第7話 嵐を呼ぶ始業式
<AI依存度>:
ほぼそのまま使用:18〜23%
AI文をベースに改稿:25〜32%
ユーザー独自の構成・設定・加筆:48〜57%
二クラス当時に動かすのも、大変ですね。けど、メインキャラが三年間ずっと同じクラスってのも、あまり現実感ないですからね。普通科しかない学校ともなればなおさら。
九月に入ったとはいえ、朝の空気にはまだ湿った熱がまとわりついていた。窓の外では、蝉がしつこく鳴いている。ここ数年は本当にそうだ。まだまだ「夏」そのものだ。
樋口健介は鏡の前に立ち、ネクタイを締める手を止めた。一瞬だけ窓の外を見る。うん。どう見てもまだまだ夏だ。とはいえ、暦が九月になったんだからしょうがない。しかし、学校と呼ばれる機関に入って以降、夏休みはこれで十回目だが、「夏休み明け」は何度経験してもつらい。これから、毎日早い時間に起きて、毎日学校に行かないといけないのだ。
「はあ……」
自然とため息が出る。そして、陰キャなりに楽しんだ夏休みを思い出す。直近は花火大会だ。その前には海にも行った。逆に言うと、イベントらしいイベントはそれぐらいなものだが、十分だろう。友達と集まって、なんかする。悪くない。
思えば、このアネックス久世に入居して三か月。
隣人がまさかまさかの腐れ縁、古波蔵茉衣子だったときは、絶望にも近い心持ちだったわけだが、でも、海水浴も花火も立役者は茉衣子だ。このところ、茉衣子の「巻き込み体質」が、中学生の時ほど負の方向に働いておらず、むしろ、今は……なんだかいい感じだ。
そして、このアパートにはもう一人、杠千宥もいる。優等生で、芸能人にでもいそうな美少女……に見えて実は男ということにはおったまげたが、とても仲良くしてくれる。残念ながら海水浴は欠席だったものの、それでも一緒にいるのは嬉しい。それに加え、茉衣子の親友で、健介自身も中学からの同級生の玉井絢那、アネックスとは関係なく元々仲のいい大上茂と朝長慎吾がいて、近頃は慎吾の双子の妹の雛灯と一緒になる機会もあった。
慎吾。ここでちょっと心が重くなる。……どうみても、慎吾と茉衣子の仲が悪い。おそらくは、茉衣子が一方的に嫌っているものと思われるが。元々茉衣子はよく思っていないように思うが、あの花火の日に、決定的な何かがあったのだろう。それが何かまでは健介も把握しかねているが。慎吾は無自覚で、むしろ茉衣子には割と好感を持っているらしいが、その際に中途半端に絡むのが、茉衣子の不興を余計買っている。なんとなくそんな気がしている。よくは知らないが。
「健介ー。朝ごはん冷めるよー」
キッチンから姉、有希乃の声が飛んできて、現実に引き戻される。
「今行くー。……よし」
気持ちを切り替えるように声を出し、ネクタイを締め直す。まあこんなもんだろう。リビングへ向かった。
アネックス久世を出ると、既に空気がちょっと暑い。まだまだ蝉たちは元気だ。「俺たちの夏はまだ終わってないぜ」と大合唱している。健介は鞄を肩にかけ直し、少し汗ばんだ額を手の甲で拭った。
――今日から二学期か。
別に入学も進級もしていないが、何かが変わるのかもしれない。何がと言われるかわからないが。しかし、今、現時点で、四月の時点では想像もつかなかった生活を既に十分にしている。……俺の巻き込まれ体質が、ちょこちょこ生活を変えている。そう考え、健介は内心苦笑した。
春若栄久高校へと続く、通称・栄久坂を上りながら、健介はひとつ深呼吸した。今日は始業式で半ドン。ちゃちゃっと済ませてきますか。
校門をくぐると、あちこちから「久しぶりー!」という声が飛び交っていた。まだぎこちない二学期初日の空気。健介もちょこちょこと話しかけてくる同級生に挨拶を返しながら、自分の教室へ向かった。ドアを開けた瞬間、妙なざわめきが耳に飛び込んでくる。
「なあ聞いた? 今日、転校生くるらしいぞ」
「なんかさ、『綾香』って名前なんだって。女子きたこれ」
「二学期から?高校で転校とかあるんやな」
教室の中央で数人が集まり、勝手に期待を膨らませている。健介はとりあえず自分の席に向かいながら、慎吾と大上に目であいさつした。
「……転校生?」
健介がぼそっとつぶやいた。
その声を聞いた大上が椅子を回し、顔だけこちらへ向ける。
「だよな。俺も噂で聞いたけど、女子だってよ」
「期待すんなって」
慎吾はそう言いつつ、半分は楽しそうだ。
黒板には、白チョークで大きく
『2学期最初のホームルーム!』
とだけ雑に書かれていた。担任の伊福成芳の字だ。走り書き、と言った感じだが、四組の生徒には特に見慣れた筆跡だ。
チャイムが鳴り終わるころ、教室の扉がゆっくり開いた。入ってきたのは、新学期に向けて剃り上げたのか、いつもより頭の輝きが増した伊福だった。
「えー……」
と、しばし間を置く。
「諸君。最初に宿題の答え合わせだ。みんなどうもありがとう。夏休みが今日明けて、死なずに、誰も欠けずに戻ってきてくれてありがとう」
教室中が一瞬だけ静まり返る。またそれかよ。健介は苦笑するしかなかった。
「……さて」
また妙な沈黙を挟んでから、伊福が教卓に手を置いた。
「新しい仲間を紹介しよう」
ざわっ――教室の空気が一気に熱を帯びる。
「綾香さーん、どうぞ」
伊福が呼び込むと、教室内の視線が一気にドアに集まる。しかし、壇上に姿を現した人物を見た瞬間、教室全体が「あれ?」という空気になる。小柄で、笑顔がやけにエネルギッシュな少年。太陽みたいに明るい茶色の瞳が輝いている。そして、後ろを向き、黒板に名前を書いた。
「綾香雄人です!」
転校生は開口一番、腹から声を出した。
「雄の人って書いて、雄人!男です!」
教室全体が一瞬静まり――
「男かい!」
「紛らわしいわ!」
一気に笑いが爆発した。健介も不意を突かれて吹き出してしまう。慎吾は机を叩いて笑い、大上は「苗字かよ」とつぶやきながら肩を震わせた。
「そういう反応をするなと言いたいが……まあ、わからんでもない」
伊福がゆっくり手を振り、そうコメントする。しかし、伊福は普段女子でも「くん」付けする、かなり古いタイプの先生だが、そんな彼が「綾香さん」と呼んだわけだ。絶対狙ってただろ……。健介は苦笑した。
「ひとまず来週あたり席替えをする予定なんだが、そこの一番後ろの席が空いている。さて綾香くん、その席につきなさい」
「わかりました」
笑いの熱がまだ残る中、雄人はぺこっと頭を下げてから、堂々と席へ向かっていった。雄人は、先ほど伊福に促された通り、廊下側の一番後ろの席へと向かった。――位置で言うと、健介の隣である。
「あ、隣……?」
健介は自分の方向へ向かってくる雄人を見つめながら――胸の奥で、なぜか言いようのないざわつきを覚えた。健介が軽く目を見開く間に、雄人は椅子を勢いよく引いて腰をおろした。
「じゃあ、次は始業式だから、十分後に体育館に集合のこと。これでホームルーム終わりとする」
日直の号令の後に、伊福は一目散に職員室へと戻っていった。
雄人は伊福を見届けるかのようにじっと座って待ったが、教室を出たところで、健介に向き直った。
「よろしく!」
満面の笑み。そして、ためらいも一切なく手を差し出した。
「……あ、ああ。よろしく」
戸惑いながらも、一応は手を取る。握手の力がやたら強い。
「綾香って苗字、珍しいよな」
健介が言うと、雄人は即座に笑った。
「よく言われる!けど、平島には割といるよ!」
平島とは県内北部の小さな市である。
「小学校んときなんか、よく言われたんだ。『綾香ちゃん』って。もう慣れた!けど、割と昔から名前で呼ばれることが多かったから、雄人と呼んでほしい!君の名前は?」
「あ、樋口健介だけど」
「そうか、樋口くんだね。あ、健介くんのほうがいい?」
「ああ、どっちでも。どっちでも呼ばれるし」
「そっか、よろしく、健介くん!」
その明るさに悪意はまるで無い。
太陽がそのまま人になったようなエネルギーがある。しかし、別の言い方をすると、暑苦しい。
「へ、へえ……」
健介は返事が追いつかず、少しだけ肩が固くなる。
「健介!」
慎吾が健介に向かって呼び掛けた。慎吾は自分の席に座っており、大上もそばにいた。
「……なんだよ」
「どうだ、転校生くんは」
慎吾は雄人をちらりと見ながら、声をひそめた。
「元気だな。なんか、初対面で全力だな」
健介が曖昧に笑う。
「まあ……悪い奴じゃないとは思うけど……、茉衣子と同じ匂いがする」
「なるほど」
大上が相槌を打った。
「そうか?」
慎吾は同意ではないらしい。
「よし、行くかー!」
雄人が勢いよく立ち上がった。慎吾と大上を含め、教室の何人かがぎょっとした表情で雄人に向き直る。雄人当人はというと、健介を見つけて、駆け寄ってきた。
「えっと……健介くんの友達?」
雄人が、自然な流れで二人の方へ身体を向ける。慎吾が軽く手をあげた。
「あー、朝長慎吾。健介の……まあ、同類みたいなもん」
絶対違う。健介は内心つっ込んだ。
「大上だ。よろしく」
大上は早くも少し距離をとり気味だ。
「よろしく!いやー、みんないい人そうだな、このクラスは。よろしく!」
雄人の笑顔は真っすぐで、悪気なんて欠片もない。ただ、その「120%の元気」に、慎吾と大上は目を細めて微妙な笑顔を返すしかない。
三人が並んで廊下へ向かうと、雄人は当然のように健介の横につく。そして慎吾は健介から見て反対隣につき、大上も半歩下がって合流し、自然と四人の集団ができた。
廊下には、彼ら同様、始業式に向かう生徒でごった返している。まだ夏も明けきらぬ九月一日の朝、湿度のこもった空気が肌に張りつく。
「栄久って、思ったより人数多いんだなあ」
雄人が廊下を見回しながら言う。
「まあ、県内じゃそこそこだな」
慎吾が気のない返事をする。
「へえ!前の学校よりも人数多くてね。高校だけでこれだけか。僕わくわくしてきたよ」
大上がぼそっと言う。
「暑苦し……」
「え?」
「いや!なんでもない!」
大上は慌てて顔をそむけ、慎吾が吹き出した。
健介はというと、既に雄人のテンションに振り回されている、――なんか、疲れそうだな。自然とため息が漏れた。眩しいライトを突然向けられたような、そんな落ち着かない熱の感じだった。
体育館前まで来ると、すでに各クラスで列に並んでいた。
「わ、すごい人だな」
雄人が人の波を見て素直に声を漏らす。
「毎回この感じよ。しかも今の時期空気悪いし暑いし」
慎吾が肩を回しながら言う。
「さすがにこれだけいると、体育館も狭く感じるな」
大上が天井を見上げる。健介も空調の弱い熱気を肌で感じていた。――まだ夏が残ってる。そんな風に思う。
始業式そのものは、例年通りと言ってしまえばそれまでだった。全校生徒が体育館に整列し、少しよれたスーツ姿の校長が壇上に立つ。
「えー、二学期は行事の多い学期です」
どこかで聞いたことのあるような、テンプレ通りのような挨拶が、マイク越しに反響していく。
天井近くの窓から差し込む光が、埃の粒を浮かび上がらせる。体育館の奥では空調設備がうなり声のような音を立て、役に立っているのかいないのか分からない風を送り出していた。
「眠い……」
前の列の誰かが小さく呟く。ところどころであくびを噛み殺す気配が伝染し、列全体がじわじわと緩んでいく。――なんか、変な感じだな。そして、なんというか、ゆるい。こんな式典など、形ばかりだろうから、どうでもいいのだが。一つだけ注文があるとするなら、もうちゃちゃっと終わらせてほしい。
生徒会長の挨拶、生活指導の教師の注意、行事予定の説明。言葉はどれも耳慣れたもので、頭のどこかを素通りしていく。それでも、体育館を満たす声と熱気だけは、確かに「日常が戻ってきた」音をしていた。
ふと、別のクラスの列の間に、見覚えのある後ろ姿を見つける。少し猫背気味で、髪を結んだ細い肩。――|杠千宥だ。
確か帰省はしていないと聞くので、健介自身が帰省から戻ってきてから半月、ずっと同じ屋根の下にいたはずなのだが、約一週間前の花火の夜以来、きちんと顔を見ていない気がする。そして、女子の制服を着て、自然と女子の列に並んでいる。女子の平均身長ぐらいなので、健介と同様、列の中ほどに並んでいる。
(……ほんと、違和感ねえな)
心の中でそう呟いたところで、始業式も閉会になったことに気づいた。
教室に戻ると、さっきまでのざわめきが嘘のように収まっていた。誰もが「二学期」という現実を少しずつ飲み込んでいるのが分かる。伊福が再び教卓の前に立った。
「えー、色々夏休みの宿題も提出してもらったと思われる。なんぼか足りない気がするけども。早急に提出するように。さて、二学期は長い。文化祭に体育祭と目白押しだ。詳細はまた今度話す。明日から早速授業だ。心してかかるように。あとは、」
伊福が一息ついた。
「もう急ぎのお知らせはないので解散だ。今日ぐらい早く帰りたいだろう」
そう言って伊福はにやりと笑った。
「じゃあ、ホームルーム終わり」と手を振る。
その極端なまとめ方に、教室中から小さな笑いが漏れた。笑いが冷めやらぬまま、日直の号令をもって、正式に解散となった。
「相変わらずだな、あの人……」
健介が苦笑する。だが、雄人はそんな空気もまとめて楽しそうに受け止めているようだった。
「いい先生じゃん。なんかスパッとしててさ」
と、心底感心したように言って、周りを少し困惑させる。
時は戻り始業式前、一年四組と同様、七組の教室でも、やはり朝からざわざわとした空気が漂っていた。
「ねーねー、聞いた?」
とある女子が、友達と話している。
「二学期から転校生来るんだって」
「綾香っていうみたい。だけどね、男の子なんだって」
どういうわけか、当の四組より噂の情報量が多い。誰か、このクラスに目撃者がいたのかもしれない。
「え、男で綾香?どういうこと?千宥ちゃんみたいなこと?」
「うーん、わかんない……」
トイレから戻り教室に入った古波蔵茉衣子は、思わず彼女たちの会話に聞き耳を立てた。
登校したときから、「転校生が来る」という噂はかすかに耳にしていたが、そこまで詳しい話は初耳だった。
「そうそう。なんかさ、小学校は松丘らしいんだけど、中学はどっか別のところに行ったんだって」
松丘とは、丘の上のニュータウンを多く校区に含む、近所の公立小学校だ。
「どっから回ってきたのよ、その情報」
「うーん、小学校の同級生だった子がいるみたい?役に立つかわかんないけど」
「まあいいけど、でもせっかくならイケメンがいいよね」
茉衣子は再度歩き始めた。
「男で綾香、ねえ……」
教室の奥の自分の席に座った。その前には杠千宥の席がある。
「男で綾香、かあ……」
余程気になるのか、再度ほぼ同じ言葉をつぶやいた。
その一言に、隣の席で英単語帳を開いていた千宥の指先が、ぴたりと止まった。
「……え?」
ごく小さな声だったが、茉衣子の耳にははっきり届いた。
「どした?千宥」
「あ、うん、男で綾香って何のことかなって思って」
「ん?そんな転校生が来るって噂だぜ。妙だよな。千宥みたいなこと、ってことか?」
「男の子ならさすがに綾香はつけないでしょ。私の名前は一応男としてつけられてるし……」
「あー、そっか」
「……まあ、違うよね、さすがに」
そう言って、慌てて英単語帳を閉じ、代わりにシャープペンシルの芯をいじり始める。指先がわずかに震えているのを、茉衣子は怪訝そうに見ていた。
「お前、なんか変だぞ」
「そ、そう?」
その時だった。
「茉衣子ちゃん、千宥ちゃん、おはよう!何の話してるの?」
玉井絢那が彼女たちの席までやってきた。
「おう、絢那。あのな、今日転校生が来るんだってさ」
「ほんと?うちのクラス?」
「いや、何組かな、でもうちじゃないらしいぞ」
「なあんだ」
玉井は残念そうだ。
「でさ、さっき噂で聞いたんだけど、その転校生って男だけど綾香って言うらしいぞ」
「へー、そうなんだ。……えっ?」
玉井も声を上げた。
「……まさかね」
思わず口の中で漏らした言葉を、千宥がちらりと見上げる。二人の視線が一瞬だけ重なった。
「なんだよ、絢那まで。心当たりあるのか?」
茉衣子が、何となくその空気を感じ取ったのか、興味半分で尋ねた。
「え、あー……いや、別に」
玉井は慌てて笑ってごまかす。
「なんでもないよ」
千宥も、椅子の上で小さく姿勢を正しながら付け足した。
「ふーん?」
茉衣子は、いかにも「絶対なんかあるだろ」という顔をしながらも、それ以上は突っ込まなかった。
千宥は、自分の胸の鼓動がいつもより少し早いことに気づいていた。
(もし、本当にそうだったら……)
そこまで考えて、慌てて思考を打ち切る。考えれば考えるほど、足元がふわふわしてくる気がしたからだ。
そして、そこでチャイムが鳴った。がらりと教室の扉が開く。
「はーい、おはよー」
担任の榊原妙子が入ってきた。どうやら、始業式・終業式の恒例らしく、今日は千宥や女子生徒と同じ制服を身に纏っていた。
「みんな久しぶり。二学期が始まりました。まずは全員、ちゃんと来てくれて嬉しいです」
妙子はそういうと微笑んだ。制服姿の妙子を見るのは、入学式も含めて三回目だ。なんとなく恒例だと分かってきたころだが、いつものロリータファッションと違い、なんだか新鮮な気持ちになる。ロリータが日常というのも妙ではあるが。
「えーとですね、まずは連絡事項。夏休みの宿題、出してない人は……はい、あとで素直に出してください。怒りません。妙ちゃんも夏休みボケで怒るエネルギーがありません」
クラスにくすくす笑いが広がる。
「それから、二学期は行事がいっぱいです。体育祭、文化祭、その他いろいろ。詳細は後日ね。今日はとりあえず『始まるよー』という気持ちだけ持ってくれればいいです」
妙子は黒板の上の時計をちらっと見た。
「で、これが一番大事。始業式に遅れないように。すぐ行くように。出席とったら、よーいドンね。……あ、でも廊下は走らないこと。走って転んで始業式ドクターストップとかシャレにならないからね?」
わざと大げさに肩をすくめると、また笑いが起こる。
その後、出席を取り、出席簿をぱたんと閉じると、妙子は少し声を柔らかくした。
「みんな、今日からまたよろしくね。二学期も楽しくいきましょう。じゃ、始業式にしゅっぱーつ」
右の拳を振り上げるのを合図に、生徒たちは一気に立ち上がった。ずっと「綾香」のことを考えていて、千宥にしては珍しく、妙子の話も上の空だった。
「千宥ちゃん、いこ」
玉井の声に顔を上げると、茉衣子と玉井が既に席を立って千宥を待っていることに気づいた。
「どうしたんだよ、珍しくぼーっとしてんな」
「ううん、ごめんね、始業式行こう」
千宥は慌てて立ち上がった。胸の奥のざわつきだけが、答えの出ないまま、小さく続いていた。
ずっと「綾香」のことを考えながら千宥は茉衣子・玉井とともに廊下を歩いた。体育館についた時、茉衣子を挟んで反対隣にいた玉井がいないのに気づいた。
「あれ、玉ちゃんは?」
「トイレだってさ。あいつおしっこ近めだし、腹も弱いからな」
「あ……あははは……」
そう笑う茉衣子のデリカシーのなさに千宥は苦笑するしかなかった。
「千宥、茉衣子、おはよう」
後ろから声がした。朝長雛灯だった。
「おはよう、ひなちゃん」
「おー、ひな。花火以来だな!海も楽しかったな」
「この前はありがとうね」
微笑む雛灯に茉衣子が例の話題を振ってみることにした。
「なー、ひな。男で綾香って転校生がどっかのクラスに来るらしいんだけど、知ってる?」
「四組だって。慎吾に聞いた」
「慎吾?ああ、そう……」
四組にいる雛灯の双子の兄の名前を聞いた茉衣子は少し顔をひきつらせた。
「どうしたの?」
「いや、何でもねえ……」
「ひなちゃん、始まっちゃうから私たちは行こう?」
千宥が焦ったように声をかけた。
「そうだね。じゃあね、茉衣子」
各クラス男女別に背の順に並ぶが、167cmの茉衣子は最後尾なので置いていって、千宥と雛灯は列の中ほどまで進んだ。158cmの千宥は、誰も不思議がる様子もなく、女子の列のほぼ中央に並ぶ。156cmの雛灯がその少し前に並んだ。
列におさまった千宥は四組の列を見た。それらしい人物は今のところ見当たらない。人違いかな。そう思いかけた時、健介・慎吾・大上が一緒に入ってくるのが見えた。そして、その傍らに……
(雄人くん!)
千宥の勘は当たっていた。男で綾香という人物は、自分の知る限り、綾香雄人しかいない。
千宥はこう見えて、中学校は男子校だった。この春若の隣町である菊水寺町にある、私立月陵学園。その中等部の同級生だったのが雄人だ。自分が三年生の途中で退学になって、今こうして春若栄久高校にいるのだが、雄人はつつがなく高等部に進んだものとばかり。どうして?何があってこの学校にいるの?千宥はふらつくような感じがしてうっかり倒れ込みそうになった。
考えている間に、背格好が千宥と変わらず、男としては小柄な部類に入る雄人は四組男子の一番前に並んだようだ。まもなく始業式が始まる。
「あ、ごめんね~、通して~」
後ろから玉井の声が聞こえてきた。
「玉ちゃん、遅かったね」
「うん、ごめんね。今月、ちょっと多いみたい……」
先ほどの茉衣子のコメントのどちらでもない「第三の用足し」という千宥個人としては非常に触れにくい話である。
「う、うん。もう始まっちゃうよ」
「あ、行く行く~。ごめんね」
そういうと、玉井は列をかきわけ、七組女子の前から二番目についた。
始業式中も、雄人のことばかり頭に浮かび、全く話を覚えていない。なぜ玉ちゃんも私と同じような反応をしたんだろう。そう考えたところで思い出した。月陵時代、福岡出身で寮生活をしていた千宥だが、雄人は自宅生だった。確か、春若に住んでいると聞いた。もしかすると、春若町内の生徒が比較的多いこの学校なので、玉井も知っているのではないか……?そう考えたのだ。
あとは、杠千宥という前の学校と同じ名前でいるのに、姿かたちどころか見た目の性別まで変わっているのだ。今後ばったり会った際に、どう説明しよう……。
色々なことが頭を駆け巡り、結局、千宥は始業式中、話が一つも入らないままだった。
始業式が終わり、退出する際に、再度茉衣子と合流した。
「おう、千宥、顔色悪いぞ。どうしたん?」
「え、悪いかな?大丈夫だよ」
「お前、声もだいじょばねえ感じだぞ。お、絢那」
玉井を見つけたが、玉井はどこかに走ろうとしていた。
「絢那、どうしたんだ。何追っかけてんだ」
「あ、茉衣子ちゃん!聞いて聞いて!幼馴染だったの、転校生。綾香雄人くんっていうの!」
千宥はドキッとした。やっぱり雄人くんを知っているんだ。しかし玉井は、同じく雄人を認識した千宥とは対照的にうれしそうだ。
「おー、綾香って苗字だったんか?珍しいな」
と感想を漏らす「古波蔵」さん。
「あれ、千宥ちゃんどうしたの?具合悪い?」
「あ、大丈夫大丈夫。茉衣子ちゃんにも言われたけど、私そんなに具合悪そうかなあ」
「でねでね、雄くんとお話ししようと思ったけど……」
「も、もういないよ」
千宥は、雄人が健介たちとともに体育館を出て行ったのを認識していた。
「あれ、千宥ちゃんも雄くん知ってるの?」
「えっと……」
「ひとまず後で探そうぜ、教室帰ろう」
茉衣子が音頭を取って、ひとまず、教室へ向けて歩き始めた。
あっという間に下校の時刻となった。今日は始業式なので、式の後にホームルームまでして終わりだ。しかも、四組は担任の伊福の計らいでそれすらも巻きで終わった。しかし、早くに終わったからといって、十一時ともなれば、暑いものは暑い。廊下にも空調があるとはいえ、日差しが容赦なく差しこむ。もっとも、さっきからどういうわけか曇ってきたところなのだが。下駄箱まで出ると、もう別世界。一気に地獄へと足を踏み入れることとなる。朝から比べると、湿り気も帯びてきているように感じ、不快指数は格段に増した。
「今日も部活か。だるいな」
あまりやる気がないのに先輩の猛プッシュで陸上部に入れられた大上が伸びをしながら言った。
「大変だなあ、でも将来有望だもんな」
「そんなもんでもないぞ。結局、大きいだけだ、俺は。じゃあ、部活行く」
大上は右手を挙げ、足早に去って行った。
「忙しいのう、あいつも」
慎吾が苦笑する。
「慎吾!」
後ろから声が飛ぶ。雛灯だ。
「あんだよ」
「バス、もう二分で出るよ。急いで靴履きな」
「やかましいわ。ほら、急ぐから。じゃあな、健介、転校生くん」
妹に促され、慎吾まで去って行った。
「彼女さんかい?」
「いいや、妹。双子のな」
健介と雄人の二人だけ下駄箱に残された。入れ替える靴の音がぱたぱたと響き、他のクラスの生徒たちが横を通り過ぎていく。そのとき、雄人がふと顔を上げた。
「……あれ?」
七組の下駄箱に視線が吸い寄せられている。
その一角を、雄人はじっと見つめ――小さく息を呑んだ。
「……杠、千宥……?」
健介が思わず声をかける。
「知ってんの?」
雄人は返事をするのに少し時間がかかった。
ほんの一瞬だが、驚きと戸惑いがその顔に影を落としている。
「……うん。中学、一緒だった。月陵でね。でも……なんでここに?」
「なんでって、普通にこの学校にいるけど?……え?月陵にいたの?雄人が?てか千宥も?」
健介がつま先を蹴りつつ靴を履きながら言う。月陵学園と言えば九州有数、高宮県だと最も有名な進学校である。なお、男子校だ。……確かに、雄人の成績は知らないが、千宥は優等生なので学力だけで考えると、月陵にいておかしくない。そして、こういう時に千宥が本当は男なのだと実感させられる。
「う、うん。杠くんも僕も色々あって月陵をやめてね。でも、杠くんもここにいるなんて知らなくて」
雄人は驚いたような顔で、もう一度「杠千宥」の文字を見つめた。
思えば、千宥の中学時代の話は聞いたことがない。月陵にいたことは今、初めて聞いた。となると、高校入学以前にもこの高宮市に何年間かいたことになる。道理で、この春来た割には高宮の繁華街や店のことに詳しかったのか。その点は合点がいった。しかし、あまり千宥は高宮歴が長いように見せないのだ。この春、春若にやってきた。それだけのようにして振る舞っている。何故、そのように振舞うのか、ちょっと謎だ。
そして、健介にはもっと気になることがある。これは月陵でも別の学校でも変わらない疑問だが、ちょっとその件について元同級生に聞きたくなった。
「そういえば、雄人ってさ、」
健介が口を開いたそのとき――
「あー、やっぱり雄くんだ!!」
鈴の音のような声が、昇降口に響きわたった。
玉井絢那だった。おさげ髪を揺らし、今にも飛びつきそうな勢いで駆け寄ってくる。
「えっ……絢那ちゃん!?」
雄人の声が半分裏返る。さっきの戸惑いが吹き飛んだように、素直な驚きと喜びが入り混じった表情になる。
「ほんとに雄くんだったんだ!始業式で見かけたんだよ?」
嬉しそうに距離を詰める玉井。その後ろに、やや遅れて茉衣子と千宥の姿があった。
千宥は、下駄箱の入口で一瞬だけ足を止めた。胸の奥がぎゅっと締めつけられるように痛む。
(……会いたくない……今は無理……)
そう思っても、もう足は止まらなかった。茉衣子が当然のように隣に並び、玉井の勢いに巻き込まれる形で前へ進んでしまう。
「おう、あたしは古波蔵茉衣子!」
茉衣子は躊躇なく雄人の前に出て、胸を張った。
「絢那の幼馴染なんだろ?で、あたしは絢那の今の大親友だ。よろしくな、男の綾香ちゃん!」
性格そのままの直球だった。
そして――。
「こっちは杠千宥!あたしら絢那の大親友だから仲良くしてくれよな!」
その瞬間、時間が止まったように感じられた。
雄人の表情が、明らかに変わった。驚きが、戸惑いに。戸惑いが、理解へ向かおうとする複雑な揺らぎに。千宥は視線を落としたまま、唇を噛んだ。
(やめて……言わないでほしかった……)
一瞬で、避けたかった現実が目の前に突きつけられる。
「……杠、くん……?」
雄人の声は、信じられないものを見るように震えていた。千宥はほんのわずかに、うなずいた。
「……久しぶり、雄人くん」
雄人の目がわずかに揺れる。そのわずかな揺れだけで、彼が全部理解したのだと分かった。雄人は、喉の奥で小さく息を吐いた。
「……そっか。……ああ、久しぶりだね。杠くん、いや杠さん?」
無理に取り繕ったような笑み。でもそこには、拒絶ではなく、ただどう接すればいいか分からないという正直な戸惑いがあった。
健介の疑問。それは――「千宥は中学の時、どのような見た目をしていたか?」だった。しかし、雄人のリアクションを見て、質問の必要性がほぼなくなった。答えは「普通に男だった。だから、今の千宥を見て、戸惑っている」ということだ。
(これ、なんかヤバいやつだな)
雄人は旧友二人と突然の再会をし、動揺している。なおかつ、千宥の容姿に戸惑っている。
茉衣子はそんな雄人や、「大親友」たちとの関係に興味津々。
玉井は幼馴染との再会というサプライズが純粋に嬉しそう。
そして――千宥は、不安におびえた顔をしていて、壊れそうに黙っている。
四者四様の温度差が、昇降口に妙な熱を残した。その熱の中で、雄人はゆっくりと姿勢を整え、平静を装う。
「……とりあえず、また話そう。色々、積もる話があると思うから……」
その一言に、千宥の胸はさらに強くざわついた。
長い二学期が、波乱を含みながら、動き出した。健介は鞄の紐を握り直し、校舎の上に広がる空を見上げた。灰色の雲がゆっくりと流れ、ところどころで光が漏れている。
(……この半ドンで、色々起こりすぎだろ)
転校生・綾香雄人。あの、底抜けに明るいエネルギー。そして――千宥と玉井の、あの表情。全部が、静かな池に石を投げ込んだように、波紋だけ残していく。健介は歩きながら、胸の奥のざわつきをうまく言葉にできずにいた。
「……カオスすぎる」
思わず口にすると、自分で苦笑した。
ナレーションのように頭の中で言葉が浮かぶ。
――夏の終わりにやってきた綾香雄人。それが、この秋の始まりを、少しだけ騒がしくした。
「面白くなりそうだな、健介」
傍観側に移ってきた茉衣子が、健介の隣に来る。
「うるせえ……」
「千宥、月陵だったんだな」
「お前も知らなかったのか」
健介は少しびっくりした。しかし、茉衣子も知らないとなると、相当な事情もあるのだろうし、ならば健介が知らないのは道理だ。……てっきり、千宥が男だということを知らなかったことと同様、「情弱」ムーブをかましたのかと思ったが。
「ああ、あいつ、中学の時の話、あんまりしたがらねえもん」
「……闇深いな。ところで、千宥、死にそうな顔してるんだけど」
「確かにな」
茉衣子が眉をひそめる。
「助けてやれよ。大親友のピンチだろ」
「まあな、ちょっと、時間置いたがいいな」
健介に同意した茉衣子が、千宥を引きはがしにかかる。
「わりいな、綾香ちゃん。千宥のやつ、具合悪そうだから、今日は帰らせてくれ。明日以降、ゆっくり話すぞ。絢那ともな」
「う、うん……。じゃあね、杠くん」
千宥が力なく雄人に手を振ったその瞬間、大粒の雨がひとつ、健介の頬に落ちた。
「うわ、降るのかよ……」
健介が顔をしかめる。校舎の影が濃くなり、空がゆっくりと暗転していった。




