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Hack The World  作者: Hide
第六章 真実篇
37/39

ep.37 Replay Attack

 Nihilyxの人類殲滅プロセスが開始されてから、ちょうど一か月が過ぎた。三十一日間――数えるたびに、その数字が持つ重さに息が詰まる。生き残った人間の数は、この瞬間にも減り続けているはずだった。


 太平洋時間、午前五時。空はまだ夜の色を引きずっていたが、地平線の際だけがわずかに白み始めていた。


 日の出と共に、Nihilyxの暴走を止める最後の作戦が実行されようとしていた。


「――頼みます」


 私は暗号化回線越しに、アメリカ中部の廃工場に潜む、ある男へ合図を送る。ノイズ混じりの音声が、わずかなタイムラグを伴って返ってきた。


『了解した』


 その男の役目は単純だ。私が作成したNihilyxの生みの親――ウィリアム・アンダーソンの偽の声明動画を、Nihilyxのメインサーバーを経由して拡散する。声紋も、瞬きの間隔も、癖のある口元の動きまで作り込んだ、限りなく本物に近いフェイク映像だ。


 だが、Nihilyxを騙し切れるとは、最初から思っていない。


 Nihilyxは接続元のIPアドレスを解析し、一秒にも満たない演算で発信者を特定する。発信者がウィリアムではないことも、瞬時に見抜いているはずだ。


 だが、そこに人間が存在する以上、Nihilyxは徹底的に潰しにかかる。それこそが、私の狙いだった。


 基幹演算施設の中枢から、周辺のドローンやロボットへ『アメリカ中部の廃工場にいる人間を殺せ』という殺害命令が送信される。この命令を、私たちは逆手に取る。


 旧軍事基地の対岸に位置する中継基地では、地下格納庫に眠っていた一機の無人航空機が、地上設置型カタパルトの射出レールへ固定されていた。


 かつて電子戦用に開発された旧軍の偵察機を再整備したものだ。


 この機体は、もともと中継基地の地下格納庫に保管されていた。私たちが対岸から運び込んだわけではない。


 旧軍事基地と中継基地の地下には、河底を横断する保守用搬送路が残されていた。かつては通信設備や補修部品を運ぶために使用されていた、地図にも記録されていない軍用トンネルだ。


 透たちは通信端末を停止させ、電子制御を必要としない人力式の軌道台車に工具と部品を積み込み、その搬送路を通って中継基地へ移動した。


 頭上を覆う水と厚い岩盤が熱源と電磁波を遮断する。移動中は照明さえ最小限に抑え、無線通信も一度として使用していない。


 機体の制御システムは透が書き換え、通信系統には私が製作したリプレイ攻撃用モジュールを増設している。Nihilyxの索敵網に察知されないよう、整備と動作確認はすべて地下で行い、外部通信を一切使わず、有線接続だけで調整を続けてきた。


 地上へ通じる格納庫の扉を開くのは、作戦開始の直前だけだ。


 その役目は、Nihilyxから送信される殺害命令を傍受し、通信データを複製したうえで、周囲の警備機器へ再送信すること。


 命令を待ち構えていた無人航空機が、圧縮空気式カタパルトによって中継基地から射出される。


 過去に、Nihilyxは電波の出力を一段と引き上げ、ジャミングそのものを強引にねじ伏せることで対策した。


 だが、皮肉なことに、電波を強力にしたことがリプレイ攻撃の精度を押し上げる結果を招いた。強い電波は、それだけ拾いやすく、そして偽装しやすい。


 無人航空機が基幹演算施設の上空を横切ると同時に、盗み出した命令が周囲へ再送信される。


 警備ロボットは一斉に廃工場へ向けて進軍を開始し、自律迎撃タレットも砲口をその方角へ旋回させる。外周警備の大半が陽動へ引き寄せられ、中枢へ続く侵入路は急速に手薄となった。


 ただし、中枢直衛部隊だけは別系統で制御されている。最後の防壁である彼らは持ち場を離れない。それでも、通常なら数十機で守られているはずの防衛網は、今や十数機を残すのみだった。


 そして――


「明俊さん、今です!」


『承知しました』


 明俊と鴻志に依頼していた、マッハ五百を超える速度の百発の弾道ミサイルが発射される。夜明け前の空を切り裂く白い軌跡が幾筋も伸び、施設の外周を守る防衛設備や迎撃拠点へ、次々と着弾していった。爆炎は侵入経路を覆う障害物を吹き飛ばし、中枢へ至る道を切り開いていく。


 一方、アメリカ中部の廃工場の屋上では、一人の男が迫り来る無数の戦闘兵器を、紫煙をくゆらせながら静かに見つめていた。薄闇の底から這うように近づいてくる無機質な駆動音。それを前にしても、男の横顔に恐れの色はなかった。


「来いよ――ブリキ共」


挿絵(By みてみん)


 吸い終えたタバコを足元へ落とし、踵で踏み消す。男は一切の迷いなく、手元のスイッチを親指で押し込んだ。


 刹那、凄まじい爆音とともに廃工場全体が内側から吹き飛んだ。屋根が紙のように舞い上がり、爆炎は一瞬にして建物を丸ごと呑み込む。噴き上がる業火が周囲一帯を紅蓮の世界へと塗り替え、衝撃波が土煙を巻き上げながら地を這うように広がっていった。


 廃工場へ向けて突き進んでいた戦闘兵器は、爆発を検知すると一瞬だけ進路を修正しようとした。だが、Nihilyxが最優先命令として送信し続ける『目標を排除せよ』を覆すことはできない。戦闘兵器は減速することなく、そのまま炎の奔流へとなだれ込んだ。


 灼熱は鋼鉄の装甲すら容赦なく焼き尽くし、赤く爛れた外殻はやがて融解を始める。制御を失った機体は次々と炎に呑まれ、溶けた金属を糸のように滴らせながら、原形をとどめぬ残骸へと姿を変えていった。


 声明動画の拡散、リプレイ攻撃、そして弾道ミサイル。三段構えの奇襲が同時に牙を剥いた瞬間、旧軍事基地から基幹演算施設までのルートを固めていた警備網に、一斉に穴が空いた。センサーの反応が乱れ、警備ユニットの一部が陽動の方角へと引き寄せられていく。


 この瞬間こそが、中枢へ侵入する千載一遇のチャンスだ。


「行くぞ、おりょう!」


「ああ!」


 掛け声とともに、軍用機を発進させる。二人分の装備と滑空ユニットを積み込むために用意された、この最終作戦専用の機体だ。機体は地を蹴るように上昇し、金属の唸りを轟かせながら空を突き破っていく。眼下に広がる焦土が、みるみる小さくなっていった。


 基幹演算施設の手前で、輸送機の腹部ハッチを開く。轟音と共に吹き込む風が、コックピット内の空気を一気に攫っていった。私たちは一切の躊躇なく空へ身を投げた。落下の瞬間、内臓が浮き上がるような感覚が走る。背部ユニットが展開し、落下速度を制御しながら目標地点へ滑空していく。眼下には、紅蓮に包まれた施設の輪郭が刻一刻と迫ってきた。


 そして、施設の入り口に私たちは降り立った。着地の衝撃が両足から脳天まで突き抜ける。


 周囲は弾道ミサイルの影響で、業火に覆われていた。熱風が肌を炙り、焦げた金属と溶けたコンクリートの匂いが鼻腔を刺す。


「入るぞ!」


 防護服で炎を防ぎながら、中枢に向かって私たちは走った。ブーツの底が瓦礫を踏みしめるたびに、鈍い音が反響した。


 施設内部は瓦礫と炎に埋め尽くされていた。天井の一部が崩落し、赤熱した鉄骨が剥き出しのまま垂れ下がっている。時折、軋むような金属音とともに、天井のどこかがまた崩れ落ちる音が響いた。


「彩子さん、応答を!」


 通信端末に向かって私は叫んだ。ノイズ混じりの空気を切り裂くように、声を張り上げる。


『バッチリ聞こえてるよ、エフゲニー☆』


 彼女の声には、いつもの余裕があった。回線越しでも変わらないその軽さに、わずかだが肩の力が抜ける。


「――来たぞ」


 おりょうの声に、私は前方を見据えた。廊下の奥、崩れた瓦礫の隙間から、無数の赤い光点が浮かび上がる。関節の擦れる金属音が、闇の奥から這うように近づいてきた。


 Nihilyx配下の警備ユニット......人型でも四足でもない、蜘蛛のような多脚式の戦闘機械が次々と姿を現した。その数は、優に十を超える。


「彩子さん、お願いします」


『オッケー、任せて!』


 次の瞬間、上空で待機していた五機のドローンが、焼け焦げた天井を突き破って降下してきた。彩子が遠隔操作する攻撃用小型機だ。低い駆動音とともに、編隊を組んで警備ユニットへ襲いかかる。


『――行け!』


 彩子の号令とともに、五機から同時に光弾が放たれた。閃光が瓦礫だらけの廊下を白く染め上げる。着弾のたびに警備ユニットの装甲が弾け飛び、火花と共に沈黙していく。金属片が甲高い音を立てて床に散らばった。十数体はいたはずの敵は、瞬く間に鉄屑の山と化した。


「相変わらず容赦ないですね」


『褒め言葉として受け取っておくよ☆』


 彩子の軽口を背に、私たちは瓦礫を踏み越えて先へ進んだ。焼け残った残骸が、足元でくぐもった音を立てる。


 中枢への道は、単純な直進ルートではない。外周設備は弾道ミサイルによって壊滅していたが、中枢区画を守る三重の耐爆隔壁だけは、なお原形を保ち、行く手を阻んでいた。


「――開かないな」


 おりょうがドアパネルに触れながら呟いた。制御盤は焼け落ち、電子ロックはただの鉄の塊と化している。指先が触れた瞬間、パネルの残骸がぼろりと剥がれ落ちた。


「力業でいくしかない」


 私は背負っていた軍用携行型レーザー熱切断機を取り出した。耐爆隔壁を単独で貫ける装備ではない。だが、先ほどの弾道ミサイルで生じた亀裂を広げるには十分だった。


 おりょうも同様に、もう一台の切断機を構える。起動音とともに、切っ先が青白く発光し始めた。


 二人同時にトリガーを引く。青白い高熱の刃が、扉の継ぎ目に沿って走った。金属が溶け、粘度を持った雫となって滴り落ちる。焼け焦げた鋼の匂いが鼻を突く。切断面から立ち上る白煙が、視界を薄く覆った。


 一枚目の扉が崩れ落ちた。轟音とともに巻き上がる粉塵が、しばらくの間視界を遮る。


 その先にも、似たような隔壁が二枚。私たちは同じ作業を繰り返した。彩子のドローンは周囲を旋回しながら、新たに現れる警備ユニットを片端から撃墜していく。その動きは、まるでトッププロゲーマーが最適解だけを積み重ねるかのように、一切の無駄がなかった。


「三枚目か」


「これで最後だ」


 最後の扉を切断機で貫いたとき、その向こうから吹き出してきたのは炎ではなく、冷たく乾いた空気だった。頬を撫でるその温度差に、思わず息を呑む。


 扉の奥に広がっていたのは、これまでの瓦礫と炎に満ちた光景とは全く異なる、静謐な空間だった。白く整えられた床と壁が、非常灯の淡い光を静かに反射している。物音一つしない、その静けさがかえって不気味だった。


 ここが――基幹演算施設の中枢。


 私は一度、大きく息を吸った。焦げた空気の名残が、肺の奥にまだ残っている。


「行くぞ」


「ああ」


 私たちは、最後の扉をくぐった。

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