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第20話 学校という人間交差点

<AI依存度>:

ほぼそのまま使用:15~20%

AI文をベースに改稿:35~45%

ユーザー独自の構成・設定・加筆:40~50%


この回は、序盤を除けば、割と淡々と進んでいく話ですが、そろそろ登場人物が増えてきたので、学校パートの人物整理と思って読んでいただけたらと思います。


挿絵(By みてみん)

昔の人は、一月は行く、二月は逃げる、三月は去ると言った。今、まさに二月が逃げようとしている。

早すぎる。()(ぐち)(けん)(すけ)はため息をついた。二月下旬のある日である。まだ十六歳で、時間が早いなんて言うのも変な話だと思う。でも、本当にそう感じる。まあ、二月は短いからな、と健介は雑に自分を納得させた。

スマホのスケジュールアプリを閉じ、家を出る。

「行ってきます」

「はーい」

姉の()()()に声をかけ、歩き始めた。(はる)(わか)(えい)(きゅう)高校の校門前には三百メートルほどの上り坂、通称栄久坂がある。ここも随分通い慣れてしまった。ただ、斜面の多い町に生まれ育った宿命とはいえ、あまり楽しいものではない。やや重い足取りで歩いていると、後ろから声を掛けられる。

「おう、健介」

()()(ぐら)()()()である。中学からの同級生で、今は同じアパートで暮らしている。健介より一分ほど遅れて出発したようだ。

「後ろ姿で分かるぞ。ぼっちで登校してる姿」

「やかましい」

顔を覗き込んでくる茉衣子。わずか半年前、健介は彼女のことが本当に苦手だった。今でもちょっかいをかけてくるのは変わらないし、鬱陶しく思う時がないと言えば嘘になる。しかし、世話焼きで、楽しいことが大好きで、イベントごとに巻き込まれるのも、なんだか悪くない気がしてきた。そして……今はむしろ彼女のことを相当見直した。

ところで、茉衣子は身長が167cmと長身である。健介も171cmあり、知らない間に追い抜かしていたのだが、思えば茉衣子が転校してきた中学二年生当時、既に164cmほどあった茉衣子に対し、健介はまだ153cmと遠く及ばなかったものだ。ちょっと見上げる身長差だったのが、わずかに見下ろすようになった。それだけで、三年という時間を感じた。

「おい、健介、なにじろじろ見てんだ。あたしのおっぱいに何かついてるか?」

「普通顔だろ、そういう時は」

朝っぱらからの容赦ない下世話な話に健介は顔をしかめる。

「見てた、お前、おっぱい、スケベ」

非難されているようだが、声は全然怒っていない。長い付き合いで、彼女があまり体を見られることを恥ずかしがらないのは知っている。どこまで怒らないかは不明だが、少なくとも人より羞恥心は欠けている。

「見てねえよ」

「見てねえなら見てねえで、問題だと思うぜ、思春期男子として」

茉衣子は自分の胸を触る。

「触んなや、人前で」

()(ひろ)はまあ別として、大体男子と目が合うと、あたしの顔よりちょっと下と目が往復してんだよ。まあ、見るやな」

古波蔵茉衣子は正直である。そして、女子は自分の体を見ている男子の目線に敏感だというのも、茉衣子の話を聞いていると、本当だと思う。

(しん)()はさぞかしガン見してるんだろうな」

同じアパートに住まい、スケベキャラとして知られる(とも)(なが)慎吾の名前を出した。

「慎吾は、おっぱいも大概見るけど、ケツをよく見てる気がする」

「おま、そんなところまで見てるのかよ」

健介は、慎吾が常日頃、おしりが大きい女性が好きだと語っているのをよく知っているが、敢えて言わない。もしかすると、彼自身がそう言うのを隠さないタチなので、茉衣子自身も既に知っているのかもしれないが。

「あたし、ケツでけえのコンプなんだけどさ、こないだも『茉衣子ちゃんのおしりこそ至高なんだよ』とかなんとか力説し始めてさ、アホというかなんていうかさ」

慎吾以上に正直な茉衣子が笑いながら言う。ほらやっぱりな。コンプレックスではあるが悪い気がしない、と顔が言っている。

「おう、何の話してんの?」

噂をすれば慎吾だ。

「おう、慎吾。あたしのケツの話だけど?」

「いや待て、ちょっと語弊が」

語弊はあんまりないけど、健介にはとりあえず否定しておくしかなかった。

「そっか。茉衣子ちゃんの美ボディは愛して育てていくべきだと思うんだよ。茉衣子ちゃん、ちゃんと飯食ってる?」

「食ってるわ。あたしにダイエットとか求めるなよ?食うの好きなんだから」

「求めてねえよ。その意気だよ」

気づいたら、この二人だけで行ってしまっていた。健介は置いて行かれてしまった。

挿絵(By みてみん)


そっか。そうだ。健介は気づいた。慎吾が茉衣子と知り合った時も、不仲に陥った時も、和解した時も、ふーんと思いながら見ていた。巻き込まれたことに迷惑さを感じながらも。他人事だったのは、この時健介は茉衣子をその程度の存在だと思っていたからだ。最初の時点では嫌いですらあった。やっぱりいい子だったと見直したのなんて、つい最近の話だ。ゆっくりやっていこう、なんて思っても、もう遅すぎたのだ。アネックスに越してきた時に、有希乃に言われたことを思い出す。「取られちゃうよ」。――姉ちゃん、意味がわかったよ。

「まあ、いいんだけどな」

健介はつぶやく。まあ、本格的にのめり込む前で良かった。まだ今なら引き返すことが可能だ。うん、俺は茉衣子の良き友人になれた。それでいいじゃないか。自分に言い聞かせるようにモノローグを紡ぎ続ける。その時だった。

「健ちゃん」

「おはよう」

後ろから別の人物に声をかけられた。(ゆずりは)千宥と朝長(ひな)()だ。雛灯は、先ほど茉衣子を連れ去って先に行ってしまった慎吾の双子の妹だ。彼女たちもまた、健介と同じアパートで暮らしている。

「ひとり?」

千宥が上目遣いに聞いてくる。実は、生物学的に男性なのだが、思うところがあって女子の制服で通学している。実際、158cmと小柄であるため、自然とこのような角度になる。

「あ、うん。たった今まで慎吾と茉衣子がいたんだけど」

坂の上に目をやると、茉衣子が慎吾にじゃれ付きながら登校している。

「あー、なるほどねえ」

含みを持たせて返事をする千宥。横で雛灯も苦笑する。

「あいつら、最近気づいたらずっと一緒にいるもんね」

「ひなちゃんから見てもそう?」

千宥が尋ねる。

「うん、大体慎吾の方が茉衣子んちに行くんだけどね。うちは私がいるから」

あいつら、いつの間に。雛灯のコメントに健介は顔を引きつらせる。

「そっかあ。不思議だね。前はずっと私ばっかりだったのに」

「いや、あれは千宥が物珍しいからで、割と最初から茉衣子のこと好きだったみたいよ」

「そうなんだ」

雛灯の証言に、千宥は少し意外そうだ。ただ、これについては健介もわかる。むしろ、さっき振り返ったばかりなので、実感を持って説明可能だ。

「ああ、茉衣子と千宥とは同時に知り合ったと思うけど、確かに、千宥は有名人とお近づきになれた!みたいな感じで、茉衣子は、いいねえ、俺好きだわ、みたいな感じだったな」

「あ、そうなんだ」

ちょっと意外そうに千宥が反応する。

「でも、茉衣子ちゃんの方は結構ガチで慎吾くんのこと嫌いだったのにね」

「確かにな」

そのことも、当の慎吾から相談を受けたのだ。十一月のことだった。

「年末年始ぐらいよ。急接近したの。クリスマス会がきっかけだからさ」

今度は雛灯が証言する。

「なるほど……」

千宥は少し考えこんだ。健介がコメントした。

「そうなったら、(たま)()さまさまだな。あいつがキューピッドになったか」

玉井(あや)()。茉衣子の大親友である。健介たちのアパートの住人ではないが、大家の孫であり、去年は頻繁にアパートをうろちょろしていた。その玉井が祖父である大家の部屋で催したのが、クリスマス会なのだ。確かに、言われてみれば、この時に慎吾と茉衣子は打ち解けた気がする。

「そっか。色々納得いったかも」

「というと……?」

うんうんとうなずきながら言う千宥に、雛灯が尋ねる。

「茉衣子ちゃんね、年末ぐらいは、玉ちゃんがあんまり遊んでくれなくて寂しがってたの。ほら、秋ぐらいから、玉ちゃんと(ゆう)()くんが付き合いはじめたじゃん?」

「えっ」

健介は聞いてない、という感じだった。玉井の幼馴染だという(あや)()雄人。ちなみに千宥の中学からの友人でもある。ただ、言われてみれば、あの二人は初詣デートしていた。なるほどな。

「年明けから、あんまりそれを言わなくなったの。そっか、慎吾くんと付き合い始めたからなのね。そっかあ。うーん」

感慨深い感じの千宥は、乙女の目をしている。男だが。

「そうなのか……」

健介は少し足取りが重くなった。引き返せる、とか考えつつも、まだ心のどこかで、ただ最近仲がいいだけ、距離が近い同士なので付き合って見えるだけと思いたい気持ちもあった。しかし、千宥や雛灯からここまでの追加証言があるのなら、もう確定でいいだろう。茉衣子のやつ、いつの間に慎吾と。ため息が出る。茉衣子たちのことも大概ショックだが、それだけではない。あれだけ年下のように見えていた玉井と雄人が。どんどん進んでいくな。しかし、どうしても茉衣子のことを考えてしまう。

「まあ、いいんだけどな」

健介はぼそりとつぶやいた。

「どうしたの?健ちゃん」

今度は雛灯が聞いてくる。気づいたらそんな親しい呼び方をするようになった。思えば、当初「樋口くん」と「朝長さん」だったが、朝長さん、と呼ぶと同姓(というか実の兄)の慎吾が返事をするのだ。わざとらしく。そして、促されるように、周囲からは割とそう呼ばれることが多いという理由で「ひなちゃん」になった。すると、「じゃあ、健ちゃんね」と向こうも返してきた。健介はややびっくりしたが、こちらが「ひなちゃん」なら、それに相当する呼び方は「健介くん」やまして「樋口くん」でもなく「健ちゃん」だと判断したのだろうと健介当人は解釈している。……こちらは、単純に「雛灯ちゃん」と呼ぼうとしたが、読み方が独特すぎて舌を噛みそうになっただけなのであるが。

「あ、いや。みんなくっついていくのかと思うと焦るな、って」

「まあ、それは私も分かるけどね」

「俺の周りも、『いる』奴が結構多くなったからな。俺とひなちゃんは置いて行かれてるわけだけど、(おお)(うえ)もかなあ。しばらくは大上と傷のなめ合いだな」

普段、健介は慎吾、雄人、大上(しげる)の四人とつるむことが多いが、うち二名に彼女ができたわけである。

「私は、私、健ちゃん?」

千宥が自らを指さす。

「千宥は……あのお嬢様がいるだろ。えっと……」

名前を度忘れしたが、千宥は実は名家の育ちであり、「許嫁」と呼ばれる存在がいるのだ。これについては千宥は男性であるため、ちゃんと女性の許嫁である。健介や雛灯も一度だけ会ったことあるが、絵に描いたようなお嬢様であった。

()()ちゃんは、そんなんじゃないもん」

「まあ、家がいいと、大変だな。でも、あんまり彼女ができなかったら、そのうち千宥がうらやましくなるかも」

俺も育ちのいい家に生まれてたら、ちゃんと彼女があてがわれる。あまりはっきり口には出さなかったが、モテない男である健介から見ると、なんだか羨ましくも感じる。……きっとそれはそれで面倒くさいのだろうけど。

「でも、その美佳さん?は割と千宥のこと、好きそうだったけど」

雛灯が指摘する。

「そこなんだよなあ……」

千宥が頭を抱える。そうこうしているうちに、校舎に入り、下駄箱まで到着した。

「まあ、チーム・アネックス、アローン部、頑張ろうね」

千宥が勝手にまとめた。「アネックス久世」に住まう健介やその同級生は、気づけば「チーム・アネックス」と称されるようになったものの、更に新たなチーム内ユニットが誕生していた。

「お互い、頑張って抜け出そうな。じゃ」

「またねー」

挿絵(By みてみん)


教室に入ると、慎吾の他に、先ほどの会話にも登場した綾香雄人と大上茂がいた。

「おう、遅かったじゃねえか。お前そんな歩くの遅かったか?」

「お前の妹と千宥と会ったんだよ」

「珍しい取り合わせだな。思えば前は茉衣子ちゃんと千宥ちゃんの三人組でお馴染みだったんだけどな」

「お馴染みて。……それだけお前ら兄妹が溶け込んだってことだろ」

その茉衣子を取ったのがお前だ、とまではいわなかった。別に慎吾は悪いことをしているわけではないのだ。ただ、溶け込んだ、と自ら言った言葉と、慎吾と茉衣子が並んで歩く姿を思い返し、ちょっと顔を伏せた。……変なことを想像した。

「徒歩通学、大変だね」

バスで校門まで乗り付ける雄人が言う。

「バスに乗る距離じゃないだろ」

ふと廊下を見ると、茉衣子、千宥、雛灯、それに玉井が連れ立って歩いていた。大上がそちらに目をやっていた。

……あ。

健介は思い出した。こいつ、玉井のことが好きだったんじゃないか。そして、千宥情報では玉井と雄人が付き合っている。そして、この場には大上と雄人がいる。こいつ知らないのか?もっとも、健介も今しがた知ったことではあるのだが。

「どうしたの?大上くん」

のんきな彼氏が尋ねる。

「いや、何も」

あー、これは後々めんどくせえことになるぞ。勘弁してほしい。健介は内心頭を抱えた。

健介が苦悶しているとチャイムが鳴った。ホームルームの時間である。日直の号令であいさつすると、一年四組の担任である()(ふく)(なる)(よし)が口を開いた。

「おはよう。さて、昨日、歯医者に行った」

何の話だ。

「8020運動の達成を目指す僕としたことが、虫歯になったようだ。ちゃんと歯は磨いているつもりだったんだが。先々週、バレンタインデーがあったでしょう。きっとそれだと思うわけだよ」

あー、そんなイベント、あったな。別に健介はチョコレートを山積みになるほどもらったわけでも、まったくゼロだったわけでもない。茉衣子たち(千宥からもあった)や姉、身近な知人から義理チョコをもらい、クラスの女子が配り歩いていたチロルチョコをもらった、という、ゼロよりも地味な結果であった。正直、話数を割くほどの話題でもない。もう半月後、お返しが待っている、というプレッシャーがあるのみであった。

「口は生きるの一丁目、と偉い人は言ったが……」

偉い人ではなく某デンタルケアメーカーのキャッチコピーである。

「君たちにとっては、テストは学生生活の一丁目だ。ということで、もうすぐ期末試験だ」

あんまり上手くない。

「赤点は取ってくれるな。僕たちも追試をやるのは面倒くさい。しかしだからと言って難易度を下げると、僕が偉い人に怒られる。まあ、つい数年前まで、僕がその偉い人だったんだけど」

伊福は、六十歳を迎えた時に教務主任の役職定年を宣言したらしい。学校の規定ではなく、あくまで自発的なものだそうだ。

「あとは君たち次第だ。八割大丈夫だと信じています。じゃあ、出席を取りますか」


約三時間後。

四時間目のチャイムが鳴ると同時に、教室の前のドアが開いた。

「はーい、どうもー」

入ってきたのは数学教諭の(さかき)(ばら)(たえ)()だった。いつ見てもすげえな。健介は思う。今日の装いは、淡いローズピンクを基調にしたロリータファッションだった。チェック柄のワンピースは胸元や裾に白いフリルがあしらわれ、腰には大きなリボン。上から羽織った生成り色のカーディガンにも細かなレースが施されている。胸元には深紅のリボンタイ。全体的に甘い色合いでまとめられているが、不思議と子どもっぽさより上品さが先に立つ。長い赤みがかった髪はいつものように左で一部分を結んでいる。後ろでひとつにまとめられ、同じく深紅の大きなリボンが揺れていた。

黒板の前に立つと、くるりと一回転した。

「期末前だからって、テンション下げずにやっていくよ。数学は逃げないよ。どこまでもどこまでも追いかけてくるからね!みんなはむしろ捕まえに行っちゃいましょう。はい、数学補完計画」

教室に小さな笑いが起きる。思えば、勢いだけで、何が「補完計画」なのかは今ひとつわからないが。

健介はノートを開きながら、妙子の足元のブーツに目がいった。カツ、と軽く床を鳴らす音が、妙に現実的だ。

「はい、今日は数列の応用。テスト範囲、ど真ん中。ちゃーんと理解したら、わかります。それじゃいくよ」

妙子はチョークを取り、黒板にさらさらと式を書き始めた。

「焦るとね、数列は崩れるの。順番を飛ばすから。人生も一緒。はい健ちゃん」

健介はいきなり指名された。

「え、俺?」

「あたしの中で健ちゃんはちゃんと順番通りに並べるタイプのイメージだから、ここもちゃんと並べるの!さ、aₙの一般項は?」

なかば無理やりな妙子のトークに教室内にちょっとした笑いが起きる。健介は立ち上がり、黒板に向かう。視線を感じる。

式を追う。途中まではいける。だが、一瞬、頭が空白になる。

……焦ると計算ミスするタイプ。

いつだったか妙子に言われた言葉がよぎる。

「んー?」

妙子が横に立つ。距離が近い。ふわっと甘い香りがする。

「ここ、飛ばしたでしょ。一個」

「あ……はい」

「順番、大事。積み重ね。はい、戻って」

挿絵(By みてみん)

健介は一つ前の式からやり直す。今度はきれいにつながった。

「そう。それ。焦らなければできる」

妙子は手を軽く叩いた。

「期末前になるとね、みんな急に不安になるの。恋もテストも。けど、順番飛ばしたらだめ」

教室がざわつく。

「妙ちゃん、恋の話してる?」

後ろの誰かが言う。

「ん?数列の話~。はい健ちゃん戻っていいよ」

健介は席に戻る。前を見ると、窓の外が少し明るい。日が伸びている。妙子は続ける。

「一年ってさ、思ったより早いでしょ?」

誰も答えない。

「でも、ちゃんと一個ずつ進んでるのよ。気づかないだけで」

チョークが、一定のリズムで黒板を走る。健介はノートを取りながら、ふと前方を見る。斜め前の席に雄人がいる。真面目な顔で式を写している。窓際には大上。足を組んでいるが、手は止まっていない。後ろからは、慎吾のペンの音が聞こえる。それぞれが、それぞれの速度で進んでいる。

「はい、じゃあ最後の問題。雄くん」

「はい!」

やたら勢いのいい雄人の返事に教室に笑いが起きる。雄人が前に出る。妙子が腕を組んで見ている。

「ほら、雄くんは勢いで解くタイプ。途中式書かないと」

「何事も、過程が大事なのよ。特に雄くんみたいなタイプはね、どこかしらでぽろっと落としてるから」

健介は少しだけ笑った。勢いで進むやつ。順番を飛ばさないやつ。焦っているやつ。いろいろいる。

チャイムが鳴る。

「はい、ここまで。一見とっつきにくい数列だけど、理解できたらパズルみたいで面白いよ」

妙子は教科書を閉じた。

「もうすぐ期末試験。一年の締め。きれいにいこうね」

そう言って、くるりと背を向けた。長い髪がわずかにふわっと揺れた。

健介はノートを閉じる。順番を飛ばすな、か。自分は、ちゃんと一個ずつ進めているんだろうか。窓の外の光が、少しだけ柔らかく見えた。チャイムの余韻が消えると同時に、教室が一気にざわめき出す。

「やべ、数列まだ怪しい」

「ノート写させてー」

「妙ちゃん今日テンション高くなかった?」

妙子は教卓の上を軽く整えながら言った。

「数学は裏切らないからねー。裏切るのはだいたい自分の油断だからー。じゃ、テストがんばってねーー」

くるりと回りスカートを翻し、妙子は去っていった。ドアが閉まると、空気が一段ゆるむ。健介はノートをもう一度見返す。さっき飛ばした一行。たったそれだけで、式は崩れる。

順番、大事。

「健介」

後ろから慎吾が身を乗り出してくる。

「さっき危なかったな」

「うるせえ」

「妙ちゃんに甘い匂いで惑わされただろ」

「してねえよ」

「してた顔だった」

くだらないやりとりをしながら、健介は前を見る。窓際の大上は、魂が抜けたようにしている。科目問わず勉強というものが苦手らしい。

「昼どうする?」

慎吾が言う。

「学食だろうな、弁当用意してないし」

慎吾は一瞬だけ健介を見て、にやっと笑った。

「了解。じゃ、俺は先行くわ」

立ち上がり、軽い足取りで教室を出ていく。

慎吾に少し遅れて席を立ち、廊下へ出る。廊下の窓から入る光が、ほんの少しだけ春に近い。階段を降りようとしたとき、下から笑い声が聞こえてきた。

「あーもう、ゆい先生それ違うって!」

「違わない。古波蔵さんは語彙力が足りないの」

「あるし!」

声だけで分かる。健介は踊り場で足を止めた。中庭へ続く通路のあたりに、茉衣子、千宥、雛灯、玉井。そして――国語教諭の(きた)()(かど)結唯(ゆい)がいる。ゆいは今日も落ち着いた装いだが、生徒に囲まれて少し楽しそうにしている。茉衣子は、いつもの数倍テンションが高い。

「先生さ、今日の比喩の話めっちゃよかった!」

「古波蔵さん寝てたでしょ」

「寝てない!目閉じてただけ!」

玉井がくすっと笑い、雛灯がやれやれという顔をする。千宥はそれを傍観しながら笑っている。健介は、階段の手すりに手を置いたまま、その輪を見ていた。いつの間に、ああいう輪が自然にできるようになったんだろう。茉衣子がふと顔を上げる。

挿絵(By みてみん)

「お、健介じゃん」

見つかった。

「何してんだ?ぼっち?」

「学食行くところだよ」

「一人で?」

「慎吾が先に行ってる」

「ふうん」

一緒に食わなくていいのか?とは言わなかった。

「あ、樋口くん」

ゆいが健介を呼び止めた。

「五時間目、四組が国語だったよね?」

「はい、そうですよ」

健介が答えると、ゆいは「そっか」と頷いた。昼休み明け、健介のクラスはゆいの授業である。

「期末前は移動も慌ただしいよね。忘れ物しないようにね。特に古波蔵さん」

「なんであたし限定なのさ!」

「だって、今日は四組に教科書借りに行ってたもんね」

「うぐっ」

そう言えば、慎吾に教科書を借りに行ってた。お熱いこって。健介は苦笑する。同じく顛末を知っているらしい玉井が肩を揺らして笑う。雛灯はため息をつき、千宥は壁にもたれながら様子を見ている。ゆいは健介の手元に目をやった。

「樋口くんは学食?」

「はい」

「今日は混むみたいよ。今日は唐揚げだった気がする」

「え、まじ?」

茉衣子が食いつく。

「先生なんで知ってんの」

「朝、職員室で話題になってたの。(いずみ)先生が『今日は絶対唐揚げ』って宣言してた」

「泉先生かわいい」

茉衣子の頬が緩む。

「かわいいかは知らないけど、食欲は本気」

ゆいは淡々と言いながら、ふと中庭の方を見た。

「一年、早いね」

誰に向けたわけでもない独り言のような声。

「春に入学してきたとき、もっと騒がしい集団だと思ってたのよ」

「騒がしいですよ?」

千宥が笑う。

「今はね。でも、ちゃんと『クラス』になった」

ゆいの視線が一瞬だけ健介に向く。

「前より、みんな自分の立ち位置ができてきた感じがする、っていうのかな。ちゃんと教室の中で居場所がある顔してる」

健介は何も言えなかった。場所。自分の場所は、どこだろう。茉衣子が腕を組む。

「先生、それ比喩?」

「違う。観察」

さらりと言って、ゆいは腕時計を見る。

「ほら、昼休みなくなるよ。急いでいかないとね」

「うわ、ほんとだ」

茉衣子が立ち上がる。

「健介、唐揚げ行くなら急げ」

「お前も来るんかい」

「あたしらも弁当じゃねえの、知ってんだろ」

茉衣子が当然の顔で言う。

「席、空いてるかな」

「空いてなきゃ空いてるところを空けさせる」

「やめろ」

そんなやりとりをしながら、階段を降りる。いつの間にか、健介は七組の四人の後ろを歩いていた。前に、輪。後ろに、自分。……まあ、いい。


学食は予想通り混んでいた。唐揚げ定食の札の前に列ができている。

「ほら、言ったでしょ」

ゆいの声が頭をよぎる。

「健介!」

列の先から慎吾が手を振っていた。すでにトレーを持っている。

「席取っといた!」

「仕事早いな」

「当然」

そこへ茉衣子たちが合流する。

「お、全員集合じゃん」

慎吾がさらっと言う。気づいたら、チーム・アネックス全員がそろった。六人分のトレーを持ち、空いていた長テーブルの端に並ぶ。配置は自然と決まった。

慎吾の隣に茉衣子。その向かいに玉井。雛灯と千宥が横並び。端に健介。たまたまだ。ただの席順。なのに、妙に意識する。

「いただきます」

唐揚げの湯気が上がる。

「うまっ」

茉衣子が一口目で目を見開く。

「だから言ったろ」

慎吾が得意げに言う。

「何お前が威張ってんだよ」

健介が眉をひそめる。

「俺が先に並んだからだよ」

慎吾が茉衣子の皿をちらっと見る。

「それレモンかけすぎじゃね?」

「いいの。あたしは酸味派」

「俺は無し派」

「知るか」

軽い応酬。ただ、それだけだ。別に特別なことは何もない。これまでも、こうやって一緒に食べたことはある。でも、今日は少し違って見える。いや、別に昨日今日付き合い始めたわけではないだろうし、今日知った健介が意識しすぎているのだろうとは思う。でも、改めて見ると、距離が、自然すぎる。……わずか三ヶ月前、この二人に確執があった頃が、もはや懐かしい。健介は味噌汁をすすりながら、周囲を見る。玉井が千宥に何か話している。雛灯も二人に相槌を打ちつつ、静かに唐揚げを食べている。いつも通り。多分、健介が意識しているだけ。六人。席も、会話も、ちゃんと埋まっている。それなのに、健介の中には妙な空白だけが残った。

「健介、黙ってんなよ」

慎吾が言う。

「食ってるだけだ」

「唐揚げに全集中か」

「うるせえ」

笑いが起きる。その輪の中に、ちゃんと自分もいる。でも、どこかで外から見ている自分もいる。茉衣子がこちらを見る。

「健介、今日やけに静かじゃね?」

「いつもこんなもんだろ」

「そうかなあ。変なの」

そう言って、何事もなかったように唐揚げをかじる。慎吾がその横で笑う。……まあ、いいんだけどな。でも、こういう昼休みも、悪くはない。最近そう思えるようになってきた。健介は、少しだけゆっくり箸を動かした。

挿絵(By みてみん)


午後の授業は、驚くほど淡々と過ぎていった。五時間目の現代文では、ゆいが黒板に「余白」と書いた。

「文章にも、人生にも、余白は必要です」

さらりと言った。起きているだけで精一杯の午後一番の授業、その言葉が、妙に残った。

六時間目が終わり、帰りのホームルームもあっさり終わると、教室は一斉に立ち上がった。

「テストやべえ」

「部活行くやつー?」

騒がしい。慎吾は鞄を肩にかけながら、健介を見る。

「帰る?」

「今日は帰る」

「おう」

教室を出ると、廊下は放課後特有のざわめきに包まれている。運動部の掛け声が窓の外から聞こえる。階段を降りる途中、慎吾がぼそりと言った。

「今日さ」

「ん?」

「六人でメシ食うの、久しぶりだったな」

「そうか?」

「最近、なんかバラけてたじゃん」

何気ない言葉。でも、健介の中で小さく引っかかる。

「まあ、また集まるだろ」

慎吾は軽く言う。当たり前のように。一階の廊下に出たところで、向こうから白衣姿が歩いてくるのが見えた。養護教諭の泉()()()だ。肩までのゆるくパーマのかかった髪をふわりとなびかせ、白衣のポケットには色とりどりのボールペン。歩き方はゆったりしているし、本人の顔も柔らかいのに、なんだかキリッとして見える。酔っ払った姿を見慣れているだけに、学校で見る泉は違う。

「泉先生!」

茉衣子と付き合っても相変わらず推しているらしく、慎吾は泉に声をかけた。

「あ、慎吾ちゃん」

「おつかれさまでーす」

「廊下、走らないのは偉い」

「今日は走ってないよ」

「今日は、ね」

慎吾にツッコむと、泉の目が健介に移る。

「健ちゃん」

「はい?」

「目の下、クマができてる」

ぎくりとする。

「寝不足?」

慎吾が横で笑う。

「こいつ最近勉強追い詰められてるみたいで」

「お前が余計なこと言うな」

泉はふっと笑う。

「テスト前はね、みんな保健室に来るの。頭痛いとか、お腹痛いとか」

「仮病?」

「半分は本物。もう半分は心配。でもね、焦っても、急に賢くはならないからね」

妙子と同じようなことを言う。

「ちゃんと休まないと、ちゃんと考えられなくなるよ」

廊下の窓から、夕方の光が差し込む。

「あんまり追い詰めずにね。無理しなくていいのよ」

さらっと言う。重くない。説教でもない。ただの確認みたいに。慎吾が肩をすくめる。

「泉先生、なんか違うね」

健介が言う。

「そう?」

「いつもほわーってしてるのが急にきりっとしてきた」

「たまにはね」

「唐揚げ食べた?」

慎吾が聞く。

「唐突だな」

健介がつぶやいた。

「もちろん。二個追加」

「さすが」

慎吾が笑う。そして続けた。

「ねえ、何で飲み会やんないの。俺、健介んちに来るの待ってんだけど」

泉は健介の姉・有希乃の親友であり、ゆいと三人でよく飲んでいる。指摘通り最近はご無沙汰であるが。泉はちょっと意表を突かれた顔をしたが、さっきのきりっとした顔を緩ませる。

「お互い社会人だもん。ゆきちゃんも私たちも忙しいの」

なんだか三人とも空いている時期が減ったのは健介もなんとなく認識している。そして、夏にアホみたいに開催していた酒盛りも、ちょっと三人の中で「落ち着いた」のだろう。

「健ちゃん、来てもいい?」

「期末が終わってからにしてよ」

「嘘よ、冗談冗談。でも、そのうち多分行くね。多分、ゆきちゃんも楽しみにしてるから」

泉は小さく笑い、二人の横を通り過ぎる。すれ違いざま、健介の肩に軽く触れた。

「お前、やるときは本当呼べよ」

「なんでだよ」

というか、こいつなら嗅ぎ付けるだろ。今はもう、こいつもアネックスに来たんだし。健介は割と本気でそう思った。

挿絵(By みてみん)


外に出ると、空気が冷たい。二月の夕方。二月は逃げる。でも、今日もちゃんと終わる。順番通りに。

慎吾が前を歩く。

「帰りコンビニ寄る?」

「やめとく」

「テスト勉強?」

「まあな」

歩きながら、健介は思う。六人で笑って、先生に小言を言われて、放課後の廊下を歩く。それだけだ。

でも、それが積み重なっている。二月は逃げる。三月は、もうすぐそこまで来ている。

健介は空を見上げ、少しだけ歩幅を広げた。

【次回予告】

期末試験も終わり一年生も終わりが見えてきた。千宥たちと下校する健介は、ある「とんでもないもの」に気づいてしまう……?

という感じです。お楽しみに。

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