第25話 新約5
「窓とカーテンは、外から見えたり聞こえたりしないよう全部閉めてあります」
家の中に入ると、丁寧な口調になって、男は言った。
連れてこられたリビングで、ソファーへ座るように促される。僕と明菜が座ると、男は立ったまま、名乗りだした。
「海藤亮です。大学で研究をしています。今日は、お越しいただき、ありがとう
ございます」
僕らに軽く頭を下げるが、その表情はやはり訝しげで、硬いままだった。
「あの……、伺ってはいたのですが、随分とお若いのですね」
海藤さんは、ちらりと僕の顔をなぞるように見た。
明菜が耳打ちする。
「雪君……、どういうこと? この人、親戚じゃあ……」
僕は明菜の質問には答えずに、立ち上がって海藤さんに対して両手を広げた。
「この通り、十七歳です。不安ですか、僕では」
「あの……、本当に……」
海藤さんは、言いにくそうに言葉を紡いだ。
「本当に、パナリオンなのですか?」
「せつ……、ううん、司おにいちゃん?」
後ろから、明菜が少し大きな声で僕を呼ぶ。
僕は、答えずに、ただ、こう言った。
「ハルモゼール」
途端に、光の剣が僕と海藤さんの間に出現した。
「なっ」
海藤さんは、目を見張って、光の剣を凝視した。
「ここ、これは……、なんてことだ。あの……、あの……、触っても?」
「指を切らないように、気をつけてください」
そう言って、僕は柄の部分へと手を向ける。明菜の視線を背後から感じたが、僕は振り返らなかった。
「こちらなら、大丈夫です」
「か、硬い。しかも、どうやって光っている?」
「これが、神と契約した僕の力です」
ハルモゼールを消すと、前のめりになっていた海藤さんは、
「ああっ」
と悲鳴に近い声を上げて、残念そうに僕のほうを見た。
「これで、分かっていただけましたか?」
僕が言うと、海藤さんは何度も首を縦に振った。
「分かった……、分かったとも……」
「しばらく、ここに滞在しても良いですか?」
「好きなだけ! 好きなだけ滞在してください。そして、どうか娘に……」
「光、男の人、きれい……」
声がした方へ顔を向けると、リビングの入口に、一人の少女が立っていた。
「こらっ、美緒。呼ぶまでは来るなと言っただろう」
「きれい、光、男の人……」
「君は……」
僕より年下だろう。白いブラウスと灰色のスカートを身に着けた少女に、僕は声をかけた。
「娘の海藤美緒です。この子が、この子がですね……」
「天使になったんですね」
紅の翼の天使。バルベーロの最上級ソフィアである聖人候補の一人。
「そうなんです、その通りなんです」
海藤さんは、興奮気味に続けた。
「我々は大学内で、密かにパナリオンやソフィアの研究を続けていました。しかし、どうも糸口がつかめない。仮説では、神、あの高次元生命体と接触したことにより、脳の働きが活発になり、特殊能力に目覚めるはずなのです。そこで、医学を専門とする仲間が、脳の働きを活発にする薬を、既存のものを発展させて開発しました。ラットや、猿ではうまくいかなかったのですが、人間なら、人間ならと思い、私は娘を……」
美緒さんの方を見ると、右腕には包帯が巻かれていた。恐らくは、注射の跡を隠しているのだろう。
「私、愛されているの、お父さんに」
美緒さんが、かすれる声で、そう鳴いた。
「お父さんに、愛されているの、私。だから、注射されるの」
虚ろな目で、僕を見てくる美緒さんを見て、僕は目を閉じた。
ああ、もう限界なんだ、この子は。
「はじめて薬を注射した途端にです、一気に翼が生えたのです。背中に、真っ赤な翼です」
そうだね、海藤さん。
僕は、目を開ける。
その瞬間に、あなた方の実験がうまくいったのではないよ。違うんだ。
その瞬間に。
「愛されているの、私、お父さんに」
娘さんはあなたを殺す契約をしたんだよ。
それは未遂に終わったけれど。
「画像データも残っていますが、あれは間違いありません、超常現象です。娘の身体や服には何の仕掛けもなかった。しかし、しかしですね……」
そこから、海藤さんの顔が苦しげに歪む。それは、娘を実験体にしたことに対しての罪悪感の表れではなく、
「再現性が取れないのです」
実験がうまく続かないことに対する苦悶の表情だった。
「すぐに翼は消えてしまい、それから二度と、娘の背中に翼が生えることはありませんでした」
大きな息をついた海藤さんを見ながら、僕は言った。
「僕は、神と契約してこの力を得ました。あなた方は、科学の力で、同じ域に達しようとしている。やり方が違う両者にどこまで共通点があるのかは、分かりませんが、アドバイスはできるかもしれません」
「是非、ぜひに……!」
海藤さんが懇願する。
「僕らの部屋は用意されていますか? 今日のところは、休みたいのです。話は、また明日ということで……」
後ろで僕を見続ける明菜を一瞥してから、僕は言った。
「あります、ありますとも。ただし、あの……、そちらの方の能力もできれば……」
ちらりと海藤さんは明菜を見る。明菜は、ただ、僕を見てくるだけだ。
「妹の愛華の能力は、お見せすることはできません。そして、」
僕は、娘を実験体にした男に釘を刺した。
「我々は、あくまであなたに情報提供をしに来ただけです。我々に対する強制、我々に関する情報の警察や政府への通報や漏えいは一切やめていただきます。もし、破った場合は、分かっていますね?」
僕は、はったりをかました。
「我々パナリオン、もちろん、鳥使いも含めて、総出で罰を与えます。あなたが、どこで何をしているのか、僕らは手に取るように分かる」
海藤さんが息を飲む。しかし、恐る恐ると聞いてくる。
「せめて……、一体、どうしてこんな形で新首都に滞在されるのか、理由を……」
「それも教えられません。機密事項です」
食い下がろうとしたが、海藤さんは小さく息を吐いてから肩を落とした。
「……分かりました、部屋へご案内します。二部屋用意してあります」
「一部屋で結構です」
明菜が、僕の肩に両手を乗せて、体重をかけてきた。
「愛華……」
僕は明菜の言葉に困惑して明菜を見るが、明菜はべっと舌を出すだけだった。
海藤さんの粘着質な視線を感じながら、僕は小さく息を吐いて頭をかいた、
「一部屋で良いです、案内お願いいたします」
海藤さんに案内された二階の部屋に入る。
そこには、シングルベッドと、机と椅子が一つずつあるだけだった。簡素なその構成に、しかし、僕は満足した。
明菜との同棲を楽しみに来たわけではないし、これだけあれば十分だ。ただし。
「困らせてやろうと思って」
海藤さんが階段を下りていくのを確認してから、明菜はゆっくりとドアを閉めた。
「嘘つきなおにいちゃんを」
明菜が、今、どう思っているかが、気がかりだった。さっきの話し合いで、置いてけぼりにしてしまった。
何が何やら分からなくて、暴れだすのかもしれないとさえ思った。
だが、明菜はベッドの近くに立った僕へと、静かに歩み寄ってくるだけだった。
「雪君は、私に嘘をつかせたね」
それは裁こうとする声ではなく。
「雪君は、私に嘘をついたね」
順を追って何かを確認していく声だった。
「雪君は、私の命を危険にさらしたね」
それは、マッドサイエンティストと一緒に暮らさなければならないことを言っているのか、それともこの事態のもっと奥の方まで見透かしているのか。
僕の目前まで来て、明菜が右手を動かす。ぶたれるかもと思いながら、僕はじっと明菜の栗色の瞳を見つめる。
「でもね、雪君、あの子の言っていた通り」
僕の予想に反して、そっと、明菜は僕の頬に、その右手で触れた。
「きれいだね」
僕が、という意味だと受け取れた。僕は何がと、わざわざ問うことはしなかった。
明菜と見つめ合う。その深い瞳の色に、吸い込まれそうになる。
ねぇ、明菜、君は、誰だ?
「どうも」
僕は、たった一言、そう答えた。
『我が子よ』
突然、頭の中で、声がした。
『私が最も愛する子よ』
世界の全てを見渡す山頂からのような、はたまた世界の全てを支えている深淵からのような。その声は、頭に響いて、それから体内の臓腑を震わせた。
ああ、呼んでる。
「少し眠っても良いかな?」
僕は、目をこすりながら明菜に言った。
明菜はいそいそとベッドの上へと移動して、それから正座し、スカートから露わになった自分の太ももを軽く叩いた。
「どうぞ」
「それ、やらないと駄目?」
僕が苦笑すると、
「駄目」
明菜が念を押した。
はいはいと僕は明菜に近寄り、明菜と同様にベッドの上に乗って、それから頭を明菜の太ももの上に預ける。
「ふふ」
明菜が嬉しそうに笑う。僕はそれを見上げながら、聞こえないように小さく言った。
「ごめん」
「え、何?」
「何でもないよ、明菜」
やめよう。ただ、良心の呵責から逃れたいからって、偽善者ぶって謝るのは。謝ったところで、僕はもう止まらないし、止まれないのだから。
「お休み、明菜」
「お休み、雪君、良い夢見てね」
そして、僕は意識をバルベーロへと飛ばす。




