第2話 女子高生の昼はいつも騒がしい
自由な校風だと思います。作者の母校と違って。いいなあ。そして、とてもどうでもいいですが、保健室の先生は作者のタイプです。いいなあ。
樋口健介がアネックス久世に越してきて少し経った頃の、ある月曜日の朝。曇り空の下、春若栄久高校への道を登る健介、古波蔵茉衣子、そして杠千宥の姿があった。三人でいつも通りの道を歩きながら、茉衣子はやけに元気よく、健介に話しかけていた。
「健介、今日は一緒に昼飯食べようぜ!」
「いや、悪いけど遠慮しとくわ。イツメンと食う予定だから」
健介は軽く手を振って断った。今日も朝長慎吾と大上茂と食べる予定があるのだ。
「あの、大上となんかあのチャラい奴と?」
「ああ」
茉衣子は大上とも中学からの同級生なので知っているが、慎吾とはほぼ面識がない。
「何だよ、冷てえな~。たまには女子とも交流しろよ!」
茉衣子は不満げに口を尖らせたが、千宥がそれを見てくすっと笑った。
「茉衣子ちゃん、健介くんもお付き合いがあるんだから、無理させないであげて」
「千宥に言われちゃ仕方ないか~。健介、またな!」
茉衣子が手を振ると、ちょうど学校の正門が見えてきた。
「ああ」
健介は軽く手を上げ、二人と別れて校舎へ向かった。
健介が去って少し経った頃、後ろから元気いっぱいの声が聞こえてきた。
「茉衣子ちゃん、千宥ちゃん、おっはよー!」
振り返ると、小柄なおさげ髪の少女が、体を大きく動かしながら、二人に駆け寄ってきた。
「お、絢那!おっはよー!」
茉衣子が笑顔で手を振り、彼女と両手を重ねた。二人の挨拶のようだ。
「おはよう、玉ちゃん」
千宥も微笑みを浮かべた。彼女は玉井絢那。茉衣子とは中学からの親友で、名字ももちろんだが、童顔で丸顔であることもあって「玉ちゃん」と呼ばれることが多い。
「えへへ~」
とても甘えん坊で、茉衣子の腕に恋人のように抱きついてみせた。
「おーよしよし。遅かったなー、寝坊でもしたか?」
茉衣子がからかうように言うと、玉井は慌てて首を振った。
「違うよ!途中のコンビニで新しいお菓子見つけたの。それで、買ってたら、バス一本逃しちゃって……」
玉井の鞄の中からは、お菓子の袋が見え隠れしていた。玉井はそれを鞄から出してみせた。
「また朝からお菓子買ったのか!絢那、お前ほんと甘いもん好きだなー」
茉衣子が笑いながら言うと、玉井はにっこり笑って返した。
「茉衣子ちゃんも食べる?」
「おう、食うぞ!」
茉衣子が元気よく手を伸ばすが、千宥がすかさず玉井に優しく声をかけた。
「玉ちゃん、お菓子はあとで食べよう。朝から食べるとお腹がいっぱいになっちゃうよ」
千宥が諭すように言うと、玉井は少し困った顔をしながらも、納得したように鞄にお菓子をしまった。
「そうだよね~、絢那ね、一キロ増えちゃったの」
玉井はしょんぼりした表情を見せて、お腹をなでてみせた。本人はそう言うが、見た目にはそれほど変わらず、むしろ華奢なくらいだ。
「いいじゃんか、大して太ってるわけじゃなし。あたしは絢那はもうちょっとお肉がついてもいいと思うぜ。お昼でみんなで食おうぜ!」
茉衣子はそう宣言した。
「そうだね、楽しみだね」
千宥も微笑んで同意した。
その後、三人は並んで教室へ向かう。一年七組の教室に入ると、すでに何人かの生徒が席に着いていて、和やかな空気が漂っていた。玉井は一旦自分の机に鞄を置くと、千宥の席に駆け寄った。
「ねえねえ、千宥ちゃん、今度の美術の課題、どうする?」
千宥は少し考えてから答えた。
「まだ決めてないけど、何かテーマを考えないとね。玉ちゃんはもう決めた?」
「うーん、なんとなく……でも迷ってるの」
玉井は少し悩んだ様子だ。
「一緒に考えようよ。玉ちゃん、絵上手いから、思いついたら大丈夫だよ」
「思いつくまでが……なんだけどね、絢那の場合は」
千宥が優しく言うと、玉井は苦笑したところでチャイムが鳴った。玉井が慌てて自分の机に戻る。
その時、教室のドアが開いた。早朝テストの時間である。ロリータファッションに身を包み、肩よりちょっと長いウエーブのかかった黒髪を左でちょこんと結んだ女性がたたたっと教卓の前に駆け寄った。一見すると学校には場違いに見えるその女性は、一年七組の担任、榊原妙子だった。
「みんな、おっはよー。今日も元気にがんばろうねー。テスト終わったら、一旦休み時間を挟んでホームルームね。今日の一時間目は、そのままあたしの数学だから、ちゃちゃっと出席取って巻きでいっちゃおー」
先の宣言通りのスケジュールが進み、一時間目の数学が終わった。教室内にはほっとした空気が流れた。教卓の前では、妙子が特有の軽快な足取りで、ロリータファッションの裾をひらひらと揺らしながら、教科書を片付ける。そして、ほどなく「おっつー」と言い残し教室を後にした。
「いやー、今日も妙ちゃん、ぶっ飛んでたな!」
茉衣子は机に肘をつき、目を輝かせながら言った。
「そうだね、相変わらず元気だったね」
千宥は微笑みながら、隣の茉衣子に同調する。
「不思議なのがさ、すっごく笑い話してるようなテンションなのに、なんか解き方が分かっちゃうんだよ。あたしみたいなバカでもすっごくわかりやすいっていうかさ」
「確かに、妙子先生の授業って、まとまってるんだよね。いろんな先生を見てきたけど、私も一番すごいと思うよ」
千宥は深くうなずいた。
「でもさ、妙ちゃんって、なんであんな格好してるんだろ?」
二人の席まで遊びに来た玉井が小声で囁くように言いながら、妙子が教室を出ていく後ろ姿を見送った。
「それ、あたしも前から気になってたんだよなー」
茉衣子が同意し、腕を組んで少し考える素振りを見せる。
「ロリータファッションで授業してる先生なんて、普通じゃ考えられないよね」
千宥は穏やかに言ったが、その瞳には少し疑問が宿っている。
「しかもさ、妙ちゃんって、髪型も服もいつも完璧じゃない?いつも決まってるよね。絢那もあんなエレガントになりたいなあ」
玉井は感心したように言いながら、机の上に身を乗り出した。
「だよなー。あんなふわふわのスカート、あたしには似合わないだろうけど、妙ちゃんはほんと自然なんだよな」
茉衣子が笑いながら言い、続けてこう付け加えた。
「でも、あの服、いったいどこで買ってんだろ?」
「福岡だと、ああいうお店あるの知ってるけど……」
千宥は少し考えながら言った。
「高宮に売ってる所なんてあるのかなあ。絢那、ちょっと欲しいかも」
「絢那はまあまあ似合いそうだけど、やっぱ、ああいうの高そうじゃね?」
茉衣子が笑い飛ばす。
「ね、ね、いくらぐらいするのかな。千宥ちゃん知ってる?」
玉井が目を輝かせる。
「し、知らないよお。天神にお店があるのは見たけど、行ったわけじゃないし。あ、そう言えば、妙子先生って、大学時代からずっとあのスタイルらしいよ」
千宥が話題をそらすように話を振った。
「妙ちゃんって大学どこなんだろう?」
玉井が首をかしげる。
「えっと、九大だったと思うけど」
妙子は九州大学理学部数学科の出身である。ちなみに、九大入学前は、まさにこの春若栄久高校にいた。
「うっそ。めっちゃ優秀じゃん」
千宥の情報に、茉衣子は身を乗り出しながら食いついた。
「妙ちゃんってさ、ウチのOGなんだろ。なんか、こういう優秀で面白い人がいるっていいよな。ウチの学校」
「妙ちゃんって何期生なんだろう」
玉井の素朴な疑問に、一瞬場が固まった。
「何期生っていうか、妙ちゃんがいくつかだよな。千宥、知ってる?」
「いやあ、それは私も知らないなあ……」
千宥は目をそらす。
「確か、大学出てすぐにここに就職したらしいけど、私のいとこもOGなんだけど、その時はまだいなかったらしいよ」
「いとこっていくつ?」
玉井がさらに聞く。
「二十五歳」
「ってことは妙ちゃんはいくつなんだよ?」
「ええっと、いとこが卒業したのが七年前で、その時にはまだいなかったんでしょ? じゃあ、そのあと二十二歳で就職したとして……」
千宥の頭の中の電卓が激しく稼働している。
「二十九歳以下だ。たぶん、二十代はほぼ確だと思うよ」
「おー……」
茉衣子と玉井が拍手する。
「でも、二十九歳かあ。絢那的にはやっぱりもっと若くあってほしいなあ」
「あくまで『以下』だけどな。でも、あれでアラサーってのも、それはそれで面白いと思うぜ」
茉衣子は笑いながら言い、三人でまた軽く笑い合った。
「次は現代文だなー……」
茉衣子は鞄から国語の現代文の教科書を取り出しながら、ぼんやりと言った。その時、教室の入り口付近から軽快な足音が響き、そこには小柄で、てっぺんにちょこんとお団子を作った新人の国語教師、北御門結唯が現れた。まだ授業開始には少し早いが、廊下を歩いているうちに気づいたようだ。彼女はちらりと教室を覗き込んだ。
「お、ゆい先生じゃん!」
茉衣子が結唯を見つけるやいなや、勢いよく立ち上がり、笑顔で駆け寄っていく。彼女は苗字が長いせいか、しばしば名前で呼ばれる。
「ちょ、ちょっと、古波蔵さん!まだ授業には早いんですけど!」
結唯は驚いて後ずさりし、少し戸惑った表情を浮かべた。
「いいじゃん、ちょっと話そうよ~。それに、ゆい先生ってほんっとにかわいいよなあ。お団子髪、超似合ってる!」
茉衣子は笑いながら、結唯の頭をじっと見つめた。髪をちょこんとまとめたお団子が目立つ。
「や、やめてよ!古波蔵さん!」
結唯はお団子を両手で押さえ、顔を真っ赤にしながら少し身を引く。
「ちょっとだけ、なでなでさせてー!かわい過ぎるんだもん!」
茉衣子は冗談交じりに手を伸ばそうとする。
「ちょっと、古波蔵さん!」
「先生、いつもお団子してるじゃん!結構長くないときちいよな。ね、髪下ろしたらどんぐらいあんの?」
茉衣子は後ろから結唯を抱き留める。
「ちょっ……。肩ぐらいまでだけど、やめて、古波蔵さん」
軽く20cm以上身長差がある茉衣子からがっちりホールドされて、結唯は逃げ場を失う。
「ねえ、ねえ、ゆい先生、その髪型って毎日してるの?どうやって結んでるの?」
追いついた玉井もにっこり笑いながら、結唯の横に回り込んで、興味津々で覗き込んだ。
「えっ、ええ……まあ、そうだけど……自分で普通にやってるだけだよ。そんなに不思議じゃないでしょ?」
結唯は少し困った顔をしながら、玉井の質問に答える。
「ゆい先生ってほんと小さいよなー。あたしの半分くらいしかないんじゃね?」
茉衣子がからかい半分で言うと、結唯はさらに焦った様子で声を上げた。
「そんなことないでしょ!ちゃんと150cm近くあるんだから!私はちゃんと大人なんだからね!」
背伸びをして抗議するが、その姿がさらに小さく見えるのは、茉衣子たちにとって愛嬌にしか見えない。
「嘘だー。絢那150cmだけど、結構差ありそうだよ?」
「そ、それは……」
うっかり見栄を張ったら、それを思わぬ方向から見破られ、143cmの結唯はたじろいだ。
「先生、かわいい~」
167cmの茉衣子は頭上から頬ずりする。
「茉衣子ちゃん。玉ちゃんまで。あんまり先生困らせないの」
千宥が苦笑いしながら二人に近づき、すかさず茉衣子の肩を軽く叩いてなだめるように声をかけた。
「茉衣子ちゃん、先生困ってるよ。少し落ち着いてあげて」
千宥が穏やかな声で茉衣子に言うと、茉衣子は仕方なさそうに手を引っ込めた。
「えー、だってゆい先生かわい過ぎるんだもん。ついちょっかい出したくなっちゃうんだよなー」
茉衣子は苦笑いしつつ、名残惜しそうに手を振り下ろした。
「ほんとだよね~。あの髪型、どうやったらそんなにかわいくなるんだろ。先生、今度教えて~!」
玉井もさらに追い打ちをかけるように、無邪気に頼んだ。
「いや、教えるって、ただ普通に結んでるだけなんだけど……」
結唯はさらに困惑した表情を浮かべ、二人の勢いにたじたじだった。
「もう、みんな本当にやめてよ……それに、そろそろ授業の時間だから……」
結唯は少し照れながらも、ちらりと時計を見て話題を切り上げようとする。
「ゆい先生、今度みんなで一緒にお昼食べようぜ!」
茉衣子は笑顔で手を振りながら提案する。
「えっ、ええ……考えとくね……。杠さん、ありがとうね」
結唯は千宥に礼を言うと、立ち直ったかのように教科書などを持ち直した。
「はいはい、わかったから。じゃあ、授業、始めるね……」
結唯は少し早足で教室に入り、教卓の前に立った。心なしかホッとした様子だ。
昼休みの時間、教室内はにぎやかな雰囲気に包まれていた。梅雨の中休み、天気のいい今日。茉衣子、千宥、玉井の三人は、中庭に繰り出した。玉井は弁当、茉衣子と千宥は購買部のパン他。それぞれ自分の食事を広げて楽しそうに話している。
「さて、お菓子パーティーでも始めるか!」
茉衣子は食事を食べ終えると、早速玉井に声をかけた。
「うん、持ってきたやつ、これ!」
玉井は鞄から、朝買ったお菓子の袋を取り出し、みんなに配り始める。
「ありがと、玉ちゃん。じゃあ、いただきます!」
千宥が丁寧に手を合わせてお菓子を一つ手に取る。茉衣子も勢いよく手を伸ばして、一緒にお菓子を食べ始めた。
「ん~、やっぱり甘いもんって最高!」
茉衣子が目を輝かせながら言うと、玉井も嬉しそうに微笑んだ。
「おいしいでしょ?この新しいやつ、すっごく話題なんだよ。昨日インスタで見つけて、欲しいって思ってたの」
玉井も得意げにお菓子を口に運びながら言った。しかし、少し経つと、玉井の表情が徐々に曇ってきた。
「あれ、なんか……お腹がちょっと……」
玉井は手を止め、顔をしかめながらお腹を押さえた。
「玉ちゃん、大丈夫?食べ過ぎちゃったんじゃない?」
千宥が心配そうに玉井の顔を覗き込む。
「うーん、そんなに食べてないと思うけど……」
玉井は苦しそうに小さくうなずいた。茉衣子も表情を曇らせながら声をかけた。
「絢那、お前大丈夫か?無理すんなよ。ちょっと保健室行った方がいいんじゃないか?」
茉衣子は心配そうに言いながら、玉井の肩に手を置いた。
「うん、そうだね……ちょっと保健室行ってみる……」
玉井はゆっくりと立ち上がったが、まだ体調が優れない様子だ。
「玉ちゃん、私、保健室に連れて行くよ」
「あたしもあたしも」
二人はすかさず声をかけた。
「ありがとう」
玉井は少し弱々しく答えた。二人は玉井を両側から支えるようにして、保健室へと向かった。
保健室の扉を開けると、養護教諭の泉先生がいた。彼女もまた今年来たばかりの新人で、噂によると結唯と同期に当たるらしい。茉衣子は、丸椅子に座り、腕の手当てを受けている男子生徒がいるのに気づいた。
「ん?健介?」
茉衣子が驚いたように声をかけると、手当てを受けていた健介は少しばつが悪そうに顔を上げた。
「なんだ、茉衣子か。食い過ぎて腹壊したか?」
「……絢那がな」
「玉井かよ、悪いものでも食ったのか?」
「ううん、いいもの」
天然なのか狙ってるのかわからない玉井の返答に健介は困惑したようだった。
「相変わらずぼんやりしてるな。……先生、ちょっと染みるかも」
健介は軽く手を振りながら、泉の方をちらりと見やった。
「ごめんね。もう終わるから。みんな大変ね。付き添いまで多くて賑やかねえ」
泉が優しく笑いながら言った。茉衣子たちがふと周りを見回すと、健介に付き添ってきた慎吾と大上の姿があった。
玉井を支えていた千宥が静かに泉先生に話しかけた。
「先生、玉井さんがちょっとお腹の調子が悪いみたいなんです」
「玉ちゃん、大丈夫?ベッドで休もうか?」
泉は心配そうに声をかけ、玉井をベッドに案内した。
「ありがと、泉先生……」
玉井は少し弱々しく笑みを浮かべながら、ベッドに横になった。玉井を見た大上は、少しそわそわしているようだった。
「絢那、大丈夫かよ?お前、甘いもん食べ過ぎたんじゃないか?」
茉衣子が隣で心配そうに玉井を見つめながら、からかうように言った。
「うーん、わかんない……。ちょっと休んだら良くなると思うけど……」
玉井は少しだけ弱った声で返事をした。
その時、大上が玉井のそばに歩み寄り、心配そうに顔を覗き込んだ。彼は言葉を選びながら静かに話しかけた。
「……玉井、本当に大丈夫か?無理するなよ。とりあえず、ちゃんと休んだ方がいい」
大上の思いがけない気づかいに、玉井は少し驚いた表情を浮かべ、大上に目を向けた。
「大上くん、ありがとう……。なんか、ちょっとびっくりしたけど、大丈夫。よくなると思う」
玉井が笑顔で答えると、大上は少し顔を赤らめたが、すぐにごまかすように頭をかいた。
「いや……まあ、その……ちゃんと休めよ」
健介はその様子を見て、薄く笑いながら横から声をかけた。
「大上、玉井には優しいんだな」
大上は健介に鋭い目線を送りながら、少し照れくさそうに反論した。
「うるさい。体調悪いんだから、心配するのが当然だ」
健介は軽く肩をすくめて笑った。
「玉井も、大上が心配してくれてんだから。滅多にないことだぞ」
ちょっと面白そうに健介は玉井に声をかける。玉井は少し照れながら大上に向かって笑顔を返した。
「うん、ほんとにありがとうね、大上くん」
大上はさらに顔を赤くしながら、視線をそらした。
「ちょっと様子を見てみようか。玉ちゃん、落ち着くまでゆっくり休んでてね。はい、健ちゃんはこれで終わりね。気をつけてね」
泉は再び健介に向き直り、優しく声をかけた。
「うん、ごめん、先生」
手当てが終わった健介はそっと立ち上がった。
「健介、お前も大変だな。何やらかしたんだ?」
茉衣子が興味津々で尋ねると、健介はめんどくさそうに答えた。
「ちょっとこけただけだよ。大上に押されたんだよ」
「押したんじゃない。当たっただけだ」
「お前の体だと当たってもえらいことになるんだよ」
「だからこうしてついてきたんだろう」
少し言い争いになっているようだ。なるほど、二メートル近くの巨体で筋骨隆々な大上に当たったら、多少の怪我を負うのは無理からぬ話である。茉衣子は大上を見上げて尋ねた。
「ふーん、大上、またデカくなったんじゃね?今何cmよ?」
「196cmだ。これでもほとんど伸びなくなった」
ここで泉は、それまで黙っていた慎吾に視線を向けた。
「そういえば、慎吾ちゃんも心配してついてきたのね」
「決まってるだろ。泉先生に会いにきたんじゃないか。この保健室にはマイナスイオンが漂ってるんだ」
「あらあ……」
泉は少し困ったように左手を頬に当てた。
「マイナスイオンって久々に聞いたぞ」
健介が静かにツッコミを入れた。
泉に見送られ、玉井を残し、五人は保健室を後にした。廊下に出ると、慎吾が口を開いた。
「健介さあ、この子たち、あれじゃん。お前がいつも仲良く登校してるあの子たちじゃん」
「別に、ついてきてるだけだよ。特にこっちのデカい方」
「あたし、古波蔵茉衣子。健介とは中学から一緒なんだ」
身長167cmと大きな茉衣子が慎吾に声をかけた。
「お、ああ。俺は朝長慎吾。健介のマブダチなんでよろしくな」
「朝長……。ああ、そうなんだな。よろしく」
茉衣子から視線をずらした慎吾は、158cmと茉衣子と比べて小柄な千宥に目をやり、話しかけた。
「あの……杠千宥ちゃんだよね?俺の名前は朝長慎吾」
「今言っただろ」
茉衣子のツッコミを横目に慎吾は続けた。
「いやー、すごいな。学年トップのアイドルとこんな地味な健介がお友達だとは」
「アイドルだなんてそんな……。慎吾くんも話題になってるよね」
千宥は柔らかな表情で慎吾を見返した。慎吾だって学年トップの成績なのは同じで、おまけに見た目にも特徴はある。名前と顔ぐらい知られていても不思議はない。しかし慎吾は、自らも認識されていたのが嬉しくなり、さらに千宥に近づく。
「え、知ってた?いや、……やっぱりすごいな、千宥ちゃんって」
慎吾がどんどん千宥に引き込まれていく様子に、茉衣子はつい口を挟んだ。
「ちょっとー、自分で話振っといて、話が千宥ばっかりってどういうことだよ?」
慎吾はハッと茉衣子の方に目を向ける。
「いや、そんなことねーよ。ちゃんと聞いてるって」
そう言いながらも、視線はどこか落ち着かず、半分はまだ千宥に持っていかれているようだった。茉衣子は少し不満そうに見つめる。
「それで、大上くんだったっけ。玉ちゃんとは知り合いなの?」
茉衣子たちの横で、千宥が大上に声をかけた。身長差37cm、かなり見上げる形だ。
「え?ああ。中学の同級生でな。健介と古波蔵もそうなんだが」
大上は少し身をかがめて答える。
「そうなんだね!私、中学が一緒の子いないから、うらやましいなあ」
大上はにこやかに対応してくれる千宥に目線を合わせるも、すぐに視線を逸らしてしまった。彼は女慣れしていない。……いや、本当は千宥が男だというのは知っているのに、なぜか気が引けてしまう。大上は声を上ずらせながらなんとか続ける。
「古波蔵と玉井なら間違いはない。仲良くしてもらえていて何よりだ」
しばらくして、それぞれの教室が近づいてきた。
「じゃ、またな」
慎吾が軽く手を振り、茉衣子と千宥も挨拶を交わして別れた。
教室に戻り、二人は席に着くと、茉衣子がすぐに慎吾の話を始めた。
「なあ、千宥。さっきの慎吾ってやつ、なんかちょっとヤだったんだよな」
茉衣子が少しムッとした表情で言うと、千宥はくすっと笑って肩をすくめた。
「そうだったの?ちょっとワルそうに見えたけど、気さくで話しやすい子だと思ったけどなあ」
千宥は優しくなだめるように言いながら、慎吾の態度を思い出して微笑んだ。
「そう?あたしに話しかけといて、結局お前に夢中だったじゃん?あいつ、あたしら両方に話振っといて、なんか途中から放置されたみたいでさ」
茉衣子が不満げに言い、軽く息を吐く。
「まあ、私のこと、そんなに知ってくれてたのは意外だったけどね。でも、慎吾くんには悪気はないと思うよ?」
千宥がさりげなくフォローした。そして、話題が次に移った。
「あの大上くんって子も、茉衣子ちゃんの中学の同級生だったんだよね?落ち着いてて、優しそうな子だったね」
千宥がそう感想を言うと、茉衣子は小さくうなずいた。
「そうそう、すげえデカくて見た目めっちゃ怖いけど、根は優しいんだよな。でさ……」
ここで茉衣子は小声になり、千宥に耳打ちするように続けた。
「たぶんだけど、絢那にホレてると思うんだよ。見てて面白いぜ。絢那はド天然だから全く気付いてないっぽいけど」
茉衣子は少し楽しそうに言いながら、千宥と視線を交わした。
「そうだったんだ。玉ちゃんに……。それで心配そうにしてたんだね。大上くん、少し照れてたし、なんだか可愛らしいね」
千宥が穏やかに笑うと、茉衣子もつられて笑顔を見せた。
一方で男子側も、二人と別れた後、教室まで歩きつつ、感想を言い合っていた。
「いやあ、千宥ちゃんって、やっぱ噂通りだな。見た目も頭もいいし、話しててもなんかすげえ感じがいいっていうかさ」
健介が口を挟んだ。
「なんか、すごいお熱って感じだな。本当の女の子をナンパしてるみたいだった」
「もうさ、なぜかわかんないけど、元の性別がどうでも、あの子なら許せる気がするわ。俺、千宥ちゃんのちんこだったら、喜んでしゃぶれる」
「……変なこと言うなよ」
健介が顔をしかめた。
「いや、本当に男の本能をくすぐるのよ。あれはヤバい。なあ、大上」
大体こういう時に自らコメントしない寡黙な大上は、慎吾に促されて口を開いた。
「しゃぶるのは無理だが、女子と話してる感じだけは、本当に感じる。少なくとも古波蔵より緊張する」
「あれはもう、半分女捨ててるから。なあ、慎吾」
健介はそう言ってみせる。健介の中では本音だ。女の子らしい子が好みだと聞いている慎吾なら、茉衣子なら対象外だろう。実際、さっき健介が見た限り、茉衣子のことはあまり気にかけていなかったようだし。そう思って話を振った健介だが、慎吾は少し照れくさそうに笑った。
「いや、そうでもないんじゃない?茉衣子ちゃんってさ。……元気過ぎるかもしれないけど、面白い子じゃん。ああいう、元気娘っていいと思うけどな」
その一言に、健介は少し驚いた顔を見せる。
「へえ、意外だな。絶対、千宥みたいなおしとやかなのがタイプだと思ってたから」
「確かにな。ああいう大和撫子タイプは確かに最高だ。あの子は撫子じゃなくてイヌノフグリかもしれんけど」
ちょくちょく下ネタを挟んでくる。
「けど、花で言うとひまわりって感じな子も、それはそれでいいじゃないか。撫子だけが女の子じゃないんだぜ。それにさ、甘党が辛い物を好きで何がイケないってことだよ。両方によさがあるんだから」
健介は、たとえ話ばかりで頭が混乱してきた。最終的に、タイプが違えどそれぞれに良さがある、という意味だとなんとなく解釈はしたが。
「古波蔵は見た目は豪快だが、ああ見えて女の子らしさが所々ににじみ出るタイプだ」
続いて大上が茉衣子についてコメントした。
「そうかなあ……」
健介は今一つ納得できないようだ。
「ああ。千宥ちゃんにしろ、茉衣子ちゃんにしろ、この学校は美女であふれてるんだ」
慎吾が力説する。
「でも慎吾の一番の理想は……」
健介はネタ振りかのごとく言う。
「そりゃ、泉先生だろ。泉先生が最強だろ。なんか、こう、優しいお姉さんって感じだよな。めっちゃおっとりしててさ。俺、保健室通いが増えそうだわ」
慎吾のテンションが俄然上がる。
「健介、お前、昔から知り合いなんじゃなかったか?だいぶ信頼されてる感じだったな」
大上の質問に、健介は少しだけ頷きながら、小さな声で返した。
「まあ、姉貴の大親友だからな。幼稚園から二十年近くのな。実はこないだも、うちに来たんだ」
「な、なにー!!」
慎吾がその言葉に即座に反応した。
「お前、そんなうらやましいことになってるのか。俺も呼べよ」
「別に、来たってそんないいこともないよ。来たら来たで、あの調子で弟扱いだよ」
健介は自分自身が慎吾のスイッチを押してしまったことに気づき、面倒くさそうに眉をひそめる。
「だってさあ。七、八歳ぐらい年上だろ、確か。そりゃ、弟扱いもされるだろ。いいじゃないか、ああいうお姉さまに甘えたいよ。弟みたいに頭よしよしされたいよ、俺は。健介、泉先生は今度いつ来るんだ。俺も呼べよ」
「俺が知るわけないだろう……。あと別によしよしされねえ……」
「じゃあ、泉先生に会えるまでお前んちに張り込むわ」
「やめろ、お前を住まわせる部屋はねえぞ、マジで」
このまま泉の話題を続けられたら厄介だと思い、健介は話を逸らすことにした。
「慎吾さ、そういや、お前的には妙ちゃんってどうなんだ?あれこそ、他にないタイプの人だろ」
慎吾は少し考え込むようにしながら話し始めた。
「妙ちゃんか……あれもすごいよな。授業って感じじゃなくて、なんていうか、イベントとかライブとかにいる人みたいだよな」
健介は慎吾の意外な反応に笑いながら、少しからかうように言った。
「慎吾、でもそういうキラキラ系好きなんじゃなかったか?」
「いや、まあ嫌いじゃねえけど……妙ちゃんまで行くと結構年増だろう。よく知らんけど、多分アラサーな感じはするんだよな」
「確かに、ウチの姉貴と泉さんがいたときから先生してるから、それぐらいだわ」
健介の姉である有希乃と泉はともに二十二歳であるため、先ほどの千宥の計算を加味すると、二十代後半ではあるようだ。
「それと、何考えてるか正直わかんねえしな。でも、確かにレア物っぽさはあるけどな」
慎吾がそう言いながら少し首をかしげていると、大上が今度は結唯について話し始めた。
「北御門先生みたいな、穏やかで落ち着いた人もいいよな。あの小柄なところもまたかわいいし」
慎吾が少し呆れたような顔をして、大上に突っ込みを入れた。
「大上、お前ってほんと、控えめでかわいい子が好きなんだな。申し訳ねえけど、ゆい先生までいくと、俺にはちょっと子供っぽすぎるんだよな。もっと泉先生くらいの包容力があると……って、健介、なんで笑ってんだよ!」
「いや、お前ら、基準がはっきりしてて面白いなと思ってさ」
「まあ、そういうわけだよ。俺がこの学校に入学してよかったと思ってるのは、生徒も先生もレベルが高えってこった」
慎吾がまとめるように言った。
「どういうわけかはわからんけど、お前、やっぱりそこはぶれないんだな。それが長距離通学してまで通う理由か」
「いんや、それは公立に落ちたからだけど。けど落ちてよかったわ」
慎吾は笑い飛ばすのであった。




