第33話 青と赤1
転校二日目の朝。予想外のことが起きた。
森戸君が学校を欠席した。担任の田崎先生は家の事情としか言わなかった。
教室で一限目前の休み時間、僕はぽつんとしていた。
鳥使いの狙いはつけているとはいえ、まだ仮説の状態だ。森戸君が明かしていない鳥嫌いの理由を聞けないのは痛かった。
「残念だな、森戸が休みで」
昨日僕に辛辣な言葉を放った木田君が、僕のもとへとやってきた。
「お前さ、勘違いするなよ」
口調を強くして、木田君は言う。
「どういう意味?」
僕は笑って聞く。
「確かに、昨日は何人かに囲まれていたけどな、森戸はもともと嫌われ者だから、お前と一緒にいたがるだけだ」
何も反論しない僕を見て調子づいたのか、木田君は声をさらに大きくして続ける。
「西武はただ情報がほしいだけでお前に近づいたんだし、本条はお前をおもちゃ扱いして写真撮りたいだけだし、十島なんて女の子とっかえひっかえの変態だし、それに」
勝ち誇ったように、木田君が言う。
「十島は親友を自殺させたって噂もあるし、ともかく男子からは嫌われ者だよ」
僕は、また、笑顔で尋ねた。
「自殺、させた?」
「そうだよ。中学時代にあいつの親友が自殺したとき、あいつ言ったんだとさ。恋愛相談に乗ってあげなかったから、自殺してしまったって」
「へぇ……」
「それなのに、今は恋愛相談を口実に女の子をはべらせて、全く」
木田君がにやにやと笑った。
「お似合いだぜ、お前ら」
「どうも」
僕が笑顔を崩さずに言うと、木田君は舌打ちして離れて行った。
僕は、自分の心臓の鼓動が速くなるのを抑えるのに必死だった。
パナリオンは、道徳の奴隷。
自分が罪を犯したと思い、それを償うために、善行を内容とした反メフレグの神との契約を履行しようとする。
理恵も、そうだった。
だから。
そうか、やはり、鳥使いは君か。
一限目が終わると、西武さんが教室にやってきた。
その硬い表情を見て、僕は聞いた。
「どうした?」
「ちょっとね」
そう言う西武さんの表情は、全然ちょっとのことではないことを抱えていそうなものだった。
「昼休み、少しの時間だけ付き合ってもらえますか?」
僕は了承した。西武さんは屋上で待ってますとだけ言って、去って行った。
二限目が終わり、三限目も終わった。森戸君は来ないままだ。
四限目が始まりそうなとき、本条さんが十島君と一緒にやってきた。
「ごめん、今日はそっちにいけなくて」
「香苗にも、付き合いがあるからさ」
本条さんが両手を合わせて謝り、十島君がフォローを入れる。
僕は内心焦りながら、表情だけは微笑む。
「かまわないよ。それぞれ忙しいだろうからさ」
「私だけ昼休み、そっちに行けるかも」
「昼休みは……」
屋上にいる。そう言うと、本条さんは分かったと頷いた。
「十島君は?」
僕が聞くと、
「恋愛相談」
申し訳なさそうに彼は笑った。
そして、四限目が終わり、僕はパンを持って屋上に行った。行き方は、昨日で覚えた。
「待ってました」
先に、西武さんが来ていた。
今日も快晴のはずの空は、白い鳥が飛び交い、切れ切れの青を見せている。
西武さんはしばらく、考え事をするかのようにその様子を見ていたが、やがて僕へと体を向けた。
「先輩の通っていたって高校」
西武さんは言葉を選ぶように、ゆっくりと話した。
「うん」
「先輩が言っていたことの裏を取るために、取材しようと思ったんですよ」
僕はひやりとしながら、黙って頷いた。
「新聞部の先輩の親戚の知り合いに、その高校に通っている子がいました」
「そう」
落ち着けと言い聞かせながら、僕は声の調子を崩さずに応える。
「浦賀司なんて、聞いたことないって、その子は言ったそうです」
「そっか」
僕は、少し息を吸ってから笑った。
「よっぽど、怖がられているんだね、僕は」
僕の嘘で口裏を合わせているのは、海藤さんと海藤さんの知り合いであるその学校の校長だ。ひょっとすれば、他の教員にも口裏合わせをさせているかもしれないが、当然、生徒には浸透していない。
僕は内心苦笑する。学校レベルの新聞部だからといって、侮ってはいけないな。
ここは、ごまかすしかない。
「怖がられていた、ですか」
西武さんがじっと僕を見る。
「うん、口にしたくないほど、その存在を知らないと言わなきゃいけないほど、怖がられていたってことだね」
「そう、ですか……」
西武さんは、顎に手を当てながら思案顔をした。それから、空を見上げて、呟いた。
「ねぇ、先輩」
「ん?」
「嘘、ついてないですよね」
飛び交う鳥たちの下、こちらに向けたその目には、迫力があった。彼女は、ゆっくりと両腕を広げる。
「この、鳥たちが見守る中で」
僕はその視線に気圧されないように、彼女の目をじっと見据えて、笑った。
「嘘なんかついてないよ」
ふぅっと、西武さんが息を吐いた。
「なら、いいんです」
にこりと笑った。
「今週の土曜日に、その子に会って、さらに詳しく聞いてきます」
「そっか」
今週の土曜日。どのみち、僕のタイムリミットは明日なのだから、影響はなさそうだ。
安堵する。
「疑っちゃってごめんなさい」
ぺこりと頭を下げる彼女に、僕は首を横に振った。
「いいんだ」
「私、これから別の用があるんですけど、先輩は?」
「僕は屋上に残るよ」
本条さんに屋上にいると言ったから。
「分かりました。それじゃあ、私は行きますね。ありがとうございました」
僕の横を、西武さんが通り過ぎて行く。
西武さんが去った後、僕は一人でパンを食べて、それから屋上の端にある柵の前へと歩いていって、街の様子を見ていた。
鳥たちの揃った羽音が空から聞こえる中、街はどこか憂鬱そうに動いていた。
明日、この鳥たちをこの空から落とす。
僕は息を大きく吸い込んで、再び街の様子を見る。
鳥を指さす子供を連れて、母親が忙しそうに歩いている。
子供が無邪気に笑って母親を見て、それにつられて母親も笑う。
僕は、僕から何も奪おうとしていないこの景色を破壊しようとしている。
目を閉じた。
ごめんなさい。
シャッター音がして、振り返る。大きなカメラを構えた本条さんが、ファインダーから目を離して僕に笑いかけた。
「背中も、悲しそうなんだね」
こちらに歩いてきて、僕の隣で止まった。
「君ってさ」
「どうも」
僕は視線を街に向けたまま、小さく笑った。
「何考えてたの?」
「後悔してた」
「何を?」
メフレグの神と契約してソフィアになったことを、とは言えない。
「ソフィアになった父さんを止められなかったことを」
「浦賀君のせいじゃないよ」
横目で本条さんを見ると、彼女は空に視線を預けていた。
「この街でなら、きっと浦賀君は大丈夫。妹さんもね」
その横顔を見て、僕はこういう表情をきれいだと言うのだろうと思った。
その顔を横目で見つめながら、僕は言った。
「そういえば、十島君の噂聞いたんだ」
「樹の噂?」
「そう、中学時代に親友を自殺させたって」
「ああ……」
本条さんの顔が、歪んだ。
「そっか、まだ、そんなこと言う人がいるんだ」
「本条さんは知っているの?」
「私にとっても、友達だったから、自殺した子は」
「そうか、共通の友達だったんだね」
「……うん」
「恋愛相談に乗ってあげられなかったから自殺したと十島君は言ったって聞いたけど」
「確かに言ってたね」
柵の上に乗せていた手に、力が入る。これで、裏が取れた。あと、もう少しだけ情報が欲しい。
「その友達は……」
「ごめんね、浦賀君。これ以上話すつもりはないの」
はっきりとした口調で、本条さんは言った。
僕は口をつぐんで、それから頷いた。
十分とまではいかなかったが、必要条件は満たした。
これ以上追及して、疑われるほうが、まずい。
僕には、時間がない。
もう、動き出すしかなかった。
「おっ、やっぱりここにいた」
後ろで聞いたことがある声がしたので、本条さんと二人で振り返る。
森戸君だった。
僕は少し驚いて手を上げる。
「今日は休むかと思ったよ」
森戸君は、首を横に振って力なく笑った。
「学校に行けって言われたよ、目を覚ました親父にさ」
目を覚ましたってどういう意味だろう。疑問に思う僕の空いていた左隣に来て、森戸君は言った。
「今日の朝、危篤状態だったんだよ、親父」
僕も本条さんも、やや唖然と彼を見た。森戸君は僕らの視線を感じているのか、ついと顔を上げて空を仰いだ。
皆、それぞれの表情で空を見る。
「がんって、診断されたんだ、半年前に。それも今流行りの新種のがんでな。転移するスピードがとてつもなくて、手術では追いつかなかった。今や、親父の体中がんだらけだ。毎日、痛い痛いって苦しんでいる。親父の様子を見ているとさ、メフレグの神が言っていたことも、あながち分からなくもないんだよ」
「この世界は、間違って生み出された」
本条さんが呟くと、森戸君が目を閉じた。
「昔から、空が好きな親父でね。趣味で、青空の絵とか描いていたよ。その親父が鳥だらけになった今の空を病室の窓から見て、言うんだ。もう一回、隅々まで晴れ渡った青空が見たいって」
僕は納得がいって、そうかと呟いた。
「だから……」
「そう、だから」
森戸君が目を開けた。テロを防いでくれているのは分かっているんだけどよ、と前置きをしてから言った。
「いなくなっちまえよ、鳥たち。ほんの一瞬だけでいいんだ」
鳥たちが襲ってこないかひやりとしたが、そんなことは起こらなかった。
その目は、やや赤くなっていて、涙が出てくるのではないかと思ったが、彼は堪えた。その代わり、震えた声を吐き出した。
「親父に、青空を」
僕も、本条さんも、何も言えずに、それぞれの表情を浮かべながら空を見上げた。
チャイムが鳴り、昼休みが終わった。




