第153話 結婚指輪
ある日の夜。夕食を終えたアンジュが入浴を済まして自室に戻ると、そこにはレイフォナーの姿があった。
「おかえり」
「ええ!?この時間にお仕事が終わるのは珍しいですね!」
多忙なレイフォナーはアンジュの就寝時にはまだ仕事をしている。なかなか夫婦の時間をとれずにいたが、今日はすでに寝衣姿だ。ゆったりとソファに腰掛け、片手にはワインが注がれたグラスを持っている。
侍女たちは部屋を後にした。アンジュはレイフォナーの横に座り、空になりそうなグラスにワインを注いだ。
「クランツが私の仕事を手伝ってくれてるんだよ」
「それは・・・まだ数年先のお話でしたよね?」
「その予定だったんだが、あの子は想像以上に優秀だとわかった」
身体を取り戻したクランツは王族としての義務を果たしたいと考えており、政務への関心が非常に高い。これまで二百年前のクランツに身体を乗っ取られていたため、まずは王族として最低限のマナーや知識などを身につけるための勉強から始めることになった。だがすぐにその必要がないことが判明した。マナーはもちろん、国内の政経だけでなく他国に関しても博識だったのだ。
それはクランツを乗っ取っていた二百年前のクランツが勉強家だったからだ。彼が得た知識などは、魂だけの状態だったクランツにも共有される。子どもの頃から部屋にこもってばかりいた二百年前のクランツは、かつての時代といまの時代の違いを知るためによく勉強していたという。
「だが王城を離れてからはあまり勉強していなかったそうだ。あいつから解放されたクランツはこの数か月でその間の情勢などを学び、教師陣から政務を任せても問題ないと太鼓判を押されたってわけ」
「すごいですね・・・」
「それで数日前からクランツに仕事をまわし、私が最終チェックをしていた。今日から一人立ちし、おかげで私はこうしてアンジュと過ごせている」
「嬉しいです。レイディックとの時間も増やせますね」
「さっき寝顔を見てきたよ。父の顔を忘れないよう今度は起きているときに会いに行かねば」
「ふふ、そうですね」
食事やお茶の時間をともにすることもあるが、こうして二人きりで話をするのは覚えていないくらい前のことだ。互いに今日の出来事や最近印象に残っていることを報告し合った。
「レイフォナー殿下は、ラプラナ公爵にお会いしたことがありますか?」
「うん、もちろん」
今日の午後。アンジュはレイディックのお披露目も兼ねて、子供部屋に預けられているハルやフリアの双子たちと遊んでいた。ハルを迎えに来たイルに、もしかしたら何か覚えているかもと思い、伯父から会いたいという連絡が来たことを話した。
「伯父なんていたのか」
「やっぱりイルも知らなかったよね・・・なにか企んでるのかなって考えちゃうの」
「俺が覚えてるお前の母ちゃんは、太陽のように明るくて優しい人だった。だからその兄ちゃんもいい人って気がする。まあ、わからんけど」
「そっか・・・ありがと!」
アンジュは伯父の情報が得られなかったことより、イルが母のことを覚えてくれていたことが嬉しかった。その後しばらくは伯父について考えずにいられたが、時間が経つとやはり気になってしまう。
「どんなお方ですか?」
「真面目な男だよ。他者を思いやる心や正義感にあふれていて、公爵という立場に相応しい人物」
「そうですか・・・」
「不安なら無理に会わなくてもいいんだよ」
「いいえ。会ってお話をしてみたいです」
「そうか。父上や私も同席するから心配ない」
「はい!」
レイフォナーはテーブルにグラスを置き、アンジュの左手に手を伸ばした。
「じゃあ、この話はこれでおしまい。アンジュ、目を閉じて」
なんだろうと思いつつ、アンジュは言われるがままに目を閉じた。すると左手の薬指にひんやりとした何かが這った。「もういいよ」と言われてゆっくり目を開け、左手に目を落とした。
「わあ、完成したんですね!」
「時間がかかってしまったな」
「とっても綺麗・・・」
それは結婚指輪だった。ゴールドのアームに三つ並んだ無色のダイヤモンド。中央は大粒で両サイドは小ぶりながらも、計算されたカットは少し指を動かすだけでキラキラと輝きを放った。同じものがレイフォナーの左手薬指にもはまっている。
アンジュがプロポーズを受け入れてから結婚まで一か月ほどしかなく、指輪の準備が間に合わなかった。最高品質の素材探しに時間がかかったためだ。
レイフォナーはアンジュの指輪に手をかざし、魔力を込めた。しばらくして手を離すと、中央のダイヤモンドは青空のような色へと変化していた。これはどんなに離れていても、魔力を追って相手の居場所がわかる代物だ。アンジュも同様にレイフォナーの指輪に魔力を込めた。
「うん、とても美しい」
中央のダイヤモンドは黄金色に輝いていた。
以前にも指輪に互いの魔力を込めたことがある。アンジュがイルやキュリバトとともにロネミーチェから帰ったあとだ。その指輪は右手中指にはめていたが、レイフォナーはアンジュに「はやく左手薬指に指輪を贈りたい」と言っていた。
アンジュはそのときのことや、その後のバッジャキラや闇空間でのことを思い出した。こうして結婚できたのはもはや奇跡だ。胸が熱くなり、思わずレイフォナーに抱きついた。
「ふふ、どうしたの?」
アンジュは泣いており、レイフォナーは子どもをあやすように背中を撫でてあげた。
「色んなことがあったけど・・・いま、すごく幸せだなって」
「私も。怖いくらい幸せだ」
レイフォナーから笑みが消えた。
怖いといえば二百年前のクランツの存在だ。この数か月は姿を見せず、いまどこで何をしているのか。早々に居場所を突き止め、片をつけなければならない。この幸せな生活を守るためにも。




