#6 ヴィクトリアの視点①
舞踏会の夜、マリーはそのまま気を失った。生徒会長とリア様に手伝って貰って、マリーを部屋まで運んだ。幸いまだ女子生徒も舞踏会から帰って来ず、平和に入ることができた。運悪く残っていたのは、そもそも舞踏会に行かない様な少女だけだった。二人が帰った後、マリーと同室の子リス、アンナが怯えた様子で聞いてきた。
「マリーどうしたの?」
「いろいろあったのよ」
私も疲れていて説明出来なかった。いや、例え元気だったとしても説明出来なかっただろう。事情は複雑怪奇で、恐らく誰も全容は掴めていない。私でさえわかっていないことは多かった。
「…わかった」
アンナが何も聞かずに頷いたことに、内心良かったと思う。正直疲れていたし、緊張が未だに残っていた。もし子リスが変に抵抗してきたら、訳もなく怒り出してしまいそうだった。
「疲れたら交代するから」
「…うん」
私が緊張しているのがわかったのか、本当にリスが巣穴に逃げ込む様に布団を頭まで被って、そのまま寝入ってしまった。
本当に良かったと思う。疲れと高揚感で頭が変になっていた。私はやっとリア様に会うことが出来た。期間にして十年ぶりの再会は、私の脳が焼き切れると思うくらい嬉しかった。リア様に抱擁されながら私は今までの辛さを思い出した。リア様と出会い、別れ、偽物のリア様と出会ったこと。それは精霊教が指し示す様な受難と試練を乗り越える説話の様だった。私は乗り越えたのだ。この試練と苦難の時を。私の目尻には涙が浮かんだ。嬉しかった。ただ、嘘偽りなく嬉しかった。
それをマリーと分かち合おうと思った。人間の愚かな性質として自身が幸せの絶頂にいる時に自分と似たような他人もまた幸せだと思ってしまうのだ。マリーならこの幸せを喜び、分かち合ってくれると思ったのだ。
しかし、マリーは熱した鉄を呑み込んだ様な顔をしていた。私がこの世界の瞬間で一番幸せの絶頂であるとするのなら、マリーはこの世界の瞬間で一番不幸せの谷底にいた。
初めはそれが、どうしてかわからなかった。いや、しばらくはどうしてわからなかった。マリーが事切れた人形の様に倒れたことは幸運なことだった。余計な一言を言ってしまう前で良かった。
こうして目の前にいるマリーを見て私は後悔した。確かに私は幸福になった。世界で最も愛しいリア様に会うことが出来た。でも、マリーは世界で一番愛しい人を失ったのだ。私が苦難を乗り越えた時、マリーの苦難が始まった。いや、これは正しくない。私の苦痛をそのままマリーが引き継いだのだ。
もしこれを知っていたとしたらやらなかったかと聞かれれば、閉口するしかないだろう。私はリア様ともう一度会うことに手を尽くすだろうから。だから生徒会長一人の性にはできない。生徒会長が自分一人で責任を負う為に、一人で実行したとしてもだ。だからせめてマリーの苦悩だけは分かち合ってあげたい。マリーが目を覚ますことを期待して、隣に座っていた。しかし、その期待叶わず夜は過ぎ、私も気づけば眠ってしまったのだ。
目が覚めると眠ってしまったことに気付いた。まだ冬には入っていないと言えど、朝は冷える。
変な体勢で寝ていて身体がガチガチだ。
でも、身体は思ったよりは身体は冷えていなかった。誰かが毛布を掛けてくれたみたいだ。子リスを見ると眠っている体勢が違ったので、子リスが掛けてくれたのだろう。ありがとうと内心思った。
マリーを見ると苦しそうな顔で寝ていた。
夢見でも悪いのだろうか。
マリーを心配しつつも、自室へと戻った。身だしなみを整えないといけない。今日も授業はあるのだ。それにリア様にも会いたかった。
マリーは話す機会さえあれば大丈夫。
マリーはきっとわかってくれるから。
そう信じていた。
マリーと話したかったのもそうだが、リア様とお話をしないといけなかった。舞踏会の夜に起こった事実を何一つ私は知らなかったから。今までのリアは誰なのか、今まで何処に行っていたのか。知りたいことは山程あった。
でも、リア様と二人きりになるには、かなりの労力を必要とした。皆がリア様を好きになるのは当然だ。だってリア様は魅力的な方だから。でも、私のリア様を奪って良い理由にはならない。黄色い声援がする場所を追っていくとリア様がいた。
「ねえ、リア様って、こんなことを言うのは変かもしれないけど、人が変わったみたいだね」
それを聞いて足が止まった。それもその筈だ。そもそも人が違うのだから。
「それは良い意味で? それとも悪い意味で?」
リア様は怪しく笑った。
「もちろん良い意味です! お話が出来るようになっただけでこんなに印象が違うなんて」
「ふふっ、ありがとう。お世辞でも嬉しいよ」
「お世辞だなんてそんな」
リア様に目の前の女郎が色目を使った。目の前の不細工に靡くとは思えないが、太刀打ちできると思っているのが不敬だ。
「リア様」
ただ呼びかけただけのつもりだった。
「ちょっとお話があるの」
しかし、思ったよりも甘ったるく、媚びるようになってしまった。
何か微妙な空気になった。
「どうしたんだい? キティ」
リア様が変にノッてきた。そんな言葉が出るとは思わなかった。というか今まで言ったことないだろう。私よりも周りにいた女子が萎えているのを感じた。生半可な覚悟でリア様に近づくなよ。女郎ども。しかし、そんなことはおくびにも出さずに言った。
「皆さん、ごめんなさい。皆と楽しく喋るリアを奪ってしまって。でも、大事なお話があるの」
周りにリアが誰なものかを示すように態とそう言ったのだ。
でも、リア様も悪いところがある。
「ごめんね」
そう愛嬌たっぷりに言った。まるで私の嫉妬を嬉しそうに受け取るかのように。
「さっきのあれはなに?」
学園外の庭に出た。周りの人がいないことを確認すると、リア様を詰めた。
「いや、何喋っても喜ばれて気持ち悪くなっちゃって、逃げ出したかったんだよね」
まあ、喜ぶ側の気持ちがわからないでもない。
「あの」リア様が喋ったのだ。この私でさえ目の前にいる喜びを隠し切れない。
「それよりもどうしたの? あんな連れ出し方しちゃって」
嬉しそうに「嫉妬?」と言外に言わんばかりであるが、嫉妬なので無視した。
「そんなことよりもどうなっているか説明してよ」
偽物のリア様のことも、どうしていなくなっていたのかも。
「説明? うーん。何処から説明したら良いものか」
「…マリーにも」
私だって知りたいが、今知らなければいけないのは、きっとマリーだ。
スッとリア様の目が据わった。ふざけている雰囲気から真面目な雰囲気に変わる。リア様が何を考えているかわからない。
「ヴィクトリア、君はマリーをどう思っているの?」
私が質問したにも関わらず、リア様から質問が返ってきた。
「私が質問したんだけ…」
言い返そうと思ったが指で口を閉じられた。
「真面目に聞いてるんだけど」
「私だって真面目よ」
こっちが答えないと答える気がない様子だったので、折れて答えた。
「…友達よ」
マリーとの関係性は対等だった。上にも下にも置いていない。マリーとの身分差で言えば私の方が上だ。だから、対外的には私の方が上の身分である。でも、マリーがそう思っているかは知らない。マリーの最大の秘密は自身の出自だろうと予想していた。そのつもりがあったかわからないが、ツバキの時もそうだった。出自など関係ないと出自を探るのを避けていた。でも、本人が気づいているか、いないのか。それは出自を探られるのが嫌という彼女の深層心理がそうさせたのだと考えている。彼女はあまりにも完璧すぎた。だからこそ彼女が自然と避けた行為だけに注目すれば、それが分かりやすく彼女の秘密であった。そして彼女の出自がもしかしたら私よりも上であるということは簡単に予想出来た。
「例え彼女が何であろうとも友達?」
「ええ」
それだけは即答できる。
「ふむ」
そう言って顎に手をやって考え込んだ。リア様の癖だ。自身が思考すると話を止めてでも考えこむ。今何を言っても無駄なので、私も押し黙った。
「ヴィクトリア。もう一度だけ質問するよ。もし僕の命で君の言う偽物が戻ってくるとしたら君はそれを選ぶかい?」
「…選ばない」
当然だった。
「じゃあ、結論から話そう」
リア様は言った。
「前のリアは二度と戻らない」
それは暗にもし目の前のリア様を捧げたら戻ってくるだろうと言っていた。でも、その選択肢を知った今、それを選べなかった。
「マリー・スプリングフィールズは賢い」
それは私もそう思っていることだ。
「だからこそ、僕達が何も言わず、無かったこととして扱えば、彼女は気持ちを押し殺してそれを受け入れるだろう」
「それは…」
そう彼女は賢かった。感情を押し殺すことも知っていたし、それをわざわざ言葉にしないでも彼女なら自主的にそうするだろう。
「その代わりに彼女の人生は保証しよう。仮にも僕の友達に良くしてくれたわけだしね。彼女が言うならば、恋人も仕事も与えよう。何なら僕の側室なり、君のメイドにしたっていい。もし僕の顔すら見たくなければ、手切れ金として十分な金を与えよう。何なら彼女に名目上の領地を渡して年金として与えてもいい」
マリーはきっとそれを望まないだろうと思った。
「どうしたんだい? それとも」
そう言って私の手を取って、リア様の首に当てた。感覚的に理解した。あの時、偽物のリア様と本物のリア様の魂を交換した。だったらそれと逆のことをすれば、戻るのだ。
私の顔が青くなった。心が一瞬にして凍り付いた。
「くふふ、ごめん。ごめんよ。君を困らせるつもりは無かったんだ」
そう言って抱擁して背中を軽く撫でた。
冷え切った心が無理矢理暖められた様な不思議な錯覚に陥る。だけど嫌な感覚はしなかった。
「でも、そうだろう。僕達が生きるというのは、誰かを踏みにじるということなのだから。そして踏みにじらせてくれてありがとうって報いてあげることしかできない」
リア様が酷く薄情に思えた。しかし、それ以上に私はもっと薄情だ。
さっきまでマリーを救いたいと思っていた。しかし、いざ救える選択肢があってもそれを選ばなかった。
「マリー・スプリングフィールズに何を教えても彼女は苦しむだけさ。君が友達を続けたいなら、僕はいくらでも協力するよ。僕が悪人になっても構わない」
そんなことは望んでいない。
「でも、一つだけ嫌なことを言わせてくれ」
まるで今までのことは、別に嫌なことでもないとばかりに言った。
「君はマリーとの関係性が対等だと思っているだろうけど、対等なんてのはありえない。この世に対等というものがあるとしたら、それはただの勘違いに過ぎない。人は自分が優位に立っている時にしか対等を感じられない。対等であったことはあるかもしれない。対等であろうとすることはできるかもしれない。でも対等であることは不可能だよ。だってその時点で君は見下しているからね」
「それは…」
覚えがあった。私は何処か心の中でマリーに施してやったと思っている。
「でも、それは貴族として当然の感情さ。いや、報いてあげると言い換えてもいい」
どうすればいいかわからなかった。
「どうしてマリーばかりこんなにも苦しまないといけないの?」
まるで一晩で世界がマリーの敵になったようだった。
味方になれるならなりたかった。
でも、私が味方になれるなら味方になりたかった。でも、リア様が言うように私が味方になるというほど無責任な言葉は無かった。
私達は生きている限り、マリーを苦しめるのだ。私はそれにも関わらず安全な場所で「彼女を救いたい」と言っているに過ぎない。
「僕は君の為に何でもしてあげたい。そして、君はマリーの為に何でもしてあげたい。でも、君がしてあげたいことがマリーを傷つけるというなら僕は一度止める。それをした結果、君を傷つけるからね。でも、傷つけても知るべきというなら答えよう」
視界が涙で溢れた。ぼやけた視界の中で何かが近寄る。体温が私の感覚をくすぐる。リア様が私を抱きとめてくれた。
私は選択した。
リア様は私に選ぶ機会をくれた。優しい方だ。
「リア様…」
それに比べて私はなんて狡い女だろうか?自分でも卑しいと思うくらい甘い声が出た。
「私、ずっとリア様と一緒に学園に通うのを夢見ていました。こうやって隣に入れるのを嬉しく思います」
私はマリーに伝えないという選択肢を選んだのだ。
その時、何かが草むらから出ていく音がした。
何者かに見られた。
その姿は誰かわからなかった。
でも、不思議とその姿を見ようとは思わなかった。今ここにいるリア様の体温を離したくなかった。




