第24話 新約4
はっと目を覚ますと、僕はホテルのベッドの上にいた。隣を見やると、明菜はまだ眠っている。時計を見ると、バルベーロに意識を飛ばしてから三十分程度が経過していた。
眠れそうになかった。体が震える。自分の身体を抱きしめて、僕はまた目を閉じた。
理恵。
理恵の声を、理恵の笑顔を思い出そうとするが、それは最後に見たあの感情が抜けきった壊れた表情と声に塗りつぶされる。持ってきた写真を見ようとも思ったが、隣にいる明菜に気づかれるのが嫌でできなかった。
「雪、大好きだよ」
僕は、君を壊した。その上、君と生きていたいから、これから多くの絶望をある街に降らせる。
それでも、まだ、僕は自殺という選択肢を選べなかった。
理恵、理恵。
ごめん、今でも君が好きだ。
生きていたい、君と。
だから。
いつか、もっと力をつけて君に会いに行く。
しかし、今のままでは、能力向上のために理恵をさらに裏切らなければならない。
そんなこともう二度としたくないし、できない。僕は自分で、理恵を追いつめるなとソフィアたちに言った。ならば、僕も理恵を裏切ることはこれ以上できないし、実際に、裏切ったときの理恵の様子から、これ以上裏切るのは危険だと判断できる。
どうする。
パナリオン側に寝返るには、今の段階ではリスクが大きすぎる。寝返ったところで、メフレグの神と一度契約した者を受け入れてくれるかどうか不透明だし、裏切った途端にソフィアたちにばれて抹殺される可能性がある。
今はあの、忌々しい神に祈るしかない。
世界を創っておきながら、世界を否定した、全ての元凶に。
神よ、どうか、僕に力を。
夜のうちに、バルベーロに何度か接続したが、結局、神は僕の前に現れなかった。僕は一旦、諦め、本格的に眠ろうとした。
最後に、理恵を想う。
待ってて、理恵。
僕の命を狙うパナリオンも、理恵の命を狙うソフィアも、無関係の人々も。
殺して、進んで。
そして。
そこで、僕は自分のおぞましさにはははと笑った。
「終わってる」
それから、僕と明菜は、朝日と共にホテルを出た。
東の方から上がってきた朝日が目に染みて、僕は顔をしかめた。
何の迷いもなく淀みもなく街を突き抜ける朝日は、今の僕には眩しすぎた。
朝の冷たい空気を思いっきり吸い込む。しばらく、息を止めてから、吐き出す。
駄目だ。
僕は、自分の足元を見た。
駄目だ、このままでは。
このままでは、僕は歩き出せない。
朝日が、眩しい。
隣にいた明菜が、そっと僕に右手を差し伸べてきた。それを握らず、僕は言った。
「明菜、僕は君に嘘をつかせるし、君に嘘をつくよ」
明菜はじっと僕を見るだけで、何も言わなかった。
「それに、きっと、明菜の命を危険にさらすことになる」
何言っているんだろうと思う。朝日が眩しすぎたせいなのか。明菜を今、失えば契約違反になって力を一部失うのに。
新首都を引き換えにしてでも、理恵を自分で守りたいと覚悟しながら、明菜の一言を僕は必要としていた。
君が何者だとしても、これから僕が行うことを、きっと目の当りにするはずだから。
「引き返すなら、今だよ」
言えてしまったその言葉に、僕は事後になって、納得した。
そうだ。
その一言がないなら、そもそも僕は明菜を連れていけないし、連れて行ってもきっと失敗する。目的地は、爆発する数多の白い鳥がひしめく新首都なのだ。明菜自身の覚悟が必要だった。
なぁ、明菜、僕は自分のために、今だけ君に対して良い人のふりをしているんだよ。
「それでも」
明菜はそっと僕の左手を、右手で握った。柔らかな感触が、した。
「私は、雪君を信じてる」
僕は、目を閉じて言った。
これで、決まりだ。僕が、卑怯な男でも、結果は出た。
「明菜」
僕はまっすぐに一歩踏み出した。
「新首都へ、行こう」
西へと向かいながら、一度だけ途中下車して、僕は髪を茶色に染めてパーマをかけて、伊達めがねを買った。明菜にも髪を金色に染めて、めがねをかけてもらった。
再び乗った電車の中で、明菜は上機嫌だった。
「ふふっ、一緒にイメチェンできるなんてね」
隣の座席から、パーマをかけた髪をしきりに触ってくる。
「ふわっふわっ、ふわっふわっ」
「明菜……、分かってると思うけど」
もう新首都は近い。僕は、小声で明菜に話かけた。
「分かってるよ、雪君」
僕の髪の毛を触りながら、明菜も声量を小さくして言った。
「さっき説明してくれたように、私は、雪君改め浦賀司の妹として、一緒に雪君の親戚の家に泊まることになるんでしょう。別人になりすまして」
「そう、そうだよ」
「なんで妹なの?」
「僕は転校することになるんだ。彼女と同棲しているだなんてばれたら、家に押しかけられるよ。それに、新首都で僕らの素性が警察にばれないよう、明菜の素性を浦賀家の人間として統一させたかったんだ」
「雪君だけ、転校でしょ。雪君がいない間、私、その家にいなくちゃいけないんだよね。寂しくなるなぁ」
「ごめんね。諸事情があって」
「ねぇ、雪君」
すっと、明菜が唇を僕の耳元に近づけてきた。
「雪君、普通の男の子じゃ、ないでしょ」
電車内のアナウンスが、次の駅が新首都だと告げた。
どこまで分かっているのか、明菜は小さく息を僕の耳に吹きかけて、顔を離してから、笑った。
「私、お姉ちゃんでも良かったのになぁ、ねぇ、司おにいちゃん」
新首都。旧首都で大規模なテロが起きてから、その機能を西に移転させたこの国の新しい首都。僕は、今、その中心地にいた。
時間は昼過ぎ。駅前にはたくさんのオフィスビルが立ち並び、人々は俯きがちにそれぞれの目的地へと歩いていく。
その上空に、いた。
合唱しているかのように、鳴り響く揃った羽音。見上げる。
空を埋め尽くす勢いで、無数の白い鳥たちが、飛んでいた。
「今日は新首都でのテロはありません」
斜め前のビルに設置された大きなディスプレイで、ニュースキャスターが無表情でそう言った。
「昨日ソフィアを撃退したように、鳥たちは、この街を保護しています。テロリスト以外には無害であると公表されていますが、政府は、引き続きこの鳥に関する情報を募集しています。パナリオンが関与している可能性が高いので、情報の扱い、特にプライバシーには十分配慮するとしており……」
「司おにいちゃん」
ニュースを見ていた僕の意識の先は、隣で向こうを指さす明菜へと移った。
「愛華、どうした?」
明菜を事前に決めていた偽名で呼ぶと、明菜は笑って言った。
「タクシー乗り場、見つけたよ」
タクシーに乗る。動き出したタクシーの運転手に、話しかける。
「僕ら、今日初めてここに来たんですけど、鳥、すごいですね」
僕は窓の外へと目を向ける。鳥たちは、自動車や電車、人々の流れを妨げないようにある程度の高度を保ちながら、空で波打つように羽ばたいている。
運転手は、やや疲れた声で返してきた。
「ああ、初めてなんだ、ここ。すごいなんてもんじゃないよ」
ハンドルを回しながら、運転手は続けた。
「テロリストを撃退してくれるのは分かったけど、爆発するんだよ、あの鳥たち。今は、車の中だから言うけどね、あんなのがすぐ上を飛んでたら、おっかなくてしょうがないよ」
「おっかない、ですか」
僕は鳥から鳥へと視線を飛ばしながら、聞いた。
見ている限り、どのビルの上にも、鳥が一羽以上、とまっている。
もしも鳥使いが、一羽一羽の情報を処理できるのなら、この街を完全に監視下においている可能性がある。
運転手は、片手をハンドルから離して、ぷらぷらと手を振った。
「あの鳥たち、パナリオンが操っているって話じゃないか。人間、間違いもあるからねぇ。誤爆なんてされたらたまらないよ。それに」
運転手は、盛大に、ため息をついた。
「ずっと、監視されている感じがして、息苦しいよ。うちにも一羽屋根の上にいるんだがね、毎日怖いんだよ」
「ああ、それは嫌ですよね。なんだか、僕も恐くなってきましたよ」
まんざら、嘘でもない。想像以上の数だ。
僕の言葉に、運転手は頷きながら言った。
「政府も早く手を打ってくれないかねぇ。まぁ、おかげで平和なのかもしれないし、ありがたいっちゃありがたいんだが」
前の信号が黄色信号になり、車は減速する。
「糞しないから、車は汚れないしね」
それから、タクシーで四十分程度。
覚えていた住所にタクシーはたどり着いた。バルベーロで見た庭付きの家だ。鳥が一羽屋根の上にとまっているのを、すぐに見つける。
厄介だな。
内心ため息をつきながら明菜と共にタクシーから降りてインターホンを鳴らすと、少し時間を置いてから、声が返ってきた。
「はい」
低い男の声だった。
「浦賀司です」
息を飲む音が聞こえた。
ほどなくして、家の扉が開く。
そこには、四十代くらいの男が立っていた。髪は短く、体格はややがっちりとしている。
その表情は、明らかに動揺していた。
「……ようこそ」
訝しげにこちらの様子を伺いながら、手で僕らを招く。
僕は明菜と顔を見合わせてから、
「叔父さん、これからお世話になります」
ぺこりと頭を下げて、やや小走りで近寄り、一緒に家の中に入った。




