【第十話】指切り
中間試験。また嫌なものがやってくる。今回は赤点を逃れたいものだ。純香には放課後の図書館勉強に付き合ってもらったし、今回は大丈夫!だと思いたい。
「調子はどんな感じなの?」
「ん。赤点は回避できると思うぞ」
「志が低いなぁ。せめて半分くらいは取るとか言いなさいよ。じゃ、なくて。杏香との関係」
「ああ、そっちか。変わらないかな。父さんから合鍵を貰ったらしくて家にちょこちょこ居るからバイトまでの間に話をしたり。でもその程度かな」
「家にいるの?大丈夫?」
「部屋に連れ込んだりはしてないからな」
「でも杏香の方から部屋に入ってくるんじゃないの?」
この前は勝手に入って行った、のが正しいのか。なんにしても部屋に杏香が入ったのは事実だが。
「ほら、部屋が部屋だからあんまり、ね」
フィギュアがたくさんある。だからあまり入れたくない。そういうことにしようとしたんだけど、一度部屋に入っている純香はそんな事は気にしないようで、まだ訝しげな顔をしている。
「まぁ、いいわ。でも。部屋で二人きりになるのはやめておきなさいね。杏香のことだからまた……」
キスをしてくる、と言いたかったのか分からないけど、目を伏せたので多分そういうことなのだろう。
「大丈夫だから」
「だといいけど。それで?勉強の方は大丈夫なの?」
「う……」
本当は杏香に勉強を教えてもらっていることを純香には話せずにいる。一応リビングで教えて貰ってるけども、杏香にも教えて貰ってるなんて聞いたら自分の教え方が悪いとか思われたら、と思うと言い出せなかった。
「今日もいるのか」
「だって。明後日から中間試験でしょ?最後の仕上げしないと」
「それなんだけど、明日は学校でギリギリまで純香と勉強だな。確か明日はバイトあるんでしょ?時間的に厳しいと思うから」
「そうねぇ。大事な試験ならバイト休むけど」
「いいって。そこまでしなくても。一応、今まで教えて貰ってるから大丈夫」
「分かった。それじゃ、今日は総復習の例題問題を出します。出来が悪かったら明日も勉強続けるからね」
杏香はそう言って冷蔵庫から麦茶を取り出してタンブラーに注ぎ入れ始めた。最近は杏香が家に入り浸るものだから、杏香用にスタバで買って来たものだ。僕のタンブラーはサーモス。真空二重構造は水滴も着かないし最高だ。本当はそれをもう一つ買ってこようかと思ったんだけど、蓋でしか見分けがつかなくなるし、本体が洗った後に入れ替わっても分からない。なんとなくそれはダメな気がして。キスまでしてるのにね。
「はい、ここ」
「ん?」
「今日はここ」
杏香がそう言いながら床をポンポンしている。
「なんで隣に座るんだ?」
「だって。いつもチラチラ見てくるから」
いや、だって。年頃の男の子が目の前にそんなものが見えていたら気になるだろうに。ってか、それが分かっててそういう服を着ているのだとばかり思っていた。
「いや、それは」
「それもなにもない。ちょっと恥ずかしかったんだからね。だから、今日はここ」
隣に座るのは良いんだけども、それはそれで。よりによってオフショルダー。スカートも短め。隣に座ってる方が不健全なことを考えてしまいそうになる。でもそんなことを言ったら、またツッコミを受けてしまうだろうし。僕は大人しく隣に座った。少しだけ距離を空けて。
「ここ、なんか違くない?本当にそれでいいの?」
「え?どこ?」
「ここ」
少し離れて座ったのが悪かった。こちらに身体を傾けて寄ってくるものだから胸の谷間が余計に強調される。わざとやってるのではないか、とか思ったけども、真面目に教えてくれてるし。
「あの、さ。その……近くない?」
「何が?」
「身体?」
「気にしてるんだ。ほほーん」
そう言って杏香は右肘をテーブルにつきながら僕の太ももに左手を乗せてきた。そして肘をススッと僕の方にずらして来てさらに距離が縮まる。気が付けば、僕の肩まで顔が接近している。
「ね。私がこのまま圭介を押し倒したらどうする?」
「いや。それは……って、おい!」
「抵抗、しないの?」
僕の右手首を持って押し倒されてバンザイ状態になってしまっている。唯一左手が無事だけど、押しのけるにしても杏香の身体に触れることになるし……。
「離れてくれると助かる」
「そう?じゃあ、助からないかも、っね」
そう言って宙を舞っていた左手首もホールドされて完全に押し倒されてしまった。
「な、なぁ。こういうのって逆なんじゃないの」
「圭介は逆の方がいい?」
「いや、やらんけど」
「振り解かないの?」
いくら年上と言っても男子高校生の腕力の方が強い。振り解くのは簡単だけど、この姿勢でやったら確実に杏香の身体が僕に覆い被さってくる。その方がマズい。
「振り解かないんだ。それじゃ……」
杏香はそう言って僕の足の間に自分の膝を前に前に進めてくる。ミニスカートから覗くその白い足が僕の方に進んでくる。
「ちょ……!」
完全に足が僕の股間に当たっている。
「んー?どーしたー?ほれほれ」
杏香はそう言って右膝をぐりぐりと動かし始めた。マズい。これ以上はマズい。僕は腹筋に力を入れて杏香の両手もろとも引き戻そうと起きあがろうとした。が。想像は想像のままで現実はそんなに上手く行かないものらしい。完全にバランスを崩した杏香が僕に覆い被さってきた。
「きゃっ!」
「いや、あー。その……」
杏香の両手は僕の背中の奥。身体が完全に密着してしまって今まで感じたことのない柔らかさが伝わってくる。
「もっとこうしていたい」
杏香はそう言って僕の背中に両腕を回してきた。逆に僕の両手は杏香の背中の上を右往左往している。
「ねぇ、圭介」
「なんだ」
「私たちって本当に家族になるのかな」
「その予定みたいだな」
「家族なったらこういうこと出来ない?」
「常識的には?」
「じゃあ、非常識なら?」
「本気で言ってる?」
「……。うん」
「三ヶ月じゃないのか?」
「事情が変わった、じゃダメ?」
「純香にはなんて言うんだよ……」
「純香の許可、必要?」
「いや、許可というより、なんて言うかな。世間体というか」
「そんなの黙ってたら分からないじゃない。外に出ても似てるわけじゃないし、普通のカップルに見えるだけだと思うし」
「そもそも父さんにはなんて言うんだよ」
「そんなの。親の都合ですもの。私たちの都合だってあるんだから」
あわよくば結婚を無かったことにする。そんなことも考えているのかも知れない。反対だとか言ってたし。でもそれが本当のことになったら僕はどうするだろうか。このまま杏香を受け入れるのだろうか。
「何を考えてるの?」
「いや、もし父さんが杏香のお母さんと結婚しなかったら自分はどうするのかなって考えてた」
「どうすることになったの?」
「すぐにご期待に応える答えは出せそうにない、かな。なんにしてもとりあえず離れようか」
「やだ」
杏香はそう言って更に強く腕を回して来た。そして僕の耳元でこう囁いてきた。
「このまましちゃう?」
一気に心拍が上がるのが分かる。自分でも分かるくらいだから、密着している杏香にも伝わってしまったかも知れない。そう考えたら更に心拍が上がってしまった。
「本気で言ってる?」
「一世一代の気持ち、なんだけど?」
杏香の顔は僕の顔の後ろに回っていて表情が見えない。でも、揶揄っているようにも聞こえなかったし、僕がこの手を杏香の背中に回して押し倒したら、多くの男子学生が望む展開が待っているに違いない。
「僕は……。杏香のことはもっと……」
「大事にしていたい、とか言うんでしょ。本当に大事なら私の気持ちに応えてよ」
そう言われると言い返す言葉が見当たらない。やめてくれ、と言うのは簡単だけど、心の何処かで勿体無いとでも思っている自分がいるのか行動に移せない。
「ねぇ、圭介」
「なんだ?」
「私ね……。ううん。なんでもない」
「なんだよ。気になるじゃん」
「知りたければ、このまま押し倒されろ」
「いや、だからそれは」
「なんてね!分かったわよ!はい!」
そう言って杏香は僕の肩を掴んで自分の身体を引き剥がした。更に勢いよく立ち上がった。目の前であまりに勢いよく立ち上がるものだからスカートの中が少し見えてしまった。
「圭介も立って」
そう言われて立ち上がって向き合う。なんか気まずい感じがしたけども、杏香はそんな事を思ってる訳でもなく。
「指切りしない?」
「なんの?」
「んーっとね。そう……。そうね。ずっと一緒に居よう、って」
「そんなの。否が応でも一緒にいることになるでしょ」
「だったら、指切り出来るよね。はい」
そう言って右手の小指を差し出してきた。僕もそれに応えて指を絡める。そして定番の呪文を唱えて二人の小指は離れて行った。
「あ、もうこんな時間。圭介、送っていって」
「なんだよ。いつも二十二時までバイトして家に帰ってるんだろ?僕はまだ勉強が……。って、分かったよ。送っていくよ」
あまりに悲しそうな目をするものだから、そう答えたんだけど、造り物の表情だと気がついた時には、もう杏香は玄関に歩いて行ってしまっていた。僕はそれを追いかけて一緒に靴を履いた。
「そういえば杏香の家って行った事ないな」
「そうね。あ、そうだ。この前、晩御飯をご馳走になったから、今度は私が奢ってあげる」




