ep.18 Use After Free
轟音が耳を貫いた。
爆風が窓ガラスを内側から吹き飛ばし、破片が壁に叩きつけられる。
「ロケランだ! 外へ出ろ!」
オレが叫ぶと同時に全員が動いた。部屋を飛び出し、廊下を駆け抜ける。背後でさらに爆発が起き、床が沈み、天井の照明が砕け散る。ホテルそのものが崩落を始めていた。
オレたちはバルコニーへ飛び出した。ガラス戸を蹴り開けた瞬間、湿った夜風が肌を刺す。
「飛ぶぞ!」
それぞれのUSBを使い、地面へ降りる。オレはMOVEで自分の身体を地面に移動させる。彩子はSPEEDで落下速度を操作し、祈はGRAVITYで地面に触れる直前に自身の重力をゼロにして着地した。
地上へ降り立った瞬間、息を呑んだ。
道路、ビルの屋上、駐車場、路地裏。あらゆる場所が人で埋め尽くされており、全員が武装していた。黒服の男たちが隊列を組み、アサルトライフルを構えている。ざっと見ただけでも数は異常だった。一万人前後――毒蛇の構成員をほぼ総動員した数だ。
「多っっっっ!!!」
彩子の悲鳴に近い叫びが夜へ散った。オレも同感だった。ここまでくると笑うしかない。だが同時に、この光景から一つの事実が読み取れた。奴らはオレたちを知っている。能力者対策として銃火器を揃え、連携は完璧だ。突発的な襲撃ではなく、計画的な包囲網だった。
「完全に待ち伏せされてたってことか」
無数の銃口がこちらへ向く。次の瞬間、夜が裂けた。
数千丁規模のアサルトライフルが一斉に火を噴く。曳光弾の赤い軌跡が交錯し、夜空に巨大な網を編み上げた。
「彩子、周囲を止めろ!」
「任せて!」
世界が静止した。正確には違う――オレたちの周囲だけが止まった。飛来した無数の弾丸が目の前で動きを失い、まるで銀色の幕のように宙に浮いている。何千発もの銃弾が空中で凍りついていた。オレはMOVEを即座に発動し、一発残らずアドレスを取得、方向を180度反転させる。
「彩子!」
「はいはい!」
速度が復元された。静止していた弾丸が一斉に解放される。その先にいるのは、撃った側の構成員たちだ。肉が裂ける音、骨が砕ける音、悲鳴、絶叫、血飛沫。数百人規模で隊列が吹き飛んだ。まさに蹂躙だった。
「祈」
「なんでしょうか?」
「空中、頼めるか」
東の夜空に、点滅する赤い航法灯が四つ。軍用ヘリだった。祈がそちらを見上げ、静かにうなずく。
「任せてください」
直後、一機目のヘリが突然横倒しになった。巨大な手で掴まれたように機体が傾き、ローターが悲鳴を上げる。操縦士が必死に姿勢を戻そうとするが間に合わず、そのまま港湾方向へ叩き落とされた。二機目、三機目、四機目と続けて重力に引きずられながら弧を描き、海へ落下していく。遠方で巨大な水柱が夜空へ上がった。
「私はこのまま空中から対処します」
「死ぬなよ」
「はい」
祈は微笑んだ。重力を失った体がふわりと浮き、次の瞬間には夜空へ飛び上がっていた。その背中を見送ってから、オレは前を向く。だが敵は減らない。後方から次々と構成員が現れ、包囲が締まっていく。
「キリがないな」
「トオル! さっきの弾丸のアドレス、全部保存してあるよ☆」
彩子が得意げに笑う。オレは一瞬で意図を理解した。
「......なるほど。いい作戦だ」
彩子がTIMEを発動した。既に敵へ放った弾丸の時間が巻き戻り、数千発が再びオレたちの眼前へ戻ってくる。まるで映像の巻き戻しだった。オレはMOVEでそれらを敵集団の中心へ転送し、彩子が速度を解放する。弾丸の嵐が再び構成員を呑み込んだ。
巻き戻す、転送する、発射する――その単純作業を何十回も繰り返した。倒れた構成員の後ろから新たな構成員が現れ、さらにその後ろから別の構成員が現れる。まるで終わりのない黒い濁流だった。だが、濁流の方が先に尽きた。
そのとき、地面が揺れた。
腹の底を殴られるような重低音が響く。エンジン音ではない。もっと重く、もっと巨大な質量を持った何かだった。
振り返ると、路地の奥からそれが現れた。戦車だ。巨大な履帯がアスファルトを砕きながら前進してくる。ただし砲塔は無く、代わりに前面へ巨大な放射ノズルが取り付けられていた。火炎放射戦車――香港の市街地に堂々と出現した鋼鉄の怪物。放射ノズルの先では、獣の牙のような橙色の炎が静かに揺らめいていた。
ハッチが開き、中から男が姿を現す。金色がかった髪に顎髭、左半分の顔には蛇の鱗を思わせる刺青。黒地に金龍が刺繍された長衣。成金趣味そのものの格好だが、纏う威圧感だけは本物だった。男は腕を組んだまま、見下ろしてくる。
「てめェらを殺せるなら、香港ごと燃やしても構わねェ!」
「部下が全滅してから出てくるとはな」
厲鋒。毒蛇の龍頭だ。オレは即座に弾丸を放った。しかし――ノズルが吼え、火炎が噴射される。奔流のような炎が銃弾を包み込んだ。赤熱した弾丸は軌道を乱し、厲鋒へ届く前に明後日の方向へ逸れていく。
次の瞬間、火炎が迫る。道路が焼け、停車していた車両が爆発し、窓ガラスが四散した。熱風だけで頬の皮膚が焦げる。オレは反射的に後退した。
「トオル!」
彩子が前へ出ようとする。
「来るな!」
オレは叫んだ。
「こいつの火力は異常だ。近付けば巻き込まれる」
「でも――」
「弾丸なら再利用できる。だが炎はそうはいかない」
「......死んだら承知しないからね」
彩子が悔しそうに唇を噛む。それでも一歩下がった。
「死ねェッ!!」
厲鋒が咆哮する。戦車が前進し、火炎放射器が街路を薙ぎ払った。
オレはMOVEを発動した。一瞬で十メートル横へ跳ぶ。さっきまで立っていた地点を炎が飲み込む。戦車が旋回し、火炎が追ってくる。オレはビルの看板へ、信号機の天板へ、駐車場のフェンスへ――火炎が届く寸前に位置を変え続けた。
「チョロチョロ逃げ回ってんじゃねェ!」
だが、逃げているわけじゃない。見ている。ノズル、燃料供給管、接合部。火炎放射の構造を、目が焼けるような熱の中で追い続けていた。
戦車全体をSIZEで縮小するのは非効率だ。全長十一メートル、七十トン超――脳内バッテリーの消耗が大きすぎる。ならば狙うのは一部だけでいい。
戦車がノズルをこちらへ向けた瞬間、内部が見えた。
オレはMOVEで接合部を一センチ横へ移動させる。漏れ出した燃料がパイロットバーナーへ触れる。厲鋒の表情が固まった。
「――あ?」
次の瞬間、戦車が内側から爆発した。轟音が路地を埋め尽くし、装甲板が吹き飛び、炎柱が夜空へ噴き上がる。厲鋒の体も巻き込まれ、数メートル吹き飛んで廃ビルへ激突した。コンクリートに亀裂が走る。
「まだ、だ......」
壁に背をつけて、立ち上がろうとしていた。顔を血に染め、右腕が不自然な角度に曲がっている。それでも足に力を込めている。
「終わりだ。厲鋒」
オレは弾丸を放つ。一発、二発、三発、そして数十発。銃弾が体を貫き、蜂の巣になりながら厲鋒はゆっくりと崩れ落ちた。
「しぶとい野郎だったな......」
溜息が漏れる。限界が近かった。鼻の奥が熱い。
「トオル、鼻血出てるよ!」
彩子が駆け寄ってくる。触ると確かに血が付いた。脳内バッテリーの酷使だ。
「拭いてあげる。じっとしてて」
彩子がハンカチを取り出し、優しく鼻先を押さえてくる。
「子供扱いするな」
「はいはい」
笑いながら血を拭いていく。戦場の真ん中とは思えない光景だった。
「USB確認してくるね」
そう言うと彩子は厲鋒の元へ走っていく。直後、上空から祈が降下してきた。
「透さん、ヘリの処理が終わりました」
「よくやった。こっちも既に制圧済みだ」
祈が周囲を見回す。戦場はようやく静かになっていた。
「トオル! USBが見当たらない!」
遠くから彩子の声が響く。オレは眉をひそめた。 厲鋒からUSBが排出されていない。つまり、厲鋒はTHBランカーじゃなかった。嫌な予感が脳裏を走る。
「厲鋒じゃないなら、誰があたしを襲ったの――」
彩子が言いかけた、その瞬間だった。
鈍い炸裂音が響く。
彩子の左半身が内側から弾け飛んだ。
「は?」
彩子の体が宙を舞う。血飛沫。黒煙。それだけしか見えなかった。誰も攻撃していない。敵は全滅したはずだ。
煙の向こうで、人影がゆっくりと歩いてくる。黒煙を割るように、最初からそこにいたかのように。
「ごきげんよう」
聞き覚えのある声だった。その瞬間、背筋が凍る。煙の中から現れたのは、死んだはずの明俊だった。




