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第15話  今日より良い日が来ないとしても5

 理恵はまた眠りに落ちた。僕はその寝顔をしばらく眺めてから、礼拝堂へと下りていった。

 月明かりがステンドガラスを抜けて、礼拝堂を照らしている。その祭壇の前にひざまずいて、反逆のネブロは祈りを捧げていた。じっと目を閉じて、両手を組んで、青く長い髪は月明かりに映えて美しかった。その格好があまりに様になっていて、別人かと思った。


「救世主は、大丈夫なのか、ブラザー」


 背後に立つと振り向かずにネブロは聞いてきた。


「大丈夫だよ。っていうか、ネブロ。今度、くだらない質問したら、ぶった切るぞ」


 羽田さんみたいなことをつい言ってしまう。けれど、さすがにもう一度ずかずかと心に土足で入ってきたら容赦しない。


「シャイだねぇ、お前も、あの子も」


 声はおちゃらけているが、祈りの姿勢は全く崩さない。

 思わず聞いた。


「ええっと、君はネブロ、だよな? 中指立てたり、舌出したりしてた」


 ぶっとネブロは吹き出した。


「別人だと?」

「ちょっとだけそう思った」

「祈るときくらい、真面目になるさ」


 その背中は、真面目というより、どこか寂しそうに見えた。


「何を祈ってるんだ?」

「ああ……」


 軽い口調で、答えが返ってきた。


「俺が殺しちまった恋人が、天国に行けますようにって」


 僕は黙ってその隣に行って、同じように祈り始める。


「……それは、懺悔か?」


 聞いてみた。恋人であるパナリオンを殺したとき、何を思ったのか。


「いや」


 ネブロは目を閉じたまま答える。


「願いだよ」


 後悔はしていない、か。


「彼女はとある間違いを犯してな。いつもひどく自分を責めていた。だからこそ、パナリオンに選ばれ、間違った神の言いなりになった。俺は、ずっと彼女を解放してあげたかった。まぁ、他人から見れば恋人を殺したクレイジーな奴としか見えないだろうけどな」


 鼻を鳴らしてから、ネブロは続ける。


「いいのさ。俺はソフィアとして、全ての人をこの世界から解放するつもりだ。そして、最後に自己破壊を行い、彼女のもとに召されようと思う」

「そうか」


 嫌な予感がして、それを隠すように僕は味気なく呟いた。ネブロは目を開けて、僕の方を見た。


「で、お前は何を祈ってるんだ」

「何も」

「は?」

「祈りたいことはたくさんあるのに、祈る相手がいなくて困ってる」


 再び、ネブロは鼻を鳴らす。


「俺のマザーが言ってたぜ。祈る相手のいない人が、世界で一番孤独だって」


 格言を聞いた気がして僕は頷く。


「良いこというな、お前の母親。息子と大違いだ」

「俺の親は敬虔な反メフレグ側の信者だったのさ。小さい頃から厳しくてな、その反動でこの有様だぜ」


 ネブロは目を開けて両肩を持ち上げて、べっと舌を出した。

 このちゃらけたポーズも様になるのだから、不思議だ。


「親が泣くよ?」

「いいや」


 ネブロは苦笑した。


「もう、泣くこともできなくなってるよ」


 そこで同時に僕らは立ち上がった。


「ネブロ」

「ああ」


 二人して教会を出ると、そこには多くの大人たちがいた。僕らが出てくると、今にも殴りかかろうとでもいうように殺気立つ。みんな、棒やバットを手にしている。


「……あなた方は?」


 歳は全員四十前後。数は優に五十を超える。月光に照らされたその顔は、みな、怒りに満ちているのに真っ青だった。


「……メフレグ研究会の副部長っていうのは、君?」


 先頭にいた女性が口を開く。その声は感情がどこにもなくて、平らだった。


「……一応」


 喋った途端に、塊のような重い視線が僕へと浴びせられる。息苦しさを覚えながら、僕は大体状況を把握できた。


「……君が、私たちの子供をメフレグで洗脳したのね?」


 やはり、そうか。この人たちは、メフレグ研究会の部員の遺族だ。今日、学校に呼び出されていた。


「僕はお飾り副部長でしたから、そんなことはしていません」


 きっぱりと言った。すると、さっきまで平坦だった女性の声が裏返った。


「嘘おっしゃい! あんたんとこの部長が言ってたのよ! 副部長が暴走してみんなが巻き添えになったって。あんたがうちの子に変なこと教えなければ、うちの子は殺されずにすんだのに!」

「赤井先輩……」


 僕は天を仰いだ。本当にあの人は、悪魔のような人だ。

 塊のような視線の中に、無数の棘が混じる。


「許さないわ」


 大人たちがこちらに向かって歩き始める。不揃いな足音と、荒い息が響く。激昂した死人の群れのようだった。


「ブラザー」


 ネブロは冷静な顔で僕を見て頷く。


「やるしかないだろう」


 力を使えというのか、この教会で。理恵のいる場所で。

 しかし、話し合いは通じない。相手は僕を殺す気だ。これだけの人数、力なしで相手にするのは困難だった。

 何もまだ終わらせていないのに、ここで死ぬわけにいかない。

 大人たちの群れが眼前に迫り、僕が覚悟を決めたとき、澄んだ、聞き慣れた声が響き渡った。


「神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません」※


 僕は息を吸って目を閉じた。そして、すぐに目を開けると、もはや別世界のような光景が広がっていた。

 人々は武器を捨て、地面にひれ伏して天に祈り始めた。


「ああ、お許しください、神よ。私は怒りのあまり、真偽も分からないのに悪魔に誘惑されて人を殺すところでした」

「子供を殺されて冷静になれず怒りを誰でもいいからぶつけたくなるこの試練にきっと耐えてみせます。神よ、見守っていてください」


 恐怖さえ感じた。言葉で、一瞬にして人間を救済する。それを救済と言えるのかどうか、だが、結果として僕は救われ、この人たちも暴力に身を染めて逮捕されることはなくなった。

 そして、こうして救済した人数分だけ、また君は力を増す。

 僕は振り返る。教会の扉の奥に、月光を背負った理恵が立っていた。

 須々木理恵。最強のパナリオン。

 理恵は不安そうに僕を見て、それから笑った。きっと君は自分が正しいことをしたのかどうか、不安で仕方がないのだろう。

 目の前では、従順な道徳の使徒となった人々が祈りを捧げ、救世主は悲しく笑う。

 裏切り者はその笑顔に魅入られ、反逆者は、


「サッド」


 一言そう呟いて唾を吐いた。

 僕はどこかで予感した。

 きっと、今日よりも良い日は、もう訪れないと。

※理恵のセリフ→出所:聖書 新改訳 注解・索引・チェーン式引照付 1981年 いのちのことば社

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