第26話 彼女と妹とママと
本作は基本的に「全年齢向け」としており、軽めの下ネタは見逃している状況です。今回、ちょっとだけグレーなネタが登場します。さらっと受け流していただく方針としますが、下ネタが苦手な方はちょっとご注意を。
<AI依存度>:
ほぼそのまま使用:17~27%
AI文をベースに改稿:26~36%
ユーザー独自の構成・設定・加筆:42~53%
恋人の親に会う時、恋人を親に会わせる時、ドキドキしませんか?作者は妻(当時結婚前)を親に会わせるのはドキドキしました。妻の母親との初対面は割と不意打ちに近かったですが。
三月も後半に差し掛かった土曜日の朝である。もう三学期も残りわずかだ。昨日、友達の姉と、その友人であり学校の先生の飲み会に乱入した。気づいたら、彼女の親父まで乱入してきた。
なんとなく疲れた。別に極端に遅くまで飲んでいたわけでもなければ、まして自分は酒を飲んだわけでもない。なのに、なんだか布団から離れられない。いや、単に休日だからか……。
朝十時を少し回った頃、朝長慎吾は自室の布団で何度寝目かに入ったところだった。部屋の外から、かすかな生活音が聞こえる。キッチンの引き出しが閉まる音。湯が沸く音。テレビの小さな音。双子の妹である雛灯はもう起きているらしい。
(……起きるか)
そう思って、一度だけまぶたを開ける。窓のカーテンの隙間から、やわらかい春の光が差し込んでいる。だが、脳が「まだ寝ていい」と判断し、再び目を閉じる。
(十一時ぐらいでいいか)
布団の中で小さく息を吐き、慎吾はもう一度、眠りの浅いところへ沈んでいった。
——そのときだった。
「……慎吾」
声がした。夢の中かと思った。しかし、数秒後。
「慎吾」
今度ははっきり聞こえた。慎吾は眉をひそめた。雛灯の声ではない。
(……誰だ)
重たいまぶたを少し開ける。視界に入ったのは、天井ではなく、人影だった。ベッドの横に、誰か立っている。慎吾はぼんやりした頭のまま、ゆっくりと焦点を合わせた。そして。
「……は?」
古波蔵茉衣子だった。およそ一か月前から交際している彼女であり、同級生だ。朝から起こしに来る、ラブコメだと定番のイベント。しかし、今までそんなことはされたことがなかったし、第一、今日、学校は休みだ。
「起きろ」
腕を組んで、見下ろしている。慎吾は数秒、無言だった。状況が脳に届くまで、少し時間がかかった。
「……なんでいんの」
「十時」
「それは見りゃわかるってば」
「起きろ」
「嫌だ」
拒否して横になる。間。次の瞬間、枕が顔面に落ちてきた。
「起きろ」
「痛え」
慎吾はしぶしぶ体を起こした。髪は完全に寝癖で爆発している。目を細めながら、もう一度茉衣子を見る。
「……なんでいんの」
「ひなが上がっていいって言った」
「ひな……」
慎吾は小さくため息をついた。
「まだ十時だろ」
「もう十時」
「休みだぞ」
「十一時になる」
慎吾はスマホを手に取った。画面を見る。十時十四分。
「……なんねえよ、まだ」
「なるぞ、そのうち」
茉衣子は呆れた顔をした。
「昨日あんだけ騒いでおいて、よく寝てられるな」
「茉衣子も十分騒いでたろ。親子でさあ」
「……父ちゃんのことはほっとけ」
茉衣子が目をそらす。
「泰造さんいなかったら俺、もっとはっちゃけてたけどな」
「うそつけ。いてもいなくても変わんねえよ、あんなジジイ」
慎吾は頭を掻いた。昨日のことがぼんやり思い出される。三姉ズの飲み会。樋口有希乃、泉麻里花、北御門結唯。茉衣子の前でははっきりと口に出せないが、泉先生はやっぱり憧れだ。有希乃さんも家庭的で、話していると楽しい。ゆい先生は……まあ、飲み方がかわいい。よかったなあ。また懲りずに乱入したいものである。
「慎吾、お前さ、何ちんちん立ててんだ?どんなエロい夢見てたんだ」
部屋着のズボン越しの品のない出っ張りを茉衣子は指さす。……泉先生の夢なら見たかったものだ。慎吾はそう思ったが口には出さない。
「生理現象だよ。わかんだろ」
「わかんねえよ。あたし女だもん。てか、あたしの夢見てたぐらい言えよ」
「お前、彼氏が自分の変な夢見てポコチンおっ立ててんの嬉しいのか」
茉衣子は数秒考える。
「……いや、微妙だな」
慎吾は小さく鼻を鳴らした。
「で、朝からウチに来るなんて珍しいじゃん。どしたん?」
「ホントはお前じゃなくてひなに用があるんだよ。いいからお前もちんちん直して起きろ」
「へいへい」
この容赦ないながらも他愛のないやりとりがひと段落した頃、二人からは自然と笑みが出た。そのとき。廊下から雛灯の声。
「起きた?」
「起きた。ちんちんも起きた」
「……変なこと言いなさんな。聞きたくないわ」
雛灯が顔をしかめた。
「おう」
慎吾が前かがみ気味に雛灯に声をかける。
「遅いよ。春若来てからずっと休みはゴロゴロして」
「うっせ。オカンかよお前」
「ママに言いつけるよ」
「そういやお前、呼んだのか」
小うるさい妹に顔をしかめつつ、茉衣子を指さし尋ねる。
「うん」
雛灯は普通に言った。
「どうせ寝てると思って」
「その通りだ」
茉衣子が胸を張る。
「ホントにわざわざ起こしに来させたんかい」
「ま、ホントは漫画を貸してあげる約束なんだけど」
「あっそ」
慎吾はため息をついた。
「コーヒーあるよ」
「行く」
慎吾は重い足取りで居間へと向かった。まだ頭がぼんやりする。
春の光が部屋に入っている。小さなテーブル。雛灯のマグカップ。テレビでは情報番組が流れている。いつもの朝長家の朝だった。
——そのまま、しばらく、なんでもない会話が続いた。
昨日の飲み会の話。有希乃の料理。泉の失恋話。泰造の登場。茉衣子が笑いながら言う。
「慎吾、完全に固まってた」
「固まってない」
「固まってた」
こうしてまた言い合いが始まる。
「固まってた」
雛灯まで言う。
「お前、いなかっただろ」
慎吾が顔をしかめる。
「固まってた」
雛灯はなんだか面白そうだ。慎吾はため息をつきつつコーヒーを飲んだ。そのときだった。インターホンが鳴った。三人とも一瞬止まる。
「……誰」
と茉衣子。
「さあ」
雛灯は肩をすくめた。立ち上がる。玄関へ行く。
ガチャ。
「はーい」
少しして。雛灯の声。
「あ、ママ」
リビングの空気が止まった。慎吾はゆっくり顔を上げる。
「……は?」
玄関から声がする。
「おはよう」
「おはよう」
雛灯の声は普通だった。だが慎吾は完全に固まっている。
「どしたん?」
茉衣子が小さく聞く。
「お袋」
慎吾は低く言った。
「え」
次の瞬間。リビングのドアが開いた。
「おはよー」
明るい声。入ってきた、髪を明るく染めた女性は、軽く手を上げた。
「あら」
リビングに視線を向けて。止まる。そこにいたのは、見知らぬ女子高生。一瞬の沈黙。茉衣子が立ち上がる。
「こんにちは」
深く一礼する。
「古波蔵茉衣子です」
女性は少しだけ目を丸くした。そして、すぐに笑った。
「ああ」
やわらかい声。
「初めまして」
「朝長茜です。慎吾とひなのママです」
その後ろで、慎吾は完全に固まっていた。頭の中で、いくつかの状況が同時に処理されようとして、うまくいっていない。
(なんで来んだよ。茉衣子がいる時に限って……)
視線が泳ぐ。茉衣子、雛灯、母、テーブル、コーヒー。逃げ場がない。
「……慎吾?」
茜が不思議そうに首をかしげる。
「何その顔」
「……いや」
慎吾はコーヒーカップを持ち上げる。飲む。もう空だった。
沈黙。
雛灯が笑いをこらえている。
「おはよう」
茜がもう一度言った。
「おはよう」
雛灯。そして、慎吾。
「……おはよう」
声がやけに小さい。茜は気にせず話を進める。
「急にごめんね。ちょっと用事あってさ」
そのままリビングに入る。春の光の中、部屋を一度ぐるっと見回す。そして、もう一度茉衣子を見る。
「茉衣子ちゃん?」
「はい」
「聞いてるよ」
茜はにこっと笑った。
「ひなから」
「……あ」
雛灯は肩をすくめた。
「何で言うんだ」
慎吾は頭を掻きつつ、雛灯を睨む。
「だって聞かれたし」
「聞くでしょ」
茜が笑う。
「彼女できた?って」
慎吾の背中が微妙に固くなる。茉衣子は一瞬だけ慎吾を見た。そして、また茜に向き直る。
「その……お邪魔してます」
「いいのいいの」
茜は手をひらひらさせた。
「いつでも来ちゃってよ。慎吾の彼女なのもそうだし、ひなとも仲いいんだもんね?」
「あ、はい」
「ね」
雛灯に振る。
「うん」
雛灯は平然としている。慎吾だけが普通じゃない。ソファの端に座り、顔が見えないぐらいうつむいている。茉衣子が横目で見る。
(なんだこいつ)
いつもの慎吾とは別人みたいだった。
「ママ、コーヒーいる?」
雛灯が台所を指さし尋ねる。
「うん。ありがとう」
茜は食卓に座り、雛灯がもう一杯コーヒーを持ってくる。数秒の沈黙。そして。
「慎吾」
「ん?」
うつむいて目も合わさない。
「今日、午後帰るんだよね?」
「……ああ」
「荷物まとめてる?」
「あとで」
「ちゃんとやりなよ」
「わかってる」
慎吾がめんどくさそうに返事すると、十秒ほど沈黙が流れた。
「彼女ができたって先週ひなに聞いたんだけど?」
茜が、さっきの続きとばかりに言う。
「まあ、できたよ」
「ママには言わないんだ」
「……いちいち言わんだろ。初でもねえんだし」
慎吾は心底面倒くさそうだ。ちなみに茉衣子は歴代三人目の彼女である。
「慎吾、お前、母ちゃんに彼女出来たの言ってなかったん?」
今度は茉衣子が口を挟んできた。
「……言わんだろ、普通」
「言えよ。家族にぐらい紹介しろよ」
「まだタイミングってもんがあるだろ」
慎吾が顔をしかめる。
「いつだよ、それ。あたしはすぐ父ちゃんに言ったぞ」
「……待って待って。それこそ言ってほしかったぞ」
慎吾の顔が一瞬で変わる。そして、昨夜のことを思い出す。
「なんか、泰造さんももう知ってる風だったのは気づいたけど、俺ちょっと緊張でゲロ吐きそうだったんだけど」
「何でだよ!これから何度も顔合わせるんだぞ。あたしの父ちゃんも、お前んとこの父ちゃん母ちゃんも」
「せかすなや」
そのやりとりを、雛灯は笑いをこらえながら、茜は楽しそうにコーヒーを飲みながら見ていた。
「いいじゃない」
茜がぽつりと言った。三人の視線がそちらへ向く。
「何が」
慎吾が低く聞く。
「若いねえって思って」
「……」
慎吾は眉をしかめた。茜は肩をすくめる。
「彼女の家にはもう顔出したんでしょ?」
「出してねえ」
「出してる」
茉衣子が即答した。慎吾が振り向く。
「出してねえだろ」
「出しただろ。昨日」
「昨日は違うだろ」
昨日は確かに茉衣子の家ではなく、三姉ズの有希乃とその弟で慎吾と茉衣子の友人である健介の家だ。
「同じだろ」
「違う」
「同じ」
「泰造さんに会ったのは間違いないんでしょ。付き合い始めてから、彼女のパパとして」
言い争う二人に口を挟む形で、雛灯が言う。
「ほら」
「ほらじゃねえ」
慎吾はため息をついた。
「俺はあれ、ただの乱入だと思ってた」
「乱入したのはお前もだろ」
「まあ、俺『ら』な」
どちらかというと、茉衣子が慎吾を誘った形ではある。
「父ちゃん来た瞬間固まってた」
茉衣子が腕を組む。
「固まってない」
「固まってた」
「固まってない」
「固まってた」
「また始まった」
雛灯が呆れた。慎吾は顔をしかめる。
「お前、いなかっただろ」
「でも想像つく」
「つくな」
「でも慎吾、そういうとこあるね」
今度は兄妹で言い争い始めた我が子たちを横目に、茜が小さく笑った。
「何が」
「大人に弱い」
「弱くない」
「弱いよ。やっぱり、私たちほどズカズカいかないもんね」
雛灯がコメントする。
「普通だろ」
「普通じゃない」
「ゆきねえとか泉先生の前では大人しくてさ。てか泉先生にはデレデレしてさ。お前の彼女は誰だ?」
茉衣子がジト目になる。
「お、推しだよ。アイドルみたいなもんだよ。お前もゆい先生好きだろ」
「あー……」
慎吾のやや苦し紛れの弁解ではあったが、茉衣子は言い返せず言葉を失った。
「茉衣子はそこで引いちゃダメじゃん」
雛灯が笑う。慎吾はコーヒーカップをもう一度持ち上げる。空だった。
「……おかわり」
「自分で入れろ」
雛灯が言う。
「ケチ」
慎吾は立ち上がり、キッチンへ向かった。その背中を見ながら、茜がぽつりと聞く。
「茉衣子ちゃん」
「はい」
「慎吾、普段どんな感じ?」
慎吾が一瞬動きを止めた。キッチンで背中を向けたまま。茉衣子は少し考える。
「……普段?」
「うん」
「うーん」
慎吾は内心で祈る。
(やめろ。余計なこと言うな)
茉衣子は真顔で言った。
「生意気かな」
雛灯が吹き出す。茜も笑う。慎吾が振り向く。
「お前な」
「あと」
茉衣子が続ける。
「スケベ」
「悪口か」
「口がうまい」
「せめて『話が面白い』とかさあ」
この漫才のようなやり取りに雛灯はさっきからずっと下を向いて笑っている。
「でも」
少しだけ笑う。
「優しいよ」
慎吾は黙った。雛灯がニヤニヤしている。茜は少しだけ目を細めた。
「へえ」
「意外?」
茉衣子が問う。
「うん、ちょっと」
「ひでえ」
母親の正直なコメントに慎吾が叫ぶ。
「家だとあんまり優しくない。ママにはつーんとしちゃって。淋しいな」
「普通だろ」
「普通じゃない」
「妹にも厳しい」
雛灯が口を挟む。
「お前がうるさい」
「ほら」
茉衣子が言う。
「こんな感じ」
三人が笑う。慎吾はため息をついた。コーヒーを淹れながらぼそっと言う。
「……なんで俺の評価会になってんだよ」
「彼氏だから」
茉衣子。
「息子だから」
茜。
「兄貴だから」
雛灯。
「最悪だなこの家」
慎吾はカップを持って食卓に戻りながらぼやく。
「今さら」
雛灯が言う。数秒、静かな時間が流れた。
「あ、そうだ」
それから思い出したように茉衣子が口を開いた。
「ひな」
「ん?」
「言ってた漫画なんだけどな」
「あー、はいはい」
雛灯が当初の約束を果たすべく自室に向かう。足音が廊下の向こうに消え、リビングに少しだけ静かな空気が落ちた。茜がコーヒーを一口飲む。
「ねえ、茉衣子ちゃん」
「はい」
「ほんとにこいつでいいの?」
「何だその言い方」
母の言いように、慎吾が眉をひそめる。
「よくないかも」
茉衣子が即座に言う。
「おい」
「勢いで決めすぎたかも。あたしは結構押されると、うんって言っちゃうタイプだから」
「ふうん。でも勢いって大事よ。私もこいつのパパと付き合い始めた時、パパにグイグイ来られたもんね」
両親のリアル馴れ初めを聞かされ、慎吾は居心地悪そうにする。
「別れようとは?」
茉衣子が尋ねる。
「何回もね。でも、もうすぐ二十年かな、なんかここまで来ちゃった。茉衣子ちゃん、なんだか昔の私を見てるみたい」
茜がくすっと笑った。慎吾と茉衣子は少しの間見つめ合う。そうこうしているうちに雛灯が戻ってきた。
「茉衣子、これよね」
「そうそう、ドラマになるんだろ、これ」
「ドラマがどんな感じになるかはわからんけど、原作は間違いないから、これ」
おすすめ漫画のプレゼンに、雛灯も少々鼻息が荒くなる。
茉衣子がパラパラと受け取った漫画を斜め読みしていると、雛灯がテレビを一瞥した。天気予報が始まっているようだ。
「午後からも晴れだって」
雛灯が言う。
「ドライブ日和だなあ」
茜が頷く。
「今日実家帰るんだっけ?車か?」
茉衣子が漫画から目を離し、慎吾に聞く。
「……まあ、ここまで来られたらな」
「嫌?一人だけバスで帰ってもいいんだよ?」
茜が慎吾を睨む。
「あ、いや……」
「半年通った道だからねえ。懐かしくていいんじゃない?」
意地悪そうに慎吾から離れるように歩いて回る茜。
「いや、待ってママ」
静止。世界が止まった。雛灯の肩が震える。茉衣子の目がゆっくり慎吾へ向く。慎吾は三秒後に気づいた。
「……あ」
「……言った」
雛灯が顔を伏せる。
「ママ?」
茉衣子がゆっくり言う。
「……違う」
慎吾は顔を覆った。
「言った!私に『内緒にしろ』って言ったのに自爆した!」
笑いを堪えていた雛灯がついに決壊した。
「慎吾、ママって言った!」
茉衣子が腹を抱える。
「だ、誰がおっはーや!」
慎吾が苦し紛れに言う。「慎吾」と「ママ」でぱっと思いついたらしい。
「うち普通にママだけど?」
茜は普通にコーヒーを飲んでいる。それが追い打ちになった。
それは確かに朝長家の日常。しかし、それを知られまいと隠そうとしていた慎吾。しかし、不意に自滅して赤面する慎吾がおかしくて、雛灯はテーブルを叩いて笑っている。
「慎吾、ママっ子!」
茉衣子が冷やかす。
「違う!」
「ママ!」
「やめろ!!」
「かわいいじゃん」
茉衣子が笑いながら言う。
「かわいくねえ!」
「かわいい」
「言うな!」
慎吾は完全に赤くなっていた。春の光の中、朝長家のリビングはしばらく笑い声に包まれていた。
「……もういいだろ」
やっとのことで絞り出す。
「やばい腹痛い」
雛灯はまだ息が整わない。
「やべえ、付き合ってから初めてぐらいにかわいいって思ったわ」
「なんだそりゃ」
「『いや、待ってママ』……」
先ほどの再現までして、再度悶絶する茉衣子。
「お前さあ」
「ほんとに普通に話しててさ、自然に出るんだもんね。私も、『あ、茉衣子いるのに』って気づいたらもう駄目でさ」
雛灯が冷静さを取り戻しつつも笑いながら解説する。
「いや、びっくりしたよな。予想外だったし」
茉衣子はまだ苦しそうだ。
「事故だろ今のは」
「事故じゃない。日常」
雛灯が言う。
「むしろ日常にしないとなんじゃない?これから茉衣子と付き合うのなら」
「……」
雛灯に正論で殴られ、ついに慎吾は黙ってしまった。
「日常だねえ」
茜がコーヒーを飲みながらうなずく。
「やめてくれ」
慎吾はソファに沈み込んだ。
しばらくして、ようやく空気が少し落ち着く。テレビの音が戻ってくる。天気予報は終わり、ニュースに切り替わっていた。
「……あー、笑った」
雛灯が顔を上げる。
「笑いすぎだろ」
「だって無理でしょあれは」
「慎吾の『ママ』は破壊力ある」
茉衣子もまだ笑っている。
「ギャップ萌えっていうやつなのか?古い?」
「萌えてるのか……」
さりげなく茉衣子からも、彼女があまり言わなさそうな用語が飛び出すが、慎吾にはすでにそれに突っ込む気力すらない。
「でもさ」
雛灯がニヤニヤしながら言う。
「何だ」
「別に隠すことじゃなくない?」
慎吾は一瞬、言葉を止めた。
「……どうだか」
「だと思うけど」
雛灯はあっさり言う。
「普通だし」
「普通じゃねえだろ」
「普通」
茜も重ねる。慎吾はため息をついた。
「……外で言うもんじゃねえだろ」
「なんでだ?」
茉衣子が聞く。
「なんでって……」
言葉が詰まる。
うまく説明できない。
「なんか……ダサいじゃん」
「どこがだ?」
即答だった。慎吾が顔を上げる。茉衣子は真顔だった。
「全然ダサくないけど」
「いや、ダサいだろ」
「ダサくない」
雛灯も言う。
「ダサいと思ってるの慎吾だけ」
「……」
茜がふっと笑う。
「まあ、思春期あるあるだね」
「ねえよ」
「まだ思春期でしょ」
慎吾は何も言えなくなった。茉衣子が少しだけ柔らかい声で言う。
「いいじゃん、ママで」
「……」
「別に誰も笑わないぞ」
「笑っただろ今」
「それは不意打ちだから」
雛灯がまた笑いをこらえる。
「タイミングの問題」
「そういう問題じゃねえ」
慎吾はまたため息をついた。だが、さっきほどの居心地の悪さは、少しだけ薄れていた。
「さて」
茜が立ち上がる。
「何」
慎吾が顔を上げる。
「帰る準備しなよ」
「ああ」
現実に引き戻される。午後には帰る。それは最初から決まっていたことだ。雛灯も立ち上がる。
「私もまとめるか」
「おう」
慎吾はゆっくり立ち上がる。
「……行ってくる」
慎吾は自室へ戻る。
ドアを閉める。少しだけ静かになる。
(……最悪だ)
ベッドに腰を下ろす。
(なんで言った)
頭を抱える。
(……まあ、しゃあねえか)
小さく息を吐く。もう起きたんだから仕方ない。もう隠しようがないのだから、受け入れるしかないわけだ。クローゼットを開ける。バッグを引っ張り出す。服を適当に詰める。外から、まだかすかに笑い声が聞こえる。
(……うるせえな)
でも。悪くない。そんな気がした。
——数分後。
慎吾が戻ると、リビングは少し落ち着いていた。茜はキッチンで何かをしている。
「終わった?」
「だいたい」
慎吾はバッグを床に置いた。
「ほんとに帰るんだな」
茉衣子が言う。
「大げさだな。週末用事があるだけだよ。別にどっかの誰かさんみたいに帰省が大旅行なわけじゃなし」
「大旅行?慣れたら、あれも、すぐだぞ。近く近く」
「天下の大リゾート地・沖縄が『近く』……」
慎吾がため息をつく。茉衣子の友人は、茉衣子と帰省の話をするとだいたいこういう反応になる。
「大げさだなあ」
茉衣子は肩をすくめる。
「だってさあ、飛行機だぞ?」
「一時間ちょいだろ」
「それがもうおかしいんだって」
雛灯も横から言う。これはさすがに慎吾の方に同意だ。
「慣れるとな、ほんとに『ちょっと帰る』感覚」
「嘘だろ」
「ほんと」
「昔はもっと大変だったけどね、沖縄」
茜がキッチンから顔を出す。
「昔って」
「ママが若い頃」
「……」
わざとらしく言う茜に、慎吾は顔をしかめる。茜がくすっと笑う。
「ほら、そろそろ行こうか。ご飯も食べよう」
「……ああ」
「ひなも荷物持った?」
「うん、これで全部」
雛灯は小さめのバッグを持ち上げて見せる。
「軽いな」
「一泊だしね」
「だな」
慎吾も自分のバッグを肩にかける。詰め方は相変わらず雑だが、足りないものがあってもどうにかなる、という顔をしている。茜はそれを一瞥して言う。
「どうせ帰ってから足りないのに気づくんでしょ」
「ねえよ」
「ある」
雛灯が即答する。
「着替えだけでもあればなんとかなるんだよ。こういう一泊ぐらいの帰省は」
「まあいいや。持ったなら行こう」
茜も肩を揺らした。朝長親子三人は揃って玄関へ向かう。茉衣子もそれについて行く。
玄関が少しだけ混み合う。いつもの動きだ。雛灯が先にスニーカーを履き、慎吾はかかとを踏みながら雑に靴を引っかける。
「ちゃんと履きなさい」
「いいだろ別に」
「よくない」
茜が軽く言う。茉衣子はその様子を少し後ろから見ていた。
(ほんと、普通だな)
さっきも思ったことが、もう一度浮かぶ。特別なことは何もない。でも、それが妙に印象に残る。
ドアが開く。春の空気が流れ込む。四人が外に出ると、玄関先が少しだけ静かになる。ドアが閉まる音。一拍置いて、また開く。
「鍵」
雛灯が顔だけ出す。
「あ」
「閉めとけ」
慎吾が言う。
「あんたやってよ」
「いいから」
雛灯が渋々施錠する。
「はい」
「サンキュ」
今度こそドアが閉まる。外では三人の足音が階段を降りていく。茉衣子はその音を、なんとなく離れてついて行きながらしばらく聞いていた。
階段を下りきると、春の光がそのまま視界に広がった。駐車場のコンクリートは少しだけ温まっていて、風もやわらかい。車はすぐそこに停まっている。自然と足が止まる。茉衣子も、少し遅れて立ち止まった。ほんの一瞬、誰も何も言わない。別れ際の、あの独特の間。
「じゃあな」
慎吾が先に口を開く。
「おう」
茉衣子も短く返す。あっさりしたやり取りだった。
「また月曜ね」
雛灯が言う。
「うん」
「漫画、ちゃんと読んでよ」
「ああ、読む読む」
「感想聞くからね」
「めんどくせえな」
顔をしかめる茉衣子。少しだけ笑いが起きる。それが終わると、また少しだけ静かになる。そのとき。
「茉衣子ちゃん」
茜が呼んだ。
「はい」
茉衣子は一歩前に出る。茜は少しだけ近づいて、自然な距離で立った。さっきまでの軽さとは少し違う、でも重くはない声。
「今日はありがとね」
「いえ」
「朝から来てくれて」
「ひなに用があっただけなんで」
「それでも」
茜は小さく笑った。
「よかったよ」
「よかった?」
「茉衣子ちゃんに会えて。付き合う前から、名前は聞いてたんだよ。慎吾からもひなからも。でも、二人から聞いてたより、ずっとしっかりした子で安心した。それに、助かる。うちの子たち、結構だらけてるからさ」
ちらっと慎吾と雛灯を見る。
「そうかなあ。慎吾はまだしも、ひなは」
茉衣子は苦笑する。
「案外そうよ。私から見ててね。でも、今日は茉衣子ちゃんがいてね、締まる人がいると違う」
「締まってたかなあ……」
「締まってたよ」
即答だった。
「余計なこと言うな」
慎吾がぼそっと言う。茜はそれを聞きながら、もう一度茉衣子を見る。少しだけ、目の色が変わる。
「慎吾、どう?」
「え?」
唐突だった。
「付き合ってみて」
茉衣子は一瞬だけ考える。ほんの短い間。それから。
「……ちょっとめんどくさい」
「おい」
慎吾が即座に反応する。茜は吹き出した。
「でしょ」
「でしょって何だよ」
雛灯も笑っている。茉衣子は少しだけ肩をすくめる。
「でも」
言葉を続ける。
「まあ、いい奴、かな?」
慎吾は何も言わなかった。少しだけ視線を逸らす。茜はその様子を見て、ふっと笑う。
「そっか」
それだけ言った。それから、少しだけ声を落とす。
「無理しなくていいからね」
「……」
茉衣子は少しだけ目を丸くする。
「慎吾も結構自分のペースで生きてるから」
「はあ」
「合わせすぎなくていい」
やわらかい言い方だった。でも、ちゃんと伝わる言葉だった。茉衣子は小さくうなずく。
「……はい」
茜は満足そうにうなずいた。
「ありがと」
それから、いつもの調子に戻る。
「じゃ、行こうか」
「おう」
慎吾が答える。三人が車の方へ向かう。雛灯が助手席に乗り込み、慎吾が後ろのドアを開ける。
その前に。慎吾が一瞬だけ振り返る。
茉衣子と目が合う。
「……じゃ」
「うん」
短いやり取り。それで十分だった。
慎吾は車に乗り込む。ドアが閉まる。エンジンがかかる。窓が少しだけ開く。
「茉衣子ちゃん」
茜だった。
「はい」
「またね」
さっきよりも少しだけ、意味のある響きだった。
「はい」
茉衣子も答える。車がゆっくり動き出す。少し進んで、止まる。バックして、向きを変える。その間、茉衣子はずっと見ていた。やがて車は道路に出て、そのまま走り去っていく。角を曲がる。見えなくなる。静かになる。風が吹く。春の匂いがする。
「……」
茉衣子はしばらく、その場に立っていた。さっきまでの会話を、少しだけ反芻する。
「無理しなくていいからね」
ふっと、息が抜ける。
「……あの人、ずるいな」
小さく呟く。やさしいのに、ちゃんと見ている。ああいう言い方をされると、逆に気を張れなくなる。
「……」
それから、少しだけ笑う。
「ママかあ」
また思い出してしまった。
慎吾の顔。赤くなって、言葉が出なくなって。
「……ほんと」
軽く息を吐く。
「めんどくさいやつ」
でも。
その「めんどくささ」ごと、ちゃんと見えた気がした。それが、少しだけ嬉しかった。茉衣子はくるりと向きを変える。アパートの階段を見上げる。そして、ぼそりとつぶやいた。
「あたしにもママがいたらな」
もう一度、日常に戻る。軽く伸びをしてから、ゆっくりと歩き出した。春の光の中で、その足取りはどこか軽かった。
【次回予告】
入学おめでとう!二生、ついにアネックス入居!
という感じです。次回からぬるっと新年度に入ります。お楽しみに。
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