ep.21 Side-Channel
午前零時。
世豪からスマホに一件のメッセージが届いた。『会議室へ来い』とだけ。
「来たか」
会議室で待っていた世豪が立ち上がり、一言だけ告げた。
「見せたいものがある。ついてこい」
世豪の後に続き、地下へ向かう。エレベーターを降り、幾つもの扉を抜けるたびに、湿った空気と鉄臭さが濃くなっていった。やがて、彼は一つの重厚な扉の前で立ち止まる。
扉が開いた瞬間、室内に並ぶ拘束具と壁に固定された鎖、床や壁に染みついた黒ずみが目に入る。一目で用途は理解できた。
「見れば察しはつくだろうが、ここは拷問部屋だ」
その時、奥から一人の男が姿を見せた。
「よォ、明俊」
「龍頭までおられるとは、予想外でした」
厲鋒だった。
「それで? これから僕を痛めつけるおつもりですか?」
「てめェを拷問する理由はねェ。むしろ、毒蛇に大きく貢献してきた男だ」
「では、なぜわざわざここへ?」
「本物の副龍頭を決めるためだ」
厲鋒が奥の扉を開く。小さな部屋に椅子が二脚と机。そして、机の中央には回転式拳銃が置かれていた。壁際には見知らぬ男が一人、静かに立っている。
「概ね察しました。ロシアンルーレットですね。そして、その男は敗者の処理係でしょう」
「さすがの洞察力だ」
世豪が椅子に腰を下ろす。
「明俊、お前の才覚は認めている。だが、お前からは毒蛇への忠誠が見えてこない。抗争すら遊びの延長で楽しんでいるように見える」
鋭い視線が向けられる。
「だから今夜、ここでお前の覚悟を見極める。お前がこの組織に骨を埋める気があるなら、それを証明してみせろ」
世豪は拳銃を手に取り、シリンダーを回転させた。
「実弾が出る確率は六分の一。ただし特別ルールとして、シリンダーは回さず交互に撃ち合う」
拳銃が机へ置かれる。
「先攻後攻は譲ってやる」
「では、お先にどうぞ」
「いいだろう」
世豪は銃口をこめかみに当て、引き金を引いた。
乾いた空転音が響く。
「ふぅ......最初に死んでは話にもならん」
机に戻された拳銃を、僕は無言で取り上げた。
躊躇なく自分の頭部へ向けて引き金を引く。再び空転音。
「どうぞ」
「大したもんだ」
世豪が笑う。
「死と隣り合わせだというのに顔色一つ変わらない」
「お互いさまでしょう」
「私は多くの命を踏み台にして副龍頭の座を手にした。お前とは背負ってきたものが違う」
その後も互いに引き金を引く。残る薬室が、ついに二つになった。
「二分の一......この一発で全てが決まる」
世豪の声に、微かな乾きがあった。銃口をこめかみに押し当てる。その手が、ほんのわずかに震えていた。
引き金を引く。銃声は響かなかった。
「......天に愛されたのは、私のようだ」
安堵の息とともに、拳銃が差し出された。
「お前の番だ」
僕は拳銃を見下ろす。
「どうした」
「......いえ」
拳銃を手に取り、こめかみに当てる。
だが次の瞬間――銃口を世豪へと向けた。
「これが貴方の望みでしょう」
一拍置いて、自分の首の下へと銃口を移す。
「なっ......!?」
引き金を引く。乾いた音だけが鳴った。弾は出なかった。
「やはり、弾は込められていませんでしたね」
室内の空気が止まった。
「まさか......最初から気づいていたのか......?」
「拳銃を手にした瞬間、わかりました。弾の重みがありませんでした」
僕は微笑む。
「それに、貴方の表情に死への恐怖が欠片もなかった。このゲームの目的は僕の忠誠心を測ること。もし僕があの瞬間、貴方へ引き金を引いていたなら、龍頭に殺されていた。そういう段取りだったでしょう」
「......もういいだろう、世豪」
厲鋒が口を開いた。
「しかし――」
その時だった。
乾いた発砲音が響いた。
反射的に振り向くと、明俊が天井へ向けて銃を撃っていた。天井に弾痕が刻まれる。
「な......何の真似だ!?」
「あんな茶番で忠誠心は測れません」
シリンダーを開き、五発の弾丸が装填された薬室を私たちに見せた。
「六分の一を引かなければ死ぬ。そんな状況でこそ、人の本質は露わになる。覚悟を測るなら、命を賭けなければ意味がない」
静かな声だった。だが異様な熱を帯びていた。拳銃が差し出される。
「命のやり取りをしましょう。世豪の兄貴」
私は確信した。
この男は打算で動いているのではない。他者の命も自分の命も、ギャンブルに賭けるチップとしか思っていない――異常者だと。
「......上等だ。ただし、最初に引くのはお前だ」
「承知しました」
明俊がシリンダーを回す。金属が擦れ合う微かな音が漂い、回転がゆっくりと失速していく。そして最後に、運命が定まったことを告げるような小さな金属音が鳴った。
「では」
明俊が銃口をこめかみに当てた。
そう都合よく外れるか......! 死に晒せ......! 狂人が......!
「ククク......貴方の目から伝わってきますよ。僕の死を願う嘆きが」
「ですが、結末は変わりません」
引き金が引かれる。空撃ちの音だけが、室内に消えた。
「う、嘘だろ......」
血の気が引く。
「どうぞ。今度は貴方が、忠誠心を示す番です」
明俊がグリップを差し出す。私はそれを放心状態で眺めた。
「どうされました?」
「......何でもない」
差し出された拳銃を受け取る。
「言い忘れていましたが、従来のロシアンルーレットと同様に一発ごとにシリンダーを回しても構いませんよ」
「......」
私は、何度も何度もシリンダーを回した。数十秒が経ったあと、覚悟を決めるように手を放す。回転が止まった。
「二連続の空砲、確率にして約二・七八パーセント。貴方の運命力、見せてもらいましょう」
喉が干上がっていた。心臓が肋骨を叩き続けている。震えを殺すために、息を止めた。
銃口をこめかみに押し当てる。冷たい金属の感触が、やけに鮮明に肌へ刻まれた。
指が引き金にかかる。重い。たった数ミリ動かすだけのはずなのに、指先はまるで凍り付いたように動かなかった。
死ぬ。
その二文字が脳裏を埋め尽くした。
「ククク......ようやく現れましたねぇ」
明俊の口元が歪む。
「死への恐怖が」
その瞬間、私の中で何かが切れた。
「このクソガキがぁぁぁ!!」
衝動的に銃口を明俊に向けて引き金を引く。銃声が室内を震わせた。
放たれた弾丸は寸分違わず明俊の額を捉える。
しかし、血は飛ばなかった。
弾丸は額に触れた瞬間、力を失ったように跳ね返り、床へ転がった。
「......は?」
「プラスチック弾とはいえ、額への直撃は存外堪えますね......」
明俊が額を手で押さえた。
「世豪」
厲鋒が名を呼ぶと、世豪が振り向いた。その額へ銃口を向ける。
「ッ!」
「てめェの負けだ」
引き金を引く。世豪の額を撃ち抜き、崩れ落ちた。
静寂の中、俺は明俊を見た。
「明俊。実力も胆力も覚悟も、てめェは世豪を上回っていた。今日から副龍頭はてめェだ」
「光栄です」
明俊が頭を下げる。
「理解できねェから聞く。もし最初に当たりを引いていたら、どうするつもりだった?」
「あれは六分の一ではありません」
明俊が微笑んだ。
「六分の六――必ず空砲でした」
「なんだと?」
「僕は人並み外れた聴覚を持っています。回転音さえ聞ければ薬室の位置は把握できます」
「なら、その拳銃を用意していたのは?」
「ただの勘です」
背筋に得体の知れないものが走った。大いなる存在を目の当たりにしたような、言葉にならない感覚。
「......そうか」
部屋の隅で呆気に取られている部下へ視線を向ける。
「後始末をしておけ」
厲鋒が扉を開けて立ち去る。
「りょ、了解です」
僕はその男を横目に見た。目が合う。
「な、なんでしょうか......?」
不安げに、男が僕を見上げる。
数秒、視線を交わした。それきり何も言わず、部屋を出た。
*
あの夜から、一か月が経とうとしていた。
ボクはある決意を胸に、明俊の部屋へ侵入した。外出したことは確認済みで、ピッキングで解錠し、静かに室内へ入る。クローゼットへ手を伸ばした、その瞬間。
「何をしていらっしゃるんですか、林 志遠さん」
背後からの声に全身が凍り付いた。
「なっ......外出したはずじゃ......!」
振り返ると、そこには明俊が立っていた。
「それに、どうしてボクの名前を......」
「名簿で把握しています」
明俊はゆっくりと近づいてくる。
「世豪の後始末をした貴方は、それ以来ずっと僕を目で追っていた。ただ今日は目に落ち着きがなかった。何かを企んでいると思って、外出するふりをしました」
逃げ場がない。蛇に睨まれた蛙のようだった。
「まさか、こんな願望を抱いていたとは」
顎を掴まれ、視線が絡む。
「なんと愛おしい」
ためらいもなく、唇を塞がれた。
「ッ!?」
蛇を思わせる舌先が忍び込み、容赦なく口内を犯した。思考が白く塗りつぶされていく。抵抗しようとしても体が言うことを聞かない。胸の奥が激しく脈打ち、呼吸が乱れ、視界が揺れた。
ようやく唇が離れる。乱れた息を整えることもできず、ただ彼を見上げた。
明俊が小さく笑う。
「あの夜を境に、貴方は僕に対して畏敬の念を抱いた。やがて『あの人のようになりたい』という感情が芽生えていく」
見透かされた。何もかも。
「その欲望を満たすために、クローゼットの中にある僕の衣服を着ようとした」
気づけば、ボクは跪いていた。まるで神託を受けた信徒のように。このお方の前では、抗うという発想そのものが無意味に思えた。
明俊がしゃがみ込み、視線を合わせる。
「人は誰しも憧れに飲み込まれる。貴方も例外ではありません」
そして囁いた。
「だから提案があります。志遠さん――僕になってみませんか?」
「......え?」
その目を見た瞬間、ボクは悟った。
もう逃げられない。
そこには獲物を追い詰めた捕食者の目があった。




