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第9話 入りそこねた文化祭

ちょっと、この回はやややる気薄めです。


<AI依存度>:

ほぼそのまま使用:45~55%

AI文をベースに改稿:25~35%

ユーザー独自の加筆・構成・描写:20~30%

九月も半ばとなったが、どうもまだ暑い。二学期が始まって二週間はたつが、こんな調子だと、是非とも夏休みを延長してほしい。樋口健介は自然とため息をつく。

さて、そんな時期だが、文化祭が近づいている。二学期に入ってからというもの、そういう空気が学校全体に広がっていた。廊下には段ボールや模造紙が積まれ、放課後になるとどの教室からも人の声が漏れてくる。楽しそうな声も、面倒くさそうな声も、混じり合っていた。教室の隅にはいつの間にか見覚えのない段ボールが積み上がっていく。廊下を歩けば、どこからかガムテープを引きちぎる音や、ホチキスの乾いた金属音が聞こえてきた。

健介自身は、特別に胸が高鳴るわけでも、気が重くなるわけでもなかった。文化祭という行事に、これまで強い感情を抱いたことはあまりない。やることが決まればやるし、終われば終わる。クラスの和を乱さない程度に、それなりに参加する。ただそれだけだ、と思っている。

四組の出し物は、早い段階で決まっていた。お化け屋敷。特別ひねりがあるわけでもない、ごくオーソドックスな案だったが、反対する声もほとんどなかった。面倒が少なく、役割分担もしやすい。それだけで十分だった。

準備は淡々と進んでいった。そして、今日は前日ということで授業は午前中で終了し、明日の本番に向け、準備時間に当てられている。教室の窓には黒いビニールが貼られ、昼間でも中が薄暗くなる。段ボールで作った壁を立て、通路を折り曲げ、奥行きがあるように見せる。

「ここ、もうちょっと狭くした方が怖くね?」

「いや、これ以上やったらぶつかるだろ」

「ちょっと、それ以上寄せないで。スタッフ用のスペース無くなるでしょ」

通路を組み立てる係、脅かす用の小道具を作る係など、色々分かれている。健介の役割は、自然と決まった。入口と出口の案内係。入口と出口まわりで客を誘導する。健介は主に入口担当だ。お化け役でもなければ、裏で音を鳴らす係でもない。暗闇の中に入ることもなければ、誰かを驚かせることもない。始まりと終わり、その境目に立つ役割だった。それは、健介自身の性格に合っている気もした。前に出るのは得意ではないが、完全に何もしないのも落ち着かない。中に踏み込まず、外から見ている。入口と出口という場所は、不思議としっくりきた。

放課後の教室では、(とも)(なが)(しん)()(あや)()(ゆう)()が段ボールを切りながら、どうでもいい話をしていた。

「絶対さ、最初の客、ビビらないよな」

「まあ、どうせ文化祭だし。でも僕はなんか驚くようなやつがいいな」

「雄人が大声で声かけてきたら驚くだろ」

「それ、お化け屋敷と方向違くない?」

そんな会話に、健介も時々相づちを打つ。深く考える必要のない軽口。笑うほどでもないが、無言になるほどでもない距離感。居心地が悪いわけではなかった。

挿絵(By みてみん)

(おお)(うえ)(しげる)は、準備に顔を出したり出さなかったりだった。陸上部の練習や出し物の準備がある日は、「悪い、先行く」と言って早めに教室を出ていく。汗の匂いを残したまま戻ってくる日もあれば、結局姿を見せない日もある。

「部活、大変そうだな」

「まあな」

慎吾のコメントに、大上は淡々と答えた。

「大上くん、なんかするのかい?陸上部」

今度は雄人が質問した。

「スタミナ飯的なのを売ったりとかな。あと、」

「あと?」

「お客をそりにのせて引っ張るレースに出ることになった……」

大上がどことなく沈んだ顔をしている。

「ハハハ、めっちゃ絵になるよ」

「こういう見世物は好きじゃない」

「いや、見世物というか、乗ってる方は案外楽しいかもな。アトラクションとして」

健介もコメントする。しかし彼は、このいつもの三人も含め、そういう周囲のやり取りを、なんとなく俯瞰で見ていた。四組の空気は、全体として静かにまとまっていた。衝突もない代わりに、勢いもない。必要なことだけをこなして、時間が過ぎていく。それを「楽だ」と思う気持ちも、確かにあった。ただ同時に、どこか閉じている感じもした。

放課後、用事で廊下に出ると、別の空気が流れている場所がある。七組の教室だった。扉は半開きで、中から明るい声が漏れてくる。笑い声が重なり、言葉の端々に弾む調子が混じっている。

「これ、絶対サイズ小さくない?フリルすご」

「大丈夫大丈夫、こんなもんっしょ。色もいい感じよ」

「うわあ、スカート短っ。妙ちゃんも絶対こんなじゃないっしょ」

ロリータファッションの話題らしいことは、断片的に聞こえてきた。フリル、色、妙ちゃん。健介には詳しいことは分からないが、四組とは明らかに違う話題だということだけは分かった。

「千宥ちゃん、これ着てみなよ。かわいいと思う!」

「わ、私はもうちょっと落ち着いたのが好きかな」

廊下越しに見える教室の中では、千宥が自然に輪の中にいた。特別目立つわけでもなく、かといって端に寄っているわけでもない。誰かが話しかければ応じ、笑いが起きれば一緒に笑う。その様子に、違和感はなかった。

「いいじゃんか、千宥。それ可愛いと思うぜ。あ、あたしこれ着たいな。まあ、サイズも大きめのがいいやな。ねえ、妙ちゃんはどこ行ったん?あたしの合うサイズのやつ着たいぞ」

茉衣子は、中心にいた。声も表情もはっきりしていて、周囲が自然と耳を傾けているのが分かる。担任の(さかき)(ばら)(たえ)()の姿は、まだ見えない。

「衣装は妙ちゃんの知り合いの店から借りられるってよ。帰ってきたら聞いてみよう」

玉井がコメントしているのが見える。

挿絵(By みてみん)

健介は、その光景を数秒だけ見てから、視線を逸らした。声をかけようと思えば、かけられない距離ではない。名前を呼べば、気づいてもらえるだろう。だからこそ、茉衣子たちが眩しくて、その場をそそくさと立ち去った。七組の教室から聞こえる笑い声を背中に受けながら、健介は四組の方へ戻る。戻れば、段ボールと黒いビニールの世界がある。

「遅かったな、健介。何してた?」

四組の教室に戻ると、慎吾が声をかけてくる。

「ちょっとトイレ」

健介はそう答えて、作業に戻った。呼び込み役で必要な物品と言えばプラカードぐらいなものなので、こうやって慎吾たち脅かし役の衣装や小道具を手伝っているのだ。文化祭の準備は、まだ続く。粛々と、やっていくだけだ。そこに、見慣れたばかでかい人影が近づいてくる。

「おお、大上。来たか」

「ちょっと物取りに来ただけだ。俺も陸上部(あっち)の準備が終わっていない」

「いや、それはそれとしてちょうどいいよ。お前の衣装、サイズ合わせしたいんだよ。ほれ、着てみ」

慎吾が衣装を差し出す。

「……慎吾、これ、きつい。入らん」

「うお、まじか。お前、やっぱり規格外だよ」

「あー、縫い直しか。いや、どうやって縫い直すんだ……」

健介がげんなりする。

「いっぺん切って布足せば?」

「雑だなあ」

「おばけの衣装なんだからいいんじゃない?第一、暗いから縫い目なんて見えないよ」

「お前、意外とこういうのはざっくりしてんだな」

あっけらかんとして言う雄人に、健介は苦笑した。


文化祭当日の朝は、いつもより早かった。昨夜はかなり遅くまでの居残りが特例で許容されていたが、中には早朝で追い込むクラスや部活もそれなりにあるらしく、朝早くから開けているのだ。これもまた例年の風物詩。九月半ば、まだ七時過ぎだというのに、アスファルトの照り返しで空気はすでに温まりつつあった。学校までの上り坂を額にやや汗を浮かべつつ登頂した健介は、先生たちも大変だな、と苦笑する。自分もそうやって朝一番に登校してきたクチだが。この時間は初めてだ。しかし、すでに人がそれなりにいるのが分かる。一年四組の準備の「追い込み」も、全員が全員来る必要はない。ただ、運営に協力してポイント稼ぎをして今後の平穏無事をお願いしたくもあったし、第一に、家にいても落ち着かなかったのだ。

教室に入ると、すでに何人か来ていた。黒いビニールで覆われた窓から差し込む光は弱く、いつもの四組の教室とはまるで別の場所のように見える。段ボールで作られた壁が通路を形作り、床には養生テープが無数に貼られていた。

「早いな」

慎吾が声をかけてくる。

「まあ、なんとなく。お前も遠くからなのに早いな」

健介はそう答え、入口付近に立った。朝長家はここから三十キロほど離れた(みなみ)町にある。

「お袋が気合入れて早く車で送ってくれたんだ。始まるまでヨネダ珈琲で時間つぶすって」

「モーニングかよ。優雅な朝だな」

「俺らコンビニおにぎりなのにな」

「妹も一緒なのか?」

七組、茉衣子たちのクラスには慎吾の双子の妹もいる。

「そりゃな。あいつも準備あるし」

慎吾は一瞬だけ七組方面に目をやった。


案内係としての仕事は単純だ。開始時間になったら客を呼び込み、混雑しすぎないように調整する。出口に人が溜まらないように誘導する。それだけだ。準備期間中に何度もシミュレーションをしてきたから、今さら確認することもない。

開始時間が近づくにつれ、廊下のざわめきが増していく。他のクラスの前にはすでに列ができ始めていた。模擬店からはおいしそうな匂いが漂い、どこかでスピーカーの音が鳴る。

「じゃ、始めるぞ」

誰かがそう言うと、四組の空気が一段階引き締まった。健介は入口に立ち、呼び込みのプラカードを手に取る。

「四組、お化け屋敷でーす」

声を張り上げるほどではないが、聞こえる程度に繰り返す。最初の客は、他のクラスの男子だった。中に入っていく後ろ姿を見送りながら、健介はふと、暗闇の向こう側にある声を想像する。驚いているのか、笑っているのか。それを知ることはない。

数組の客を送り出したあと、健介は人の流れの中に、見覚えのある姿を見つけた。七組だった。ロリータカフェの看板が、廊下の向こうに見える。白と淡い色を基調にした装飾は、他のクラスの派手さとは少し違って、柔らかい雰囲気をまとっていた。その前を、茉衣子たちが歩いてくる。健介は、一瞬だけ息を呑んだ。衣装姿を見るのは、これが初めてだった。フリルの多い服は、動くたびに揺れ、普段の制服姿とはまるで印象が違う。それでも、誰が誰なのかはすぐに分かる。声や仕草、立ち方が、変わらないからだ。

「おー、健介。やってんな。これがお前んとこのお化け屋敷かー」

茉衣子がスカートをひらひらさせながら健介に駆け寄り、四組の入口を覗き込む。

「いらっしゃい。四組のお化け屋敷です」

健介は反射的に背筋を伸ばした。案内係として接することにしたのだ。少しだけ、声が硬くなった気がした。

「樋口くん、仕事してるね。うちのバカ兄、さぼってない?」

茉衣子と並んで一緒にいた慎吾の妹、(とも)(なが)(ひな)()が声をかけた。妙子のスタイルに憧れているというクラシカルスタイルの茉衣子に対し、雛灯はちょっとゴシックな雰囲気だ。よく見ると、それに合わせてか、いつもの赤縁ではなく、黒縁眼鏡だ。

「いや、ああ見えてあいつはウチのブレインだからな」

実はああ見えて慎吾は賢いので、まとめ役なのだ。

「そっか。迷惑かけてたら私に言ってよ」

「大丈夫。妹に告げ口しなくても俺らで何とかなるし」

「あはは、頼もしい」

雛灯は笑った。

「健ちゃん、呼び込みなんだね。おどかしたりしないの?」

他の三人に比べ控え目なカジュアルロリータの千宥。生物学的男性ではあるが身長158cmで、171cmの健介を見る時に若干上目遣いになるため、そのいつもと違う装いも相まって健介はどぎまぎする。

「いや、ほら、俺はそういう柄じゃないわけでしょ。例えば、大上なんかはヌッと出てくるだけで絵になるわけだから、そういうのに任せたがよくてな」

「あははは。大上くんが出てきたら確かにびっくりかも。ねえねえ、樋口くん、どう?やっぱり怖い?」

甘ロリスタイルに身を包んだ玉井がぴょんぴょん跳ねながら聞く。

挿絵(By みてみん)

「まあ、それなりにな。外から聞いてて、結構悲鳴は聞こえるぞ」

健介はそう答えた。嘘ではない。誇張もしていない。茉衣子は一瞬だけ健介の顔を見て、軽く笑った。

「じゃ、行くぞ」

千宥たちも、その流れに自然に加わっている。誰かの後ろに隠れるわけでもなく、先頭に出るわけでもない。肩の力が抜けたまま、通路の中へ消えていった。

健介は、彼女たちを中へ送り出すと、入口を閉めた。暗闇の向こうから、すぐに声が聞こえてくる。声からすると、雛灯だろうか。玉井らしい短い悲鳴と散々聞き慣れた茉衣子の笑い声が混じる。よく聞くと、千宥が宥める声も聞こえるようだ。そう思っていると、今度はその千宥まで悲鳴を上げた。健介は仕事そっちのけで、その様子をただ聞いていた。自分はそこにはいない。声だけが、こちら側に漏れてくる。

数分後、出口から七組の面々が出てきた。

「思ったよりちゃんと怖かった」

「びっくりしたー」

「なんか、怖いっていうか、面白かったなー」

「あはは、茉衣子ちゃんのおかげで私も落ち着いて攻略できたよ」

口々に感想を言い合いながら、通り過ぎていく。

「健ちゃん、ありがとう。おつかれさま」

なんとなく入口と出口の間にいたところ、千宥が駆け寄って言った。

「あ、ああ。楽しかったならよかったよ」

健介は千宥にびっくりして気の利いたことが言えず、それ以上の会話はなかった。彼女たちは、そのまま廊下の流れに溶けていく。

しばらくして、自由時間となった健介はロリータカフェの前まで足を運んだ。混雑しているわけではないが、客は途切れていない。店内は明るく、笑顔が絶えない。

入口の近くで、榊原妙子の姿を見つけた。いつも目立つ妙子だが、今日はみんなロリータなので、周囲の生徒たちに溶け込み、忙しそうに動き回っている。教師というより、完全にスタッフだ。

挿絵(By みてみん)

健介は、立ち止まったまま、中に入らなかった。入ろうと思えば入れる。誰も止めないだろう。それでも、足は動かなかった。ここは、自分の居場所ではない。理由ははっきりしないが、そう感じた。背後で、誰かに呼ばれた気がして振り返ると、慎吾が手を振っていた。

「悪い、健介。戻ってきてくれ。今ちょっと混んでる」

「おう、今行く」

健介は最後にもう一度、店内を見てから、四組の方へ戻った。暗い教室に入ると、さっきまでの明るさが嘘のように消える。入口に立ち、また客を迎える。

文化祭は、まだ始まったばかりだった。


慎吾に呼ばれて教室へ戻ると、入口付近の空気が少し変わっていた。列が途切れていない。最初の勢いが落ち着くどころか、口コミで人が増えた感じがある。廊下の向こうのクラスからも、誰かが「四組、意外とちゃんとしてる」なんて言っているのが聞こえた。

健介は入口の位置に戻り、改めて呼び込みを始める。

「四組、お化け屋敷でーす。空いてまーす」

空いているわけではない。ちょうどいい具合に回っているだけだ。けれど「空いてます」と言えば、人は足を止める。そこに小さな嘘が混じっていることは、健介にも分かっていた。慎吾が横に来て、段ボールの角を押さえながら言う。

「さっきさ、七組来てた?」

「来てたよ。お前の妹もな。まあ、楽しんでたと思うよ」

「……そっか」

慎吾の声は軽い。けれど、最後の「そっか」だけ、少しだけ余計な空気を含んでいた。健介はそれが何なのか、うまく言葉にできない。慎吾はいつもこういう時、言いたいことを言い切らない。言い切らない代わりに、雑談に戻る。

「マジで大上いねえな」

「部活だろ。昼頃戻るって言ってた」

「昼っていつだよ」

そんなやり取りをしているうちに、客がまた入ってくる。

健介は客に案内し、通路へ送り出す。

「次の方どうぞ」

「足元気を付けて」

声を出していると、余計なことを考えずに済む。考えなくて済むのは楽だ。けれど、時々、思い出してしまう。さっきの七組の笑い声。暗闇の向こうから漏れてきた声の混ざり方。千宥の叫びが、あまりに予想外だったこと。驚く声には色がある。いつもの穏やかな声が一瞬だけ剥き出しになったようで、健介はその瞬間を頭の中で何度も反芻していた。昼に近づくと、校舎全体の匂いが濃くなる。焼きそばのソース、揚げ物の油、甘いクリーム。人が増えるほどに匂いも重なる。廊下を歩く人の体温が、空気を温める。

健介は今度こそ休憩を言い渡され、ようやく入口から離れた。昼休憩、といっても完全な休憩ではない。入口係はずっと立ちっぱなしになるから、短時間でも座ることが許される。教室の隅に置かれたパイプ椅子に座り、ペットボトルの水を飲む。冷えているはずなのに、喉を通るときだけ妙に生ぬるい。

「食べるかい?」

先に休憩に入っていた雄人が外の出店で売っていたらしい焼きそばを差し出してくる。そして、他にも模擬店で購入したと思われる食べ物が雄人の手元に並んでいた。

「ありがとう。……雄人、その持ってるやつ、全部買ったのか?」

「なんか、文化祭ってお腹減るじゃん。あと、あの匂いでさ。嗅いでるだけでお腹減るから、どうもダメなんだ。買い過ぎちゃうんだよね。健介くんにも消費してほしくてね。大上くんが来たら確実なんだけど」

挿絵(By みてみん)

「そんななら買わなきゃいいだろ。でもまあ、せっかくだからもらうよ」

健介は笑って、包装を開けた。焼きそばは普通に美味い。普通、というのが安心する。文化祭の派手さに対して、自分の手元の食べ物があまりにいつも通りで、むしろそのことに救われる。その時、廊下から別の声が聞こえてくる。

「え、妙ちゃんいる? 妙ちゃんどこ?」

「今、裏じゃない?」

七組の前を通ったらしい誰かの声だ。

妙ちゃん――榊原妙子の存在は、直接見えなくても、学校の空気の中で形になっていた。教師なのに、文化祭の空気の中では「先生」というより、コンセプトカフェの一部として噂されている。健介は焼きそばを持ったまま、立ち上がった。自分でも理由はよく分からない。ただ、さっき見た明るさが、頭の片隅に引っかかったままだった。廊下に出ると、ロリータカフェは相変わらず人が出入りしている。店の前の装飾は手が込んでいて、白い布とリボンが揺れている。内側からは食器の音と、「いらっしゃいませ」の声が聞こえた。

健介は入口の前で立ち止まった。中に入るつもりはない。入らないつもりだ。けれど、立ち止まる理由もないはずだった。中に、茉衣子が見えた。客の前ではっきりした声を出し、注文を取り、笑顔を作っている。準備期間の中心にいた茉衣子が、当日も中心にいる。誰もが自然に彼女に視線を向けて、彼女の声で場が回っている。その隣で、千宥がカップを運んでいる。動きは丁寧で、どこか手慣れているようにも見えた。客に対して目線を合わせて笑う。笑い方はいつもと同じだ。服だけが違う。服だけが。

健介は、そこで初めて気づく。自分は今、客として中に入るかどうかを迷っているのではない。「自分がそこに入った時に、どう見えるのか」を想像して、足が止まっている。客として入れば、当然、向こうは接客する。健介は笑って、ありがとうと言って、席に座って、飲み物を飲む。それは簡単だ。文化祭として正しい。でも、なんとなく気が引けた。この空間で華やかにしている友達に接すると、なんだか別の世界に行ったような気がするのだ。ちょっと、やめとくか。健介が視線を外した時、背後から声がした。

「……樋口くん?」

雛灯だった。ロリータ服姿のまま、廊下に出てきたらしい。黒縁の眼鏡がそのまま似合っていて、いつもより少し大人びて見える。

「なにしてんの?」

「……いや。ちょっと、見てただけ」

「入んないの?」

「……今、混んでるし」

「それ、理由になってる?」

雛灯は笑った。笑い方は軽い。けれど目は、健介が何かを避けているのを分かっている。健介は返事をせず、喉の奥が乾くのを誤魔化した。雛灯は一瞬だけ店内を振り返り、肩をすくめる。

「まあ、いいけど。樋口くん、仕事戻った方がいいんじゃない?」

「うん。戻る」

「じゃ、また後でね」

雛灯がそう言って去っていく。「おう」と声には出したが、回れ右するのとほぼ同時だった。五秒後に自分で振り返ってみても、あれが雛灯に聞こえたかどうかすら分からなかった。「後でね」…その言葉は、約束のようで、約束ではない。文化祭の中では、いくらでも言える言葉だ。言ってしまえば、言ったことになる。でも実際に「後で」が来るかどうかは分からない。

健介が踵を返した瞬間、背後で「いらっしゃいませ」が聞こえた。それが、遠ざかる。

教室に戻る途中で、大上が廊下を走ってきた。短く切りそろえた髪と首元に汗が光っている。文化祭の飾り付けの中を、陸上部の体温だけがそのまま走っているみたいだった。

「悪い、遅れた!」

大上が言う。

「お前、ほんとに昼だったな」

慎吾が返しながら笑う。

「すまん。(うら)(かわ)が……」

浦川とは陸上部の顧問の先生である。

「いいって。ほら、脅かし役、足りてねえから」

雄人が言うと、大上は「了解」と短く答えた。健介は、その様子を見て、少しだけ安心した。この教室の空気は閉じている。閉じているが、分かりやすい。分かりやすさは、息をしやすくする。それでも、閉じているという事実だけは消えない。黒いビニールは、窓の外の光を遮る。遮ったまま、文化祭の一日が進んでいく。


午後になると、校舎のざわめきが一段落する。人が減ったわけではない。人の流れが「目的地を持った動き」から「漂う動き」に変わる。午前中に回りたいものを回り終えた人たちが、廊下で立ち話をしたり、教室の前で写真を撮ったりする。そこには、行事というより、ただの休日に近い空気が混じる。

四組のお化け屋敷も、午前ほどの列はできなくなっていた。それでも一定数は来る。文化祭は後半ほど、ふらっと立ち寄る客が増える。そういう客は、驚かされることよりも「ここに来た」という経験を求めている。健介は入口に立ちながら、そのことを何となく感じていた。午後の光は、黒いビニール越しにも分かる。外が明るい。時間が進んでいる。徐々に、終わりが近づいている。健介の仕事は相変わらず単純だった。

「次の方どうぞ」

「こちら出口でーす」

それを繰り返すだけで、体は勝手に動くようになる。声も勝手に出る。その「勝手に」を、健介は少しだけ怖いと思った。文化祭が始まった時は、緊張していた。七組が来た時は、息が詰まった。ロリータカフェを見た時は、足が止まった。でも午後になり、慣れてしまうと、さっきまでの感情が薄まる。薄まると、さっきまでの自分が嘘みたいに思える。

「なあ、健介」

慎吾がふいに言った。

「午後、抜けていい?」

「え?」

「七組、ちょっと見に行きたい。……妹、どうしてんのか気になるし」

慎吾は視線を逸らしたまま言う。言葉の最後が少しだけ小さい。

「いいんじゃね? 交代で」

健介が言うと、慎吾は笑った。

「悪いな。助かる」

慎吾が廊下へ出ていく後ろ姿を見ながら、健介は思った。慎吾は「妹が気になる」と言った。確かにそれは嘘ではない。でも、その言葉で全部が説明できるわけでもない。

健介は、入口の位置に戻る。入口と出口。境界の場所。自分の役割は結局、そこに戻ってくる。

大上が暗闇の中に入っていく。脅かし役の大上は、ある意味で似合っていた。体格が良くて、存在感がある。暗闇の中から「ぬっ」と出てくるだけで、それだけで客は声を上げる。驚きの質が変わる。

「大上くん、ずるいよね」

雄人がぼそっと言う。

「なにが?」

「出るだけで怖い」

大上が暗闇の方から「悪口か?」と返して、笑い声が起きる。

健介は、その笑い声を聞いて、少しだけ救われる。こういう普通の笑い声なら、居場所がある。自分がここにいることに、理由が要らない。

でも、同時に、健介の頭のどこかでは、七組のことが頭にあった。茉衣子や千宥が華やかな格好でいる華やかな世界。自分も飛び込みたいような、それも気が引けるような、微妙な感じ。そして、健介は後者を選んでしまった。


しばらくして、校内放送が流れた。

「まもなく令和○年度春若栄久高校文化祭、終了の時刻です。各クラス、撤収の準備を始めてください」

その瞬間、空気が変わる。行事の終わりが、現実味を帯びる。文化祭は祭りであると同時に、片付けのイベントでもある。終わりの匂いは、片付けの匂いだ。

健介は入口の札を下ろし、最後の客を送り出す。

「ありがとうございました」

その言葉が、午前中よりも少しだけ本当らしく出た。片付けは忙しい。黒いビニールを剥がし、段ボールを畳み、ガムテープを引き剥がす。普段なら静かな教室が、紙の擦れる音と足音で満ちる。誰もが無言になる。無言のまま動く。終わらせるために動く。

健介は段ボールを運びながら、廊下に出た。すると、向こうから七組の一団が歩いてくるのが見えた。どこか肩の力が抜けている様子で、髪型が少し崩れている者もいる。祭りが終わりかけている。茉衣子が健介に気づいて、手を軽く上げた。

「お疲れ!」

「お疲れ」

健介も返す。声は自然に出た。雛灯が、手にゴミ袋を持っている。

「樋口くん、さっきはありがとね」

「いや、別に」

「いやいや、うち、けっこう回ってさ。妙ちゃん、ずっと接客で大変だった」

「見た。忙しそうだった」

「でしょ。あの人、先生なのにさ」

雛灯が笑う。千宥が、健介の方を見て小さく頭を下げた。

「健ちゃん、お化け屋敷楽しかったよ。他の行った子たちもよかったって」

「……ああ、そうなんだ。俺は逆に一度も入ってなくてな」

千宥にそう言われ、健介はそうコメントしたが、言ってしまってから、少しだけ後悔した。玉井が横から身を乗り出す。

「ねえねえ、樋口くん、カフェ来た?」

「……いや」

「えー!なんで!」

「忙しかったし」

健介は目をそらす。

「忙しいのは分かるけどさあ。来てほしかったー」

玉井は大げさに頬を膨らませてみせる。

「絢那、そこまでかよ。健介、そんなリアクション期待できねえぞ?」

茉衣子が、そのやり取りを見て笑う。失礼な奴め。健介は苦笑した。

「だってぇ。樋口くん、来たら面白そうなのに」

「面白そうって何だよ」

「なんか!」

健介が問うと、玉井はそうとだけ返した。健介は、その「なんか」を理解できないまま、笑ってしまった。理解できないものに対して笑うのは、逃げだろうか。でも、笑う以外にどう返せばいいのか分からなかった。

茉衣子が一歩だけ近づいて、健介の顔を覗き込む。

「ほんとに来なかったよな?」

「うん」

「ふーん」

茉衣子はそれ以上何も言わなかった。言わない、という選択が、妙に重く残る。七組はそのまま廊下の向こうへ行く。

「じゃ、また」

「お疲れさま」

言葉は軽い。けれど健介は、その背中が遠ざかるのを見ながら、胸の奥が少しだけ冷えるのを感じた。

挿絵(By みてみん)

片付けが終わるころには、校舎は急に静かになった。先ほどまでの喧騒が嘘のように、空気が軽くなる。祭りの後の校舎は、広すぎる。

健介は校舎を見上げ、一年四組の窓を見た。黒いビニールが剥がされ、夕方の光が差し込んでいる。いつもの教室に戻ったのに、どこか違う。戻ったはずなのに、戻りきっていない。


校門の外に出ると、空が少しだけ広く感じた。学校の中で閉じていた空気が、外に出るとほどける。それでも、ほどけた分だけ、何かが残る。

帰り道、健介は下り坂をとぼとぼと歩いた。文化祭の後は妙に疲れる。体の疲れより、頭の疲れが大きい。何もしていない時間の方が多かったはずなのに、目に入ったものと、聞こえた声だけが、頭の中に残っている。まだまだ熱い日々ではあるが、今日は少しだけ温度が低いような気がした。健介はなんとなくそう感じた。健介は、さっきの会話を思い出す。

「来てほしかった」

「ほんとに来てないの?」

「後でね」

来てほしかった、と言われるのは、嬉しいはずだ。でもその言葉の裏側に、何かがある気がしてしまう。裏側の「何か」を探し始めたら、文化祭はもうただの行事ではなくなる。健介は、自分が今日、どこにいたのかを考える。四組の入口にいた。境界に立っていた。七組の前では立ち止まった。でも、中には入らなかった。自分で選んだのか。選ばされたのか。その違いが分からないまま、文化祭は終わった。

坂の下の自宅へと歩きはじめようとした時、携帯が震えた。画面を見る。通知は、クラスの連絡でも、文化祭の写真でもない。ニュースアプリのどうでもいい通知だった。健介は画面を消して、空を見上げた。夕暮れの色は、昨日よりもまた少し濃い。文化祭が終わったからといって、何かが劇的に変わるわけではない。でも――戻れない形に、少しだけずれた。そんな気がした。

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