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第10話  異端狩りと嵐の到来5

 教室から出て、廊下を歩く。スマホを取り出して理恵に電話すると、四度目のコールで出てくれた。


「雪?」

「うん、僕だ。理恵は、今、学校?」

「ううん、教会だよ。弥生が送ってくれた。弥生は学級委員の仕事があるからって学校に戻っちゃったけど」


 安心した。これで、これからこの学校で何が起こっても、理恵に見られることはない。

 屋上へと続く階段を上りながら、僕は話を続ける。


「今日は、僕、少し遅くなるよ」


 屋上へ出ると、そこには血の塊のような夕日が壊れた高層ビル群の谷間に埋もれていくところだった。

 結論は変わらない。いつでも。世界の真理、魂の解放、正しき破壊者、そんなものどうでも良い。学校が燃えようが、理恵以外のクラスメートが焼け死のうが、僕は気の毒だとは思うが支障はない。

 ただ、理恵が巻き込まれることだけは耐えられない。


「間違った世界に生まれたとしても、間違った命だとしても、自分たちの世界を愛して生きることは、間違っていない」


 理恵がいなければ、僕はどうしてもこの世界を愛して生きていけそうにはない。けれど、理恵がいるから愛したいと思う。

 醜い、醜い、醜い。時々、この心臓を抉り出して踏みつけてやりたい気分になる。理恵のこと以外眼中にない狭量かつ残酷なエゴしかないくせに、その理恵を守るための力を得るために理恵を裏切らなければならない。

 醜悪だ。


「え、遅くなるの?」


 理恵が不安げに聞いてくる。最近物騒だから、心配してくれているのだろう。


「ちょっとね、赤井先輩に付き合わされるのが長引きそうなんだ」


 風が冷たかった。思いっきり息を吸って肺にかきこんで、心までこの冷たさに浸ってくれることを願った。


「……」

「理恵?」

「ねぇ、雪。あんまり深入りしないでね。メフレグ研究会は……」

「分かってるよ」


 夕日の紅がしみて、目を閉じる。


「今日で、終わらせるから」


 電話を切って、屋上の柵にもたれかかった。

 夜を待っていた。夜になればほとんどの生徒、教師は下校する。目撃される確率はぐっと減る。それに、もし人が残っていたとしても気づかれはしない。

 悲鳴を上げる暇もなく、学校に放火をしようとしている奴らを全員殺してやる。

 夕日が落ちた瞬間に、歩き出す。夜の闇がまとわりついているかのように、足取りは重かった。こつこつと床を自分の足が叩く音が静まり返った校舎にこだまする。今から僕は多くの同じ学校の生徒を殺す。たった一人を守りたいがために。

 お許しください。

 祈って、それから苦笑する。

 愚問だよ。

 僕が契約した神は、世界の破壊すら許している。

 メフレグ研究会の部室の扉を開けた瞬間、こみ上げる臭いに咳き込んだ。この臭いを知ってる、これは……。

 はじかれたように前を見て、頭が真っ白になった。


「嘘……だろ……、みんな死んで……」


 死体、死体がいたるところに転がっている。首がない。全て、首をそぎ落とされている。何だこれ。悲鳴なんて全く聞こえなかったのに。一体、何が……。

 呼吸が荒くなる。むせるような血の臭いに吐き気を覚えながら教室に足を踏み入れると、びちゃっと血が跳ねてズボンのすそを染めた。白い壁には荒々しくペンキで塗られたようにおびただしい量の血が付着し、切れかけの電灯がぱちぱちと虚しく音を立ててこの地獄絵図を見下ろしていた。

 わけが分からず黒板のほうを見て、ああと無意識に声がこぼれた。


「パナリオン」


 黒板には、血でそう書かれていた。

 反メフレグ側の能力者の総称。そこには実はもう一つの意味がある。

 あらゆる異端の害毒を打ち消す薬籠。

 メフレグという異端に身を染めた罪は、血で贖え。そういうことなのだろう。

 いるのか、この学校に。理恵以外のパナリオンが。これだけの人数を悲鳴さえ上げさせずに全ての首を切り落とせるほどの能力。

 つと、扉が開く音がして、それから風が巻き起こった。


「ハルモゼール!」


 咄嗟だった。相手が誰なのか確認する間もなく、光の剣を召喚した。信じられない速度で突っ込んできた影は、振りかざしたナイフをハルモゼールに防がれ、一度大きく距離を取った。


「……女?」


 それ以外は分からない。机の上に着地したその人は、頭から目深にニット帽をかぶっていた。ただ、うちの学校の女子の制服を着ていることだけは分かる。もう少し様子を観察すれば体の特徴から誰か特定できるかもしれない。

 なんて、思ったのが馬鹿だった。

 彼女は飛んできた。文字通り。

 消えたと思った瞬間には、目の前にいてナイフが僕の首筋に迫っていた。間一髪でハルモゼールでナイフをはじき返す。

 後ろで音がして、反射的にハルモゼールを後ろにやる。

 案の定、ナイフを弾く音がした。後ろに回りこまれていたんだ。

 速いなんてものではない。見えない。

 もう、音と勘でハルモゼールを操るしかなかった。目を頼っては追いきれない。

 右を防げば左から、左を防げば次は真上から突っ込んでくる。光の剣は僕の周囲を踊り狂い、影はそれに弾かれてはまた突っ込み、また弾かれるといったリズムを繰り返していた。何度も、ナイフがハルモゼールに照らされて輝いた。大きな光と小さな光が戯れているように。

 防戦一方。しかし、反撃の手段はこちらにもある。

 相手は攻撃パターンを読まれないように巧妙に踏み込み位置、ナイフを振る角度を変えてきている。けれど、たった一つだけ、固定されている攻撃パターンがある。

 天井を蹴って、真上から突っ込んでくるその瞬間だけは、重力を活かすためかナイフは真っ直ぐに突き出されてくる。

 相手の速度がさらに上がってきている。音を追ってもなお捉えきれなくなってきている。とうとう完全には防ぎきれずナイフが右頬ぎりぎりの空間をかすめていく。わざと大げさによろめくと、影はそのまま真上から突っ込んできた。

 盾として使っていたハルモゼールをここにきて剣として使う。腕が伸びきっているところを狙って横一線でなぎ払う。光が瞬いてそれからナイフが弾き飛ばされて黒板に突き刺さった。

 咄嗟に腕を引いたのだろう。離れたところに着地した女に外傷はなさそうだったが、それでも武器は奪ったんだ。形勢逆転だろう。

 女は何も言わぬまま、教室から飛び出した。


「待て!」


 後を追おうとして、すぐに諦める。あの速度に追いつけるはずがない。

 残ったのは死体と血と黒板に書かれた文字。

 僕はその場にしゃがみこんだ。ハルモゼールを消し、荒れた呼吸のまま横を見る。

 きっと、何も分からぬまま一瞬で殺されたのだろう。隣の死体のその手には自己破壊せよというメフレグのスローガンが書かれた布が握られていた。


「自己破壊……してもらったじゃないか。……満足か?」


 他人の体を破壊するより、手っ取り早く確実なメフレグの実現だ。


「あら……」


 間の抜けた声が聞こえて扉のほうを見て驚いた。

 無事、だったのか。

 赤井先輩がぽつんとそこに立っていた。


「あらあらあら、大変」


 口を手で押さえる先輩に、僕は抑えきれない違和感を覚える。


「異端狩り、ということだそうです。メフレグの神を神だとは認めないと」

「そうなの、それは困ったわね」

「今までどこに行ってたんですか?」

「ちょっとトイレに」

「随分と、タイミングが良いんですね」

「雪」


 先輩は笑った。


「無事で良かった、とは言ってくれないの?」


 僕はただ黙って、小さく頷いた。


 僕と先輩は夜のうちに届け出て、朝にはこの事件は街全体に知れ渡ることになった。僕と先輩は警察の事情聴取を受け、僕は一貫して犯人を見ていないと述べた。犯人に遭遇したのになぜ無事だったのかなどと聞かれると、自分の能力のことも話さなければならない気がしてリスクが高かったからだ。黒板に刺さったナイフから指紋は検出されなかった。どうやら手袋をはめて使用していたようだ。引き続き、警察は調査するといったが、捕まえられる相手ではないだろう。

 神速のパナリオン、それも最上級クラス。

 パナリオンであるから、理恵に危害を加えることはないはず。そこは安心だが、メフレグ研究会の副部長の僕が能力者であることを知った彼女は、僕のことをソフィアだと判断するだろう。また僕の命を狙ってくるに違いない。

 パナリオンからすれば、メフレグの神は世界を滅ぼそうとする悪魔。ソフィアはその手先。狩らなければいけない存在だ。

 どちらの神が正しいのか。

 僕にとってはそれは大した問題ではない。なぜなら、神自体が僕にとって大した存在ではないからだ。

 僕を救ってくれたのは、たった一人の小さな少女だった。万能の力を持っているわけでも、全宇宙を司る英知を持っているわけでもない、髪型が気になってしょうがなかった一人の少女。僕にとっては、その事実が全てのものよりも重いものだった。

 

 朝の登校時間。

 昨日力を使った僕は再び、わざと理恵の前で明菜と手をつなぎながら登校してみせる。

 肩越しに見た壊れそうな笑顔を、一瞥して。

 一体、いつまで。奥歯を噛みしめながら校内に入る。

 早速職員室に呼び出されて教員にも昨日のことを話してから、ようやく解放される。一限目の途中からの参加になる。まぁ、とりあえずは寝たふりしてバルベーロに接続して昨日の報告をしないと……。

 そう考えながら扉を開け、僕は思い知ることになる。

 失念していた嵐の到来を。


「よぉ、ブラザー。待ってたぜ」


 教室の新しい机から、制服を着たバルベーロ四聖人の一人、ネブロ=マルクスがこちらに手を振っていた。


「殺しに来たぜ、救世主を」

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