第50話 二人1
レギオンを撃破してから一週間後。
初めは、異常なくらい激しい降り方だが、それでもただの通り雨だと思った。
だが、その豪雨が一時間続いたとき。
たったそれだけの時間なのに、僕は何か嫌な予感がした。
そして、その雨のことについて、ロバートさんから軍本部に呼ばれた。
「大変なことになっている」
本部の一室で、ロバートさんは座って机の上で手を組みながら僕とマリアに言った。
「欧州全土、いや、世界中で、豪雨が降り続いている」
僕は嫌な予感が的中したと思って、唇を噛んだ。
「……恵みの雨というわけではなさそうね」
マリアが戸惑いを隠せないで言う。
「信じられないことではあるが、各地域で、この雨による川の増水だけでなく、海が増水を始めたという報告が上がっている。海の底から凄まじい勢いで水が湧き出てきて海を増水させているという情報まである。すでに水害が出ている。これがこのまま続けば地球全土が水没する可能性すらある。この例を見ない異常な現象はほぼ間違いなく、能力者によるものだと思われる」
ロバートさんは暗い声を出す。
「河水雪、ソフィアの中で、このような能力を有する者はいないか?」
僕は記憶を巡らせながら答える。
「……僕は全てのソフィアの能力を知っているわけではありませんが、このような強大な力を有する者がいれば聖人級ですのでどこかで覚える機会はあったはず。しかし、僕の記憶には該当する人物はいません。ひょっとすると、つい最近メフレグの神と契約した者なのかもしれません」
「そうか……、一体、どうすれば見つけ出すことができるのだろう」
ロバートさんが頭を抱えたとき、兵士が一人部屋に入ってきた。
「失礼します」
「……どうした? 緊急事態か?」
「この動画が……世界中に配信されています」
兵士が持っていたパソコンを机の上において、パソコンを操作する。
画面に、動画が再生される。
僕はその動画に映っている人物を見て、息をのんだ。
カイン、いや、明菜……!
仮面をかぶった人物が、僕の元彼女が、画面に映し出されていた。
「世界中の皆さん、こんにちは。私の名前はカインといいます。メフレグ側のリーダーです。今日は皆さんに、お伝えしたいことがあって、この動画をアップしました。さて、世界中の皆さんもお気づきでしょうが、今、世界中で異常な大雨と海の増水が続いています。この現象は、これからも終わることはありません。なぜなら」
いつもの中性的な声を出しながら、カインが人差し指を立てて言った。
「この現象は、能力者によって生み出されているものだからです」
「やはり……」
ロバートさんが唸った。
「この現象によって、まだ残っている反メフレグの残存勢力が全滅することを我々は願っていますし、そうなるだろうと予測もしています。反メフレグの皆さん、この現象を止めたいですか? そうでしょうね。私たちは、この現象を生み出している人物が誰なのか知っています。それを知ることができるチャンスを与えましょう」
カインは人差し指の先をこちら側と向ける。
「欧州の切り札マリア=デル=モンフェラート、そして欧州の第二の切り札になった河水雪。あなたたちに、指定の場所まで来てもらいましょう。そこで、この現象を生み出し続けている人物の名前を教えます。そこには、二人だけで来ること。野次馬も含めて他の誰かが来た場合は、私たちソフィアが殺します」
僕は唾を飲み込む。
これは罠、だろうか。カインめ、表向きは僕に任務を遂行するように言いながら、裏ではレギオンと同じように、僕とマリアを殺す策略を練っていたんだな。僕のことを好きだから、手を出してこないと思っていたが、読みを外してしまった。さぁ、この誘いに乗るべきなのかどうか……。
「私が指定する場所は……」
カインがその場所を口にした瞬間、僕の意識は弾け飛んだ。
それから三時間後。ロバートさんを何とか説き伏せて、僕とマリアはジズに乗って空を飛び、明菜に指定された目的の場所まで来ていた。
大雨が降っている中、僕は傘も差さないでびしょ濡れのまま、目の見えないマリアの手を握って誘導しながら、その建物に近づいていく。
かつて僕が住んでいた場所。
きっと、今も、大好きな人たちが住んでいる場所。
理恵の父親である礼さんが運営し、理恵と共に暮らしている教会へと。
理恵と再会すると、理恵を罵倒して理恵の前から姿を消すという二番目の裏切りは無効になるが、一万本を超えるハルモゼールを手に入れた僕にとっては十二本を失う程度大きな問題にはならない。
それよりも、今、問題なのは。
教会の扉の右側、左側にそれぞれ、明菜とネブロが立っていた。明菜はもう、仮面をつけてはいなかった。
それはもはや一切の駆け引きが必要ないという自信の表れなのか、それとも……。
「よぉ、ブラザー」
ネブロが右手を上げる。
「雪君、久しぶり」
明菜も笑顔で僕を迎える。
「理恵と礼さんに何かしていないだろうな」
僕は自分でも驚くくらい鋭い声でそう言った。
理恵の住んでいるこの教会を指定したということは、理恵が人質に取られたとみて間違いないだろう。恐らくは、一緒に住んでいる父親の礼さんも一緒に。
想定していた中で、最悪の事態だ。
誰がこの大雨や海の増水を生み出しているのか、それを素直に教えてもらえるとも思えない。理恵と礼さんを人質に取り、そして僕を脅迫するためにここに呼んだ。その可能性のほうが高い。
マリアを殺せとでも言うつもりだろうか。
だが、罠にしても、僕はここに来ないわけにはいかない。
僕の存在理由、そのものの人が、ここにいるのだから。
「ただ、お話しただけで、危害は加えていないよ」
明菜が目を細めて言う。そして、右手で教会の扉の片側開ける。ネブロも、左手で扉のもう片方を開けた。
「さぁ、中に入って、雪君。そこで、真実を知って」
明菜が微笑んだ。そのぞっとするくらいきれいな笑みを横目に見ながら、僕はマリアと二人で教会の中に入る。
そして、飛び込んできた光景は、絶望そのものだった。
礼さんが、いた。
だが、おかしい。
その足が、床についていない。
礼さんが、浮いているのだ。
僕は悲鳴を上げた。
礼さんが首を吊っていた。
「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!」
口から言葉が漏れ続ける。どうしようもない。しかし、その僕の目には、さらに絶望的な光景が映っていた。
「雪……」
首を吊っている礼さんのすぐそばに、いた。僕が会いたかった、大好きな人。
「理恵……」
理恵は、呆然とした笑みを浮かべて僕の目の前に立っていた。
「雪……、私、話したの」
僕も呆然としながら、理恵の言葉を聞いた。
「私、本当のことを話したのよ、お父さんに。だったら、お父さん」
はははと力なく笑いをこぼして、理恵は泣いた。
「死んじゃった」
「何を……」
僕は呆然と声を漏らした。
「何を……話したんだ?」
僕は、嫌な予感をぬぐいきれなくて、その答えを聞きたくなかった。
だが、聞かないわけにもいかなかった。
まさか、明菜が言った真実とは。
「この大雨を降らせているの、私なの」
理恵は、笑いながら、泣きながら、それを口にした。
僕は死に絶えてしまいそうな痛みを、胸に感じた。
「雪に、ひどいことを言われてから……」
理恵は壊れたように涙をぼろぼろこぼしながら言った。
「私、この世界なんて滅んでしまえばいいと思うようになったの。私に、こんな思いさせるこの世界なんていらないって。そしてね、とうとうゴスペルを使ったの」
理恵は、はははとまた力ない笑い声を漏らす。
「聖書の大洪水の記述を、ゴスペルで読み上げたの。箱舟で助かる部分を省いて。そしたら、大雨が降り始めてやまなくなった。それだけじゃなくて、海も増水を始めた。この世界を上からの水と下からの水で覆いつくして滅ぼすために。するとね、明菜さんがこの教会にやってきたの。そして、言ったの。私のお父さんに、あなたの娘さんがこの異常な現象を起こしている可能性があるって。私、お父さんに問い詰められて、言ったの。本当のこと。私がゴスペルで大洪水の記述を読み上げたって。そしたら、お父さんおかしくなり始めて」
理恵は目を閉じた。
「さっき、ここにやってきたら、もう死んじゃってた」
「僕の……」
僕のせいだ。僕が理恵を裏切らなければこんなことにはならなかった。
だが、裏切らなければ、僕は羽田さんに殺されていた。
じゃあ、殺されていれば良かったんだろうか。
ネブロが言っていた通り、殺されていれば。
でも、だったら、僕が理恵に会えない。
好きって言えなくなる。
それは嫌だった。
どうしようもなく、嫌だった。
だから、必死になってあがき続けたんだ。
たくさんの人を裏切って殺して。
それでも、理恵のもとへと辿り着くために。
僕はあがき続けた。
美緒たちを生贄に捧げて。
メフレグをとうとう裏切った。
でも、何もかも歪んでいた。
その結果、僕の目の前には追い詰められて自殺した礼さんと、礼さんを追い詰めた理恵がいた。
僕は、自分の行いがここに、この絶望に帰結することを今、思い知った。
ああ、でも。
僕はそして、自分が本当に禍々しい存在であることを思い知った。
理恵、僕は。
今、僕は。
本当に、僕はどうしようもないクズ野郎だ。
「雪……」
僕の隣にいるマリアが言った。
「極東の救世主があなたと知り合いだったのは知らなかったけど、この雨を降らせている以上、排除しないわけにはいかないわ」
マリアが僕の手を握っている手に力を込める。
僕は掠れた声で呆然と言った。
ああ、僕はそして。
「僕が、やるよ」
僕は理恵を見つめたまま言う。
「ハルモゼール」
ハルモゼールが一本、僕とマリアの背後に出現する。
「雪……」
「大丈夫だ、マリア」
「でも、雪、なんだか怖いわ……」
マリアがそっと僕に体を寄せてくる。
「大丈夫だよ、マリア。僕が」
そして、僕はハルモゼールを突き刺した。
「僕が見てるから」
君を裏切る。
それが、僕のメフレグ。
「ごふ」
マリアの背中へと。
「せ……」
マリアはそのまま床に崩れ落ちる。
僕は体中が、がたがた震えるのを感じた。
マリアと花火を見たときのこと、キスをしたときのこと。
思い出した。
一気に。
マリアの目になるって誓ったことを。
それを、僕は。
マリア。
きっと、僕は。
君に恋をしていたんだ。
ごめん。
好きだったよ、マリア。
理恵の次に。
『お前に力を授けよう』
あの声が耳に聞こえるのを、僕は呆然と聞いた。
そして、小さく笑った。
もう、どうでもいいよ、もう。
「雪……その人、マリア=デル=モンフェラート……」
理恵が大きく目を見開いて言う。
「どうして、殺して……?」
「理恵……」
僕は泣きそうになった。でも、駄目だ。
泣かないと決めたから。
僕には、自分のエゴで多くの人を裏切り、多くの命を奪ってきた僕には、泣くことで痛みを発散させることは許されない。そう思ったし、そう決めていた。
歯を食いしばって、胸の内で暴れ狂う痛みの奔流に耐えた。
理恵はそれを見ながら言った。
「雪……、私……、何の価値もないよ? もう、たくさんの人をこの現象で殺したし、お父さんも殺したし、私、もうあのときよりも、もっと汚いよ? すごい汚れてるよ? どうして、雪? どうして、私のために……そんな、きれいな人を」
「理恵……、僕は……」
君はもう戻れないところまで来た。
救世主でありながら、この世界を滅ぼす呪いを口にし、実際に、この雨と海の増水による洪水で今も、そしてこれからも多くの命を奪うだろう。
自分を大事にしてくれた父親も追い詰めて間接的に殺した。
君は確かにもう、戻れないくらい、汚れた。
それが、僕のせいだとしても。
君が汚れたことは、もう隠しようがない。
それがね、それでね、僕は。
「ねぇ、雪、もう私……駄目なの……、これであのとき以上に、あなたにもきっと軽蔑される。私はもう……、せめて雪の手で」
「違うんだ、理恵、僕は」
僕は喉を詰まらせながらも、言葉を絞り出した。
「ほっとしたんだ」
汚れた君を見て。
これで、これで。
汚れた僕と釣り合うって。
僕はずっと、あがけばあがくほど、裏切れば裏切るほど、力を得れば力を得るほど、君に相応しくない男になり続けていく気がして怖かった。
けど、君のほうが汚れてくれた。
それで、僕は。
最低だ。クズだ。
けれど、罪を犯した理恵に怒るような資格は僕にはなく。
ああ、この物語は。
僕は胸ポケットに入れていたお守り代わりのあの写真をマリアの血で濡れた床へと捨てて、両腕を広げた。
「おいで、理恵」
理恵が呆然として、それから顔をくしゃっと歪めてまた涙をこぼした。
それからこちらに走ってきて。
僕はそんな理恵を抱きとめた。
これは、二人が救われるようなそんな物語ではない。
これは、救いようのない二人が堕ちていく物語だ。奈落の底の底まで。
僕は、僕らは。




