【第三話】参考書
「うーん。問題集って言っても山ほどあるな。英単語二千って。そんなに覚えられるワケないじゃん。僕は日本人だし」
駅前の本屋の受験コーナーで英単語ドリルみたいなものを探してみたけども。どれも煽りが入っていて受験生を余計に不安にさせるようなものばかりだった。
「これなんてどうかな」
「ん?」
ふわっと良い香りがしたと思ったら隣に立った女の子が手を伸ばして一冊の本を本棚から抜き取って僕に手渡してきた。
「久しぶり」
「んんん??あ!杏香⁉︎」
「正解。どう?かなり雰囲気変わったでしょ」
「変わったどころじゃないって。昨日の純香の情報が無かったら分からなかった」
「ああ。なるほど。事前情報があったのかぁ。なければもっと驚いてたかな?」
驚いている。手渡された本を受け取らずにいるほどに。
「この参考書、分かり易いから。おすすめ」
「あ、ああ。ありがとう」
そう言われて気が戻ってきて差し出された参考書を受け取った。そしてその本をレジに持っていって会計をしようとしたらレジの男の人から杏香はなにか話しかけられていた。
「知り合い?」
「うん。私、ここでバイトしてるから」
「そうなんだ。いつ戻ってきたの?」
本屋を出て駅ビルの中を歩く。まだここはクーラーが効いているから大丈夫。だがここから先は灼熱の外気温と入り混じる空間。僕たちは先に進んで外界と隔絶させていた自動ドアの外に出た。
「うわ、あっつぅ……」
「そうね」
「折角だしちょっと話さない?」
僕は駅ビル向かいの喫茶店を指さして店の方に足を向けた。
「ごめんなさい。ちょっとこの後に用事があるから、お話はまた今度でいい?」
「ん?ああ。それじゃ、連絡先交換するか」
僕たちはスマホを出し合ってメッセージアプリの連絡先を交換した。
「あれ?」
「ああ、私、苗字が変わったのよ」
交換した名前は笹森ではなく水木の性が書かれていた。理由は……。まぁ、そう言うことなんだろう。僕は深くは立ち入ることなく、また会おうと言いながら駅ビルから自宅の方に向かって歩き始めた。そしてちょっと歩いてから振り向いたけども、そこにはもう杏香の姿は無かった。
僕は灼熱の太陽の下、杏香のことを考えながら自宅を目指した。途中、いつもは外に繋がれている犬が涼しげな室内からこちらを見ていて目が合った。
「流石にこの気温じゃお犬様も室内だよな。死んでしまう。ってか、僕も早く帰らないと死んでしまう」
走るのは暑いし、ゆっくり歩くのも暑い。僕は間を取って早足で自宅に向かうことにした。そして自宅前まで来たんだけど……。
「純香?何してんだこんなところで」
「何って。どうせ朝ごはんも食べてないんでしょ。これ」
純香はそう言ってスーパーのビニール袋をヒョイと持ち上げてこちらに見せてきた。
「もう、暑いから早く中に入れてよ」
まぁ、予想はしていたけども、家の事情が分かって純香は僕の世話を焼きに来たらしい。さっきのビニール袋の大きさからして晩御飯も作っていく予定なのだろう。
「あ。また靴を揃えてない」
「小姑みたいだな」
僕はそんなことを言いながら靴を揃えるべく玄関廊下にしゃがんだんだけど、目線の高さが丁度純香の腰下辺りになってしまって気まずさを感じてしまった。
「なに?」
「いや。なんでもない。ってか、スカートって涼しいのか?ヒラヒラしてるし」
「これ?」
僕がそう言うと純香は左手でスカートの裾を摘んで左右に振った。
「そう」
「こうも暑いと大して変わらないかな。むしろ直射日光が当たると暑い」
そんなものなのか。だったらなんでパンツスタイルじゃないのか。まぁ、女子高生の私服がパンツスタイルって方があまりイメージ湧かないけど。今日の純香みたいな膝上ワンピースみたいなやつがイメージ通りだ。
僕は靴を揃えてから純香にスリッパを出して先にリビングに入って行った。家を出る前にクーラーをつけて行ったからドアを開けた瞬間に天国に入ったような感覚に包まれた。
「なに?クーラーつけっぱなしで出掛けたの?」
「短時間のオン・オフの方が電気代かかるらしいぞ」
なんてことをネットで見た気がする。正直、電気代のことなんて考えていなかったけども。帰って来てからすぐに涼めない方が嫌だし。
「そうなの?それなら良いけども。でもそんな感じだと節約って考えは無いでしょ」
「節約するものが無いからな」
そう返事をすると腰幅に足を開いて荷物を持ったまま腕組みをした純香は、辺りを見回し始めた。そしてキッチンの調理台の上に荷物を置いたと思ったらゴミ箱を開いた。
「やっぱり」
「何がやっぱりなんだ?」
「お弁当。やっぱりこんなの食べてるんじゃない」
「一人分を作るよりも買って来たほうが安いんだよ」
「数日分の献立を考えて作った方が安いわよ。それに栄養が偏る」
ますます小姑みたいだ。その内にその辺の棚の上を指で撫でて「掃除が出来てない」とか言い始めそうだ。僕はそんな事を言っている純香の横を通って冷凍庫からアイスを取り出した。
「純香も食べるか?」
「そういうのも無駄遣いだって……」
「食べないのか?」
「食べるけど……」
「そうか。ん……」
氷菓子。個人的にラクトアイスよりも夏は氷菓子の方が好きだ。それにこのアイスは当たりが出たらもう一本もらえる可能性がある。
「圭介は買い物、どこに行ってるの?」
正直に目の前のコンビニとは言いにくいけども、ゴミ箱の弁当の残骸も見られたし、アイスも箱入りじゃなくて個包装のものを買ってることからしてバレている可能性が高い。僕は正直に答えたら案の定の答えが帰ってきた。
「これからは高校近くのスーパーに行きなさい」
「なんでだよ。駅前のスーパーの方が近いじゃん」
「安いのよ。あっちの方が」
「そうなの?まぁ、安いに越したことは無いけど」
「それにしてもご飯代とかどうしてるの?」
「ああ。父さんが毎日机に千円置いて行ってる」
「呆れた。それで節約なんて考えてないのね。千円あれば……」
アレやコレや買えるとでも考えているのだろう。また小姑される前に僕はアイスの最後の一口を口に入れてから先に言葉を発した。
「純香的には一食いくらくらいを想定しているんだ?」
「三百円」
「まじ?弁当買えないじゃん」
「だから弁当は割高だって言ってるの。そういえばお父さんは晩御飯どうしてるの?」
「ああ。遅いから外で食べて来てる」
「作っておいてあげればいいのに」
「そんな無茶な。僕がそんなに器用に見えるか?」
「何事も練習でしょ。早速、今日から色々と教えてあげるから」
「なんだ。毎日来る気か?」
「そうね。勉強もするからね」
ほら、思った通りだ。こうなるから家に上げなかったんだけども……。まぁ、悪気は無いんだろうし仕方ないかな……。
昼飯は焼きそばだった。スーパーで四玉で百二十円だったらしい。特価だったって聞いてもいないのに説明してきた。味は……。自分で作るよりも格段に美味しい。屋台の適当な焼きそばよりも美味しかった。
「ねぇ。本屋で何を買ってきたの?」
「ん?ああ。これか。そうそう。本屋で杏香に会った。んで、この参考書を勧めてくれてな」
食事を終えて純香が洗い物をしながら聞いて来たので、僕は何も考えずにそう答えた。「そう……なんだ。分かり易いの?」
「いや、これから見るからなんとも」
そう言って本屋の紙袋を開けて参考書を取り出した。そして表紙を純香に見せたんだけど……。
「ん?どうした?」
「え?あ、うん。なんか小難しそうじゃなくていいかも」
「そうか?まぁ、やってみないとわからんけどね。洗い物終わったら手伝ってくれるか?」
僕はそう言って自分の部屋から鉛筆と消しゴムにノートを持って降りてきた。そしてリビングのドアを開いたら純香は冷蔵庫に貼ってある紙を読んでいるところだった。
「ああ、それね。なんか二軒となりの空き地あるだろ?そこに家が建つらしくて。その工事のお知らせ」
「へぇ。あそこ結構広い敷地じゃない?お金持ちなのかな」
「どうだろうな」
僕たちは買ってきた参考書を見ながら英語の勉強を始めた。この時はその後の事なんて思いもしなかった。




