第49話 アネックスの父親参観・樋口家の場合
<AI依存度>:
ほぼそのまま使用:47~51%
AI文をベースに改稿:27~31%
ユーザー独自の構成・設定・加筆:20~24%
第1話以来、実に48話ぶりに健介父が登場します。ちなみに健介母は前回うっすら登場しました。
ちなみにここから数話は、筆者の都合もあり、かなりAI依存が高くなると思います。
一学期も終盤、三者面談の季節である。樋口健介は気が重い。
極端に成績が悪いというほどでもない。しかし、決して誇れる成績でもないので、大抵の場合憂鬱になるのだ。
そして、二年生ともなると、進路の話にならざるを得ない。オープンキャンパスの話とかも出てくるし、ひとまず地元の国立高宮大学には行くことにしているが、他の大学についてどうするか、とか色々な話になる。
そして、もう一つ懸念事項があるのだ。三者面談は一般的に生徒と教師、そして生徒の保護者でするものである。大抵の場合、母親が参加することが多い。今の世の中、共働きも多く、関係ないようにも思えるが、そうは言ってもやはり母親の方が多い。
樋口家においても、御多分に漏れずそうだった。ただ、その理由の半分は、母、規子が教師であることも関係していた。要は、教育や進学といった事情にある程度明るいので、話が通じるという意味だ。
現在、両親ともに単身赴任中の樋口家だが、昨年度二回の三者面談に関しては、規子の仕事の都合との折り合いがついたのだが、今期はどうしても無理になったらしい。結果として、現状、規子より休みの都合がつきやすい父、義行が初めて面談に参加することになったのだ。
勝手がわからない。それが健介には恐ろしかった。母親より深刻にとらえるのか、楽観視されるのかすらわからない。
義行も大学受験を経験しているはずであるが、四十年近く前の話なので、今の事情はわからない。むしろ、当時の常識で理不尽なことを言われたりしないかが心配なのだ。
はあ。期末試験が終わってからも、健介はため息が止まらない。帰ってきたテストよりも、そちらの方が気がかりだった。
今日は日曜日である。義行は昨日、取引先との接待ゴルフがあったらしい。この酷暑の中、ご苦労なことである。
明日、有休をとって三者面談にくるわけである。もっとも、今日のところは春若へ来るわけではない。義行はまず、島本にある自分の実家へ顔を出すことにしていた。
『昼過ぎには島本に着く。二人も来るか?』
数日前、家族のグループにそんなメッセージが送られてきた。健介は少し考えたものの、既に用事を入れていた。そもそも、あと一か月もすればお盆である。そのときには姉の有希乃と一緒に帰省する予定になっている。今ここで予定を変更してまで顔を出さなければならないほど、久しぶりというわけでもない。
『俺は用事あるから、明日学校で』
そう返信すると、少し遅れて有希乃も続いた。
『私も予定入れちゃってる。お盆には帰るから、じいちゃんばあちゃんにはよろしく言っといて』
『了解』
義行から返ってきたのは、それだけだった。怒っている様子も、残念がっている様子もない。元々、必要以上に感情を文章へ乗せる人ではなかった。
「父さん、今日、島本に泊まるのかな」
日曜の朝、リビングでスマートフォンを眺めながら健介が呟くと、向かいで化粧をしていた有希乃が鏡越しに目を向けた。
「泊まるんじゃない? 明日休み取ってるんでしょ」
「そうだけど」
「三時半なんでしょ? 面談。午前中は向こうでゆっくりできるし。わざわざ今日こっちに来ても、私たちいないんだから意味ないじゃん」
「それはそうだけどさ」
健介が気にしているのは、父親が今夜どこで寝るのかではない。明日の面談で、何を言うのかである。普段の義行は、子供の成績に細かく口を出す方ではなかった。
定期試験の結果を見せても、「そうか」「次は頑張れ」程度で終わることが多い。それが信頼から来る放任なのか、単に興味がないだけなのか、健介には今ひとつ分からない。
母の規子ならば、答案を見れば科目ごとの出来を確認し、順位や平均点にも目を通す。そのうえで、得意科目と苦手科目、次にどう勉強するかまで話が進む。教師である以上、職業柄という部分もあるのだろう。
一方の義行が、学校の教師を相手にどのような顔を見せるのかは想像がつかなかった。
「そんなに心配なら、今日ついていけばよかったのに」
有希乃が言った。
「いや、それとこれは関係ないだろ」
「お父さんに直接聞けたじゃん。明日、変なこと言わないでねって」
「そんなこと言ったら、余計に意識するだろ」
「ま、それもそっか」
有希乃はあっさり同意すると、再び鏡へ向き直った。
「まあ、大丈夫でしょ。あんた別に留年とか退学とかいう話が出るレベルじゃないでしょ?」
「そういう問題じゃないんだよ」
「進路?」
「それもある」
「高大でしょ、第一志望」
「今のところはな。でも、先生からしたら、ほかも考えろとか、オープンキャンパスに行けとか、そういう話になるだろ」
「行けばいいじゃん、オープンキャンパス」
「簡単に言うなよ」
「ま、福岡とか行ってみたら? 折角だから、軽く遊んで帰ってくるのもいいと思うけど」
「軽いな」
健介は眉をひそめる。
「そんなもんでしょ。終わったらそのままうみねこ、っていうほどの弾丸にすることもないでしょ」
うみねこは博多~高宮間の特急列車である。
「まあ、それもそうかもしれないけど」
翌日、月曜日。授業が進むにつれ、健介は、落ち着かなくなっていた。
三者面談の期間中は、普段より早めに授業が終わる。教室には順番を待つ生徒が何人か残り、その保護者たちは廊下に並べられた椅子へ座っていた。
健介は図書館など校内をぶらつきながら、義行を待つ。すぐ近所なのだから、別に一時下校してもいいのかもしれないが、この炎天下の中、動きたくはなかった。最悪、図書館で昼寝していた方がましだ、健介はそう考えていた。
時間が近づいてくる。廊下の窓から、何度も校門の方を眺めた。約束の三時十五分を過ぎても、義行は現れなかった。三時二十分。電話をかけようか迷っていると、階段の下から聞き慣れた声がした。
「健介」
振り返る。義行が、階段を上がってくるところだった。薄い青色の半袖シャツに、濃い色のスラックス。仕事用の鞄こそ持っていなかったが、これから取引先を訪問するような格好である。
「遅いよ」
「間に合っただろう」
「遅れたら面倒なんだよ、こっちが」
「暑くてな。近いと思って舐めてた」
島本から車で来て、アネックス久世の駐車場に停めてきたそうだが、そこから徒歩五分あまりとは言え、この炎天下だ。デスクワークメインの五十五歳には多少きついかもしれない。
「前に来たことあるだろ」
「何年前の話だと思ってる」
義行は悪びれる様子もなく、廊下を見回した。実は健介の入学後は直接学校に来たことはなく、有希乃が在籍していた約六年前が最後になるのだ。
「ここで面談してるのか?」
「うん。今、前の奴がやってる」
健介の友人の渡辺啓太郎が面談中である。
「先生は何という人だったか」
「伊福先生。言っただろ」
「そうだったか。ちょっと聞きなれない名前だと思ってたけどな」
本当に大丈夫なのだろうか。健介の不安が一段増したところで、教室の扉が開いた。渡辺とその母、恭子が出てくる。
「あら、健介くん。うちの次やったんやね。またお店来てな。あ、渡辺です~。うちの子がお世話になっております~」
恭子が健介と、隣にいた父親にも挨拶する。
「ど、どうも」
「おかん、邪魔すな。ほなな、健介」
渡辺が母親を制する。
「ほな、またね~」
賑やかな関西人親子が面談室を後にした。……恭子は春若出身なのだが。
「関西の子かい?」
「ああ、対州亭の娘さんと孫。今年大阪から来た」
「ほう、対州亭のね。あ、お好み焼き屋になったって?」
「それ。あいつの親父がやってる」
去年の夏、単身赴任するまで二十年余り春若に住んでいたため、義行もさすがに地元の定食屋ぐらい知っている。
「樋口くん、どうぞ」
中から担任の伊福成芳が声をかけた。
「ほら、行くぞ」
「ああ」
健介が先に入り、その後に義行が続く。教卓の前には机が向かい合わせに並べられ、生徒用の椅子が二脚置かれていた。健介が伊福の正面へ座り、義行がその隣に腰を下ろす。
「お忙しいところ、ありがとうございます。担任の伊福です。お父さんは初めましてでしたかな。一応、今年度も持ち上がりです」
このすっかり頭の禿げあがったベテラン教師も、渡辺母に負けず劣らずおしゃべりである。
「樋口です。いつも息子がお世話になっております」
義行は、普段より幾分か丁寧に頭を下げた。少なくとも、第一声から妙なことを言い始める心配はなさそうであり、健介はほっと一息ついた。――それは父親と先生、両方に対してだ。
伊福は成績表を机の中央へ置き、一学期の成績と授業態度について説明を始めた。成績は、おおむね予想どおりだった。目立って悪い教科はない。ただし、上位を狙うには全体的にもう一歩足りない。特に、得点に波がある科目については、日頃から復習を続けるようにと言われた。
義行は口を挟まず、時折頷きながら聞いていた。
「二年生ですので、そろそろ具体的に進路についても考えていかなければなりませんな。息子さんからは、現時点では高宮大学を考えていると聞いています」
「はい」
義行が答える。
「お父さんも、それはご存じでしたか」
「聞いています」
健介は横目で父を見る。知っていたらしい。自分から詳しく話した記憶はないので、規子から聞いたのだろう。
「ただ、高大といっても学部によって必要な科目も違いますし、ほかの大学も含めて、早めに選択肢を見ておいた方がいいでしょう。まあ、理系ですしね、僕は確か工学部だと聞いておりましたがねえ。夏休みにはオープンキャンパスもありますから、何校か、参加してみてください」
「分かりました」
返事をしたのは、また義行だった。健介自身が返事をする前に話が進んでいく。
「ご家庭でも、進路について話をすることはありますか。まあ、樋口くんちは、今、親御さんと離れているからねえ。あんまり話す機会はないのかな? もしくはお姉ちゃんと?」
伊福が健介に声をかける。
「……たまにですね、姉とは。このところ母と連絡すると、その話になります」
ここで健介が口を開いた。
「お父さんとは、あんまりかい?」
伊福が更に聞く。
「そうですね。私が普段、家にいないものですから」
義行が横から答える。特に取り繕おうとはしなかった。
「ただ、本人が大学へ行きたいと言っておりますので、それは応援するつもりです。高大に限らず、本人がきちんと考えたうえで選んだところなら、こちらから反対することはありません」
思いのほか真っ当な答えだった。もっとも、伊福はそれだけでは終わらせなかった。
「樋口くん自身は、大学で何を学びたいか、将来どんな仕事をしたいかというところまでは考えているかい?」
「いや……まだ、そこまでは」
「高大へ行くこと自体が目的ではないからねえ。そこで何を得て、君が大人になってどう生きるかになってくるわけだよ」
「はい」
口調は軽いが、痛いところを突かれた気がする。
面談の時の伊福は、いつものホームルームの時の軽口とは違う一面を見せることが多い。健介が高宮大学を志望している理由は、地元にあり、成績的にも極端に現実離れしていないからである。学びたい内容や将来の職業について、明確な展望があるわけではない。
「まあ、わかっているよ。お姉ちゃんのことも、僕は知ってるからねえ。彼女は今、えーと、何て会社だったかなあ、忘れた。バリバリやっていることだろう」
ニヤリとする。
「ご想像におまかせします」
健介は脱力しながら苦笑する。ちょっとだけいつもの伊福に戻った。
その後も、夏休み中の学習やオープンキャンパスの日程、来年度の科目選択についていくつか確認があり、面談は予定された時間内に終わった。
「では、今後ともよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
義行が立ち上がって頭を下げ、健介もそれに続いた。教室を出ると、次に待っていた生徒とその母親が入れ替わりに中へ入る。
義行と健介は並んで廊下を歩き出した。
「いい先生じゃないか」
義行が最初に口にしたのは、そんな感想だった。
「まあ。悪い人じゃないよ。九組じゃなくてよかったとは本当に思う」
九組の担任は、学園中から嫌われている鴨川である。
「九組? まあ、変わった人だと聞いていたから、猶更そう思うのかもしれないけど、言っていることも、その通りだった」
「うん」
「オープンキャンパスには行った方がいいな」
「分かってるよ」
「母さんにも日程を送っておけ。都合が合えば、どちらかが一緒に行く」
「別に一人でも行けるけど」
「一人で行くなら、それでもいい」
強く勧めた割には、そこはあっさりしていた。
「父さんさ」
「何だ」
「もっと何か言うかと思ってた」
「何かとは?」
「成績がどうとか、志望校がどうとか」
「先生が全部言っていただろう」
「そうだけど」
「同じことを俺が繰り返しても仕方ない」
義行はそう答えると、廊下の先にある階段へ向かった。
玄関先に出てきた。来客用の下駄箱と生徒用の下駄箱は別の場所にあるので、校門前で待ち合わせる。
健介が到着した頃には、義行は既に待っていた。義行は、ある一点をぼーっと見つめていた。
「父さん、待たせた……どうした?」
「え? ああ」
義行は我に返った。そして、健介に耳打ちする。
「あれ、いせやちづる?」
義行の指さす方を振り返る。……ああ。健介は半笑いになった。
いせやちづること本名・杠千鶴は、健介の友人である杠千宥とその妹、二生の母親だった。見たところ二生がいた。
千宥の面談は今日じゃないのかな? そう考えた時だった。
「健ちゃん」
後ろから声をかけられた。
「千宥」
「健ちゃんも面談だったんだ。……あ、こんにちは。健介くんの友達の杠千宥です」
千宥が横にいた父親に気づき、挨拶する。
「ああ、こんにちは。健介、お前、こんな美人な友達がいたのか。ほら、同じアパートのあの子、何て名前だったかな。あの子だけじゃないのか」
義行が笑う。
「茉衣子だろ。あと、千宥も同じアパートだぞ」
「へえ、あのアパート、どうなってるんだ。密度が高い」
「……で、千宥の母さんが、あの人」
千鶴を指さす。
「……へ?」
義行は呆然とする。いい加減、千鶴を初めて生で見た人の反応にも慣れてきたのか、千宥はただくすっと笑う。
「お母さん、二生!」
千宥は、向こうの方で待つ二人に手を振った。
千鶴もすぐに気づき、二生とともにこちらへ歩いてくる。遠目から見ていても分かる華やかさがあった。そんなオーラを帯びた影が近づいてくる。
「あら、健介くん。久しぶりね。今日、面談だったのね」
「ああ、お久しぶりです。今、終わったところです」
千鶴は、この九州では有名なタレントだし、元は東京のアナウンサーだったので、世代によってはその知名度は全国区だ。というか、義行世代だとまさにそうだ。そんな有名なタレントにこうやって話しかけられるのは、どうも気恥ずかしい。ちょっと声が裏返った。それに気づいたのか千鶴がクスッと笑う。
「こんにちは、健介さん」
二生もぺこりと頭を下げる。
「ああ、おつかれ。二生ちゃんも今日だったんだな」
「はい。私は少し前に終わりました」
「千宥は?」
健介が千宥を振り返る。
「私はその少し後だったよ」
千宥が答える。千鶴は健介の隣に立つ義行へ目を向けた。
「こちらは?」
「あ、はい。父です」
健介が紹介すると、義行は一瞬遅れて頭を下げた。
「樋口です。いつも息子がお世話になっております。……あの、いせやちづるさんで?」
意を決して義行が尋ねた。
「旧姓は伊勢屋ですが……杠千鶴です」
芸能人ですか、というニュアンスの質問であるが、それははぐらかしつつも、文面上の質問内容は否定しない回答だ。
「こちらこそ、うちの子たちがいつもお世話になっています」
義行は一応、平静を装っていた。しかし、健介の目から見ても明らかに普段より姿勢がよかった。取引先を相手にするときでも、ここまで緊張してはいないのではないか。
「妹の二生です」
今度は千宥から紹介があった。
「杠二生です。お世話になっています」
二生が言葉は少ないながらも、穏やかに挨拶する。
健介は思う。未だに人見知りはするが、この三か月余りで、だいぶ慣れてきたと思う。前は、健介に対してもかなりびくびくしていた。健介の父と分かって怖がらずに挨拶したのは、そういう成長の証なのか、健介自体が二生の中で認められたのか……? 健介は一瞬頭にそう浮かんだが、引っ込めた。あまりうぬ惚れるべきではない。
「それにしても……」
義行は千鶴の顔を見て、言いかけたまま口を閉じた。
「あら、何でしょう?」
「いや、その……失礼ですが、テレビに出ていらっしゃいますよね?」
義行は、今度ははっきりと尋ねた。
「ええ。ちょくちょく」
さすがに認めた。ただ、平日の帯番組を持っているので、「ちょくちょく」では、かなり大胆な謙遜ぶりである。ちなみに、今日は午後のロケが休みだったため、午前の生放送終わりで福岡から駆け付けた。
「やっぱりそうですか」
確認が取れた途端、義行の顔に素直な感動が浮かんだ。
「いやあ、よく拝見しています。『意外性の扉』の頃からね。今はちょっと僕も福岡にいるもので、よく見ますよ。まさか息子の友達のお母さんだとは」
意外性の扉とは、二十年前に放送されていた全国ネットの人気クイズ番組である。千鶴の局アナ時代の担当番組だ。
「あら、そんな昔の番組……」
「僕たちの世代なら、知らない人の方が少ないと思いますよ」
千鶴は恥ずかしがってみせる。もっとも、義行か、もう二十歳下ぐらいまでの世代のファンからはよく言われることではあるのだが。
「ありがとうございます。でも、今はただの母親ですから」
千鶴は慣れた様子で受け流す。
「健介くんには、よく助けてもらってると伺っています。私もずっと一緒にいるわけではないのですが、アネックスの子たちの話は、二人からよく聞きます」
「あ、そうですね。何でも言ってください。息子で役に立てることがあるなら」
義行は、恐らくかなり舞い上がっている。健介から見ても分かる。自分が今何を話しているのか、わかっているだろうか。健介は首をかしげる。あとで聞いてみよう、記憶飛んでいるかもしれない。健介は少し笑う。
ただ、ほどなく話題がつき、一瞬この場に沈黙が流れた。ふと千鶴を見ると千宥と何かを話しているように見えた。そして、千鶴が義行に声をかけた。
「お父さんは、このあとどうなさるんですか?」
「息子の家に寄るつもりです。といっても、同じアパートだそうですが」
「私たちも、千宥の面談が終わって、戻るところなんです」
「ああ、そうでしたかね」
義行がうなずく。
「うちでお茶していきませんか? 健介くんも一緒に」
「え?」
義行が健介を見る。
「俺に聞かれても」
「お邪魔じゃないでしょうか。あとまあ、しかし、初対面でいきなりお邪魔するのも」
義行が恐る恐る聞く。
「とんでもないです。アパートの子を中心にお友達には会いましたが、親御さんと会う機会はほとんどなくて」
「そうですか。僕もそうですけど、ね。あはは」
義行はついに健介から見ても分かる程デレデレし始めた。人気タレントからのお茶の誘いなら、無理もない話だが。
「じ、じゃあ、お言葉に甘えて」
義行が恐る恐る言う。
「とりあえず、降りるか。外は暑いから」
珍しく健介が音頭を取り、炎天下の坂道を下り、見慣れた建物へ戻る。
「普段はお母さんはいないんだよね?」
義行が千宥に尋ねる。
「はい。私と妹と、それに、十歳上の従姉がいて、三人で住んでます」
「そっか。健介も姉と住んでるから、状況は似ているのかな?」
「まあ、そうですね」
千宥が苦笑する。
207号室の扉を開けると、冷房の効いた空気が流れてきた。どうやら、下校を見越してタイマーを入れていたらしい。外を歩いて火照った体には、それだけでありがたい。
「どうぞ。上がってください」
千宥が義行を招き入れた。
「お邪魔します」
義行は玄関で丁寧に靴を揃える。つい先ほどまでの浮ついた様子に比べると、妙に畏まっていた。
「父さん、そんな緊張しなくてもいいって」
「よその家に上がるんだから、当たり前だろう」
「いや、ここ、千鶴さんの家じゃないからな」
「でもそのお子さんの家だろう?」
間違ってはいないが。健介は苦笑した。
「リビングはこちらです。適当に座ってください」
千宥が先に立って案内する。二生はそのまま台所へ向かい、冷蔵庫を開けた。
「お姉ちゃん、麦茶でいい?」
「うん。お菓子も何かあったよね」
「クッキーがあるよ」
「じゃあ、それも出そうか」
千鶴が二生の後ろから台所を覗く。
「手伝おうか?」
「お母さんは座ってていいよ。朝から仕事して、福岡から来たんでしょ」
千宥が声をかけ促す。
「それくらい大丈夫よ」
「お客さんみたいなものなんだから」
「あら。自分の子の部屋でお客さん扱いされちゃった」
千鶴は笑ったが、無理に手を出すことはせず、義行の向かい側へ腰を下ろした。健介も父の隣に座る。
義行は室内を見回していた。3LDKである。自分の子供達の部屋が2LDKなので、少し広い。ただ、内装自体はさほど変わらない。
「きれいな部屋だね」
「今日はたまたまです」
千宥が即座に答えた。
「そう?」
「普段もそこまで散らかってないよ。来て、散らかってたこと、ほぼない」
健介が横から口を出す。
「そ、そんなこと、ないよ?」
千宥が少し赤面する。
二生が麦茶の入ったグラスを運んでくる。健介が立ち上がろうとする。
「大丈夫です」
二生にそう制され、人数分のグラスが手際よく並べられた。
「どうぞ」
「ありがとう。しっかりしてるね。ウチの二人も見習ってほしいよ」
義行が笑う。
「いえ……」
二生は少し恥ずかしそうに俯いた。
「前より、ずいぶん慣れたわね」
千鶴が娘へ声をかける。二生は小さく頷き、千宥の隣へ座った。
「健介さんのお父さんだから、あまり怖くないです」
「俺の父さんだと、どうして怖くないんだ?」
「健介さんが優しいので……」
二生が赤面して口ごもる。予想していなかった言葉に、健介は返答に詰まった。
「へえ」
義行が隣から健介を見る。
「何だよ」
「いや。外では優しくしているらしいな」
「家でも別に悪くはないだろ」
「そうだったかな」
「父さんこそ、普段いないだろ」
「それを言われると弱いな」
義行は麦茶を一口飲んだ。先ほどまでテレビで見る有名人を前にして舞い上がっていたが、ようやく少し落ち着いてきたらしい。
「しかし、健介がこちらでどう暮らしているのか、ほとんど知らなかったもので」
義行が千鶴に言った。
「アパートに友達がいることくらいは聞いていましたが、これほど近い付き合いだとは思っていませんでした」
「私も、この子のお友達に知り合ったのは今年に入ってからですけれど、本当に仲がいいみたいですよ」
「健介くんには、いつも助けてもらってます」
千宥が言う。
「何もしてないだろ、俺」
「してるよ。色々」
「そうか?」
「してる」
千宥は妙に真剣な顔で念を押した。義行はしばらく息子と千宥を見比べていたが、特に追及することなく頷いた。
「そういう友達がいるなら、安心しました」
「お父さん、心配してたんですか?」
義行の言葉に、千鶴が尋ねる。
「多少はね。姉弟二人だけで住んでいるものですから、親としては」
「父さんが福岡に行くって決めたんだろ」
「決めたのは会社だ。俺じゃない」
親子が言い合う。それを見て、千鶴が穏やかに笑う。
「でも、引っ越さなかったのは、家族で決めたことでしょう?」
「ええ。健介を転校させるのも難しい状況でしたし、上の子はもう社会人ですから」
「色々あったようですけど、今こうやって健介くんがしっかりしているのを見ると、今こうしているのは正解だったんだと思いますよ」
「そう言ってもらえると助かります」
義行が苦笑した。千鶴自身、子供達と離れて暮らしている。状況は異なるものの、親として思うところはあるのだろう。
「私は、二人の生活に口を出せる立場ではないんですけれどね。離れていると、つい悪い方へ考えてしまうんです。ちゃんと食べているかとか、困ったことを隠していないかとか」
最後の一言には、千鶴の筆舌に尽くしがたい実感がこもる。千宥は一瞬顔をこわばらせる。
「分かります。電話をしても、何もないとしか言いませんからね」
「何もないんだから仕方ないだろ」
健介が言う。
「何もないなら、それでいいんだ。何もないことが分からないから心配する。それが、親だよ。俺にしろ、いせやさんにしろ」
義行の言葉に、千鶴も大きくうなずく。
それからしばらくは、先ほどの三者面談のことが話題になった。義行が伊福を「話の分かる先生だった」と評すると、千宥も頷いた。
「伊福先生、普段はあんな感じですけど、締めるべき時は、真面目ですよね」
千宥がコメントする。
「千宥はどうだった? 妙ちゃんだろ。何を言われた?」
健介は二年七組であるが、千宥は二年五組なので、担任は榊原妙子である。
「それは秘密」
「何でだよ」
「健ちゃんに言う必要ないもん」
千宥は目をそらす。型通りの成績の話ももちろんあった。――千宥に関しては、こちらは全く問題ないが。しかし、何より、女性化に関する話が今回もあった。そんなに進展があったわけではないが。
千宥はこの件で健介に隠していることは、既にあまりないが、事情を知らないであろう義行もいるため、あまり言えない。
「大体同じような話じゃないの?」
フォローするように千鶴が言う。嘘は言っていない。
「志望校をどうするかとか、夏休みに何をするかとか」
「まあ……そうだけど」
「千宥さんも大学へ?」
義行が尋ねる。
「はい。一応、そのつもりです」
「二人で同じ大学を目指しているのか?」
「いやいや、千宥はもっといい大学行くから」
健介が答えた。学年一位と中の中では、月とスッポンもいいところだ。
「健ちゃんは高大の工学部だっけ?」
千宥が尋ねる。
「今のところはな。姉貴からは、福岡の大学も見てこいって言われた」
「それはいいと思うわ」
千鶴が頷く。
「大学を見たついでに、福岡で遊んで帰ればいいのよ。受験生になると、そんな余裕もなくなるでしょうし」
「姉貴と同じこと言ってますね」
健介は苦笑する。
「あら、お姉さんと気が合いそうね」
「多分、会ったら二人で酒飲み始めますよ」
「それは困るわね。私、あまり強くないもの」
そのとき、玄関のインターホンが鳴った。
「誰だろ」
千宥が立ち上がり、モニターを確認する。
「あ、茉衣子ちゃん」
「茉衣子ちゃん? ああ、あの」
義行が反応した。古波蔵茉衣子。先ほど自ら話題に出したが名前を忘れていたが、思い出したようだ。
「入ってもらっていい?」
千宥が皆に確認する。
「もちろん」
千鶴が答えた。千宥が玄関へ向かい、ほどなく賑やかな声が近づいてきた。
「千宥ー、面談どうだった――って、あれ?」
リビングへ入ってきた茉衣子が、健介の隣に座っている義行を見て足を止める。髪を高い位置で二つに結び、夏らしい薄手のTシャツと短いパンツを身につけていた。こんがり焼けた肌には、この季節の強い日差しがよく似合う。
「健介の父ちゃんだ。久しぶりっすね!」
「ああ、茉衣子ちゃん。久しぶりだね」
義行も顔をほころばせた。千鶴の前ではあれほど緊張していたのに、茉衣子が相手となると、すっかりいつもの調子である。
「今日来てたんだ。あ、そっか。健介の三者面談?」
「そうだ。さっき終わった」
「へえ。健介、何か怒られた?」
「怒られてねえよ」
「本当かあ?」
「何を期待してるんだよ。てか、お前は?」
「あたしの面談は明日だもーん」
茉衣子は大抵の場合、父、泰造の休日である火曜日を予約する。
「そっか、明日楽しみにしてるよ」
「うっせ」
茉衣子は笑いながら、空いていた場所へ腰を下ろす。
「茉衣子ちゃんは、お父さんと前から知り合いなのね」
千鶴が尋ねた。
「あー、知り合いって言うか、一回しか会ったことはないんだけど。でも、健介の父ちゃん!って感じで、めっちゃ覚えてる」
「なんだそりゃ」
健介が苦笑する。義行は、健介がこのアネックス久世に入居し、隣人へのあいさつに立ち会ったが、そこで、健介と茉衣子が一年ぶりに会話した瞬間を見届けている。
「あれから、もう一年以上経つのか」
「早いっすねえ」
義行は改めて茉衣子を眺めた。
あの時は、派手な見た目の女子高生が隣の部屋から出てきたことに、少なからず驚いたはずである。それ以上に、普段はあまり感情を表に出さない健介が、彼女を見て明らかに動揺していたことが印象に残っていた。
「茉衣子ちゃん、何か飲む?」
千宥が尋ねる。
「飲む飲む。外、ヤバいって。二階に上っただけで溶ける」
「じゃあ、今持ってくるね」
千宥は立ち上がり、台所へ向かった。
「ねえねえ、何があんの?」
茉衣子もその後を追う。義行は二人の背中を目で追ったあと、健介へ顔を寄せた。
「よく来るのか」
「茉衣子がここに?」
「ああ」
「まあ、しょっちゅう来てる。逆に千宥が下に来ることも多いけど」
「本当に同じアパートの中で行き来しているんだな」
「前から言ってただろ。チームというか家族というか」
思えば、一年前に茉衣子が突然言い出して、あまり納得していなかった「チーム・アネックス」という名前が、健介にとっても少しずつしっくりくるものになっていた。
「聞くのと、実際に見るのとでは違う」
義行は感心したように室内を見回した。健介にとってはすっかり日常になっているが、父親の目には、随分と珍しい生活に映っているらしい。
ほどなくして、茉衣子が自分のグラスを持って戻ってくる。そのまま千宥の隣に腰を下ろし、クッキーを一枚つまんだ。
「それにしても、すごいな。健介の友達が、同じ建物にこれだけ集まっているとは」
義行が改めて感心する。
「まだいるっすよ。慎吾とか、ひなとか。住んでないけど、しょっちゅう来る奴もいるし。絢那とか」
「茉衣子ちゃん、多分お父さん、知らないから。……でも、ここにいれば、大抵誰かに会えます」
千宥も笑って付け加えた。
「そっか。しかし、安心したよ。友達がたくさんいてね。こいつは昔から、家で友達の話をほとんどしないからね」
義行が笑う。
「そうなんすか?」
茉衣子が興味深そうに聞く。
「必要がないから言わないだけだろ」
「健介、そういうとこあるもんな。何にも言わないくせに、一人で勝手に考えてる」
「茉衣子にだけは言われたくない」
「あたしは何でも言うぞ」
「それも問題なんだよ」
健介が顔をしかめる。
「でも、健介くんが困っているときは、茉衣子ちゃんが一番に気づいてくれそうね」
千鶴が穏やかに言った。
「まあ、付き合い長いんで」
茉衣子は少しだけ照れたように鼻の下をこする。義行は麦茶へ口をつけた。
「まあ、今日は面談よりも何よりも、ここの暮らしがいいことがわかって、少しは安心できるよ」
「任せてくださいよ。健介の面倒は、あたしらで見とくんで」
「誰が見てるんだよ」
健介がすかさず反論すると、部屋に小さな笑いが起こった。
時刻は午後五時を回った。
「あ、いけない。そろそろ……」
千鶴がそそくさと動き出した。
「あ、千鶴さん、帰るの?」
「ええ。出ようと思ってるの」
「大変だね。仕事?」
「まあ、仕事は明日の朝だけど、うちの人も帰るからね」
「あー、それは帰んないとだ」
茉衣子も、詳しくは言わない。千鶴の夫、すなわち千宥と二生の父親は、非常に厄介な人物である。
千宥から色々聞いていて、茉衣子から見ても許されざる人。しかし、義行の手前、はっきり言わない。
「樋口さん。今日は会えてとてもよかったです。急にお呼びしておきながらどうもすみません」
「あ、いえいえとんでもない。こんな機会滅多にないですし、それに、家のこともしながら、大変ですね。また、機会があれば。今後もうちの子をよろしくお願いしますね」
両親同士が挨拶を交わした。
最終的には、千鶴が部屋を出るのと同時に、健介たちも帰宅した。207号室を出た健介と義行は、そのまま106号室へ戻った。
「いやあ、驚いたな」
玄関の扉が閉まるなり、義行が言った。
「まだ言ってるのかよ」
「テレビで見るのと、直接話すのとでは違うだろう」
「だいぶデレデレしてたけどな」
「してない」
「してたよ。千宥も茉衣子も気づいてたと思う」
義行は否定しながらも、どことなく機嫌がよかった。
その後はリビングで少し休み、義行は規子へ三者面談が終わったことを連絡していた。何を話しているのかは聞こえなかったが、時折「それは先生からも言われた」「本人にも考えさせる」と答えていたので、やはり進路のことだろう。
多分、今日明日中に規子から健介にも連絡が来る。はあ。ため息が出る。
小一時間経った頃、玄関の鍵が開いた。
「ただいまー。あ、お父さんまだいる?」
「いるよ」
仕事から帰ってきた有希乃がリビングへ入ってくる。
「おかえり。久しぶりだな」
「二か月ぶりくらいでしょ。面談どうだった?」
「まあ、こんなとこだろう。母さんにも共有したが」
俺の役目はひとまず終わり、とでも言わんばかりだ。
「健介は?」
「まあ、可もなく不可もなく」
「ほんと? 不可なかった?」
有希乃は笑いながら鞄を下ろした。
「そうだ。父さん、さっき芸能人に会ったんだぞ」
「芸能人?」
「いせやちづる」
「あー」
有希乃がうなずく。そして、眉間にしわを寄せた。
「会ったんだ。私もまだ会ったことないのに! ね、なんでよ」
「千宥と二生ちゃんも面談が今日で、たまたま一緒になった」
健介が回答する。
「なるほど」
右の眉を吊り上げつつも、状況はわかった、とばかりに頷く。
「家にまで呼んでもらって、お茶を――」
「ちょっと待って。私が仕事してる間に、何してんの?」
義行のコメントに、有希乃がうらやましそうに怒った。
「成り行きだよ。俺たちは誘われたんだから」
「ずるくない?」
「何がだ」
「私も会いたかったんだけど」
有希乃は心底悔しそうだ。
「父さん、めちゃくちゃデレデレしてたぞ」
「していないと言ってるだろう」
「へえ。お母さんに言おうっと」
「余計なことは言わなくていい」
有希乃は面白そうに笑いながら、着替えるために自室へ向かった。
その日の夕食は、三人で外へ食べに行くことになった。義行は夜のうちに福岡へ戻るので、酒は飲めない。近場の店で簡単に済ませることにした。
三者面談のことや、有希乃の仕事、来月のお盆の予定など、話題は特にまとまりなく移っていった。義行から成績について改めて説教されることはなかった。ただ、オープンキャンパスについては、夏休み中に最低一校は行くよう念を押された。
食事を終えてアネックス久世へ戻ると、義行は駐車場で車に乗り込んだ。
「じゃあ、次はお盆だな」
「うん。じいちゃんたちにも、そう言っといて」
有希乃が答える。
「健介」
「何?」
「進路のことは、あまり大きなことは言わない。将来、普通の仕事で飯を食えたらいいから。ただ、分からないまま放っておくなよ」
「……分かってる」
「それから、友達は大事にしろ」
不意にそう言われ、健介は少しだけ黙った。
「今日見て、安心したよ」
「何が?」
「お前が、なんとかちゃんとやってることがだ」
義行はそれ以上説明せず、運転席の扉を閉めた。
「気をつけてね」
「ああ。着いたら連絡する」
車が駐車場を出ていく。健介と有希乃は、その姿が道路の先へ消えるまで見送った。
「お父さん、何だかんだ心配してたんだね」
有希乃が言う。
「みたいだな」
「それにしても、いせやちづるとお茶かあ」
「まだ言ってるのかよ」
「今度、千宥ちゃんに紹介してもらおうかな」
「そのうち来るよ。千宥のことももう知ってるから、ちょくちょく来るらしいんだ」
有希乃も近頃、千宥の女性化のことを知った一人である。
「そう?」
「でも姉ちゃんも、絶対に父さんと同じ顔になる」
「失礼ね。私はもっと自然に振る舞えるから」
どうだか。健介はそう思ったが、口には出さず、有希乃とともにアパートの中へ戻った。
【次回予告】
前にママ三部作をやったので、今度はパパ三部作です。次回のパパは誰かな?
という感じです。お楽しみに。
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