第13話 101号室のクリスマス
<AI依存度>:
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ユーザー独自の構成・設定・加筆:50~60%
この母親にしてこの娘あり。見た目の幼さはかなり遺伝していますが、策士ぶりは遺伝したんでしょうか?
終業式。十二月も後半に差し掛かり、町がすっかり冷え切って毎日の通学がしんどくなった頃。今日をもって一旦それが終わる。
冬休み。たかが二週間、されど二週間。春若栄久高校の校内はやはりみんなどこか浮足立つ。――といっても、樋口健介は別に「冬休みだー!」と言ってはしゃぐタイプではない。ただし、気が抜けるのは確かで、家に着いた途端、急に眠くなる。
アネックス久世の敷地に入り、健介はポケットの中のスマホを握り直した。少し前、姉の有希乃と年末年始の話をしたところだったが、二十八日までは仕事があると聞いている。そして、その日、父の実家がある島本に帰る予定だ。つまり健介は、数日後にはここを後にする。
部屋に入って、荷物を放り投げて、服を着替えて。それから、何となく外に出た。廊下のどこかから誰かの足音がよく響く。どこかの部屋のテレビの音。湯沸かし器の音。そういう生活音が、いつもより増えている気がした。
ドアが開いて、隣の部屋から古波蔵茉衣子が出てきた。手にはスーパーのエコバッグ。肩にかけたストラップが少しずれている。
「健介、今から買い物か?」
「あー……うん。なんか、冷蔵庫空っぽで」
「あたしも買い物だ。じゃ、一緒に行こうぜ」
茉衣子はそう言って、健介の返事を待たずに彼の後ろについた。相変わらず、強引な奴め。健介は苦笑した。けれど、昔ほどその強引さを嫌だとは思わない。最近は、むしろそれが茉衣子らしいとも思うようになっていた。
アパートのエントランスに続く短い階段を下りたところで、健介と茉衣子の前の方から、てってってっ、という独特の軽い足音がした。
玉井絢那が両手にビニール袋を提げてアパートの敷地に入ってきた。
「あー、茉衣子ちゃんみっけ!樋口くんもいる~」
玉井は、こちらを見てにやっと笑った。彼女も茉衣子に負けず劣らず、いつでも自分のリズムで空気を変える。
「玉井、なんだそれ」
「差し入れ。……いや、差し入れは違うかな。ちょっといいもの」
「ふうん。にしても住人ばりに出没するよな。慎吾よりよく見かけるぐらいだ」
「絢那もね、チーム・アネックスだもーん」
茉衣子がちょっとだけ顔をひきつらせた。チーム・アネックス。それは、このアパートに住む健介と茉衣子、杠千宥に、大家の孫娘である玉井をまとめた名前だ。しかし、このアネックスに、健介のクラスメイトである朝長慎吾とその双子の妹の雛灯が越してきてからというもの、命名者の茉衣子自身があまり口にしなくなった呼び名だった。それを今になって玉井の方が使っている。
「茉衣子ちゃん、樋口くん、いま暇?」
暇、と言われると微妙だが、茉衣子はあっさり頷いた。
「買い物行こうと思ってたけど、別に今じゃなくていいぜ」
「えっ」
健介は普通に行くつもりだったが、抵抗まではしない。健介も別に今急ぎの買い物でもなかったからだ。
「うんうん。じゃ、ついでにちょっと話そ」
玉井は満足げにうなずくと、袋を持ち替えた。健介と茉衣子の顔を交互に見て、急に真面目な目になる。
「ねえ、ここさ――」
言い淀んだ、というより、言い方を選んだ顔だった。
「……これだけ同級生がいっぱいここに住んでるじゃん。千宥ちゃんに、最近、ひなちゃんと慎吾くんも来たでしょ?」
「そうだな」
最後に挙がった名前を聞いた茉衣子はちょっとだけ不機嫌そうだ。
「来たけど、何だ?」
健介は玉井の意図が分からず、茉衣子を見た。茉衣子は、少しだけ目を細めて玉井を見る。
「どうしたんだ、いきなり」
「冬休み入ったでしょ。終業式終わったでしょ。みんな帰省する前に、なんかしようよって思って」
「『みんな』って」
茉衣子が確認するように尋ねた。
「茉衣子ちゃん、樋口くん、千宥ちゃん、ひなちゃん、慎吾くん。それと絢那!」
玉井は自信満々に胸を叩いた。
「……玉井、住人じゃないじゃん」
「お前、そこは別にいいだろ」
玉井の代わりに茉衣子が呆れた声で健介に突っ込む。
「クリスマス会とか?そういうやつ?」
「そう、それ。クリスマス会」
茉衣子の問いに、玉井はOKサインを作って笑った。
健介は思わず笑いそうになった。クリスマス会って、急に言われると幼稚園みたいだ。
「でも、どこでやるんだ?」
「そうだな。……俺んちとか言うなよ?」
健介は少々びくついている。姉の友人がしょっちゅう出入りしているが、それでも気は進まない。玉井は袋を持ち上げて、勝ち誇ったみたいに言った。
「おじいちゃんとこ~」
玉井は101号室の方向を指さした。
「お、大家さんかよ」
健介はあっけにとられた。玉井は大家・根〆昭信の孫娘だ。
「ふうん。おじちゃんならOKしてくれそうだけどな」
茉衣子は大親友・玉井の祖父とも仲が良く、その人となりはよく知っている。
「……いや悪いよ」
「じゃあ、健介部屋貸してくれるか?」
「結構です」
それは即答だった。
「まあ、あたしの父ちゃんもおじちゃんの部屋でよく酒飲んでるぐらいだし、大丈夫だろ」
茉衣子の父と根〆は同い年で彼らもまた仲良しだ。自室もよく姉たちが酒盛りをしているという健介は顔を伏せた。茉衣子はそのこともよく存じているが。
「絢那ね、思うんだ。これだけ同級生が集合してるのにさ、このアパートにね。もっとなんか一緒にイベントやった方がいいと思うんだ。結束を固めるというか、団結を深めるというか、和気藹々とね、そんな感じで」
健介は普段からは想像つかない熟語を続々と吐きながら力説する玉井に気圧されていた。
「……やるなら、やる。中途半端は嫌」
玉井は茉衣子を一瞥する。慎吾を呼ぶつもり満々であることから、かなりバツが悪そうだ。ただ、玉井がここまでの正論を述べているときに、茉衣子は断れない。そのことは健介もなんとなくわかっている。
「……慎吾とひなは?実家帰るって言ってたよな」
茉衣子は、なんとなく断る理由が欲しいようだ。
「さっきね、ひなちゃんにLINEしたよ。そこまでいることにするって」
茉衣子の退路は断たれた。玉井は、精神年齢が低いように見えて、こういう時は抜かりないので侮れない。
「わ、わかったよ……」
ようやく茉衣子も観念したようだ。
「決まり!」
玉井が即答でガッツポーズを作った。その勢いに、健介は反射で頷きそうになってしまう。
「あとは千宥ちゃんかー」
「あいつは大丈夫だろ。大晦日ギリまで帰省しないらしいから」
茉衣子の穏やかでない情報に健介はぎょっとする。しかし、天然なのか敢えてスルーしているのか、玉井は触れずに続けた。
「そっか、そしたら、あとはおじいちゃんだけだね。じゃあ、今から話すから、楽しみにしててねー」
玉井はそう言い残すとまたてってってっと足音を立てつつ、階段を上り、101号室へと向かっていった。
「……ほんとにやるのか、これ」
「やるだろ。絢那、こうなったら徹底的にやるからな」
茉衣子は頭を抱えてみせた。
「だよな」
健介は苦笑しながら、胸の奥がちょっとだけ温かくなるのを感じた。クリスマス会なんて、正直どうでもいい――はずなのに。でも、「何かする」という言葉が、このアパートにちゃんと形を与える気がした。玉井が去り、冬の乾いた冷気だけが残った。茉衣子はため息をつく。
「……買い物、行くか」
「行くんだ」
「行かないと晩飯がない」
茉衣子はそう言って外に向かって歩き始めた。健介は半歩遅れてついていく。背中越しに見える茉衣子の肩が、少しだけ固い。慎吾たちの名前が出たあたりから、ずっとそうだ。茉衣子は振り返らずに言った。
「慎吾、ひな……残るって言ったんだな」
「だってな」
「……マジかよ」
「玉井、本当にこういう時の抜かりなさはすごいな」
茉衣子は小さく舌打ちして、けれど笑う。苦笑だ。
健介は八月の花火の夜の茉衣子の愚痴と、先月の慎吾とのファミレスを思い出す。波乱の予感だ。舌打ちしたいのは俺だよ。健介も自然と苦笑した。
スーパーまでは、久世川沿いの細道を五分ほど下流に向けて歩いたところにある。この道は、今は久世二丁目と呼ばれるこの界隈が「下久世」という集落だった頃からの昔ながらの細道だが、それでも多少の車通りはある。年末だからか、いつもより人や車が気持ち多い気がする。空気が、どこか急いでいるようだ。
スーパーに入ると、茉衣子は慣れた手つきで目的の品をひょいひょいとかごへ納めていく。健介は総菜コーナーで唐揚げやサラダなどのパックとにらめっこしている。
「俺がこんな陽キャのイベントに参加するとか思ってなかったよ」
「別に陰キャでもこういうとこ、来ていいだろ」
「俺以外は、なんかこういうところが似合いそうなやつらばっかだな。……あ、朝長さんはそうでもないか」
「あん……?ああ、ひなか。そうだな。でもあいつも呼べば結構楽しんでるからな、海とか花火もそうだろ」
「朝長」と聞いて、思い当たる人物が二名いる茉衣子は、一瞬迷ったようだ。――健介はまだ雛灯の方は名前で呼べていない。
「そっか。俺は割と冷めてるけど、まあ付き合うのは悪くないとは思うよ」
「お前も丸くなったよな」
「そうか?」
一応聞き返してはみたが、健介は、中学時代の自分が今より尖っていたのはなんとなく自覚はしている。
「まあ、絢那がかなり準備してくれるだろ。あいつ、やると決めた時の行動力、鬼だかんな」
茉衣子はそう言って、カレールーの置いてある棚の前で立ち止まった。健介はその横顔を見て、口にしかけた言葉を飲み込む。――「行きたくないなら、無理しなくていい」と言うのは簡単だ。でもそれを言ってしまったら、茉衣子の意地と誇りを踏む気がした。
結局、健介は豚肉のコマ切れとサラダ、インスタントのスープ、茉衣子は肉や野菜やルーなど、カレーの材料を購入した。
アパートへ戻ると、ちょうど健介たちを待ち構えるかのように101号室のドアが開いた。玉井が顔だけ出して、廊下に向かって手を振る。
「あっ、二人とも!決まったよー!」
「……早っ」
「ね。おじいちゃん、即OKだった!」
玉井は勝ち誇ったように胸を張った。茉衣子が眉を上げる。
「で?何て言った?」
「『騒がないでね。壁薄いからね』だって」
「大家さんらしい」
「でしょー」
健介のコメントに玉井が嬉しそうに笑った。その笑い方は、子どもっぽいのに、不思議と周りを動かす力がある。
「じゃ、あとはグループLINE招待しとくね。ちなみに千宥ちゃんもOKだったから。絢那も入れて六人勢ぞろいだよ」
「お前、ほんと抜かりないな」
「絢那ね、こういうイベントはガチなの」
玉井は言い返し、ドアを閉める前に顔だけ残して付け足した。
「あとは絢那が色々準備してくるからね」
その抜かりのなさに健介は苦笑した。イベントごとに本気になりすぎるのが玉井だ。だからこそ、今のこの状況に「形」ができる。茉衣子は買い物袋を持ち直しながら、ぽつりとこぼした。
「……どうなるかねえ」
「お前次第だろ」
既に花火の時点で共有済みであるため、健介は何とは言わず分かっているものとしてコメントする。
「何であたしなんだよ」
「あいつ自身はハナからウェルカムだったからな」
「どうだかな。また鼻の下伸ばしてんだろ。千宥も無事参加だからな」
健介は、千宥の顔を思い浮かべる。笑っているときの柔らかさと、黙り込んだときの距離感。いつも、どこかで線を引く。やはり、慎吾がガンガン来たら、応じるのだろうか。
「……参加費とかあるんかな」
なんだか空気が悪くなりかけたこともあり、健介はふと疑問に思ったことを口走る。
「さあな。言われたら払ったらいいんじゃね?どうせン百円だろ」
その夜、健介は自室で唐揚げのパックを冷蔵庫へ押し込みながら、年の瀬で忙しく残業中の姉からのメッセージを確認した。
『28日、仕事納め。その日遅いから、29日に朝一で出発するからね』
そうか、と健介は思う。数日後には島本だ。年末だなあ。いつもの流れだ。
――なのに、頭の片隅に「101号室」が残っている。同級生の祖父の大家さんの家というちょっと特別な空間に、同級生が集まる。自分も、そこにいる。考えた瞬間、自分で可笑しくなる。たった一度のクリスマス会だ。大げさだ。けれど、なぜだろう。今年の冬休みは、いつもの冬休みと違う気がしていた。
翌日。LINEの通知が来ていた。「アネックスのクリスマス会!!」玉井が招待したらしい。そして、既に玉井からもメッセージが来ていた。
あやな『みんなー!連絡した通り、101号室、おじいちゃんの部屋(管理人室)でクリスマス会やるよ!12/24の夕方6時!ねえねえ。クリスマスイブって家族と過ごすんだって。栄久にいて、おんなじお家に住んでるから、みんなは家族だよ!あやなは住んでないけど、明日は仲間に入れてね!』
以後、サンタクロースやクリスマスツリーに「わーい」と喜んでみたりクラッカーのスタンプが続々と来た。
既に何人か返事も来ていた。
ともながひなひ『玉ちゃんありがとー。やっぱり引っ越してきてよかったー。明日はよろしくね!』
雛灯は返信が早かった。
杠千宥『玉ちゃんありがとう。私も、こういう賑やかなクリスマスは初めて!家族かあ。みんなも家族だし、私の家はやっぱりアネックスだよ。よろしくね』
千宥は律儀だ。
Shingo Tomonaga『ありがとう!美女だらけのクリスマス会、ワクワクすっぞ!』
慎吾はあまりに正直すぎる。最後の言葉になぞらえて、ご丁寧にドラゴンボールのスタンプまでよこした。健介も返事をすることにした。
樋口健介『男でごめん。みんなよろしく』
慎吾に乗っかってみた。自分で、スベったか?と思ったものの、意外にもツッコミが寄せられた。
あやな『樋口くん、スカートはいてみる?お化粧も!ちひろちゃんできるー?』
杠千宥『えっと、がんばってはみようかな?あ、ウイッグも昔使ってたやつあるよ』
樋口健介『……謹んで遠慮します』
ともながひなひ『私は見てみたかったw』
樋口健介『俺が鏡で見て卒倒するのでダメ』
なんとなく盛り上がっていたが、茉衣子だけ返信がない。しかも既読は五人ついていたので、見てはいるらしかった。いつもLINEの返信が早い茉衣子なので、不審ではあった。ただ、この話が終わったところで、「よろしく」という旨のスタンプが押されたのみであった。どうもいつもの茉衣子ではない。ただ、参加確認は改めてできた。
「どうなるんだ、これ」
健介はつぶやいた。現時点で、嫌な予感しかしない。
そして迎えた当日。夜を迎えようとしていた春若町は、冷え込みはきついが、雪の気配はない。湿り気のない寒さが、九州の冬らしい。101号室の前に、玉井が立っていた。飾りの袋とガムテープを抱え、上機嫌で手を振っている。
「はい、集合ー!遅刻禁止ー!」
「絢那、仕切り始めたら、ガチだな」
「絢那が仕切らないと始まらないもん」
玉井は胸を張った。健介は苦笑した。玉井は笑って、ノックもせずに扉を開けた。
「おじいちゃーん、来たー!」
中から、声が返る。
「あんまり騒ぎ過ぎないようにね」
健介は靴を揃えて上がりながら思った。――この短い許可が、妙にうれしい。101号室は、生活の匂いが濃い。ここで同級生が食事や菓子を共にする。想像すると可笑しいのに、実際に足を踏み入れると不思議と馴染む。
(……ここから先が、本番だな)
101号室は、思ったより明るかった。白い壁に、シンプルなカーテン。床はフローリングで、低めのテーブルが中央に置かれている。壁際には木製の折り畳み椅子が二脚、その脇には仕事机らしきものもあり、棚には書類のファイルが何冊か並んでいた。昨日、玉井がLINEで「管理人室」と送ってきた。要は大家である根〆の住居でしかないのだが、こうしてみると、「管理人室」らしさもある。
根〆は、テレビの音量を落としてから、入り口に視線だけを向けた。玉井の祖父と聞いているが、「祖父」と聞いて想像するほどの老け方ではない。髪に白いものは混じっているが背筋は伸びていて、表情もはっきりしている。六十三歳かあ。健介はため息をついた。何せ自分の親とひと回り前後しか変わらないのだ。そして、茉衣子に至っては父親の泰造がこの根〆と同い年だ。世の中、同世代の人間でも、家族の年齢は様々だ。
思えば、中学の頃、健介は玉井と三年間同じクラスだったため、彼女の母親を何度か授業参観で見かけたことがある。おそらく、この根〆の娘なのだろう。若い、というか、幼くすら見えて、母娘であることが非常にうなずけた。本当にいくつなんだろう。そう考えていた時だった。玄関のドアが開いた。
「あーちゃん。忘れ物」
噂をすれば何とやらで、玉井の母親その人だった。
「あ、ママ、ごめんねー」
靴を履いていなくてもある程度わかる、てってってっという独特の足音を立てて、母親に駆け寄った。玉井は身長150cmほどと聞いたことがあるが、それよりも小柄だ。この雰囲気はすっぴんに近いものと思われるが、なんなら玉井の妹にも見える。幸か不幸か健介は知っているが、知らない人が見ると、絶対に母親とは分かるまい。
「佳那、来たのかい」
根〆が娘に声をかけた。
「パパ、あーちゃんね、せっかくのクリスマス会なのにクラッカー忘れてきたの」
近所の百円ショップのレジ袋を掲げて見せた。
「おやおや」
根〆が苦笑した。
「佳那ちゃん、やっほ」
「わー、茉衣子ちゃんだ」
茉衣子が玉井を後ろから抱きしめながら、その母親に声をかけた。娘はというと茉衣子のスキンシップにキャッキャしている。友人の母親に気やすくちゃん付けで話しかけるが、その呼び方がこの玉井佳那には妙にしっくりくる。
「あの子は?樋口くんだっけ」
「こ、こんにちは……」
この年齢不詳が過ぎる同級生の母親に、健介は言葉を選ぶように応じた。
「ママ、もうすぐみんな来るよ。ママも参加していかない?」
「ママ、これから買い物なの。ごめんね。じゃあ、みんな楽しんでってねー」
佳那は娘の誘いを断ると、娘によく似た足音を立てて出ていった。母親を見届けた玉井は準備に戻るべく号令をかけた。
「じゃ、準備するよ。樋口くん、そっち拭ける?」
「お、おう」
玉井が指示を出し、健介は言われるがままテーブルを拭いた。いつもなら、玉井が誰かを動かすときは、もっと軽口が混じる気がする。今日は「ガチ」らしい。
ほどなくして、千宥に慎吾と雛灯の兄妹もやってきた。玉井の母親と入れ違いになったと聞くと、千宥と雛灯はそろって「見たかった」という顔をした。
「玉ちゃんのお母さんかあ。どんな人?」
千宥は興味津々だ。
「……俺は中学の時も何回か見たことあるけど、玉井の妹に見える」
「い、妹?大人、なんだよね。玉ちゃんも大概妹っぽいけど、さらに?」
雛灯が驚く。
「ふうん、いくつなん?」
それを聞いた慎吾も多少は興味を持ったらしい。
「知らんわ。……玉井、いくつか聞いてもいいのか?」
「三十六歳だよー。絢那ね、ママが二十一歳の時の子なんだ」
「あー……」
事情を知っているであろう茉衣子を除き、四人とも似たような反応だった。なるほど。非常に若いが、全然無理のない年齢ではあった。ただ、四人の中で唯一佳那を目の当たりにした健介はむしろ外見の方に無理があるという感じが否めなかった。
「うちのママより若いんだ」
「まあ、いるだろ、そんぐらい」
慎吾と雛灯の兄妹がそう言い合っていた。健介は以前、慎吾から母親が四十歳だと聞いたことがある。
さて、玉井の母親の話題がひと段落したところで、次々と袋が開けられていく。基本、食材は玉井が準備していたが、なんと慎吾がフライドチキンを持参していた。
「お前、よくチキンなんて調達してきたな。どこも売り切れが多いだろうに」
健介は素直に感心していた。結局、玉井の急な思い付きの為チキンが調達できず、あまりクリスマスっぽくはないが鍋をつつくことになっていたのだ。
「田舎には田舎のネットワークがあんだよ」
南町という、この春若町から一時間半ほどかかる辺鄙な所に慎吾たちの実家がある。
「お前、わざわざ地元から取り寄せたのか……」
「昼間帰った。親父のダチがレストランやってて、余ったのを安くで買った」
「サザンクロスで食材が余るって、南町もそうとうキてるね」
雛灯が横から口を挟んだ。過疎化でレストランの客足が減っているらしい。
「やっさんの発注ミスもあったらしいけどな。柄になく『ありがてえ』って握手求めてきたよ、やっさん」
「想像つかなすぎ」
雛灯が笑う。この双子の地元にあるサザンクロスというレストランの、やっさんと呼ばれる父親の友人でもある店主の話だということは、健介も文脈で理解したが、理解したところで健介にはどうしようもない話だ。なんとなく、非常にタイミングというか都合の良い話ということだけは理解した。
六人がかりで準備したので、気づいたらある程度整ったようだ。
「はい、座る座るー!」
玉井が両手を叩いた。
「まず席を決めて、そこから動かないでね」
(動かないのは無理だろ)
健介は内心で思ったが、口には出さない。
テーブルの周りに座布団が六つ。長方形で長辺に二人ずつ、短辺に一人ずつ。座る場所を適当に決めればいいだけのはずだが、玉井はなぜか、くるりと一周してから言った。
「今日の席はね、絢那がいい感じにする。ほら、せっかく集まったんだから、こう……交流が深まる感じに」
「なんだよ、それ」
「よくわかんねえけど、玉ちゃんがプロデュースするんだな」
茉衣子と慎吾が同時にコメントし、玉井は笑った。だが、その笑いの奥に、意図がはっきり見える。健介はその顔を見て、嫌な予感というより、妙な納得を覚える。玉井は空気を読むだけじゃなく、空気を組み替える。
「まず、ひなちゃんはこっちのお誕生日席ね。お料理関係の司令塔だから、鍋の近く」
短辺の一席。いわゆるお誕生日席に配置された。
「えっ、私、司令塔……?」
「司令塔だよ、もう」
雛灯は戸惑いつつも、鍋の近くの席に座った。
「要は鍋奉行か、お前」
兄の慎吾が口を挟む。
「樋口くんは、はい、ここ」
玉井が健介に示したのは、その対側のお誕生日席だった。全体が見渡せる位置で、動きやすい。健介は「了解」と言って腰を下ろす。端っこ。こういう配置は健介にとっては楽だ。
「で、絢那は……ここ!」
玉井は、健介からみて左隣に座った。なぜか満足げだ。俺はこいつと何を話せばいいんだ。健介は苦笑した。
「千宥ちゃんはここね」
千宥は指定された、雛灯と玉井の間に座る。
残る席は二つ。健介が何となく視線を動かしたとき、玉井が自分の隣席を指さし、当たり前のように言った。
「慎吾くんはここね。で、茉衣子ちゃんがその隣ね」
空気が一瞬止まった。
「ほう……」
「……は?」
慎吾は軽く唸って見せ、茉衣子が眉をひそめる。
「玉ちゃん……」
雛灯が不安そうに小さく言って、千宥が鍋の具材を持ったまま目を瞬く。
(やっぱり来た)
健介が苦笑した。すると、その直後、雛灯が声を上げた。
「うん、これ、アレ?男女交互に配置するみたいな?」
健介から見て時計回りに、玉井、千宥、雛灯、慎吾、茉衣子。なるほど。
「そ」
玉井はそれが正解だと告げる。
「ごめんね、今日は千宥ちゃんは男子として組んだ」
「ううん、いいよ」
千宥がにこやかに応じる。
「いいじゃん。茉衣子ちゃんが隣、千宥ちゃんが向かい。俺得じゃん」
満足げな慎吾。対して、茉衣子は笑っていない。眉間にわずかに皺が寄っている。だが立ち上がりもしない。
「ちょっと待てよ。何でこの配置なんだよ」
声は低いが、怒鳴るほどではない。でも、明らかに嫌そうだ。
「えー?だって自然じゃん?」
玉井はとぼける。
「何が自然だよ」
「交流が深まる配置」
「どうしてそうなるんだ」
健介は少し不安げに見ていた。二人とは付き合いが長いが、普段玉井を溺愛している茉衣子が、玉井に大声を上げるのは初めて見た。しかし、玉井は玉井で怯まずに自分の計画を遂行していく。こいつ、天然ボケの妹キャラに見えて、案外策士だ。そして、何より茉衣子の操縦がうまい。それに気づき、健介は唸った。茉衣子は言い返すが、目は慎吾を見ない。見ないまま、椅子の背に手をかけた。慎吾が、横から口を挟む。
「別にいいだろ。俺、逃げないぞ?」
「逃げるとか逃げないとか言う話じゃねえんだよ」
茉衣子はぴしゃりと言う。だがその言葉の端に、以前ほどの棘はない。健介は気づく。茉衣子は、内心では玉井のとりなしという形であるが和睦をうかがっているのか、あるいは単にこの状況への「諦め」の念か。ほんの一瞬、慎吾の方へ視線が動いた。視線がぶつかる前に逸らしたが、ゼロではない。玉井が追撃する。
「ほら、早く座って。鍋冷めるよ」
玉井に促され、茉衣子は黙って座布団に腰を下ろした。茉衣子と玉井のこの緊張感、本当に初めてだ。座る前に、もう一度だけ慎吾を見る。慎吾は、いつもの軽い笑いを浮かべたままだが、その目は少しだけ真面目だった。
「よろしく」
慎吾が、冗談めかさずに言った。茉衣子は一瞬、言葉に詰まる。
「……うるさい」
それだけ言って、腰を下ろした。二人の距離は、わずかに空いている。だが、誰かが割り込むほどの隙間ではない。
(これでいいのか)
健介は思う。強制でもなく、完全な拒絶でもなく。ぎりぎりのところで座った。それが、今の二人の距離だ。準備が整い、鍋が火にかけられた。準備された具材を投入し、慎吾らが用意したチキンが皿に盛られ、炭酸がコップに注がれる。玉井がクラッカーを一本ずつ配り始めた。
「乾杯のときに鳴らすの!いい?フライング禁止!」
「玉井、仕切りがプロだな」
健介が言うと、玉井は得意げに顎を上げた。
「絢那、文化祭の実行委員だったもん」
「そんなの聞いたことないけど」
「ロリカフェ、絢那の提案だぞ」
茉衣子が呆れたように言った。文化祭の一年七組の模擬店は、ロリータファッションをコンセプトにしたカフェだった。おかげで大盛況だったらしい。
「おー、ナイス企画力。玉ちゃん見直したよ」
慎吾は笑う。茉衣子は冷たい視線で慎吾を見る。今度は絢那かよ、と言わんばかりに。
鍋がぐつぐつ言い始めたころ、玉井が立ち上がった。テーブルの中央に、紙コップを持って腕を伸ばす。
「それではー!アネックスのクリスマス会、かんぱーい!」
クラッカーが一斉に鳴る。案の定、派手だ。根〆が遠くから優しく「もうちょっと静かに」とばかりに指を口元に当てる。玉井が「ごめーん」と笑う。雛灯が肩をすくめ、千宥が口元を押さえて笑った。健介はその光景を見ながら、妙に現実味のない感じを覚えていた。このアパートの一室に、同級生が集まり、パーティーをしている。おかしいのに、違和感は薄い。むしろ、「こうなるはずだった」みたいな感覚がある。
「鍋、できたよ」
雛灯が言って、取り分けを始めた。千宥が自然に手を出して、皿を回す。茉衣子は野菜を追加しながら、慎吾の取り皿を一瞬だけ見てから目を逸らした。
「これ、チキンだよ。南町が誇る名店のな。チキンは嫌いかい?」
気づいたら慎吾が茉衣子の皿にフライドチキンを載せていた。
「あ?……好きだけど」
先ほどからなんとなく、茉衣子の棘が徐々に薄まってきていたが、今ので寧ろ少しだけしおっとしてきたようだ。
会話は最初、当たり障りのないものだった。冬休みの予定、宿題、年末のテレビ、初詣。しかし、慎吾が茉衣子の隣にいるという配置だけで、どうしても話題の端々が引っかかる。健介には、それが分かった。茉衣子が箸を止めたのは、慎吾が何気なく言った一言のあとだった。
「実家、帰る前にこういうのやれてよかったわ。……なんか、久々」
「久々って何だよ」
茉衣子が言う。
「集まって飯食うとかさ」
慎吾は続けた。
「うち、最近こういうの減ってんだよな。まあ、時代もあって親戚とかもめったに集まらなくなったし、地元はそもそも同級生も少ないからな。親父もお袋も忙しいし。で、雛灯と二人暮らしを始めたけど、こういう会ができるとは思わなかったもんな」
雛灯が小さく笑う。茉衣子は箸を止めたまま、慎吾を見る。
「……意外だな」
「何が?」
「お前、そういうこと考えるんだなって」
「どういう意味だよ」
「もっと何も考えてないかと思ってた」
「しっつれいな」
慎吾は笑っている。だが、少しだけ照れているのが分かる。
「でもさ」
慎吾は続ける。
「南町、ほんと人減ってきてんだよ。その店もさ、今日チキン余ったの、予想より客こなかったかららしいし」
「やっさんの発注ミスじゃなかったの?」
雛灯が口を挟む。
「それもあるけどな。……でもさ、ああいう店なくなったら、寂しいだろ」
その言い方が、妙にまっすぐだった。茉衣子は黙る。慎吾は、いつもみたいに大声で笑わない。からかいもしない。
「だからさ、こうやって集まるの、悪くないって思った。……ほんとさ、いいところだから、今度はその店に食いに行きたいなって。一緒に」
「あ、デートのお誘い?」
なぜか斜向かいから玉井が冷やかす。
「だまらっしゃい!」
慎吾が一瞬玉井の方を向き、笑いながら言い、場がまた和む。茉衣子は、慎吾から目を逸らさなかった。
「……ふうん」
その一言は、先ほどまでの刺々しさがない。
「何だよ」
「別に」
茉衣子は鍋の具をつつく。
「お前、思ったよりちゃんとしてるんだな」
「思ったよりって何だよ」
「思ったよりは思ったよりだ」
慎吾は笑った。
「人は見かけによらないのだよお」
慎吾はおどけて言ってみせた。
「思い出すなあ。夏ぐらいか、健介と玉ちゃんが保健室に運ばれて鉢合わせた時じゃん。俺らが知り合ったの。そんで、茉衣子ちゃんってどんな子って話になったわけよ」
「あたしの話してたん?」
慎吾は「千宥、千宥」だと思っていた茉衣子はちょっと意外だった。
「健介のやつ、あんなん半分男だとかさ、そういう言い草だったのよ」
千宥と玉井と談笑していた健介は、わざと聞こえるようにそう言った慎吾のタレコミにびくっとした。
「健介、後で殺す~」
健介には分かる。この言い方をする茉衣子は、怒っていない。
「そう言われはしたけど、まあ、わかりやすく女の子らしいわけじゃ、まあ確かにないけどね。こう半年近く付き合いがあって、見てたら、結構女の子らしいなって思う面も多々あったわけだよ」
健介は出会いのシーンから聞いていて、多少盛ってはいるが、大きく事実には反しないということはわかっていた。
「な、なんだよ」
さっきより茉衣子の声にも照れが出始めている。
「まあ、人は見かけによらないのだよお。……あ、見かけもいいけどな。俺、ギャルっぽい子、結構好き」
一瞬、空気が止まる。
「は?」
茉衣子の声は低い。
「誰がギャルだ」
「いや、雰囲気?なんかこう、日焼けしてて、健康的で、強そうで」
「強そうは余計だ」
「いや褒めてる」
「全然褒めてない」
茉衣子は顔をしかめるが、完全な拒絶ではない。慎吾は慌てた様子もなく続ける。
「別にさ、化粧濃いとか、チャラいとか、そういう意味じゃないって。なんていうか……堂々としてる感じ」
今度は少し真面目だ。
「堂々?」
「うん。人の目あんま気にしてないだろ。自分のペースあるし」
茉衣子は一瞬、言葉に詰まる。
「……気にしてるわ」
「してない顔してる」
「してるって言ってんだろ」
やり取りはいつも通りだが、温度が違う。慎吾は笑いながらも、目線は逃げていない。
「でもさ」
慎吾はチキンを一つ口に放り込みながら続ける。
「俺、そういうの結構いいなって思った」
「何が」
「強そうなのに、ちゃんと気ぃ遣うとことか」
茉衣子が顔を上げる。
「……は?」
「今日だってさ、鍋の具、バランス見て入れてただろ。俺、最初肉ばっか入れようとしてたのに」
「当たり前だろ。偏るだろ」
「そういうとこ」
慎吾はあっさり言う。
「……父ちゃんが飲食だから自然と気にするようなっただけだよ」
横で聞いていた健介が思わず唸る。中学の時、家庭科の授業で盛大に失敗していたのに。年月は人を変える。
茉衣子は黙る。耳のあたりが、ほんの少しだけ赤い。
「……あたしは別に、ギャルじゃない」
「うん、知ってる」
「は?」
「ギャル『っぽい』って言ったじゃん。雰囲気。……まあ、俺が勝手にそう思ってるだけだけど」
慎吾は笑う。
「で、俺、そういうの好き」
今度は軽口ではなく、少しだけ落ち着いた声だった。茉衣子は視線を逸らし、鍋の中を覗き込む。
「……変なやつ」
「よく言われる」
「それ自覚あんのか」
「ある」
また笑いが起きる。だが、さっきまでの「探り合い」はもうない。健介ははっきりと感じる。茉衣子の中で、何かがひっくり返った。チャラい。軽い。調子がいい。そう思っていたはずの慎吾が、意外とちゃんと見ている。それが、効いている。茉衣子は小さく言った。
「……まあ、悪くない」
「何が?」
「今日」
それだけ。だが慎吾は、それで十分らしい。
「だろ?」
得意げではなく、少しだけ安心した顔だった。千宥がくすっと笑い、雛灯がほっとしたように息をつく。
「ほらー、交流深まったでしょ?」
健介の向かいに座る玉井は健介に聞こえるぐらいの声で誇らしげに言ったが、察した茉衣子に睨まれて黙る。
その茉衣子の方を一瞥すると、健介は、慎吾との距離が最初よりほんの少しだけ縮んでいることに気づいた。玉井は侮れない。コップに残ったジュースを飲み干しながら健介は考えた。
「ねえねえ、写真撮ろうよ」
玉井が提案した。すっくと作業机の方にいた根〆が立ち上がった。
「おじさんが撮ってあげよう」
「わー、おじいちゃんありがとう」
時計を見ると、八時半だった。鍋はほとんど空になり、紙皿も重なっている。クラッカーの紙片がテーブルの端に残り、ジュースの炭酸は抜けかけていた。
そのときだった。呼び鈴が鳴り、根〆が玄関のドアを開けた。
「アーキー!まだ起きとるばやー!」
低く太い声が響いた。全員が振り向く。酒瓶を小脇に抱えた男が立っていた。色黒で、がっしりした体格。長い白髪を後ろで束ねており、どこか陽気な空気をまとっている。
「父ちゃん……」
茉衣子が小さく呟く。泰造だった。
「おー、若いの集まっとるさあ!なんだなんだ、クリスマス会かー?」
「泰ちゃん、声がでかいよ」
根〆が苦笑しながら言う。
「アーキーも飲むさ?今日はうまい泡盛持ってきたさあ」
泰造はずかずかと入ってくる。健介たちのテーブルを横目に、食卓の椅子に腰かけた。同い年で子と孫が親友同士という古波蔵泰造と根〆昭信は「泰ちゃん」「アーキー」の仲だ。
「おじいちゃん、焼酎とか泡盛はあんまり強くないんだけどね」
玉井が小声で苦笑しながら言う。
「あの人が茉衣子のパパなんだ……」
雛灯が苦笑する。
「でもなんか、茉衣子ちゃんの父ちゃん感はめっちゃあるわ」
「どういう意味だそれ」
慎吾のコメントに茉衣子は眉をひそめる。
「若いのは若いの同士でやれやれ。俺らは俺らで飲むからよ」
「父ちゃん、空気読め」
「わかっとるわかっとる。邪魔せんさあ、ちゃんと端っこで飲むさ」
言いながら、もう瓶を開けている。根〆も、結局は抵抗せずに向かいに座った。
「少しだけだよ」
根〆が苦笑する。
「少しって何合だ?」
「一合で済むわけないだろ」
ローテーブルからも低い笑い声が響く。
泡盛の匂いが、部屋の空気を少し変えた。大人たちの声は、最初こそ小さかったが、しばらくして、明らかに大きくなっていった。
「そいつがそう言うからよ、叩き出してやったさー」
「どこの業界もいるなあ、そういうクレーマーは。いやあ、俺も会社勤めの頃、思い出すよ」
会話は、徐々に出来上がっていく。どうやら仕事の話をしているらしい。
「父ちゃん、ペース早すぎだ。おじちゃんと飲むといつもこうなんだから」
「なんか言ったや、茉衣子?」
父親の元へ忠告しに寄ってきた茉衣子は眉をひそめる。
健介たちは顔を見合わせた。
「……なんか、解散の流れ?」
雛灯が小声で言う。
「だな」
慎吾が苦笑する。玉井も肩をすくめた。
「おじいちゃん、完全にスイッチ入った」
茉衣子は立ち上がった。
「……片付けよ」
声は落ち着いている。鍋を洗い、ゴミをまとめ、紙皿を束ねる。さっきまでの賑やかさが、ゆっくりと静かに畳まれていく。泰造の笑い声が、後ろで響く。
「茉衣子ぉー!ちゃんと帰れよー!気ぃつけれよー!」
「うるせえ!あたしが父ちゃんを引きずって帰るんだよ!」
「引きずるなよ!俺はまだ歩けるさ!」
「歩けてないだろ!」
茉衣子は腕をつかみ、半ば本気で引っ張る。泰造は大きな体を揺らしながら笑っている。
「アーキー、よいお年やさー!また飲まんといかんさー!」
「茉衣子ちゃんにあんまり迷惑かけるなよ」
根〆はそう言いながら、もう顔が赤い。玄関の外に出ると、夜の空気が冷たい。泰造はなおも何か歌いかけている。茉衣子は本気で引きずりながら、「ほんと最悪」とぼやく。だが、その横顔は、どこか晴れていた。慎吾がそれを見て、何も言わずに小さく笑う。
「青春と現実のコラボだね」
玉井が健介の横で呟く。
「なんのこっちゃ」
健介はそう返しながら、最後に101号室を振り返った。今日、確かに何かが始まった。でもそれは、特別なものじゃない。こうして、大人の酔いに押し出されるように終わるくらいの、ちょうどいい始まりだ、と健介は思った。
息を吐く。
(……来年も、落ち着かない一年になりそうだ)
寒いはずなのに、胸の奥は妙に温かかった。
【次回予告】
初詣、行ってますか?
という感じです。よいお年を。
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