれも存在しない。
現実はリア様は何処かに行ってしまって、マリーは牢屋に入れられて処刑されようとしている。
それだけだ。
私には権力もなければ、リア様のような魔術の腕も、マリーの様な聡明さも持っていない。私はいつもそうだ。リア様もマリーもお手本となる様な人達だ。教えて貰うことだってできた。練習することだってできた。なのに今の、今まで何もしていない。ただの小娘。
天才が周りにいて良い気になっただけの置物だった。
「せめて学園には行かないと」
ただ義務感だけが私の支度を手伝った。
私の様な凡人には一ヶ月は溶けるようになくなった。私の今までの充実した日々は結局リア様とマリーで成り立っていたようなものだ。
「お嬢様、マリーが目を覚ました様です」
幸運にもマリーが眠ったお陰で、裁判は延期された様だった。しかし、目覚めたとなれば話は別だ。裁判が始まる。
「お嬢様、どうしますか?」
「どうって?」
リンディはこの1ヶ月間何度か目の悲しい顔をした。
「マリーに会わないんですか?」
その言葉に身体に熱した鉄でも入れられたかのような感覚に陥った。
「あ」
思いつきもしなかった。
「お嬢様、話したいことがあるんですよね」
話したいことは沢山ある。リア様が帰ってこないこと。貴方がいない学園生活がつまらないこと。
沢山、沢山あるのだ。
「あるみたいですね」
リンディが久しぶりに笑った。
「では、調整します。クローバー公爵が支援している様なので、クローバー公爵にさえアポが取れれば可能だと思います」
そうやって踵を返して部屋の外に向かおうとしていた。
「…お嬢様?」
何故リンディが不思議な顔をしていた。
「あの、その、手を」
言われるがままに手を見ると私はリンディの袖を持っていた。
「だ…」
「だ?」
「…駄目。行かないで」
虫を見た時の様な嫌悪感が身体中を走った。
「貴方もわかるでしょ。今マリーも大変だし、マリーはきっと今は辛い思いをしているわ。私なんかと会いたくないと思っている。マリーがまた倒れてしまうかもしれないし。マリーに辛い思い出を思い出させてしまうかもしれないわ。私とマリーが会うことが良いことになるとは限らないし、また私のせいでマリーの立場が悪くなってしまうかもしれない。そうなったらマリーの気持ちを休めるどころか…」
「お嬢様は…」
その時親に罪がバレるよう気持ちになった。
「いえ、何でもないです。そうですね。マリーさんの気持ちを考えられなかったです」
「ええ」
安堵と自分に対する嫌悪感でいっぱいになっていた。
「お嬢様、今日は休んだらどうですか?」
「え、ええ。そうするわ」
ベッドで横になっていると自分に対する嫌悪感で身体中を掻きむしった。
「リンディには絶対に気付かれた」
私がどんなに最低な人間かを。
わかっている。
私自身がどれだけ最低かなんて、私自身が一番わかっている。
でも、マリーの前に出てしまえば、それが白日の元に曝される。リア様だって嫌悪感を持つだろう。ああ、今も私は私の身ばかり考えている。私が最も嫌なことは鏡を見てしまうことだ。
マリーと私は全く似ていない。気が合うことだって少ない。考えていることなんて全く違う。でも、私はマリーを見て、自分を見た。マリーを通してでないと自分自身がわからない。
いや、今普通の鏡を見ればわかる。きっと醜い化け物が写っている。鏡なんて見なくてもわかる。そしてマリーと会ってしまえば、リア様にも醜い化け物が写ってしまう。
きっと今の私が会えば、マリーはきっと失望する。
それだけは耐えられなかった。
私は耐え忍ぶように時間が過ぎるのを待った。だが、何に耐えようとしているかわからなかった。
マリーがこのままでは死んでしまうというのは私にとって現実感ないものだった。
怯えるように暮らす私に誰かが訪ねてきた。
「ねえ、少し良い?」
声でわかる。子リスだ。アンナ・カレーニナは見るからに臆病そうに言った。
「貴方とはたいして仲が良くないし、何か見返りも差し出せないかもしれないけどお願いがあるの」
返事するのも嫌だった。
何故かこの子リスを見ているのは好きじゃなかった。ウジウジしていて、決断が遅い。その癖してマリーの横にいた。ただ幸運のみで立っているだけだ。だからイライラした。
この子は土壇場でも勇気が出せないだろう。
「ねえ、マリーと会わせて欲しいの」
ピシッとヒビが入った。
「無茶を言っているのはわかっているの。でも、お願い。私、弱小貴族だから伝手もないの。でも、クローバー伯爵が関わっているって知ったから。貴方ならクローバー伯爵と連絡を取ることができると思って…」
子リスの言っていることは何も聞いていなかった。ただ、信じられなかった。
子リスのことをずっと見下していた。でも、気付いたら私の上にいた。
「私の気持ちも知らないで!」
怒ればもうこんなこと言ってこないだろうと思った。
しかし、アンナは私のことを見つめ返した。
思わず一歩後退った。
威嚇された訳でもなければ、驚かされたわけでもない。ただ真剣に私を見つめていた。私は咄嗟に視線をずらした。
「ごめんなさい。でも、私からしたら今会えなきゃ会えないかもしれないの」
「…きっと帰って来るわよ」
無責任に言った。
「そう信じてる。でも、そうじゃなかったら?」
そうじゃなかったら?
そうしたら死罪、良くて牢獄で一生を過ごすだろう。
「マリーは強い人だけど、弱いときもある。だから隣に居てあげたい。少しでもいい。役に立たなくてもいい」
役に立たないのに何の意味があるんだ?
「今、マリーに会えないなら一生後悔する」
その言葉は私に突き刺さって抜けなかった。会えないから後悔する? そんなのは当然のことだ。今だって後悔している。でも、そんなの言われるまでわからなかった。こんなことを子リスに気づかされるなんて。
でも。
でも駄目だ。
「無茶言わないで。貴方を行かせる大義名分が無いわ」
貴族にとって大義名分は大事なことだ。マリーはあくまで罪人だった。それを弱小貴族の娘である彼女を行かせるにはそれ相応の理由がいる。ただ友達だから行きますなんて訳にはいかない。それに関しては感情的な答えではない。
「じゃ、じゃあ、ヴィクトリアさんが行ってよ」
それはリンディもシンディも喉から出かかっていた言葉だった。
「ヴィクトリアさんは、悔しいけど、私よりマリーの親友よ。私じゃあ寄り添うことしかできないけど、貴方なら発破がかけられる…」
カッと怒りが湧いた。
「何も知らないのに適当なことを言わないでよ!」
私が、私が何よりもマリーを傷つけたんだ。どんな顔して会えば良い。どんな声をかければ良い。今のマリーの状況を作り出したのは私だ。
「じゃあ、教えてよ! 何かあったんでしょ! 仮面舞踏会の日に。それにリア様が何か喋れること以外にも変わっていたよね。マリーが捕まる前からずっとおかしかったよ。でも、何も知らないから何もできなかった」
またもや私の目を見つめ返した。
いつも弱い癖に。
私は手を振り上げた。私は怒りのままにアンナをビンタしようとした。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
それでもアンナは私を見つめ続けた。
もしアンナが一瞬でも目を逸らしていたら私は手を振り下ろしていただろう。でも、振り下ろさなかった。いや、振り下ろせなかった。
そのまま振り上げた手をゆっくりと下ろした。
私は本当に最低な人間だった。
私は見下していたアンナよりも弱い人間だった。
「ねえ、教えてよ」
その声は何故か震えていた。
声の先を見ると大粒の涙を流したアンナが見えた。
「な、なんで泣いてるのよ。まだ、何もしてないじゃない」
「だって怖かったんだもん」
何なんだこの女。私はこの女より下なのか?
「じゃあ、ビビりなさいよ」
「いやだ」
「はあ? 何なのよ。あんた」
「私、マリーに、会うもん」
その一言が何よりも私に突き刺さった。
「…でも、無理よ」
「貴方がその気なら私この部屋から出ないから」
小さなリスが手を広げたって何の威嚇にもならないだろう。
でも、彼女の覚悟はわかった。
「そういう問題じゃないの。さっきも言ったでしょ。大義名分がない。私ですら会うのが難しいって言ってるのよ」
「ううっ、それでも」
泣きながらとんでもないことを言っているのがわかっているのか?
「…わかってるわ。でも、あんたは連れていけない」
そう言うと小動物みたいな顔してこちらを伺ってくる
「だから、連れ戻してくるわ」
「え?」
「そもそも冤罪なんだから無罪を証明すれば良いのよ」
そうだ。なんでこんなことで悩んでいたんだってくらい頭がスッキリした。
「私が裁判に出る!」
今の今まで思い付かなかった。
「良いこと、子リス。私が連れ帰って土下座でもさせてやるから、家で待ってなさい」
格好つけている自覚はあった。でも、格好つけていないとまた折れてしまいそうだった。
「…うん」
また、子リスは泣きじゃくった。
その時、シンディが入ってきた。
子リスはシンディに向かって抱きついた。
今から私の快進撃が始まる。
「…お嬢様」
だと言うのにシンディは困った様な怒った様な顔をしていた。
「お嬢様が大変なことはわかっています…。でも、主人とは言えど、虐めには苦言を呈させて下さい」
「は?」
冷静に状況を整理してみる。密室で何か2人が言い合っていた。そこに入ってきたシンディに小動物のような子リスが泣きついた。
Q.この状況で起こった出来事を答えなさい。
A.「お嬢様流石に虐めはいけません」
「ちょ、違うから。虐めてないから。子リスからも言ってよ!」
その声にびっくりした後に言った。
「うん。ヴィクトリアさんは…ヴィクトリアさ、んは…うぇ〜ん」
耐えきれなくて泣き出したみたいに見える。
「そこで泣くんじゃないわよ。私が言わせてるみたいじゃない」
「お嬢様、さっき「土下座でもさせてやるから、家で待ってなさい」って言ってたのは聞き間違いじゃなかったんですね」
「なんでそこだけ聞いてるのよ! 子リスに言った言葉じゃないから! ああ、もう」
そこからシンディの誤解を解くには、アンナが泣き止むまで待つしかなかった。
毅然とした態度で議場に現れたのはヴィクトリア・エバーグリーンだった。そして、何故かその少女は隣に座っている。
「どうしてヴィクトリアさんが」
「ふん、どうせ良からぬことでも考えていたんでしょ」
図星だった。
さっきまで暗い気持ちで死にたいと思っていた。恥ずかしいことにそんな気持ちなど何処か消え失せて気分が軽くなった。
「ああ、いえ、よく考えて下さい。ヴィクトリアさんの風聞を考えれば、こんなものに出るべきではありません」
「冤罪なんでしょ」
「え?」
「冤罪なんでしょ!」
「…そうですけど」
「だったら、冤罪なんだから私が称揚されることがあっても中傷されることはないでしょ」
「…そうかもしれませんが」
それが証明できなければ意味がない。
「恐らく適当な疑惑だけで裁判に持ってきたりはしません。何か決定的なものが存在します」
「こっちだって戦えるだけの武器はある」
「何か証拠でもあるんですか」
「ない」
少し期待したが、断言されてしまった。
「それじゃあ、裸と変わらないですよ」
「言ったでしょ。武器はあるって。できるだけ時間を稼いで。ついでに言えば、無罪だと証明しなさい」
そんなことできるならやっていると言い返そうとしたが、裁判官がガベル(木槌)を叩いた。
「静粛に。ヴィクトリア嬢。裁判中の出入りは好ましくありませんよ」
「裁判長、申し訳ありません」
「いいでしょう。再開します。マリー・スプリングフィールズ。貴方には国家反逆罪の嫌疑がかけられています。これに対して貴方は異論がありますか」
私は席を立った。
「異論がない」と言ってしまえばこの裁判は終了する。ヴィクトリアさんには恨まれるだろうが、勝ち目のない戦いに挑むより賢い選択だと思う。もしかしたら死罪などにはならず一生あの快適な牢獄で過ごせるかもしれない。でも、今まで賢い選択肢なんて選んだことなんてなかった。自分の感情に従って判断した。仮面舞踏会の日はそれで痛い目を見た。一番信頼していた人、’リア様’に裏切られた。
だからこれ以上苦しい思いはしたくなかった。
これ以上傷つきたくなかった。
「異論があります」
でも、傷つかないで手に入れたものなどなかった。
「マリー・スプリングフィールズは無罪を主張します」
私はまだわかっていないのだ。
リア様が私を置いて帰った本当の理由も。
リンゴォ氏が残した手紙も。




