#15 馬車の中の嘘つき達
その日は雨だった。大量に降る雨は窓ガラスを揺らし、時折雷鳴も轟いた。太陽が隠されたせいか、部屋は暗く、あまり良く見えなかった。
ヴィクトリアの目の前に男がいた。男の顔はわからない。男はローブを被り、さらに仮面をつけているのだ。しかし、肩幅から推測するに、男性に見える。ヴィクトリアは縛られていた。それにも関わらずヴィクトリアは勇猛果敢に言い放った。
「貴方は誰!」
仮面をしているのだからわかりようもない。しかし、ヴィクトリアは先ほどまでの記憶を有していた。あの後どうなった? 私は咄嗟にリアに攻撃しようとした。しかし、それよりも早く意識を失ってしまったのだ。
「・・・・・・」
男は当然答えなかった。
男はヴィクトリアを丁重に抱えると【第四術式 創重壁】を階段上に積み上げる。
その先にはロープが吊るしてあった。まるで死刑執行の罪人が括りつけられるように、ヴィクトリアはロープへと吊るされる。
「ふざけんな!」
幸い首を吊るされたようではなかったようで、その口は閉じなかった。
獣が威嚇するようにヴィクトリアは考えられる暴言を言い続けた。
「・・・・・・」
「素顔を見せられないのか。この屑。一体どんな醜い顔をしているんだ!」
顔が見えないというのは一筋の希望だった。この罵詈雑言は、私が思っている顔じゃなければ良いと思った。私はその人物の素顔を知っていた。この仮面の裏がどんな顔なのか知っていたのだ。でも、仮面の下を見るまでは誰なのか決めつけたくなかった。そして、とうとう耐えきれなくなったのか。男は仮面を外した。それとともに雷が落ちた。
「・・・・・・」
そこに居たのは私が知るリアの顔、愛しい人と同じ顔をしたリア・クローバーその人だった。
その時初めて知った。
リアが私を憎んでいた。
いや、憎まれていたと知っても、おかしなことではない。だって私もリアのことを憎んでいた。大切な、大切な愛しい人をリア様に奪われたのだ。
憎まざるを得なかった。
だからあの馬車の時、私は怒った。
でも、怒ったとして何の意味もなかった。
それに今のリア・クローバーを好きな人もいた。マリーだ。リアを好きにはなれなかったけど、マリーは好きだった。だからマリーが好きになれば、この愛しい人と同じ顔をした男に愛憎を抱かなくなるんじゃないかと思った。
その時だった。ヴィクトリアの真下にある魔術陣が光った。
「あんたが」
その声はか細く消えてしまいそうだった。
「あんたがこれを計画したの?」
その魔術陣は見たことがあった。
これは精霊魔術の召喚。
私はその生贄として使われたのだ。この魔術陣の生贄となったツバキがどうなったか知っている。彼女は地獄の業火に焼かれた。それでも精霊と契約していたおかげで命にまでは別条がなかったのだ。でも、私だったら死んでしまう。その時、走馬灯の様に学園に出立する前を思い出していた。
お父様は明日の出立に備えてきちんと眠れと言ったが、眠れる筈もなかった。
明日はリア様と一緒。
ただその事実だけで私は嬉しかったし、面白かった。そんな状態では当然眠れる筈などなかった。
ただ、そうやって眠れないでいると邪な考えが思い浮かんでしまう。
リア様が私のことを好きでなくなった場合だ。でも、直ぐにそんな考えを追いやる。リア様とはずっと約束をしていた。秘密の共有もしていた。そう考えると私の気持ちが治まってきた。
だけど、新年の挨拶の時のリア様を思い出した。あの時のリア様は素っ気なかった。私が前のめり過ぎたのはわかるし、お話をする時間も少なかった。喋る言葉が精霊語になっていて面を食らったのもある。それはきっと気の所為だろう。そう思って寝付こうと考えていたのに、眠れなかった。
その日私は一睡もできなかったが、私はある結論を出した。
私が子供っぽいと思われたのではないかという結論を出した。通訳をしていた女の子は大人っぽく、賢そうだった。所作も綺麗だったし、中央訛りも綺麗だった。私はどうして家庭教師にもっと熱心に教えを請わなかったのかと後悔した。あの日から密かにあの隣にいた少女を敵視していた。だってリア様は女の子が好きすぎるから。私だって中央国のことだって知っているんだから。美味しい料理だって知ってる。そして、この対抗心が子供っぽい感情だとも知っていた。
「お待ちしていましたわ。リア様、それにマリーさんも」
私だって立派な淑女なのだ。歓待だってできる筈だ。
「この度はこの様な歓待感謝します。リア様に代わり私が感謝を述べさせて頂きます」
「いや、こちらこそリア君が泊まってくれるなんて名誉なことだ」
確かマリーという名前だったと思うけど、少しだけその少女の所作に見とれていた。お父様と話しているのに、全く臆していない。
「ふむ。うちの娘に爪の垢を煎じて飲ませたいところだね。どうだい? 追加でお給金を払うからうちの娘の家庭教師にならないかい?」
「お父様!」
少なくともリア様の前で言うことではないでしょ。
「いえいえ、そのようなことは」
「ハハハ、冗談さ。まあ、本気で受け取ってくれても構わないがね」
お父様はきっと本気で言っていた。
「しかし、リア君。私は無駄が嫌いでね。君も初めての長旅で疲れているのだろう。こういった時に、過度な歓待を受けるのは、疲れてしまう。もちろん必要ならそういった用意もできるがどうする?」
「お父様! エバーグリーン家がその様な失礼をするべきではないですわ」
そんなことしたら、私の大人っぽさを証明できなくなってしまう。歓待でもてなすべきだ。
「#」
リア様が一言発した。何を言っているかわからないが、何か強烈な違和感を感じた。
「#€##」
「今なんと?」
エバーグリーン侯爵はマリーに尋ねた。
「お気遣い感謝しますと」
マリーは申し訳なさそうに言いながら、少しも申し訳なさそうではなかった。
「もっとパーっとパーティーを開いた方が楽しいですわ」
そっちの方が私の素晴らしさをアピールできるに違いない。
「こら、決めたことを軽々とひっくり返そうとしない」
何だか子供みたいに扱われる。いや、お父様の前だからこうなっているのであって本来の私とは違う。
「では、軽い食事と寝室を用意させよう。だが、明日は軽い食事会に参加してもらおうかな」
お父様がそう言うとここがタイミングだと思った。私が中央国のことをよく知っているのだと知らせるタイミングなのだ。
「でしたら中央国でしか食べれない料理を振る舞いましょう」
「それは、明日にしてもらいなさい」
お父様は私を窘めた。
出立の前にダーシーがやってきた。
「紹介するよ。ダーシー君だ。君たちの同級生になる」
憎たらしいダーシーが合流した。
「ご丁寧にどうも、こちら、リア・クローバー子爵。そして、私はマリー・スプリングフィールドです」
「君が噂に聞くリア子爵か。あえて光栄だよ」
こいつは昔私がリア様と遊んでいたと言ったら、嘘つき呼ばわりしたのだ。距離的にそんなに頻繁に会える筈がないと言って。愛が距離を超えるなど知らない間抜けなのだ。
手を差し出されるとリア様も握手に応じた。
「##」
「・・・・・・」
言葉にこそ出さないが、リア様の発する声にびっくりしたようだった。
「ダーシー様は、何処に住まれている方なのですか?」
「うん? エバーグリーン領の東のほうとでも言えばよいのかな? エバーグリーン家とは、母方の親戚でね。さほど、離れてもいないから、昔はよく連れられたものだよ」
「それでよく虐められたものですわ」
きちんとこいつの本性を晒しておかないといけない。
「なっ、変な風評を流すな。むしろ君の方がお転婆娘という感じだっただろう。僕は君に振り回されたといっても過言ではないよ」
「変なことをリア様の前で言わないでください。私は、小さい時から清楚な淑女でしたから」
「お二人は仲がいいんですね」
「「よくない!」」
リア様とマリー二人で笑った。笑うタイミングが全く同じなのが、何だか嫉妬してしまう。立場的に考えれば、恋愛の関係ではないのだろうけど、少し心配だ。
「お二人はどの様な関係なのですか?」
ただ純粋に聞いてみる。
「私はリア様の通訳や周りのお世話などを担当しておりますが」
「そういうことじゃなくて、もっとあるでしょ」
私を置いて浮気している、とか。
「ヴィクトリア嬢。あまり少女を虐めるのは感心しないぞ」
「ち、違いますわ。ただ、聞いてみただけで」
リア様、私はそんな疑い深い人じゃないですから。
「適当なこと言わないでください」
しかし、リア様は優しく笑うだけだった。
何だか違和感が拭えなかった。そう、言葉にするならば、今のリア様は優しすぎる。優しいことは良いことなのだけれど、昔会ったリア様は、『劇薬』のような方だったのだ。私みたいな凡人とは違う本物の天才。大人だって軽々とあしらう。少なくとも魔術においてリア様よりも上の人間を見たことがない。リア様は自分の自信と共にその実力が伴っていた。そんなリア様だけど、女の子には特別優しくしている。私だけに特別優しくしてくれないのはどうかと思うが。
「あっ、そうだ。リア様の次の馬車に乗せてくださりませんか?」
二人きりで話したかった。
「馬鹿を言うんじゃないよ。君の馬車はどうする? 空の馬車を運ぶ気じゃないだろうね」
「そうですけど、なにか?」
「そうですけどじゃないよ。君ね。乗るのは君だけじゃないんだよ。御者や君の御付きの人も乗るわけだし、城壁に入る時は形式とは言っても見られるんだよ。それに出迎えてくれる先の主人だって準備があるんだよ」
ダーシーは小生意気な奴だが、考えなしではない。私だってリンディとシンディを困らせたい訳ではない。
「それだったら誰かに乗らせればいいじゃない」
城壁を隔てた国同士の小娘の顔など覚えている筈がない。ちょうどマリーもいることだし、バレないだろう。
「それで誰がやるのですか?」
何を言っているんだろうか。
「そりゃあ君以外いないだろう」
何故か自分は関わりないと言った顔だ。
「い、嫌ですよ」
「そんなこと言わないで、一生のお願いだから」
「嫌ですよ」
マリーは見た目通り真面目だ。
「交換条件にしない?」
「いえ、交渉の余地はありません」
「私が持っているドレスをいくつか譲るわ。正直貴方のドレス古臭いわよ」
しかし、私は女の子の需要をわかっている。普通の貴族がリア様にも勝てない魔術を学んでいる間に、私は女を磨く技を学んでいたのだ。中央国の流行のファッションだってお手の物だ。
「まるでお母様が若い頃に着ていた頃のドレスよ」
「うっ」
こんなに可愛いのに、ドレスが古臭いせいでお婆ちゃんみたいに見える。
「ふふっ、私にはわかるわ」
きっと教育熱心な家庭に育てられたのでしょう。
「貴方は相当箱入りに育てられたのでしょ。もはや完璧とも言える中央国訛り、リア様以外の男性に慣れていなさそうな雰囲気。そしてその古臭いドレスは閉鎖的な環境にいたからこそ、流行を知らないのでしょ」
「ふむ、君にしてはまともな判断だ」
ダーシーまでも私の鋭い洞察に恐れ慄いただろう。
「そうでしょう。それでドレスを譲ったあげるけどどうする?」
「そもそも私ではなく、リア様が決めるべきかと」
私はこの瞬間勝ったと確信した。だってその目はもう私のドレスに行っているのだから。
そう言うと私とダーシーの視線がリア様に向かう。リア様は首を横に振った。
こ、断った?
リア様がこんな面白そうなことに首を縦に振らないなんてあるのか?
しかし、リア様はいきなりマリーを指差した。
ああ、わかった。つまりは
「ねえ、これは自分じゃなくて貴方が決めろと言っている様に思えるのだけれど」
今度は私とダーシーの目線はマリーに向かった。
「わ、私は」
そう、天秤がどちらに傾いたかなど一目瞭然だった。
馬車に乗り込めば、リア様と二人きりになれた。この時を待っていた。馬車の対面ではなく、隣へと移動する。
「お久しぶりですね」
私が小さい時、そしてリア様が小さい時は何度も会った。お父様にはリア様とは一回しか会っていないと言われたけど、私は何度も会っている。
「二人で交わした秘密を覚えていますか? あの時、言っていましたよね。どんなに遠くに行っても、どんなに期間が開いても二人の仲を保つと」
リア様の左手を両手で包み込む。
「あの時の私はまだ小さい時ですから、リア様がいた世界こそが私の世界でした」
「父はもしリア様が行方不明になったと知ったら何をするかわからないからとリア様が行方不明になっていたのを教えてくれなかったのです。そればかりか代筆屋を雇って偽の手紙を送っていたのです」
それを知った時は大層父を恨んだ。
「でも、実際はそれは父の優しさだと気づきました。貴方がいない世界は実際につまらなく自死していたとしてもおかしくはありませんでした」
「ねえ、リア様。あの時の約束を覚えていますか」
私はリア様の顔を見るのが怖くて今までずっと下を向いていた。しかし、この時ばかりは顔を見た。
「###」
リア様は喋れなかった。それは精霊語しか喋れないのだ。精霊語は聞いたことも無ければ、聞き取ることもできない様な奇怪な言語だ。どうしてマリーと言う子が通訳できるかわからない。でも、肯定か否定くらいは私にだってわかる。
私は慄いた。
それはリア様の精霊語を理解した訳でも、私の言葉を否定されたからでもない。
強烈な違和感。
突然私は距離を取った。
私はその違和感を説明するかのように言葉を絞り出した。
「貴方は誰ですか?」
私はその言葉を口に出した後、違和感を理解した。
そう、今まで積み重なった違和感が線となって繋がった。
「しばらくの間、時間が開いたから変わったのだと思った。でも、違う。貴方は誰ですか」
姿形は確かにリア様だった。
でも、私がそう言うとリア様は力なく笑った。
「リア様はそんな笑い方をしません!」
もしかしたら本当に変わってしまったのかもしれない。根拠なんてない。でも、こんなリア様はリア様じゃない。
「リア様を何処にやった!?」
こいつが私からリア様を奪った。
そう思うと怒りがこみ上げて、リア様の首を絞めていた。
「お前がいなければ!」
私は腕に力を込める。家族に細くて綺麗な白磁器のような綺麗と言われた手で。
「お前! 何なんだよ!」
私が必死になっているのに、こいつの顔は。
「何でそんな救われたみたいな表情してんだよ!」
私はこれからリア様のいない世界を生きないといけないんだぞ。
そう思うと腕から力が抜けた。
「リア様を。リア様を返せよ」
気づけば、涙が視界を覆ってた。
恐る恐ると言う手で背中を撫でられる。これを拒否したかった。でも、これは、リア様の手なのだ。
「ねえ、教えてよ」
「リア様は帰って来るの?」
望みがないのはわかっている。でも、希望は消えなかった。
リアはそれを答えた。
二度目の落雷で意識が戻った。視線が目の前の男に移動する。状況は最悪だ。縛られて何も出来ず、ただ口煩く罵るしか出来ない。
「あんた、何がしたいの? これ精霊魔術でしょ。ていうかあんた使えないんじゃないの?」
リア様が一番得意な魔術は精霊魔術だった。もちろんそれ以外も一流だったけど。そして、こいつが精霊魔術を使う所を見たことがない。精霊魔術を使うには素養がいるのだ。それが才能ないのかなんなのか知らなかったが、少なくともこいつが使ったのを見たことがない。だから、おそらくは使えないのだろうと思っていた。
「誰がこの魔術陣を作ったの? 答えなさいよ」
リアは確かまともに文字も書けないはず、だからこれを書いたのはこいつじゃない。
「……」
もしかしてマリーとか? いや、マリーは魔術に詳しいわけではない。こんな難しくて精緻な術式はいくら頭が良いとは言えど、書けないだろう。
「だんまりと言えど、あんたが何を喋ってもわからないもんね」
私は私がどうなるかわからない。
殺される? それとも召喚した精霊の生贄にするとか? 一体何が起こるのか見当もつかなかった。
「ねえ」
「......」
「最後に答えてよ」
「......」
「あんたマリーのことが好きなんでしょ」
「......」
「幸せにしなさいよ」
「———%」
しかし、あろうことかこいつは首は横に振った。
「あんたねえ!」
この私の命を使うのだから、せめてそれくらいは首肯しなさいよ。
そう文句を言う暇もなく、リアは精霊魔術に魔力を込めた。
強烈な光が視界を満たした。
身体が竦む。やっぱり死にたくない。
目を瞑るとさっき目に焼き付いたあいつの表情がフラッシュバックした。
光が満たす前にみた最後の表情は、とても悲しげな顔をしていた。




