悟っている人は善人じゃないよ!
あと、これは、多分、三枝英彦さんも言ってないけど、ここだけははっきりしないといけないけど、悟っている人というのは善人ではないんですよ。これは、人々はとんでもない誤解をしているのね。
善人である状態って、なんなのかというと、悪いことをしないってことなんですよ。つまり、思考状態が停止しているわけですよ。そして、常に善人である人なんていないんです。これは、周りが押しつけてくるレッテルみたいなものであり、消極的な結果であって、内発的ではないのですね。
そもそも、悟る、なんてことは、社会的にはある種の破壊行為でしょ。そんなもん、そうに決まっているわけで、「俺は悟った」って言うとしたら、それは、よほどリスキーですよ。もちろん、何も言わずに善人の状態で悟っている人もいるだろうけど、悟るという行為がアクティブなんで、人々の思う善人イコール悟り人ではないのよ。
それはでも、ちょっと勉強すればわかると思う。殆どの聖者というのは、あれは革新者だったわけでしょ。だから、世間に思われている善人というイメージは、単に保守的な人ってことなんだろう。それはそれでそうしたらいいが。
悟ると言い出した途端に、周りがザワザワするし、世間との戦いが始まるのだ。悟った人に、善を説いても、そんなのは意味ないとも言える。我々、一般市民の考える善というのは、ようは、保守的になれ。新しいことをするなって意味だから。そして、アクティブな人生を送る人は、いわゆる善人にはなれない。
オショーは、「ゾルバ・ザ・ブッダ」と言う言葉をよく口にしていた。ゾルバというのは、とんでもない快楽主義者であるが、それと同時にブッダであれ。と言うことを提唱しているのである。




