#1 狂騒曲の後で
その日は雨だった。大量に降る雨は窓ガラスを揺らし、時折雷鳴が轟いた。太陽が雲に隠されたせいか、部屋は暗くあまり良く見えなかった。
部屋にいるのは誰だ?
一人は顔を知っている。ヴィクトリアだ。
しかし、もう一人の顔はわからない。もう一人はローブを被り、さらに仮面をつけているのだ。しかし、肩幅から推測するに、男性に見える。
一瞬部屋が光った。雷が鳴ったのだろう。
暗くてわからなかったが、部屋が光った時に一瞬見えた。
ヴィクトリアは縛られていた。それにも関わらずヴィクトリアは勇猛果敢に言い放った。
「貴方は誰!」
仮面をしているのだからわかりようもない。
「・・・・・・」
男は当然答えなかった。
男はヴィクトリアを丁重に抱えると【第四術式 創重壁】を階段上に作る。
男の視線の先にはロープが吊るしてあった。まるで死刑執行の罪人が括りつけられるように、ヴィクトリアはロープへと吊るされる。
「ふざけんな!」
幸い首を吊るされたようではなかったようで、その口は閉じなかった。
獣が威嚇するようにヴィクトリアは考えられる暴言を言い続けた。
「・・・・・・」
「素顔を見せられないのか。この屑。一体どんな醜い顔をしているんだ!」
ヴィクトリアの罵詈雑言は、風車小屋の粉引き機の様に煩かった。
そして、とうとう耐えきれなくなったのか、男は仮面を外した。それとともに雷が落ちた。
「・・・・・・」
その男が誰なのか見えなかった。ほんの一瞬の雷光が眩しくて、結局顔は見えなかった。しかし、ヴィクトリアには誰かわかった様だった。
今度黙ることになったのは、ヴィクトリアだった。その顔は絶望に塗れていた。もはや、そこには怒りはなく、驚愕、悲しみといった負の感情だけだった。
その時だった。ヴィクトリアの真下にある魔術陣が光った。
「あんたが」
か細く消えてしまいそうな声で言った。
「あんたがこれを計画したの?」
その魔術陣は見たことがあった。
精霊魔術の召喚。
ヴィクトリアはその生贄として使われたのだ。
「はあっ、はあっ」
気が付けば、息は荒く、寝巻は寝汗でびっしょりだ。
手が震える。
ついに、ついに知り合いの死が見えてしまった。竜、火の大精霊の出現に加えて、今度はヴィクトリアの死まで見えてしまった。ベッドの側の水差しから水を口に含んだ。窓の外の月を見て判断するに、まだ朝と呼ぶには早く、夜と呼ぶにしては遅い。心臓は早鐘を打ち、ベッドは天井から雨漏りしたのではと疑う程に濡れている。最早微睡むこともできず、朝を待たなければいけない。ここに彼女の手の震えを止めてくれる人は誰もいなかった。その手の震えを陽光が暖めてくれるまで
長い時間が掛かった。
「止めないと」
なんて残酷な夢。
なんて残酷な真実。
もう目を背けることは出来なかった。
「ヴィクトリアは殺させない」
少女の決意は月夜に照らされた。
カルロスは恐る恐る聞いた。
「マリー君、君昨日のこととか、覚えていたりするかい?」
蘇るのは昨日の記憶だ。
「どうしたんですか? カルロス先輩? 昨日のこと?」
不思議な顔をしながら業務へと戻るマリー君を尻目にその場から少しずつ離れようとした。
「ああ、いや、良いんだ。覚えていないなら」
例え祝賀会をやろうとも、翌朝にはいつでも元通りというのが、生徒会という組織なのだ。しかし、禍根を残したとなれば、そうはいかないだろう。
「カルロス先輩」
部屋の隅に誘われ、小声でヨリイチに呼ばれた。
「何言ってるんですか。記憶でも戻ったらどうするんですか」
「いや、そんな禁じられた記憶みたいな…」
「禁じられているみたいなものでしょ!」
まあ、言われてみればそうかもしれない。他の国ではお酒が飲める年が決まっている所もあるが、この国では決まっていない。だから何歳でも飲んでもいいのだが、騙して飲ませたとなれば、それは別の話だ。それに加えて女性を騙して飲ませたとなれば、犯罪者と呼ばれても弁解できまい。いや、別にそんな気は無かったのだが、結果的にはそうなってしまったのだ。
「だってこの年でまだお酒を飲んだことないとは思わないじゃん」
別にお酒を飲ませる基準となっている歳はないが、早い者では10歳にいかないぐらいから、遅くても16歳くらいまでには飲んでいるのが普通だろう。彼女も16歳となれば、1杯くらいは味見して、酒の不味さと危うさを知っても良いくらいだ。彼女がもっと子供だったら流石に罪悪感で後悔したかもしれないが、むしろこの年齢で飲んだことがないのは親の教育を疑うべきだろう。
「まあ、仮面舞踏会でやらかすよりは良かったかもしれない」
生徒会では、毎年総合演習の後に、お酒を飲むことになっているのだが、来年から気を付けないといけないかもしれない。
「ヨリイチ、来年は気を付けるんだぞ」
「わかっていますよ」
生徒会副会長は毎年慣例的に次の後輩で有力な人物がやる。そしてそのまま生徒会長を引き継ぐのだ。だからヨリイチは十中八九生徒会長だろうから言っておく。
「しかし、女性が入ったことで幾つか気付かされたことがあります」
「気づいたこと?」
「生徒会の治安がよくなりました」
「まあ、そうかも」
生徒会は良くも悪くも男のメンバーで構成されている。それぞれが腐っても有力貴族の子息なので、ある程度はわきまえている。しかし、同性しかいない空間は、ゴミが散らばったりとどんどんと雑になっていくのだ。それに去年総合演習の後は酷かった。乱痴気騒ぎをし過ぎて危うく先生にバレる所だった。副会長、今の生徒会長がいなかったら、どうなっていたことか。
「以前はカルロス先輩に出したものを片づけろと言っても聞かなかったのに。最近は片付けますし」
「いやあ、怒られるよりも、ため息をついて片されると申し訳なさが勝っちゃうんだよね」
「私にも申し訳なさを持って欲しいですが、まあ、良いでしょう」
「変な物を持ってこなくなりましたし」
「いやあ、流石にあれは寮に置けない物を一時的に置いてただけだって」
そう、マリーがここに勤めると生徒会長から聞かされた時「見られて困る物は置かない方が良い」と釘を刺されたのだ。寮に持ち帰る訳にも行かず、泣く泣く処分した物が幾つかあるのだ。
「何の話をしてるんですか?」
二人で話していたのにマリーが入ってきた。
「いやあ…」
どっちの話も聞かれたくないことばかりだ。
「ヨリイチ君が珍しく君を褒めていてね」
「なっ、違います!」
「違うのはそれは、それで傷つきますけど」
「いや、違うと言ったのは違うんだが」
ヨリイチ君が生徒会長になるには、申し訳ないがもうちょっと腹芸ができた方が良いだろう。しかし、あれ程マリー君が入るのを嫌っていたのに、マリー君を一番面倒を見ているのはヨリイチ君だ。マリー君が一度言ったら仕事を直ぐに覚えることもあり、教えるのが楽しいのだろうな。リア君は仕事ができない。いや、総合演習であれだけ活躍すれば1年分くらいの働きはあるけど、平常時は正直にっこりしてる大木みたいなものだし。一方マリー君は3年間生徒会に居た僕よりも仕事ができる。自分で思ってて悲しくなって来た。しかし、来年の人事はどうするんだろう。
そこまで考えてハッとさせられた。
「そう言えばなんだけど」
何だか今日はセンチメンタルだと自分でも思っていたが、その理由がわかった。
「次のイベントが3年生の生徒会最後のイベントなんだよね」
言って何になるでもないのに、つい言ってしまった。ああ、先輩もこんな気分だったのか。と無駄に感傷に浸る。
「え? 辞めるのは秋頃ですよね」
「そうだけどもう大きなイベントは仮面舞踏会しか無いでしょ」
「…ああ、そうですね」
ヨリイチ君は未来を考えたのだろう。少し黙った。
「え? 秋頃に辞めちゃうんですか」
マリー君の言った言葉にかつて自分も言ったのを思い出した。生徒会にいる偉大な先輩が辞めるなんて露ほども思っていなかったのだ。俺のことを偉大だと思っているかは知らないけど。
「だって家に帰れば、貴族にそのままなる奴は良いけど、他は就職なり何なりしないといけないからね」
「カルロス先輩は実家に戻るんですか?」
「そのうち戻るけど、当分は官僚になるか、騎士団に入るかだね」
「全然違う道じゃないですか。今まで考えて無かったんですか?」
「いや、逆だよ。逆」
そう後輩に世界の広さを知らされたのだ。
「騎士団に入ることしか考えて無かったんだよ」
感慨深く言ったつもりだったが、後輩には伝わらなかった様で、何も考えていない先輩だと思われたが、まあ、いいだろう。
「あっ、そうだ。先生に呼ばれていたんでした」
マリー君が忙しなく話を中断した。
「行ってきなよ。こっちの後片付けはやっとくから」
「ありがとうございます」
こっちに向かいながら、走って出ようとした。その時、扉が開くのが見えた。
「危ない!」
そう声を掛けても足は止まらなかったみたいで、扉を開けた人とぶつかった。マリー君は体重が軽いので、マリー君だけが吹き飛ばされようとしていた。しかし、扉を開けた人は、即座に抱きかかえた。
「##€#?」
どうやら扉を開けたのはリア君だった。手で身体を支えながら、恐らくは大丈夫かと聞いているのだろう。
その時、僕は後輩の耳が真っ赤になるのを見てしまった。
「あっ、だ、大丈夫です。それでは失礼します」
走り抜けて行くその横顔は真っ赤になっていた。
その時僕の明晰な頭脳が答えを導き出していた。
お酒を飲んだ帰り道。泥酔した女の子。持ち帰った男の子。ここから導き出される答えは、簡単だ。
「リア君、一体君は何をしたんだい?」
自分でも下世話だと思いながら聞いてみる。
「#?」
しかし、リア君の答えは不明瞭だった。
「ナニかしたんじゃないの!?」
「%」
リア君は首を横に振った。
「カルロス先輩、流石に下衆の勘繰りですよ。第一リア君は紳士ですよ」
「いやいや、そういうのじゃないってさっき見なかったの? マリー君顔真っ赤だったって」
「いや、見てないですよ。大方ぶつかって顔が赤くなっただけでしょ」
「いや、そうかも知れないけどさ」
確かに一瞬しか見れなかったので、確信は無いが、あれは恋愛的なアレコレだと思うけどね。
「絶対にあれは恋しちゃってるって」
同意を求めるが2人とも首を傾げるばかりだ。
「この朴念仁共め」
二人は置いていく。この戦いにはついて行けない。
「ちょっと仕事はまだ残っているのに何処行くんですか!?」
ヴィクトリアは手で隠しきれないほどの欠伸をした。
「お嬢様、眠そうですね。昨日はお楽しみだったようですね」
「まあ、ねえ」
変な含みはありそうだが、気にしない。
「久しぶりに飲んだから楽しかった。酔ったあいつも面白かったしね。記憶が残っていないのは、残念だけど」
記憶が残ってたら弄っていたのに。残念だ。
弄っても、そんな訳無いじゃないですかと言われて相手にされない。面白くないのだ。
「それにしても何で翌日から普通に授業があるのよ」
疲労感とふわふわとした高揚感が残っていた。
「そりゃあ僕らは行軍訓練の時には何日も休んだしね。授業の日数が足りてないんだ」
教室にはアリーがいた。普段わざわざ話しかけてくる様な奴ではないが、総合演習後の謎の一体感のせいか絡んできた。別にこっちとしても雑談相手がいるのは悪くない。
「1人なんて珍しいじゃない。何時もの奴らは?」
「リアは生徒会。イットウはツバキちゃんのとこに朝一で行ってるよ。ダーシーは知らん」
「そうよ。それよ。イットウとツバキはどうなったの?」
「いや、俺が知る訳無いし、イットウがそういうの見せないでしょ」
まあ、イメージ通りだ。
「マリーから聞いたのよ。イットウが熱い告白をしたって」
そんな熱い奴だとは思わなかったので、未だに信じ切れていない。
「ヴィクトリア嬢、あんまし弄ってやるなよ」
「冷めてるわね。男って本当に面白くない」
「いや、考えて見ろよ。イットウは短気だぞ。周りが囃し立てて、それで逆ギレしてツバキ嬢に厳しく当たったりしたらどうするんだよ」
それは確かにあり得そうだと思った。
「そんな男願い下げよ」
一体何でそんな男に気を使わないといけないのだ。と口では悪態をつきつつ実際はやらないだろうと自分でも思う。マリーに中途半端に関わるなと言われたし、どちらにしてもアイツラはちょっと苦手だ。
「いや、それはお前の感情だろ。何が二人の間にあったか知らないけどさ。今は二人で過ごす時間が必要だろう。昨日のイットウを見る限りまだ感情の整理が出来ていないって感じだったぞ」
「それは…」
本当にそうだ。
少し自分が浮かれていたことに気付く。
「悪かったわ。少し寝不足でテンションが可笑しかったわ」
「ふ~ん、それはリアが朝帰りしてきたこと関係ある?」
仕返しとばかりにこちらを煽るが、それには乗らない。
「その関係にも時間と感情の整理が必要なの」
「ふふっ、そうか。それなら何も言えないね」
アリーは笑うと視線を一瞬外して言った。
「では、リアに直接聞こうかね」
アリーの方を見るとリアとマリーがこちらへと来ていた。アリーの言っていることは気にも留めなかった。いや、記憶から飛んだというのが正しいだろうか。
「———ねえ、あの2人」
「うん」
「何だか変よね」
正確には2人が変というよりマリーが変だった。何だかマリーがリアから距離を取っている気がするのだ。
「もしかしてなんだけどさ」
「リア君が朝帰りした理由ってあそこにあったりする?」
「ないと思ってたけど、もしかしたらあるかもしれないわ」
「何を言ってるんだい?」
自分でも意味がわからない。
「確認の必要があるわね」
そう言ってマリーに近づいた。
「おはようマリー」
「おはようございます。ヴィクトリアさん。何だか近くないですか」
「気の所為よ」
「マリー、昨日のことだけど」
「だから知りませんって」
ふむ、朝はありえませんと言っていた筈だけど、今は知りません、ね。もしかして覚えていないと言ったのは嘘?
「そう、知らないの。だったら思い出させてあげる。昨日はこうやって抱きついてたのよ」
そう言ってリアに向けて突き飛ばした。
リアは当然マリーを受け止めた。その時、マリーは何があったのか、一瞬理解していなかったが、理解した瞬間に顔が真っ赤になった。耳まで真っ赤になって、可愛らしい子ウサギみたいに驚いているのだ。まるで自分の感情が恋心だと認識した女の子みたいな反応だ。
「も、もうっ、ヴィクトリアさんなんて知りません」
マリーはここにいられなくなったのか逃げた。
「ヴィクトリア嬢…」
アリーは最低なものを見るようにこちらを見た。
「君は悪魔の生まれ変わりか何かかい?」
「今のはちょっとしたスキンシップじゃない」
「仮にも元とは言えど婚約者と友達に対してやることかい?」
「うっ……」
それを言われると弱い。
「…ちょっとやり過ぎた」
言い訳みたいだけど寝不足でテンションがおかしい自覚がある。
「ほらリア君も悲しんでるし」
リアを見ると本当に傷ついたみたいな顔をしていた。
「#」
流石に謝るか。
「傷ついたふりするな!」
やっぱり無理。
こいつには謝ってやらない。
「ちょっ」
私も足早にここを去った。
「リア君、ハンカチーフいるかい?」
「#」
やっぱりあいつを許してやるのは難しい。
教室から出てマリーを探す。
何処行ったのかしら。
周囲に人影すらない。しばらく歩くと誰か先輩らしき人がウロチョロしていた。もしかしたらあの人なら知っているかもしれない。
その人と目があった。
「あのマリー知りませんか?」
「マリー君を見ていないか?」
2人の声が被った。その時お互いにお互いを察した。
「ああ、紹介が遅れた。こちら生徒会所属のカルロスだ」
生徒会ということはあっちはリアとマリーがこっちに来るまでを知っているのだ。
「私はマリーと同級生のヴィクトリアよ」
そして、私は昨日の夜のささやかな祝杯を知っている。
つまり聞くことは一つだけだ。
「マリー君が何だか変だけど」
「マリーが何か変なんだけど」
2人の声が被ったが気にせず喋った。
「「何か知らない?」」
それ以降奇妙な友情が生まれたことなど、マリーは知らない。その日、悪魔の笑い声が聞こえたとか、聞こえなかったとか。




