#8 目覚め
目が覚めると肌寒さに気付いた。毛布を被らされていたけど、まだ寒い。暖炉の時期はまだ早いと思っていたけど、もう必要かもしれない。寒い。本当に寒い。毛布を被るが気休めにしかならない。まだ秋だというのに冬みたいな寒さだ。
壁は石壁で圧迫感を与えるし、窓は鉄格子を付けられている。しかも妙に高い位置にあって手が届きそうにもない。あれでは掃除が大変だ。と周りを見渡した後にやっとドアを見た。鉄製のドアは一番下に穴が空いていた。恐らくは食事などを出し入れするものだろうと予想できる。またドアについているちょうど目線の高さの穴は実際に私を覗き込むものだと思った。
どこだここ?
まるで監獄みたいだ。
恐る恐るドアに近づいた。
ドアを触ってみるが、錠でもされているのか、開かない。
あ、あの
声を出そうとした。しかし、何も出なかった。口と喉の動かし方がわからなかった。何度やっても呼吸の音しかしない。しばらく練習してやっとまともな音が出た。
「あ」
それでもか細いような声しか出ない。これでは聞こえないだろう。
「あの!」
精一杯声を出しても掠れたような声しかでない。
「あの!!」
今度は大きな声がした。
自分でもびっくりしていると足音がした。ガチャン、ガチャンと金属の鎧で歩くような音がした。
その音が扉の目の前で止まった。
目線の高さにあるスライド式の小さな窓が開いた。そこから覗き込む双眸の感情がわからなかった。
「あの、もしよろしければ何ですが、色々と質問していいですか?」
扉の前の人は何も答えなかった。
私の背中に一筋の冷や汗が落ちた。
非常に苦手な時間だった。
「…お前、正気を取り戻したのか?」
「え? はい?」
何もよくわからず答えた。正気を取り戻すってまるで正気じゃないみたいな。
「......」
また、沈黙が訪れた。
嘘、適当に答えたのが不味かったか?
正気じゃないと思っているということは、実は今までは正気じゃないのに正気ですって答えて信じてもらえないとか?
「…朝まで待て」
「あっ、はい」
良かった。そんなことなかった。
目の前の人はまた立ち去ろうとするのがわかった。
「あっ、あの」
その人の歩み寄りが止まった。
「…質問は朝まで待て」
「あ、すいません。待つんですけど、今何時ですか?」
鉄格子の窓は暗く、時間がわからない。
「夜の3時だ」
3時。
「あ、ありがとうございます」
朝という区分が一般的に何時なんだろうか。使用人だったら4時くらいだろうが、一般的には7時くらいが朝だろうか。もしかして9時…
簡単な引き算をしても、恐ろしい計算結果しかでない。
この寒くて凍えそうな牢獄の中に、4時間いる。しかも時間経過がわからない。想像するだけでも地獄みたいな時間だった。
毛布に包まってできるだけ暖かくなる体勢を考えた。
全く眠くもない。
ただ、寒いと考えながら、時間が過ぎるのを待った。
毛布に必死にしがみつきながら監獄で待ち続けた結果、一番最初に来た人は意外にもメイドだった。待つ時間はこの世で最も苦痛だった。まず寒かったし、時間の経過が一切わからなかった。鉄格子の窓が明るさを増したとき、朝が来た喜びよりも、まだこれだけの時間しか経っていないのかと絶望した。扉の前の人、(おそらくは看守)に何度も話しかけようとしたが、情報が少ない今、話しかけるのは止めた。さっきの正気云々の話が引っ掛かる。もし、私が錯乱し、暴れていた場合、私という人間は信用は地に落ちていることだろう。その状態で相手から変だと思われたら、独房にでも入らされかねない。それだけは嫌だった。昔お父様とお母様が殺された時、自分でも身体が強張り動かない経験をした。あれがきっと狂うということなのだろう。友達からも母親が狂ってしまい、精神病院に入れられたと話す子がいた。その子曰く、あれは母親ではなく、獣だったと見下す様に話していた。その子が言っていたことがやけに記憶に残った。
「もう母親は死んでしまった」
実際は生きているにも関わらず彼女はそう言った。
やや、被害妄想が強い気もするが、今の私にとっては何よりも怪しく見られない様にする必要があった。
「寒かったですよね。こんな暖炉もない所に」
「え、ええ」
お着替えを手伝うようなことはあっても、自分が手伝って貰う様なことはなかった。まず全身を拭いて貰ったのだが、これが冷たいし、痛かった。でも、その次に手と足をぬるま湯に入れてもらうのは、天にも昇るような気持ちだった。最初は間違えて熱湯に入れられたと思うぐらい熱かった。びっくりしていると「見て下さい。これはぬるま湯です」とぬるま湯が入った桶に手を突っ込むので信じて、桶に足を入れた。最初は半信半疑で付けていたが、しばらくすると痛みから気持ち良さに変わった。
「ふわぁ」
と思わず声が出たが、恥ずかしくなって、口を閉じた。しかし、その幸せの時間も直ぐに消えた。
単純に湯が冷めてしまったのである。温めて貰えないかと考えるが、温める苦労は知っているので、おいそれとは言えない。
「あら、もう冷たいじゃないですか。言ってくだされば、お湯を入れ替えます」
そう言ってお湯を頼んで来てくれた。もっと早く言えば良かったと思ったのだが、それよりも私の扱いが気になった。まるで貴婦人に対するような接し方だ。
「あの」
メイドが戻って来ると最初に聞いた。
「お湯は直ぐに届きますから」
「ありがとうございます。いえ、そうではなく、私の扱いってどうなっていますか? ここは牢獄ですよね」
そう言うと目の前のメイドがさめざめと泣いてしまった。
「え? どうされたんですか?」
「そうですよね。ご存知ありませんよね」
目の前のメイドは語った。
「まず何を語るべきでしょう? と言っても私は殆ど何も知りません。旦那様に聞いたことには、マリー様は冤罪によって牢獄に入れられてしまったのです」
「話の腰を折るようですいません。旦那様とは一体誰ですか?」
「ええ、その経緯も説明が必要ですよね。旦那様とは、クローバー公爵のことです」
つまりはリア様の叔父だ。
でも、一体なんで?
「詳しくは聞いていないのですが、マリー様が捕まった後、リア様が旦那様の家に来てマリー様のことを頼まれたようです。そうして頼まれたのが、この私です。監獄は夜の間は居ることができないそうで、昼間の間だけここに通わせて貰っています。一カ月と少しの間、毎日来ていました」
「ええと一カ月ですか?」
「それに関しても覚えていませんよね。実はマリー様は、冤罪によって捕まった時にショックでお眠りになってしまったのです。最低限食事などは可能だったのですが」
「一カ月ですか!?」
記憶がまるっきりない。でも、時間が経過していることは分かる。
「もしかしてこの寒いのは、秋ではなく、冬ということですか」
馬鹿みたいなことを言っている自覚があったが、それでも信じきれなかった。
「はい」
「冤罪とは一体何の罪で?」
「申し訳ございませんが、本当に知らないです。ただ旦那様も冤罪だと信じていました」
埒が明かないと記憶を思い出そうとすると強烈な頭痛が走った。
「イタッ」
「まだ病み上がりなのですから無理に思い出そうとしないでいいのです」
そうは言っても思い出さなければ、何もできない。
「失礼、今入ってもよろしいでしょうか」
監獄であるこの部屋に似つかわしくないノックの音が聞こえた。
「ええ」
誰かもわからずこの部屋へ招き入れた。
「私はこの中央監獄の監獄長オズワルト・ヘルスティナと申します。以後お見知りおきを」
監獄長と名乗った男は、監獄と呼ばれる場所の中で唯一貴族らしくあった。即座にこの男の価値を計算する。
「貴方様がお目覚めになったと聞いて飛んでやって参りました。どうでしょうか。私のお部屋でお話されるというのは。暖炉も、ホットワインもありますので」
メイドは私を気遣って言った。
「いえ、今まだ体調が戻らないようで…」
「いえ、行きます」
頭がズキズキと痛むのを押し殺して答えた。
監獄長の部屋と呼ばれるものは一般的な書斎の様な部屋だった。さっきまでの部屋とは違い、暖炉の部屋で暖かい。
「お前たち、もういいぞ」
監獄長は私を連れてきた看守を退ける命令を出した。しかし、職務上あまり褒められた行為ではないのか、看守達は断ろうとした。
「い、いえ、しかし…」
「大丈夫だ」
「ハッ」
しかし、この男の権力はどうやらそこそこには強いらしい。仮にとは言えど犯罪者と二人きりになれるのだから。
「ホットワインでも如何ですか?」
揉み手を擦りながら、監獄長は言った。
「すいません。お酒にはあんまり強くないので…」
「そうですか。では、就寝前に届けましょうか。このホットワインは本当に美味しくてね」
ワインは苦いイメージがあって、遠慮したかったのだが、遠慮しすぎるのもあまり良くない気がして「お願いします」と言った。
「聞きたいことを聞いてください、と言いたいところですが、まずは私の立場と貴方様の立場に付いて話しましょうか」
看守はやはり貴族らしく喋りだした。
「まずは私の立場から、最初に言っておきますが、監獄長と言っても、監獄内では偉いだけで、外部的に見れば別に偉い訳ではありません。そして貴方が犯した罪、とは言えど貴方からすれば冤罪でしょうが、貴方の罪に対して何もすることはできません。私ができることはただ貴方の監獄での生活を少しだけ良くするということだけなのです」
「はい、わかりました」
今大事なことは、それによってこの人が何を得するかということだ。
「貴方からすれば、何を差し出せるのと思うかもしれませんが、私の回答はこうです。貴方からは何もいりません。既に西の国の公爵から頂けることになっているので」
西の国の公爵、関りがないとは言わないが、別に学園に行く前に少しお世話になっただけだ。そこまで関係性があるわけではない。
「なので、私からすれば貴方が大人しくして頂ける限り、貴方に監獄での快適な生活を提供することができます。私がこの場を手向けたのはこれを説明する為なのです」
今の話を聞いて私は安心していた。
この人は利益を重んじる人だ。利害関係にある限り信じられる人だ。
「いくつか質問を良いですか」
「はい」
「私は何の罪で入れられたのですか。国家反逆罪とは聞いたのですが、何の罪で入れられたのですか」
「細かくは知りません。なので聞いた話になってしまうのですが、学園の事実を暗号によって外部に洩らしたと」
それを聞いた時、捕まった時の記憶が痛みと共に呼び起こされた。
「…ッ!」
そうだ。あの時の男はリンゴォ氏が死んだと言っていた。
「大丈夫ですか? まだ病み上がりのご様子、このホットワインをどうぞ」
そう言って飲んだホットワインは意外にも甘くて美味しかった。かつては葡萄の色をしているにも関わらず、葡萄の味がしないと思ったが、これは様々な果物の香りと甘さが口の中に広がった。喉を通るのが分かるように身体が熱くなり、次第に全身が温かくなった。
「美味しい」
「ええ、ホットワインだけは本当に美味しいのです。色々お疲れでしょう」
私は本当にお酒が駄目らしく、直ぐにボーッとしてしまう。
「お前達、マリー様を運んでくれ。体調が悪くなってしまったみたいだ」
その後は、至れり尽くせりだった。元の監獄に着くとメイドに世話をされながら眠りに入った。私が寒いと言えば、毛布が追加された。火が付くものは持ってこれなくて申し訳ないと言われたが、そこまでは望んでいなかった。
私の今までの生活よりもこの監獄での生活の方が気遣われているのは一体何の皮肉だろうか。でも、私が城壁の外の人だとすれば、人々は手のひらを返すだろう。国家反逆罪等は冤罪と言える。しかし、それ以外を追及されても冤罪と言えるだろうか。
まるで宙に浮いた風船みたいだった。
何もしていなければ、空へとどんどんと浮いてしまう。しかし、私を誰かが掴んでくれているのだ。でも、誰かが掴むのを辞めてしまえば、私はそのままどこかへ行ってしまうだろう。初めての感覚だった。
私はもう自分自身の力で歩くことができない。
いや、それは実は今も昔も変わらないのだ。私は最初から自分自身の力で歩けた時など殆どありはしない。勘違いだ。
今も昔も私以外の誰かが私の命の手綱を握っている。
それを持っていたリア様がどこかへ消えてしまったのだ。そして、次の誰かがそれを今掴んでいてくれている。じゃなければ、今頃断頭台で起きているはずなのだ。だけどそれが誰が掴んでいるのかを考えるのは億劫だった。それがホットワインの酔いなのか、それとも私の怠惰なのかはもう自分自身でわからなかった。




