#1 ダーシーの視点
冬はまだ先というのに随分と冷え込む。まだ布団に潜っていたいような時間だ。いや、一日中布団の中へと潜っていたい。
「はっ、はっ」
しかし、同級生の声に驚き、目が覚めた。同級生が起きていたことにまず驚く。リア・クローバーが私よりも早く起きていたことなど一度もない。むしろリア・クローバーを起こすことが私のライフルーティンとも言えた。しかし、驚いたのはそれだけではない。リア・クローバーが人語を喋っている。いや、既に知っていたには知っていたのだが、改めて驚かされた。おそらくはまだ慣れていないのだ。ただ驚いた理由はまだある。
「何をやっている?」
「ん? ああ、筋トレだ」
リア君は【第四術式 創重壁】を台座にしながら、その上で逆立ちをしていたのだ。それに加え、その状態で腕立て伏せ? のようなものをしているのだ。
「起こしてしまったか? ダーシー」
「いや、いつも起きている時間だから構わないが、目は覚めたよ。」
私達はマリー嬢を巡って、争った。と言ってもマリー嬢の気持ちが定まっていたのは知っていたし、リア君は私と戦っていたつもりがあったかは知らない。一人の女性を巡ったのだから、当然私達の関係性は悪化するだろう。気まずくならないように努めようと思ったが、そもそも気まずくならなかった。自分でもこれには驚いたのだが、そもそもリア君がまるで違う人に見えてしまったのだ。
「ふう」
息を吐くとリア君は逆立ちを止めた。
「急にどうしたんだい?」
リア君がそうやって努力する所なんて見たことがなかった。ただ舞踏会があった次の日の身体の興奮が収まらないというのなら少しわかる気もする。
「ああ、久しぶりの身体が嬉しくてね」
「ん?」
よくわからなかったが、気にすることもないだろう。
「というか最近はサボり過ぎた。しばらくは訓練だ」
「いつから君はそんな熱心になったんだい?」
まるで人が変わった様なことを言う。
「うん。せっかく喋れる様になったんだ。もうちょっと活動的でも良いだろう」
いつものリア君とは一味違う。やっぱり喋れないから出来なかったことが沢山あるのだろう。それにいつもやる気がなさげなリア君よりは良いと思った。
「それもそうかもしれないね」
だけどこの時の僕はそれが長く続くとは思ってはいなかった。普段出来ない人間が人が変わった様に出来ることなど概して無いものだ。何日続くのか、後で賭け事をしても良いと思ったくらいだった。
しかし、その思惑は直ぐに外れた。リア君が喋れる様になったのは、直ぐに学校中に知れ渡った。いや、それどころか、街中に知れ渡ったのだ。もちろんそれが広まるのは、人伝なので、街中の誰もが話題にするには、一月掛かった。まあ、この時の僕はそれさえも知る由がなかった。しかし、周りの人の反応が変わったのは、分かりやすかった。気持ちは分からなくもない。別に悪い人だとは思われてはいなかったが、何を話しても精霊語を返すのだ。会話が長続きしない。本人の階級が高いのも相まって、本人にその気がなくとも、まるで威圧しているみたいになってしまうのだ。とは言えど、愉快な奴なのでリア君が主動となって動くことは無いものの、いつも中心にいる様なタイプの人間であった。ただ一度喋らせてみればここまで喋る奴だとは思ってもいなかった。
「…という風に思われていたが、実は違う。…」
女子には優しく、男子には面白い。
今まで喋れなかったのが、これほど惜しいと思ったことはない。
「ねえ、リア様って、こんなことを言うのは変かもしれないけど、人が変わったみたいだね」
リア君の巧みな話術を見た一人が言った。少し安心した。僕だけがそう思っていたのかと思ったからだ。
「それは良い意味で? それとも悪い意味で?」
リア君は意地悪するように笑った。
「もちろん良い意味です! お話が出来るようになっただけでこんなに印象が違うなんて」
「ふふっ、ありがとう。お世辞でも嬉しいよ」
「お世辞だなんてそんな」
リアの周りは歓喜、いや、熱狂を生んでいた。それは奇妙なことだった。だって昨日までは同じ人だったのだ。それが一日、いや一晩経っただけでこうも変わるとは。少し冷静に周りの様子を見るとリア君を囲む女性が野獣のような眼光でリア君を見ていた。元々リア君の顔は同性から見ても綺麗だった。当然入学した当初はリア君目当てで話しかける女の子も多かった。しかし、言葉の壁は大きかった。次第に女の子は何を話して良いか分からなくなって、逃げ去ってしまうのだ。今は違う。人がリア君の周りから離れない。
リア君の周りで屯っていた人の波が動いた。
「リア様」
一瞬、マリー君が呼びかけたと思った。
「ちょっとお話があるの」
しかし、甘ったるく、媚びるように呼びかけたのはヴィクトリアだった。この場の誰もが思った筈だ。
貴方達は喧嘩していなかったっけ?と。
「どうしたんだい? キティ」
リア君からそんな言葉が出るとは思わなかったが、僕よりも驚いた人達がいた。そうさっきまで熱に浮かされていた人達である。本当に氷漬けにされてしまったかの様に、一気に熱が冷めたのがわかる。
「皆さん、ごめんなさい。皆と楽しく喋るリア君を奪ってしまって。でも、大事なお話があるの」
周りにリア君が誰なものかを示すように態とそう言ったのだ。
「ごめんね」
そう愛嬌たっぷりにリア君が言ったので、少しだけヴィクトリアに脅されているのではないかと思った。何よりもそれの方が合点がいった。しかし、次の光景を見て違うと気付かされた。
「レディ。御手を」
そう言って腕を組んで歩いていったのだ。それを見てしまった女子達は、膝から崩れ落ちた。実際にはそんな醜態を晒していないのだが、彼女たちの心が膝から崩れ落ちたのが見えた。少し気持ちはわからないでもない。あれは両想いだ。
しかし、彼らのインパクトに目が行って気づかなかった。マリー君はどうなったのだ? というよりマリー君を今朝から見ていない気がした。
しかし、喋れないというハンディキャップを感じたのは、何よりも魔術の授業の時だった。彼は言語化の達人だった。
「ダーシー君、君は第四術式を勘違いしている」
「それは、どういう意味だい?」
イットウ君を筆頭にしてクラスの中には、何人か第四術式を使える人がいる。しかし、私はまだそれができないでいた。第四術式の難しさは、魔術に込める動作をいくつも同時にやることにある。まず槍状に魔術を形成すること。正直これが一番難しい。そして、それを回転させること。最後にそれを放つこと。これらを同時に成功させることが第四術式の難しさであった。
「うん。だから、その認識が間違っているんだ」
リア君と話していると気づけば、教師も生徒も一同が集まってきた。
「まず、【第二術式 射弾】との違いは何か知っているか?」
「それは貫通力の違いだろう。魔弾では同じ【第四術式 創重壁】は防げるが、【第四術式 擲廻転槍】では、貫通することができる?」
「その認識で間違っていないが、それをもっと具体的にすると? どうして【第四術式 擲廻転槍】は貫通力があるんだい?」
「それは形状だろう。力が一点に集中するから。それに加えて回転の力が加わるからだろう」
「その認識は概ね間違っていないが、【第四術式 創重壁】を破れるのは、【第四術式 擲廻転槍】は貫通力が高いからではない」
「どういうことだ?」
「これを見てほしい」
そう言って左手に【第四術式 創重壁】、右手に【第四術式 擲廻転槍】を展開してみせた。さらっとやって見せたが、誰でもできるような芸当ではない。
「【創重壁】に【擲廻転槍】をぶつけるとまず【創重壁】に【擲廻転槍】が突き刺さる。この時点で見ると、突き刺さるところまではいったが、そのまま貫通するには至らない。。【創重壁】との摩擦で槍の穂先が潰れてしまうからだ。だが、【創重壁】自体にも亀裂が入る。その亀裂に対して回転の力が加わるとどんどんと【創重壁】内で亀裂が広がっていき、【創重壁】が粉砕される」
「...なるほど」
【第四術式 創重壁】を貫通することは、体験として知っていたが、それがどういうった原理で打ち勝つのかを知っているものは多くないだろう。
「ああ、原理としてはわかったが、どうやって第四術式をやればいいんだ? そもそも私はそれができていないのだし」
「今話した中の要素として、槍状に魔術の形成を行うこと、回転させること。発射することは同時にやる必要があるか?」
「...いや、ない」
強いて言えば教えてくれた家庭教師が、同時にやることだと言っていたからやっていたに過ぎない。
「だが、それでは発射まで遅くなるだろう」
「それは練習しろ。そこまで何とかはできない」
まあ、それもそうか。
「そして槍状に形成するという行為もまだ分解できる?」
「分解?」
「行為をより切り分けられるということだ。最初から槍状に形成するから難しいんだ。第二術式の派生なんだから。まず第二術式の魔弾を作ってから、槍状に直せばいい」
「そんな簡単なことで」
そう言われて実際にやってみる。まず第二術式 魔弾を生成し、それを引き延ばすように槍状にする。
「で、できた」
「まだ、できていない。良く見ろ。槍の穂先の一点に対して直線ではなく、曲がっているだろ。この形だと【第四術式 創重壁】とぶつかったときに折れてしまう。綺麗な三角錐を作れ」
「...なるほど」
「後は練習しろ。一動作、一動作。それが終わったら一連の流れをつなげる。一連の流れも一気に行うんじゃなくて一つ一つやれ」
そう言われて必死に、我を忘れて練習する。
まずは槍形成だ。
言われた通り【第二術式 射弾】を作り、そこから槍状に変化させる。まだ無骨だったが、授業中に必死にやると少しマシになった。第四術式が卒業までにできるか心配だったが、公明が見えた。しかも、伸びたのは僕だけではない。周りの見ていた人たちも、すでにできるようになった人たちも必死に槍形成を行っていた。
おそらくこの場にいた誰もが思っただろう。もし、彼がもっと早く喋れていれば、もっと早く...
そこで思考を一度止めた。
なんだか失礼に当たる気がしたのだ。彼を便利に扱っているみたいで。
一度はっと集中が切れて、顔を上げると衝撃の光景が広がっていた。
皆笑いながら槍形成を必死にやっていたのだ。
それがどこか奇妙に見えたのだが、自分の口角も上がっていたのことに気づいた。
怪しげなカルト儀式の現場と言われたら信じてしまうだろう。
恐ろしい麻薬のような強烈な快楽だった。
それは彼が本来持っていた魅力であり、彼の本来だせる実力なのだろう。
実践魔術の授業が終わった後、一人の少女に話しかけに行った。
「アンナ君」
呼びかけると苦い顔をされた。まあ、彼女との関係性は不思議なもので、私をマリーの代わりに振ったのは、彼女だった。それまでも関わりがなかったので、これ以降関係がないと思われても不思議ではない。
「そう邪険にしなくても...」
「邪険というか、ただ単に気まずいです」
「...まあ、僕も話しかけておいてなんだが、気まずいと思ったよ」
まあ、嫌がられてはいないだろうと無理やり話を変えた。
「そういえば、マリー君はどうしたんだ?」
そう言うともっと苦い顔をされた。
「ああ、いや、そうじゃなくてだね。ただ本当に心配をしただけで」
告白を断られた男が告白を断った女の子のことを聞くのはどう考えても未練がタラタラに見えるだろうが、本当に心配しただけなのだ。
「まあ、心配でしょうけど」
「本当に! マリー君のことはスパッと諦めたんだ。というか、流石にあれほどわかりやすく脈がないのを見せつけられて、未練があるほど馬鹿じゃないよ」
「本当ですか?」
流石にそこまで疑われるのは、心外だ。
「いや、僕が心配しているのはだね。リア君が喋れるようになっただろう」
「…ええ」
「それに何故かヴィクトリア君とリア君の仲が急接近というか、仲直りしているのかわからないけど、とりあえず仲が良くなっている。そんな中でマリー君を今日見ていないからどうしたんだろうと思ってだね」
「...ああ、やっぱりヴィクトリアさんが何だか変わりましたよね」
「うん。そういうことだよ」
「帰ってきた時からマリーは何だかわからないけど、寝込んでいます」
「寝込んでいる? リア君の声が戻っているというのに?」
僕が疑問を呈するとやっぱりおかしいですよね。と言った。
「はしゃぎすぎて体調が悪くなったというのならわかるんですけど、むしろ落ち込んでいるみたいで」
「昨日僕たちがいない間に舞踏会で何かあったのか?」
「あったにはあったんでしょうけど、それが聞き出せるかと言うと」
「うん。まあ、あの三人は特別仲が良いからね」
もしかしたらリア君を奪い合って、ヴィクトリア君が勝利したとか。そう考えたが、口には流石に出さない
「私はリア様を奪い合って、ヴィクトリアさんが勝利したんじゃないかと思っていたんですが」
「・・・・・・」
口には出さない。
「でも、ヴィクトリアさんは舞踏会から帰ってからずっとマリーを夜通し看病していたんですよね」
「ヴィクトリア君が?」
幼少の時から知っているが、ヴィクトリア君がそんな優しい人間には思えない。そんなことをするのはよほど彼女にとって特別な人間か何かだろう。
「あっ、もしかしたら」
一つだけマリー君が落ち込む理由を思いついた。
「生徒会のことはどうだろう?」
「生徒会?」
「だって建前上はマリー君はリア君の通訳として入っているのだろう。だったらリア君が喋れるようになったら辞めないといけなくなるんじゃないかな」
アンナさんは顎に手をやって考える素振りをした。
「確かにそれだと、意味は通りますが、マリーってそんなに生徒会に思い入れが強かったですかね?」
「さあ?」
そればかりは知らない。
やっぱり恥を忍んでも舞踏会に行くべきだったかと少しだけ後悔した。




