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第11話  今日より良い日が来ないとしても1

 一瞬、息が止まった。

 とある苦情をカインにぶつけてやろうと、聖域バルベーロへ意識を飛ばした。目を開けると無限に広がる青空に包み込まれるようにして巨大な神殿がまるで万人を迎え入れるかのように大きな門を開けて建っていた。バルベーロの神殿だ。僕は足早に歩いて門をくぐり、真っ白な石畳の床を音を立てて進んでいく。中には大きな空間が広がっており、自然に生えてきた木々のように石柱が立ち並び、そこには一人一人天使の絵が描かれている。天使たちには特徴があり、ある者は剣を、ある者は盾を持っている。見渡すと、その比率は五分五分程度であり、まるで対をなしているかのように見える。

 壁際には変わらず多くのアイオーンたちが立ち並んでおり、僕の歩みを黙って見守っている。アイオーンが見守る中、天使の石柱をかいくぐっていくと、そこには祭壇が見える。そこにはいつもならメフレグのトップであるカインが立っているはずなのだが、今日はそこに誰もいなかった。

 珍しいな、カインがバルベーロに接続していないなんて。

 いないなら仕方がないと思って、バルベーロへの接続を切ろうとしたとき、それは起こった。

 突然、大きな十字の光が目の前で炸裂した。

 目の玉が潰れるほどの眩しさに思わず顔を逸らす。すると、どこかで耳にしたことのある声が、耳に触れた。


「なぜ、顔を背ける?」


 はっとなって、僕は目を開き、それから言われえぬ激しい感情に突き動かされて、前を見た。矢のように飛んでくる十字の光の奥に、男が立っているのが見える。スーツに身を包んで正装した紳士。

 二年前、世界の真実をひけらかし、世界を滅ぼそうと太陽に剣を向けた男。

 メフレグ主義者が、神と呼ぶ男。

 この目で見るのは、これで三度目だ。


「なぜ、私の姿を直視できないのか?」


 男は、神はたずねる。僕は歯を食いしばって目を開き続け、神を凝視する。


「わが子よ、光を恐れるな。この痛みに似た眩しさの中にこそ、安らぎはある」


 その声は何もかもを含んでいた。何もかもを含み、知っているがゆえに、何も恐れず、ただただ圧倒的な、怖いくらい圧倒的な静けさに満ちていた。

 確かに、これは人間の声ではなかった。

 僕は、人間ではない彼を、しかしやはり他のメフレグ主義者のように神だとは崇められなかった。

 あの日、あなたと交わした契約は、あまりに苦痛すぎた。この苦痛を神の試練などとたわけるなら、僕は授かった光の剣で、その首をはねとばそうとするだろう。


「光で、人を殺すことだってできます」


 僕は彼に向かって言葉を放つ。


「あなたは、この世界が間違っているとおっしゃった」


 そう、それが全ての始まりだ。神がこの世界の間違いを認め、崩壊を望んだがために、何十億という血が流れた。この世界の真実を明かすことを光だというのなら、そんな光はただただ絶望を照らし出すだけだ。

 話しながら、僕は昨日の赤井先輩の言葉を思い出していた。


「もしも、メフレグ主義が人間の間だけで唱えられているなら、こんなことにはなってない」


 その通りだと思う。けれど、神自身がその考えを口にしたとき、それはもはや一つの宗教ではなく、神の意思そのものとなってしまった。


「ならば、なぜ、この世界を生み出したのです。間違っているなら、そんな失敗作の世界の中で我々が苦しみ悶えて生きなければならないなら、そして最後に結局破壊しようとするなら、はじめから、生み出さなければ良かったのに」


 答えてくれ。

 その答えを聞けば、全ての謎を解けるような気がした。この世界の本当の姿、もう一人の神の存在、ソフィアの力、パナリオンの力、世界の終わりのその後の世界。

 僕らがなぜ生まれたのか。

 しかし、神は沈黙する。


「お答えになられないのですか」


 自身に芽生えた激しい感情の名前が、今ははっきりと理解できる。

 これは、怒りだ。

 身勝手だ、あなたは。勝手に世界を創造し、気に入らなくなったら破壊し、そのために失敗作な僕ら人間を争わせる。飽きたおもちゃを捨てる子供のように、世界を壊してしまうなら。なぜ、なぜだ。

 神は、一体どれほどの血を欲するのか。

 そして、あまつさえ僕に。

 どうして……、どうして僕だったんだ……。

 心の中で呟く。

 僕は、僕はユダになんてなりたくなかった。こんな苦い運命を、どうして飲み干さなければならない。

 なぜだ!

 人生を賭けても足りないほど大事な人を、生贄に捧げなければならない。

 僕の気持ちを沈ませるように、再び得体の知れない静けさをもった声が響く。


「契約を全うしなさい。そこに、お前の救いがある」

「理恵を裏切ることが、救いですか?」


 よくもそんなことを……!

 抑えられない。相手が神かもしれないということも忘れるくらい、怒りのうねりが体の中を這いずり回っている。ここで少しでも理恵を裏切ることへの苦悩や怒りを見せれば、これまでの理恵を殺そうとしてきたという嘘の報告が全て無駄になるかもしれないというのに。頭では分かっていてもそれでも。


「あなたは……」


 それでも神かという怒りの言葉を投げつけようとして、しかしそこで僕の言葉は途切れた。

 十字の光が小さくなっていく。


「私はお前を愛している、わが子よ」


 光の中に埋もれていく神の顔を見たとき、息が止まった。

 彼の頬には涙が伝っていた。そのことに対する驚きで怒りを吐き出せず、結果、僕の本当の気持ちは露呈せずにすんだ。


「行って、お前のなすべきことをしなさい」


 そうして、十字の光は収束して点となり、この空間から消滅した。同時に僕の意識はバルベーロから切り離される。


「せつ……、雪君!」


 耳元の声に意識を現実空間に引きずり出され、僕は慌てて目を開ける。

 気がつけばそこは屋上で、僕は柵にもたれかかっていて、隣では膨れ面の明菜がこちらを見ていた。


「ひどいよぉ。昼休みに教室行ったらいないから、まさかと思ったら先に屋上に行っているなんて……」

「……あぁ、ごめん。なんだか、太陽の光を浴びたくなって……」


 僕を見下ろす明菜の頭の上に太陽が高々と昇り、剣を突きつけられながらそれでも地上を光で照らし出していた。

 さっき僕が見た光は、あれよりなお輝いていて、美しかった。


「神様に会ってきたよ」


 太陽にゆっくりと手を伸ばす。手のひらに、その熱がこもって、そこからゆっくり溶けていくような気がした。


「え?」

「夢の話、だよ」

「なんだ」


 明菜が僕の隣に腰掛ける。僕の肩に頭を乗せてくる。肩に軽い重みを感じながら、僕は呟く。


「どうせ世界を壊すなら、はじめから作らなければ良かったのにって言ってみた」


 明菜は考えるようにうーんと唸ってから、言った。


「それで、神様はなんて」

「何も」


 手を下ろして、それでも空を見上げながら言った。


「ただ」

「ただ?」

「行って、お前のなすべきことをしなさいと、そう言ってた」

「雪君のなすべきことって?」


 明菜が不思議そうに聞いてくる。本当のことを言うわけにもいかず、けれど嘘をつくのも気持ち悪かったので、


「君と付き合うことだよ」


 そう言った。


「馬鹿だねー」


 明菜は嬉しそうに頭をこつこつと何度か僕の肩にぶつけた。


「馬鹿だよ」


 本当に、その通りだ。

 しばらく、そのまま二人してぼんやり空を眺めていた。


「……雪君」


 ふと、真面目な顔で明菜が僕を見つめた。ぎゅっと唇を噛んで、震えた声で言う。


「メフレグ研究会のこと、聞いたよ」

「ああ……」


 思わず目を逸らしてしまう。血まみれになった教室の景色が、目に浮かんだ。今はあの部屋は立ち入り禁止となって、警察が頻繁に出入りしている。あれだけの生徒が死んだというのに、学校は思った以上に平穏だった。先生たちの顔はどこかほっとしていたし、生徒たちはぼんやりと時間を過ごしていた。今、亡くなった生徒の親が全員学校に呼ばれ、校長から説明を受けている。

 ニット帽を目深にかぶったパナリオンは、今のところ僕を襲撃してはこない。様子をうかがっているのか、正体がばれたと思い込んで出てこないのか。

 だが、必ずまた接触してくる。ソフィア狩りがパナリオンの使命だから。


「私、朝その話を担任の先生から聞いたとき、頭が真っ白になっちゃったよ。一緒に登校したときに話してくれれば良かったのに」

「驚かしてごめん。僕もびっくりしていて、どう伝えていいか分からなかったんだ」

「……その……、みんな死んじゃったんでしょ?」

「……部長と副部長以外はね」

「……雪君は、どうして無事だったの?」


 気のせいか、明菜の声が低くなった気がした。明菜の髪の毛から漂うシャンプーの甘い臭いが、息苦しく感じられた。


「ぶ、無事も何も、僕は犯人と会っていないからだよ」

「雪君」


 明菜がにこりと笑った。


「運が、良かったね」


 無事で良かったとは言ってくれないのかって、どこかで聞いたセリフが浮かんでは消えた。


「でも、犯人は許せないよね」


 明菜が、触ると切れそうな、鋭い声を出した。


「皆殺しなんて。いくらなんでもひどいよ」


 だが、殺された生徒たちは、この学校を生徒ごと焼き払おうとしていた。


「いいじゃないか」


 僕はぼんやりと呟いた。


「自己破壊ができて、みんな満足だろうよ」


 少なくとも、彼らは他人にそれを望んでいた。だから率先して自らが破壊されたことに何の文句もないだろう。

 もし、あるなら、それこそそいつは悪魔だ。


「よぉ、ここにいたのか、ブラザー」


 屋上の扉が開いて、悩みの種が入ってきた。昨日の今日で僕の学校に無理やり編入してきたはちゃめちゃ外人。バルベーロ四聖人の一人、ネブロ=マルクス。どうやって手続きなどをごまかして入ってきたのか知らないが、今日、カインに申し立てようと思ったことも、こいつのことだ。


「勘弁してくれよ……」


 僕は頭を抱える。明菜がびっくりして僕とネブロを見比べる。


「え、この人って今日入ってきた外国からの編入生よね? え、何? 雪君と顔見知りだったの?」

「いんや、顔見知りってもんじゃねぇ。異母兄弟だよ、レディ」

「……嘘をつくな、嘘を」


 明菜の両肩をつかんで、謝り倒す。


「ごめん! 本当に、ごめん! ちょっとだけ、こいつと話をさせて」


 そう言って何か言いたそうな明菜を屋上から追い出して、僕はネブロと向き合った。

 青い長髪を風になびかせて、ネブロは怪訝そうな顔をしていた。


「……あれが、お前のガールフレンドか?」

「そうだ。っていうか、異母兄弟って何だよ」


 僕が呆れてそう言うと、ネブロはにやっと笑った。


「似たようなものだろ、俺たちソフィアは」


 べっと舌を出して、その中指を突き立てる。


「同じファーザーから能力を与えられた」


 さっき見たあの男を思い出す。

 神と呼ばれるほどの力を持っていても、悲しくて泣くこともあるのだろうか。


「……何をしに来たんだ、ネブロ」

「決まってんだろー。救世主を殺しにきたんだよ」


 朝に教室で聞いたのと同じ言葉を口にしたネブロは、しかし、あのときのようなぎらぎらした光をその目に宿してはいなかった。

 そう、僕はあのとき、教室の中だろうが、理恵が、誰が見ていようが、もはや能力を使うしかないと覚悟していた。

 しかし。

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