第35話 青と赤3
海藤さんの家に帰る。今日は明菜が出迎えには来なかった。寝ているのだろうか。
急いで、テレビの電源をつける。ちょうどニュースがやっていたので、釘づけになる。
画面には、鳥の死体また発見、と表示されていた。
ニュースキャスターやゲストの言っていることを注意深く聞いていると、欲しい情報が抜き取れた。
今度は繁華街の中だったので、時間が分かったようだ。鳥は二羽死に、その時間帯は十島君が写真部の部室に入ってきた時間帯だった。二羽死んでいたのは、反メフレグの神との契約内容に対して連日違反したからか。
仮説の部分はあるものの、ここまで証拠が揃えば行動に移せる。
僕は画面の向こうを強い眼差しで見ていた。
十島樹、君が、鳥使いだ。
反メフレグの神との契約内容は、他者の恋を応援すること。しかし、彼は、十島樹は、本条さんの恋を僕への嫉妬から応援できず、邪魔しようとした。一度目は、僕をけん制した昨日、二度目は、恋が進む決定的な会話の途中で割り込んできた今日。
二度の契約違反で、鳥の死体も合計三羽発見された。今日鳥が死んだ時間帯は、彼が僕らの会話を邪魔した時間帯とぴったり重なる。
十島君、君には、少なくとも僕に対しての罪はない。
だが、君を屠らなければ、僕は生き残れない。
明日、決着をつける。
車の止まる音がして、僕は振り返る。ほどなくして、車のドアが開いて閉まる音、そして少し時間が経ってから家のドアが開く音が聞こえた。僕がリビングから出ると、そこには美緒さんを抱きかかえた海藤さんが立っていた。
美緒さんは目を閉じて父親に体を預けている。父親といえば、汗をだらだらと額にかいて、僕にまくしたてた。
「どうしましょう、どうすればいいんでしょう! やってしまった、本当にやってしまった!」
その声は震えており、外の鳥に聞こえるのではないかと危惧するほどの大きさだった。
僕が静かに、と言うと、我に返ったように海藤さんは、深呼吸をした。
「何があったんです?」
聞かなくても、僕には予想がついた。目を閉じている美緒さんから、抑えきれない殺気を感じる。
「我々の研究が大学の運営側にばれそうになったんですよ……。それで、時間はないが結果を出せば運営側も黙るはずだと思って、思い切って打ったんです。美緒に」
僕は美緒さんから視線を外さないままに海藤さんに聞いた。
「何を?」
「致死量ギリギリの薬を」
「そう、ですか」
美緒さんはまだ目を閉じている。
「そしたら、脈はあるのに、娘が目を覚まさなくなったんです……。設備の整った病院に連れていこうにも、事情が事情でできず、このままでは、このままでは」
次に出た言葉は、きっと、美緒さんが望まない言葉だった。
「我々の研究が終わってしまう……!」
美緒さんの体がぴくりと動いた。しかし、父親は気づかない。
致死量ぎりぎりの薬を打たれても健在で動かないふりができるということは、恐らく、メフレグの神と契約したということ。飛躍的に上がる治癒能力で、危機を脱したのだろう。
その能力を開花させるためには、契約を履行しなければならない。その、契約内容は。
「もう、こうなったら、娘のことなんざどうでもいい! 浦賀君、君で……」
その瞬間。
風が巻き起こった。唖然とする海藤さんとは対照的に、僕は冷静にその様子を見る。
真っ赤な翼。それが、天使のように美緒さんの背中から生えて、そしてそれがゆっくりと動いて美緒さんの体は宙に浮き始める。
「お、おお!」
海藤さんは、宙に浮きあがる娘の足にしがみついて、言った。
「薬がとうとう効き始めたのか……。良かった、本当に良かった!」
海藤さんは涙を流した。それに呼応するかのように、娘も涙を流す。
しかし、その意味は、全く逆の涙を。
空を切る音がした。美緒さんの羽の一本が抜けて勢いよく海藤さんの胸に突き刺さった。
「え……」
海藤さんは愕然として羽が突き刺さった自分の胸と美緒さんを見比べる。
「嘘つき」
ようやく見開かれた美緒さんの瞳には、憎悪の光が静かに宿っていた。
「愛しているって言ったのに」
そして。
その羽から大量の血が噴き出た。
父殺し。
僕は、瞬きせずにその一部始終を見届けた。
飛行能力にプラスして、突き刺した羽から、血を抜き取る能力か。これが、海藤美緒の力。
海藤さんはそのまま崩れるように床に倒れ、身動きをしなくなった。
血の匂いが充満する部屋の中、体中が翼と同じく真っ赤に染まった美緒さんと、僕は向き合う。
「ねぇ、光の男の人」
奇妙な呼び方で呼ばれて、僕は苦笑する。
「何?」
「あなたも、私と同じなんでしょう? 仮面の人が言ってた」
「ああ、そうだね」
仮面の人とは、カインのことだろう。美緒さんはさっき目を閉じている間、バルベーロにも接続していたようだ。契約も履行して、彼女は本格的に、ソフィアになった。
「ねぇ」
美緒さんの顔がくしゃっと歪んだ。
「私のこと、愛している?」
それはすがるような、それなのに、獲物を追いつめるような、不思議な響きを持っていた。
答え方次第では危ないとさえ、感じた。
雛が生まれて初めて見た動く物を親だと認識してしまうのと同じ現象なのだろうか。彼女は脅迫的なまでに強い念を持って、僕を見ていた。
その目を見て、僕は嘘をつくことだけは避けなければならないと感じた。それも、傷つけることなく。
だから、僕は両腕を広げた。
「おいで」
天使の翼が近づいてきて、僕を包んだ。血の匂いと共に、彼女の体温が直接伝わってきた。ようやく呼吸できたかのように、彼女は言った。
「嘘つきは、嫌いだよ?」
それから、僕は彼女にシャワーを浴びさせた。彼女がシャワーを浴びている間に、明菜に彼女の服を持ってきてもらおうとして、リビングを出ようとすると、ちょうど明菜がこちらに下りてくるところだった。
僕は明菜に事情をどう説明しようか悩んだ。とりあえず、いきなり死体を見せるのではなく話をしてからリビングに行かせるべきだと思ったが、明菜は僕の顔を見るなり、こう言った。
「血の臭い」
小細工は通じなさそうな表情だった。僕は明菜に嘘をつきすぎて、明菜はそれを見抜きすぎている。そんな気がしていた。
何も言えなくなった僕の横を通り過ぎて、明菜はリビングに入った。ゆっくりと海藤さんの死体を見て、それから僕のほうへと振り返った。
「雪君」
明菜は静かに言った。
「良かったね」
それは、どういう意味なんだろう。父親に人体実験されていた美緒さんが解放されたことが良かったのか、それとも全く別の。
戸惑う僕へと近づいてきて、僕の頬に、彼女がそっと指で触れた。
「血」
「……なぁ、明菜」
慣れた柔らかさに触れて、僕は弱ってしまったのだろうか。嘘をつき続けた相手に、この血の臭いで満ちた部屋で、ふと真実を告げたくなった。
「僕は、大きなことをしようとしている」
僕は、大きく息を吸い込んで、言葉と共に吐き出した。
「それは、恐ろしく罪深いことで、きっと世界中の全ての、いいや、それでも世界中で僕を許さない人はたくさん出てくる。そんな恐ろしいことをしようとしている」
「うん」
明菜はじっと僕の目を見つめてくる。
「なぁ、僕はもう許されたいとどこかで願うことすらも許されなくなる。そんなことをしようとしている。自分が生き残るために。なぁ、明菜。僕は自殺するべきなのかな」
言葉を出して、僕は自分がまだ迷っていたことに気がついた。弱さなどなく、願いだけがあると思っていたが、そうではなかった。そして、思う。これが、弱さなのだろうか。
「雪君、私には分かんないよ」
突き放すような言葉に聞こえるが、その響きはただ柔らかく僕の耳を打った。
明菜の顔が近づいてきた。僕は呆然として、ただ動けずにその感触を待った。柔らかい、唇の感触が、僕の唇を包んだ。
「でもね」
唇をくっつけたまま、明菜は言った。
「好きだよ」
それは、明菜が今まで言ったことのない言葉だった。そう、一度だって、彼女は、付き合ってほしいとは言ったものの、僕に好きと言ったことはなかった。
だから、僕は分からなくなる。
唇を離した明菜は、少し頬を赤くしながら、はにかむように言った。
「美緒ちゃんの服持ってくるね、それと雪君の新しい制服も出してくる」
その日、僕と明菜は、美緒さんを挟んで一つのベッドで眠った。




