親友との再会
カーテンからうっすら入る光に、優しく起こされ瞼をゆっくり開ける。時計を見たら7時前を示していた。研究室にいた昨日まで、必ずこの時間に起きていたため癖で起きてしまった。違うのは見慣れない天井とカーテンの隙間から入る朝日だった。
体を起こしカーテンを開ける。街を起こすような朝日の白い光が頬を優しく温める。こんな朝、久々だなぁ…
しばらく朝日に当たり、準備をしようとリビングに行くと焼けた小麦粉の甘い香りとコーヒーの芳ばしい香りが漂っていた。イレアがキッチンで朝食の準備をしていた。まだ起ききってない喉が掠れながら言葉を紡ぐ。
「おはよう、イレア。」
「おはよう、スイ。早いわね。」
イレアはすでに化粧も着替えも終えて優雅にコーヒーを淹れていた。この人はいつも何時におきてるんだろう。イレアの寝ぼけてる姿やら、だらしない姿を見たことがなかった。
「なんか癖で起きちゃった。イレアこそ早いね。」
「いつもこのぐらいよ。コーヒー飲む?」
「ん、飲みたい。」
わかったわとこちらを見ずに返事をしてくれたのをありがとうと返し、洗面台に向かう。イレアがコーヒーを入れてくれてる間に顔を洗いに行き、着替えを済ましてしまおう。朝もメディカルチェックとトレーニングがあるためジャージに着替える。
リビングに戻ると私の席にテーブルにはお皿に乗ったトーストとマグカップがおいてあった。マグカップからはゆらゆらと湯気が漂い、コーヒーの香ばしい香りとどこかマイルドなふくよかな香りが鼻腔を刺激する。中身を見るとコーヒーのブラックがミルクによって柔らかなブラウンに変わっていた。さすがわかってるぅと心の中でイレアを賛称する。
「スイは今日何するの?」
そんなイレアは仕事の内容が写し出されてるであろうビジョンを目で追いながらパンを口に運んでいた。一度にいろんなことができる人だなぁ。目の前のしごでき女子を感心しながら応える。
「12時に奈月と待ち合わせしてるから11:30ごろに出るかな?」
"奈月"その名前に一瞬目の動きが止まり、こちらを向く。
「そう…連絡取れたのね」
その表情は安堵でも、喜びでも、怯えでもなく、こちらの様子を伺うようなものだった。久々の友人との再会を私がどう思っているのか、どんな会話をしたのか少し心配しているのだろう。安心させるように微笑み、言葉を紡ぐ。
「うん、イレアのおかげでね。ありがとう。」
その言葉にやっと頬を緩め、安堵の表情が出る。
「お礼を言われることじゃないわ。楽しんでいらっしゃい。」
「でも、すごく嬉しいから、ありがとう。イレア。」
「いいわよ。じゃあ早く諸々を終わらせないといけないわね。ちょっと準備するわ。」
イレアはそう言うと表情を仕事モードに切り替え、ビジョンにキーボードをつけて忙しなく指を動かす。かじられたパンはキーボード横の皿に放置され、イレアが入力する反動で寂しそうに震えていた。そのパンがなぜか哀愁漂い、ついつい口出してしまう。
「まだ時間あるし、ゆっくり朝ごはん食べようよ。」
「時間があるうちに済ませた方がストレスがないのよ。」
こちらを見ずにキーボードを叩き続けるイレアをもはや感心しながら見つめる。
「…さすが、エリート研究員は言うことが違うね。」
「からかわないの。それに、久々に会うのにバタバタ家出たくないでしょ。」
イレアは相変わらずビジョンから目を離さずに話す。やっぱり、私のために急いでくれるのね。その押し付けない優しさが心地よくって朝から胸が絆される。でも、イレアは私のことを優先しすぎるところがあるから、私が止めないと。
「うん、ありがとう。でも、パンが冷めちゃうよ?メディカルチェック私も急いでやるから、一緒に朝ごはん食べよう?」
その言葉に指をピクッと止め、こちらを見る。困ったように笑う私をみて、時計を確認し、一旦ビジョンを閉じた。
「まぁ、それもそうね。いざとなったら、あなたが全力で走ればいいんだものね。」
突然あっけらかんと言う。
「ちょっと、急に放任主義になるじゃん。」
「甘やかしすぎるのも良くないかと思ったの。」
「考えの改まり方が早すぎなのよ。」
「研究者には、常に固定概念にとらわれず新しい考えを生み出す力が求められているから。」
「凄いほんとにあーいえばこー言うだね。」
「褒め言葉かしら?」
いちいち返答スピードが早すぎて、やはりこの人の頭の回転には勝てそうもないと思い諦める。頭の良さの無駄遣いだ。そう思いせめて目だけでもジトッと睨み、呆れるように呟く。
「そう言うことでいいよ…」
そんなくだらない会話をしながら朝食を食べ終え、再びイレアは準備を始める。イレアにおかわりのコーヒーを入れ、手持ち無沙汰になってしまった私はなんとなくビジョンを開く。
朝気づかなかったけど、早朝にメッセージが入ってた。送り主はイレアだった。
『朝ごはんの準備に行くわ。』
そんなことわざわざ言わなくていいのに。イレアにメッセージを見てなかったことを伝える。
「イレア、メッセージくれてたんだね、気づかなかった。」
イレアがチラッとこちらをみて返事をする。
「…気づいてなかったのね。昨日言い忘れたから一応メッセージを入れておいたんだけど。」
「あ、そうなの?わざわざいいのに。別にイレアだったら突然来てもやじゃないよ。」
イレアはこの6年間ずっと一緒にいてくれて気の使わない家族同然だった。そんなイレアだったら、よっぽどのことじゃない限り何されても抵抗はないと思うんだけどなぁ。そう思い、なんとなしにそのことを伝えた。それに対し、イレアは変わらずビジョンに目を向けたまま返答する。
「プライバシーは大切にしないと。まぁ、勝手に鍵開けてる自体プライバシー云々じゃないけど。」
「うーん。私は別にいいんだけどね。」
納得しない私の様子に忙しなく動いていた指を止めイレアが真っ直ぐこちらをみる。その眼差しは真剣だった。軽い気持ちで話していた私はその瞳に少し驚いて、ただ見つめ返す。イレアの口がゆっくり動き出す。
「だめよ。」
明確な否定がイレアの口から発せられ、その意味を気付かせるように説明するように続ける。
「あなたはこの6年間、プライバシーを無視して多くのことを管理されてきた。その日の食事、睡眠時間、気温、生活以上の生命維持に関することまで、全てを他の誰かに見られていた。それは人として異常な状態だったのよ。これからは、好きなものを食べて、夜更かしをして、好きな人と過ごしていいの。スイしか知らない、スイの世界があっていいの。私も無断で踏み込まないようにあらかじめ断りを入れられるならそうするから。」
イレアの言葉は重く、まっすぐ私に届くようにはっきりと紡がれた。
実験体としての私は、数値を正しく測るために細かに体調管理をされた。気温や口にするもの、就寝時間や排便の回数まで。思い出すのは研究室での生活。無機質な小さな部屋での彩りのない食事。就寝時間に部屋の明かりは消され、真っ暗になり寝る以外何もできなくなり、次灯がつくのは起床時間。窓のない部屋では光があるかないかだけで生活を左右される。それが6年間。日常として私の中に侵食し、徐々に普通を変えていってしまった生活。
「そっか…。今までが変だったんだよね。なんか、忘れちゃってた。」
紡いだ言葉はポロポロと口から滑り落ち、温度が抜け落ちていた。つい数日前までの生活を思い出して、胸の奥がひんやりと冷たく感じた。私は、まだ、あの日常に戻れてしまう。私の感覚はまだ異常なままだと伝えるような冷たさを自分の中に感じた。
私の様子にイレアが傷ついたように顔を強張らせ、責めるように言葉を放つ。
「あんな施設に入れられてればそうなってしまうわ。私はあそこからあなたを助けられなかった。だから、私にはあなたを普通の感覚に戻す責任があるの。」
懺悔するようなその言葉は私にではなく、イレア自身に向かっている言葉だろう。これが、私に優しくしてくれる理由。私と一緒にいてくれる理由。イレアの責任感と罪悪感。その理由を直視するたびに胸の奥がギリッと引っ掻かれたように感じる。
「イレアはずっと助けれくれてたよ。今だって外に出れてるし。」
その罪悪感から解放されて欲しい。でも解放してしまったらイレアが遠くに行ってしまう。そんな願望と悲しみの間では、曖昧な笑顔しか取り繕えなかった。
「そんなことないの。今も私があなたの監督者として監視してる。まだまだ普通じゃない。でも、できる限りあなたには普通の高校生活を送ってほしいと思ってるの。健康管理と危機管理どちらかで必要とあらば合鍵を使うけど、そうじゃなかったら極力使わないようにするから。」
きっと何度も何度もイレアは考えたんだろう。どうすれば私を普通に戻せるのか。自分のやっていること、その立場を批判しながら、今できうることを何度も考えて実行してくれる。研究室にいた時も、自分のことを非難しながら、私を守るために一緒にいてくれた。彼女の優しさを私はこの6年間見続けてきた。
「わかったよ。イレアは本当に、優しいなぁ。」
「何言ってんのよ。」
「照れないでよー。あの研究室にイレアがいてくれてほんとによかったよ。そうじゃなきゃ今頃どうなってたか。」
やれやれと感謝を冗談で纏わせながら伝える。あんまりこの話を続けたくない。研究の話になるとイレアは何を言おうと自分のことを責め続ける。研究を止められなかった自分を許せず、私に罪悪感を感じるのだろう。
私は大丈夫なのになぁ。世の中どうにもならないことはあるのは痛いほど知ってる。例え、人類の進歩といわれても、史上最強の才女と言われても社会という大きな力にはねじ伏せられてしまう。だからイレアが責任を感じる必要はないのに。
「…つまり、プライバシーは大切てことよ。これから友達が増えて、その子達との会話筒抜けとか友達にも失礼だから。」
イレアがこの話を終わらせようと話をまとめる。朝から重い話題になってしまった。もうこの話題から離れよう。
「それもそうだね!彼氏できても内緒にしよーっと。」
「それはダメよ。」
ピシャリと却下された。あれ?さっきまでの主張と違うじゃない。
「なんでよ?プライバシー大切だよ?」
「世間知らずが彼氏作ってもろくな彼氏じゃないわよ。」
「わかんないじゃん!めっちゃ優しくて良い人かもよ?俺が全部教えてやる的な??」
「絶対だめよ、そんなやつ。どうせ下品なことしか頭にないんだから。」
「…っ!サラッと変なこと言わないでよ!!」
突然の大人の冗談に戸惑いを隠せない。耳がカッと熱を放つのを感じる。
「男なんてそんなもんよ。何かしてあげる、とか言ってる時点で優しさの押し売りなんだから。そんな男却下よ。」
「ちょっといいこと言ってる…。イレア、どんな男と付き合ってきたのさ。」
「プライバシーは大切よ?」
「言ってることめちゃくちゃだよ?イレア先生?」
「そんなことないわよ。あなたが痛い目に遭わないように私が見てあげるって言ってんの。喜びなさいよ。」
「…うわーい、ありがとうーイレア先生ー。」
ねぇ、私の未来の彼氏、とんでもない鬼門がいるよ。てか、彼氏できないだろうな。そんな気しかしない。イレアがビジョンを閉じてチャカチャカと次の準備をする。
「メディカルチェックの準備できたわ。下降りるわよ。」
「ほーい。」
いつのまにか8時をすぎていた。くだらない話をしてるとあっという間だなぁ。
メディカルチェックとトレーニングを終えて、シャワーで汗を流し、出かける準備をする。昨日買ったトレンドだとか聞くノーカラーのデニムジャケットにモックネックの長袖、ワイドパンツを着込んだ。
「似合ってるわね。」
「あら、ありがとうございます。昨日買ったばっかりのおニューですぅ。」
「知ってる。選んだ人のセンスがいいのね。」
「うわ、自分に対しての賞賛でしたか。」
騙されたと言うように私が顔を歪めると、意地悪そうにイレアがクツリと笑った。
「送っていく?」
「いいよ、ちょっと街に慣れないと。それにイレアやることたくさんでしょ?」
「それもそうね。研究の資料とか機材とか揃いきってないから、お言葉に甘えて仕事に集中させてもらうわ。」
お言葉に甘えてのフレーズに気を良くしてしまう。いつもお世話をしてもらってるイレアにそんなことを言われると、もっとできることを言いたくなる。まるで子供が初めて親に頼られたようなそんな感覚だった。
「夜ご飯食べれそうだったら言って!イレアの分も買って帰るから!」
「悪いわね。晩御飯には終わらせるようにするわ。もし友達と食べることになったら気にせず食べてもらっていいから。」
「わかった!そうなったら連絡するね!」
「お願い。じゃあ、いってらっしゃい。」
「行ってきます!!」
久々のお出かけ。久々の遊び。久々の再会。もう気持ちが高揚しないわけがなかった。自然と口角が上がってしまう。それをみているイレアの目が優しく、表情も柔らかく微笑んでいた。そんなイレアに見送られ、久々に親友に会える。一度に来た幸せに感情が整理できず、上がりっぱなしの口角を両手で包むことしかできなかった。
エレベーターを降り、エントランスのドアが開く。外の風が流れ込む。頬を撫でる風はまだ少し肌寒く、冷たい匂いがした。それでも天気は良く、日差しがあれば暖かく感じる。五感で外を感じれる。この幸福が胸を躍らせ、もっと感じたいと大きく息を吸い、さらに胸をいっぱいにさせる。
これをもう失わないように。あてがれた役を全うしよう。
清々しい気持ちの中に、重く沈んでしまうような感覚が芽生える。その感覚に気がつき、今は久々の友人との再会に胸を躍らせよう、そう切り替える。
久しぶりの電車に乗って約束の駅まで外を眺めていた。奈月元気だったかな…まぁ、研究室襲撃するぐらいだもん元気だよね。電話口は変わってなかったけど、普通に話せるかなぁ。
久々の再会に嬉しいはずなのにピリっと緊張を感じる。流石に6年ぶりは緊張するよねぇ。どこか他人事のように感じながら電車に揺られ目的地まで運ばれた。
約束の時間より20分ほど早くついてしまった。ちょっと張り切りすぎたかな…カフェに入ってお茶して待ってようか…
そう考えながら改札を出ると真っ直ぐこちらを見ている人がいた。その人はまるでスポットライトが当てられたように目に留まり、あちらも私しか見えてないかのようにただ真っ直ぐこちらをみていた。
肩に触れないぐらいに切られた柔らかい茶髪に、意志の強さを感じさせる少し釣り上がった瞳、幼い頃は可愛らしく膨らんでいたほっぺは成長しシュッと引き締まっていた。
その人はゆっくり歩き出し、徐々に足を早めて駆け寄ってきた。私はただ立ち止まってその人を見つめていた。まるでスローモーションかのように彼女の行動がよく見える。
あぁ、本当に、会えた。
さっきまで感じてた痺れは大きな鼓動に変わり、胸から感情が溢れてくる。口を開けば溢れた感情が出てきてしまいそうで、真っ直ぐ結んだ口に力が入る。
その人はスピードを緩めず近づいて飛びつくように思いっきり抱きしめてくれた。
「翠…!翠…っ!!」
耳元ですがるように呼ぶ声は私の大好きな親友の声だった。
「奈月…」
ゆっくりと背中に手を回す。あぁ、大きくなったけど奈月だ。奈月の体温を感じる、奈月の匂いを感じる。胸が震えて言葉が上手く紡げない。言葉で言えない代わりにゆっくりと強く抱きしめる。もう離れたくないと伝わるように。




