選択
こんな不快な朝は久々だった。
頭は痛み、喉は渇き、瞼も重たい。目は覚めたがその不快さに瞼を開ける気力はない。鼻からする安心する香りと、アルコールの甘い匂い。後者は自分から出てるものだろう。
これは完全に二日酔いね。
何となく身じろぎをすると肩や背中にサラサラと布が覆い被さっている感覚を理解する。
なるほど、酔っ払って帰ってきてお風呂にも入らず服だけ脱いで寝てしまったのだろう。
確か、昨日、21時になってもスイからメディカルチェックの結果が送られてこなくて、帰るか悩んでいたらイヴァンさんにもう一軒誘われて…。
ダメだわ…。思い出すのは頭痛が引いてからにした方がいいわね…。
身体に溜まったアルコールを吐き出すように鼻から息を大きくはく。そのまま息を吸い込むといつもの、安心する…。
やっとその匂いの存在と自分の腕が強く抱きしめている体温に気がつく。
もたついている瞼をゆっくりと持ち上げ、目線を下げると見慣れた白銀の髪があった。
「…スイ?」
「あ、イレア起きた?おはよう。」
スイのその声は何かに押しつぶされているようにくぐもっていた。何かではない、私の腕だ。
スイを後ろから抱きしめる形で寝ていたのだ。よほど強く抱きしめながら寝ていたんだろう、スイの髪やほっぺがぐちゃぐちゃになっていた。
…これは、一体…?
下着姿の私がスイを抱きしめて寝ている。いや、寝ていた。理解が追いつかず、昨晩の事を思い出そうとしても朧げにしか思い出せず、頭痛が襲ってくる。
「イレア?水飲む?」
「…ええ。」
「取りに行ってくるね。」
私の返事を聞いてそう言うと、私の腕をポンポンと叩き、取ってくるよ?と緩めるように問いかけられる。思い出したように腕を開き、スイがそこからいなくなる。そこにあった体温がなくなり、それを埋めるように布団を被り直す。
「はい。」
渡されたコップを素直に受け取り、水を飲む。スイを見ると体をほぐすようにその場でストレッチを行っていた。まだ覚め切らない頭でその姿をぼーっと見ているとスイが私の顔を覗き込むように見つめる。
「まだ、酔っ払ってる?」
「…少し頭が痛くて、ぼーっとしてしまっただけ。」
「二日酔いってやつ?」
「…そうね。」
「もうちょっと寝る?」
「…今何時?」
「10時過ぎくらいだよ。」
いつもより随分寝坊してしまった。寝ている場合じゃないわ。スイのメディカルチェックの準備をしないと…。
だるい体を動かしかながら、起きようとするとスイが肩を抑えてそれを静止する。
「トレーニングだったら一人でできるし、メディカルチェックも昨日のだったら私一人で充分だよ。」
「昨日もあなた一人でやらせてしまったから。二日酔いでできないなんてこと、許されないわ。」
「良いじゃん別に。これまでずっとつきっきりだった方がおかしいんだよ。夜はしっかりやるとして、今はもうちょっと寝てなよ。」
ほら、というと半ば強制的にベットに横にさせられる。
「頭痛いんでしょ?だるそうだし、寝てなよ。」
「でも、できないわけじゃ…。」
「良いから。私もいつまでもイレアに頼りっきりじゃいけないからさ。任せて。」
ま、簡易的なやつしかわからないんだけど、とおどけたように笑うスイがまた遠くに感じた。いつのまにかあなたはどんどん大人になって、私から離れていくのね。
胸の痛みをただただ感じながら、布団を握りしめる。
「わかった。お願いするわ。」
「うん!」
笑顔を浮かべて返事をするスイを見ていると苦しくなった。この痛みが胸からなのか、頭からなのか、わからなかった。逃げるように瞼を固く閉じ、眠りにつく。
2度目の目覚めは、朝ほど不快ではなかった。
二日酔いなんて初めてだった。そもそもお酒を飲んで記憶を飛ばすなんてことありえないと思っていた。
痛みの引いた頭で昨晩のことを思い出す。
ホテルでイヴァンさんと今回の事件について話した。お互いの私見を述べて、間違いなくスイが狙われてると意見が合致した。おそらく、スイの才能を恐れた何者か。スイの命を狙っての行動。
やっと、外に出られたのに。なんであの子ばかり辛い目に遭うのだろうか。
…なんで、なんてわかりきったことね。
全てはあの才能。誰もが羨む才能は突き抜けすぎてしまって、あの子だけのものではなくなってしまった。奇跡を集めたようなあの子は、平凡な暮らししか望んでいないというのに。
ジル中佐の事件からはこれ以上の情報を探れないと結論づけ、イヴァンさんがリギュウル王国に偵察部隊を秘密裏に送るように動いてくれることになった。あの子はイヴァンさんを警戒しているけれど、頭も切れる大切な協力者で頼りになる人だった。
偵察部隊の報告についてはまた、今回のように裏での話し合いをすることで決まった。
そこまでは確かに覚えている。問題はここから。
約束の時間になっても、メディカルチェックがスイから送られてこなかった。まだ、マイといるのかと思い帰るのが躊躇われた。その様子を見たイヴァンさんから二軒目のお誘いをもらって、繁華街に移動して、イヴァンさんから元気がなさそうだと言われた。ついお酒の勢いで昨日あったこと、スイが大人になっていくこと、それを嫌だと思っている自分がスイの近くにいること。そんな事を話しているうちに、意識が混濁した。
そしていつの間にか今朝だった。
覚えているのは、スイが来てくれたこと…。それが嬉しくて安心したのは覚えている。あとは…体温に安心して顔を擦り付けた…。誰に…?でもあの感覚はスイじゃないと思うけれど…。スイはもっと柔らかくて、羨ましいぐらいにスベスベだから。じゃあ、イヴァンさん…?
…なんて事を…。
申し訳なさと羞恥心で顔が歪む。誰に見られてるわけでもないけれど、視界を手のひらで顔を隠す。羞恥心を吐き出すように息をはく。
この際全て思い出さなければ。思い出して、ちゃんとイヴァンさんに謝罪を…。
あと確か、なぜか凄く悲しくて、寂しくて…。
…私は、とんでもないことをしてしまったのではないだろうか。
朧げではあるけれど、唇と舌の感覚を思い出す。これは、きっと、とても積極的な事をしてしまった。
…多分、イヴァンさんよね。状況的に…。
イヴァンさんには謝るとして、問題はそれをスイが見たかどうか。ご飯に行くと言ってあんなに拗ねてた子だから、見ていたらもっと拗ねてるわよね…?いや、でも、昨日もそうだったけど、スイが急に大人になることもある。何かを思って、子供みたいな態度を正そうとする。
思い出せない…。もう、お酒は当分やめておいた方がいいわね。
そんな反省をしながら重たい身体を何とか起こし、ため息をつく。見渡すと机の上に着替えが置いてあった。
スイが用意してくれたのだろう。ずっと下着姿で…。スイのこと注意できないわ。用意してくれた着替えに袖を通し、リビングを覗くとスイはいなかった。リングを見ると30分ほど前にメディカルチェックの結果が届いており、お風呂場を覗くと濡れていた。どうやらトレーニングとメディカルチェックを終わらせてどこかに出かけているらしい。
一旦、シャワーを借りて冷静になろう。化粧もドロドロだし。
昨日の汚れと化粧を落とし、幾分か気持ちもさっぱりした気がする。思い出すとついつい顔を覆いたくなるけれど。
タオルで髪の毛を拭きつつ、とりあえずタンクトップだけを着てリビングに戻ると、買い物袋からお弁当を取り出すスイがいた。
「あ、イレア、昼ごは…。」
私の姿を見るなり言葉を詰まらせ、慌てて目線をお弁当に戻す。
「…どうしたの?」
「いや、えっと…。あ!昼ごはん買ってきたけど食べれる?それかお味噌汁だけとかでも。」
不審に慌てるスイに後で事情を聞くことを決心しながら答える。
「ありがとう。いただくわ。」
「う、うん!準備しておくから、早く髪の毛乾かして、服も着てきて…。」
全くこちらを見てくれず、歯切れの悪い言い方に不信感を覚えながら、わかったわと返事をする。
とりあえず、言われた通りに髪を乾かし、服を着る。リビングに戻るとスイがインスタント味噌汁にお湯を入れてくれていた。
こちらをチラッとみて安心したように、溜息を吐き、笑顔で話しかけてくる。
「二日酔いにはアサリの味噌汁かなーって。あとね、グレープフルーツジュースも良いみたいだから買ってきたよ。」
「そう、ありがとう。」
「頭は?もう痛くないの?」
「ええ、だいぶ良くなったわ。」
「よかったね。」
そう言って微笑みながら電子レンジにかけていた弁当を取り出す。スイはガッツリ、カツ丼大盛り。私は焼き魚弁当だった。
「食べれなかったら、もちろんいただきますのでご安心ください!」
満面の笑みで伝えるスイは、すでに私の弁当をキラキラ見つめていた。一体この身体のどこに高カロリーが入っていくのか。きっとトレーニングとフィジカルアビリティ保持者特有の代謝で無くなるのだろうけど。
「じゃあ食べよっか。」
「ええ。」
「「いただきます。」」
そう言ってカツ丼を頬張るスイはとろけそうな顔をして高カロリーを堪能していた。この子はご飯食べる時ほんとに幸せそうね。呆れと安心から頬が緩まる。
さて、先ほどの不審な態度はきっと、昨晩の事と関わっているのだろう。状況を確認しなくては…そう思ってスイに問いかける。
「スイ、昨日はありがとう。迎えに来てくれて。」
「あ、えっと、うん、全然!」
あからさまに慌てる態度に、昨日の醜態をこの子に見られたのだとほぼ確信した。
「昨日、私、変なことしてなかった?」
「へ、変な事ですか?変な事ってどこからが?」
声が上ずり、目線が泳ぎ始めるスイに、おかしな事をしたのは私なのに尋問してるような気持ちになる。
「変なことは変なことでしょう?通常はしないようなことよ。」
「…そんなの全部だったけど…。」
ぼそっと呟く恐ろしい言葉に眉間に皺がより、ため息が出る。
「やっぱり…。」
「覚えてないの…?」
「ええ。」
「ぜ、全部?」
頬を赤め、真っ直ぐにこちらを捉える瞳は少し潤んでいた。
…私は一体何をしたのだろう。そこまで恥ずかしがられるととんでもないことをした気がしてくる。
「全部じゃないわ。朧げに覚えてるのは、スイが来てくれたことと、イヴァンさんにその、甘えてしまったこととぐらいね。」
私の返答にスイは安心するように息をつく。
「あ、あぁ。あれはあれでびっくりした。」
「…見ていたの?」
「あ、うん。ついてすぐだったから、おっさんも私も慌てて。引き剥がしたら、イレアすごい酒臭いからびっくりしちゃったよー。」
「…。」
「あ、ごめんなさい。」
私の目線でデリカシーがないことには気がついたみたいだけれど。カツ丼頬張るたびに恍惚な表情を浮かべているスイに問いかける。
「あとは?」
「あと?」
「他には変なことしていなかった?」
箸を加えたまま、思い出したのか頬がまた赤くなる。
「えっと、変ていうか、イレア酔っ払ったらすごく、その、色っぽくなっちゃうから気をつけてね…?」
「どういう…?」
要領の得ない指摘に眉間に皺がよる。
「その表情もそうだし、行動も…?」
「行動?」
「その大変、大胆になられると言いますか…。」
目を逸らし、紅潮した頬をかきながらモゴモゴ言葉を選ぶ姿にイヴァンさんとキスしたのも見られたのだとわかった。
拗ねは…しないのね。こちらを見てくれない、何だかそれが寂しく思えた。昨日もそんなことを思った気がする。それを隠すようについ、責めるようなことを言ってしまう。
「こっちを見て…」
「なっ!?」
食い気味に、そして過剰に反応するスイに驚く。
「え?なに?」
「お、覚えてないんじゃないの!?」
スイはそう言って慌てたように勢いよく立ち上がる。
「え?」
あまりの反応にキョトンとしてしまう。スイをみると顔の紅潮が耳にまで移っていた。
「て、ていうか、何でイレアが強気なの!?あーゆーの普通した方が恥ずかしいんじゃないの!?」
「は?」
「大体、あんなに酔っ払うなんて、危ないよ!ちゃんと自分が美人だって自覚しないとほんとに、危ない!!」
「ちょっと、スイ?」
「帰ってきてからもそうだけど!こんなの男の人にやったらもう、ほんとに!!」
「ちょっと、落ち着ついて…。」
「いや、別に好きな人だったら良いんだけどさ!!酔っ払って誰でも彼でもは良くないと思う!!」
言い切ったのか、ゼェーゼェーと息を切らすスイに圧倒されながら、言葉を選ぶ。
「…わ、悪かったわ。そこまで乱れてたなんて思ってなかったから。でも、誰でも彼でもじゃないわ。少なくともイヴァンさんに対して悪い印象はないし…。」
「…え?おっさん?」
「え?」
スイは大きな瞳を何度かパチクリさせ、眉間に皺を寄せてみたり、考えるように目をあちらこちらに向けてみたり慌ただしく表情を変えていた。
「…え?イレア、昨日の事って具体的に何を覚えているの?」
「…言わせるの?」
「…お願いします。」
少し悩んで、すぐに真剣な瞳でこちらを捉える。
「スイが迎えに来てくれてすごく嬉しかったのと、イヴァンさんにスキンシップを取ってしまったのと、その、キスを…。」
「…っ!おっさんと!?」
目が溢れてしまうのではないかと思うくらい見開いて聞いてくる。この反応。見られてなかったのね…。確実に墓穴を掘った。
「え、いや…?おっさんはそこまではって言ってたし…」
何やらボソボソ考え始めるスイを黙って見つめる。
「あー、はいはい、なるほど、なるほどですね。」
スイは何か理解したように頷く。神妙な面持ちでこちらを見つめ、ゆっくり口を開く。
「…イレア、キスは何回?」
「は?」
「…いいから。」
「…覚えてないけど、多分1回だと思うわ。なんだか、すごく寂しくて、気を引きたかった気がするから。」
「あ、えっと、そうですか…。」
なぜかまた顔が赤くなるスイを流石に怪訝に感じて見つめる。
「何よ?」
「いや、ごめんなさい。何でもないです。」
「こっちは辱められたのよ?ちゃんと説明しな…」
「こっちだって昨日大変だったんだよ?色んな意味で。」
珍しくピシャリと言い返すスイについ言葉を飲み込む。
「着いたらおっさんに支えられながら寝てるし、目を覚ましたら甘えてくるし…。本当にこっちが辱められたよ。」
ため息混じりに、ここぞとばかりに言い返すスイに、不穏なワードを聞き返す。
「甘え…?」
「そう。抱きついてきたり、それを止めたらうるうる見つめてきたり…。で、家に帰ったら帰ったで服脱ぎ始めて、押し倒されるわで大変だったんだよ。」
「押し倒…?」
「ええ。で、朝起きたら違う体勢で抱きしめられてたから、イレアが起きるまで、同じ体勢でずっと待ってたんだよ?」
全くもう。怒ったように呟くスイを見ていられなくて、両手で顔を隠す。
「ざっとこんな感じだったの。ざっと言うとね。」
「…ごめんなさい。」
私の謝罪にふぅと呆れるように息をはく。
「だから、あんまりお酒飲みすぎると、本当に危ないから、気をつけてね?」
眉尻を下げ困ったように笑うスイに目を逸らしながら、ええとだけ応える。あとでイヴァンさんに謝罪のメールを送らなくては…。
結局私の弁当の半分以上はスイのお腹の中に入ることになった。イヴァンさんにメールを送ったら『良いもの見れたから全然おーけー。才女によろしくー。』とのことだった。良いものの内容は聞かないでおこうと思った。
夜はちゃんと通常のメディカルチェックを行い、夕飯の支度をすることになった。
「昨日食べれなかったオムライス?にする?」
「自分で疑問系にするのはやめたら?」
「自分でもあれがオムライスだとは思ってないんだよ?」
至極まともな顔でもっともなことを言ってはいるけれど、まずは自分の腕を磨くことに専念したらどうかしら?そんなことを言ったら盛大なブーメランがくるので口に出すのはやめておく。
「じゃあ、お願いしても良いのかしら?」
「うん。任せてー。」
そう言って袖を軽く捲り、冷蔵庫を覗くスイを横目に1日ぶりの仕事を行う。スイと外に出てからこれだけの時間仕事から離れてたのは初めてだった。もう、ライフスタイルになってしまっていたから辛くはないのだけれど。そんなことを思いながらビジョンに映し出される数値を確認しているとスイが手を動かしながら話し出す。
「そういえば、マイが、昨日イレアにありがとうって伝えてくれって言ってたよ。何についての感謝かわからないけど。」
「そう。」
きっとマイは私が席を外した理由がわかったのね。相変わらずスイは鈍感みたいだけど。
「マイはどうだったの?元気になってた?」
「んーそうだね。私のオムライス?は凄く感動してくれたみたいで、目がキラッキラだったよ。」
マイの姿を思い出しているのか、スイがクスクス笑い出す。その姿が友達の話をするただの15歳の高校生で、頬が緩む。
「そう。じゃあ、作戦は成功だったのね。」
「そんな大層なものじゃなかったけど。そうだね、楽しそうだったよ。」
「良かったわね。」
「うん。」
そう呟き微笑むスイの横顔が優しくて、つい見惚れてしまう。人類の宝、神からの贈り物、そんな大層な表現をされるこの子は、ただの心優しい15歳の女の子だった。
この子がこうして“普通”に暮らせる。それが何より嬉しい。
この子と、この子の生活を守りたい。この子が綻ぶように笑うそんな毎日を近くで見ていたい。
そのためにできることは全てやる。そう改めて想いながら仕事に戻る。




