#5 【ビブリオテカ】と【チョムスキー夫人】
【ビブリオテカ】は一見するとお店には見えなかった。隠れ家的な雰囲気があり、木製のドアに小さく看板がついている。お店というよりは人のお家に見えてしまって入るのを躊躇していたのだが、リア様がドアを開けてしまった。
「あっ」
リア様にドアを開けさせたのが申し訳ないのか、ドアを開けてしまったことにびっくりしたのか自分でもわからない。
レストランというよりは、内装の立派なお屋敷といった感じだったが、ドアの付近にあるベルを鳴らすと直ぐにスタッフが来た。
「いらっしゃいませ。此方へどうぞ」
しばらく歩くと個室に通された。
席に座り、スタッフが部屋から出ていくのを見ると即座に口を開いた。
「このお店は個室なんですね」
確かに身分の良い客も来そうだ。
メニュー表を見ると先程の紳士が言うように確かに少し割高な感じはするが、持ってきたお金を超えるほどでもない。
「リア様は何にされますか?」
「#♪〜」
リア様はメニュー表を見ても分からないので、どう伝えようか迷ったが、挿絵のお魚を指差した。メニュー表を見ると魚のグリル焼きと書いてある。
「いいですね。お魚。西の国では干物か川魚しか食べれないですしね」
中央国も海に面している訳では無いが、流石に四国の中央にあるため、非常に交易が盛んだ。
「私もそれにします」
出てくる食事を考えると不思議と笑顔が出てくる。
「いい場所を教えていただきましたね」
「#♪♪」
リア様も楽しそうで何よりだ。
食事が出てくると二人で舌鼓を打った。
「毎日は恐らくいけませんが、何か特別なことがあったらここに来ましょう」
「#」
お腹いっぱいになり、食後の紅茶を楽しみながら、これからについて話し合った。
「これからリンゴォ氏の倶楽部に行きましょうか」
「#」
「この街は非常に豊かですね。西の国では見たことが無いものもいっぱいあります」
私は新しい体験が全て喜ばしいことだと思っていた。それがこの街のただ一面に過ぎないとはまだこの時は分かっていなかった。
教えられた場所に行けば行くほど人口が増える。それと共に様々な人が見えだした。先程までいた場所はいわゆる高級住宅街に近かったということもあり、身なりのいい人ばかりだった。しかし、それに混じっていくらかボロボロになった服を着ている人をチラチラと見たり、路上に座る物乞いを見た。自分の思っているような国ではないことに少し落胆する。
「花はいりませんか? 朝摘んだばかりなんです」
その声に釣られて見ると花売りと目が合った。いや、合ってしまったというべきか。
「お姉さん、お花はどうですか?」
花売りは十五、六の見た目でバスケットに多少萎れた花を入れていた。目が合ったのが商機だと思ったのか近づいてきた。
「お兄さんもどうですか? そちらのお嬢さんに似合いますよ」
彼女はきっと朝から晩まで花を売り続けているのだろう。
もし彼女の立場が私だったら?
それはあり得ない想定ではない。
リア様に助けられなかったら?
リア様に拾われなかったら?
リア様の御付きとして養女にして貰わなかったら?
それを考えざるを得ない。
無意識に財布に手を伸ばす。
財布に手を掛けてから気付いた。
いや、このお金さえも私のお金ではない。与えられて、そしてリア様の為に使うべき物だ。
「ごめんなさい。これから急いで行かなければならないのです」
彼女の落ち込む様子が心を蝕んだ。
彼女から離れても彼女の顔が記憶から離れない。どこか私に似ていたような気がしていた。それは、ただ記憶が曖昧であることの証明なのか、それとも私が...
倶楽部はコーヒーハウスにあると聞いた。コーヒーハウスに入ると何か香ばしい独特な匂いがした。一つは葉巻の香りだろうが、もう一つはなんだろうか? 若い二人が入って来たのが意外だったのだろうか? それともリア様を見て驚いたのかは分からなかったが、少なくとも余所者が入って来たと思われたのだろう。
「チョムスキーさんはいらっしゃいますか?」
「チョムスキー? 奥の方にいるよ」
奥に進むと独特の匂いは3つだと気付いた。一つはタバコ。もう一つは人々の机を見てブランデー等のお酒だと気付いた。ただ恐らくもう一つの匂いはなんだろうか。ティーカップに入った真っ黒な色の飲み物が匂いの元だろうと思っているが、何もわからない。 御茶の種類? こんなにも違う物なのか?
そんなことを考えて奥へと進んでいくと手を振ってくれる方がいらっしゃった。当然だがチョムスキーさんの顔は知らないので、確信はできなかったが、あの人だろうと思った。
「こっちよ。マリーちゃん。リア子爵」
「チョムスキーさんであっていますか?」
正直男性の方だと思っていたからびっくりした。
「合っているわ。長旅で疲れたかしら? リンゴォ氏からは聞いているわよ。びっくりしたわ。リンゴォ氏から女の子をよろしくなんて頼まれるとは思わなかったもの」
矢継ぎ早に言われるとは思わなかったので、少しアワアワとしているとチョムスキーさんの後ろから助け船が出た。
「チョムスキーさん。若い娘困らせていないで紹介してくれよ」
「そうね。私はアマンダ・チョムスキー。主に文法の研究をしているけど、大体のことにも精通しているわ。そしてこっちのオジサンはアダムス、学者ではなく、趣味で言語学をやっている人」
「酷えな」
そう言って笑った。
「あともう一人いるんだけど今日はいないわ。もったいないわよね」
「よろしくお願いします。こちらは…」
「大丈夫よ。二人ともわかっているから。それにここはそんなに畏まる必要はないわ」
「は、はい」
「唯一存在する精霊語話者のリア子爵。そしてリンゴォ氏の最高傑作のマリー嬢ね」
最高傑作?
「すいません。最高傑作とは一体?」
「あら、お気を悪くしたとしたらごめんなさい。でも貴方のことは、リンゴォ氏から聞いていたの。ここだけの話ね。私達は賭けをしたの」
「賭けですか?」
あんまり良い気持ちはしなかったが聞き返した。
「と言ってももしかしたらリンゴォは覚えていないと思うし、貴方と彼が会う前のことよ。賭けの内容はこうよ。浮浪者を貴族にできるかどうか。ただそれだけ」
「浮浪者を貴族にですか? 無理じゃないですか?」
「何言っているのよ。貴方がいるじゃない」
「え?」
「と言っても浮浪者ではないけど、城壁の外の人間なんでしょ。貴方は」
「は、はい」
知られているとは思わず、驚いた。それがばれてしまえば、私は全てを失ってしまうという予感があった。
「軽く手紙でリンゴォ氏が語ってくれただけだから、詳細は知らないけどね。でもリンゴォ氏は城壁の外の人間を貴族に変えた。この場にいる私達以外は誰も気づいていないでしょうね。貴方が城壁の外の人間だなんて」
言われたことは気持ち的には納得していないが、論理的には納得できる。
「つまりリンゴォ氏が教えてくれた中央国のアクセントが私を貴族足らしめているということですよね」
でも私が貴族になった理由の殆どはリア様のご厚意だ。
「そう、私達は身分の違いをお金だの、歴史だのだと勘違いしているわ。実際は言葉の発音が身分を身分足らしめている」
「それはその言葉を発する人と社会が相互的に関わるからですよね。偉い身分の人間は常に自分と同じくらい偉い身分の人間が周りにいる。だからこそ同じ言葉を共にする」
チョムスキー夫人は分かっているじゃないと笑った。
「貴方は頭の中では納得しているけど気持ちは追いついていないようね。でも、言葉遣いは性格さえ変えてしまうのよ」
「はい、今の私があるのはリンゴォ氏のお蔭です。それに発音が身分を身分足らしめているのなら、リア様と喋ることこそが高貴な立場ということですしね」
そう言うとチョムスキー夫人は高らかに笑った。
「ふふっ、そうね。王の息子と喋るのが高貴な社会性なのは確かだわ。それが誰もわからない言語と言えどね」
チョムスキー夫人は葉巻を取り出した。アダムスさんが火を付ける。そして一服する。一服する間は誰も喋らなかった。
「姉御、賭けに負けたからって機嫌を悪くするのはご法度じゃねえか」
「そうね。リンゴォにいっぱい食わされた気分よ。私の賭けが負けた。その悔しさを少しぶつけてしたくなってしまったわ」
もう一度葉巻をふかすと私の目をやっと見た。元々威厳がある人ではあるけど、その瞳に宿る力強さはそれ以上だ。
「貴方を侮った訳じゃないし、軽んじた訳じゃないの。失礼なことを言ったことを謝らせて頂戴。ごめんなさい」
まさかそんなことを言われるとは思わず声が出なかった。
「その上で聞くわ。私は言語学の為なら人の気持ちを踏みにじるわよ。失礼なことを聞くし、あなたをただの婦女子として扱わない。それでもこの倶楽部に入りたいの?」
今改めて聞かれた理由は何となく分かる。私とこの人は恐らく相性が良くない。それはこの人も感じていることだろう。リンゴォ氏ともリア様とも全く違ったタイプ。恐らくはこの人とは喧嘩すると思う。メイドをやっていた少ない期間でも相性が良くないと仲良くなれないと知った。
「私はリア様の言葉が分かりたいんです」
それが本心だ。
「でも私には全く知識が足りない。調べる為の伝手だって足りないです」
それが事実だ。
「私は貴族になる為にここに来た訳では無いです。リア様と同じ言葉を喋るためにここにいるのです」
チョムスキー夫人と目が合う。
「ここは仲良し倶楽部じゃないし、研究だって手伝うわけじゃない。思ったことをただ言うだけの場。でも、学者が話せばいくらでもブレイクスルーが生まれる。ここはそういう場よ。歓迎するわ。マリー嬢」
チョムスキー夫人と握手を交わす。
私は中央国に来て初めて社会が広がったことを感じた。




