第37話 青と赤5
「嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ!」
鳥が落ちていく中で、本条さんは未だに目を閉じている。完全に隙だらけだ。
僕は一瞬だけ、目を細めた。
それは、痛みだったんだと思う。
でも。
迷っている時間なんてないだろう。
「香苗!」
十島君が悲鳴のような声を上げて、本条さんに駆け寄る。
「どうして、まだ、あいつのことが……。あいつは、ソフィアなんだぞ」
「分かってる! でも!」
どっちだ。どっちを。いや、違う。
「でも、駄目なの! 私、駄目なのよ。どうして、浦賀君が悲しそうな目をしているか、ようやく分かった気がしたの! そしたら、もっと、もっと、守ってあげたくなった!」
どっちを先に、殺す?
「私はもう嘘をつかない。あのときのように、好きなのに嫌いだなんて言って、自殺させるようなことは……」
「違う! あれは、ぼくがあいつに嫉妬して、相談に乗ってあげられなかったから」
「ううん、私のせいよ! 私が嘘をついたから。でも、もう嘘をつかない。私は、私は!」
「香苗!」
十島君が叫んで本条さんの両肩をつかんだが、本条さんがそれを振りほどいた。二人の間に隙間ができる。
本条さんは、前屈みになって、大きく息を吸う、目を閉じたまま。
そして、僕は、窮地を脱する一点を突いた。ハルモゼールの一本を高速で飛ばす。
「浦賀君、私は君のことが、す……」
君を裏切る。
それが、僕のメフレグ。
「き……?」
本条さんの左胸にハルモゼールを突き刺した僕は、大きく目を見開いた。
究極的な裏切りを本条さんに対して行った。それは、鳥使いを殺すことにもなる。
一石二鳥だ。
なんて。
なんて、化け物なんだ、僕は。
「本条さん」
倒れゆく本条さんを見ながら、僕は言った。
「きれいだって、言ってくれて、ありがとう」
そう言って、気がついた。
そうか。
あれは、嘘じゃなかったんだ。
そして、僕らの頭上で膨れ上がっていた鳥の群れの五分の四程度が消失した。
まるで溶ける雪のように、静かに宙に消えていった。
本条さんの操る鳥たちの、頭上の群れを構成している比率が十島君のより高かったのは、十島君が僕を殺すために鳥を動かすことはできなかったからだろう。
『お前に力を授ける』
神の声が、聞こえた。
ああ、どうも。
「どうもありがとうだよ、ちくしょう!」
『13×13』
途端に、百を超える光の剣が僕の背後に出現した。
頭上の群れは残り五分の一。二百羽程度だ。
「貴様ああああああああああああああ!」
十島君の絶叫と共に、頭上の鳥の群れが、僕に一気に襲いかかった。
本条さんが死んだので、恋を邪魔してしまう可能性がなくなり、十島君が僕を殺すために鳥を操ることができるようになったようだ。
だが。
追加されたものも含め、僕は全ハルモゼールを高速機動させる。
百閃。
百本を迎撃用に使用する。百の光の剣が高速で次から次へと鳥たちを薙ぎ払っていく。胴体と翼を切り離し、こちらへ落下してくる残骸を屋上の外へと払い落としていく。
どの一羽も、僕へと到達することはできない。
そして、残りのハルモゼールを、十島君に向けて飛ばす。
十島君は一本、一本と通常では考えられない速度で動いてかわしていく。ソフィアと同様に神と契約して身体能力が上がっているようだが、スピードに特化していた羽田さんよりはるかに遅い。高速で動く八十二本の刃をかわすにはあまりに無力だった。
回避行動に十島君の意識が取られたのか、僕を攻撃しようとしていた残りの鳥たちの動きが止まる。
光の剣から逃れるために踊り続ける十島君を見ながら、一歩も動くことはなく、この屋上の空間は完全に僕が掌握していた。
「かはっ」
肉を断つ音と息を吐き出す音が同時に響いた。ハルモゼールの一本が十島君の足元で跳ね上がり、右斜め上にその上半身を切りつけていた。
一気に十島君の動きが鈍る。
立て続けに、僕はその左胸に、ハルモゼールを突き刺した。
彼は、本条さんと同じようにすぐに倒れはしなかった。
光を失った瞳で僕を凝視し、かすれる声で呟いた。
「味方を増やすなって……だからずっと……二人だけの秘密……だった……そういう契約の中で……また絆を強めていけたのに……お前さえ……いなければ……、ぼくは……香苗と」
十島君の口から血が飛び散った。それでも、彼は倒れなかった。
その一言を言うために。
「呪われろ……、浦賀……司」
そうして、ゆっくりと彼は地面に倒れた。
空を覆っていた残りの全ての鳥たちが完全に溶けて消えていき、そこには、ぽっかりと忘れ去られていたような雲一つない青が広がっていた。
見上げ、遮るものがなくなった太陽の光に、僕は目を細めた。
悲鳴が上がった。
屋上の出入口からだ。
僕や十島君の叫び声を聞きつけ、様子を覗きにきたのだろう。
多くのこの学校の生徒や教師が口々に叫んだ。
「やべぇ、あいつ、本物のソフィアだ!」
「殺される!」
「どういうこと、何が起こったの!」
「知るか、ともかくやべぇ、鳥も消えちまった!」
「逃げろ!」
「逃げなさい! 彼から離れて!」
互いを押しのけながら、彼らは屋上から去って行った。
残ったのは、二人。
森戸直哉、西武鏡花。
僕はハルモゼールを消して、かけていた伊達めがねを投げ捨てて、ゆっくりと屋上の出入口に向かって歩いていく。
二人は呆然と空を見上げていて、逃げようとはしなかった。
出入口の前ですれ違う瞬間、森戸君が呆然と言った。
「青空、きれいだな……」
僕は一瞬だけ目を閉じて、言った。
「そうだね」
振り返る。冴えわたった青の下、屋上では十島君と本条さんの死体から血がどんどん広がっていく。
その対照的な赤色が自分の視界を塗り潰していくかのように思えて、僕はもう一度、わずかに目を閉じた。
あの二人を、自分の願いのために、汚して、殺しました。
神に懺悔しても、僕の神は世界の破壊すらもただ許すだけで。
だが、理恵、君なら何て言うのだろう。
階段を下りていくと、西武さんが後を追ってきた。
「人殺し!」
張り裂けそうなその声に、僕は振り向いた。
「私には分かる! 本条先輩と十島先輩は、鳥使いだったんだ。ずっとこの街を守ってくれていたんだ。それを、お前は殺した! この呪われたソフィアめ!」
僕はハルモゼールと声をこぼし、光の剣を一本出現させた。
もし、理恵と再会できたら。
「ひっ」
階段の踊り場で、西武さんは後ずさる。
「好きな人がいるんだ」
理恵にどんな表情をしよう。
「大好きな人なんだ」
理恵に何て言おう。
「どんなことをしてでも、一緒に生きたいんだ」
理恵に、何をしてあげられるだろう、したいのだろう、僕は。
その答えは、先ほど、鳥の群れと対峙したときに、出た気がした。
だが。
西武さんは怯えた表情で僕を見ている。その目には、わずかに、まだ怒りの色が残っていた。
「人殺し……」
か細く呟いた西武さんの足元近くに、ハルモゼールを突き刺した。
彼女が尻餅をついたのを眺めながら、僕は言った。西武さんがかつて言ったのと同じ言葉を。
「恋、してますから」
その言葉に自分でぞっとしながら。
なぁ、理恵。
君は、君を裏切り、血で汚れた僕に、微笑みかけてくれるだろうか。
それが、僕には分からなくなっていた。
鳥が消えてしまったことに対する街の混乱の中、今は亡き海藤さんの家に戻ると、玄関で美緒さんが抱きついてきた。紅の翼は、今は消しているようだ。
「雪、すごいよ! 鳥が全部消えた……。雪が全部やったんでしょう」
「ははは、どうかな」
僕は彼女の軽い体を抱きとめながら、言った。
リビングから明菜が出てきた。
その顔を見て、僕は微笑んだ。
明菜は満面の笑みだった。もう隠し立てはお互いにできない、そんな表情をしていた。
「明菜」
僕は声をかけた。
「何、雪君?」
「全部、知ってたんだろう?」
明菜は笑みを崩さないままに、言った。
「雪君は、馬鹿な男の子だね」
僕は目を閉じて頷いた。確かに、その通りだ。
「そうだね」
美緒さんの体を横に置いて、僕は靴のまま玄関から上がった。
海藤さんの死体が未だに転がっているリビングに行き、椅子に座る。
目を閉じた。意識が遠のく中で、明菜の祈るような声が確かに聞こえた気がした。
「雪君、勝ってね」
そして、僕は豪州にテレポーテーションするためにバルベーロに接続した。




