第38話 炎の中の言葉1
バルベーロに意識を接続させた僕は、神殿の前に立っていた。大きな門は僕を待っていたかのように開け放たれており、僕は足早に祭壇がある神殿の奥へと向かう。
祭壇の前に、やはりカインはいなかった。僕はなぜか少しだけ痛む胸に手を当ててから、祭壇の後ろにある壁へと目を向ける。
そこには、大きな世界地図が刻まれていた。テレポーテーション用の地図だ。使い方は、アフリカ制圧のときに教えてもらった。
僕がその地図に意識を集中させると、地図全体が紫色に淡く輝きだした。
アレク=ジルファが待っている豪州最大のスタジアムがある地図上の一点へと意識を集中させると、どんどんその場所に向けて地図が部分的に拡大されていく。そうして、スタジアムが目で捉えられるまで拡大された時、僕は意識をスタジアムの中央付近に向けて最大限に集中させた。
そうすると、その地図へと僕はゆっくりと吸い込まれていく。テレポーテーションの始まりだ。意識と共に、海藤さんの家に残している肉体をも、希望の場所へと転送させることができる。時間を要するので戦闘では使えないが、メフレグの神がソフィアに与えた便利な移動手段だ。ネブロは好んで飛行機を使い、必要なとき以外テレポーテーションはしないようだが、僕は積極的に使っていきたいと思う。
目の前の景色が徐々に切り替わり始める。わずかにスタジアムの中らしき景色が見えてはまた神殿の景色へ。移り、戻るのを繰り返していくうちに、だんだんとその比率が逆転し、最後に景色がスタジアムの中へと完全に切り替わる。
視界が鮮明になり、僕は周囲を見渡し、確認する。
テレポーテーション成功。
僕は今、豪州最大のスタジアムのど真ん中にいた。長い間放置されていたのか、雑草が多く生えており、整備が行き届いていない地面の上。誰もいない観客席に囲まれながら。ヘリが一機飛んでいる空の下。
彼はいた。
僕は真正面を、その男を見据える。
「ほぉ、一瞬で移動したのか。そういった力を持っているのか、それとも……」
その警戒に満ちた太い声が、僕と彼以外誰もいないスタジアムに響く。
逆立った黒髪に、雄々しい髭。
豪州最強のパナリオン、アレク=ジルファ。
「しかも、本当に一人で来るとはな」
その目は鋭く細められ、注意深く僕を観察している。
「あのヘリは何だ?」
スタジアムの周囲を飛んでいるヘリへと目を向けながら僕はアレクに聞く。
「心配するな。一騎打ちの邪魔はせんさ。ただ、お前たちソフィアが本当に一対一で戦うのかを監視しているだけだ。スタジアムの外にいる豪州軍にも手出しはさせない」
そう言ってから、アレクは自分の髭を右手で触った。
「しかし若いな、若い」
しばらく僕を見つめた後、アレクは大きなため息をついた。
「ここに一人で送り込まれるということは、相当の手練れなのだろうが……。その歳でメフレグの神に魅入られてしまったのか」
アレクは首を小さく横に振って、両腕を広げた。
「少年、せっかくの二人っきりだ。少し話でもしないか?」
それはきっと、駆け引きではないのだろう。
「なぜだか、お前の目は、他のソフィアとは違う」
アレクは僕を見つめたまま言った。
僕はゆっくりと首を横に振った。
話し合い、そこでもしも分かり合えたとして。
たとえあなたがどれほど僕が殺したくない人物だったとして。
この任務を放棄することは僕にはできない。
バルベーロで僕にはきっと疑いがかけられている。反メフレグの救世主を殺さなかったこと。そこに他のソフィアの目を向かせないためには、僕が救世主殺し以外でソフィアとしての大きな戦果を上げるしかない。
そうでなければ、きっと僕は他のソフィアにいつか殺されてしまう。
理恵を僕の手で守る代償。
本条さんの、十島君の死に顔が脳裏をよぎる。視界の奥が二人の流した血で赤黒く染め上げられていく気がする。
自分の国の新首都を守っていたパナリオンを殺した僕は、さらに目の前にいる一人の英雄を殺し、豪州全体を陥落させる。
そこまでして、ようやく僕は。
だから、英雄さん。
どうか。
「問答無用……、ハルモゼール」
僕はそう言ってハルモゼールを一本、自分の前に出現させる。
「そうか」
アレクは、残念そうな素振りは見せず、ただ呟いた。そして、その口は次の言葉を落とす。
「なら、私の炎に飲まれよ」
それは、とても日常的な響きを持っていて。まるで今日の空はきれいだとでも言うかのような素朴さで。
しかし。
僕のいる足元から何かが飛び出てくるのと、僕が前方のハルモゼールに飛び乗るのは同時だった。
炎の渦がさっきまで僕がいた地面から出現し、空まで伸びていった。
ごくりと唾を飲み込む。
アレクが炎使いだということは事前の情報で分かっていた。このような炎の渦を出現させることも映像で確認済みだ。
しかし、思っていた以上に速い。僕は深く息を吸ってハルモゼールの柄の部分に足を乗せながら、空中でバランスを取る。
あの速度だ。走っていては、いつか飲み込まれる。
だが、ハルモゼールの移動速度なら話は別だ。
僕は作戦を決めていた。
アレクがこの炎の渦を複数出せることは分かっている。その上限までは分からないが。
対して、アレクは僕がこの光の剣を複数出せるかどうかも分かっていない状態のはずだ。
情報量では、バルベーロで情報共有しているソフィアが有利だ。
その差を活かして、僕は相手に僕の能力がこの剣一本だけであると思い込ませることにした。
背後の炎の渦を一瞥する。
これに直接飲まれれば灰になるのは間違いない。
「行くぞ」
僕が呟くと、履いている靴の裏がハルモゼールの柄に強く吸い付く。これで激しい動きをしても、落下しないはずだ。アフリカ制圧のときに使ったハルモゼールのオプション的な力だ。ハルモゼールは僕を乗せながら上昇し、それから勢いよくアレク目がけて突っ込んでいった。
僕を乗せたハルモゼールの切っ先がアレクの胸へと届く前に、炎の渦が再び地面から飛び出して僕を飲み込もうとしてくる。
僕はハルモゼールの進行方向を左に急転換させ、それをぎりぎりでかわす。
炎が巻き上がる音と、ハルモゼールが空を切る音が同時に聞こえる。髪が激しくなびく。
そこから進行方向を右に転換し、円を描いてアレクの背後に回り込もうとする。
僕を乗せたハルモゼールを追いかけるように、次々と炎の渦が地面から噴き上がってくる。
それをぎりぎりのところで背後にかわしながら、アレクの後ろを取ろうと僕はアレクの周囲で円を描き続ける。
今まで追いかける形だった炎の渦が、突如僕の目の前に出現した。僕はそれを左に曲がってかわす。高速移動での急な方向転換に、風が悲鳴を上げている。
アレクは僕の動きを予測して炎の渦を出し始めたようだ。僕は読まれやすい円の軌道を取るのをやめる。
ジグザグに宙を縫う。左に曲がったと思ったら右へ。しばらく直進してから左へ。
捉えきれなくなったのか、炎の渦が少し離れた場所で上がった。
一旦、アレクから距離を取る。合計で十個の炎の渦が、今、出現している。
まだ炎の渦を多く出せたとしても、アレクが僕の能力をこの一本だけだと勘違いしてくれれば、僕に勝機はある。
波に乗るように、僕は左右に揺れながらもう一度、正面からアレク目がけて飛んでいく。
直進、炎、右、右、炎、左、左、直進、直進、直進。
アレクとの間合いが詰まってくる。
このまま突っ込んでいけばその胸を貫けるかもしれないという考えが頭をよぎったが、嫌な予感がして、僕は作戦通りの行動に移ることにした。
全ハルモゼール発動。
残り百八十一本の光の剣が僕の背後に出現する。
アレクの目には、僕が光の翼を生やしたかのように見えたかもしれない。一本だけだと思っていたのに予想外の数だろう、そうあってほしい。
直進、直進、直進。
僕は突っ込む。
しかし、炎の渦は現れない。そんな余裕はないはずだ。
光の剣の群れが高速で僕を追い越し、アレクの頭上を抜けて、その背後に回る。広げられた光の翼がアレク一点に収束しようと加速する。
さすがのアレクもそちらへと振り返る。しかし、振り返ったところで、どうしようもない。
アレク目がけて光の剣の群れが飛びかかる。
その時。
とん
アレクが右足で地面を踏んだ。
すると、アレクと光の剣の群れの間に地面から巨大な炎の壁が出現した。
その規模の大きさに驚く。僕のハルモゼールの群れ全てを防げる大きさだ。炎の渦よりも横幅は十倍以上ある。桁違いだ。
こんな隠し玉を用意していたのか。
だから、嫌な予感がしたんだ。
しかし、だ。
その炎の壁で、僕の剣を防げるか。
そう思い、そのままハルモゼールを進ませる。
が、炎の壁に剣の群れが入った途端に、剣たちが勢いよく吹き上げられた。
二百近い数の光の剣がアレクに到達できずにくるくると回転しながら宙を舞う。
なんていう炎の壁の風力。
だが。
直進。
最後に残ったハルモゼールは僕を乗せて直進を続けていた。
もうアレクの背中が手に届きそうな場所にある。この剣の切っ先は、次の瞬間にでもその胸を背後から貫く。
意表をついて奥の手は出させた。あれが最大火力だろう。もう残っていない。もう何も出せない。
その、はずだ。
それにアレクの意識は眼前の光の剣の群れに集中しており、背後の僕の突撃に対応できない。
そのはずなんだ。
それは、賭けなのかもしれない。
だが、結局、僕にはそれしかできない。鳥使いの時もそうだった。
確実な方法を取れるほど、この殺し合いは甘くはない。
どのみち、これでもまだ炎を出せるなら。
それこそ、あの炎の壁を出現させられるなら。
そもそも、僕に勝機は……。
とん
アレクが僕に背を向けたまま右足で地面を踏んだ。
すると。
炎の壁が地面から噴き出て、僕を飲み込んでいった。
そんな馬鹿な。まだ、残って……。しかも背後からの攻撃を。
意識の片隅で自分の声が聞こえた。
僕の、負け、なのか。




