第42話 彼氏のママはママ……?
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ユーザー独自の構成・設定・加筆:50〜55%
ママ三部作、第三回目です。佳那(玉ちゃんママ)、千鶴(千宥&二生ママ)と続き、最後を飾るのは、まさに「ママ」です。
皆さんは両親のことは何と呼んでいますか?作者はもうすっかり親父とお袋です。
五月最後の日曜日、樋口健介は友達と街まで遊びに行った。全員、同じ高校の同級生だ。一年の頃に同じクラスだった朝長慎吾、大上茂、綾香雄人とは、この春クラスが分かれた。とはいえ、慎吾は同じアパート、大上は中学からの同級生で、雄人とも学食で顔を合わせることが多い。結局、去年と大して変わらずつるんでいる。なお、この三人は同じクラスで、健介だけ分かれた形だ。そして、この春転校してきて健介と同じクラスになった渡辺啓太郎も一緒だ。よって、当初、慎吾ら三名とはあまり接点がなかったのだが、近頃は週に一、二回は学食で昼食をとるため、従来からの学食勢だった健介たち四人に合流した形だ。
こういう遊びを主導するのは、五人の中で随一の「陽キャ」で「ウェイ」の慎吾であるが、ノリの良い雄人や渡辺も後押しし、流されるままに健介が、そしてここまで来たらとりあえずついてくる大上も加わり、結局この五人になったわけだ。
ゲーセンやらアミューズメント施設やらをめぐって一日過ごした。ただ、作者が想定している読者層で、この男子五人の山場のない休日の光景を描くのは求められていないと判断し、丸々割愛とさせていただく。
さて、夕方五時前。健介たちは高宮バスの唐人町バスセンターで解散となった。ただ、ここで実際に解散したのは、142番系統のシャインヒル行きのバスに乗る雄人のみだった。残る四人は、122番系統・見琴山行きに乗車した。実際にバスに乗る必要があったのは、路面電車の終点よりも山奥に住む大上だけであったが、健介ら三名も大上に付き合って乗車した形だ。
バスの車内。雄人のみ別れた今、話題は決まっている。
「で、どうよ、大上。最近、雄人とは」
慎吾が冷やかすように聞いてくる。この春、大上は四年間思いを寄せていた玉井絢那が、雄人と交際していることを知ってしまったのである。
「どうも何もない。普通だ」
大上は答える。ちょっとだけ声が上ずっているようにも聞こえるが。
「え、なになに?雄人となんかあったん?」
あまり事情を知らない渡辺が食いつく。
「こいつ、失恋したんだよ」
慎吾は渡辺に説明する。
「んん?大上、お前、男の方がええの?」
渡辺が首をかしげる。盛大な誤解をしたようだった。
「違う違う。大上、玉井のことが好きだったんだよ」
健介が補足する。
「そういうことー」
慎吾がニヤリとする。結局ただの言葉足らずなのか、敢えて混乱させに行ったのか。多分後者じゃないか?健介は苦笑する。
「ああ、玉井さん、雄人と付き合ってんねやろ。そうか。えらい気まずない?」
渡辺が笑う。
「そのあおりを食らった俺らは、いい迷惑よ」
慎吾の説明に、健介は申し訳程度に頷き、大上は目をそらす。
「あー、なるほどな。もしかして、最初の頃、学食で大上見いひんかったの、それか?」
「そういうことだな」
健介がうなずく。渡辺は、人間観察が割と得意なようだ。
「……逆に聞くが、渡辺は、好きな人に振られたら、どうする?」
大上が重い口を開く。
「俺か?うーん、三日三晩泣き続けて青くなる?」
なんだか、子供の頃にアニメで見たことがある話だ。
「そういうのはいい」
「なんや、乗っかれよ。おもんないなあ。……まあ、でも俺も正直、多少は引きずると思うで。俺もモテへんからなあ。どっかのチャラ男みたいに次あの子、次この子とか、ようせんなあ」
「お前ら、健介もそうだけど真面目だなあ」
チャラ男がカルチャーショックを受けたようなテンションで言う。根っからのプレイボーイ気質なのは慎吾だけで、大上、渡辺、そして健介も同じ側だ。
「でも、俺も三日三晩落ち込んだら、次いこ、とはなるで?まあ、そういう相手がおればやけど」
「なるほど」
大上は難しい顔をして相槌を打つが、この男、なかなかに引きずるタイプだ。
「大上、お前、今は好きな子は?」
健介が尋ねる。
「まだいない」
「まあ、な。ゆーて俺も別にいないんだけど。別に無理に作らなくてもいいとは思うけどな」
健介は一応フォローする。
「でもな、引きずるんやったら、更新して切り替えるのも手やで。この子かわいいなあ、この子いこ、みたいなノリで」
渡辺も横からコメントする。
「ナベさあ。お前は今、お目当ての子はいるん?」
さらに慎吾まで割り込んでくる。
「俺か?わからへん。まだや。こっち来て、まだ二か月やで。ゼロベースから色々検討中や」
「サラちゃんは?」
渡辺は、知人の小学六年生、古波蔵紗莱に非常に懐かれている。
「お前、誰から聞いたんや!?」
「まあ、身内みたいなもんだからな」
慎吾の彼女はそのサラの叔母、茉衣子である。
「茉衣子、あちこちで言うてるやろ。ほんま、あかんで。言うとくけど、ほんま、ちゃうで。あんなガキンチョ」
その後も、特に他愛のない話が途切れ途切れありつつ、車内で過ごした。健介と慎吾が、栄久校下バス停で下車した。なお、渡辺は二つ先の大門で降りる。大上のみ終点に近い帰去来まで登るわけだ。
健介と慎吾は家まで歩く。この二人、同じアネックス久世というアパートに住んでいる。健介が106号、慎吾が202号の住人だ。
「大上の奴、次、どんな子を好きになるんだろうな」
慎吾が言う。
「さあな」
「大上って、やっぱりロリが好みなん?玉ちゃんみたいなさ」
大上の元想い人・玉井は同い年であるが、小柄で童顔、更に幼児体形である。
「さあ、俺は玉井しか知らないけど。あ、でも、ほら。前にゆい先生のこと可愛いって言ってなかったか?」
現在は一年二組の担任をしている北御門結唯も身長が140cm台前半と非常に小柄である。身長を除けば玉井よりは大人っぽく見えはするが、それでも、「そういうタイプ」に響く見てくれである。
「あー、なんか言ってたな、あいつ。うーん、俺が一番苦手なところだわ」
逆に慎吾はナイスバディで、よりわかりやすい「美人」がタイプだ。
「けどさ、ちゃんとできるんかね?」
「できるって何が?」
健介が首をかしげる。
「あいつ、でけえだろ」
大上は身長が二メートル近い。
「まあな」
「チュウとかセッセとか、身長差あったらしにくくね?」
「知らねえよ」
健介が顔をしかめる。そんな下世話な雑談をしているうちに、アネックス久世の敷地内に入った。
敷地に入ると、よく見慣れた人影が見えた。慎吾の双子の妹、朝長雛灯と、先ほどからちょくちょく話題に上がる慎吾の彼女、古波蔵茉衣子だ。雛灯はもちろんのこと、茉衣子もこのアパートに暮らす。今日は、同じく話題になっていた玉井と三人で遊びに出かけていたと聞いている。彼氏である雄人の近所に住む玉井は先に別れ、二人で帰ってきたのだろう。しかし、健介はもう一人、見慣れない人影がいるのに気づいた。身長は茉衣子より小柄で、雛灯と大差ない。そして、髪を金髪だかオレンジだかに染めている、ちょっとおしゃれそうな女性、年の頃はほかの二人よりはかなり上そうだ。
「お、健介!」
茉衣子が手を振った。
「おう。……仮にも彼氏なんだから慎吾を呼んでやれよ」
「いいじゃんか、健介の方が先に目が入ったんだ」
茉衣子は相変わらず正直者である。
「健ちゃん、おかえり。慎吾も、浜崎町に行ってたんでしょ?」
雛灯の方が兄にも声をかけていた。
「行ったのは行ったが、後ろのババアはなんでいる?」
この謎の女性の方に目が行ったらしい。
「ババアって何よお。まだ四十一よ」
「ババアじゃん」
女性の抗議に、慎吾が鼻で笑う。
「おま、この人誰なんだ?」
健介が慎吾に尋ねる。
「健介、知らねえんだ。この人な、慎吾と雛灯のママなんだぞ!」
代わりに茉衣子が答える。
「えっ、ママ…?」
そう言えば、聞いたことはあった。慎吾は両親ともに元ヤンという家庭に育ち、地元・南町で建築業を営んでいると。確かに、目元は慎吾と雛灯にどこか似ていて、この雰囲気も、「元ヤン」っぽさをちょっとだけ残しているが、基本的には優しそうな女性だ。ふーん、この人が慎吾とひなちゃんの……。
「初めまして。健介くん、だったよね」
「はあ、どうも」
健介は恐縮する。
「慎吾とひなのママの、朝長茜です。よろしくね」
茜が近寄って挨拶した。
慎吾が彼女と妹に向き直る。
「でさあ、お前らは駅前だかタバスマのほうに行ったんだろ」
「ああ、そうだぞ」
茉衣子が答える。
「で、何で今、このババアといるわけよ?」
慎吾が母親を指さす。
「タバスマで会ったの。ママも買い物に来てて、ばったり」
「あー」
慎吾は一応は納得したようだ。茜は、市内にいくつかある大型ショッピングモールであるタバスマイルによく買い物に来る。
「そんで、一緒にお茶した!絢那と四人でな。で、今車で送ってもらった!絢那も家までな」
茉衣子は両腕に紙袋をいくつかぶら下げたまま両腕を振って嬉しそうに話す。
「ほう、それはよかごて」
慎吾は苦笑する。
「ねー、ママ。あたしんちおいでよ。ちょっとゆっくりしてこうよ」
茉衣子が茜にせがむ。
「待て待て待て、誰があなたのママですか」
慎吾が慌ててつっ込む。
「えー、いいじゃんか。お前のママなんだろ。てことは、あたしのママになんだ。……嫌なのか?ウチの父ちゃんが父ちゃんになるのが」
「泰造さんは関係ねえだろ。色々すっ飛ばし過ぎなのよ」
「ふーん、そうなんだ。あたしとの関係は、遊びだと?」
「そうは言ってないでしょうがあ!」
慎吾は地団駄を踏む。
「ママ、あたしら、やっぱり他人の関係に戻っちゃうみたいだよ」
「そう?困ったなあ。娘になる予定なのにねえ」
茉衣子と茜が顔を見合わせる。
「話聞けよ!」
ああ、なんか、また俺が入っていけない話になってる。健介が眉をひそめる。
「ごめんね、めっちゃ内輪ネタで」
気づくと、隣に雛灯がいた。
「ああ、……全くだよ。でも、こいつら、俺が思ってるより、真剣交際なんだな」
「なんか、友達と兄貴ってのは複雑だけど、こいつら、ほんとにウチのパパとママを見てるみたい」
健介の感想に雛灯が苦笑する。
「あとさ、……『ママ』なんだな、何気に。俺、てっきり茉衣子なら『母ちゃん』なのかと」
「え?ふふふふふ……」
突然、雛灯が笑い出した。
「まあ、ちょっとしたワケがあってね」
「何だよ?」
「朝長家はね、親のことをパパ、ママと呼んで育ったわけだけど、茉衣子はね、慎吾のそれを真似てるわけね」
「あ、慎吾、そうなの?」
「健ちゃんも知らないんだ?」
雛灯が驚いた顔をしている。
「うん、俺らの前でも、親父、お袋だからさ」
「そうなんだ~。私ね、前から慎吾にさ、『ママって呼んでるの内緒にしてほしい』って言われてたの。茉衣子に知られるのが恥ずかしいって思ってたんだけど、男の子同士でもそうなんだ?」
雛灯はかなり意外そうな顔をしている。
「まあ、ちょっと気持ちは分かるけど」
「分かるんだ?」
「分かるって言うか、どう思われるかじゃないか?ほら、茉衣子はこうやって受け入れてるけど、『ママと呼ぶ男はマザコン』みたいな言われ方することがあるから、それは気にしてんじゃないか?慎吾の奴」
「あー」
雛灯は頷く。今初めて分かりました、という顔で。
「じゃあ、健ちゃんたちにも隠す理由はなくない?」
「それは、別に隠す意図はないのかもよ。格好つけてはいるのかもしれんけど」
「そうなの?」
「俺も、親のことは実際には父さん、母さんと呼ぶけど、人前では、まあ基本的に親父、お袋って呼んでるからさ。それは慎吾も一緒なわけでしょ。大人が父、母、というのと一緒で、人前ではこう呼ぶ、っていうのができてるんだろ。人によるけどな。たとえば雄人あたりは俺らの前でもお父さん、お母さんだし」
「男の子の世界もいろいろだね」
雛灯がしみじみと言う。
会話が途切れたところで、カップルとママの会話が聞こえてくる。
「もう遅くなんだろ。帰れよ」
まだ慎吾が騒いでいる。
「パパも飲み会で遅いから」
「じいちゃんばあちゃんは?」
慎吾の両親は父方の祖父母と同居している。すなわち茜の義両親である。
「『慎吾とひなにご飯ば食べさせてやらんね』って。ま、タバスマの総菜だけどね。ここで食べて帰るつもり」
「いいよ。とっとと食いもん置いて帰れよ」
「はいはい、そろそろお家に帰るよ。庭で騒いでたら怒られるよ」
茜は慎吾を軽くあしらいながら、エントランスまで歩いて行く。慎吾はもう反論するのもやめ、黙ってついて行っている。茉衣子は二人の後ろをニヤニヤしてついて行く。
「じゃ、健ちゃん、私たちは帰るね」
「お、おう」
雛灯が手を振る。
「じゃあ、ごめんね、お騒がせしちゃって。またね」
茜が健介に声をかける。
「あ、はい」
「……」
慎吾は無言で手だけ振った。
「じゃあな、健介」
茉衣子は、ちゃんと声をかけてから後を追った。
嵐のような親子と彼女が去って行った。
「俺、本当にいる意味あったのか?」
健介はもう一度小声でぼやいた。
階段を上がり、二階の廊下を進む。202号室の前まで来ると、慎吾はポケットから鍵を出した。
「つーか、マジで上がんの?」
「上がるよ。荷物あるし、ご飯あるし」
「置いて帰れよ」
「はいはい」
茜はまるで聞いていない顔で返事をした。雛灯はその横で、ずっと半笑いで黙っている。慎吾は微妙に腹が立って、小さく舌打ちしながら鍵を開ける。
「ただいまー」
「お邪魔しまーす!」
「ただいまー」
雛灯、茜、茉衣子の順に挨拶する。
「お前はただいまじゃねえだろ」
「いいじゃねえか。お前のところに帰ってきて、ママもいるんだ」
「その話はいい」
茉衣子は笑いながら靴を脱いだ。茜もその後に続き、きれいに靴をそろえる。金髪だかオレンジだか分からない派手めの髪色とは裏腹に、そういう所作は妙に丁寧だった。
「へえ。ちゃんと片づいてるじゃない」
「……まあ、ひながいるからな」
「ねえ、ママ。慎吾にも掃除とかするように言ってよ。いっつも私なんだから」
「そうねえ。そういう子に育てた覚えはないんだけど?」
ちょっと冷たい目。慎吾は目をそらす。
「まあ、慎吾は昔から脱いだものそのへんに置く子だったしね」
「人の彼女の前でそういうこと言うな」
母親のコメントに慌てる慎吾。
「今さらでしょ。茉衣子、こいつの部屋がきれいだと思ってた?」
「思ってねえ!」
雛灯の問いに、食い気味に返した。
「即答すんな!……俺だってさ、汚えなって思えば掃除するのよ。ただ、その閾値が高いだけ」
「……下げなさいよ」
雛灯がジト目で言う。茉衣子は、勝手知ったる様子でリビングに入っていき、隅に紙袋を床に置く。雛灯も台所へ向かい、茜から総菜の入った袋を受け取った。
「今日、何買ってきたの?」
タバスマに入ったが、スーパーマーケットには立ち寄っていない雛灯はワクワクしている。
「唐揚げと、サラダと、巻き寿司。あと、ひなが好きな豚の生姜焼き」
「やった」
「慎吾にはチキン南蛮」
「そこは分かってんじゃん」
「えらそうに」
雛灯が冷ややかにつっ込む。
「茉衣子ちゃんはね、お口にあうかな?海老マヨ」
「ほんと!?いいの?」
「うんうん、食べてって」
「あたし、何でも食うよ!ママありがとう」
目を輝かせる茉衣子に、慎吾は少し頭を押さえる。
茜は笑って、袋からパックを取り出していく。慎吾は文句を言いながらも、テーブルの上を片づけ始めた。茉衣子はその隣で、当然のように割り箸や皿を並べている。
「茉衣子、そこまでやらなくていいよ」
雛灯が苦笑する。
「いいって。あたし、こういうの好きだし」
「本当にうちの子みたいね」
「でしょ、ママ」
「だから誰のママだって言ってんだよ」
慎吾がまた反応した。茉衣子は待ってましたとばかりに振り向く。
「お前のママ」
「それはそう」
「じゃあ、あたしのママ」
「そうはならねえんだよ」
「でも、娘になる予定なんだろ?」
「予定を立てるのが早いんだよ!」
茜はそのやり取りを見て、可笑しそうに目を細めた。
「あ、そうだ。ねえ、ママ。お願いがあんだけど」
茉衣子が突然茜に言う。
「ん?なあに?」
「ウチにさ、姪っ子がいてさ。そいつが家で一人で待ってんだ。ちょっと連れてきていい?ママにも紹介したいし。飯とか全然ウチから持ってくるし」
「ああ、あの子ね。聞いてるよ。私も会いたいな。いいよ。ご飯のことは気にしないで。色々多目に買ってるから」
「やった」
ガッツポーズした茉衣子だが、一瞬で拳をひっこめた。
「ごめんね、何から何まで」
「いいの。こういう時は遠慮しちゃダメよ?慎吾の彼女だし、ひなの友達なんだから」
「ありがと」
茉衣子はスマホを取り出し、電話をかけた。
ほどなく、茉衣子の姪、紗莱がやってきた。茉衣子だけでなく、朝長親子も全員で迎える。
「おう、来たか。サラ」
「うん、来た。ねえ、何で慎吾ちゃんちなん?」
サラはわくわくしているようだ。
「こんにちは、サラちゃん」
「あ、ひなちゃん。慎吾ちゃんもこんにちは」
「おう」
サラは、慎吾と雛灯に声をかけたが、その後ろに見慣れない大人がいるのに気づいた。
「こんにちは」
「こんにちは。もしかして、慎吾ちゃんとひなちゃんのママ?」
「そう、はじめまして」
茜が微笑む。
「わあ、はじめまして。目、ひなちゃんにそっくり!」
「ありがとう。サラちゃん、写真は見せてもらったけど、かわいいね。何年生?」
「六年生です」
「そっかあ。私の姪っ子も六年生なのよ」
「へえ、この近くの子ですか?」
「うーん、秋葉だから遠いかなあ」
「秋葉ってどこ?東京?」
サラは茉衣子に向き直る。秋葉原と勘違いしたようだ。
「多分東京じゃねえけど、あたしも知らん」
「秋葉町は、ウチの地元のちょっと手前よ。結構遠く。一時間半ぐらいかかるかな」
雛灯が補足した。朝長家がある、半島の先の南町の北隣である。
「わあ、めっちゃ遠い!」
一瞬会話が途切れたところで、茜が茉衣子に向けて聞く。
「茉衣子ちゃんと一緒に住んでるんだ?」
「そうなんだ。あたしと父ちゃんと三人で。父ちゃんって言うか、こいつからしたら、じいちゃんなんだけど」
「ああ、そうなのね」
「姪っ子って言っても、六年生だからな。結構デカいの」
「でも、小六なら、まだまだ子どもよ」
「サラ、子供ちゃうもん!」
そう言って頬を膨らませる。
「うん、あたしの五年前見てるみたいだ」
茉衣子は言いながら、ほんの少しだけ表情を緩めた。いつもの勢いのある笑い方とは違う、少しだけ保護者じみた顔だった。
慎吾はその顔を横目で見た。古波蔵茉衣子は、基本的には騒がしい。言うことも雑で、遠慮もなくて、勢いで場をこじ開けていく。だが、サラの話をするときだけ、妙に声の角が取れる。慎吾は、その顔を見るたび、何となく調子が狂う。
「お前、サラちゃんにはちゃんとしてるよな」
「あ?当たり前だろ。こっちじゃ、あたしらが家族なんだぞ。あたしが姉ちゃんだし、『じいじ』が親代わりなんだから」
慎吾はしばらく呆然と見ていた。こいつ、本当にいつもの茉衣子と同一人物なんだろうか?
「でも、ウチも父ちゃんしかいねえから、こいつのママの代わりはいねえんだ」
「茉衣子ちゃんの『妹』なんだから、私がママでいいんじゃない?」
茜が微笑む。
「ほんと?ママ大好き!」
茉衣子が茜の肩を抱く。このいつもの茉衣子とのギャップが、なんだか不思議だ。
「最近、茉衣子ちゃんといてると、いろんなお友達のママに会うー。なんかおもろい」
「そうなんだ?」
雛灯が興味深く聞く。
「うん。だって、こないだ佳那ちゃんに朝ご飯作ってもらったやろ」
「ああ、来てたねー」
「佳那ちゃん?」
茜が首をかしげる。
「玉ちゃんのママ」
「ふーん」
その呼び方に引っかかったのか、少し怪訝そうな顔をしながらうなずく。
「あとね、啓ちゃんのママ、めっちゃ優しかった!」
「啓ちゃん?」
今度は雛灯が首をかしげる。
「ナベだろ」
慎吾が口を挟む。今、サラがお熱の、茉衣子の旧友・渡辺啓太郎のことである。
「あー。渡辺くんのママに会ったの?」
「店行ったんだよ。啓太郎んちの。お好み焼き屋」
茉衣子が補足する。
「あー、おいしかった?」
はいはい、とばかりに雛灯がうなずく。
「おいしかった!ひなちゃんも行ったらええのに」
「今度行く?」
雛灯は慎吾の方を向く。
「俺は別にいいけど」
「あとな、こっち来るとき、千宥ちゃんとすれ違った。ママとおったよ」
「えっ」
一同が声を上げた。
「あー、そっか。今週末だったな、千鶴さん来るの」
茉衣子がうなずく。ちょうど今、杠千宥の家は、母・千鶴が滞在中である。
「あ、ってことは、いせやちづる……?」
茜がハッとする。千鶴は、いせやちづるの芸名で、九州を拠点にタレント活動している。
「だからそうだって。何回も言っただろ」
慎吾が言う。
「どこ?この階だったっけ?」
「207だけど、どうした?」
「うわー、お近づきになりたい」
「ママ、めっちゃミーハー」
雛灯が苦笑する。
「だから、ママ友としてさ」
茜は弁解めいたことを言う。
「わかるけど、今はやめてやれ。水入らずで過ごさせてやれ。福岡から来てんだから」
慎吾がため息をつく。千宥のことで色々複雑な問題が起きていることには、触れないでおく。そして、そのままダイニングの方を指さした。
「ま、いいけど食わねえ?」
朝長家と古波蔵家の合同食事会……となった202号室の食卓。五人はなんとなくの位置に着席する。
雛灯は笑いながら、紗莱の前にも皿を置いた。
「サラちゃん、海老マヨ食べる?」
「うん、食べるー」
「チキン南蛮は?」
「少しだけ」
「巻き寿司もあるよ」
「ありがと~」
サラは嬉しそうだ。茉衣子はそれを優しい目で見ていた。慎吾は一瞬、ドキッとして、手が止まった。……いかんいかん、取られちまうぞ。海老マヨを自分の皿に多めに取ろうとした。しかしすぐに茉衣子に手首をつかまれた。
「慎吾、取りすぎだ」
「いいだろ、好きなんだよ」
「あたしの分、なくなんだろ」
サラは、しょうもない争いを始めたカップルの彼女の方の手をつついた。
「ねえ、茉衣子ちゃん。あっちの唐揚げ取って」
「おう、待っとけ」
茉衣子は奥の唐揚げの皿に手を伸ばす。慎吾が思わず笑う。
「お前、思ったよりマジでお姉ちゃんしてんのな」
「できるんだよ。あたしだって。でも、自分でもびっくりだ。末っ子歴十七年だかんな」
茉衣子が笑う。茜は茉衣子と慎吾、それにサラを見比べて、今度は少しだけ真面目な顔になった。
「でも、茉衣子ちゃん、ちゃんと面倒見てるの、えらいよ。この子たちも年下のいとことか多いけど、ろくに面倒見ないんだもん。特にこっちのお兄さんは」
「ガキの相手は苦手なんだよ」
慎吾が顔をしかめる。
「え?まあ、そりゃ……預かってるっていうか、一緒に住んでるからさあ。こいつと違って、毎日一緒なんだよ?」
茉衣子が照れたように言う。
「ご飯とかも?」
「いや、そこは父ちゃんもいるし、あたしだけじゃないけど。でも、まあ、できる時は、ね。父ちゃんも今日もそうだし、遅いから」
「勉強は?」
「それは知らん」
「知ってよ」
紗莱がすぐに言う。
「だってお前、結局自分でやるじゃん」
「分からへんとこ、ちょいちょいあるし」
「そうなんか?聞いたら答えられるとは思うけど……、いや、やっぱ自信ねえ」
茉衣子が前言撤回する。
「ねえ、自信もってよー。五年前やったんやろ?」
紗莱は冷やかすように笑った。その様子を見て、茜はなんとなく分かった。茉衣子は確かに雑だ。けれど、サラは茉衣子のことを信用している。信用しているから、素直に頼るし、遠慮なく突っ込む。
「いいねえ」
茜がぽつりと言った。
「何が?」
慎吾が聞く。
「賑やかで」
「うるさいだけだろ」
「うるさいのも、家っぽくていいじゃない」
茜はそう言って、皿に唐揚げを一つ取った。夕食は、総菜を広げただけのものだった。それなのに、なんだか御馳走に思えた。そして、かなり異色の顔ぶれで食べているにもかかわらず、なんだか、元々の家族のように和やかだった。
そうやって、団欒の時は過ぎていった。
八時十五分ごろ。茜のスマホが鳴る。
「はい。……え?はやっ。二次会は?……え~。まあ、いいんだけどさ。でも、私今、春若だから時間かかるよ?うん。スタプラかどっかで時間つぶしてて」
スタプラとは高宮駅に直結した商業施設である。
「え、パパ?」
雛灯が尋ねる。
「うん。飲み会終わっちゃったって。なんか、いまいち盛り上がんなくて、一次会で解散になったって」
「世知辛えな。令和の飲み会ってそうなのか」
慎吾が苦笑する。
「もしかして、パパが迎えに来いって言うまでここにいる気だった……?」
雛灯が苦笑する。
「いいじゃない、ママはもうちょっといたかったんだけど!」
茜は渋い顔をして見せる。
「ごめんね、茉衣子ちゃん、サラちゃん。急だけど、帰らなきゃ」
「ううん、いいよ。ねえママ。いつかパパにも会わせてよ?」
茉衣子が茜の手を握り言う。
「そうね。あと、茉衣子ちゃんのパパにも挨拶しないとね、いつか」
「あ、父ちゃん、ぼちぼち帰ってくるよ」
時刻からすると、泰造がよく退勤してくる時間である。
「そう?」
「まあ、でもまたゆっくりとね」
茜が笑う。
「また来てね」
サラも茜と握手する。
「ありがとうね」
五人で、玄関先に下りる。来客用駐車場に停まった茶色のアルファード。大家族・朝長家らしいチョイスである。
二つ隣に、まだライトが点灯している軽自動車があった。沖縄ナンバーのムーブ。茉衣子の父、そしてサラの祖父、泰造の車である。
「うわ、丁度帰ってきたのか……」
ムーブの運転席のドアが開き、がっしりした体格の男が降りてきた。白髪の混じった長髪を後ろで束ね、日に焼けた顔。仕事帰りなのか、少しくたびれたポロシャツ姿だった。
「おー、茉衣子。サラも。こんなとこで何してるば?」
「父ちゃん」
「じいじ、おかえり」
「ただいま。……ん?」
泰造は、アルファードのそばに立つ茜に気づいた。茜も車の鍵を手にしたまま、軽く会釈する。
「こんばんは。朝長茜です。慎吾と雛灯の母です」
「ああ、ああ。朝長さんね。いつもウチの茉衣子が世話になってるさ」
泰造はすぐに表情を崩し、両手を軽く前に出すようにして頭を下げた。
「いえいえ、こちらこそ。今日は急にうちに呼んじゃって」
「いやいや、全然。むしろ、こっちが挨拶せんといかんかったわけさ。二人とも、茉衣子とサラがようしてもらってるって聞いてるよ。特に……慎吾!茉衣子とは順調ば?」
泰造は思い切り慎吾の肩を叩く。
「ま、まあまあっす……」
慎吾はまだどこか泰造にびくびくしている。
「父ちゃん、慎吾にあんまり変なこと聞くなよ」
「お前は黙っときなさい」
泰造が即座に言う。茉衣子は口を尖らせ、慎吾は横で少しだけ笑った。
「茉衣子は口が悪いし、勢いだけで動くところあるからね。迷惑かけてないね?」
「えっ、まあ、元気ではありますけど」
茜が笑って答える。
「でも、すごくいい子ですね。サラちゃんのことも、ちゃんと見ていて」
「……そうね?」
泰造は一瞬だけ茉衣子を見る。茉衣子は気まずそうに目をそらした。
「まあ、あれでも姉ちゃんしてるつもりみたいだからさ。けど、不慣れだからよ、みんな仲良くしてやってよ」
泰造がサラの頭をなでながら双子に向けて言う。
「あ、大丈夫ですよ。サラちゃん、本当にいい子で」
雛灯がフォローする。
「朝長さん、今日はもう帰るところね?」
「はい。主人を迎えに行かないといけなくて」
「そうね。じゃあ、また今度ゆっくり。今度はうちにも寄っていってよ。何もないけど、お茶ぐらいは出そうね」
「ありがとうございます。ぜひ」
「じゃあ、またね。慎吾とひなちゃんも」
泰造は双子の方に向き直った。
「はい」
「よしよし」
泰造は満足げにうなずく。茜はアルファードの運転席に乗り込む前に、もう一度だけ振り返った。
「じゃあ、またね。茉衣子ちゃん、サラちゃん」
「うん。またね、ママ」
「また遊びに来てね」
「ママ、気を付けてよ?南まで遠いんだから」
「居眠り運転すんなよ」
茜は子供たちに笑って手を振り、車に乗り込んだ。
アルファードのエンジンがかかり、ゆっくりと来客用駐車場を出ていく。茜は最後にもう一度だけ窓越しに手を振った。雛灯も、サラも、茉衣子も手を振り返す。慎吾だけは面倒くさそうに片手を上げた。
「いい人さあ」
車が見えなくなったところで、泰造がぽつりと言った。
「だろ」
なぜか茉衣子が得意げに胸を張る。
「お前が威張ることじゃないだろ」
「いいじゃんか。あたしのママだし」
「だから俺のママだって言ってんだろ」
慎吾がすぐに突っ込む。さりげなく言っちゃってることに気づき、茉衣子も吹き出す。……ただ、もうあまり広げない。その横で、雛灯が小さく笑った。サラは二人のやり取りを見上げながら、なんだか楽しそうにしている。
「茉衣子、サラ。帰るよ。飯は食べたんね?」
「食べた!」
「いっぱい食った」
「そうね。じゃあ、風呂入って、早めに寝なさい」
泰造はそう言って、サラの頭に軽く手を置いた。サラは素直にうなずき、茉衣子は「はいはい」と雑に返す。
それぞれの部屋へ戻るだけなのに、妙に名残惜しい。さっきまで一つの食卓を囲んでいたせいか、廊下も駐車場も、いつもより少しだけ家族の匂いがした。
五月最後の日曜日の夜。アネックス久世にはいくつもの家族がいる。これは、その中の二つの家族の、ちょっとだけ特別な夜だった。
【次回予告】
謎多きロリータ先生の朝に迫る。
という感じです。お楽しみに。
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