第4話 めんそーれ、夏休み
茉衣子の父ちゃんの沖縄弁はひとつひとつAI翻訳しました。60年代生まれの男性島人らしく、と指定しましたが、もし、沖縄の方で不自然に思う方がいたら、遠慮なくアドバイスください。ちなみに、茉衣子自身はほとんど沖縄弁が抜けてます。
春若栄久高校は今日、一学期の終業式を迎えた。体育館での式を終え、教室に戻った樋口健介たちを待っていたのは、担任の伊福成芳の癖の強いホームルームだった。教卓の前に立つ伊福が、ゆっくりと生徒たちを見回し、例のごとく不思議な間を挟んで話し始めた。
「諸君、四月に入学してから、もう七月だ。四か月か。まあ、正味三か月半かな。そして、待ちに待った夏休みがやってくるわけだ。さて、今日は君たちに大事な宿題があります。言うまでもなく、これまで各教科ごとに出された宿題や自由研究も大事です。当然、僕からも出したがね。もう一つ宿題をここで言い渡します。僕からの宿題その二、それはただひとつ、『死ぬなよ』です」
教室中に一瞬の静寂が走り、数秒経って、おくれてざわざわし始めた。所々で、生徒たちが顔を見合わせて首をかしげている。
「何か不思議なことでもあるかな?いいですか、夏休みは、どんなに勉強や遊びが大事だと言っても、君たちが元気で生きていることが何より大事なんです。この夏、勉学に励む者もいれば、部活にいそしむ者もいるだろう。はたまた、夏休みしか体験できないようなアドベンチャーへと繰り出す者もいるかもしれない。何かに挑戦すること、失敗すること、それはもちろん大切だ。でもまずは、生きていることが一番なんだ。それが僕の教育なんだ。四十年も教師をしているとだね、夏休みの間に色々あるものなんだ。直近だと、五年ぐらい前の生徒が、プールに遊びに行って脚を骨折したわけだよ。まあ、そういう何かが起こることは、往々にしてあるものだ。……夏休みは怖いぞお。怪我には重々気を付けてほしいし、そして、くれぐれも、命だけは落としてくれるな。幸い、これまで命まで落とした生徒はいないわけだが、残り二年半の僕の教師生活で、香典だけは出させないでほしいものですね」
いつになく真剣な伊福の演説のような口上に、教室はシーンと静まり返った。そして、その静寂をつんざくように伊福は手を叩いた。
「無事故無違反、安全祈願。では、これで一学期は終了!気をつけて帰りなさい。そして、宿題のこと、忘れないように」
伊福の音頭でホームルームが終わり、最後の日直が号令をかけ、正式に解散となった。健介と友人の朝長慎吾、大上茂の三人はそれぞれのロッカーから荷物をまとめ、いつものようにダラダラと雑談しながら廊下を歩いていた。
「たこ福のトーク、どういうテンションで聞いたらいいのかわかんねえな……」
健介がため息交じりにぼやく。
「けどまあ、ああいうのも悪くはないだろ。『死ぬな』って。六十過ぎてるからかもしれないけど、まあ、説得力だけはあるわな」
慎吾が笑いながら返すと、大上も控えめに頷いた。
「たこ福はやっぱり独特だ。……ゴールデンウィーク明けだったか。たこ福に廊下ですれ違った時に声をかけられたんだ。『大上くん。どうだったかな。一週間休みだったけども。充実してたかな?』って。俺は『ゴロゴロしてたらもう終わってました』って言ったら、『いいかい。よく学び、よく遊べという言葉がある。大上くんにとっては、よく遊ぶのも難しかったのかな?』と言われたんだ。あれは今でも胸に刺さるんだ」
「やっぱ、普通の先生じゃないな、たこ福は」
健介は苦笑しながらも、なんだか面白くもあった。
三人でだらだらと下駄箱に向かっていると、玄関近くで待っている一人の女子生徒の姿が目に入った。眼鏡をかけた、真面目そうなその子は、慎吾の顔を見るなり、自然に声をかけてきた。
「慎吾、ちょっと待ってて。ママが迎えに来るから、玄関で待っててって」
この子は、朝長雛灯という。慎吾の双子の妹である。
「おう。なんで迎えに来るんだ?」
「ママね、タバスマでお買い物してるから来てあげるって」
タバスマこと「タバスマイルたかみや」とは、高宮市の中央にある、高宮バスのバスセンターを兼ねたショッピングモールだ。なお、朝長家は、同じ高宮市内ながらも、北部にあるこの春若町から三十キロの彼方、文字通り一番南にある南町という田舎だ。
「はあ?タバスマ?全然遠回りじゃねえか。別に俺らで帰るし、いいだろ。こちとら定期券だからタダなんだし。ガソリン代の方がかかるわ」
「私もそう言ったんだけど、そういうのは気にしなくていいのって。慎吾、ママには『うん』って言っちゃったからもういいね?慎吾にもLINEしたらしいけど、全然返事しないから、私しちゃったよ」
「ああ、そうなん。まあ、俺は別にいいんだけど」
健介はその様子を見て、慎吾には双子の妹がいる、と話がマジなんだという実感がようやく湧いた。この子が慎吾の妹らしいとは聞いていたが、今日までどうにもピンと来ていなかった。慎吾がちらりと健介の方を見て、雛灯に軽く紹介するように言った。
「ひな、こいつが健介。健介、こいつがうちの妹」
「初めまして、樋口です。……あ、慎吾の友達です」
「朝長雛灯です。……兄がいつもお世話になってます」
雛灯が控えめに微笑みながら挨拶すると、健介も少し照れくさそうに挨拶を返し、初めてのやりとりに一瞬ぎこちなさがあった。
「こいつさ、お前のクラスの茉衣子ちゃんと千宥ちゃんのマブだそうだから、まあ、仲良くしてやってくれよ」
慎吾が冗談めかして、「マブダチ」と言うと、雛灯があっけにとられたような表情で言った。
「ちひ……、ああ、そうなんだ。今度、あの子たちにも聞いてみるね」
雛灯はその後、学校の正面玄関前まで出てきて、母親の車を待っていた。慎吾もすぐに来るものかと思ったら、先ほどの友達とまだだべっているのか、一向にやってくる気配はない。別に慎吾と話したいわけではないのだが、ただ自分は一人で待っているので、退屈だ。そこに、見たことある顔が三人近づいてきた。同じクラスの子たちで、うち二人はさっき兄から言及された古波蔵茉衣子と杠千宥、そしてもう一人が玉井絢那だった。雛灯の姿を見つけた茉衣子が、嬉しそうに声をかける。
「ひなじゃないか、こんなとこで何してんだ?」
「お母さんが車で迎えに来るから、待ってるの」
「えー、車でお迎え?なんかすごいじゃん!」
茉衣子が目を丸くすると、雛灯は少し照れくさそうに目を細めた。
「うーん、まあ、今日は通りがかったからって、そうなったんだよね。いつもはバスなんだけど」
すると、玉井が興味津々に尋ねる。
「ひなちゃんって、いつも誰かと一緒に帰ったりするの?」
「いつもってわけじゃないけど、たまに兄と帰るかな。まあ、一人の方が気楽な時もあるし」
千宥がにこやかに、少し考え込むような顔をしながら尋ねた。
「ひなちゃんって、お家ではどんな感じなの?なんか、学校でのひなちゃんって、すごく真面目そうで優等生って感じがするけど」
雛灯はその質問に、少し笑いながら答えた。
「いやいや、全然そんなことないよ。……てかそれは千宥に敵うわけないじゃん」
そう言われて、千宥は黙って首を横に振り謙遜した。
「お母さんとかにはよく『もっとしっかりしなさい』って言われることも多いし……兄には負けたくないなって思ってるから、頑張ってるだけで」
茉衣子がニヤリと笑って、雛灯をからかうように続けた。
「へえ、ひなの兄ちゃんかあ。どんな感じなんだろ?気になるなー」
「あー、えっと、茉衣子、知らなかったっけ?私の兄」
「あん?」
茉衣子が怪訝そうな顔をしていると、向こうから慎吾がやって来た。もう健介や大上とは別れたらしい。
「ひな、お前、千宥ちゃんたちと一緒だったんか」
茉衣子もその姿に気づく。
「えっ、慎吾?……ってことは、ひなの兄ちゃんって」
「そうだよ。慎吾が兄なの」
茉衣子は驚きながら慎吾と雛灯を交互に見る。
「そうだったのか!あ、『朝長』って」
ここで、名字が同じことに気づいたようだ。
「そうなんか、でも、一年生同士だよな?慎吾って留年でもしたん?」
「まあ、タバコがバレたり、単に出席日数足りなくなってたりって……バカ!」
慎吾はノリツッコミしてみせた。ちなみに、タバコは吸ったことない。
「私たち、双子なの」
雛灯が付け加えるように言った。
慎吾は、ツッコむ仕草をした自分の右手の先にいた千宥に視線を向けるなり、嬉しそうに話しかけた。
「千宥ちゃんも帰るとこだったんだ。もう、夏休みの予定とか決まってんの?」
千宥は少し考え込むようにしながら答えた。
「予定……というか、静かに過ごせたらいいなって思ってる。特に遠出とかはしないつもりかな」
「そうなんだ。じゃあ、暇があったら一緒に遊びに行ったりするのもいいかもな」
慎吾が軽く誘うように言うと、千宥は微笑みながら、やんわりと頷いた。
「ねえ、千宥ちゃんって健介と同じアパートなんでしょ。家族で住んでるの?」
「ううん、今は従姉と一緒に住んでてね。ここのOGでもあるんだけど」
「OGってことは女性だよなあ。千宥ちゃんに似て、優しくて美人なんだろうなあ」
千宥との会話が止まらない慎吾の様子を横で聞いていた茉衣子は、なんだかちょっと面白くない。しょうがないので、こちらはこちらで会話を続けることにした。ひとまず玉井に話題を振る。
「そういや、絢那は夏休み何かするん?」
玉井は少し考えたあと、ふわっとした笑顔で答えた。
「特にないけど、茉衣子ちゃんちも遊び行きたいな。なんとなく集まるのも楽しいよね。あと、おじいちゃんちには結構行くかも」
「うんうん、なんだかんだでみんなで集まったりするのが一番だよなー。ひなもどうだ?」
茉衣子が誘うように声をかけると、雛灯は少し照れながら答えた。
「うーん、私、こういうのあんまり得意じゃないんだけど……みんなで過ごすのは楽しそうだなって思うよ」
「だったらひなもそのうち一緒に遊ぼうぜ。別にそんなに気張らなくていいからさ」
茉衣子がそう言ってニカッと笑う。
「問題は遠いことなんだよなあ」
雛灯が苦笑する。
「お家がってこと?」
玉井が尋ねた。
「そうなの。家、南町だから、毎日の通学がねえ……」
「南町ってどこだ?」
高宮にやってきてまだ二年の茉衣子は、この辺の地理には若干疎い。
「南町は、本当に高宮の一番南よ。半島の先の方」
「うわ、めっちゃ遠くじゃん。通学時間かかるだろ?」
なんとなくの位置関係が分かった茉衣子は、驚きの声を上げる。
「一時間はくだらないなあ」
「まじかよ。ウチのアパート来る?ちょっと空き部屋あんじゃね?なあ、絢那」
茉衣子が玉井に尋ねる。
「わかんないけど、あったらひなちゃんも来たらいいよ。茉衣子ちゃんにも千宥ちゃんにも、あと絢那にも意外と会えるよ」
「うん。ありがとう。……玉ちゃん、あのアパートだったっけ、お家?」
「えっとね」
玉井が口を開いたところで、車のクラクションが鳴った。
「あ、迎え来た」
雛灯がつぶやいた。
「すまんね、千宥ちゃん。話が盛り上がったところでな」
「ううん、また話そうね」
茉衣子が、千宥にデレデレの慎吾をちょっとだけ睨んだ。運転していた母親は、なんだか結構若く見えた。いくつぐらいなんだろう。二人は後部座席に足早に乗り込んだ。慎吾が窓を開けて言った。
「じゃ、またな。いつか遊びに行くからな」
「私もそのうち行きたいかも。じゃあ、また二学期ね」
雛灯もその奥から応じた。
雛灯たちを見送り、茉衣子、千宥、玉井の三人は、学校からアパートに向けて歩き出した。茉衣子がふとため息をつき、ぽつりと口を開いた。
「慎吾ってさ、ほんっと千宥ばっかりだよな。なんかさ、こっちが話しかけても、あんまり聞いてねー気がするんだよな」
玉井は、茉衣子のその愚痴に少し驚いたような顔をして、首をかしげた。
「そうなの?あんまり気にしてなかったけど……。千宥ちゃんと仲良しなのはいいことなんじゃないの?」
千宥も微笑みを浮かべながら軽く肩をすくめた。
「うーん、仲良しっていうより、なんていうか……ちょっと熱が入りすぎてる感じはあるかもね。私、普通に話してるつもりなんだけど、慎吾くんが少し気を遣いすぎてるっていうのかな」
茉衣子はその言葉に大きくうなずき、続けた。
「そうなんだよ!なんかさ、千宥が話してると慎吾のやつ、完全に千宥のことしか見てねえの。こっちが何言っても『ああ』とか『ふーん』でさ。話振っても聞いてんだか聞いてないんだかって感じで」
千宥は、少し申し訳なさそうに笑いながらも、慎吾のことを思い出しつつ言った。
「たぶんね、慎吾くんにとって私はちょっと珍しい存在なんだと思うよ。私、……まあ、普通じゃないでしょ?それが逆に興味を引いてるのかもしれない」
「そりゃ確かに普通じゃないかもしれねえけどだな」
茉衣子は頬を膨らませた。
「まあ、千宥が特別だってのは分かるけど、もう少しあたしとか他の子とも話してくれてもいいのに、って思うんだよなあ」
「そういえば、」
玉井がふと思い出したように切り出した。
「あの、慎吾くん?絢那、多分初めましてだと思うんだけど、二人いつ頃知り合ったの?」
茉衣子と千宥はずっこけた。
「いたじゃんか、こないだお前が腹壊して保健室行ったとき、健介の付き添いでいたろ」
「大上くんはいたけど」
「大上ともう一人いたぞ」
「あー、……そうだったかな。絢那忘れてたよー」
「まあ、玉ちゃん、あの時具合悪かったからね」
千宥がフォローを入れた。
「そういえばさ、慎吾の母ちゃん迎えに来てたけど、結構若く見えたよな?」
茉衣子が思い出したように言う。
「確かに。私もあんまりじっくり見たわけじゃないけど、結構若い感じだったね」
千宥が相槌を打つ。すると、玉井が首をかしげながら言った。
「そうなの?絢那、あんまり気にしてなかったけど……。まあ、絢那のママ結構若いから、よくわかんないかも。茉衣子ちゃんよく知ってるよね?」
茉衣子はうなずいた。
「若いよなあ。いくつだっけ?」
「三十六だよ」
「慎吾の母ちゃんも同じくらいなのかな?もうちょっと上かなあ……。あたし母ちゃんいないけど、父ちゃんがもうジジイだから衝撃でな」
「茉衣子ちゃんのお父さんっておいくつだったっけ?」
千宥が尋ねると、茉衣子はちょっと照れながら答えた。
「六十三だよ。だからさ、なんか自分が知ってる親の年齢って、おじさんとかおばさんみたいな感じの人が多いんだよな。だから慎吾のところとか、絢那もそうだけど、若い母ちゃんってすごいなって思うんだ」
「まあ、四十歳ぐらいなのかな……?」
千宥が少し考え込むように言った。
「でもうちの母も四十三歳だし、慎吾くんのところもそれくらいかもしれないね。あんまり変わらないんじゃないかな」
「そうかもな。なんか、あたしの感覚がちょっとズレてんのかな」
茉衣子が苦笑いした。
「茉衣子ちゃんも、絢那のママみたいな若いママがいいと思ってたの?」
玉井が冗談めかして言うと、茉衣子はふっと笑いながら答えた。
「うーん、どうだろうな。あたし母ちゃんいねえし、わかんね。でも、母ちゃんがいたら、若くて元気な母ちゃんっていいなって思ったりするかも」
そんなこんなで話しながら、三人はアパートへと向かって歩き続けた。
アパートに到着した茉衣子、千宥、玉井の三人は、庭で植木の手入れをしている男性の姿に気づいた。彼は腰を少し曲げ、丁寧に雑草を引き抜いている。
「あ、おじいちゃん、きたよ!」
玉井が大きな声で挨拶すると、玉井の祖父・根〆昭信は穏やかな笑みを浮かべて顔を上げた。
「おや、絢那。よく来たね。それに茉衣子ちゃんと千宥ちゃんも、おかえり」
根〆が軽く手を振り、三人に近づいてきた。根〆は、玉井の祖父でもあり、このアパート、アネックス久世の大家でもある。
「うん、おじいちゃん、今日も庭いじり?」
「まあね」
孫に尋ねられた根〆は、ズボンについた土をさっと払いのける。
「こんにちは、大家さん」
「おじちゃん、今日も働くねえ。一昨日、廊下の蛍光灯替えてたでしょ?」
千宥と茉衣子も口々に声をかけた。
「ハハハ。会社辞めて数年たつけど、働くのが染みついてるみたいでね。何か気になったらすぐやっちゃうんだ」
大家と言うか、「管理人」の肩書がふさわしい根〆は、軽く笑いながら言った。
「無理しないでくださいね?」
「そうだよ。おじちゃんもウチの父ちゃんと同い年なんだからさ。無茶してケガとかダメだよ」
「ありがとう。こんなに心配してくれるなんて、嬉しいねえ」
六十三歳の根〆は照れ臭そうに頭をかいた。
「そりゃあ、絢那のじいちゃんだもん」
「本当に。まさか玉ちゃんのおじいちゃんだとは思わなかったけど。こんな大きいお孫さんがいるなんて思わなくて」
「ひと世代飛び越えてるもんな」
「あー、茉衣子ちゃんのお父さんと玉ちゃんのおじいちゃんが同い年……。ほんとだ」
驚愕する千宥をよそに、玉井は若い祖父の腕をつかんだ。
「ね、ね、おじいちゃん。今日はお昼ご飯を作ってくれるんだよね。何作ってくれるの?」
「そうだなあ。五十八で始めた料理だから大したものは出てこないけども」
「絢那の好きなものだったらなんでもいいよ」
そんな話をしていると、アパートの入り口付近で帰ってきた健介の姿が見えた。
「健介!」
茉衣子が叫ぶと、健介はふらりと近づいてきたが、ふと玉井がそこにいることに驚いたようだ。
「……玉井?なんでここに?」
「え?樋口くん、知らなかったの?」
「何が?」
健介が混乱気味に返すと、茉衣子がニヤリと笑う。
「健介、大家のおじちゃん、絢那のじいちゃんなんだぞ」
健介は驚いて目を丸くした。
「えっ、そうなの?大家さんが?玉井の?……知らなかった」
「そうだよ、健ちゃん。だから玉ちゃんも結構ここにはよく来るんだよ。仲良くしてあげてね」
千宥がフォローを入れた。
「ね、ね、樋口くん。絢那のおじいちゃん、ここの困ったこと、結構なんでもしてくれるんだよ。困ったことがあったら何でも言ってね」
「そうそう、健介くんも気軽に言っておくれ。何か不便なことがあればすぐに対応するから。何せ元の仕事が住宅会社だからね」
根〆も頷き、にこやかに笑った。
「ええ、ありがとうございます。なんか、すごいな……」
健介はまだ驚きを隠せない様子で言った。
「じゃあね、樋口くん。そーゆーことだから、とりあえず色々よろしくね!」
玉井が得意げに笑って手を振り、根〆とともに部屋へと入っていった。
茉衣子、千宥、健介の三人は、玉井と根〆がアパートの中へ入っていくのを見送りながら、その場に立ち止まった。
「いやー、玉井が大家さんの孫だったとはな……」
健介は未だに驚きが抜けない様子だった。
「ほんとだよね。でも、玉ちゃんってほんとにおじいちゃんが大好きだよね。大家さんも、本当に玉ちゃんを可愛がってるもんね」
千宥が微笑みながら頷いた。
「あたしは、おじちゃんが絢那のじいちゃんだってことより、おじちゃんがうちの父ちゃんと同い年だって聞いた時の方が三倍びっくりしたなあ」
茉衣子は苦笑いした。健介は以前茉衣子から、茉衣子が両親が年を取ってからの子供だということは、中学生の時に聞いたことがあった。その当時、年齢も聞いているため、現在六十三歳であることもなんとなくわかる。母親がかなり前に他界していることも聞いているが、健在である方の父親にもまだ会ったことがなかった。どんな感じなんだろうか。やはり、大家さんと雰囲気は似ているんだろうか?普段、茉衣子について考えることはあまりないが、それについては気になった。そして、もう一つ気になることがあった。
「茉衣子と千宥は玉井がここによく来るのは知ってたのか?」
「まあ、たまに見かけることはあったけど、ちゃんと聞いたのは最近かな。でも、聞いて納得したよね」
千宥が答えた。
「あたしはここに住み始めてすぐ知ったぞ。なんなら、学校よりも先にここで知り合ったぐらいなんだぞ」
そして、茉衣子も答えた。
健介は「ふーん」と頷きながらも、まだ少し信じられないような表情を浮かべていた。
「あ、ところでさ、お前ら、昼飯どうするん?」
茉衣子が唐突に尋ねた。
「さあ?なんか、家に転がってるカップ麺でも食おうかと思ってたけど?」
「私は何作ろうかなーって」
昼食未定の二名に茉衣子が向き直り言った。
「時間あったらさ、飯行かねえ?」
「わあ、いいね。この三人でご飯食べるの初めてだよね?」
千宥は嬉しそうに両手を合わせる。
「まあ、な。どこに行くつもりなんだ?」
健介は照れがあるようだが、千宥と一緒に出掛けられるので、ちょっと嬉しい。
「宮川の方に行く。あたしがおすすめしたい店が一つあるんだ」
「茉衣子ちゃんのおすすめ?茉衣子ちゃんグルメだから期待しちゃう!」
「……まあ、時間あるし、行くか」
「よし、決まりな」
健介、茉衣子、千宥の三人は、アパートの敷地を一旦出て路面電車の「久世 栄久校下」電停へと向かった。茉衣子が提案したランチに向け、電車で十五分ほどの宮川へ向かうことになったのだ。
電車に乗り込むと、茉衣子が空席が目立つ一角のど真ん中に座り、促すように両側に二人を座らせた。
「久しぶりに行くんだよな。あたし的にはめっちゃおすすめの店でな。健介も千宥も気に入ると思う!」
「へえ、茉衣子がそんなに推す店ってどんなとこなんだ?」
健介が少し興味を示して尋ねると、茉衣子は得意げに胸を張った。
「沖縄料理のお店だよ。名前は『くえ~ぶ~』。あんましおしゃれって感じじゃねーけど、味は絶対保証する!」
茉衣子一押しの、沖縄料理のお店。……健介にはちょっとだけ引っかかるものがあった。
「地元、だよね」
千宥も同じことを考えていたようで、そっと突っ込んだ。
「地元だ。島人のあたしの血が騒ぐんだ」
「島人的にもちゃんとOKなレストランなんだろうな。……ほら、地元民ほど味にうるさいだろ、こういうの」
健介が指摘する。一般論として、どこの地域であれ、地元民は郷土の味にうるさい。
「大丈夫だよ、その辺は。何せ沖縄が本店だからな」
「ああ、そう」
健介は肩をすくめた。まあ、茉衣子がそう言うなら大丈夫か、と考えた。
「沖縄料理か、いいね。私、実はあんまりちゃんと食べたことないんだよね」
千宥がわくわくしながら答えると、茉衣子はさらに意気込んで言った。
「だったらなおさらだよ!絶対好きになるって!」
電車が宮川電停に到着し、三人はホームに降り立った。電停に直結する横断歩道から、そのままアーケードに入った。アーケードの入口からほどなく、鮮やかな青と赤が目を引く沖縄風の装飾が施された看板が現れた。筆で書かれた「くえ~ぶ~」の文字が目を引く。
「ここだよ!ほら、いい感じだろ?」
茉衣子が看板を指差しながら言うと、健介も千宥も頷いた。
「確かに雰囲気あるな。なんか、ここだけ沖縄みたいな感じ」
「うん、期待できそう」
千宥も微笑みながら続けた。
店の入り口をくぐると、中から聞こえてくる沖縄民謡が耳に心地よい。壁には沖縄の風景写真や伝統工芸品が飾られており、独特の温かみのある空間が広がっていた。店に入ると、バイトと思われる店員の「めんそーれー!」という挨拶が聞こえてきた。
「めんそーれー。三名様ですか?」
バイトと思しき若い女性店員にそう言われ、奥の方の席を案内されたその時だった。
「茉衣子!」
奥の方から、白髪がかなり多い長髪を束ねた男性が走ってきた。
「お前、来たのさ。なんじ、どうしたさ?」
「別に、普通に昼飯食いに来ただけだよ」
「おお、千宥ちゃんさ。悪いな、茉衣子に付き合わせて」
茉衣子に声をかけたおじさんは、次は千宥にも声をかける。
「こんにちは、泰造さん」
千宥はおじさんににこやかに挨拶した。
「……ん?この子や初めてやさ」
「やだなあ、父ちゃん。健介だよ、健介。中学から一緒の。話しただろ」
どうやら、泰造と呼ばれたこのおじさんは茉衣子の父親らしい。なるほど、六十三歳か。健介は妙に納得した。
「ああ、あの健介くんさ。茉衣子の親父の古波蔵泰造やっさ。よろしく。お隣さんだって。何かあったらいつでも言いなさい」
「は、はあ。どうも……」
「もう今日は俺が全部おごるから好きなものを食べなさい。それじゃ」
泰造は仕事に戻ったのか、奥の方へと消えていった。
先ほど案内された席に座ると、茉衣子が先にメニューを手に取り、得意げに二人に勧め始めた。
「絶対これ!ゴーヤーチャンプルーもいいし、ラフテーもいいぞ。あと、タコライスもおすすめだな」
健介と千宥はメニューを見ながら、どれにするか楽しそうに悩み始めた。メニューとにらめっこしていると、茉衣子が更に勧めてくる。
「健介、千宥、ここはラフテーがめっちゃ美味しいんだぞ。あと、ソーキそばも鉄板だぞ」
「何個挙げるんだ。食えねえって。でも、ラフテーはいいな」
「うーん、私はどうしようかな。ソーキそばとかかな?」
健介と千宥が迷う様子を見せ、困ったようにメニューを見つめた。
「まあ、今日は直感で決めたらいいさ。こうなったらここの常連になったらいいぞ」
「茉衣子ちゃん、意外とちゃっかりしてるなあ」
千宥が笑いながら言った。
結局、健介がタコライスとラフテー、千宥がソーキそば、茉衣子がゴーヤーチャンプルーとジューシーを注文したのだった。
店内の奥では、厨房の鉄板から油の弾ける音が聞こえていた。まだ料理が来るまでには少し時間があるだろう。三人はお冷を飲みながらメニュー表をテーブルの端に寄せた。
「そういや、夏休みって、みんなもう予定決まってんの?」
茉衣子がテーブルに頬杖をついて尋ねると、健介が真っ先に答えた。
「俺は十日から帰省だな。両親の実家、両方回る予定。十八日には戻ると思う。まあ、毎年恒例行事だな」
「えー、けっこう長いじゃん。どっちも行くんだ?」
「うん。どっちの田舎も、じいちゃんもばあちゃんも元気だから、顔出さないと怒られる」
「真面目~」
茉衣子が笑う。
「健ちゃんの親御さんの実家って、どこ?」
千宥が聞いた。
「親父が島本で、お袋が笠木山だけど」
それぞれ、春若からは一時間半と一時間弱の場所だ。
「おー、温泉、温泉!」
茉衣子は温泉地として有名な笠木山の名前を聞いてテンションが上がったようだ。島本の近くにも有名な温泉地があり、ダブルでテンションが上がったようだ。
「そう、いつも入るわけじゃねえよ。茉衣子は?」
「あたしは逆に一日からだな。沖縄にな。十二日にはこっち戻る予定だけど」
「いいなあ、地元が沖縄って。私、四、五回しか行ったことないよ~」
千宥が笑う。
「え、そんなあるの……。俺ない……」
健介が顔をひきつらせた。
「いいね、沖縄の海。綺麗だよね、また行きたいなあ」
千宥はふわっと笑みを浮かべる。茉衣子が嬉しそうに身を乗り出した。
「そうだよー。健介も行けよ。夏は沖縄で決まりだって!」
「いや、無理だって。旅費で死ぬ」
健介は苦笑いで返す。
「じゃ、こっち戻ってきてからだな。八月の後半とか、三人でどっか行こうぜ。花火大会とかあんだろ。春若港んとこの河川敷でやるやつ」
「花火大会?」
千宥が少し考えたあと、首をかしげる。
「人多いの、ちょっと苦手かも。でも、みんなで見るのは楽しそうだね」
「そうそう、夜なら暑くないし。去年めっちゃ混んでたけどな」
「あー、そういうのあるな」
今度は健介がコメントする。
「健介、お前行ったことあるだろ?」
「……いや、あんまり。十年ぐらい前なら」
「なんでだよっ。お前、地元だろ」
「あんまりこういうの、行かないんだよな」
イベント関係に対して腰が重い健介に、茉衣子が呆れたようにため息をつく。
「浴衣着たりするの?」
千宥が小さく笑いながら言うと、茉衣子は即答した。
「着るに決まってんじゃん。あたしのは紫の朝顔柄!千宥も着ようぜ。絶対似合うって!」
「浴衣かあ。あんまり着てこなかったもんね」
千宥はおそらく、まだ女物の浴衣はほぼ経験がないことだろう。男のは?いや、俺もあんまりないぐらいだし。健介はふと考えた。
「慣れろ慣れろ、青春だぞ!」
茉衣子の勢いに、健介は苦笑してグラスを回した。
「まあ、三人でなら行ってもいいけど」
「おっ、健介が珍しく前向き!」
「健ちゃんも行こうよ」
健介が乗り気になり、二人が歓迎する。
「茉衣子が変なノリにならなきゃ、な」
「ウン、ガンバル」
「……なんだ、その棒読み」
そんな軽口を交わしているうちに、横から店員の「大変お待たせしました」の声が聞こえてきて、つい三人ともふりむく。料理が運ばれてきた。まず、健介の注文したラフテーを皮切りに、タコライス、ソーキそば、ゴーヤーチャンプルー、ジューシーといったメニューがテーブルの上に並び、香ばしい匂いが一気に広がった。
「わっ、いい匂い」
「だろ?これがあたしの故郷の味だぞ」
茉衣子が得意げに言いながら、早速箸を取る。
「いただきまーす!」
三人の箸が同時に動いた。茉衣子はゴーヤーを一口食べて、顔をしかめる。
「うっわ、やっぱ苦え!でもこれがいいんだよな」
千宥はゆっくりとソーキそばを口に運び、微笑んだ。
「優しい味……なんか、懐かしい感じがする」
「お、千宥も気に入った?」
「うん。落ち着く味だね」
千宥がしみじみと言い、さらに健介の方を見た。
「健ちゃんのタコライス、すごいボリュームだね」
「これだけで腹いっぱいになりそう」
「健介、お前これぐらい食うだろ」
弱気な健介に、茉衣子が指摘する。
「まあ、ゆーて食うとは思うけど。千宥、ラフテーも食べる?一個あげるけど」
「ありがと。取り皿ないかなあ、代わりにソーキそばちょっといらない?」
「気遣わなくていいよ。千宥、それ一つだろ」
暫く食べ進めると、千宥がしみじみと息をついた。
「ああ~、沖縄料理、いいなあ」
「だろー?これは多分バイトが作ってるけど、今度うちに来いよ。父ちゃん、千宥のためなら作ってくれると思うぞ」
そんな賑やかなやり取りの中、時間はゆっくり過ぎていった。昼時の店内は満席になり、天井の扇風機が低く回る音が心地よく響く。
食事を終え、三人は外へ出た。七月の午後の陽射しはとても強く、アスファルトがじりじりと熱を返している。先ほどと反対方向の宮川電停のホームに立ちながら、茉衣子が空を見上げた。
「夏だなー。あー、沖縄帰りたくなってきた」
「すぐ帰るだろ」
健介がつっこんだ。
「帰るけどさー、地元の味は、ほんとダメだ、あたし。あとさ、こうして友達とご飯食べんの、なんか久しぶりで楽しかったな」
「うん、私も。こういう時間って、なんか好き」
千宥の穏やかな声に、茉衣子もにっこり頷く。
「じゃ、夏の間は各自帰省して、帰ってきたら花火大会な」
「わかったよ」
「楽しみにしてるね!」
茉衣子の号令に二人が答えた。
「覚えててよ、健介。逃げんなよ?」
「逃げねえよ」
電車が到着し、金属のドアが開いた。三人はゆっくり乗り込み、涼しい車内に腰を下ろした。
窓の外、青空の下に高宮の街がゆっくりと流れていく。それぞれの夏が、いま静かに始まろうとしていた。




