#3 ヴィクトリアの回想①
リア様と最初に会った記憶は定かではない。確かお父様が君の婚約者だと教えてくれた気がする。その時、お父様が認めるなんてとても凄い方なのだと思った記憶だけがある。当時のお父様は焦っていた。理解していたわけではないけれど、子供心にもわかった。私は一人っ子で、女だった。家督は継げず、お母様も病気がちで、次の子供など望めそうに無かった。お父様は私はとてもとても大事に扱っていた。ただし、それは宝物をタンスの奥に閉まっておく様なもので、人として暖かみがあるものではなかった。
ある時、好きだったメイドが私を怪我させた。お父様はそのメイドを折檻した。そしてそのメイドは体調を崩し、私の目の前から消えて行った。それは今考えればよくあることだったのだけれど、その時の私は大層傷ついた。使用人は私を見て怖がった。あの日から使用人達の態度は変わってしまった。私は私が触れるもの全てを傷つけるのではと思った。
私は臆病だった。誰かが傷つくのが嫌で、それ以上に私が傷つくのが嫌だった。
私はリア様に会った記憶はほとんどない。たぶん当時は初めて会う人全てに緊張していたので、覚えていないのだろう。でも、毎日一緒になって遊んでいたから流石に覚えてしまった。私達はお父様に内緒で遊んでいた。
だが、今考えてもおかしいことがいくつかあった。私とリア様の都市はそれぞれが離れている。そんな毎日遊べる筈がないのだ。リア様が当時飛行術式を覚えていたとしても、どうしてお父様にバレずに入ってこれたか分からない。でも、当時はまるで気にもしていなかった。
私の初めての友達はリア様であり、私の恋人でもあった。でも、当時の私はリア様に選んで貰ったに過ぎないと思っていた。私は自らの足で立ったことはなかった。私は二つの糸に繋がれ、ぶら下がっていた。その一本はお父様が持ち、もう一本はリア様が持っていた。どちらかが切れてしまえば、私は宙ぶらりんになる。どっちも切れてしまえば私は落ちてしまう。だから落ちてしまえば、私は二度と立つことは叶わない。
ある日、私の部屋でリア様が言い出した。
「ヴィッキー、冒険行こう」
そんなことして私が怪我をしたら、リア様が怒られてしまうと思った。
「嫌です」
「うん? ヴィッキー、これはかくていじこうなんだよ。きょひけんはないんだよ」
何を言っているかわからないけど、滅茶苦茶なことを言っていると思った。
「私はいいです。リア様だけで行って下さい」
「えー、行こうよ。ずっと部屋にいても面白くないよ」
「いいです! それにそんなことしたらリア様がお父様に怒られてしまいます」
「怒られたからって何だって言うの? 僕は君のお父さんより強いし」
「え?」
それは私にとって全く知らない尺度だった。お父様より強い? そんな訳ないが、リア様は私よりも物知りだった。リア様が言っていることは全てが正しく、リア様が言っていることをそのまま言うだけで、私は褒められた。
「そんなことない———はずです」
でも、リア様がどれだけ強いかは全く知りませんでした。
「ねえ、目を瞑っていて」
そう言ってリア様は私の目を覆い隠した。これでは何も見えない。リア様の悪いところは、一つ言うことを聞くとそれ以降も肯定と受け取ることだった。
「行くよ」
そうリア様が言うと何やら雰囲気が変わった。
「いいよ」
「え?」
目を開けると何やらおかしい光景が広がっていた。気づいたらお外にいたのです。それもうっそうと茂る森の中。さっきまで部屋の中にいたというのに。
「びっくりした?」
リア様は何やら嬉しそうに私に聞くのですが、当時の私としては胸中穏やかではありません。
「ふえ、ふえ、え~ん」
お部屋の外なんて御屋敷の庭ですら沢山の人に囲まれて遊んでいるのです。知らないその外の世界、しかもリア様とだけ。
私は泣かずにはいられませんでした。
「ええ? どうして?」
リア様は何でかわからないという風に私を慰めようとしていた。
「僕強いよ?」
優しさはあれど、決定的に何かがズレていました。
「泣き止んで」
そう命令されますが、泣こうと思って泣いたことはなかったので、どうやって泣き止めば良いかわかりません。
不幸なことに私の泣き声は森中に響き渡っていました。
それが何を呼び出すかも知らず、私は泣き続けていました。お父様が宝物の様に仕舞っていたのも分かります。私は無力でした。
森がざわめくのが、聞こえました。森自体が悲鳴を上げている様な声が聞こえ、私は怖くて仕方がありませんでした。
何かが、近づいてくる声が聞こえました。リア様は何とか慰めようと焦っていて、その声が聞こえませんでした。
「ヒック、ヒック。り、リア、様」
それを伝えようとしてみましたが、嗚咽で上手く喋れませんでした。
「何か、近づいてる」
しかし、それを伝えたときには遅かったのです。犬の様な見た目の魔獣が喉笛を噛み千切ろうと襲いかかっていました。ちょうどリア様から見えないように背後から。
リア様が気付いた頃にはもう遅い。
———なんてことはありませんでした。
「【第二術式 射弾】」
魔弾を振り向きざまに顎に食らわせると魔獣は空中で方向を変えました。
「【第四術式 擲廻転槍】」
そして地面に着地しようとした魔獣目掛けて串刺しにしようと魔術を放ちました。
「キャンッ」
犬の様な魔獣は避け切れなくて、そのまま槍が突き刺さりました。
「もう今僕が慰めているでしょうが!」
リア様が怒っている姿を見ていると気づけば、涙が止まっていて、それにも関わらず私を抱きとめて頭を撫でてくれていました。
「よしよし、もう怖い魔獣はいないからね」
それは子供がベッドの下に怪物がいると言った時の慰め方なのだが、まさか本当に魔獣を倒してから言う台詞ではないだろう。今思えば、誰かに言われたことを録音機の様に繰り返しただけなのだろうが。
「わかった。冒険はもう辞めよう。まだ始まってもいないけど」
魔獣を一体倒しておいて冒険が始まっていないとはどんな冒険をするつもりだったのだろうか。
「もう一回、目を瞑って」
そう言われ、もう一回瞑って目を開けると私のお部屋にいました。
夢かと思うくらいあっさりとした冒険でした。だから現実感がなかったのか、すっかり泣いたことなど忘れていました。
「リア様、私お姫様になりたい」
「え? うん」
「リア様は私の騎士ね」
「え!? 僕、騎士よりも階級上になれるよ」
当時の私は階級なんて知りませんでした。ただ子供が読む様なお伽噺の本を取り出しました。
「お姫様はね。竜に狙われるけど、王様は何もできないの。でも、騎士様だけが助けてくれるの。だからね。お姫様はお城で騎士様を待っているの」
それはごっこ遊びの延長上に過ぎなかった。リア様は私の言っていることを自分の中で納得してから言いました。
「わかった。もうヴィッキーを冒険に連れて行かないからね」
私を抱きしめながら、リア様は言いました。
少し残念な気持ちと良かったという気持ちのどちらもありました。
しかし、私はこのせいでリア様の大事な冒険に付いて行くことが出来なかったのです。
それからしばらく経った後、リア様は唐突に言いました。
「ちょっと旅に出てくる」
「何処にですか?」
「秘密」
私は面白くなかったので、怒りました。
「何で!」
「何でって秘密なんだもん」
「う〜」
大抵のことは私が癇癪を起こせば、リア様は聞いてくれたのですが、今回は聞いてくれませんでした。
「じゃあ、何時までですか?」
「それはわかんない」
「わかんないってなんですか!」
私は泣きました。こうすればリア様と言えど、私の言う事を聞かないということはありませんでした。
「じゃあ、行かないで」
そう言うとびっくりした顔をして、その後、優しい顔をしました。
「それは駄目だよ」
「なんで?」
「約束したからね」
「約束よりも私の方が大事でしょう」
「ヴィッキーは大事だけど、約束だって大事だよ。ヴィッキーだって、僕が約束破ったら嫌でしょ」
「それは嫌だけど」
でも、私よりも大事にしている物があることが嫌でした。
「わかった。この世で最も仲良くなる方法を教えるよ」
「仲良くする方法?」
「うん。二人の絆を強くしてくれるの。やる?」
「やる!」
「その方法はね。二人で秘密を共有すること。そうするとどんなに遠い所にいようが、どんなに長い間一緒にいられなくても友達でいられる方法なの」
「友達? 恋人がいい」
「恋人だって同じだよ」
「じゃあ、やる!」
私は秘密を考えました。だって秘密が思い浮かばなかったから。この年でおねしょしたことはメイドが知っていたし(知らなくても言わなかったけど)、私は御屋敷から出れないので、基本的に秘密はありませんでした。強いて言うならばリア様とこうして遊んでいることだけが、皆への秘密でした。でも、リア様は目の前にいるので、秘密になりえません。
「あっ」
「思いついた?」
一つだけあった。リア様にも秘密にしていることが。
「う、うん」
「じゃあ、ヴィッキーからで」
「私はね。リア様のことが実は…す、好きなの」
かあっと顔が真っ赤になった。リア様もきょとんとした後、顔が真っ赤になった。
「そ、そう、それが秘密だったのか」
「本当だよ」
私は嘘付いてないよ。
「いや、本当だから驚いているというか、秘密がそれだったのかというか」
コホンと誤魔化す様に、じゃあ僕の秘密を言うねと言った。
「僕には。精霊の友達がいるの」
「え? それだけ?」
拍子抜けした。私の秘密に見合っていない気がした。
「いや、これは本当に誰にも言ってないんだよ!」
「でも、私もっと、もっと大事なこと言ったよ」
「いや、それは…」
私はリア様を責めました。あんまりにも聞き分けがないので、リア様は仕方がないとばかりに言った。
「わかった。じゃあ、友達見せてあげる」
そういうことじゃないんだけど、私の方が大人なので許してあげることにした。
そう言って彼は呪文を唱えるとその精霊を召喚した。
その精霊は白く美しかった。
中性的で真新しいシーツの様に清潔感がある。
初めて純白のドレスを見た時の様な感動と高揚感。
でも、何処か恐ろしかった。
それがどうして驚いたのかわからない。
「こいつはねエーテルって言うの。普通、精霊は四大元素の要素を持っているけど、エーテルは一体どんな精霊かはわからない。」
「へえ」
リア様はきちんと説明してくれたが、頭に入らなかったし、何を言っているかわからなかった。そして特別興味もなかった。
でも、これのせいで旅に行くのだろうという予感があった。
リア様は直ぐに精霊を仕舞った。
「ねえ、お互いがお互いの秘密を守るんだよ」
「うん」
この約束は私にとって大事なものになった。それまではリア様に恋をしていた。自分が持っていないものを持っている人として。しかし、この約束が恋から愛へと私を変えた。子供から少女へと確かに変えたのだ。
しかし、それを自覚するまではまだしばらく掛かった。
だってリア様はこの日姿を消したのだから。
しかし、私がそれを知るのもまた先のことだった。お父様は私のことを大事に思っていたし、同時にリア様を息子の様に可愛がっていたからだ。私がそれを知ったのは、それから5年後の10歳の頃だった。それまで何度も会いたいとは思っていたけど、リア様がこちらに来なければ、会えない。リア様は旅に出たのだ。旅に出たから会えない。でも、こちらから会いに行くには良い筈だ。
そう思いお父様に言った。
「私リア様に会いたいです」
「へ?」
お父様は唖然とした様子で言った。
「…もう忘れたのかと思ったよ」
「一時も忘れていた事はありません」
「…そうか」
「リア君はいないよ」
「旅に出たと聞きました」
「誰から聞いたか知らないが、旅に出たのは、嘘ではないかもね。5年前突然姿を隠したんだよ。精霊の国に連れてかれたみたいにね」
精霊の国に連れて行かれるとは誘拐や失踪したことを意味する言葉だった。感情が急に熱するように怒った。
「どうして教えてくれなかったんですか!?」
「教えたから何かなるかい?」
「それは...」
口籠った。私はいい子にして、リア様に会いに行こうとしていた。でも、もし知っていたらそんな努力すらしなくなっていただろう。
「哀しみに暮れるよりは良いかと思ってね。まあ、案外本当に精霊に連れて行かれたと心の何処かでは思っているよ」
いや、それは恐らく合っていた。あの日見た精霊、あれがリア様を連れてしまったのだ。
「…思ったよりも感情的にならないんだね」
恐らくリア様との約束が無ければもっと感情的になっていただろう。
「じゃあ、今の君になら言ってもいいかな」
お父様は無慈悲に言った。
「リア君との婚約を解消しようと思っている」
「お父様!」
信じているのなら、どうしてそんな選択をするのだ。
「君だってわかっているだろう。貴族とはそれではいけないんだ。行方不明の男と一生を共にするつもりか? 彼は死んだのだ。クローバー辺境伯だって次の子供を既に作った」
「私は...」
私だけは私だけは知っている。
「私はリア様は生きていると思っています」
私は確信を持っていた。
しかし、お父様は婚約を解消した。
お父様は私の親である前に、貴族だった。お家を左右する一手を打てなかったのだ。今ならわかる。子供の言ったことで左右されるほうがおかしいのだ。しかし、これはエバーグリーン家にとっての最大の悪手となってしまった。
最も不幸なことは、これを言った後に、リア様はクローバー家へ戻って来たのだ。お父様はヤケ酒をしていた。当然クローバー家の陰謀を謀り、あえて婚約解消を引き出したことすら疑った。でも、それらしい証拠も出てこなかった。どれだけ調べようと本当に婚約を解消した直後に現れたことがわかっただけだった。
ただ、それからしばらくリア様が表の場に出てくることはなかった。何か病気になったと噂されていた。出てきたのは小竜が12匹出て、西の国最大の危機に陥った時だった。
大変だったらしいとしか聞いていない。お父様は軍を編成して、竜がいるクローバー領へと向かった。お父様は恐らく死ぬつもりで向かったのだろう。貴族とはそういうものだ。
しかし、お父様はあっさりと帰ってきた。リア様が全て倒してしまったらしい。本当であれば、国の英雄の誕生だった。実際に国中が歓喜に満ち溢れた。リア様を称える吟遊詩人の曲が大量に作られた。
でも、お父様の顔色は良くなかった。
リア様は精霊語しか喋れなくなってしまったのだ。
私と約束してくれたリア様はしっかりと私の中にいた。しかし、伝え聞いたリア様は全く知らない人だった。
会いたい。
ただそう思った。私と約束したリア様と何一つ変わりないと信じたかった。
その機会もしばらく待たねばいけなかった。
新年の挨拶まで待たなければいけなかった。
私の人生は二つあった。
リア様に嫁ぐか、リア様に嫁いで貰うかだ。
お父様の思惑も二つあった。
自分の家を引き継ぐか、娘を大きな家へと嫁がせるかだ。
少なくとも弟様ならともかく、リア様がエバーグリーン家に嫁ぐなどありえない筈だった。その選択肢が何故か出てきてしまった。しかし、もしそれが選ばれたとしたら、それはリア様の価値が弟よりも下がったということに違いない。私はそれでも良かった。それがリア様であるのなら。でも、お父様はそれでは良くないだろう。お父様は私をリア様に嫁がせ、養子にエバーグリーン家を継がせるつもりだったのだ。




