第46話 姉とチーアネの新メンバー
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有希乃が暫く出ていないことに気づいたので、チーアネの新入りと絡ませてみました。
しれっと触れていますが、「対州亭」は大衆食堂のシャレです。
六月後半のある土曜日のことだった。樋口健介が自室から出てくると、いつの間にか帰ってきていた姉・有希乃がそのままの服装でソファにうつぶせで倒れていた。下着姿でないのは心底よかったと思うが、どういうわけなのだろうか。ちなみに、今日はデートだと聞いていたのだが。
「どうした。振られたか?」
「……振った」
うつ伏せになったまま、こもった声で返事が来た。
「振った方が何でそんなに死んでるんだよ」
「言う方も疲れるんだよ。あんたにはわからんだろうけど」
「まあな」
……と言いつつも、健介は二年前、中学の同級生で、何かにつけてしつこく絡んできていた古波蔵茉衣子を引き離すためにキレた後、かなり精神的に参った覚えはあるので、なんかわかる。面倒なので有希乃には言わないが。
さて、有希乃は一年前の時点でも彼氏がいて、その彼氏は一年ほど付き合った後に、ちょうど一年前に振ったのだ。それ以降、しばらくフリーだったが、確か、四月ぐらいに新しい彼氏ができたのだ。それ以降、よく出かけたり、明らかに外泊が増えたことに関して、健介は何とも言えない思いがあるが、何とか気持ちを押し込める。確実に言えるのは、今回の彼氏は二か月しか保たなかった、ということぐらいだ。
「何があったんだよ……」
「あんたに話せる話じゃないよ。それでも聞きたいか?」
「結構です」
今回は当人からのアラートがあったので、従う。本来、多少下世話な話は健介の前でも平気でするほどなので、有希乃当人が言わないということは、相当な何かがあったに違いない。
「ごめんけど、今日は飯作る気力ないわ」
姉弟二人暮らしの樋口家では、家事は当番制だ。
「……まあ、いいんだけど。姉ちゃんが飯代おごってくれるなら」
「もう、なんでもいい。しばらく出費も落ちるし」
有希乃は仰向けに寝がえりはしたが、もうグダグダである。その時、部屋のどこかからブーン、ブーン、という音が聞こえる。スマホの音らしい。
「誰?電話?」
「にしては音が不規則じゃないか?」
電話よりは、メッセージが立て続けに来ている印象だった。
「姉ちゃんじゃないの?」
「あたしのスマホ、ポッケだけど。健介のでしょ?」
「俺にそんなLINE来るか?」
そう言いつつ、健介はテーブルに置いていたスマホを掴む。ああ、来てるわ。健介は苦笑した。「チーム☆アネックス」と題されたグループからメッセージが数件来ている。
「チーアネでしょ」
「チーアネだよ。……なんだ、チーアネって」
健介はノリツッコミをする。
「チーム・アネックスの略じゃん。わかるでしょ」
「初めて聞いたよ」
ついにチーム・アネックスも略されるようになったか。健介は苦笑しつつトークルームを開き、一応、最初から読む。
杠千宥『突然ごめんね。今日、なべや行くんだけど、来たい人いますか?』
おこのみ対州なべやは、健介のクラスメイトである渡辺啓太郎の家族がやっているお好み焼き屋である。千宥がお好み焼きか。珍しいな。
Shingo Tomonaga『唐突だな。どしたん?』
杠千宥『美佳ちゃん、お好み焼き食べたことないんだって。ちょっと行くことにしたの』
ともながひなひ『美佳、お好み焼き食べたことないんだw。お嬢様はそんなド庶民の食べ物馴染みないかー』
美佳『別に、機会がなかっただけよ。普通にカップ麺だって頂くのよ?』
何故か張り合う、このアパートにいるのが不自然な深窓の令嬢・新宮領美佳。今のところ、返信があったのは、美佳を除けば朝長慎吾と雛灯の双子だけのようだ。
Shingo Tomonaga『めっちゃ行きたいけど悪い、今日家族で飯行くことになった』
ともながひなひ『そーゆーわけで、わたしもごめん』
いや行けないんかい。健介は苦笑した。
杠千宥『そっかー』
ここで、千宥は一旦『OK』のスタンプを送っている。
杠千宥『茉衣子ちゃん、玉ちゃん、健ちゃんは?』
あやな『ごめんねー。普通にもうママがご飯作ってる。また今度行こうね』
この玉井絢那のメッセージが来たのが二分前。古波蔵茉衣子が返事していないのが妙だ。
健介が思い出すのが年末だ。今や慎吾と交際している茉衣子だが、その少し前まで犬猿の仲であった。基本的に茉衣子が一方的に慎吾を嫌っていたのだが、玉井主催のクリスマス会の返事を全員が続々返す中、いつも返信の早い茉衣子が碌な返事をしなかったのだ。……もしかして、慎吾と喧嘩したか?いや、考え過ぎか。それよりは、俺も何か返さないと。健介はそう思い立ち、有希乃に声をかける。
「俺さ、お好み焼き屋誘われたから行くわ。飯いいよ」
「は?!お好み焼き?どこよ」
「商店街の。言ったろ。俺の友達んちだって」
「あー、元『対州亭』の?」
元は渡辺の母方の祖父がやっていた定食屋を改装しているため、地元民は元の店をよく知っている。
「あたしも普通に行きたいんだけど?」
「……え?」
またそんな面倒くさいことを言う。健介はため息をつく。まあ、一応言われたので伝えるか。
樋口健介『ごめん。姉貴が来たいとか言ってる。何とか言って断るけど』
杠千宥『え?いやいや、全然いいよ。従姉もくるし』
千宥は、十歳上の従姉、田中丸鈴蘭と同居している。要は事実上の保護者である。
樋口健介『鈴蘭さんね。わかった。じゃあ、ごめん、お世話になります』
杠千宥『私、二生、従姉、美佳ちゃん、健ちゃん、ゆきのさんの6人ね。あと、茉衣子ちゃんはどうだろ?』
千宥がまとめる。ここまで話題に出ていなかったが、千宥の妹、二生も来るらしい。
「いいって。千宥と二生ちゃん、美佳さんと、あと鈴蘭さんも来るって」
「めっちゃ異色の面子じゃん!美佳ちゃんってあのお嬢だよね?妹ちゃんもまだあんま絡んでないから楽しみだ!やっば、ショック吹っ飛ぶわ」
さっきまでの陰鬱モードはどこへやら、ご機嫌だ。
「迷惑かけるなよ」
健介は顔をしかめる。
「いいじゃん。チーアネとは仲良くなっとかなきゃ。お嬢と妹ちゃんはどんな子?」
「美佳さんはお嬢様だけど、話したら全然仲良くなってくれる。逆に、二生ちゃんはめちゃくちゃ人見知りだから、あんまりガンガンいかないでやってほしい。茉衣子と慎吾はそれでシクりかけてるから」
「そっか。確かにチーアネにはあんまりいないタイプだけどね。いい子なんでしょ?千宥ちゃんの妹なんだから」
「それはもちろん」
「なら問題なし」
大丈夫かな。まあ、なんとかなればいいか。そう思ったところで、もう一度スマホが鳴る。
古波蔵茉衣子『悪い、見てなかった。あたしも用事あって行けねえ』
あ、単純に見てなかっただけか。珍しい。慎吾と喧嘩したわけではない……のか?
美佳『茉衣子も用事なのね。慎吾くんちとご飯行くわけじゃないわよね(笑)』
美佳も、恐らく冗談のつもりだったんだろう。すると、茉衣子から『おおおおおおお!!』というスタンプが来た。
古波蔵茉衣子『みか!よくわかったな。慎吾のママがおいでって!』
いや、喧嘩どころか……!
美佳『あらそうなの(笑)、お幸せにねー』
古波蔵茉衣子『おうよ!なべやなんだな。サラのやつ、悔しがってるぜ。こいつも連れてくからさあ』
健介は苦笑する。茉衣子の五歳年下、小学六年生の姪、古波蔵紗莱は渡辺啓太郎に本気で惚れている。そして、小学生女子のガチ惚れに、渡辺は絶賛困惑中である。ナベ、助かったな。健介は苦笑した。
杠千宥『じゃあ、6時15分に、下に集合で!』
ここでトークが終わった。
集合時間の六時十五分。全員が早め行動だったため、もはやほぼ六時十分だったが、アネックス久世のエントランス。樋口健介と有希乃、杠千宥と二生、そして新宮領美佳の姿があった。なお、田中丸鈴蘭は遅刻で、「なべや」のすぐそこにある職場から直接来て合流するらしい。
「おー、噂のお嬢様だ。すげー、めっちゃゴージャスだ。なんかオーラがゴージャス」
有希乃は美佳に大興奮だ。
「初めまして。お会いできて光栄ですわ。お姉さまのことは健介くんから伺っておりますわ」
美佳はただの社交辞令として言ったつもりである。
「健介、あんた何か変な話してない?」
「してねーよ」
健介は顔をしかめる。
「まあいいや。……お、でこっちが噂の妹ちゃんか!わー、千宥ちゃんそっくり」
「ひっ」
有希乃は感動しているが、当の二生はたじろぐ。相変わらずの人見知りぶりだ。
「こ、こんにちは」
「うんうん、こんにちは。怖がらなくていいよ。健介のお姉ちゃんだから」
「は、はあ……」
二生は若干の男性恐怖症のケがあるので、健介の名前を出してもあまり安心材料にならない気がするが……。健介は顔をしかめる。
「まあ、とりあえず、お店、行こ。お好み焼き、食べるよ!んでもって、あたしは飲むよ。鈴蘭さんしか飲み相手いないけど」
何故か有希乃が仕切る。
「あ、すみません、従姉、下戸なんです……」
千宥が言う。
「あー、そうなんか。ま、ゆーて一人でも飲むけどね?あたし」
有希乃が笑う。健介が頭を押さえる。
大門商店街は高宮市春若町の中心部、アネックスから徒歩十数分という立地だ。健介、千宥、美佳、二生、そして有希乃。有希乃だけが圧倒的に騒がしい。
「ねえねえ、東京から来たんでしょ?こっちめっちゃ田舎でしょ?こんな感じでさ」
梅雨の真っただ中、曇りではあるが雨は降らない予報なので、徒歩で店に向かう。久世二丁目のいかにもな「地方都市郊外の古い集落」の町並みを手で指しながら問う。
「地元とはかなり違いますが、とても住みやすい場所だと思いますわ」
美佳に話しかけたかと思えば、今度は二生だ。
「ごめんね、ウチの弟、怖いでしょ?あたしは何でも言ってもらっていいからね」
「あ、いえ、そんなこと……」
今怖いのは初対面でズケズケ来るお前だ……。健介は言ってやりたかったが、もう少し様子を見ることにした。そして、気づけば二生をも離れ、千宥と何か話し始めた。さっきまでより小さな声で、何を言っているかは聞こえない。
「そ、そうなんですか?……はい。合ってます。大丈夫です。ここにいる人たちは知ってるんで」
なんだ?健介は首をかしげる。ただ、今、千宥にこっそり聞かなければならないことは、おおよそ決まっている。千宥の反応に矛盾はない。一通り話し終えたところで、健介は有希乃に聞いた。
「千宥に何聞いた?」
「ん?ホルモンかなんかしてる?って。あんたも知ってるんでしょ」
やっぱりか。健介はため息をつきつつ頷いた。
「俺は知ってるけど、店であんまり言うなよ。ナベとか、普通に知らないんだから」
「大丈夫だって」
しかし、これから有希乃はほぼ確実に酒が入る。健介は心配でならなかった。
大門商店街、「おこのみ対州なべや」。ここはほんの数か月前まで、「対州亭」という名前の定食屋、まさに大衆食堂といった雰囲気だった(もっとも、店名の由来は大将の苗字である「対馬」が由来なのだが)。その店主の対馬が高齢を理由に引退し、娘婿の渡辺信司に譲って開業したのがこの店である。大阪育ちの婿が脱サラして、夢だったお好み焼き屋にしたわけで、それに巻き込まれて春若栄久高校に転校したのが、現在健介のクラスメイトの渡辺啓太郎というわけである。
店のドアを開けると、「いらっしゃいませー!」という声が響いた。駆け寄ってきたのはまさに渡辺啓太郎だった。
「杠さん。時間ぴったしやな」
「こんばんは、渡辺くん」
杠の名前で予約していたらしく、渡辺は真っ先に千宥のもとに駆け寄る。
「……ん?なんや、健介までおるんかいな」
「いて悪いか」
健介は顔をしかめる。
「いや、杠様で六名なんやけど、どの面子やろ?って思ってたからな。あのアパートの連中六名かと思ったら、微妙にちゃうな。茉衣子とか慎吾とかおれへんし」
「サラちゃんもいないからな」
「おらんでええわ、あんなん」
冷やかすように言う健介に、渡辺が吐き捨てるように返す。
「まあ、見た瞬間、ほっとしたようには見えたぞ」
「……わかるか?ベタベタされたらどうしようか、ってな」
「啓太郎!モタモタせんとはよ席に通し!」
後ろから渡辺の母、恭子の声が飛ぶ。
「わかっとるわ!……すんまへん。あっこの座敷用意してるんで、どうぞ」
恭子に怒鳴り返した渡辺は奥の方を指さす。
「ツッコミどころ多いメンバーやから、またあとで行くわ」
「別にいいよ、突っ込まなくて」
健介にだけ聞こえるように言う。
「じゃあ、美佳さんも、ゆっくりしてってな」
「あら、ありがとう」
ひとまず面識のある美佳にだけは一声かけて、渡辺は去って行った。
座席につく。奥側が千宥、二生、そして手前に美佳、健介、有希乃と並ぶ。二生の隣は遅刻してくる鈴蘭の席だ。早速メニューとにらめっこする。色々あって悩む。
「健ちゃん、初めてだっけ?」
千宥が尋ねる。
「ああ、美佳さん、初めてって言ったけど、俺も、ゆーてそんなに店でお好み焼き食ったことない」
「確かにね。ウチじゃ行かんかったか。あたしは大学以降、友達と何回か行ってるけどね」
有希乃がコメントする。
「千宥はあるの?」
健介が尋ねる。
「うん、リリーベルの人たちと行ってるから、きょうで三回目。一回は二生も来たもんね?」
二生がこくこくと頷く。リリーベルとは鈴蘭が経営するブティック兼雑貨店である。このなべやの四軒隣である。
「私、餅チーズね」
千宥がさっそく決める。
「早いなあ」
健介が漏らす。
「私は、いかで……」
二生も早速注文する。
「今、鈴蘭さんから連絡来てね。あと十分で着くから、モダン焼き頼んでてってきた」
「杠家、早すぎん?慣れ過ぎじゃね?」
有希乃が笑う。ちなみに、鈴蘭は杠ではなく田中丸である。
「おう、決まったか?健介」
渡辺が顔を出す。
「決まってないけど。お前、あんまり油売ってたら、またおかんに怒られるんじゃないのか?」
「まあええやないか。ダチが来た言うたら、ちょっと相手してやり言われたんや」
「渡辺くん、こっち三人は餅チーズ、いか、モダン焼きね。ここには従姉がもうすぐ来るから」
横から千宥が注文する。
「あー、リリーベルの店長さんやな。で、健介に美佳さんは?ほんで、この別嬪さんはどちら様?」
渡辺が有希乃を手で指す。
「別嬪ではないと思うが俺の姉貴……いてて」
有希乃が健介の頬をつねる。
「初めまして。健介の姉です。啓ちゃんだっけ?色々聞いてるよ。サラちゃんとお幸せにね」
有希乃はちょっとだけ意地悪そうに微笑む。ちなみに、渡辺を啓ちゃんと呼ぶのはサラぐらいである。
「おま、健介、余計なこと言うなや」
渡辺は注文用紙の板で健介の頭を軽くはたく。
「俺じゃねえ。どうせ茉衣子だろ」
「どっちでもええねん。……まあええわ。メニュー決まらへんの?」
「ここ三人、初だからな。俺はお好み焼き屋もほとんど初めてだし、美佳さんはお好み焼き自体が初めてらしい」
「そうなん?美佳さん」
渡辺は目を丸くする。
「まあ、ほぼそうね。渡辺くんのおすすめでいい?私はわからないわ」
「俺もおとんが店やるまでそんな食わへんかったんやけど、ミックスとかどうや?色々入ってて楽しめるで。好き嫌いあんねんなら、適宜抜くけど?」
「いいえ、大丈夫よ」
美佳が微笑む。
「ナベ、俺のも決めてくれ」
健介が申し出る。
「お前のはどうでもええねんけどな。無難に豚玉とかええんちゃう?あ、お前キムチ好きか?」
「そこそこだが」
「キムチトッピングとかどうや?豚キム、俺は好きやで」
「……ちょっと癖あるけど、まあいいや」
「ねえねえ、啓ちゃん。あたし、すじこんでいい?前に別のお店で食べておいしかったんだ」
有希乃は自分で決めたようである。
「ああ?……ええと思いますよ。あ、お酒飲みます?」
どうやら呼称が「啓ちゃん」で固定したらしく、渡辺はややどぎまぎしていた。おそらく、二十代前半というかなりいい年頃のお姉さんからこんな親しげな呼ばれ方をしたことがないのだろう。
「それはもちのろんで。生お願いします」
「オッケーです。みんなは飲み物は?」
有希乃以外はジュースやウーロン茶を注文し、渡辺は多少照れが見え隠れしながら去っていった。丁度、客足が落ち着いたタイミングだったのだろう。しかし、渡辺が注文を取り終えた途端、次々と客が入り始め、店内は一気に慌ただしくなった。
数分後、まず、飲み物が先に来た。ちなみに、渡辺ではなく一般のバイトの女性である。絡みたがりモード発動中の有希乃が聞いたところによれば、高宮大学一年生らしい。
「鈴蘭さん、もうちょっとかな?」
健介が漏らす。
「あ、もう三分ぐらいだけど、乾杯してて、って。鈴蘭さんもウーロン茶とかだし」
「そっか。ごめんけど、やっちゃおうか」
まだ飲む前からこのテンションで、健介は隣で見ていて頭が痛くなってきた。でもまあ、鈴蘭さんが言うなら……と心を落ち着ける。
「じゃあ、このフルハウスだかフォーカードだかわかんない会に、カンパーイ!」
「カンパーイ!」
ポーカーに例えたらしいが、どうフルハウスなのがいまいちわからず、健介は口上を聞きつつ首をかしげていた。「チーム・アネックス」をまとめるならフォーカードという考え方はあるが。ちなみに、健介は、樋口家・杠家のツーペアだと考えた。
そんなことを考えていると、有希乃はもうジョッキの三分の二ぐらいを飲み干していた。
「あー、やば。生き返る。もう、今日のこと全部忘れていい!」
「姉ちゃん、ペース早すぎるぞ」
健介はあきれる。
「有希乃さん、何かあったんですか?」
千宥が苦笑しつつ聞く。
「失恋よ、失恋。二か月付き合った彼と別れた」
「あ、ああ……」
千宥が苦笑しつつ黙り込んだ。二生もおろおろしている。
「いいんだよ。振ったの、あたしだし。あんたたちみんな若いからわからんだろうけど、そんなもんよ。どうしても、この人と今後生活できるか?がチラつくもんなの」
そう力説していたところで、奥の方から声がした。
「ごめんごめん、思ったよか遅くなった!」
仕事帰りの鈴蘭である。
「あ、良かった、鈴蘭さん、お疲れ様」
「……お疲れ様」
「ごきげんよう、鈴蘭さん。お待ちしておりましたわ」
「どうも」
口々に挨拶する。
「鈴蘭パイセン!まじでもうタッチの差っすよ。二、三分前だよ?乾杯」
「そっか、ゆきちゃん、早速めっちゃいい飲みっぷりだね」
従妹たちと比べて素直に有希乃の酒豪ぶりを受け入れている。健介はふと隣を見ると、美佳は現時点で、淑やかにジンジャーエールを飲んでいる。……紅茶ならサマになるのにと、健介はどうしても思わずにいられない。
しばらくして、店員が大きなヘラを片手にやって来た。さっきとは違う男性のバイトだ。
「失礼しまーす」
焼き場で焼き上げられたお好み焼きが、客席中央の鉄板へ次々と移される。ジュッ、と鉄板が小さく鳴る。ソースの香りが一段と立ち、青のりと湯気がふわりと漂った。
「餅チーズ玉です。こちら、いか玉、ミックス玉、豚玉キムチトッピング、すじこん玉になります。モダン焼きはもう少々お待ちください」
店員が一礼して去っていく。
「さあ、食べようか」
鈴蘭が笑う。
「鉄板の上だから、ずっと温かいんだよ」
「なるほど」
美佳は小さく頷き、ヘラを手に取った。
「切るの、難しいですわね」
「あはは。慣れだよ。使いにくいなら箸でもいいんじゃない?」
有希乃が笑う。美佳は一度ヘラを置き、箸で一口大に切り分ける。
「いただきます」
口に運び、少しだけ目を丸くした。
「……思っていたより、ずっと軽いのですね」
「もっと重たい食べ物だと思ってた?」
千宥が尋ねる。
「ええ。粉ものですから、もっとどっしりしているのかと」
「店によって全然違うよ」
鈴蘭がモダン焼きを待ちながら言う。
「ここは結構ふんわり系だね」
「なるほど……」
美佳はもう一口食べる。
「なんだかわかるわ。ここが繁盛してるの」
そうつぶやくのを聞いて、千宥が微笑む。隣では、二生がいか玉を小さく切っていた。
「熱くない?」
千宥が小声で聞く。
「……うん」
「結構ボリューミーだね。食べられる?」
「大丈夫」
返事は短い。それでも、さっきより声は少しだけ柔らかかった。
「二生ちゃん、あれなら健介が食うから大丈夫よ」
有希乃が口を挟む。
「……俺かよ」
「この中だとあんたが一番食うでしょ。高校生男子なんだからさ、仮にも」
「仮にもは余計だよ」
「ゆきちゃん、一番食べるの、あたしかも」
鈴蘭が横から口を挟む。
「鈴蘭さん、もー、ダイエットしてるんでしょ?千宥ちゃんから聞いたんすよ?」
「いいじゃん、チートデー、チートデー」
そう笑ってみせる鈴蘭。
「絶対違うでしょ!」
有希乃が笑う。
「もうお腹減ってるから今何でも食べられる気分」
「鈴蘭さん、もうすぐだから」
千宥が苦笑する。鈴蘭のモダン焼きだけまだなのだ。
「お待たせしました」
噂をすれば何とやらで、今モダン焼きが運ばれてきた。今度は渡辺だ。
「きたきた!」
鈴蘭の前へ置かれたそれを見て、美佳が首をかしげる。
「あら、お好み焼きとは違うのですか?」
「中に焼きそばが入ってるんだよ」
鈴蘭が断面を少し持ち上げて見せる。
「大阪では定番やで」
渡辺が言う。
「広島のとどう違うんだ?」
健介がぼそりと漏らす。広島風お好み焼きに焼きそばを使うのは知っているらしい。
「焼きそば入っとったら全部広島やと思うなや。広島のとは違うて、なんというか、ちゃうねん。……まあ細かいことは、おとんに聞け」
力説しようとした渡辺だが、結局説明はできないらしい。
「あはは、広島のことは流石に詳しくないか」
有希乃がビールを一口飲みながら笑った。
「すんません」
渡辺は悔しそうに言い残し、座敷を後にした。
「そういえば」
鈴蘭がふと有希乃を見る。
「ゆきちゃんさ、さっき失恋したって聞いたけど、大丈夫なの?」
「んー……」
有希乃は酒の入ったコップを眺める。
「ショックはショックっすよ」
さっきまでの軽い調子とは少し違う。
「でもね、好きだけじゃ生活できないんだなって思っちゃった。鈴蘭さん、わかんない?」
「まあ、わかる。あたしは二年ぐらい彼氏おらんけど、元彼、結婚した途端、こいつ息子になるぞって思った」
「わかるー!」
大人二人がキャッキャと盛り上がる。健介は気まずそうに目を逸らす。
「生活、ですか」
美佳が静かに反応する。
「うん」
有希乃は苦笑した。
「付き合ってるときって、デートは楽しいじゃん。でも、結婚って毎日だからさ」
コップを軽く回す。
「この人と毎日同じ家で暮らせるかなって考えたら、急に答えが出ちゃった」
鈴蘭は否定も肯定もしなかった。
「そういう理由で別れる人、結構いるよ」
ただ、それだけ言う。
「そっすね」
健介は豚玉を切りながら思う。この二人は年齢も近い。高校生にはまだ遠い話でも、二人にとっては現実なのだろう。
「……まあ、ほんとに色々あるのよ?生活だけじゃなくてね」
「何があったんですの?」
美佳が首を傾げる。
「まあ、そうだなあ。なんというか、生活は生活でも、立心偏がつく感じの?」
さらりという有希乃に、二生が「ひっ」と声を上げたじろぐ。
「やめろ」
二生を横目に、健介は隣に座る姉を睨む。
「やっぱり酔い回ってるだろ。言ったのに……」
健介は確かにさっき釘を刺したはずである。
「ご、ごめんなさい……」
何故か二生が謝った。
「ああ、二生ちゃんは悪くないよ」
健介が慌てて言う。
「有希乃さん、ちょっと酔ってるだけだから」
千宥がすぐに妹の肩へ手を添える。
「ちょっとじゃないだろ」
健介は顔をしかめつつ、有希乃の前にあるコップを見る。最初ビールを飲み、その後焼酎に変えたが、いつの間にかそれだけで三杯目らしく、それもほとんど空になっている。昼間から何も食べていなかったのか、普段より回りが早いらしい。
「ゆきちゃん、水も飲んだ方がいいよ」
鈴蘭が言う。
「飲んでるって。これにも水入ってるし」
酒のコップを指さす。
「そういうことじゃないよ」
鈴蘭は苦笑しながら呼び出しボタンを押した。有希乃は口を尖らせたものの、それ以上は反論しなかった。代わりに、箸で残り少なくなった焼きそばをつつく。
「……でもさ」
声が、少し低くなる。
「別に、嫌いじゃなかったんだよ」
誰もすぐには返事をしなかった。
「むしろ、結構好きだった。優しかったし、楽しかったし。だから二か月も毎週会ってたんだし」
「うん」
鈴蘭だけが静かに相槌を打つ。
「でも、無理なもんは無理じゃん」
有希乃は笑おうとしたらしい。けれど、口元がわずかに引きつっただけだった。
「こっちが我慢すれば続くんだよ。あたしが気にしなければいいだけなの。別に悪いことしてるわけじゃないし、悪い人でもないし」
「姉ちゃん」
健介は声を落とした。
「もう、その辺にしとけ」
「何よ。あんたが聞いたんでしょ」
「家で聞いた時は話せないって言っただろ」
「今は話せる気がするの」
「話すな。聞かされる弟の身にもなれ」
有希乃が健介を見る。表情を変えず、淡々とお好み焼きをつついていた。
「……あたしが悪いのかな」
その言葉だけは、やけに小さかった。健介は黙った。判断材料がない。そもそも弟に聞く話でもない。けれど、正論を返せば済む場面ではないことぐらいは分かった。
「……難しいですわね」
静かに口を開いたのは美佳だった。
「私には、まだ分からないことばかりです」
有希乃が顔を上げる。
「好きな方とお別れするということも、その理由も」
一度言葉を切る。
「ですから、有希乃さんが悪いとも、悪くないとも、私には申し上げられません」
「美佳ちゃん……」
「ですが」
美佳は少しだけ微笑んだ。
「その方を大切に思っていたからこそ、おつらいのでしょう?」
有希乃は答えない。
代わりに、小さく鼻をすすった。
「……そっか」
有希乃は俯いた。
「そうだよね。そうなんだよ」
そこで、ぽたり、と鉄板の脇に何かが落ちた。
「姉ちゃん?」
「泣いてない」
「聞いてない」
「泣いてないってば」
明らかに泣いていた。二生が困ったように有希乃を見つめている。その視線に気づいたのか、有希乃は慌てて顔を拭った。
「ごめんね、二生ちゃん。怖いよね。初対面のおばさんが酔っ払って泣いてて」
先日二十四歳になった有希乃が言う。
「おばさんでは……」
二生が小さく答える。
「え?」
「まだ、おばさんじゃないと思います」
有希乃は何度か瞬きをした。
「二生ちゃん……!」
「ひっ」
勢いよく身を乗り出され、二生は千宥の方へ逃げた。
「だからガンガン行くなって言っただろ」
健介が有希乃を小突く。
「だって、優しくしてくれたから!」
「二生、大丈夫だよ」
千宥は妹を自分の側へ寄せながら、有希乃には困ったように笑いかける。
「有希乃さんも、今日はもうお酒やめましょうね」
「千宥ちゃんまで子供扱いする……」
「今の有希乃さんは、ちょっとだけ」
「ちょっとだけ何?」
「面倒くさいです」
千宥が珍しく言い切った。一瞬の沈黙のあと、鈴蘭が噴き出した。美佳も口元を押さえる。健介も否定する気にはなれなかった。
「千宥ちゃん、そんなこと言う子だったっけ……」
有希乃はますます情けない顔になった。
そこへ、水の入ったグラスが運ばれてくる。
「お待たせしました」
「あ、どうも……」
鈴蘭が受け取り、有希乃の前へ置いた。
「はい。全部飲んで」
「鈴蘭さんまで冷たい」
「優しいから水を頼んだんだよ」
有希乃は渋々グラスを手に取った。その頃には、店内の客も少しずつ減り始めていた。先ほどまでひっきりなしに響いていた注文の声も落ち着き、空いた鉄板を片づける音の方が目立つようになっている。六人の前のお好み焼きも、ほとんど残っていなかった。鈴蘭だけは遅れて来たにもかかわらず、モダン焼きの最後の一切れを平然と口へ運んでいる。
「よう食うなあ、リリーベルさん」
声とともに、渡辺が座敷の入口から顔を出した。
「見りゃわかるっしょ、なべやジュニアよ」
鈴蘭は自分の腹を叩く。
「コメントでけへんわ」
「お、啓ちゃん」
そのツッコミの声を聞いて、有希乃が反応する。
「……お姉さん、さっきよりだいぶ出来上がってません?」
渡辺が苦笑する。
「出来上がってないよ。ちょっと人生について考えてただけ」
「酒飲みながら言うと、だいたい面倒くさいやつやな」
「ナベ、正解」
健介が即答する。
「男子高校生どもが冷たい」
「初対面の高校生に泣きつく姉に優しくできるか」
「泣きついてない!」
「泣いたんですか?」
渡辺が目を丸くする。
「失恋したんだって」
鈴蘭があっさり説明した。
「ああ……それは、ご愁傷さまです」
「振った方だけどね」
「ほんなら、なんで泣いてるんです?」
「それを最初からずっと聞いてる」
健介はため息をついた。渡辺も困ったように頭をかく。
「まあ、振る方もしんどいんちゃいます?知らんけど」
「啓ちゃん……!」
「いや、なんでそこで感動すんねん」
「高校生のくせに分かってる!」
「俺、何も分かってへんねん。お姉さんの方がよう知ってますやろ」
有希乃は立ち上がりかけたが、足元が揺れ、そのまま健介の肩へ倒れ込んだ。
「おい」
「健介、今日だけ姉ちゃんに優しくしたって」
渡辺が口角をうっすら上げつつ苦笑する。
「重い。あと酒臭い」
「最低」
「俺の台詞だよ」
渡辺はこの姉弟の様子を見て、少し笑った。
「仲ええんやな、二人」
「どこがだ」
「どこがよ」
姉弟の声が重なる。今度は美佳が小さく笑った。二生も千宥の陰で、ほんの少しだけ口元を緩めていた。
「で、どうするよ?みんな食い終わったし、そろそろ出る?」
健介が席を見回す。
「そうだね、ゆきちゃん、帰した方がいいね」
「お茶、いるか?あと会計は別にするか?」
渡辺が言う。
「私、払うわよ」
美佳が財布を取り出す。
「いいよ、あたしが払う」
鈴蘭が美佳を制し、言った。
「鈴蘭さん、すみません。俺んちの分は、姉貴の財布で払ってもらっていいんで」
「いやー、いいよ。そんぐらい。二生との顔合わせ会にもなったしね。むしろ杠家持ちで」
「……鈴蘭さん、杠じゃないでしょ」
健介が苦笑する。鈴蘭が渡辺に代金を渡す横で、美佳は、席を立って、どこかに行った。
美佳はほどなく席に戻り、渡辺の母、恭子がお茶を持ってきた。
「啓太郎のお友達がこんなになあ。ごめんね、うちの息子もアホやけど、仲良くしたって」
この春若町の出身と聞いてはいるが、もうすっかり関西弁だった。
そして、お茶も飲んだところで、店を出た。
「すみません、ごちそうさまです」
「ごちになります!」
有希乃は、先ほどの泣き上戸は鳴りを潜め、酔っ払いらしいテンションに戻ってきた。
「もうちょっと申し訳なさそうにしろ」
健介が再度小突く。ふと、健介が顔を前に向けると、目の前に黒い影があった。
「黒塗りの高級車……」
健介は思わずつぶやいたが、この車には見覚えがあった。
「美佳」
中から出てきた大男が声をかけた。
「山崎、悪いわね」
山崎貴文。実家を離れて暮らす令嬢・美佳の使用人であり、こっちで同居している。ちなみに、使用人な割には口が悪く、呼び捨てため口である。
「……出来上がってるな」
有希乃を見てぼそりと言う山崎。サングラスの奥の目はよくわからないが、口角がわずかにひきつっている。
「誰?執事?どゆこと?お迎え?あはは、おもろ」
なおも酔っぱらう有希乃が山崎に向かって言う。
「お迎えでございますよ。お嬢様。こっちのお嬢がぜひとも迎えに来てほしいと」
山崎は乗っかったようだ。
「やっば、おもろ。お嬢様、車で帰りまーす!」
狂喜しながら、山崎が開けてくれた後部座席に乗り込む。
「すんません。マジで」
健介は頭を下げる。
「いや、なかなか愉快な姉ちゃんを持ってんな」
「めんどくさいっすよ、マジで」
「いや、ウチのお嬢のがめんどい」
何故か張り合う山崎。
「どういうことよ、山崎!」
「……帰るぞ」
美佳の抗議に、反論するでもなく、進める。
「健ちゃん、あたしらは車で帰るから、そっち乗ってって」
鈴蘭が言う。
「じゃあ、またね」
「し、失礼します」
千宥と二生も挨拶して、リリーベルの方に歩いて行く。
お好み焼き屋に、執事付きのロールスロイスでお迎え。
「なんだこれ」
健介は自然とつぶやいた。そして、なんとなく助手席に乗り込む。ロールスロイスがゆっくりと走り出す。商店街のお好み焼き屋から、高級車で帰る高校生。どう考えても、自分には似合わない光景だった。
「……ほんと、なんだこれ」
誰に聞かせるでもなく、健介はもう一度だけつぶやいた。
【次回予告】
アクの強い友達と親しい先輩をたくさん持つ若杉果文。あたしって地味なのかな?
という感じです。お楽しみに。
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