ep.22 Watering Hole
あれから三年後。
僕は違法薬物を製造している地下施設へ足を運んだ。
薄暗い通路を進んだ先、最奥の製造区画には薬品の臭気が満ちていた。空間の中央に立つ男が、足音を聞きつけてこちらへ振り返る。
「お久しぶりです。鴻志さん」
「ッ......ご無沙汰しております。副龍頭」
鴻志が慌てて頭を下げた。
「そう畏まらなくて結構です。顔を上げてください」
彼が恐る恐る視線を上げる。
「昨日、パソコンに奇妙なメッセージが表示されませんでしたか? 『16個すべてのUnreal USBを集めた者は、この世界の管理者となる』――その文言と共に、USBが置かれていたはずです」
「な......なぜ、そのことを......!?」
「実は僕のもとにも同じものが届いています。おそらく十六名のTHBランカー全員に配られたのでしょう。第7位――vectorである貴方にも」
「......」
鴻志の肩がわずかに強張る。
「警戒は無用です。世界の管理者など、僕には微塵も興味がない。それより、この力を毒蛇のために使う方がよほど有益です」
「力......ですか?」
「USBに刻まれた文字が、そのまま能力名になっています。体内に取り込むことで発現します。詳細な制約については後ほど説明しましょう」
「......私のUSBには『ELEMENT』と刻まれていました」
「元素操作ですか。貴方に相応しい能力です」
「副龍頭の能力は......?」
「僕のUSBには『DECAY』と刻まれていました。腐敗の能力です」
鴻志の目が見開かれる。
「では、詳しい説明に入りましょう。実験室へ案内してください」
*
翌日。
ボクと鴻志は厲鋒の部屋を訪れていた。
「珍しい顔ぶれじゃねェか。何の用だ」
「龍頭。ボクたちは人智を超えた力を手に入れました」
「あァ?」
ボクは机の上へ小石を置く。
「今から彼に、この小石を金鉱石へ変えてもらいます」
「明俊てめェ......変な薬にでも手を出したんじゃねェだろうな」
「ご安心を。すぐに証明します」
鴻志がELEMENTを発動した瞬間、小石の表面が黄金色に染まり始めた。金属光沢を帯びながら組成そのものが変質し、やがて純金を含む鉱石へと変わる。
「オイオイ......冗談だろ......」
厲鋒が椅子から身を乗り出した。
「彼は元素を操る能力を得ました。そしてボクは――」
金鉱石が淡く揺らぐ。黄金色の輝きが失われ、表面を覆っていた金の成分が砂が流れ落ちるように消えていく。
「物体を腐敗させる能力を得ました」
「にわかには信じ難ェ......だが、この目で見ちまった以上、否定もできねェな」
「一昨日、ボクたちのパソコンに一通のメッセージが表示されました。『16人のTHBランカーへ。世界の理を壊す力を与える』と」
管理者という文言は伏せる。
「そして実際、第7位の鴻志と第3位のボクは能力を手にしています」
「まるで漫画の話じゃねェか......」
「ですが現実です」
「龍頭。これは千載一遇の好機です。彼の能力を利用し、市場そのものを支配しましょう」
「石ころを黄金に変える、か......まるで神話の世界だな」
「他組織が追随することは不可能です。圧倒的な独占状態を築けます」
厲鋒はしばらく考え込んだ後、口元を吊り上げた。
「よし。明俊、今日からあの地下施設は黄金を生み出す鉱山だ。石ならいくらでも集めてやる」
「承知しました」
ボクは部屋を去ろうとしたが、ふと思い出したように振り返る。
「龍頭。もう一つお願いがあります」
「何だ?」
「能力者との抗争に備え、一万人規模の武装部隊を整えてください。アサルトライフル、軍用ヘリ、火炎放射戦車――可能な限りです」
「随分物騒だな」
「ですが必要です。能力は脅威ですが、最終的に物量は依然として有効な対抗策です」
「分かった。手配しておく」
「ありがとうございます。それでは失礼いたします」
*
自室へ戻ると、明俊が椅子に腰掛けていた。
「お疲れ様です」
「気遣い感謝します」
あの口づけを交わした日から、ボクは林志遠という人間を捨てた。夜明俊の複製として生きることを選び、以来お互いを明俊と呼んでいる。
整形手術、骨延長、歯列矯正、声帯の調整――外見を一致させることは難しくなかった。だが内面は違う。思考回路、判断基準――積み重ねた経験が導く結論の精度が、決定的に異なった。それらを完全に模倣することは想像以上に困難で、超名門校の首席に匹敵する知能へ到達するまでに二年半を要した。それでも、オリジナルには遠く及ばない。ボクのTHBランキングは第8位。明俊は第3位。その数字が、埋めることのできない差を静かに示していた。
それでも明俊はボクを認め、こうして駆り出されることが多々ある。だからこそボクは、さらに彼へ近づきたいと思った。いや、近づくだけでは足りない。完全に一つになりたい。
そして、六月十日。第8位のボクは時間を操る『TIME』のUSBを授かった。運命が用意した最後の欠片であり、融合への最後の一歩だった。
「時は来ました」
明俊が静かに口を開く。
「二人でこの世界の管理者となり、真の融合を果たすべき時が」
胸の奥が高鳴った。
「その前に、やるべきことがあります」
「聞かせてください」
明俊は指を組んだ。
「視覚と聴覚の共有です」
一瞬だけ沈黙が流れる。
「......続けてください」
「貴方の左眼は義眼型カメラへ換装します」
明俊は淡々と説明を続けた。
「さらに左耳の後方へ超小型受信機を埋設します。僕も同様に右眼と右耳へ同じ処置を施します」
「なるほど......」
「貴方は右目が利き目です。日常生活への支障を最小限に抑えるため左側を改造します」
そして自分の右目を指差す。
「僕は左目が利き目なので右側を改造します」
その瞬間、計画の全貌を理解した。
「つまり......」
「ええ」
明俊が頷く。
「貴方の左半身は僕と繋がり、僕の右半身は貴方と繋がる。互いの半身を共有し、一つになるのです」
ボクはゆっくりと息を吐いた。あまりにも美しい発想だった。ボクたちは常に同じ世界を見ることになる。離れていても隣にいる。目を閉じても存在を感じられる。
「......それは、素晴らしい」
心の底からそう思った。明俊もまた満足そうに微笑む。
「将来的には神経接続や感覚共有も視野に入れています。これはその第一歩です」
立ち上がった明俊に続いて、ボクも腰を上げた。林志遠としての人生は既に終わっている。これから始まるのは、夜明俊という存在を完成させるための工程だ。
ボクたちは互いに同じ顔で見つめ合い、静かに部屋を後にした。
*
第2位の住所が全ランカーへ伝達された日。僕は再び鴻志のもとを訪れた。
「ついに始まりましたね。USB争奪戦が」
「......私はこのまま金塊の製造を続けていて問題ないのでしょうか」
鴻志は周囲を見回した。
「この施設の存在が露見した場合、私は真っ先に狙われます」
「その懸念は正しいでしょう」
僕はゆっくりと頷いた。
「この地下施設の存在を知る者は毒蛇内部に限られています。ですが相手の能力次第では、所在を特定される可能性もあります」
「もしランカーが侵入してきた場合、私は......」
「今日訪れたのは、その際に備えてELEMENTの戦い方を伝えるためです」
鴻志の表情が僅かに引き締まった。
「元素操作は強力ですが、戦闘に応用するには相応の複雑さがあります。今から送風設備を使った戦術を実演します。ELEMENTを貸してください」
「......かしこまりました」
差し出されたUSBを取り込み、能力を発動する。説明を続けるふりをしながら、同時にELEMENTを行使した。施設の床下――さらにその下に広がる地層内部へ意識を向け、土壌中の水分量を急激に増加させる。毛細管現象で保持できる限界を超え、地層は飽和状態へ到達した。粒子同士を結び付けていた摩擦力と結合力が著しく低下する。
その状態を確認した後、僕は現在時刻を記憶し、TIMEを発動した。地層内部のみを四週間前の状態へ巻き戻す。周囲から見れば何も起きていない。だが地下深くには、既に一つの仕掛けが完成していた。
「以上が基本戦術です」
USBを取り出して、鴻志へ返却する。
「......理解しました」
鴻志は真剣な表情で頷いた。
「引き続き製造をお願いします」
用件を終えた僕は地下施設を後にした。
*
数日後。僕が運用する情報屋アカウントへ一通のメッセージが届いた。
『毒蛇が金塊を製造している施設の場所を教えてほしい。報酬は0.1BTC(百万円)だ』
思わず口元が緩む。
「ようやく接触してきましたか。第2位――黒瀬透さん」
「なぜ、第2位だと?」
向かいにいた志遠が首を傾げる。
「彼は現在のランカーの中で最も積極的に動いている人物です。神代の死にも十中八九関与しているでしょう。次にこちらを狙うことは予測できていました」
「さらに、おそらく彼には仲間が一人......あるいは二人います」
「その根拠を伺っても?」
「幸福同期教団とMLM組織の癒着情報を流出させたのは間違いなく彼です。もしGRAVITYの所持者を殺害してUSBを奪っただけなら、そんな行動を取る必要はない。つまり神代の洗脳を解き、仲間として迎え入れたのでしょう」
「では、もう一人は?」
「教団のデータベースを調べたところ、木下真琴という女性が侵入工作員として指名手配されていました。もし彼女がランカーであり、第2位の協力者なら、日本人女性名をハンドルネームにしている第4位――ayakoである可能性が極めて高い」
「......なるほど」
「答えは彼らが地下施設へ現れた時に分かります」
僕は端末を閉じた。
「さて、本題に入りましょう」
「第2位抹殺計画についてご説明します」
*
それから数日。ボクたちは第2位の襲撃に備えて地下施設へ身を置き、互いのUSBを交換した。ボクは左通路最奥の部屋、明俊は右通路の鴻志の金塊製造所近くに設けられた隠し部屋で待機する。
午前零時過ぎ。施設全体に警報音が鳴り響いた。赤色灯が点滅を始める。
『来ましたね』
左耳の受信機から明俊の声が流れた。ボクは監視モニターへ目を向ける。映像の中では二人の男女が構成員を次々と制圧していた。
「予想より早いですね」
『ええ。ですが問題ありません。彼らは今、こちらが用意した舞台の上を歩いています』
映像の中で男が女へ呼び掛ける。
『彩子』
明俊の予測は的中していた。
『明俊。彼らの所持するUSBを推測してみてください』
「彩子さんはSPEED、透さんはSIZEでしょう。ただし、透さんはもう一つUSBを隠しています」
数秒の沈黙の後、明俊が小さく笑った。
『お見事です。では、次の段階へ移行しましょう』
ボクは監視画面の隅に表示された施設見取り図へ視線を移した。
『この先の分岐で彼らは二手に分かれます。透さんが右通路、彩子さんが左通路へ進んだ場合をパターンA、逆をパターンBとします』
「もし分かれなかった場合は?」
『その可能性は極めて低いでしょう』
『透さんは合理主義者です。二人で行動した結果、所持者のいる部屋へ辿り着けず再捜索を強いられれば時間を失う。その間に増援を呼ばれる危険もある。彼なら、そのリスクを嫌うはずです。何より彼らから見れば、相手は金塊製造に能力を利用しているだけの格下です。脅威と認識していません』
「......確かに」
『パターンAの場合、フォグマシンを起動して部屋を霧で満たしてください。その後、扉の脇でUSBを使用して壁へ擬態し、彩子さんが入室した瞬間に部屋の奥へ人影を作り出す。彼女の注意が逸れた隙に首筋へ麻酔注射を打ち込みます。失神後は電子機器探知機でスマートフォンやGPS端末を探し、僕が危険と言った瞬間、即座に端末の電源を落としてください。その後は彼女を連れて非常通路から地上へ脱出し、例の場所へ向かってください』
「パターンBの場合は?」
『即時撤退です』
明俊の声色が僅かに変わった。
『透さんは彩子さんとは違います。冷静で観察眼も鋭く、人影による陽動など瞬時に見抜くでしょう。パターンAが成立するのは、彩子さんが衝動的で一点へ意識を奪われやすい人物だからです。ゆえに、相手が透さんなら戦わずに退く。それが最善です』
「承知しました」
ボクは深く頷いた。




