第32話 一年生と圧の強い先輩の朝
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もうここまできたら、かなり自力が大きいですね。
さて、二生の新しい友達とチーム・アネックスの顔合わせをしてみました(一部欠席ですが)。仲良くなれるといいですね。
玄関のドアを開けた瞬間、朝の空気がまだ少しだけ冷たかった。新学期三日目。日付で言うと、もう四月二週目にはなるのだが、まだまだ朝は冷える。玄関の扉を開けながら、樋口健介は軽くあくびを噛み殺した。正面を、ふっと人影がよぎった。
「あぶねえぞ。ぶつかるぞ」
「おう、健介か。おはよう」
107号室に住まう隣人で同級生の古波蔵茉衣子だった。沖縄出身らしい大らかさを見せることもあるくせに、普段はやたらとせっかちな女の子だ。
「……ああ、おはよう」
ふと、前方から足音が聞こえてくる。階段を下りる音のようだ。二人分の足音があるときは、大概202号室の朝長慎吾と雛灯の双子の兄妹である。ただ、階段を下りてきた人影は、彼らではなかった。杠千宥、207号室の住人だ。そして、その隣にいるのが、妹の二生だ。千宥は健介や茉衣子、それに朝長兄妹の同級生で春から二年生に進級したが、二生は千宥から見て年子の妹、そして、健介から見たら後輩にあたる。そして、二日前に健介らと同じ春若栄久高校に入学した新一年生である。
「おはよう、健ちゃん、茉衣子ちゃん」
千宥がにこやかに微笑む。
「ああ、おはよう」
「おはよう、二生も一緒だな」
「お……、おはようございます」
小さく頭を下げる二生。まだ距離の取り方が定まっていない感じが、なんとなく分かる。
「なんだか、新鮮な組み合わせだな」
健介がつぶやく。
「いいじゃねえか。たまにはさ」
茉衣子が笑い飛ばす。思えば、今年に入って少し経った頃から、健介と茉衣子が一緒に登校する機会は、かなり減った。それには理由がある。
「よし。出発するか」
「……慎吾、待たなくていいのか?」
「はあ?いいに決まってんだろ。二生を待たせるわけにいかねえだろ。あいつが来ねえのが悪い。ほら、行くぞ」
二月ごろから、慎吾と交際している。健介や、他の友達の前では、茉衣子は慎吾のことを、結構ぞんざいに扱っているように見える。ただ、雛灯によれば、茉衣子は茉衣子なりに、慎吾に全力で甘えているらしい。このパワー系女子が男に甘える姿が、微塵も想像できない。そのことを思い浮かべると、健介は自然と苦笑が浮かんできた。
「なんだかんだでいつもお前がまとめる側なんだよな」
健介がぼやく。
「悪いか?」
「……いや。ゆーても、他にまとめたがる奴がおらん」
「だろ。あたしがリーダーなんだよ。チーム・アネックスの」
この、「アネックス久世」に住まう栄久校生は、いつの間にか「チーム・アネックス」という名前でまとめられるようになった。いや、厳密には外部から言われたわけではなく、どちらかというと茉衣子命名の「自称」に近い。そして、良くも悪くもそんな茉衣子がやはり中心的人物だ。陽キャで、何にも首を突っ込みたがる。できれば何事も傍観者でいたい健介とは対極にいるタイプ。自分にはまねできないと思いつつ、近頃は、ちょっとだけ羨ましいとも思うようになってきた。
「よし、二生、行くぞ」
「は、はい……」
しかし、その押しの強さが時として、人と壁を作る原因となることもある。茉衣子の圧は、陰キャにとっては自分のパーソナルスペースを侵害する天敵だ。だからこそ、健介はかつて彼女を拒絶したし、今も二生は彼女を受け入れ切れていないようだ。
「誰かからいじめられたら、あたしに言えよー。あたしがかわいがってやる」
「あ、ありがとうございます……」
二生は恥ずかしそうに伏し目がちにつぶやいた。
そして、茉衣子が先導する形で、自然と四人で歩き出す。新学期三日目。いつもはなんだかんだでバラバラに動いていたが、今日は妙にまとまっている。理由は分かりやすい。「新入り」の存在だ。茉衣子は暑苦しく二生を引っ張るが、実の姉もしくは兄である千宥、そして、健介も陰から温かく見守っている。……健介自身はそう思っている。健介は、横目で二生を見る。会話にはついてきているが、どこか一歩引いている。無理に入ってくる感じはない。まあ、普通だ。むしろ、こういう子の方が、後で一気に馴染むこともある。逆に、最初から飛ばしすぎるやつは、普通は長続きしない。そんなことを考えながら、ふと前を見ると、坂の手前に人影があった。栄久坂の登り口。
「あ」
向こうが先に気づいた。新入生の女子生徒に見える。
「二生!」
呼ばれた二生が、軽く顔を上げる。駆け寄った女子生徒は、黒髪をツインテールに結っている。同じツインテールであるが、茉衣子とは違い、やや短めである。そして、茉衣子ほどではないが、ぱっちりとした吊り目である。肌の色は浅黒い茉衣子と違いごく普通だが、昨日知り合った英国との混血の少女――茉衣子の姪である紗莱よりも、よほどこちらのほうが「茉衣子の妹だよ」と言われたら信じてしまいそうだ。そんな、二生が打ち解けるには元気すぎる女の子が声をかけてきた。
「おはよ」
あっさりした声だった。そのまま、すっと距離を詰めてくる。まだ知り合って浅いはずの二生に、一瞬も躊躇しない。
「お、おはよう。果文ちゃん」
その少女は若杉果文。出席番号順で杠二生の後ろであり、席が前後であることから知り合ったのだ。
「へえ」
茉衣子は果文を一瞥して、すぐに二生に視線を戻した。
「そっか、もう友達できたんだな」
「なんだよその言い方」
健介が眉を顰める。
「いいことじゃねえか。あたし、こいつがぼっちだったらどうしよって思ったんだ」
「……余計なお世話だよ、お前」
健介はあきれるが、茉衣子自身は、本当に悪気がないのである。
「大丈夫だよ、茉衣子ちゃん。もう、他にもお友達はいるみたい」
後ろで千宥が苦笑しつつ声をかける。
「そうなのか!?いやー。お姉ちゃんうれしい。二生と仲良くしてやってくれ」
「あ、ありがとうございます!」
果文は茉衣子に手を握られ、気圧されるばかりの二生と違い、多少、戸惑ったようだが、正面切って礼を言う。その暑苦しいやり取りを横で聞きながら、健介は内心で小さくため息をついた。
――ああ、あいつじゃん。感覚が、少しだけ蘇る。距離が近い。遠慮がない。悪気もない。だからこそ、めんどくさい。
「あ、あの」
堂々としていた果文だったが、少しだけ緊張してみせた。
「もしかして、お姉さんなんですか?」
「あはは、違うぞ」
笑いながら即答する茉衣子。
「じゃあ、どういうご関係ですか?」
「同じアパートに住んでるだけ。こいつの姉ちゃんは、あっちだ」
「おはよう。二生と仲良くしてくれてありがとう」
茉衣子に紹介され、千宥は引きの位置からにこやかに挨拶する。そして、果文は少しだけ目を細めた。視線が横に流れる。
「……あれ」
一瞬の間。
「――健ちゃんじゃない?」
ああ、ばれた。そう、果文は、健介と旧知の仲である。それは、果文の小学校入学時までさかのぼる。断続的にだが、もう十年近い付き合いである。
「……若杉か」
「久しぶりだね。一年ぶりだよね」
にやっと笑う。その笑い方も、昔のままだった。中学校に入っても、「先輩」と呼ぶことなく、小学校からの馴染みの「健ちゃん」で通した。それは、これからも変わらないのだろう。反面、小学校の途中で「果文ちゃん」と呼ぶのがこっ恥ずかしくなり、「若杉」になったのが健介が五年生ぐらいの頃。以来、苗字呼びだ。それも、特に変えるつもりはない。
「……ああ。久しぶりだな」
果文は、じっと健介の顔を見たまま、少しだけ首を傾げた。
「変わってないね」
「そりゃ一年じゃ変わらんだろ」
「いや、なんかこう……そのまんま」
言いながら、距離を詰めてくる。――これだ。健介は内心で顔をしかめた。悪気はない。だが遠慮もない。昔からそうだった。
「お前もな」
短く返すと、果文は健介を数秒見た後、少しだけ笑った。
「でも、やっぱりちょっと変わったかも」
「どこがだよ」
「雰囲気」
「曖昧すぎるだろ」
「あとね、大きくなった」
「そんな変わらんだろう」
「ううん、並んだ感じ。私は全然背伸びてないけど、こんな見上げたっけ?って思うの」
「細かいな。ほんの二センチだし、誤差だろ」
軽口を返しながらも、健介は一歩だけ距離を取る。それに気づいているのかいないのか、果文は特に気にした様子もない。
「で?」
ふいに、果文が言った。
「なんで健ちゃんがここにいるの?」
「は?」
「だって、ここ通学路じゃなかったでしょ。あっちの方住んでた」
果文は、路面電車の電停や県道が通る方を指さした。確かに樋口家は以前、線路や県道の向こう、みなみ坂ニュータウンの麓ぐらいにあった。
「ああ」
健介は肩をすくめる。
「引っ越したんだよ。そこのアパートに」
「へえ」
果文の視線が、アネックス久世の方へ一瞬だけ流れる。
「いいとこ住んでんじゃん」
「別に普通だろ」
「そう?あ、じゃあ二生も同じなんだ」
二生はこくこくと頷く。そう言いながら、今度は茉衣子の方を見る。
「先輩も?」
「おう」
「……へえ」
ほんの一瞬、目の奥の色が変わった。びびっているのか、警戒しているのか。そのどっちもかもしれない。健介は、それを見て少しだけ納得する。――まあ、そうなるか。別に、茉衣子は中学の時不良だったとか、そう言うことではない。ただ、あの圧が強いタイプ、知らない側から見れば、近寄りがたいタイプだ。ただ、一度話せば、果文は仲良くなれるかもしれない。健介はそんな予感がした。……別に俺にはどうでもいい、とは思うのだが。
「果文ちゃん、同じ学校なんだよね?」
千宥が自然な声で会話に入る。
「はい。二生と同じクラスなんです」
「そっか。よろしくね」
「こちらこそ」
さっきまでの調子とは違って、少しだけ丁寧な返しになる。――分かりやすい。健介は心の中で苦笑する。相手によって距離を変えるタイプだ。無遠慮に見えて、実はちゃんと線は引いている。ただ、その線が他人よりかなり近いだけだ。
「じゃあ、一緒に行くか」
茉衣子が当然のように言う。
「え、私も?」
二生は戸惑ったように声を漏らした。
「別々に行く理由なんてねえだろ?」
にかっと笑う。即答だった。逃げ道はない。果文は一瞬だけ二生の方を見る。二生は、少しだけ戸惑いながらも、小さくうなずいた。
「……じゃあ、お邪魔します」
「お邪魔ってなんだよ。あたしらはチーム・アネックスだぞ」
「なんですか、それ?」
果文がぽかんとする。
「こいつが、ウチのアパートの面々をまとめたがってるだけだ」
健介が説明する。
「そんでな、果文?つったか。一緒に行こうぜ!二生の友達なら大歓迎だ!」
茉衣子が笑い飛ばす。
「はあ、どうも……」
ちょっと苦笑気味に果文が礼を言う。
そのまま、五人で坂を上り始めた。朝の坂は、思ったより人が多い。同じ制服の生徒が、前にも後ろにもいる。その中で、なんとなく視線が集まっている気がした。理由は、分かっている。千宥。茉衣子。優等生で学園のアイドル、そしてしこたま目立つ黒ギャルが連れ立って歩いている。そして――新顔の二生。さすがは千宥と血を分けているだけあるというか、一緒に歩いていると似ているし、注目の的にもなる。そんな中、地味男代表・健介と、地味でもないが、この三名の中にいるとやや見劣りする果文。旧知の仲の二人が自然と会話を交わす。
「そっか、健ちゃん引っ越したんだね」
「若杉も、引っ越しただろ」
果文は、健介と同じ久世小学校出身で、小学校時代は同じ町内のごく近所で、住所で言えば同じ久世一丁目に住んでいた。しかし、健介が中学に入学する年、すなわち果文が六年生になるタイミングで、転居に伴い松丘小学校に転校したのだ。……もっとも、久世小も松丘小も、同じ松が丘学園中学校区なので小中・中高の境目、一歳差であるために生じる違いを除けばずっと同じ学校ではあるのだ。
「そりゃ、そうだけどさ。うちはマンションから家建てたんだけど、戸建てからマンションは珍しいなって」
「んなことねえよ。ウチは前の家も借家だし」
「何で引っ越したの?」
「親父とお袋が、俺がここに進学することが決まってから立て続けに転勤になった。だから姉貴と二人暮らしになった」
「そんなことあるんだね」
あんまねえよ、と言いかけたが、チームアネックスは茉衣子を除き親元を離れていることを思い出し、言葉を引っ込めた。横を見る。二生はやはり、少しだけ歩幅を抑えている。果文が健介に話しかけたからか、話し相手に困っていたようだ。健介は、ちょっと申し訳なく思った。
「どうした、二生。黙り込んで」
「あ、あの、茉衣子さん……」
そんなコミュ障にも黙り込む隙を与えないのが、この古波蔵茉衣子という女である。
「健ちゃん、あの先輩と仲いいんだね」
健介が茉衣子によく絡まれていたのは、果文もよく知っている。
「いや、俺も正直迷惑してたんだよ」
「そうなんだ」
そして、果文が笑う。実は、健介がその後茉衣子と距離を置くようになったことまで知っている。
「でも、このところ丸くなったぞ」
「そうなんだ。私、なんかこわくて……」
健介は少し笑う。
「しゃべり出したら、若杉なんかは仲良くなれると思うぞ」
「ほんと……?」
果文は首をかしげる。その時だった。
「健ちゃん、何話してるの?」
千宥が健介の顔を覗き込んだ。果文がびくっとする。いや、その表情は茉衣子の時と違う。茉衣子が「恐怖」だとすれば、千宥は「緊張」や「憧れ」に近いものだ。初対面であるが、美人だと思うものらしい。
「ああ、こいつ、昔からの仲だからな。まあ、世間話だよ。しばらく会ってなかったし、積もる話もないではないし」
「ふーん。果文ちゃんだっけ」
「あ、は、はい」
果文は声が裏返る。
「健ちゃんとは結構仲いいんだ」
「えっと、健ちゃんとはそんなじゃなくて、私が一年生の時に縦割り班が一緒で、五年生で委員会が一緒だったから、ずっと健ちゃん健ちゃん言ってました」
「そうなんだ。私、中学校も高校も前のお友達が誰もいない……あ、ほぼ誰もいない所に行ったから、うらやましいよ」
中学からの友人である綾香雄人のことを思い出したらしく、言い直した。
「先輩、福岡なんですか?」
「あ、よく知ってるね。……ああ、二生に聞いたのか」
「はい。何で二人ともこの学校なのかなって」
千宥は眉が引きつった。答えたくないというよりは、説明が難しいということではある。
「えーと……」
「色々はあったらしいけど、でも、千宥はこの学校に来るのは必然だったと思うぞ」
健介が口を挟む。色々な事情を先月聞いたばかりだったため、フォローに回る。千宥は、照れ笑いするばかりだ。
会話が途切れたところで、健介はふと、前を歩く二人を見る。
「うっそ。めっちゃ美人じゃん。あたし、サインもらえねえかな」
「あ、どうでしょう。本人に聞いてみないと……?」
何の話だろう。健介は首をかしげる。千宥と二生の母、「いせやちづる」こと杠千鶴だろうか?彼女は福岡を拠点とするタレントであるため、サインをもらうに値する人物である。しかし、それでは二生が「本人」というのはややひっかかる。「母」か「お母さん」だろう。第一、茉衣子は既に千鶴にサインをもらっている。二生の入試の数日後、自慢げに見せてきたので知っている。
「いいなあ。二生も、多分こっちのテレビ見てたら、しょっちゅう見ると思うぜ。いや、しかしすごいな、お近づきになったのかよ。あたしには本当に中学の時からもう遠くから見る存在だったぞ」
やはり、会話内容的に、千鶴では整合しない。だとしたら、誰だ?健介は首をかしげる。――いや待て、中学の時?そう思った健介であったが、気づけば坂の上に、校門が見えてきた。
校門をくぐった時、栄久高校行きの高宮バスが入ってきた。バスが低いエンジン音を響かせながら正門脇のロータリーに滑り込んできた。朝の登校ラッシュの最後のひと波、といったところだろうか。校門のあたりにいた生徒たちの視線が、なんとなくそちらへ流れる。健介も、つられるようにそちらを見た。バスの扉が開く。生徒が続々と順番に降りてくる。
その中に、ひときわ目を引く女子生徒がいた。肩までの髪が朝の光を受けてわずかに艶めく。顔立ちは整っているという言葉だけでは足りないくらい整っていて、しかもそれが作り物めいて見えない。制服の着こなしもきちんとしているのに、妙に絵になる。本人は特に目立とうとしていないはずなのに、周りが勝手に目で追ってしまう――そういう種類の存在感だった。
「あ」
果文が、さっきの二生の時よりも明らかに弾んだ声を出した。
「しろこ!」
その声に反応して、バスを降りた女子生徒が顔を上げる。そして、すぐにこちらを見つけて、ぱっと表情を明るくした。
「果文!」
迷いなくこちらに歩いてくる。それだけで、周りの空気が少し変わった気がした。いや、気がした、ではない。実際に変わっていた。近くを歩いていた生徒が、露骨ではないにせよ目を向ける。通り過ぎながらちらっと見る者、足を緩める者、友達と小声で何か言い合う者。そういう反応が、一気に増えた。
城宮ひろこ。これは芸名であり、必ずしも知られているとは言えないが、本名は城宏子という。高宮では知らない者はほとんどいない顔だ。ましてこの栄久高校では猶更である。小学校の頃からこの高宮で芸能活動をし、高宮でのCM出演数は八年連続ナンバーワン、去年は全国放送のドラマにまでデビューした。それだけあって、もう十分すぎるほど人の目を引く。――さっき、茉衣子と二生が話していたのはこれか。健介は一瞬で察した。
「おはよう」
宏子はまず果文にそう言って、それからその隣に立つ二生へ目を向けた。
「二生ちゃんも、おはよう」
「お、おはよう……」
二生がはにかみ、宏子がにこっと笑う。その笑顔は、いかにも芸能人めいた完成された笑みというより、もっと自然で、年相応で、それでいてやっぱり人を惹きつけるものだった。
果文がさっきまで茉衣子に見せていた緊張とは、全然違う顔をしている。こんな憧れの存在ではあるが、果文にとっては、そんなことは関係なく付き合える友達。二生はまだ緊張している。ただ、それは城宮ひろこの名前がとどろかない福岡からやってきた二生にとっては、有名人と接した緊張ではなく、ただの人見知りである。しかし、この二日間で、周囲から見た果文と宏子の「違い」は、わかってきた。
「あれ、結構もうお友達できたんだ」
二生が誰も同級生がいない状態でこの高宮にやってきたことは、昨日一昨日、宏子も聞いている。二生は「違うんだけど……」と苦笑しつつもそれを言い出せない。
「違うよ。先輩だよ」
代わりに果文が答えた。
「先輩?」
「うん、真ん中は二生のお姉さん!」
「ああ、言ってたね」
「お姉さん」と言われた千宥は、自分の本来の性別のことを思い、気まずい感情を抱くが、言い出せずただ苦笑する。
「で、そのお友達。あのね、男の子の方は、私の昔の友達でもあるんだよ」
健介は、その言葉にドキッとした。果文の友達、すなわち城宮ひろこの友達の友達として紹介された。いくら健介と言えど、心が揺さぶられないわけない。
「ど、どうも……」
ただ、緊張してそれぐらいしか言えない。
「おはようございます。城宏子です」
宏子は後輩として深々と挨拶する。ちなみに、城宮が芸名であり本名が上の通りなのは、さすがに同じ中学校だったため健介も知っている。
「なー、果文。あたしは?」
茉衣子が半目で笑いながら自らを指さす。
「え?!えっと……」
果文が動揺する。無理もない。宏子と共通の友人である二生の姉と自らの旧友という紹介に値する相手と違い、茉衣子は「赤の他人」だ。しかし、茉衣子も本気で紹介させようとしたわけではなく、それをきっかけに宏子の前に出た。
「あたし、古波蔵茉衣子。こっちは樋口健介。実はあたしら同じ松学出身なんだ」
「あ……見たことあります、先輩!」
同じ「松学」こと松が丘学園中学校出身の宏子が嬉しそうに言う。
「そっか。嬉しいよ。こいつは大親友の杠千宥。で、二生は大親友の妹だ。仲良くしてくれよな」
後ろから千宥も「よろしくね」と声をかける。
「わあ。お姉さん、とても美人!」
「苗字は難しいから茉衣子って呼んでくれていいぜ」
「はい、私もしろこで!茉衣子先輩も千宥先輩も……ええと、樋口先輩も仲良くしてください!」
なんというか、両者ともにこんなに物おじしないものなのか。健介は考えた。
まず、これは健介自身との比較だが、芸能人で、それだけに中学時代から「桁違い」のアイドルだった宏子相手に、こんなに物おじしないものか。自分は自己紹介すらできないほどアガった。
そして、「怖い先輩」茉衣子に、これだけ物おじしないものなのか。この際、中学時代、茉衣子のことは認識していて、健介のことは認識していなさそうなのは(そして今も名前を忘れかけたことも)どうでもいい。それは順当だと健介自身が思う。こちらは「茉衣子のことを知ってはいた」同士である果文との比較になるが、果文は本来、誰とでも仲良くなれる、そして先輩にもかしこまるタイプではない。……何せ自分も先輩であるはずなのに「健ちゃん」扱いだからだ。それが、茉衣子みたいなタイプには恐れをなす。逆に、テレビ番組で見ても、おっとりしているように見えて、こういう圧の強い先輩に緊張しそうな宏子の方がすらすらとコミュニケーションが取れている。……これが芸能人というものか。それとも、テレビで見せるあの姿が虚像でしかないのか。
「うわ、マジだ。ほんとにしろこじゃん」
さっきまで活発にしゃべりあっていたのに、会話が途切れたところで、改めて茉衣子がつぶやく。
「はい、しろこです」
「うわー、本人だ。すげえ」
茉衣子は妙に感心したように何度もうなずく。普段、人に圧倒される側ではまずない彼女が、珍しく真正面から押されていた。健介も、その気持ち自体はわかる。頭では知っている。顔も知っている。学校で見かけることも一度や二度じゃない。だが、こうして至近距離で、しかも自分たちの輪の中に当然のように入ってこられると、やはりどこか現実感が薄い。横目で千宥を見る。千宥もさすがに気づいていたらしく、ほんの少しだけ目を見開いていた。健介や茉衣子ほど露骨ではないが、驚いているのは分かる。何せ、こう見えて高宮歴自体は茉衣子より一年長い。茉衣子ほど表に出さないにしても十分に人気タレントとして存じているのである。
予鈴までは、まだ少しある。だが、これ以上ここで立ち話をしていたら、本当に人だかりができかねない。
「とりあえず、もう入るか」
健介が言うと、みんなも自然とうなずいた。そのまま昇降口の方へ歩き出す。宏子と果文が並び、その少し後ろを二生が歩く。茉衣子は相変わらず遠慮なくその輪に混ざっている。千宥もその隣で、穏やかに笑いながら会話を合わせていた。その背中を見ながら、健介は思う。――二生、大丈夫か。会話に入れていないわけではない。むしろ、周りはみんな気を遣っている。だが、それでも、急に人数が増えすぎた。しかも全員、癖が強い。あの子には、ちょっときついかもしれない。俺だったら、潰れかねない。
昇降口が近づく。ここから先は、それぞれの学年、それぞれの教室へ散っていく。そしてたぶん、二生にとっての本番は、ここからだ。
午前中の授業が二時間ほど終わった頃になっても、二生はまだ、自分がここにいることに慣れきれていなかった。教室の窓から差し込む春の光。黒板に残るチョークの跡。担任の声。ノートをめくる音。そういう一つ一つは、別に珍しいものではない。福岡にいた頃だって、教室は教室だった。なのに、空気が違う。同じ制服を着た知らない子たちの中に、自分が座っている。そのことが、まだどこか現実味を持たない。
しかも今日は、朝からやたらと視線を感じた。最初は気のせいかと思っていた。でも、違う。校門のところで、果文と宏子と一緒にいたからだろう。いや、それだけじゃない。千宥や茉衣子と並んで歩いていたのも大きい。二生自身はそんなつもりはなくても、周りから見れば、目立つ集団のど真ん中にいたのだ。前の席の女子が、ちらりと振り返る。確か、山本という。
「ねえ、杠さんってさ」
「……はい」
「朝、城宮ひろこと一緒にいたよね?」
いきなりそこか、と思った。
「あ……うん」
「すごくない? 知り合いなの?」
「えっと、知り合いっていうか、果文ちゃん……若杉さんと仲良くて、みたいな」
「へえー」
感心したような声が返ってくる。
横から、別の松岡という女子も会話に加わった。
「ねえ、なんか先輩っぽい人とも一緒にいたよね、どこで知り合ったの?」
「えっと、その中に私の……姉もいて……」
うまく表現できない。そして、未だに千宥を「姉」といって大丈夫なのかもわかっていない。生物学的にも、何よりも学校の登録上も男子である。しかし、女子の制服を身に着け、見た目も誰が疑うこともない女子だ。もし、男子と言ったら、逆に、その場にいた唯一の「明らかな男子」こと健介をあらぬ形で誤解に巻き込んでしまうことになる。健介が悪い人ではないことはわかってきたが、それでも男性が苦手な二生は、あまり男性と波風を立てたくない。助けて、果文ちゃん。そう思ったが、後ろの席にいた果文はトイレに行ったのか不在だし、何より、果文もまだ千宥の正体を知らない。
「いいなあ」
そして、その松岡の後ろ、すなわち二生の隣にいる松島という男子が口を挟んできた。突然の男子の会話参加に、二生はうっかり「ひっ」と声を上げてしまった。
「俺、若杉と塾一緒だったけど、いかにも陽キャって感じだったし、あとはあの城宮ひろこだぞ」
「松島、めっちゃファンだもんね。杠さんに媚び売らなくていいん?」
松島とは同じ中学校だったらしい山本が笑った。
「え、紹介してくれる?杠さん」
「えっと、……機会があれば」
ようやく絞り出した社交辞令である。
「あはは、頼むよ。俺、トイレ行ってくるわ」
松島が席を立ち、二生はふう、とため息をついた。
人見知りが激しい二生は、まだあまり親交の深まっていない複数名のクラスメイトと会話するという「大仕事」を終え、疲れ切っていた。
「ただいま、どしたん、二生?」
ここで果文が席に戻ってきた。
「ううん、なんにも……」
二生は少しだけ肩をすくめた。確か、昨日も聞いているが、松島と山本は春若中学校の出身である。果文や宏子、健介に茉衣子の出身校である松が丘学園中学校の隣の校区の学校であり、春若町内の公立中学校はこの二校である。たしか、松岡は高宮大学付属中学校出身である。付属中には高校がないため、市内の公立高校や千宥が途中まで在籍した月陵学園の高等部への進学が多いが、この学校も偏差値は公立進学校と大きく差があるわけではない為、多数派ではないがこの学校に進学する者もいる。自分が出た「付属中学校」にあまりそういう進路はなかったが、ある意味安心した覚えがある。そして、松島が言っていた通り、塾などのまた別のコミュニティで、学校を超えたつながりも生じる。松岡もそうやって公立中の生徒と親交を深めたらしい。
しかし、そういうバックグラウンドのない「よそもの」の二生はまだ溶け込みきれていない。だから、最初に声をかけてくれた果文についていって、次第に裾野を広げられたら、と思ったが、クラスメイトとの関わりは、意外と「待ってくれない」という現実に直面したところだ。自分なりに頑張ったと思う。
「ねえ、果文ちゃんって、このクラスに、知ってる人って何人いる?」
「うーん……ゆーても、ここ春若町だから春若の地元民が割と多いんだ。あと、春若だけじゃなくて、その近くも結構いるしね。『おな中』は四、五人いるし、塾が一緒だった子なら、春中とか宮中、菊中、名知中、って合わせると結構だからな~」
「春中」が春若中学校であることは、二生にもかろうじて分かったが、宮川中学校、菊水寺中学校、名知中学校までは知らない。いずれも近隣校だ。
「だから、半分、とは言わんけど、まあまあいるね。……二生、すごいよ。でも、だから私といたら、自然と友達増えるよ」
「そ、そうだといいんだけど……」
二生は苦笑する。横を見ると、宏子が周囲の生徒と談笑する。いや、周囲だけではなく、教室のいたるところからお近づきになろうと集まっている。誰にも、にこやかに対応する。もしかすると、今、二生以上に「知らない子」を相手しているかもしれない。
こればっかりは、方法論を学ぶ、というのもしにくい。だけど、まずは、自分の半径ひと席ずつから攻略していこう。一番通路側の列なので、斜めまで入れても五席。果文、山本、松岡、それに男子なので緊張したが、松島ともちょっと話せた。斜め後ろ……水なんとかだったと思うが、この男子にがんばって話せたら私はやれる。……今日は欠席みたいだけど。二生は自分に活を入れた。
【次回予告】
一年生の間で「美人だけど男の先輩」が話題に。二生、どうする?
次回に続きます。お楽しみに。
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