第25話 三姉ズとおっさんと不在のあの子と
<AI依存度>:
ほぼそのまま使用:7〜10%
AI文をベースに改稿:23〜28%
ユーザー独自の構成・設定・加筆:62〜70%
前回まで重たい話にお付き合いありがとうございました。千宥篇とはうってかわって、朗らかに仕上げました。家飲みは店飲みと違った雰囲気になりますよね。作者自身はもう十年程家飲みとやらをしたことありませんが(晩酌はする)。
年度末である。怒涛の一年間が終わろうとしていた。終業式を間近に控えた金曜日の午後。樋口健介は、開放感のような、重圧感のような、疲労感のような、名状しがたい感情の中にいた。
思えば、入学前後のころだった。父の転勤の話が持ち上がったのは。家をどうするか。せっかく入学した高校をやめるのか。あるいは父がクビ覚悟で転勤を断るのか。家族会議が何度も続いた、あの落ち着かない時期から、もう一年近くが過ぎている。
結局、健介はこの春若町に残り、姉の有希乃と二人で暮らすことになった。最初は、少しは淋しくなるのではないかと思っていた。だが実際は、その逆だった。腐れ縁の古波蔵茉衣子をはじめ、妙に個性的な連中に囲まれて、むしろ生活は前より騒がしくなった。
中学のころは違った。家では、少し騒がしい姉を除けば、物静かな両親と静かな食卓を囲み。学校では、大上茂や、別の高校に進んだ数少ない友人と、他愛もない話をして一日が終わる。そんな日常だった。
それに比べると、今の生活はだいぶ違う。正直に言えば、自分の肌に合っているとは、いまだに言いきれないのだが――気がつけば、こういう騒がしい日々にも、すっかり慣れてしまっていた。
その日の放課後だった。帰宅し宿題を終え、居間でテレビを見ながらゆったりしていた。そして午後六時頃のこと。
「今日、飲む」
帰宅するなり、有希乃がそう言った。健介はソファに仰向けで寝そべったまま、少しだけ顔を傾けた。声は、いつもの調子だった。
「……急だな」
独り言のように呟く。だが有希乃に聞こえていないはずがない。大きい買い物袋を二つほど提げている。酒らしきものも見え隠れしている。したがって、居酒屋に行くとかではなく、ここで「宅飲み」することがおのずと分かる。
「泉とゆいちゃん来るから」
やはり、少し間を置いてから追加説明。有希乃の幼稚園からの親友で、今は健介の通う春若栄久高校の養護教諭として勤務する泉麻里花、泉とは大学の教育学部の同級生で(有希乃は経済学部だったが、泉を通じて仲良くなった)、同じく栄久の国語教諭として勤務する北御門結唯だ。この二人が来るとのことだが、そんなこと、健介にはもう言わずとも分かる程だ。宅飲みとあらば、この三人組しかない。
健介は天井を見上げたまま、小さく息を吐く。――こりゃ騒がしくなるぞ。もっとも、止めるつもりもない。止まるとも思っていない。この一年で、それぐらいはよく分かっていた。
「何時?」
「七時ぐらい」
「……えらく久しぶりだな」
実は、このアネックス久世入居直後は三回ぐらい立て続けに行われていた有希乃たちの宅飲みであるが、実は七月を最後に半年以上やっていなかった。なお、三回目は、茉衣子が杠千宥を連れて乱入した。
「三人とも社会人やってるとね、色々重なるのよ」
もっとも、居酒屋での飲みもちょくちょくやっていたとは聞くが、飲みに出かける頻度はこのところ少なかった記憶はある。
「仕事のことも家とか家族のこともね。まあ一番は泉に彼氏ができたことだけどね」
「へえ」
健介は小さくつぶやいた。それは知らなかった。
「まあ、別れたけどね。今日はその残念会だよ」
「あんまり重たいのをうちん中持ってくるなよ」
健介は顔をしかめる。こっちだって数日前に切実な話を聞かされたんだ、とは言えなかった。
有希乃はすでに冷蔵庫を開けている。中身を覗き込みながら、何やら計算している顔だった。
「お酒足りるかな。……足りんかも」
「もう一回買って来たら?」
「めんどくさ。でもしょうがないな」
あっさり認める。家から酒屋まではすぐそこである。荷物が重くなければ徒歩で行ける距離だ。……こういう時に車で買いに行くのは田舎あるあるである。
テーブルの上には、すでに菓子の袋がいくつか並び始めていた。スナックやらナッツやらが雑に置かれている。
「つまみそれだけ?」
「あと適当に作る」
「作るの?」
「なんか文句ある?」
「いや別に」
この姉は、たまに思い出したように料理をする。成功率は五分五分だ。
健介はそれ以上突っ込むのをやめ、コップを一つ取り出して水を飲んだ。気付いたら、有希乃がふらーっと玄関先まで出ていた。どうやら本当に酒を買いに行ったらしい。
七時前。呼び鈴が鳴った。
「お、来た」
有希乃が玄関へ向かう。ドアが開く音。
「おじゃましまーす」
「こんばんは」
聞き慣れた声が入ってきた。泉とゆいだ。有希乃が笑う。
「いらっしゃい。早かったね」
「パパが送ってくれたから」
泉はそう言いながら、靴を脱ぐ。ゆいも続く。泉はいつもこういう時、名知の自宅に車を置いて路面電車を乗り継いでくるが、今日は父の車だったらしい。
「私までごめんね、迎えに来てもらって」
泉の父は途中でゆいを拾ったらしい。……しかもレジ袋を持っている。
「待って、買い出しも行ったん?お父さんと?」
「うん、ゆきちゃんと飲むって言ったらパパが買ってくれたの」
「うっそ、親バカっていうか、なんていうかごめん」
有希乃が呆れつつ恐縮しつつの何とも言えない表情を浮かべる。
遅れて健介も出てきた。
「健ちゃん元気だった?」
「……火曜日ぐらいに会ったばっかでしょ」
あくまで同じ学校の先生と生徒なので、会う時は会うのだ。
「お邪魔します」
「どうぞどうぞ」
有希乃が促すと、泉とゆいは居間へと入っていく。
「なんか懐かしいね」
泉は部屋を見回した。
「そう?」
「ここで飲むの、いつぶり?」
有希乃が少し考える。
「……夏?」
「そんな前だっけ」
泉は笑いながらソファに座った。
「忙しかったんだよ、みんな」
ゆいが静かに言う。
「仕事とか、いろいろ」
泉が肩をすくめた。
「で、何で別れたんだっけ」
有希乃は意地悪そうに声をかける。
「も、もう……!」
泉がちょっと顔を赤らめる。
「大丈夫?聞く気満々だけど、言える話?」
有希乃の追撃は続く。
「わ、わかんない」
「樋口くんもいるんだから、控えめにね」
ゆいはこういう時、一番大人だ。
「まあ、こいつに勉強させるってのもありっちゃありよ。元ピを反面教師にしてさ。こいつ、女の子への気遣いとかマジでゼロだからさ」
有希乃が意地悪そうに弟の方を叩く。
「あのなあ……」
健介が眉をひそめたところだった。
――コンコン。
壁の向こうから、軽く叩く音がした。泉が笑った。
「聞こえてるよね」
ゆいも小さく笑う。有希乃が肩をすくめた。
「まあ、そりゃね」
三分ほど経過し、玄関の呼び鈴が鳴った。
「来たか」
健介が玄関へ向かう。ドアを開けると、そこに立っていたのは古波蔵茉衣子だった。
「やっぱり飲んでる」
当然の顔で言う。その後ろから朝長慎吾が少しだけ顔を出した。
「よっ」
健介は思わず言った。
「お前も来たのか」
慎吾は少し苦笑した。
「連れて来られた」
茉衣子が振り返る。
「何だその言い方」
「LINEしたの茉衣子だろ」
「そんなノリノリで来られたらなんか考えちゃうだろ。こんなかわいい彼女を差し置いて」
そうぼやきながら、もう勝手に靴を脱いでいる。
「まあ、待望の、だかんな」
健介が苦笑する。健介がアネックスに入居してからというもの、慎吾はずっとこの飲み会に来たがっていて、事あるごとに「呼んでくれ」と言ってしつこかったのだ。
「いらっしゃーい」
泉がソファから手を振った。
「おお、先生ほんとにいるんだ。伝説じゃなかったんだな」
「やだー。私たちにそんな希少価値ないよ?」
聖剣だか宝箱だかを見つけたような声を上げる慎吾に泉が苦笑した。
「朝長くん、ごめんね。なんか先生の変なところ見えると思うけど」
「いや、大丈夫よ。でも、ゆい先生がお酒飲むの、不思議だね」
「どういう意味?」
ゆいが少し頬を膨らませた。部屋が、一気に少し狭くなった。
「健介、ちょっと」
茉衣子は健介の袖を引っ張って廊下に出た。
「なんだよ」
「前はさ、千宥もいたけど、今日は迷ったんだよな、呼ぶか」
大人の飲み会に乱入するのに人を呼ぶ必要性はないような気がするが。しかし、そんなことなど考慮しないのがこの古波蔵茉衣子という女だった。…少なくとも少し前まではそうだった。
「お前にしては遠慮してるな。どうしたんだ」
「だって、この前あんなこと話された後だからさ」
千宥はつい先日、健介たち「チーム・アネックス」に、自身が女性ホルモンを服用していること、そして、これまでの壮絶な生い立ちを語ったのだ。ちなみに、その日不在だった玉井絢那には、翌日改めて話をしたらしい。
「なんか、酒が入った環境で色々言われるかもだから、どうするかなって。けど、楽しい会に呼びもしないのはちょっと違う気がしたんだ。ひなは、なんか推しのライブ配信とかで断られたんだけど」
「そうか……」
どうやら茉衣子は、このアネックスにそもそも在住していない玉井については不明だが、少なくともそれ以外のチーム・アネックスには一通り声をかけるべきだと考えているらしい。健介は「そうか?」と思わないでもないが。朝長慎吾と雛灯の兄妹には声をかけ、慎吾は来て雛灯は断られた。そして、千宥は……。
健介は少しだけ考えてから言った。
「呼べばいいんじゃないか」
茉衣子が眉を上げる。
「そんな軽く言う?」
「だって、呼ばなかったらそれはそれで気にするだろ。お前が」
「……まあ」
茉衣子は腕を組んだ。廊下の向こうから、泉の笑い声が聞こえてくる。もう完全に飲み会の空気になり始めていた。健介は続けた。
「別に来るかどうかは向こうが決めることだろ」
「慎吾と同じだな、答え」
なるほど、別に彼氏を差し置いて相談したわけじゃなかったらしい。
「まあ、そうだろうな」
「あたし、圧強えじゃん?だから、なんか強制してるっぽくなったらやだなって」
なんと、茉衣子も「圧」を自覚している。成長して自覚したのか、それを気遣うべきものだということを覚えたのか?健介は目を丸くする。
「健介、送ってくれん?」
「何で俺なんだよ」
それはさすがに迷惑な話である。健介は眉をひそめた。
「お前が誘いたいだけで、俺は別に誘わなくていいって思ってんだから。自分でしろよ。……強制してないってのを、添えといたら?LINEでさ」
「うーん、そっか……」
茉衣子は少し考えてから、渋々、ポケットからスマホを取り出した。
「『今106で三姉ズの飲みに凸してるけど来るか?。無理せんでいいけど、よかったら』……こんな感じでいいか」
「いいけど、何だよ三姉ズって」
「よくね?ゆきねえと泉先生とゆい先生。三人まとめて三姉ズ」
「……何でもいいけど」
送信。数秒の沈黙。
「既読ついた」
「早いな」
「スマホ見てたんだろ」
茉衣子は画面を見つめたまま言う。
「……『今日はやめとく。楽しんで』だって」
健介は小さくうなずいた。
「そうか」
茉衣子はスマホをしまった。どこかほっとしたようだった。
「無理はしないタイプだし」
「そういうとこは偉いよな」
「偉いよ」
そう言ってから、茉衣子は少しだけ肩をすくめた。
「まあ、でも誘ったからな。いいんじゃね?」
健介がうなずく。
「だな」
そのときだった。リビングから慎吾の声が飛んできた。
「お前らー!こそこそ何してんだ!」
「今戻るー」
茉衣子が答える。
二人がリビングに戻ると、もう場の空気はすっかり出来上がりかけていた。泉がソファに深く座り、手元に缶ビールを持って笑っている。ゆいはテーブルの端に腰掛け、グラスに氷を入れていた。有希乃はキッチンでフライパンを振っている。
「どうしたの?」
泉が言う。
「密談?」
「違うわ。千宥のことだよ」
茉衣子が即答した。
「あー、健介にも聞いたんか?」
「ああ。お前と同じ答えだけどな。もう、LINEして、断られたよ」
「そっか」
この一か月でだいぶ二人並んだ姿が板についてきたカップルが、テーブル周りの空いている場所に揃って腰を下ろした。
「慎吾ちゃん」
有希乃がキッチンから声を飛ばす。
「はい?」
「それ開けていいよ」
そう言って指さしたのはポテトチップスの袋だった。
「あ、どうも」
慎吾は素直に袋を開ける。泉が笑う。
「働かされてる」
「いや、綺麗なお姉さんの為ならなんぼでも動くよ?俺は」
慎吾は袋を開けながら言う。
「もちろん泉先生もね。……あたた」
反対隣の泉にしれっと肩を寄せ、茉衣子に耳を引っ張られる慎吾。
「健介も手伝いなさい」
有希乃の声。
「俺?」
「箸出して」
「はいはい」
健介は棚から割り箸を取り出し、テーブルに置いた。泉が言う。
「いいねえ、年度末って感じ」
「なんのこっちゃ」
健介がつぶやく。
「なんかこう……全部終わった感」
「まだ終業式あるでしょ」
「細かいことはいいの」
ゆいが横から小さく笑った。
「泉ちゃんは三月に入ってから、ずっとそれ言ってるんだから」
「だってほんとに疲れたんだもん」
泉はテーブルに頬杖をつく。
「社会人って疲れる~。大学生に戻りた~い」
「まだ一年目でしょ」
健介が苦笑する。
「先生って職員室でもこんな感じなの?」
慎吾がポテチをつまみながら言った。泉が顔を上げる。
「こんなって?」
「なんか……普通の人」
「普通よ~」
泉は笑った。
「先生だって人間だもん」
ゆいが静かに付け足す。
「でもさ、酔った先生たち、面白かったよな。だから今日もきたんだ、あたし」
茉衣子がポテチを一枚取る。
「つーか慎吾、食いすぎ」
「まだ二枚だ」
「三枚だろ今」
「見てたのかよ」
「仲いいねえ」
二人の小競り合いに泉が笑い出した。
「こんなんばっかだよ」
「そうそう。細かいことでわーわー言ってんだ」
二人、やはり案外気は合うようだ。
「細かいことを言い合えるぐらいが一番よ~。遠慮して何も言えなくなったら、終わりよ」
泉の表情に影ができた。事情をさっき聞いた健介は眉をひそめた。
「泉ちゃん大丈夫?色々話、聞くよ?」
ゆいが心配そうに声をかける。
「ううん、あとでゆっくりね」
そのとき、有希乃が皿を持って戻ってきた。
「はい、適当つまみ」
テーブルに置かれたのは、簡単な炒め物だった。
「わー、ゆきちゃん料理するんだ」
泉が身を乗り出す。
「するよ。今はあたしらだけだもん。健介もするよ?」
「でも、なんか不思議。いいなあ、私ももっと料理しないと」
泉は今も実家暮らしで、あまり料理はしないようだ。
「楽しいよ。気分が乗ったら」
「うまい」
慎吾が一口食べて言った。
「ほんと?」
「普通に」
「『普通に』ってなんか微妙」
泉が苦笑する。
「高校生の語彙なんてこんなもんでしょ」
有希乃は意に介さないようだ。部屋の空気が、ゆるく回り始める。窓の外はもう完全に夜だった。気づけばもう春、まだ夜は寒いが、それでも外の空気は少しだけ柔らかい。泉がグラスを持ち上げる。
「じゃ、とりあえず」
全員を見る。
「年度末おつかれ」
有希乃がビールを持ち上げた。ゆいと泉もコップを掲げる。高校生三人はジュースだった。
「かんぱーい」
軽くグラスが鳴った。泉は一口飲んで、ふうっと息をつく。
「はあー……生き返る」
ゆいもコップに注いだチューハイを両手で抱えて飲んでいる。慎吾がジュースを飲みながら言った。
「なんか不思議だな」
「何が?」
茉衣子が聞く。
「先生が普通に酒飲んでるの」
泉が肩をすくめる。
「飲むよ」
「でも学校じゃ絶対見ない光景だからさ」
「そりゃそうでしょ」
有希乃が言った。
「職員室でビール開けてたらニュースになるよ」
慎吾が笑った。
「そりゃな」
健介はグラスを置きながら言う。
「それはそれで見てみたいけど」
「やめて」
ゆいが真顔で言った。
「教育委員会に怒られる」
泉がくすっと笑う。
「でもね、昔はもうちょっとゆるかったらしいよ」
「そうなの?」
茉衣子が聞く。
「うん。うちの父が言ってた」
泉はポテチをつまむ。健介は思い出した。そういえば泉の父は月陵学園の教師だったはずである。千宥や雄人に、今度知っているか聞いてみよう。
「修学旅行とか、すごかったって。先生たちもお部屋で飲むんだって。宴会、宴会」
泉は父の思い出を代弁する。
「今はコンプライアンスだからね」
ゆいが静かに言う。
「先生って大変だな」
慎吾がしみじみと言う。
「大変よ」
泉はあっさり言った。
「でもまあ」
グラスをくるくる回す。
「こうやって飲める場所があるだけで、だいぶ違う」
その言葉に、有希乃が軽くうなずいた。
「だよね。またちょいちょいここで飲もう、マジで」
「つーかさ」
茉衣子が口を開く。全員を見る。
「三姉ズの飲み、なんか久しぶりじゃね?」
「夏以来だもん。かなり久しぶりよね」
泉が言う。
「てか三姉ズて何よ」
健介と同様のツッコミを、今度は姉の方が笑いながらした。
「泉先生とゆい先生がいるだろ。だけど、ゆきねえもいるだろ。だから『先生たち』じゃねえ。じゃあ、年齢的にあたしらよりお姉ちゃんだから、で三人トリオだから三姉ズ」
「そうだったんだ」
泉が健介の方を向いて言う。
「……俺も今日初耳だけどな」
「まあ、俺と茉衣子で先週命名したからな」
慎吾が言った。
「命名、ぁ三姉ズっ!!」
慎吾が立ち上がって歌舞伎っぽく叫んだ。
「うっせお前」
茉衣子が慎吾の裾を引っ張る。
「お前酔ってるのか?」
健介も冷静にツッコミを入れる。
「めっちゃ素面だが?」
「そっちのがこえーよ」
健介が眉をひそめる。
「いいからいいから。ポテチでも食っとけ」
「もがもが……」
茉衣子が慎吾の口にポテチを数枚ねじ込む。やや乱暴だが、茉衣子の目は楽しそうである。慎吾は茉衣子にねじ込まれたポテチをゆっくり咀嚼している。そして、ジュースで流し込んだ。
「そっかあ。慎吾ちゃんと茉衣子ちゃんかあ。改めて付き合い始めたの、びっくりだなあ」
突然、泉がしみじみと言う。一瞬、沈黙。慎吾が咳払いした。
「……まあ」
「何だその反応」
茉衣子が睨む。
「普通だろ」
二人の一見つっけんどんにも見えるやりとりを見ながら、泉がニヤニヤしている。
「健ちゃんが前にケガしたよね?あの時、同時に玉ちゃんが具合悪くなってね。あれが初対面だったんでしょ?わー、私その瞬間見届けたんだ。きゃー」
泉が体を揺らしながら興奮している。
「でも、朝長くんと付き合い始めてから、私にじゃれつく頻度が減ったのはちょっと良かったかも」
ゆいが小さく苦笑した。
「いんや、ゆい先生。男はこいつだけだけど、女の子は無限だからな。これからも行くからな」
「ひっ……!」
茉衣子が指をわしわし動かしながらゆいにすごむ。一瞬ゆいがたじろいだ。
「いやでもホントに『慎吾ちゃんなんだ!』って思ったよ。なんか一時期仲悪そうだったし、やっぱり、あたしの中では中学の時に健介とセットだったイメージがあるから、茉衣子ちゃん」
「やめろ」
健介が有希乃を制した。
「ときに茉衣子ちゃんや。男枠が慎吾ちゃんで埋まって、あとは女の子枠は無限だとして、千宥ちゃんはどっち扱いなのかね」
有希乃はなぜか千宥絡みの話が好きである。この前の告白を聞いた三人は一瞬真顔になるが、茉衣子はあえて強く言った。
「女の子だよ!あいつ、あたしの中では出会った時から女の子だよ」
「そっかそっか。うーん、でもやっぱりみんなそうだよね。いや、かわいいな。千宥ちゃんも来ればよかったのに」
「なんか、ちょっと具合悪いっぽいぞ」
ちょっとした嘘だが、指摘するほどのことではない。茉衣子なりの気遣いだ。健介もそう判断して頷いた。
「でもさ」
泉が笑いながらグラスを持ち上げる。
「高校生カップルを眺めながら飲む酒って、なんか贅沢じゃない?」
「何だそれ」
慎吾が苦笑する。
「そういえばさ」
泉がビールを一口飲んで、慎吾と茉衣子を見た。
「二人は付き合ってどれぐらい?」
「……一か月ちょい?」
慎吾が答える。
「そんなもんだな」
茉衣子も頷く。
「いいねえ」
泉が笑う。
「一番楽しい時期じゃん」
「先生こそどうなの?」
慎吾が聞く。
「彼氏いるんでしょ?」
「あー」
泉は困ったように首を傾げた。
「いた」
「過去形なんだな」
茉衣子が言う。健介は苦笑する。
その場が少し静かになった。
「別れたんだよね」
ゆいが優しく聞く。
「うん。今月入ってすぐ」
泉は苦笑した。
「えっ」
茉衣子が思わず声を上げる。
「そんな最近だったの?」
「うん」
泉は缶を見つめながら笑う。
「半年ぐらい付き合ったんだけどね」
「で、どっちが振ったん?」
有希乃が興味深そうに聞く。
「わ、私……」
少々気まずそうに答えた。
「何で?」
慎吾が率直に聞く。泉は少しだけ困ったように笑う。
「一言で言うとね」
少し間を置く。
「合わなかった」
「……ああ」
有希乃がなんとなく察したように頷く。
「最初はね、好きだったよ?でも付き合うとね」
肩をすくめる。
「色々見えるでしょ」
「うん、そうね」
ゆいが静かに頷く。
「趣味も全然違うし」
泉は指を折って数え始めた。
「休みの日の過ごし方も違うし、家での感じ見てると一緒になっても家事もあんまりしなさそうだし、食べ物も合わないし。あと……」
少し言葉を止める。
「まあ、色々」
泉は目をそらす。
「色々って何よ、泉」
有希乃が聞く。
「色々は、色々よ。ゆきちゃんも、そういうのなかった?前の彼氏さん」
有希乃は数秒考え、コップに残った酒をぐっと飲みほした。
「早かった!」
何がとは言わない。おそらく、酔いに任せて、実の弟を含めた高校生の前なので主語だけはぼかし、彼女が感じた不満を一語でまとめた。意図を理解したらしい慎吾は興味深そうに有希乃を見つめ、茉衣子は意味を理解していないのか自分に置き換えて考えられないのか首を傾げ、ゆいは気まずそうに顔をしかめ、健介は実の姉の発言が「そういう意味」なのかと考えつつも認めたくなくて「別の意味ではないか」と必死に考えていた。
泉もコップの酒を半分ほど飲み言った。
「たぶん、ゆきちゃんとは違うけど、まあ、私もほんと、色々!」
「だから何がよ?」
有希乃がニヤニヤする。
「もうなんでもないってば」
泉がおろおろする。
「大人になるとね、『ここはちょっと無理』っていうのがあるの」
泉がごまかすように、高校生たちにしゃべりかけた。
「どうした、急に」
有希乃が吹き出した。
「まあ、あるね」
ゆいも苦笑する。
「私も二十三だから。……まだ二十三かもだけど」
泉はコップのふちをなぞる。
「結婚のこと、考えちゃうわけね」
そこでため息をつく。
「付き合うだけなら我慢できても、一緒に暮らすのは無理かなって」
「なるほど」
慎吾が真面目な顔で頷く。
「だから振った」
泉はあっさり言った。
「好きじゃなくなったっていうより、この人とは将来ないなって思った」
少しだけ寂しそうに笑う。
「それだけ」
しばらく誰も話さなかった。その沈黙を破ったのは茉衣子だった。
「……なんか、大人だな」
泉は笑う。
「でしょ?」
「だから二人は」
慎吾と茉衣子を交互に見る。
「まだ、純粋に好きで付き合えるんだから、いっぱい楽しむといいよ」
もう半分を飲み干し、缶に三分の一ほど残っていた酒をコップについだ。
「でも、そのまんまいったら、良かったら結婚式呼んでね」
しばらく談笑し、乾杯からおよそ一時間余り経過したところだったろうか。
――ピンポーン。
玄関の呼び鈴が鳴った。全員がそちらを見る。
「……誰だ」
健介が言う。
「さあ?」
ゆいが首をかしげる。
「誰か呼んだ?」
泉がグラスを置く。
「いや。茉衣子ちゃんらも違うかな?」
有希乃の問いに茉衣子と慎吾は首を横に振る。
「私、出る」
有希乃が立ち上がり、玄関に駆けていく。そしてすぐに、有希乃の声。
「あらっ」
少し驚いたような声だった。リビングの全員が顔を見合わせる。足音が近づく。廊下の向こうから、もう一つ声が聞こえた。低くて、よく通る声。
「いやー、若い声が聞こえたもんでなー。やっぱ飲んどるさー?」
次の瞬間、リビングの入口に大きな影が現れた。色黒でがっしりした男だった。肩にはコンビニ袋がぶら下がっている。男は部屋をぐるりと見回した。そして、にっと笑う。
「おー、やっぱり飲み会やっさー」
「父ちゃん……」
古波蔵泰造だった。茉衣子が額を押さえた。
「泰造さん来た」
泉が吹き出す。
「こ、こんばんは」
ゆいは少し驚いた顔をしていたが、すぐに小さく会釈した。
「おお、先生たちもおるやっさ」
泰造は大きくうなずく。それから高校生三人を見る。
「おー、若いのもおるなあ」
慎吾の顔を見て、にやりとした。
「あれ、慎吾くんやし」
慎吾は苦笑した。
「どうも」
「クリスマスぶりさ」
泰造は袋を軽く持ち上げる。
「差し入れ買ってきたさー。飲み会言うたらこれさ」
コンビニの袋の中で缶が音を立てた。
「泰造さん、ほんと嗅ぎつけるの早いね」
有希乃が笑う。
「そらわかるさあ」
泰造は胸を張る。
「この部屋から酒の気配したらよ、俺のアンテナが反応するさ」
「かなりニッチな能力ね~」
泉が笑いながら言う。
「父ちゃん、うるさい」
茉衣子がため息をついた。
「何言うとるさ。盛り上げ役やっさー」
泰造はずかずかと中に入り、テーブルを見た。
「お、ゆきちゃん、いいつまみ作っとるさー」
有希乃が肩をすくめる。
「適当だけどね」
泰造は慎吾の肩を軽く叩いた。
「慎吾くん」
「はい?」
「茉衣子、ちゃんと面倒見とるか?」
一瞬、沈黙。泉が吹き出した。
「逆だろ普通」
茉衣子が即座に言う。慎吾が苦笑する。
「たぶん、半々です」
泰造は満足そうにうなずいた。
「よし、それでいいさ」
「ほら、泰造さんも座って座って」
泉が笑いながら席を指さした。
「おお、いいのか?」
「どうぞどうぞ。差し入れ持ってきてる人は歓迎されるルールなの」
「そうかそうか」
泰造は袋をテーブルに置いた。中から一番目立っていた泡盛の瓶の他に、家から持ってきたであろうおつまみを取り出す。
「おー、豪華」
泉が身を乗り出す。
「さすが父ちゃん」
茉衣子がぼそっと言う。
「飲むか?」
泰造が慎吾に缶を差し出しかける。
「いや、高校生なんで」
慎吾は苦笑して手を振った。
「そうだった」
泰造は豪快に笑う。
「真面目やっさー」
「普通です」
慎吾が答えると、泉が言った。
「でも慎吾ちゃん、似合うよね」
「何が?」
「彼女のパパにお酒すすめられるの」
「そ、それは俺じゃなく泰造さんが似合ってるんじゃ?」
全員が笑った。
「泉さん、泰造さんのこと、知ってたっけ?」
健介が尋ねる。あまりこの家で飲み会を開いた回数は多くなく、泰造がこの飲み会に乱入するのは(以前、クリスマス会ならあったが)初めてだ。そして、娘の学校の教員である泉とゆいであるが、まず泰造もめったに学校には来ない。そもそも健介ですらそうしょっちゅう会うわけではない。接点が見当たらなかったのだ。
「年末かな。宮川で高校の同窓会してたのね」
「ああ、なんかあったね」
泉と有希乃は、健介たちと同じ春若栄久高校の先輩にあたる。確かにその時期に有希乃が「同窓会」と言って、ここから電車で十五分ほどの繁華街に飲みに行ったのは、健介にも記憶がある。
「私とゆきちゃんと何人かで二次会で女子会してたら、お隣に泰造さんがいたのね。お店の仕事納めで飲みだったって」
春若栄久高校の同窓会と泰造が店長を務める沖縄料理店「くえ~ぶ~」の忘年会がバッティングして、たまたま隣人の有希乃と泰造が居合わせて盛り上がった。状況は分かった。
「なるほどねえ」
健介が苦笑すると、泰造は座り込んだ。
「じゃあ俺も混ぜてもらうさ」
有希乃がコップを持ってくる。
「泰造さん、二回目の乾杯しよ。これ、泰造さんのコップね。お水と氷も使っていいよ」
「いいさー」
そう言って、氷を入れて持ってきた泡盛をコップに注ぐ。
「乱入記念ですね。あ、栄久で国語を担当している北御門です」
ゆいは初対面らしく、会釈しつつそう名乗る。
「ああ、ゆい先生さ。お世話になってます。茉衣子がかわいいかわいい言ってたさ」
「は、はあ、どうも……」
照れくさそうに縮こまりつつ、コップを掲げる。高校生三人はまたジュースだ。
「はい、じゃ、泰造さん乱入おめでとう」
泉が言う。
「何だそれ」
茉衣子が呆れる。
「かんぱーい」
再びグラスが鳴った。泰造は一口飲んで、満足そうに息を吐く。
「うまい!」
そして改めて部屋を見回す。
「しかしよ」
慎吾と健介を交互に見る。
「高校生増えとるな」
「青春しとる顔や」
泰造は笑う。結構酔っているらしい。慎吾が少し照れくさそうに頭をかいた。茉衣子が言う。
「父ちゃん酔うの早えよ」
「家でゼロ次会してたさ」
泰造はそう言いながら、もう一口飲んだ。要するに、家で普通に晩酌していたが、途中でこの部屋での酒盛りに気づいたらしい。
「いいねえ、この空気」
泉がくすくす笑う。
「なんか明るくなったね。さっきちょっとしんみりしちゃったから」
「そ、そうね……」
ゆいの滅多にないいじりに泉が苦笑する。外では、まだ冷たい春の夜が続いている。だが、この部屋だけはすっかり温かかった。泰造はつまみの皿をのぞき込みながら言った。
「しかしよ、今日は人数多いさー」
「いや、何人か欠席してますよ。千宥とか、あとひなちゃんも」
健介が言う。
「あー、あの眼鏡の子かー。そうさ」
泰造が思い出したように言う。
「今日は来んのかー?」
「推しのライブ配信だってよ」
茉衣子が即答した。
「ひなちゃん、そういうの徹底してるよね」
泉が笑う。
「そうだねー。朝長さんもちゃんと自分持ってるもんね」
ゆいも頷く。
「一回予定入れると絶対変えない」
慎吾がポテチをつまみながら言う。
「変な所でプロ意識あんだよ、あいつ」
「何のだよ」
健介が突っ込む。
「オタクの」
「それはそうか」
泉はそのやりとりにクスッとする。
「あと」
泉はグラスを持ちながら、ふと思い出したように言った。
「千宥ちゃんは?」
その名前が出た瞬間、空気がほんの一瞬だけ変わった。茉衣子が肩をすくめる。
「今日はちょっと具合悪いっぽい」
「そうなんだ」
ゆいが少し心配そうな顔をする。
「大丈夫かな」
「大丈夫だと思いますよ」
健介が言う。
「さっきLINE返ってきてたし」
茉衣子が証言する。
「来ればよかったのに」
泉がグラスをくるくる回す。
「呼んだんだよ」
茉衣子が言う。
「え、そうなの?」
泉が目を丸くする。
「うん。でも今日はやめとくって」
「千宥ちゃん、真面目やっさー」
泰造が腕を組んだ。
「そうなんですよ」
健介が苦笑する。
「無理しないタイプ」
「いいことさ」
泰造はうなずいた。
「具合悪いなら、寝らんといかんさー」
泉が頬杖をつく。
「でもさあ」
少しだけ楽しそうな顔になる。
「千宥ちゃん、可愛いよね」
「急に何」
健介が言う。
「前から思ってた」
「先生、そんなん、みんな思ってるぞ」
泉の発言に茉衣子が突っ込む。
「まあ、そうなんだけどね。なんかこう……守りたくなる感じ」
「わかるかも。雰囲気が柔らかいよね」
ゆいも静かに言う。
「そうそう。なんかこう……最初会ったときより、最近の方が余計そう見えるんだよね」
泉もうんうんと頷いた。
「え?」
健介が思わず顔を上げる。泉は気にせず続けた。
「ほら、この前会ったとき思ったんだけどさ」
グラスをくるくる回す。
「日に日に女の子っぽさが増してる気がするの」
その瞬間。高校生三人の動きが、同時に止まった。慎吾がジュースを飲む手を止める。茉衣子はポテチをつまんだまま固まる。
「……そう?」
健介だけが、かろうじて平静を装った。泉は頷く。
「うん。前から可愛い感じだったけどさ」
「最近、余計そう見えるっていうか」
ゆいも思い出すように言う。
「髪の感じとかもあるよね」
「それ!」
泉が指をさす。
「なんか前より柔らかい感じ」
「いやーわかるさー」
泰造まで乗ってきた。
「最初見たときよ、俺ほんとに女の子か思ったさ」
「でしょ?」
泉が笑う。
「今は、磨きがかかってるさ」
「でしょでしょ?」
泉は大きくうなずく。
「ねえ、ゆきちゃん、思わない?」
有希乃は少し考えてから、あっさり言った。
「思う」
健介の背中に冷たい汗が流れる。
「最初会ったときより、だいぶ雰囲気変わったよね」
有希乃はグラスを置きながら続けた。
「なんかこう……」
言葉を探す。
「柔らかくなった」
「そう、それ!」
泉が膝をぽんぽん叩く。
「最初はもう少し、こう……緊張してる感じあったよね」
ゆいも小さく頷く。
「今は自然。女の子っぽい自然さ」
泉が笑う。慎吾が小さく咳払いした。
「……まあ」
必死に平静を装う。茉衣子は黙ったままだった。泰造が言う。
「でもよ」
泡盛を一口。
「いいことやさ」
「え?」
泉が聞く。
「人ってよ、楽しいとこにおると顔変わるさ」
泰造はあっけらかんと言う。
「ここ来て、楽しそうだし」
その言葉に、一瞬だけ空気が静かになった。
「確かに」
有希乃が小さく笑う。
「それはあるかも」
泉も頷く。
「学校でも、最近表情柔らかいもんね。前より笑うようになった気がするっていうか」
ゆいも言う。
「それそれ」
泉が頷く。
グラスを指で回しながら続けた。
「なんかさ、最初会ったときって」
言葉を探す。
「いい子なんだけど、ちょっと壁がある感じあったじゃん?」
有希乃が「うん」と頷く。
「遠慮してる感じね」
「そうそう。今はそれが抜けた」
泉は膝を軽く叩く。
「この前廊下で会ったときもね、すごく自然に笑ってくれたよ」
ゆいも静かに続けた。
「へえ」
有希乃が興味深そうに言う。
「学校でそんな感じなんだ」
「うんうん」
ゆいは頷く。
「あとね、結局杠さんって何で女の子の格好してるのかはよくわからないけど……」
少し考える。
「女の子を演じようとしてるのかな?って思ってたんだけど、なんか、すごく女の子!って感じ?」
「それね。見てて思うよ」
「泉ちゃん、わかるでしょ」
ゆいと泉が嬉しそうに言いあう。そしてふと高校生三人を見る。
「ねえ、どう?」
突然話を振られて、三人が固まる。
「最近の千宥ちゃん」
泉は軽い調子だ。
「なんか、本格的に女の子してない?」
ゆいは珍しく力がこもっている。
沈黙。
健介はグラスを持ったまま止まった。茉衣子はポテチを持ったまま動かない。慎吾が一瞬だけ二人を見る。それから、先に口を開いた。
「……まあ」
ジュースを一口飲む。
「変わったっていうか」
少し考える。
「慣れたんじゃない?」
「慣れた?」
泉が首をかしげる。慎吾は肩をすくめた。
「このメンバーとか、学校とか」
「月陵っていう別世界からやってきたわけでしょ。雄人みたいな能天気な奴はともかく、千宥ちゃんは……まあ、俺は入学当時のことはよく知らんけど、借りてきた猫みたいにしてたんじゃない?どうかね、茉衣子」
「あー、それはあるな。あいつ、ああ見えて最初はあたしにもびくびくしてたんだぜ。元々人見知りするんだろうな。どうだ、健介?」
「あ、人見知りするの……?俺も大概人見知りしいだからかもだけど、千宥は最初からフレンドリーだったように見えるけど」
「じゃあ、あれだろ。千宥ちゃんのATフィールドがなくなりかけてた頃が、健介がこっちに来た時期なんじゃね?入学ん時に会ってた茉衣子にはびくびくしてて、二、三か月してから出会った健介とか俺にはもうなんもなしだったんだよ。そうだろ」
慎吾が力説する。
「なるほどねえ」
泉が納得する。
「それはあるかも」
「環境に慣れると、人って表情変わるもんね」
ゆいも頷く。慎吾は静かに続ける。
「あと」
少し笑う。
「茉衣子がいるから」
茉衣子が顔を上げる。
「は?」
「いや」
慎吾は真面目な顔だ。
「一番遠慮なく接してるだろ」
「……まあな」
茉衣子は視線を逸らす。泉が笑う。
「確かに、茉衣子ちゃん、千宥ちゃんに容赦ないもんね」
「別に。あたしゃ誰にも容赦ねえよ?だから人から嫌われたりすんだ」
茉衣子はポテチをかじりながら健介を見る。健介は気まずそうに目をそらした。
「でもさ」
有希乃が面白そうに言う。
「なんか、もう一個変わった気がするのよ」
グラスを持ちながら高校生を見る。弟、健介の背筋が伸びる。
「もう一個?」
泉が興味を示す。
「うまく言えないけど」
有希乃は少し首を傾げる。
「前より……」
言葉を探す。
「可愛くなった?」
健介がむせかける。
「それは元からじゃないの?」
慎吾が指摘する。あまりにも自然な返しだった。
「そうなんだけどさ」
「でも確かに」
泉が笑う。
「やっぱり、最近、雰囲気変わったよね。何って言えないけど」
ゆいも頷く。三人の視線が再び高校生に向く。
「ね?」
泉が聞く。
「どう思う?」
健介は言葉を探す。茉衣子は腕を組む。その横で、慎吾がもう一度口を開いた。
「まあ」
ジュースを置く。
「春だからじゃね?」
「春?」
泉が聞く。
「春って、人ってちょっと変わるじゃん」
慎吾は少し笑った。
一瞬の沈黙。
「慎吾ちゃん、そんな大人っぽいこと言うんだ」
泉が吹き出した。
「確かに」
ゆいも笑う。
「春はそういう季節よね」
有希乃が頷く。健介は小さく息を吐いた。茉衣子は慎吾の脇腹を小突いた。小声で言う。
「ナイス」
「だろ」
慎吾がポテチをかじった、そのときだった。
「おーい」
泰造の声がした。
「何だよ父ちゃん。酔っぱらってんだろ」
茉衣子が言う。泰造は、ゆっくり顔を上げた。
「今よ」
少し目が据わっている。
「何の話しとるさ」
泉が笑う。
「千宥ちゃんの話」
「おー、あの子か」
泰造はうなずく。
「もうこれはダメだ」
茉衣子が慎吾に耳打ちする。もう泰造はすっかり出来上がっている。
「いい子さー」
それだけ言って、泡盛を一口。そして急に、慎吾と健介を指差した。
「若いの」
「はい?」
慎吾が答える。
「なんでそんな顔しとるさ」
一瞬、空気が止まった。
「どんな顔?」
泉が首をかしげる。泰造は二人を交互に見た。
「なんかこう……」
指をぐるぐる回す。
「バレたくない秘密ある顔さ」
健介がむせた。
「何すか、それ」
慎吾がすぐに笑う。
「いや、なんとなくさー」
泰造はいたって能天気な顔だ。
「若いのはそういう顔するさ」
一度は動揺した健介だが、考える。どうせ、口が軽い茉衣子のことだから、泰造には千宥の真相を話したのではないか?……もちろん、学校の友達とか、そういうところには言わないが、千宥をよく知る身内には明かしたということだろうか。で、泰造は大人として、泥酔しながらも、最低限のラインを守っているのではないかと。まあ、泰造さんならギリギリセーフか……?ちょっと後で茉衣子にも確認してみよう。
「でもよ」
泰造は泡盛を掲げる。
「いいことさ」
「何が~?」
泉が聞く。
「若いのが、誰かのことでこんな真剣な顔するんは」
泰造は少しだけ真面目な顔になる。
「いいことさー」
一瞬、静かになる。その空気を破ったのは泉だった。
「泰造さん」
「ん?」
「それ、いいこと言ってる風だけど」
「あい」
「もうだいぶ酔ってるよね?」
泰造は少し考えた。
「……家から数えて七杯目さ」
「早いよ」
有希乃が笑う。
「父ちゃん酒強くねえんだからさ」
茉衣子が呆れる。
「でもよ」
泰造はゆっくり顔を上げる。
「千宥ちゃん、来ればよかったさー」
「また今度呼ぼう」
随分出来上がって声が大きくなった泰造に、泉が笑う。
「そうですよ」
ゆいも頷く。
慎吾がジュースを飲む。健介もグラスを持つ。
「次は来るよ」
茉衣子はポテチを一枚口に入れながら、ぽつりと言った。誰に向けたわけでもない、小さな声だった。窓の外では、春の夜が静かに更けていく。
【次回予告】
騒がしい一夜が明けて、ついにママがやってくる。
という感じです。お楽しみに。
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ちなみに、欄外でする補足ではないかもしれませんが、茉衣子は泰造に千宥の秘密を話してはいません。健介の思い過ごしです。
家で千宥の話をするときの茉衣子の態度に引っかかって、何か秘密があると感じたようです。




