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チートだったら神さまになれるって本当ですか?  作者: 上野史華
チートだったら略奪できるって本当ですか?
31/33

変化

ドタバタだった週末が終わり、今日からまた学校が始まる。朝イレアから今日の生徒会はないと言われた。何でも次の生徒会活動の打ち合わせが入ったらしく、イレアはそちらに行かなくてはいけないとのことだった。

まぁ、私とマイは生徒会長業務をしなきゃいけないから、どちらにせよ放課後生徒会室に行くんだけどね。

そんな事を考えながら、マイとの待ち合わせ場所に向かうと、いつもはすでにいるはずのマイがいなかった。

珍しい事もあるんだなと、何となくいつもマイが立ってるあたりに立ち止まる。

少しすると校門の方から、艶やかな黒髪を揺らし、歩いてくるマイの姿が目に気づく。

なんか、マイを待つなんて新鮮だなぁ。そんな呑気な事を考えながらマイの方へ歩み寄る。

「おはよー。珍しく私の方が早かったね。」

「…ええ。ごめんなさい。」

そう呟くマイは下を向いており表情が見えなかった。

「あ、いや、別に大丈夫だよ?むしろいつも待たせてるのは私なんだから。」

慌ててマイの謝罪を否定する。

どうしたんだろう、声も暗い気がするし、何より目が合わない。

「…マイ?どうかした?元気ない?」

そう言って覗き込むと、苦しそうな表情を浮かべているマイと今日初めて目があった。目が合うと少し驚いたように目を見張り、痛みに耐えるように表情を歪ませ、逃げるように顔をそらす。

一昨日はあんなに爛々とした目で笑っていたのに。どうしたのだろうか…。

「…なんでもないわ。」

絞り出すような声で紡ぐ言葉は、取り繕う事もできないほどか細いものだった。

きっと、何かあった。それを問い詰めるのは正解なのだろうか。砂の塔のように触れたら崩れてしまいそうな姿にそんな事はできないと思った。

もう少し時間を置こう。放課後落ち着いたら聞くことにしよう。

そう思って笑顔を作り、気づかないふりをする。

「そっか!じゃあパン買いにいこっか。」

「ええ。」

パン屋に入ると、マイは少し悩んで塩パンを買っていた。マイがパンを買う時に悩むなんて珍しい。いつもとは違うマイの様子にこちらも戸惑ってしまう。

校門を通り過ぎて、校舎に向かって歩いているとマイが徐に話し出す。

「…アマミさん。明日からは別々で学校行きましょう。」

「え?えっと…?」

「もう一人でも目線怖くないでしょう?」

「あ、うん。慣れはしたし、前みたいにジロジロ見る人はいないから。」

「そう。じゃあ明日からは各々学校に向かいましょう。」

そう言うマイはこちらを寄せつけないように、ただまっすぐ前を向いていた。あまりにもおかしい今日の様子に何が起きたのかわからないまま、ただただ従うように、うんと頷く。

無言の空気が肩にのしかかるようだった。

どうしてそんなことを言うのか問い詰めることもできずに、別の話題に逃げようと話題をふる。

「えっと、次はいつ料理つくる?私まだ全然料理できないから簡単なのから教えてよ!」

重たい空気をなくせるようにできるだけ笑顔で話しかける。

マイは口を固く結び言葉を紡がない。その様子に焦燥感に口が勝手に名前を呼ぶ。

「…マイ?」

硬く結ばれた口が震えるように開かれる。

「ごめんなさい。もう、前みたいなのはやめにしておくわ。」

「…え?」

「…ごめんなさい。」

その謝罪に戸惑い、ただただ、マイのカバンを持つ手に力が込められ、指が白くなるのを見ていた。何だか体全ての筋肉が硬直するように、冷たい感覚が全身を巡る。

そんな時、後ろから声をかけられた。

「スイっ!」

少し跳ねるような声に振り返るとルーナが何故か緊張した面持ちで私を呼んでいた。隣にはグレージュの髪の毛を長く伸ばし、制服を着崩している女の子が立っていた。

何となくこの空気を他の人に見られてはいけない気がした。何事もなかったように笑顔を作る。

「ルーナ、おはよう。」

「…っ!お、おはよう!」

「ちょっと、緊張しすぎじゃね?」

ルーナの様子に苦笑いを浮かべるその子はこちらを見るとニコッと溌剌とした笑顔を見せる。

「どーも。私、ユキアっていいます。ルーナと同じクラスで、一緒に会長の推し活してます。」

「あ、私の?」

「そーです。会長のファンクラブ記念すべき第2号はあたしなんで!」

笑顔で真正面から言ってくれるユキアに、何となく恥ずかしさを覚えながらどうにか笑顔で返す。

「ありがとう。なんか恥ずかしいね。」

「…やば、推しが私に照れてる。最高じゃん。」

突然真顔になって、見つめるその瞳はブレることなく私を映していた。瞳の底がなくなってしまったかのように、ただただこちらを捉えているユキアに若干の恐怖を覚えていると、ルーナが、慌てて話し出す。

「ユキア!真顔になってる!スイさん、ひいてるよ!」

「やばっ夢の国行ってたわ。ありがと、ルーナ。」

「うん、おかえり。」

ルーナは呆れ気味に呟き、二人は私とマイの間に入り一緒に歩き出す。ルーナははこちらを見つめて、頬を赤らめながら言葉を続ける。

「スイ…さん。えっと今日からファンクラブ活動を始めるので、これからよろしくお願いします…。」

あの時タメ口でいいと伝えたんだけど、まだ慣れないらしい。言葉が不自然に弾んだり、か細くなったりしてるあたりルーナなりの努力をしているらしい。

その姿が少しおかしくて、先程まで硬直していた頬が緩まる。

「うん。ルーナ。よろしくお願いします。」

そう言って微笑むと、さらに頬を赤らめて声を張る。

「はい!これからもっとスイ…のことを知っていけるように頑張ります!」

あまりの勢いにクスッと笑いが出てしまう。先程までの空気が嘘みたいだった。

「私もみんなの事知っていけるように頑張るよ。」

「まじか、うちの推し可愛い上に性格までいいのかよ。認知頑張るとかファン想いかよ。」

ユキアが天を仰ぐように、清々しい顔をして遠くを見ていた。この子も独特な子だなぁ。

そんなことを考えて笑っていると、端にいるマイの苦しそうな顔が目に入った。眉間に皺を寄せ、目を細め痛みに耐えるようなそんな苦しそうな表情。

本当に、なにがあったのだろう…。


そんなことを考えながらマイを見ていた。ラベンダー色の瞳が薄く膜を張り、その大きな瞳を隠すように瞼が閉じられる。

胸が強く握り締められたかのような痛みが走った。


その目尻から、はらりと雫が落ちるのを見てしまった。


息が上手く吸えず、目はその姿から離せなかった。

考えるよりも先に体が動いていた。

「ごめん、ルーナ、ユキア。私達ちょっとやることがあった。」

そう言うとマイの手を掴んで学生棟に向かって走っていた。

エレベーターに乗り込み、何も言わないマイの存在を確かめるように手に触れる温度を感じる。いつも少し冷たいその手が、今日はいつもよりずっと冷たかった。いつもの温度に戻ってほしくて繋ぐ手を強く握る。それに返事をするようにマイの手もかすかに強く握られるようだった。

生徒会長室に入り、ソファに座る。マイの顔をまっすぐ見つめ、その表情を捉える。傷ついたように顔を歪め、そのラベンダー色の瞳は細められ、下唇は薄く噛み締められていた。

「マイ。何があったの?」

マイは顔を強張らせ、喉を鳴らす。張り付いてしまった言葉を何とか吐き出すように言葉を放つ。

「…アマミさんには関係ないわ。」

今にも崩れ落ちてしまいそうな強がりがその言葉にまとわりつき、漂う。薄く固められた飴細工のように脆い強がりだと思った。

「関係ある。」

その弱々しい言葉が漂うのを遮るように、確かに言葉を紡ぐ。

「私はマイが大切だから。マイがそんな顔してるの見過ごせない。」

「…っ。」

眉尻を下げ今にも泣き出してしまいそうな表情に、どうかちゃんと届くようにまっすぐ語りかける。

「本当はね、私なんかがマイのこと助けたいなんて思うの烏滸がましいって、もっともっと相応しい人がいるって思ってた。」

思い出させるのは、アルバードさんの困ったように笑う顔、寂しそうな瞳。彼が一番気に病んで、悩んで、傷ついている。その彼を差し置いて私がこの子に何かできることなんて。そう思っていた。

「…でもね、さっきマイが泣いてるの見たらどうでも良くなっちゃった。」

おどけたように笑い、マイの白く長い両手を傷つけないようにそっと触れる。この子の傷をそっと包み込めるよう、優しく投げかける。

「マイ、教えて?何で明日から一緒に行けないの?何で、そんなに辛そうな顔をしてるの?」

マイの口が小さく開き、浅く息を吸う。下を向いてその表情は見えないが、触れた両手は縋るように力がこもる。その指の白さを見ていると透明な雫が肌に触れ、跳ねるように小さく飛び散る。ポタポタと絞り出されたように流れたその雫は私たちの両手に溜まっていく。

マイの口から震える息が漏れ、その薄い唇に歯を立てる。その唇が震えながら、不器用に動き出す。

「…あの日、アマミさんに送ってもらったあと、屋敷に帰ったら、ルエダが酷く怒っていたの。あなたと歩いている所を見たみたいで。…私を自由にさせすぎたと。誰の許嫁かわかってないって…。」

私のせい…?私がマイを誘ったから?でも何でそんなに怒る必要があるんだろうか。理解ができないその理由をマイに問いかける。

「何で…?ただ遊んだだけなのに…?」

マイは逃げるように顔を逸らし、口を開く。

「…私があなたの名前を呼んだから。」

「マイが?」

「…ええ。」

マイが観念するように話し出す。

「以前に、ルエダがあなたを探していたでしょう。あれは私が寝てる間にあなたの名前を呼んでしまったの。したくもない行為をした後だったから、縋ってしまったのよ。」

自嘲気味に力無く笑うマイをただただ見つめるしかできなかった。

「そのせいであなたを巻き込んだ。私のせいでルエダはあなたに良くない感情を抱いている。だからルエダがあなたに関わろうとする。今回のことも、元は私が引き起こしたことなの。」

自分を責めるように吐き出された言葉は、どこか自分に言い聞かせるようだった。その言葉を吐き出し終えると、掴んでいた両手から力が抜け、私から離れようと手を引かれる。


だからなの?だからマイは私から離れようとしているの?

「私は大丈夫だよ?ルエダさんがどうしようと、私は気にしない。だから、今まで通り一緒にいてほしいよ。」

その手が離れていかないように力を込める。

マイは眉間に皺を寄せ、辛そうに顔を横に振る。

「違うの。私が、耐えられないの。」

「耐えられない…?」

「あの日、怒ったルエダから…。」

小さくなった肺を広げるように浅く息を吸う。吐き出すように言葉を紡ぐ。

「罰を、受けた…。」

「罰…?」

その不穏な響きの言葉を聞き直す。

マイの手が震え、瞳が硬く閉じられる。濡れた長く上に伸びるまつ毛が震える。怯えるように開かれたその瞳は不安で揺らいでいた。双眸から縋るように放たれた目線から目を逸らせない。ポロポロと堰を切ったように溢れ出すその涙を目で追うこともできずにただ、そのラベンダー色の瞳を見つめていた。

「アマミさん。どうしよう…っ。妊娠してたら…!」

…っ!

吐き出すように放たれたその言葉で罰の内容がわかった。

いつもは凛としていて、儚いこの子が今にも雪のように崩れて無くなってしまいそうだった。

そんなことさせない。この子はにこんな顔して欲しくない。

その震える肩が、なくなってしまわないように、その存在を留めることができるように、マイの背中に腕を回し抱きしめる。

細く華奢なその身体を感じながら、その震える身体に熱がうつるようにに力を込める。

マイの手が私の肩を掴むのを感じた。耳元からはマイの漏れる泣き声が聞こえる。

「アマミさん…っ。私、まだ、やらなきゃいけないことも、覚えなきゃいけないことも、たくさんあるのに…っ。」

その言葉はマイの本音であり、弱さだった。それを隠すこともできないぐらいマイは今、傷つき弱っている。

マイの背中に回した手を、おろして腰の下まで持ってくる。

「ごめん、マイ、ちょっと身体みるよ。」

言葉なく、布が擦れるように動いたのを感じ、頷いたのだと分かった。

手のひらをマイの腰に当て、マイの体の状態を確認する。

…私の想像していた罰はマイの体の中に残っていた。

その事実にベットリとした嫌悪感が私の腹の中に広がる。

…あぁ、本当に。ルエダさん。何でそこまで。

悲しみに似た感情を抱きながら、その部分を探る。マイが不安に思っている事がどうなっているのか。傷つけないようにアビリティを使う。

「…うっ。」

マイからうめき声が漏れた。

「ごめん。あと少しだから。」

私の肩を掴んでいるマイの力が強くなる。

…よかった。

「マイ、大丈夫。マイが心配してることは起きないよ。」

「…わかるの?」

「うん。ちゃんと確認した。間違いないと思うよ。」

マイの顔が私の肩に擦り付けられる。

「…よかった…っ。怖かった…。」

震える声は私の肩に埋もれて、微かに響いていた。

安堵が広がるマイを感じながら私はあることを決めた。

もう、この子をこんな目に遭わせない。この子をもう一人で震えさせない。


少し落ち着きを取り戻したマイをゆっくりと離す。顔を見つめると疲れ果てたようにいつもの目力がなくなっていた。

あれだけ泣けばね。それにずっと不安だったんだろう。

そんなマイの頭を労うように撫でる。

「マイ、今日は学校休もう?」

「…そんなわけにはいかないわ。」

「そんな顔で教室行ってもみんなに心配されるだけだよ?」

「…でも、帰るのは、いやなの。」

マイは目線を地に這わせ言いづらそうに言葉を紡ぐ。

そりゃそうだ。

そう思い、マイに提案する。

「じゃあ、私の家で休んでなよ。私は学校にいるから。」

私の提案にマイが唾を飲み込む。

「…ルエダにバレたら…。」

「ルエダさんは私の家知ってるの?」

「知らないと思うけれど…。」

「そうしたら、大丈夫じゃないかな?マイがもう私と一緒にいたくないって言ったら私が怒ってすごく喧嘩になったから帰ったとか言えば。授業も一緒だから冷静になってもらおうと思って的な感じでさ。もし私の家がバレても、イレアに相談に行ったとか言えば。」

ひとしきり言い終えて、マイを見ると驚いたように目を見開いていた。

「え、なに?」

「…いえ、よくもそんなに言い訳がすぐ思いつくなって…。」

「…奈月と一緒にいると怒られることが多くて、自然に思いつくようになりましたけど…。」

言い訳。そして沈黙。確実に信用が無くなったのを肌で感じました。

良かれと思ったのに…!いや、良いんだ!別に!マイが困らなければ…!

心の中で謎の虚勢を張っていたら、クスっと声がした。

「凄いわね。」

そう言って喉をコロコロ鳴らして微笑むマイに安心した。

…信用は無くなったでしょうけど。

「じゃあ、スペアキー渡しておくよ。」

そう言って、イレアからもらったリングの溝をくるくると回す。

リングの1センチほどが外れ、外れた部分の小さな筒がチカチカと光る。

「小さいから無くさないようにね。これ持ってれば鍵とか、エレベーターとか自動的に開くから。」

「ええ。わかったわ。」

そう言ってマイはゆっくり手のひらで包み、大切そうに握りしめる。

「もし、何かあったらすぐに連絡してね。あ、あと、ベットも好きに使って良いから。すごく疲れてるみたいだからゆっくり休んで。」

「…ありがとう。」

「ううん。じゃあ。」

そう言って私だけエレベーターに乗り込み、教室に向かう。

さて、これからどうしようか。マイをこんな目に遭わせないとか思ったけど、実際なんの策もないわけで。

大前提、マイはオルネラスのためにルエダさんとの婚約をしている。だから、どんな事をされても逆らえない。…でも、きっと、ルエダさんへは良い感情を抱いていない。

ルエダさんはルエダさんで、マイのことが好きだからマイをコントロールしようとする。

…ルエダさんは、マイが自分に気持ちが向かってないことをわかっているんだろうな。だから、傷付けて反応があることに安心する。自分の存在がマイの中で確かに存在すると思いたいんだ。

でも、どんな理由でも、マイがあんなに傷つけられるのは見ていられない。私のエゴでしかない感情を二人に押し付ける。やり方はちゃんと考えないと。

そんな事を考えていると教室に着く。

「おっはよーー、スウィッチィー。今日マイはー?」

カシアちゃんが席につくなり、近づいて聞いてくる。

「今日はね、お休みみたい。」

「え?珍しい!熱が出ても来るような子なのに!」

もともとまんまるの瞳をさらに丸くして驚くカシアちゃんが本当に幼く見えて、可愛らしく少し笑ってしまう。落ち着くようにカシアちゃんの頭を撫でていると、アーリアが登校してきた。

「おーう。どした、カシアー。スイちゃんに可愛がられてー。」

のんびりした口調に似合わない少し驚いた表情で登場したアーリアは自然な流れでカシアちゃんの後ろに立ち、その腕をカシアちゃんの肩にのせ、両手を前で握る。

仰ぐようにカシアちゃんがアーリアを見上げて、話出す。

「マイが休みなんだって!珍しいよね!」

「えー?あれ?スイちゃん、一緒に登校してなかった?」

…いつだってアーリアはたった一つの真実を見てるのよね。二人に嘘つくのも違う気がするし、だからと言って全て言うのもデリカシーがない気がする。

「朝、一緒に登校してたんだけどね。体調が悪そうだったから帰った方がいいって言って、帰らせちゃったんだよね。」

「…それはマイの家に?」

先程まで朗らかに笑っていたアーリアの瞳が真剣なものに変わった。なかなか凄みのある眼をするなぁ。少し驚きながら答える。

「ううん。私の家だよ。」

「…よかった。」

その返事に安心したのか、いつもの柔らかい微笑みに戻る。その間カシアちゃんはアーリアの腕を握りその表情を心配そうに見つめていた。

それに気がついたアーリアがカシアちゃんをみて優しく微笑み、両手でカシアちゃんの頬を挟む。

「むぎゅ。」

「カシアー。マイはスイちゃんに甘えられてるみたいだよ?ちょっと妬いちゃうね?」

「むんぎゅ。」

「アーリア、カシアちゃんが喋れてないよ?」

「え?そうだねって言ってるよ?」

首を傾げ、何でわからないんだろ?って表情をする。

わからんのよ。幼馴染3人衆の超感覚コミニュケーション。

苦笑いで返事をすると、アーリアが徐に話し出す。

「マイはねー、中学生になってから誰かに甘えるのが苦手になっちゃったんだ。前からそうだったけど、入ってからは特に。ずっと張り詰めてるような緊張感があったんだけど、最近はね、それが緩むの。私はそれが嬉しい。」

「そうなんだ…。」

中学に入ってって、ルエダさんと同棲し始めた頃か…。その頃から軋轢はあったんだ。そして今大きな歪みになってる。

マイの傷ついた様子を思い出して顔が強張る。

「おーう、おーう、おーう。何でそんな顔するの。スイちゃんありがとうって話だよ?」

「え?」

「マイが自然に振る舞えるようになったのは、スイちゃんが来てからだよ?だから、マイを甘やかしてくれてありがとうー。」

「むぎゅう。」

「ねー。カシア?」

「むー。」

頬を挟まれたまま頷くカシアちゃんを苦笑いで見つめながら、二人の言葉に暖かさが広がるのを感じる。それを隠すようにカシアちゃんを見て呆れたように笑ってみる。

「そろそろカシアちゃんの顔が変わっちゃうんじゃない?」

「それはいけない!」

アーリアは頬を挟んでいた慌てて手を離し、カシアちゃんに向かって言葉を放つ。

「カシア!ほっぺ、ぷくーって!ほら!ぷくー!」

その言葉にカシアちゃんが頬を膨らませる。さながらリスのようだった。

「はい、ぷすー。」

「ぷすー。」

アーリアに従うようにそう言いながらカシアちゃんは息を吐く。

「カシア、大丈夫!ちゃんと可愛いままだよ!」

その言葉にカシアちゃんは自分の頬を確かめるように両手で触り、もにもにさせる。

何だこの可愛い二人は。

そんなことを思いながら見ていたらチャイムが鳴り、みんなそれぞれ席に着く。

今日のところはマイを休ませられてるけど、このままだと二人の軋轢は大きくなるだけなんだろう。

マイは私から距離を取るという方法を選んだ。きっと、今はそれが正解なんだろう。

…でも、マイはずっとそうやって生きていくの?

きっと、これからマイは色んな人に出会う。仲良くなった人と毎回距離を置いていなくてはいけない。

ずっと、ルエダさんにコントロールされて生きていくマイは、笑っているのだろうか。


嫌だな。淡々と過ごしていくマイを想像すると胸のところが重く沈むような感覚を覚える。


やっぱりここでどうにかしたい。

…ルエダさんは何を考えているんだろう。私はマイの様子しか見てきてなかった。ルエダさん自身は何を考えいるか聞いたことがない。

彼に話を聞く?そのせいでまたマイが傷付いたら?

難しすぎる…。

アルバードさん曰く、ルエダさんがマイを傷つけるのは自分がマイの感情を変えられるのが嬉しいからって言ってた。

あ、まって、たしか…。

話し合いで解決できなかった時、マイをルエダさんから引き剥がす。その方法が見つかった。


私の存在、それを利用すれば良いんだ。


学校が終わり、私はあるところに向かう。

確かこっちであってるはずだけども。本当にこの学園は大きすぎて、ちゃんと迷っちゃうなぁ。

放課後、アーリアとカシアちゃんに大学への行き方を聞いた。カシアちゃんは頼られたのが嬉しかったのか張り切って色々と教えてくれたけど、アーリアは何かを察したのか「大丈夫?」と聞いてきた。

何とかするよ。大丈夫。

アーリアに伝えた言葉を心の中で何度もつぶやく。

これ、もしかしなくても、マイに嫌われる可能性大だなぁ。どちらにせよ、もうマイの近くにいれなくなるんだったら、せめて次にマイが仲良くなった人が近くにいれるように。

チクリとした胸の痛みを感じながら目的の場所に着くと、キョロキョロと周りを見渡す。

完全に浮いていた。私服でおしゃれを楽しんでいる人たちの中に制服で周りを見渡す私。

なんだか恥ずかしさを感じながら、目的の人を探す。

「…待ってあの子、アリストタリア第1位の子じゃない?」

「あ、本当だ。迷い込んじゃったのかな?」

「迷子?」

お姉様方のヒソヒソ話にいたたまれなくなりながら、どこを探せばいいのかすらわからず少し泣きそうになる。

「えっと、大丈夫?迷子になっちゃったかな?」

お姉様軍団のお一人が優しく声をかけてくれた。優しい。でも話しかけ方が本当に迷子の子供へのそれで恥ずかしい。

「あ、いや、ちがくて。ルエダさんを探してて…。」

恥ずかしさから声がつい小さくなる。

「ルエダ…。あー!ヴェメール・ルエダね。さっき講義で一緒になってたから、多分その辺とかにいるんじゃないかな?」

「本当ですか?」

「ちょっと待ってねー。」

そう言ってお姉様はキョロキョロ見渡し、校舎内まで見てくれる。

「あ、ほら、いたよ。」

そこには友人らしき人に囲まれたルエダさんがいた。

「私あの人と仲良くないから、ここまでで良いかな?」

「あ、ありがとうございます。」

いいえーと手を振りながらお姉様はお姉様軍団に戻っていく。

いつも入らないところに入るのはなぜか緊張する。いつも自然に出ている足が何となく変な気がする。

でも今はそんなことを気にしてる場合じゃない。

「ルエダさん。」

名前を呼ぶとこちらに振り返り、いつもの好青年の笑顔を貼り付ける。

感じの良い人。まさかこの人がマイを傷つけているなんて。そんなことを思わせる笑顔だった。

「…スイちゃん。どうしてここに?」

「ルエダさんにお話があって。」

そっかと微笑みながら私を見つめるその目は張り付いた笑顔からはみ出すように愉快そうだった。その愉快さを感じさせる瞳に寒気を覚える。

「僕もぜひスイちゃんと話したかったんだ。講義も終わったからちょうどよかった。」

行こうかと友人と別れを告げて校舎を出る。それについていくように横を歩いているとルエダさんが話出す。

「今日、マイとは一緒じゃないのかい?」

その言葉はどこか喜びを孕んでいた。

きっとマイが思い通りに動いたのが嬉しいんだろうな。そんな様子を感じ、冷ややかな目を向けてしまいそうになる。

「マイは今日お休みです。」

「そうなんだ。体調がわるかったのかな?」

驚いたようにとぼけるその様子に、隠した蔑視の感情が出てしまいそうになった。

あれだけマイが傷ついたのに。震えていたのに。この人は…。

「じゃあ、屋敷に戻ってるのかな?心配だから早く帰ってあげないと。」

「いえ、私の家にいます。」

「…君の家に?」

先ほどまでにこやかな笑顔を見せていたルエダさんの表情にひびが入る。

「ええ。ちゃんと家まで送るので心配しないでください。」

「ありがとう。マイにはちゃんと甘える相手を選ぶように言わないとね。」

微笑みを浮かべたその表情とは裏腹に瞳は見つめても見つめてもそこが見えないようなそんな恐ろしさを感じた。

「私はかまわないので、大丈夫ですよ。それより、最近マイの元気がないようで。ルエダさん、何か心当たりはないですか?」

「心当たりかぁ。そうだなぁ。強いて言えば、マイが許婚が誰か忘れてるようだから何度か注意したぐらいかな?」

飄々と答えるその姿に反省という言葉は存在しなかった。

彼はきっとマイの気が自分に向いてないのが嫌だった。好きな人に振り向いてもらえない、きっとそれは苦しいことなんだろうけど…。

「…そうですか。」

「あぁ、今日はその事を話しに来てくれたのかな?」

「そうです。」

「じゃあ、ちょうどマイは屋敷にいないみたいだし、僕の屋敷で話さないかい?誰かに聞かれたくないこともあるし、それに勘違いされてもお互い困るだろ?」

その言葉に周囲の目線がこちらに集まってることに気がついた。

「あれ、クィーンの許嫁の方よね?何でキングと?」

「まさか、浮気…?」

「キング、最低。クィーンという完璧妻がいるのに。」

…逆じゃない?ていうかみんながそんな感じなのもルエダさん嫌なんだと思うよ??

「…そうですね。お言葉に甘えて…。」

「かまわないよ。じゃあこっちだから。」

案内されるままついていく。

ついたのは大きな屋敷だった。その大きさ、まさにお屋敷。門をくぐると、庭というよりも大きな道が整備されていた。豪華な噴水に、生き生きと花びらを広げる花々。お屋敷と言われて想像つくまさにお手本のような家。ヴェメール家の莫大な富を感じざるをえない佇まいだった。

「凄いですね…。」

「そうかな?まぁ、ヴェメール家の長男の家だからね。このぐらいはないと。」

さも当たり前かのように話すルエダさんは、きっと周りにそうやって言われ続けてきたのだろう。自慢ではなく事実。それを言っているだけかのようだった。

屋敷の中に入ると使用人と思われる女性たちがルエダさんに頭を下げる。

「おかえりなさいませ、ルエダさま。」

「あぁ、お客さまがいるんだ。お茶とシロップを持ってきてくれ。」

「…かしこまりました。」

何か意味深にこちらに目を向ける、使用人の女の人に違和感を覚えながらルエダさんについていく。

案内されるまま部屋に入ると、椅子に座るように言われ、そのまま従うように腰をかける。

「ルエダさま、お飲み物お持ちいたしました。」

「ありがとう。」

使用人はカートを押し、テーブルにティーカップと何やら黄色いシロップを置く。ティーポットから紅茶が注がれ、その華やかな香りが鼻の中にひろがる。

一応、何か変なの入ってないか確認しておくか。そう思って認識を広げ、それぞれの物質の素材を確認する。

…なるほど。使用人のあの目の意味がわかった。

入れ終わると使用人は頭を下げ、部屋を後にする。

「このシロップは僕が作ったんだ。これマイもお気に入りなんだよ。」

ルエダさんはそう言いながら、そのシロップを私のティーカップに注ぎ、かき混ぜる。

「どうぞ。」

完璧な笑顔で紅茶を飲むように勧める。

「…ありがとうございます。」

そう言って紅茶に口をつけ、人工的な甘さを感じる。ルエダさんは私がそれを飲み込むのを満足そうに見つめ、口を開く。

「で、マイが最近元気がないことについてだったかな?」

ルエダさんが微笑みを湛えながら言葉を放つ。

「はい。」

「スイちゃんは何だと思う?」

試すように、揶揄うように聞いてくるその言葉に胸の中が不愉快にざわつく。そのざわつきを隠すように、ゆっくりと冷静に言葉を紡ぐ。

「…私が、マイの様子が変だと思う時、だいたい、ルエダさんが関わってることが多いです。」

「結構はっきり言うんだね。僕が原因だと思ってるのかな?」

「はい。」

私の返事に楽しそうに笑い始める。

「ひどいなー。僕は許嫁として、マイにそういう振る舞いを求めているだけだけど?」

「それが、マイを傷つけているんだと思います。マイはマイのペースで…」

「マイのペース?マイのペースで待っていればちゃんとマイは僕を見てくれるのかな?」

馬鹿にするように紡がれる言葉に彼の本音がのっているのがわかる。

「そんな来るかもわからないこと、待っていられない。なら、僕は僕のやり方でマイを振り向かせるよ。」

「でも、それでマイは苦しんでる。」

「仕方ないことだと思うよ?許嫁になったんだ。そのぐらいの努力をしてもらわないと。」

「やり方は他にないんですか?わざわざ傷つけるようなやり方じゃなくて、ちゃんと言えば…。」

私の言葉を鼻で笑い飛ばす。

「何て言えば良いんだい?許嫁なんだからちゃんと好きになってくれないと困るって?そんな惨めなこと言えるわけないだろ?」

「惨めだとは思わないです。」

私の言葉に先程まで笑って馬鹿にしていた表情に怒りの色が見え隠れする。

「君がどう思うかなんてどうでもいいかな?僕が僕にそう思うんだ。そんなの僕らしくない。」

「…マイに苦痛を強いて、自分は惨めだと思いたくないからそのやり方を選ぶんですか。」

「ずいぶんな言い方だね。」

その表情から笑顔が剥がれ落ちた。いつもは笑顔の鎧に包まれていた表情がただ冷酷に私を見つめる。

「僕は君が気に食わないんだ。突然出てきて、マイを振り向かせる。僕は別にマイを傷つけたいわけじゃない。君がマイの前からいなくなればそれで良いんだよ。」

「そんなの私は従わない。」

「君も勝手だね。そのせいでマイが傷つくのに。」

「傷つけてるのはあなたです。」

私の言葉に、不愉快そうに見つめながら黙り込む。しばらく沈黙が続き、ルエダさんがじわじわと笑い出す。

「本当にはっきり言うんだね。初めて会った時はただの可愛い女の子だと思っていたけど。」

ルエダさんの瞳が私を捉え、細められる。

「大丈夫かい?少し汗をかいているみたいだけど?」

その言葉に自分の首に触れる。座っているだけなのに首からは熱を感じ、薄く汗ばんでいるのに気がつく。

「…大丈夫です。」

「ならよかった。」

笑顔を浮かべるその表情は、張り付いたものではなく心の底から愉快だと表現しているようだった。

「…マイとの関係を変えるつもりはないんですか?」

体がどんどん熱くなってくる。額から汗がつたい、息が乱れ始める。

あのシロップ。その素材を見た時、ある薬品が入っていることに気がついた。研究室で生殖活動を強いられた時、何度か服用させられた。催淫薬だろう。

こんな危ないの市場には出回ってないはず。きっと医療機器メーカーのヴェメール社の跡取りだから手に入れられたんだろう。研究室の医療機器もほぼヴェメール社のものだったらしいし。

…こんなのマイに飲ませてるのか。

責めるように目線をルエダさんに向ける。

「ないよ。今回の件もちゃんと注意しないといけないと思っているし。まぁ、でも、もう必要ないかな?」

平衡感覚が無くなり、倒れないように背もたれに寄りかかる。

「きっと、マイは自分から離れていくよ。自分がした事を恨んで。」

そういうとルエダさんはゆっくりと立ち上がり、私を見下ろし、近づいてくる。その口は吊り上がり、思い通りことが進んでいるのに満足そうだった。

ぐったりとしている私の頬に触れて、声を弾ませる。

「ずいぶん辛そうだね?ここじゃ何だから、こっちにしようか。」

そう言って私の腕を掴み立ち上がらせる。平衡感覚がないまま立ち上がり、すぐにふらつく私をルエダさんが支え、ベットまで連れて行く。乱暴にベットの上に倒され、笑顔のルエダさんを見つめる。

「そんなに睨まないでくれよ。何も考えずについてきた君がいないんだよ?」

そう言って、私のネクタイをほどき、シャツのボタンを外していく。熱くなった皮膚に空気があたる。

「後悔しますよ…。」

紡いだ言葉に、ルエダさんが不意をつかれたように目を丸め、愉快そうに喉を鳴らす。

「後悔してるのは君の方じゃないかな?」

そう言って、ボタンを外し終える。私の体を眺めながらルエダさんが言葉を放つ。

「下着はもっと女の子らしいのを選んだ方がいいと思うよ。」

「…余計なお世話すぎる。」

その反応に楽しくてたまらないのか、笑顔が歪になる。その顔が近づき、首筋に柔らかい何かが当たる。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

朝、アマミさんと別れて、彼女のいうとおり、彼女の家で休ませてもらった。主人のいない部屋はどこか寂しく、冷たく感じた。温もりを求めるように彼女のベットに向かい、ブレザーと靴下を脱ぐ。

何となく緊張してしまい、そのシーツを撫でるようにシワを伸ばす。ゆっくりとベットに横たわり、布団を被る。

温かい。皮膚から感じる暖かさが胸にも広がるように凍ってしまった何かを溶かすようだった。

…安心する。これにくるまっていれば辛いことが起きないような気がした。

そんなことを思っていたらいつのまにか意識を手放していた。


目を覚ますと、ちょうど学校が終わる時間だった。

…アマミさんは生徒会長業務をやるのかしら。

だったら私も。彼女と距離を取ることになっても、私が副会長でいる限りその時間は一緒にいられるはずだから。

身だしなみを整えて、カバンを持つ。

彼女のいない部屋を出て、彼女のいる生徒会長室に向かう。


生徒会室に着き誰もいない事を確認する。イレアから今日の活動はないと連絡が来ていた。

それでも生徒会長への承認依頼は多く来ている。アマミさんはそれを処理しに来ているはず、そう思い、生徒会長室の扉を開く。

そこには誰もいなかった。少しの寂しさを覚えながら、少し待てば来るだろうと作業を進める。


…遅いわね。

先ほどの予想とは反して、彼女が来る気配がなかった。もしかして、私が家にいるから帰ったのかしら。

優しい彼女のことだ、そうなってもおかしくない。だとすると何も言わず家を出てしまった私を心配しているかもしれない。そう思い、生徒会長業務を切り上げ、とりあえず学生棟をでる。


「マイ?」

その声に反応し、目を向けるとアーリアが少し驚いたようにこちらを見ていた。

「身体大丈夫?スイちゃんが調子悪そうだったって言ってたから。」

気遣うようにこちらを見つめる友人に、胸が優しく包まれるようだった。

「ええ。問題ないわ。」

「そっかぁ。よかった。」

アーリアはいつものように微笑みながら、安心したように胸を撫で下ろす。

「それよりアマミさんを見なかった?生徒会長業務をやるのかと思って来てしまったのだけど。もしかしたら入れ違いになってしまったかも。」

私の言葉にアーリアが一瞬目線を地に這わすのを見た。

その様子に嫌な予感がした。こういう顔をするアーリアは何か悩んでいる時。アーリアは人間的に頭がいい。そんなアーリアが頭を悩ませるような事はだいたい良くないことがほとんどだった。

「何かあったの?」

眉間に皺が寄るのがわかる。私の様子に、悩むように黙り込み、いつもは優しく細められている瞳がこちらを射抜く。

「…言って良いのかわからないけど。マイの問題だから。」

そう言って、何か決めたようにアーリアが言葉を紡ぐ。

「放課後、スイちゃんが大学の場所を聞いてきたの。」

その言葉に心臓が掴まれたようだった。その痛みに浅く息を吸う。

「さっき、他の生徒がルエダさんとスイちゃんが屋敷の方に向かったって話してたの聞いたよ。」

「…っ!」

咄嗟に駆け出した私の腕をアーリアが掴む。

「マイ!スイちゃんは大丈夫、なんとかするって言ってた。」

アーリアの瞳から逃げるように目線を逸らす。優しい、私を心配してくれる瞳。優しい友人の気持ちを蔑ろにする言葉を放つ。

「…あの人を巻き込みたくない。」

アーリアの目線が注がれているのを感じる。アーリアの手が緩まるのを感じた。

「…なんとなく、そういうと思ってた。マイ?マイは悪くないから、自分を責めすぎないでね?」

そう言ってアーリアは掴んでいた手を離す。

優しい声だった。ずっと心配してくれてたのね。

「…ありがとう。」

「ううん。」

そう言っていつものように目を細め優しく微笑むアーリアを見て、答えるように微笑む。

早く彼女のところに…。

風を纏い、空を駆けてあの屋敷に向かう。


久しぶりにこんなに風を纏った。髪は乱れ、風に弄ばれる。

屋敷が目に入り、ルエダの部屋のベランダに向かう。

もしかしたら考えすぎなのかもしれない。アマミさんが説得して応じてるかもしれない。そんな微かな希望に縋るように、自分を落ち着かせる。

ベランダにつき、纏っていた風を解く。その風が部屋に入り込み、カーテンを揺らす。

胸にナイフが突き刺さったような痛みと衝撃。


カーテンが揺れ、隠していた部屋の中を露わにする。目に入ってきたのは、服が乱れベットに横たわるアマミさんとその首筋に顔を埋めるルエダだった。

それらを理解する前に、ナイフが刺さった傷口から吹き出すように嫌悪と怒りが湧いてきた。それは全身を冷たく支配し、思考を奪い去った。


無意識に風が私を取り巻き、窓の扉を無理やりこじ開けるように激しい風をそれに当てる。

大きな音を立てて、扉が開かれる。中にいたルエダが風に吹き飛ばされ彼女から引き剥がされる。

「…マイ。」

おぼつかない彼女の声にそちらを向くと頬が赤くなり、朧げな瞳で私を捉える。首のところが赤くなっている。ルエダが彼女につけた跡に渦巻いていた嫌悪と怒りが一緒くたになり増幅する。

「いたいなー。何をすんだよマイ。」

慌てた様子のないルエダを侮蔑しながら見つめる。

「彼女に何をしているの?」

「何って、辛そうだったから治してあげようとしただけだよ?」

テーブルを見ると、黄色のシロップが目に入った。

…彼女にあれを飲ませたのね。

息が荒く、汗をかいているアマミさんに近づく。辛そうに目を細める彼女に傷つけてしまわないように優しく触れる。

「辛そうだろ?僕が治してあげるからマイは外してくれるかな?友達に見られるのは恥ずかしいだろうし。」

紡がれる言葉に嫌悪感を増幅させながら、ルエダを睨みつける。

「今後、この人に関わる事は許さないわ。」

そう伝えながら彼女のシャツを締め、抱き抱えるようにアビリティを使い持ち上げる。

「今日はスイちゃんが訪ねてきたんだよ?マイを傷つけてるのは僕だって。嫌だったら、スイちゃんが離れてくれれば良いって伝えたんだけどそれはやだって。わがままだよね?」

呆れたようにため息をつきながら紡がれる言葉を聞き、アマミさんを見つめると漏れる息に混じってごめんと謝罪の言葉が吐き出された。

あなたはいつも…。あなたは悪くないのに謝る。私はそれが嫌だった。巻き込んだ私がいけないのに何であなたがそんなに辛そうな顔をするの。

優しすぎるこの人をこれ以上ここにいさせたくなかった。彼女の肩と足を他の物から守るようにしっかりと抱き抱える。ベランダに出て風を纏う。

「マイ?どこに行くんだい?」

焦った様子もなく、揶揄うように聞いてくるルエダに嫌悪感を感じる。

「まぁ、どこに行くにせよマイは僕のところに戻るしかないんだ。でも、帰ってきたら覚悟しておくんだよ?僕も流石に腹が立っているから。」

その言葉に息が止まり、唾を飲み込む。震えてしまいそうになる手を、彼女の感触を確かめてどうにか抑える。

アマミさんの朧げな瞳が心配そうにこちらを覗いていた。

まずはこの人を安全なところに。

そう思い、風に乗り、彼女の家に向かう。


空を駆けていると風が冷たく頬を滑る。そのせいか余計にアマミさんの熱を感じてしまう。いつものように温かい温度ではなく、溶けてしまいそうな熱さ。

私のせいで…。一番恐れていたことだった。強くしなやかなこの人が私のせいで傷つく。傷付きすぎたこの人に、これ以上傷を負ってほしくなかった。

いや、どこかわかっていたのかもしれない。私の弱さを見せればこの人は私を助けようとしてくれると。その温かい大きな手で私を引っ張り上げてくれるんじゃないか。そう思っていた。

…その結果がこれだ。最悪の結果。彼女の優しさと強さに甘えてこうなった。私は最低だ。

その結論に自分への嫌悪感を抱き、顔を歪ませる。

頬に熱を感じた。ふと目線を下げると、辛そうに、でも困ったように笑うアマミさんがいた。

「マイ、ごめんね?でも、大丈夫だから。何とかするから。」

私の弱さがこの人を傷つける。決別しないといけない。弱さからもあなたからも。

そう思うと言葉が喉に張り付いて思うように言葉が出てこない。

「…っ。いいの。アマミさんは悪くない。これ以上は大丈夫。」

「…だいじょばないから。」

そういうと頬に触れていた指が離れていく。疲れてしまったのか、いつもの宝石のようなエメラルドグリーンの瞳は濁ったまま虚空を見つめる。

まずはこの人をイレアのところに。急いでアマミさんのマンションへ向かいバルコニーに降り立つ。

部屋に入り、ベットに下ろし、イレアに連絡しようとビジョンを開くと、アマミさんが待ってと制止する。

「メディカルチェックをしたいから…。イレアに連絡はまって。」

ベットから立ち上がり、まだ平衡感覚が戻らないのかふらつく身体を慌てて支える。

照れたように微笑む彼女の姿に胸が痛んだ。

「…どこに行くの?」

「機械室。一つ下の階。」

「連れて行くわ。」

「…ありがとう。」

ふらつくその身体を支えるように寄り添う。近くに彼女を感じるとわかる。熱をはらむ吐息と、柔らかな肌に張り付く汗、朧気な瞳。

普段の様子からは想像できない姿に、胸が不意に高鳴る。

あれ以上、ルエダに触れられなくてよかった。安堵の感情の中アマミさんの滴る汗をまだ追うと首筋の赤い跡が目に入る。

拒絶反応がついアマミさんを支える腕に伝う。

突然強くなった力に、アマミさんがこちらを向く。

瞳を薄く張る膜に心配そうに私を見つめる目線。

「…マイ?」

「なんでもないわ。」

「…そっか。」

ふにゃりと笑う彼女は何か気づいていても踏み越えてこない。熱い呼吸を繰り返すアマミさんを支えながら、機械室にたどり着く。

そこにはたくさんの機材が並んでいたが、無機質で冷たい場所だった。

アマミさんの言うまま、一人分が横になれるカプセル型の機械の近くまで向かう。アマミさんがディスプレイを操作し、その機械を起動させる。カプセルの透明な蓋がその中へ誘うように開かれる。

アマミさんがおもむろに服を脱ぎ始める。

熱を帯びた体は、いつもの健康的な印象から艶美な雰囲気を纏っていた。

下着になり、慣れたようにそのカプセルに滑り込む。

「10分ぐらいで測定されるから。」

「…待ってるわ。ここで。」

そっかと微笑むと、そのカプセルは彼女を外の世界から隔離に蓋を閉める。機械が自動的に彼女腕や首に巻かれる。

アマミさんは毎日これで測定をしているのね。人類の進歩がどれほど進んでいるのか毎日数値化される。きっと彼女にとってはもう当たり前のことなのだろう。

このカプセルの中にいる彼女はどこか遠くいるようで、窮屈そうで、それがなぜか怖かった。この蓋はもう開かないのではないかと不思議な感覚に陥る。


10分経っても蓋は開かれず、不安になりディスプレイを見ると異常値という文字が赤く記されていた。

どうすれば良いのかわからず、アマミさんの表情を見る。胸の奥で何かがざわつき、鼓動を走らせる。

その時、カプセルから機械音が鳴り、測定終了の文字が浮かび出される。彼女をこちらの世界へ戻すように蓋が開かれる。

それに気がついたのか、アマミさんが目を開ける。

体を重たそうに起こし、額の汗を拭う。

「お待たせ。」

「…大丈夫なの?異常値って出ていたけれど。」

「うん。思惑通りって感じかな?」

おどけたように笑うその笑顔とは裏腹に何かに怯えるようにその手が震えていた。

その震えの理由がわからずアマミさんを見つめると、その手を隠すように言葉を紡ぐ。

「…そろそろこの気持ち悪いの治したいからシャワーにでも浴びてくるよ。」

「シャワーで治るの?」

「私はね。身体の中の異物を除くだけだから。」

そう言ってカプセルから出るアマミさんを支えながら、部屋に戻る。

「じゃあ、シャワー行ってくるね。もしかしたらイレアが急いで帰ってくるかもしれないから開けてあげて。」

そう言ってお風呂場に向かうアマミさんを見つめながら、これからの事を考える。

このまま帰ったら、怒ったルエダに何をされるかわからない…。きっと昨日よりも酷いことが待っているのだろう。それを考えると不快感と恐怖が視界を狭くさせる。

帰りたくない…。

そんな弱音がポツリと胸の中で広がる。

でも、これ以上彼女と関わると、私も彼女も傷つくことになる。

諦めるしかない。彼女に助けを求めることも、一緒にいることも。

苦しくて切ないそんな決断を決めかねていると、玄関が開く音がした。駆け足でリビングに入ってきたのはイレアだった。

「スイっ!」

ひどく慌てた様子だった。走ってきたのだろう髪の毛は乱れ、いつもは綺麗に着こなしている洋服も崩れてしまっている。何よりいつもの冷静さは影を隠して、焦燥感に染まっていた。

「…イレア。」

「マイ?何でここに?」

息を弾ませ、困惑している様子に説明をしなければと、言葉を選ぶがどれもすんなりと喉から出てくれなかった。

「スイは?」

「今、シャワーを浴びてるわ。…ルエダに薬を飲まされてしまったから、それを出すと言って。」

自分の責任を感じながらイレアから目を逸らす。

「…どういう事?」

理解ができないのか、眉間に皺を寄せ説明を求めるイレアに順序立てて説明する。

「実は…」


説明を終えて、椅子に腰掛けているイレアの顔を見ると怒りと焦り、そしてどこか傷ついた様子だった。眉間に皺を寄せ薄い唇は固く閉ざされている。痛みに耐えるように目は細められ、それを隠すように片手で覆う。口がゆっくりと開かれ、溜息が漏れる。

その時、シャワーから出てきたアマミさんが湯気と共にリビングに入ってくる。

その表情は先ほどとは違い、いつも通りの柔らかい表情だった。足取りもしっかりしている。

ちゃんと薬を出せたのね。そう思い、胸を撫で下ろす。

アマミさんは目を覆うイレアを凪いだ瞳で見つめ、静かに口を開く。

「…イレア、おかえり。」

その言葉にイレアが息を呑むのがわかった。

「…おかえりじゃないわ…!あなた、わかっているの…?」

「うん。わかってる。ちゃんと説明するからちょっとまって。」

イレアの様子に撫で下ろした胸が再び不愉快にざわめく。どうしたのか、アマミさんを見つめるとこちらの目線に気がつき優しく微笑む。

「マイ。今日はうちに泊まって行って?今帰るとルエダさんに何されるかわからないから。」

「でも…。」

「大丈夫。諸々なんとかするから。」

ね?と微笑むアマミさんにどうすれば良いのかわからず、その優しさに首を縦に振る。

「よかった。じゃあ、お風呂入ってきな?私の汗とかついちゃったでしょ?」

ごめんねといいながら、着替えとタオルを用意してくれる。

じゃあ、ごゆっくりとリビングの扉を閉められる。きっとイレアとの会話を聴かれたくないのだろう。その疎外感に背中が冷たくなるのを感じた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「イレア、どこまで聞いた?」

疲れが滲み出ているイレアに問いかける。

顔を歪ませ、傷ついたように目を細めるその姿に胸が痛む。

イレア、ごめんね。またそんな顔させて。

「…マイがルエダに罰を受けたこと、ルエダがスイを襲いそうになったこと、測定で異常値が出たこと。」

「じゃあ全部聞いたんだ。」

イレアの黄色い瞳が責めるように、傷ついたようにこちらを見つめる。

「何でこんなことをしたの…?わかってるの?異常値がでて、研究室にも送られてるのよ。」

「うん。そのために先にメディカルチェックをしたんだもん。」

「…何でよ。」

吐き出すようなその疑問が私の胸を掠める。

「…マイとルエダさんを引き離すために。」

イレアは黙って次の言葉を待っている。

「本当はルエダさんがマイを大切にしてくれれば良かった。けど、話してもわかり合えなくて、きっとこのままルエダさんはマイをコントロールして生きていくんだと思った。だから二人を引き離そうと思ったんだ。」

「それで異常値を…?」

「うん。紅茶の中に薬を入れられたのはわかったし、そうじゃなくてもきっとルエダさんなら私に何か仕掛けてくると思ったから。」

そう、前にアルバードさんと話した時、言っていたことを思い出したんだ。ルエダさんが私に変な絡み方をしていたと。きっとマイといる私が気に食わないんだと思った。だからもし、話し合いに失敗しても、何か仕掛けてくるだろうと踏んだ。そうしたらマイが自分を責めるとわかっていて。

「今の私へ薬の投与はイレアでさえも認められてないでしょ?熱が出ても、メディカルチェックの上、研究室に申請しないと風邪薬すら自由に飲めない。そんな私が薬を盛られたら?その原因を探って、過保護なみなさんはそれを私から遠ざけようとするはずだから。」

それが自分の利用方法。

あのシロップの正体がわかった時、好都合だと思った。

人類唯一のダブルアビリティ、人類の進歩が薬を盛られる。物理的に戦う、傷を作るのとは意味合いが大きく変わってくる。

研究者の皆さんはきっとその意味合いがちゃんとわかるはず。身体を中身からいじられる。人類の可能性を秘めた私の体を自分たち以外がイジるなんて彼らは許せないはず。

少なくとも盛った相手に罰を与えようとするだろう。

「それはわかったわ…。異常値がでることはマイとルエダを引き離すために必要なことだった。でも、異常値が出たのよ?これから何が起きるかわかっているの?」

「…うん。多分、明日にでも研究室に呼び戻されるね。」

わかっていた事を口にするだけで、震えてしまう体が嫌になる。これだけの恐怖をこびりつけられたあの施設に戻る。頭で理解していても、身体が拒絶しているんだ。

「わかっていて、なんで…?」

イレアのか細い声が、ことの大きさを物語る。

「…見つかんなかったんだよ。方法が。」

イレアの握られた指先が白くなるのを見つめる。

「でも、一時的な異常値だからさ。すぐに帰れるんじゃない?」

「…そんなの!わからないでしょう?!」

おどけたように話す私に、イレアは吐き出すように言葉を発する。

「…あの人が外が危険だと判断したら…?もう、学校に通わせるのを中止するといったら…?やっと、普通の生活を手に入れかけたのに…!」

傷ついたように、悲しみに溢れた言葉達はイレアの口から吐き出される。

「万が一にもそんな可能性作らないで…。」

「…ごめん。」

こんな謝罪じゃ足りないのなんてわかっている。それでもできるのはこのぐらいだった。

その謝罪に両手で顔を覆い、私から目を背ける。震える唇でイレアが言葉を紡ぐ。

「…もし、今回の件で私があなたのそばにいられなくなったら、私はずっとあなたを許さないわ。」

「ごめん。」

私の謝罪に両手を下ろし、息を振るわせる。イレアの顔は傷ついたように強張ったままだった。

「…それだけじゃない。もし、マイが間に合わなかったらどうするつもりだったの?」

イレアが立ち上がり、私に近づきそっと首に触れる。こんな跡までつけられて…ボソっと呟くイレアに胸が締め付けられる。

「…マイが来る方が想定外だったよ。」

もし薬を盛られなかったら、そっちの方が目的だった。

「…最後までするつもりだった。」

私の言葉にイレアの喉がヒュウと鳴るのがわかった。

「きっとルエダさんなら、私にそういう事をするだろうと思ってたから。きっと私に真っ向から勝負は挑んでこないと思うし、私を傷つけるならそういう事だと思ったから。」

イレアの顔が見れない。きっとすごく怒ってると思う。その重さが肩にのしかかる。

「それならそれで良いと思った。生殖活動も、決められた相手だけ許される。ましてや15歳で身籠る事をあの人たちは許さないでしょう?」

私は、手足を切られても潰されてもメンタルアビリティを自分の体に使って再生することができる。逆に元々持ち合わせていないものも、作ることができる。それを使って私の生殖活動は性別を超えて、繁栄させるもの。まだ未成熟な私の体を身籠らせるほど、彼らは無謀ではなかった。

だから私は男性との生殖活動はしたことがない。そんなタブーを軽々超えるような事、それも私の意思を飛び越えて、そんなの彼らが許すはずがない。

それに、彼らは自分たちのプランを台無しにされるのが何よりも嫌がる。

だからこそ、イレアは頻繁に私の好みを聞いてくるんでしょう?管理下以外の誰かとそういう関係にならないように。

「…何をしようとしていたか、わかっているの…?」

イレアの声が震えている。その声に手を握り罪悪感を紛らわせる。

「わかってるよ。流石にやりすぎだったと思う。あのまましていたらルエダさん、きっと、とんでもない目に遭うところだった。」

薬を盛るのと、してしまうの。きっと彼らの怒りは圧倒的に後者の方が高い。あの程度の薬物で体が大きく変わることはないだろうけど、後者は大きな影響を及ばす。

そんなことを考えているとお風呂場の扉が開くのに気がついた。マイがリビングに戻ってきたんだ。とりあえずこの話は一度切り上げよう。

「イレアも怒られるかもしれなかったし、それはごめ…」

話を終える前に頬に痛みが走った。右頬が熱くなった。

イレアに叩かれたのだと気がついた。予想外の事に思考が止まる。

「…っ!そんなことどうだって…っ!」

言葉を詰まらせ震えるイレアを恐る恐る見上げる。イレアの傷ついた表情は限界を迎え、眉頭を上げその瞳からはポロポロと雫が伝う。

「あなたはわかってない…。何で伝わらないの…?少しずつ伝わっていってると思ったのに。」

「イ、イレア?」

伝わらない?なにが…。

イレアの様子に思考がパンクしそうになる。

「…伝わらないなら、何度でも伝えるわ。」

溢れる涙を拭き、意志の強い瞳でこちらを捉える。

「スイ、私はあなたが大切なの。お願いだから、もっと自分を大切にして。」

その言葉に胸がジクリと痛む。

…でも、私は、大丈夫なんだよ?痛いことも、怖いことも、気持ち悪いこともたくさんあったけど、私は大丈夫だった。イレアがそんなに傷つくことは無いんだよ?

思いつく言葉は、口から出ることはなく腹の中に渦巻くだけだった。だって、イレアが私を叩いた手を酷く痛そうに隠すから。

「…ごめん。」

何度目かの謝罪にイレアが目を伏せる。

「イレア、ごめんなさい。」

言葉を発したのはマイだった。イレアがゆっくりとマイを見つめる。

「私がアマミさんを巻き込んでしまったの。」

「マイ…。」

イレアの手が硬く握られるのを見つめる。何かを考えるように目線が下に向く。イレアは薄い唇に歯を立て、何かを耐えるように食いしばる。

「マイは悪くないわ。それに…。」

イレアがこちらを見つめる。その黄色い瞳は研究室でよくしていた自分を責めるような瞳だった。

「スイもごめんなさい。叩いてしまって。」

「あ、いや、イレアは悪くない…。私がまたイレアを傷つけちゃって…。」

また、やってしまった。しばらくあの瞳はしていなかったのに。

罪悪感と自己嫌悪でイレアから逃げるように目線を逸らす。

サラサラと髪が撫でられるのを感じる。きっとイレアが撫でてくれてる。イレアが許しているということを伝える時の行動だった。

「マイ、ありがとう。スイが危ない目に遭う前に駆けつけてくれて。」

「…元はと言えば私のせいだから。」

「それでも。ありがとう。」

そういうイレアは大人の笑顔を頬に浮かべる。あぁ、また、イレアにそんな顔をさせてしまった。その横顔を見るのが辛かった。

「とりあえず、これからのことを3人で話さないと…。」

イレアが話している途中、イレアのビジョンが着信を知らせる。その画面を見た時、イレアの顔が歪んだのを見た。

きっと室長からだろう。

そう思った瞬間勝手に体が震え始める。抑えるように震える腕をもう片方の手で強く握る。

私はいつもそう。強がってカッコつけるけど結局恐怖に打ち勝てない。ダッサイなぁ。

強がりでしかない自嘲が頬を歪ませる。

イレアが部屋から出て、その電話を取る。それを横目で見ながらその震えを抑えようと必死に腕に力を込める。

固く力が込められた指先にひんやりとしたものが触れた。マイの指が触れていた。

「アマミさん…?」

マイのラベンダー色の瞳がこちらを覗き込む。その瞳に目を奪われる。

マイの瞳はいつだって綺麗なんだ。澄んでいて、真っ直ぐ。不器用にただ進んでいくマイを表したようなそんな瞳。どうかその瞳が曇らないように、曇らせないように。

「どうしたの?」

マイの形のいい唇が不安げに揺れる。

ダメだと思った。この子が不安そうにしている姿を見ていたくないと思った。

私の手に触れるマイの指を見つめる。細くて白くて華奢な指。そんな指が私を支えようとしている。

折れてしまいそうだなぁ。私の弱さをこの子に押し付けるには重たすぎる。マイの指先を押し返すように触れる。

「大丈夫。イレアが戻ってきてからまた説明するよ。」

「…そう。」

そう言ってラベンダー色の瞳が下を向き影を落とし、マイの艶やかな髪型サラサラと落ちていく。その髪をただ見つめる。

大丈夫。きっと。数日もしたらマイは元気になってるはず。きっと。マイを縛るものから解放されて前を向いているはず。

そう思って行動しているのに。何度も保険をかけて動いているのに。ダメだった時の可能性が少しでもあるだけで足がすくむ。

…もう動いてしまったんだ。私が選んだ。マイの人生に大きく関わることを。何があっても後悔しない選択をしないと。選択したことを正解にしないと。

そんなことを考えていた時、廊下からイレアの声が聞こえる。どうやら何か揉めているようだった。

「…ちょっと様子みてくるね。」

「ええ。」

マイの瞳が心配そうに私を映す。少しでも安心して欲しくて笑顔を作るが、どうやらその不安は拭えなかったようで、逃げるように目を逸らされる。

廊下に出ると明かりがついてないからか、静寂が頬に触れる。その寂しさの中でイレアの話し声だけが響いていた。

「しかし、私は彼女の監督者ですので…。」

険しい顔と珍しく切羽詰まった声。その様子に寒気を感じる。

「彼女一人で行くより、私も一緒に…。」

あぁ、一人で来いって言われてるのか…。

口に溜まった唾を飲み込む。

私が選んだことだ。ここで逃げていられない。

電話をしているイレアに近づき、音を出さずに大丈夫と伝える。イレアは眉間の皺を濃くして、私から目を逸らす。

「まだ、彼女は一人で行けるような…。」

それでも説得してくれようとしているイレアの腕に触れ、微笑みながらもう一度大丈夫だと伝える。

イレアの顔が耐えるように歪む。

「…っ。わかりました。では明日早朝ですね。お待ちしております。」

電話を切ったイレアは、目を細め口を固く結んでいた。手は耐えるように強く握られていた。許すようにその手を優しく触れる。

「イレア、ありがとう。研究室から?」

「…ええ。事情を説明したら、大した異常ではないだろうと言われたわ。」

「そっか。よかった。」

「ただ、内容が内容だから本人への事情聴取と、念のための精密検査を行う事になったわ。」

イレアはつらそうに眉間に皺を作ったまま、目線を地に這わす。

「うん。」

辛そうにするイレアに罪悪感を抱きながら、隠すように微笑む。

「私が行くとあなたを庇うから、正しい事情聴取ができないと言われて。明日早朝に迎えに来るそうよ。終わり次第、送ってくれるとも言ってたわ。」

「そっか、そっか。じゃあ、明日中に帰れそうだね。」

笑顔を作る。確か笑顔はこんな感じ。頬を上げて、目を細める。何度もやってきた事だから、作るのが随分上手くなったと思う。

「…一人なのよ?」

「うん、わかってる。」

怯えを出さないように。声を震わさないように。穏やかに振る舞う。

イレアはまだその握った手を解こうとしない。

「イレア?戻ろう?マイが心配してるよ。」

わかったわと呟くイレアを確認して、背を向ける。背中でイレアの視線を感じながら、気付かないふりをする。

ごめん、イレア。その心配に気がついちゃったら甘えてしまいそうだから。これは私が選んだこと。今更、誰かに甘えるなんて許されない。それが例えイレアでも。

リビングに戻ると、マイが心配そうにこちらをみていた。

「ごめん、お待たせ。」

言葉なく首を横に振り、大丈夫だと教えてくれる。心配が揺れるその瞳に安心するように微笑みかける。

「マイ、これからなんだけど、急激に話が進み始めると思う。」

「…急激に?」

「うん。」

理解ができないように眉を顰めるマイに少し不安になる。これから言うことは私が自分勝手に決めたマイの事。勝手に決めないでと、私の努力を無駄にしてと責め立てられるかもしれない。それでも、もう、事を起こしてしまった。まずは説明をする責任を果たさないと。

「端的に言うと、おそらくルエダさんは断罪される。少なくともヴェメール社の跡取りにはなれないと思う。」

「…ルエダが…。」

ことを理解しようとマイのラベンダー色の瞳が何かを追うように揺れる。

「うん。最悪ヴェメール社にも打撃がいくだろうね。そうならないように頑張るけど。」

これはルエダさんの問題だから。ヴェメール社で働いている人は関係ない。

マイは言葉の続きを黙って待ってくれる。

「今日の件、研究室はルエダさんを許さないと思う。私への無許可での薬物投与や強姦未遂。薬物の投与も性行為も私の場合研究室、室長に許可をもらわないといけないんだ。それを私の意思もなく強制的に行おうとした。少なくとも管理局はヴェメール社に対してクレームを入れるはず。最悪取引の全てを他の企業にお願いするかもしれない。」

マイが唾を飲み込むのがわかる。なかなかショッキングな内容だもんね。そしてこれをまとめると一つの事実になる。

「つまりね、今まで描いていた二人の将来を私が壊したんだ。」

その重い事実は言葉になってその空気を支配する。

「勝手なことをしてる。今までマイが我慢してたことも、周りの期待も私が全て台無しにした。恨まれても、責められても仕方ない。全部私がいけないと思う。」

まっすぐにマイを見つめる。ここで逃げちゃいえない。

動揺しているのかマイのラベンダーの瞳がきゅうと小さくなっていた。

「勝手なことしてごめん。私が嫌だった。マイがあんな顔をするの。マイがこれからも誰かに支配されて生きていくのを想像するのが。自由に選択するあなたをみたいと思った。息苦しそうにするあなたじゃなく、縛られず自分の意思を行動に言葉にするあなたを見たい。これも私の勝手な思い。」

でも、これでルエダさんはもう許嫁としてマイに何かを強いることができない。社会的地位を振り翳していた彼からそれを取ったらもうマイを傷つけることはできないはず。

「だから、考えて欲しいんだ。マイ自身のこれからのこと。何が大切でどうしたいか。」

本当に勝手だと思う。自分が嫌だから人の将来を変えてしまった。だから、それ相当の罰と責任を取らないといけない。

「もし、マイの中でその答えが決まったら私がそれを叶える。私の存在価値と能力を全て利用して。」

これは私の決意。もう、マイにあんな顔して欲しくないから。

「この選択を私は全力で正解にする。」

マイは息を呑み、言葉を詰まらせる。膝の上に重ねるように置かれた両手はキュウと握られていた。

急に言われても困るよね。

「でも、その前に研究室に行って検査を受けてこないといけないんだけどね。」

おどけるように笑って伝えると、マイが心配と動揺の間の顔をしてこちらを見つめる。

「検査?」

「うん。さっき出た異常値は薬物投与の証拠なんだ。測定後自動的に研究室とイレアにデータで送信されてる。で、異常値がでたら研究室で精密検査を受けなきゃいけないんだ。」

「…大丈夫なの?」

その目線がイレアに行くのがわかった。イレアはわかってる。久々に研究室へ行くのがそれだけで終わらないと。おもちゃが帰ってきた子供たちがただで返すわけがないと。

仕方ない。これは罰だから。勝手に人の人生変えた罰。

イレアが言葉を悩んでるのが背中越しに伝わる。

「大丈夫だよ。検査を受けるだけだから。終わり次第戻れるからさ。」

イレアの様子と私の言葉に戸惑っているマイを見つめながら話を変える。

「それより明日、マイ学校を休んでほしいな。ルエダさんが何するか怖いし、私検査でいないからさ。明日イレアと家にいて欲しいかな。」

「それはかまわないけれど…。イレアはついていかないの?」

「ええ。私は来るなと言われてしまったわ。スイを庇って事情聴取がうまく進まない事を懸念しているそうよ。」

「イレア、私の代わりに説明してくれるから。私から聞きたいんだと思うよ。」

「そう、なの。」

本当に大丈夫なのかとマイがイレアを見つめる。不安そうな眼差しに口を開こうとした時、イレアが答える。

「検査と事情聴取であれば明日には帰って来られるはずよ。夜になっても帰ってこなかったら迎えに行くから。」

それはマイに向けてではなくて私に向けての言葉だった。その言葉に振り返りイレアを見つめる。

「良いわね?」

そう言って呆れたように笑いながら話すイレアに頬が緩む。

「うん。ありがとう、イレア。」

「本当よ。勝手なことして。」

大きいため息をつきながらイレアは文句を言う。いつもの会話に戻ったみたい。それが嬉しくて安心した。

「ごめんて。」

その様子に困りながら笑うと、イレアも頬を和らげ微笑んでくれる。

「じゃあ、今日は明日に備えて寝ましょうか。」

「うん。」

「部屋に戻るわ。二人ともおやすみなさい。」

イレアの言葉に二人でおやすみなさいと答える。イレアが部屋を出ていく音を聞いたあとマイに声をかける。

「マイ、よかったら私のベットで寝てよ。私ソファで寝るから。」

「悪いわ。アマミさんが自分のベッドで寝てちょうだい。」

「え、私のベッドで寝るのやだ?」

「そんなことはないけれど…。」

「じゃあ、マイはそっちで寝て。私このソファお気に入りだからさ。」

申し訳なさそうにこちらを見つめるマイに微笑む。

流石に強制的に泊まらせといてソファで寝させるわけにも行かないからね。

マイは何やら思いついたように真面目な顔で口を開く。

「…一緒に寝ればいいんじゃないかしら。」

「それでもいいけど、せっかくだから広いベッドでゆっくり寝なよ?疲れてる顔してる。」

「…。」

私の言葉にマイが自分の頬を触れる。

今日はマイにとってたくさんのことが起きた。ていうか私が起こした。色々考えることもあるだろうし、“罰”のことを考えると近くで人が寝るのは休まらないんじゃないかと思う。

それに…。

困っているマイの背中を押しながら寝室に向かう。

「ほいほいー。気にしなくていいからゆっくり寝てよ。」

マイはされるがままベッドに腰掛ける。

少し悩んだ末にマイはゆっくりと言葉を紡ぐ。

「…ありがとう。」

「いいえ。じゃあ、おやすみ。」

「おやすみなさい。」

マイの言葉を聞いて寝室を出て、扉を閉める。

私の背中にベッタリと張り付いていた恐怖が滲み出るように私の体を支配する。マイと一緒にいたらこの弱さも見せることになる。だから一緒に寝ることはできなかった。

支配する恐怖から自分を守るように体を抱きしめ、しゃがみ込む。

怖い。明日が来るのが怖い。

久々だった。研究室では、先の研究内容はあらかじめ決めており、それに合わせて私の体調管理を行う。私はそれで次の日の研究内容を予測していた。不快なものや苦痛を伴うものそれらが行われる前日は、今みたいに明日に震えていた。

その恐怖に慣れ始め何とか立ち上がり、ソファに横になる。

恐怖が身体を取り囲むようにピタリと抱きつく。目を開けたらそれと目が合いそうで、体を伸ばしたら当たってしまいそうで、目を固く閉じ体を丸める。

こういう時は早く意識を手放す方がいい。どれだけ時間をかけても、この恐怖に勝てたことはない。それならその恐怖が目の前に現れる時を今か今かと待つより、意識を飛ばしてはやめた方が良い。

そんな事を考えながら意識を手放した。

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