距離
レセプションが終わり、屋敷に帰ると使用人がルエダの部屋に行くように伝えてきた。
いつもの流れだったが、今日は事情が違う。ルエダは“アマミさん”の正体を知って楽しそうにしていた。きっと彼女について何か言いたいのだろう。
いや、私に言うだけならいい。彼女に何かしようとするなら私が止めなければならない。彼女がこれ以上傷つかないように。
ルエダの部屋の前に立ち、浅く息をする。その扉をノックし声をかけると、その部屋の主によって開かれた。
「マイ、待ってたよ。」
その笑顔はいつもの張り付いたものではなく、どこか愉快そうに口角が上がっていた。その笑顔に嫌悪を覚え、つい表情が強張る。
「そんな顔しないでくれよ。どうぞ、中に。」
私の感情など関係ないように楽しそうに部屋に招く。扉が閉まり、ルエダが嬉しそうに話し出す。
「マイとの結婚が2年後に決まって本当に良かったよ。母さんも喜んでくれて、早速準備を進めてくれるそうだ。」
「そう。」
結婚。その言葉を胸の中で反芻する。
それは今私がここにいる目的。なのに、目を背けたくなる。
「マイ、そんなに嬉しそうじゃないんだね。」
言葉とは裏腹にルエダはにこやかに話す。
「嬉しいも何も、そのためにここにいるんだから、そうなるのは当然よ。」
「あー、そういう事か。てっきり僕との結婚が嫌なのかと思ったよ。」
腕を広げ大袈裟に言うルエダを冷たく見つめる。目線に気がついたのかルエダが楽しそうに言葉を続ける。
「僕は不安だったんだよ?マイが寝言で“アマミさん…”なんて言うから。」
ルエダの口角が歪に持ち上げられる。
「僕のマイを取ろうとしてる輩がいるんじゃないかって、気が気でなかったんだ。まさか“アマミさん”があんなに可愛い子だと思わなかったけど。」
ルエダの口から彼女の名前が出るたびに、胸の中が不愉快にざわめく。
「なぁ、マイ?なんで彼女の事隠したんだ?」
「隠して無いわ。」
「嘘をつくなよ。彼女が名乗ろうとした時も、僕が聞いた時もマイが遮っただろ?僕と彼女が関わらないように。」
私の肩に手を乗せ、囁くように話すルエダはその声だけで表情を見なくても楽しんでいることがわかる。まるで狩の終盤、獲物を追い詰めたようなそんな意地汚い娯楽を嗜んでるようだった。
「マイが僕に熱心にならない理由がわかったよ。マイはそっちの方が好きなんだね。」
その言葉に勝手に口が動いてしまう。
「彼女はそんなんじゃない…!」
私の反応にこれまで見たことないような笑顔で笑っていた。
「どうしたんだよ?マイらしくもない!慌てて言い返したり、焦ったり。別に僕としては良いんだよ?どうせ僕たちは結婚して一生共にするんだ。一時の心の迷いなんてそんな些細なこと気にもしないさ。」
一時の心の迷い。その言葉に嫌悪感が増し、自分の眉間に皺が寄るのがわかる。
そんな事も構わずルエダは続ける。
「それに…。」
その目線が私をしっかりと捉え、揶揄うようで、それでいて同情するように見つめる。
「彼女はマイのこと、そう言うように見ていないみたいだからね。」
その言葉は私の胸を切り裂くように放たれた。
わかりきってるその事を言葉にされるとどうしようもなく胸が苦しく、腹が立つ。悲しみなのか、嫌悪感なのか、この胸を支配しているどっぷりとした感情をおさめるように胸の中で自分を説得させる。
違う。彼女に対しての感情はそうじゃない。ルエダが言うような事じゃない。私はただ、強く、しなやかで、優しい彼女に憧れているだけ。…だから、彼女が私を気にかけなくても、良い。
その説得を私自身が受け入れられるように、奥歯を噛み締め痛みに耐える。
ルエダが私の肩を両手で掴み、囁く。
「可哀想なマイ。マイには僕がいるだろ?」
そう言うとルエダはポケットから瓶を取り出し、栓を抜く。人工で作られたようなそんな甘い香。何度も嗅いだ香りだった。
ビンの口を唇に当てられ、飲むように催促される。
もう、わからない。
ルエダとの結婚。ルエダがアマミさんを知ってしまった事。アマミさんへの想い。
そして、彼女自身のこと。
余りにもたくさんのことがありすぎて、何年も感情を止めてしまっていた私にはそれらを一つ一つ理解することも、それらの感情をどうすれば良いのかもわからなかった。
気がつけばその甘くどろっとした液体は口の中に滑り込み、甘すぎる痕跡を残しながら喉へと落ちていった。
気だるさの中、重たい瞼を開ける。窓から白い光が差し込み、朝を伝える。
今日はいつもより身体が重たい。身体を起こし、時計も見ないままシャワーを浴びに向かう。鏡に映った自分の姿を見て目を見開く。
きっとルエダがつけたのだろう。身体に昨晩の跡が付けられていた。
その姿から目を逸らすように、急いでシャワーを浴び、着替えを済ます。
やはり首のところは出てしまう…。投げ置かれたカバンから絆創膏を取り出し、隠すように貼る。
一度部屋に戻って学校の準備をするため部屋を出ようとするとルエダが呼び止める。
「絆創膏で隠してもわかる人にはわかるよ。」
「…だとしてもそのままよりはいいわ。もう、こういうのはやめて。」
「ごめん、ごめん。昨日ああ言ったけど心配なのは心配だからね。ちゃんと僕のだってしておこうと思ってさ。」
その言葉に昨晩の胸の痛みがぶり返され、痛みに耐えるように目を細める。
「マイ、今日、放課後、生徒会室とやら案内してくれないかな?」
「…だめよ。あそこは中央生徒会の部屋だから。」
「いいじゃないか、僕は許婚だよ?」
「関係ないわ。」
おどけるように言うルエダに冷たく言い返す。もう出ようと扉に手をかけるとルエダが残念そうにため息をつきながら言葉を発する。
「じゃあ仕方ないか。アマミさんにお願いしてみるよ。彼女だったら快く承諾してくれる気がするから。」
“アマミさん”その言葉に手が止まる。
この人、アマミさんを利用して…。その名前を出すと私が従うと思っているのね。ただ、そんな見え透いた魂胆にも私は抗えない。
「…わかったわ。私が案内する。」
「マイ、ありがとう。」
その笑顔はいつも通りの張り付いた笑顔だった。
今朝の出来事を思い出しながら彼女を待つ。ルエダがなぜ生徒会室に来たがってたのか。アマミさんに何かするつもりだろうか。そんな不安が胸をざわつかせ、昨日の彼女を思い出させる。
客室のベットに疲れ切ったように寝ていた姿、怯えたように私の腕に縋る姿。傷を負いすぎた彼女は、本当は誰よりも繊細で弱々しい。
でも、それなのに、その弱さを誰にも押し付けない。誰かを恨む事で逃げようとも、運命を嘆く事で自分の殻に閉じ籠ろうともしない。
そんな彼女をもう傷つけさせたくない。
ルエダは私が彼女に好意を向けてると勘違いしている。だとしたらそれを否定するだけだ。友人として、距離を適切に保つ。彼女の強さに、優しさに縋らない。それだけのこと。
「マイー、おはよう。今日も待たせちゃったね。」
優しい声がした。振り向くと柔らかく微笑む彼女がいた。
昨晩の出来事で冷え切ってしまった心では、その声に、笑顔に縋り付きたくなる。ついさっき縋らない、そう決意したばかりなのに自分の弱さが嫌になる。
「おはよう。いいの。私が早く来たいだけだから。」
できるだけ、感情なく答える。
彼女をみると首元に違和感を感じた。大きすぎる結び目に、やけに短いネクタイ。どうやら今日はネクタイを自分で結んできたらしい。
その不器用さに頬が緩んでしまいそうになる。
「ん?」
不思議そうにこちらをみる彼女に、どう答えるべきか悩んでしまう。結び直しを申し出たらダメなのだろうか。彼女との距離を測りかねてしまう。
「…なんでもないわ。」
「そっか。」
もう彼女を巻き込まない。その距離がわからないなら、できるだけ遠ざける方がいいのだろう。
最善だと思うその方法は、どうしようもなく寂しく思えた。
「マイ、行こう?」
黙っている私に彼女は何も聞かず優しく微笑むだけだった。
「ええ。」
校門を潜り教室に向かっているとアマミさんの様子がおかしい事に気がついた。首を傾げ不思議そうにしているアマミさんを見つめ言葉を放つ。
「アマミさん?変よ?」
アマミさんはその言葉に呆れるように目線をこちらに向け、少し不服そうに話す。
「いやさ、なんか、みんなこっち見てる気がしてさ。」
「みんな?」
「ほら、周り見てみてよ。」
そう言われて周りを見てみると、確かに他の生徒が遠巻きにこちらをみているように思えた。見渡してある中で、目があったのか女子生徒から驚いたような小さな声が聞こえた。
「ね?」
不思議そうにこちらに同意を求める彼女に答える。
「…本当ね。」
「なんだろう。なんか私へん?」
…へん。まぁ、へんなところと言われるとあなたの不格好な…
「ネクタイ。」
「…うん、それはね、不器用で申し訳ないとは思ってるんだけど。でも、みんなが遠巻きで見るほど変?大注目されるほどのとんでもネクタイになってはないでしょ?」
「それは、そうね。」
確かに不格好ではあるけれど、注目を浴びるほどではない。一緒にいると目に留まるぐらいの不格好さではあるけれど。
「あのっ!」
振り返ると桜色の髪をした女の子が緊張した面持ちで立っていた。
「あ、中庭のときの。」
アマミさんが覚えがあるのか思い出すように言う。
「覚えてて…。」
感動したように漏れる言葉にアマミさんがコロコロと喉を鳴らして楽しそうにする。
その笑顔が赤く頬を染めてる彼女に向けられている。その様子に胸のところに違和感を感じる。
「覚えてるよー。どうしたの?」
「…!あ、あの!昨日の発足宣言…!」
「うん?」
「かっ…、すっ…!」
「カス?」
「違くて…!」
耳まで赤く染め上げ、俯き、手をいじって落ち着かない様子の彼女にアマミさんがゆっくり近づく。
「えっと?大丈夫?」
「…っ!」
アマミさんが背中をさすり、落ち着かせるように声をかける。
「ゆっくりで良いよ?」
優しく声をかけて微笑むその姿に目を奪われる。
この人はなんでこんなにも誰にだって優しくできるのだろう。その優しさが強さがズルい。
「発足宣言、かっこよくて、素敵でした…。」
「わざわざそれを?」
アマミさんは意表をつかれたように、大きな瞳を見開き、ふっと力が抜けたように微笑む。
「…ありがとう、頑張った甲斐があった。」
思わず自分の腕を握る。
その優しい声を、笑顔を、言葉を向けられる彼女に。
声をかけて賞賛し、距離を詰めようとできる彼女に。
どうしようもなく胸が締め付けられ、中身が空っぽになってしまったような虚無を感じた。
考え事をしていたらいつのまにか、私とアマミさんはそれぞれ囲まれていた。
「あんなに大きな場でいつもと変わらずクールでさすがです!!」
「マイ様!!一生あなたについていきます!!」
「さいっこうに綺麗で麗しくて美しくてビューティフルでした!!」
「やっぱりマイ様が一番です!!愛してます!」
次々投げかけられる賞賛にいつも通り応える。
時たまあることではあるけど、どうしたのだろう。よく理解できないまま対応していると、驚いたような声が上がる。
「マイ様…!首元、怪我したんですか?!」
「本当だ!!絆創膏…!!」
その言葉に咄嗟に隠すように手で覆う。
昨晩の出来事を思い出して、嫌悪感が胸の奥からざわざわと広がっていく。
その嫌悪感に支配されていると、手を掴まれた。
「ごめん、そろそろ行かないと遅刻しちゃいそうだから!」
そう言って彼女は私の手を引いてその場から連れ去ってくれた。その大きな温かい手を見つめ、また胸が締め付けられるのを感じながら彼女の手に引かれる。
逃げるように教室に入ると、アマミさんは疲れたように机に突っ伏す。
「ふぅ、びっくりしたぁ。」
「おはよーー、マイースイッチー。」
カシアにゲンナリとした顔を向ける。
「うお、スイッチ、朝から疲れてるね。」
「…うん、ちょっとねぇ。」
その姿に申し訳なさが溢れる。
「…アマミさん、ありがとう。」
頬を机につけながら、大したことないとニヘラと気の抜けたように微笑む。
「ううん。私が恥ずかしくて逃げ出したかったから。」
相変わらず何も聞かず、誰のせいにもしない姿に、胸がギリッと引っかかれる。
「おはよぉー。二人とも朝からすごかったねぇ。」
アーリアが教室にやってきて、先ほど起きた事の説明をカシアにねだられる。
アーリアがいつものように優しくカシアに説明しているのを見ていたら、アマミさんがヒラヒラと手を振っていた。
相手は先ほどの女子生徒だった。
「あの、さっきはすみません…。私のせいで囲まれてしまって…。」
「全然大丈夫だよー。えっと、ごめん、名前聞いてなかったよね?」
「あ、ルーナです!1-3のルーナ・ヘイスカリです!」
「ルーナね。気にしないで。まだ、こういうのに慣れないだけだから。」
アマミさんは先ほど私に向けていた気の抜けた笑いを彼女にも送る。そんなアマミさんの姿を見て、昨日のルエダの言葉を思い出す。
『彼女はマイのこと、そう言うように見ていないみたいだからね。』
…だから何だというの。
勝手に思い出された言葉に胸が締め付けられた。
「アマミさん、放課後少し時間いただけませんか?」
その言葉に現実に引き戻された。
私も何度かその手の呼び出しをもらったことがある。
頬を赤らめながら、その瞳はアマミさんしか映ってない。その表情を見れば内容は察することができた。
この子は、アマミさんと距離を詰めようとしてる。
それもきっと友人でない距離。
それを言われたら、この人はなんて答えるのだろう。さっき名前を知ったばかりの彼女の想いに応えるとは思えない。
でも、優しいこの人はその想いを無碍にできないかもしれない。そんな答えの出ない予測に感情がグラグラと揺れる。
「放課後?えっと…。」
エメラルドグリーンの瞳がこちらを伺うように振り返る。
もし、この人がその想いに答えたら。
その瞳に映るのも、その優しい微笑みを向けられるのも、その手が握るのも、勇気を出して一歩踏み出した彼女のものになるのね。
胸が痛い。まるで誰かに握りしめられてるみたいだった。
「マイ?」
呼ぶ声にハッと考えを止める。不思議そうに目を瞬かせる彼女に考えを読み取られてしまいそうで目を逸らす。
「放課後なんだけど…」
「大丈夫よ。生徒会長業務は終わっているし、私もルエダに呼び出されているから。」
「そっか、ありがとう。」
また優しく微笑む彼女に私は何も言えなかった。
この人が誰と親しくなろうとも、私には関係ない。
私はただ彼女の学園生活を補佐するだけだから。
そう自分に言い聞かせながら、彼女との正しい距離を取る。
嬉しそうに小走りで帰っていく桜色の髪が横目に通り過ぎる。この距離を正しく保つためには、その姿を羨ましく感じてしまうことを誰にも言ってはいけない。
放課後になり、今日何度目かのネクタイの結び直しをしているアマミさんを置いて立ち上がる。
「ルエダさんと待ち合わせしてるんだっけ?」
「…ええ。先に生徒会室に行ってるわ。」
「うん。私も用が終わったらすぐ行くー。あ、そういえば、イレアは今日管理局で直接話を聞いてくるらしいから集合時間ギリギリになるって。」
「わかったわ。」
カバンを持ち、生徒会室に向かうため教室を出ようとした時、彼女の大きな手が首元で何度も迷っているのを見た。
「ネクタイ、苦手なのね。」
「んー、そうみたい。もしかしたら私、不器用なのかも。」
ネクタイを結びながら答えるアマミさんの姿をただ見つめる。まだ誰のものでもない日常に溶け込む彼女を一秒でも長く見たいと思った。
「…慣れよ。そんなに大層な事じゃないわ。」
「そうかな?今日は上手く結べそうにないけど。」
「来週には上手くなってるわ。」
「おぉ、急成長を目指して頑張るよ。」
クスッと笑う彼女を目に焼き付けて、教室をでる。そっと自分のネクタイを触り、もう何度も結んできた、いつも通りの結び目の形をなぞる。
歩いていると前から跳ねるように駆けてくる桜色の髪の毛が視界に入る。きっと少し赤い頬は、走ってきたからではないのだろう。
そのことが、胸の底を引っ掻くように痛みつける。ただそれを顔に出さないように真っ直ぐ前を向く。自分のそんな見栄と強がりは余計に虚しさを強調するだけだった。
学生棟に向かうとルエダが入口のところに立っていた。数人の学生に囲まれて愛想良く笑顔を振り舞えていた。
私の姿に気がつくと張り付いた笑顔を崩さないままこちらに手を振る。それに気がついた学生達はルエダに挨拶をしてそれぞれ離れていく。
「マイ、お疲れ様。」
「…待たせてしまったわね。」
「いや、久々に後輩たちと話せたから良かったよ。」
「そう。」
張り付いた笑顔を横目に学生棟に入り、ルエダは当たり前の顔をして私の後ろをついてくる。
学生棟は使用しているのは中等部と高等部の学生がほとんどで、時折初等部の学生が見学するように入るぐらいだった。だから大学生のルエダがここにいることは違和感のある景色だった。
エレベーターに乗り込み21階を押す。
「いやー嬉しいなぁ。部外者立ち入り禁止の中央生徒会室をマイが案内してくれるなんて。」
わざとらしくおどける声は私の神経を逆撫でする目的だとすぐにわかった。
「…そう。」
冷たくあしらってもルエダは愉快そうに微笑むだけで、その様子に胸の奥がざわつく。
エレベーターが開き、生徒会室の階に着く。ルエダが我が物顔で先に降り、その瞳は愉快げに弧を描く。
「降りないのかい?」
「…。」
その表情に身体が自然と警戒する。それでも、ここを案内しなければルエダは帰らないのだろう。
せめて、彼女が来る前に終わらせてしまいたい。
警戒によって強張った身体を無理矢理動かし、生徒会室のドアを開く。
私に続いて入ってきたルエダは、私を追い越し、物色するように室内を見渡す。
「へぇ、これが中央生徒会室ねぇ。」
ルエダは特に特別な仕様があるわけもないその一室を楽しそうに見渡す。
「…満足?」
言葉の端から警戒心が滲み出る。そんなことも構わずルエダは終始楽しそうにしている。
「まぁ、待ってよ。まだ着いたばかりだろ?中央生徒会室に入れるなんて珍しいんだからさ、ゆっくり見させてくれよ。」
そう言い、ルエダは椅子や机など色々な物に触れながら部屋を物色する。ルエダの目線が定期的に私に向けられる。その瞳が私を愉快に映し出す。
やっぱり。ルエダは中央生徒会なんて興味はない。ただ、私の反応を楽しんでいるだけ。
そのことが彼の表情から見て取れる。大体見当はついていたけれど、その姿を見ると胸の奥がいびつに歪むようだった。
その不快な歪みについ表情が険しくなり、彼を睨みつけてしまう。
そんな私にルエダは満足そうに部屋を見渡し、あるものに気がついたように目線が止まる。
「マイ、あの部屋はなんだい?」
彼が見つめるその扉の向こうは…。
「…中央生徒会長室よ。」
ルエダはその答えに嬉しそうに反応する。
「へぇ。生徒会長は別室も用意されてるんだね。」
子供がおもちゃを見つけ出したようなそんな喜びに近い表情。
胸の奥が余計に歪むようだった。
「マイ、ここも案内してほしいんだけど?」
「…ここは、生徒会長室なのよ。私に案内する権利はないわ。」
「そうかぁ。じゃあ“アマミさん”を待たないとね。」
揶揄うように含みを持たせたその言い方は、脅しに近い。彼女の名前を出せば私が言うことを聞くとわかっているから。ルエダは彼女の名前を出して、私の様子を楽しんでいる。
「…ここを見たら帰って。」
「あぁ。活動の邪魔してはいけないからね。」
そう笑顔で答えるその様子はただ好青年の振る舞いのようで、彼が日頃からあえてその顔を作り出してるのがよくわかる。
いつも何気なく掴んでいるそのドアノブも、なぜがいつもよりも冷たいように感じる。いつもより重たい扉を押し、その部屋の主に断りもせずルエダを通す。
「なかなかいい部屋だね。」
爽やかに微笑むルエダはまっすぐ中央の大きなデスクに向かう。
「ここに“アマミさん”が座ってるのは、想像つかないね。」
そう言って、ルエダは我が物顔で椅子に腰掛けこちらを見つめる。
「彼女よりも僕の方が似合うんじゃないかな?」
デスクに肘をつけ、手を組み合わせながら挑発するように私に投げかける。
「…普段、そのデスクは使わないわ。」
そのデスクを使ったのは、彼女に初めて生徒会長業務を教えた時。私の話した事を真剣に聞いて必要な所はちゃんとメモを取っていた。
その目の真剣さと、覚えようという姿勢に少し驚いた。想像していたスイ・アマミと違った。
イレアから色々聞いた後だったけれど、生まれながらに才能があったこと、能力を隠していたこと、そのことは私の中で異端で、驕りのような感覚だった。
実際の彼女は素直で、しなやかで、誠実だった。伝えたことを正しく理解しようと一生懸命だった。真剣な眼差しと考え事をしているその表情。いつものやわらかい様子とまた別の表情。その姿に何度も目を奪われてしまう。
「へぇ。じゃあ、こっちの机で仲良く作業しているんだね。」
ルエダの声に現実に引き戻される。デスクを離れ、いつも作業しているローテーブルに近寄る。
変わらず私の表情をチラチラ見ながらローテーブルに触れ、腰掛ける。挑発するように足を組み、広角を釣り上げる。
「やっぱり妬けちゃうなー。大事な許嫁が密室で2人っきりで作業なんて。」
きっと微塵もそんなこと思っていないのだろう。揶揄うようにいうその姿に嫌悪を隠しきれない。
土足で私の思い出に踏み込んできてるような、そんな不愉快さ。いや、まだ思い出にもなってない、そんな日常をベタベタと触れられてる。そんな不快な感覚。
「そんな顔しないでくれよ。もっと妬けるだろ?」
ニヤつくルエダは今日1番の笑顔だった。そんな様子にどうすることもできず、睨みつけているとエレベーターホールからかすかに到着のベルが聞こえた。
アマミさんが来たのかもしれない。早くこの人を帰らせないと。
「もう、いいでしょう?そろそろ活動の時間になるわ。帰って。」
私の言葉にニヤつきを保ったまま、立ち上がる。
「そんな言い方しないでくれよ。まぁ、邪魔しては悪いし、帰るよ。」
そう言ってルエダは扉へ歩みを進める。ルエダがアマミさんにおかしなことをしないように、止められる距離でついていく。
その時、ルエダが突然振り返り、私との距離を縮める。突然のことで抵抗できずにそれを受け入れてしまう。
その時、生徒会長室にノック音が響き、扉が開かれた。
入ってきたのは戸惑ったアマミさんの声とその表情だった。
「マイー、お待た…。」
部屋を覗きながら声をかけていたが、視界に入ったものに動揺して、身体全ての動きが急停止した。言葉、呼吸、手、足、思考まで。
想像してない瞬間に出会うと人はどうして良いかわからず、全てが止まってしまうんだなぁと空から見てる自分がしみじみ思っていた。
扉を開いた先にはマイとルエダさんがいた。もちろんそれだけでは驚かない。
二人の距離はなく、唇を合わせていた。
そう、キスをしていた。
許嫁だとわかっていても、そういうこともしているのだとわかっていても、直接見るとやっぱり戸惑ってしまう。
と、いうより、いけないものを見たという感覚とお邪魔してしまったという焦りでとりあえず扉を閉めようとした瞬間。
風が頬を素早く触れる。その風に閉める手を止め、再び生徒会長室を見ると風に押されてルエダさんがローテーブルに腰をついていた。
「何するの…!」
マイの声色が怒りに染まっていた。口元を隠すように手を当て、目を細め、突き刺すような目線をルエダさんに送り、風を纏っている。
そんなことも気に留めないようにルエダさんはマイに爽やかな笑顔を向けて言葉を返す。
「何って、いつもやってるじゃないか。そんな怒るようなことでもないだろう?」
なぜか大袈裟にルエダさんは私にも聞こえるように大きな声で話しているようだった。
その逆撫でするような言葉と振る舞いにマイがさらに怒りの色を強める。また風が強く動くのを感じた。
まずい…。
咄嗟に二人の間に入り、マイを止める。
「ちょ、マイ!そんな力、人に向けたら危ないよ!」
マイのラベンダー色の瞳が怒りに染まり、何か苦しそうに顔を歪める。
「アマミさん、どいて。」
「どかないよ!マイ、落ち着いて!」
マイが私を睨みつける。怖いけど、どこか縋るような目だった。
マイ、どうしたの…。困惑していると後ろから声が聞こえた。
「アマミさん、ありがとう。きっとマイは恥ずかしがっているんだよ。」
ルエダさんが相変わらず笑顔で言う。
いや、とてもそんなふうには見えないんだけど…。疑問の眼差しをルエダさんに送ると、彼の口元がいつもより上がった気がした。
「だって、マイ?昨日だってあんなに愛し合ったじゃないか。マイは恥ずかしがり屋だから、その証を絆創膏で隠しているみたいだけど。」
絆創膏、そうか、今日マイが首元にしている絆創膏は怪我じゃないんだ。昨日そういう事をしたと、ルエダさんにつけられたものを隠すための絆創膏。
「…あなた…!!」
その声に慌ててマイを見る。もう、怒りを通り過ぎ、憎悪まで感じた。
もうかける言葉が見つからない。なんでルエダさんはマイを怒らせるようなことばかり…!
荒れる風からルエダさんを隠すように立つ。マイにそんな理由で力を使わせたくない。どうにか落ち着いてもらえるように声をかける。
「マイ、お願い。能力を使わないで。この事、誰にも言わないし、なにもなかった事にするから。」
「そういう事じゃ…!」
目を細めマイが辛そうに吐き出す。
「わかってるけど、怒ってマイが誰かを傷つける瞬間なんて見たくないよ。」
もどかしそうにマイの眉毛がハの字に歪み、唇を噛む。どうやら怒りを収めようとしてくれてるようだ。
その姿に申し訳なさと安堵が広がる。少し胸を撫で下ろした時、肩にポンと重みを感じた。
「アマミさん、優しいなぁ。」
ルエダさんが私の肩に両手を乗っけていた。
この人…。あんなにマイに睨まれてよくそんな呑気でいられるよな…。さすがに一つ文句言っても怒られないだろう。そう思い、口を開く。
「この人に触らないで…!」
発したのは私じゃなかった。気づいたら力強く手を引かれて思わず体をマイに預ける。
抱きつくような形でマイの肩に顔をうずめ、ルエダさんから距離が取られる。
どういう状況かまたわからなくなる。
この張り詰めた状況に合わない笑い声が聞こえた。
「ハハっ!マイ!逆じゃないか?マイが嫉妬するのはアマミさんだろ?なんで許嫁の僕が嫉妬されてるみたいなんだ?」
いつもの爽やかな声が、どこか歪んで聞こえる。まるで揶揄うような、馬鹿にしているようなそんな話し方。
なんとなく、ルエダさんの声を始めて聞いたようだった。きっとこれが本当のルエダさん。
「マイ、忘れてきているのかな?僕はオルネラスを支援してるヴェメール社の次期社長だよ?今年の春、巨額の支援を行ったのはどこの会社だった?支援を行ってこの学園に何がきた?」
「…っ!」
その言葉にマイが苦しそうに息を呑むのがわかった。
春?この学園に来た何か?それって…。
「わかるだろう?君が今、僕から離したその子はタダじゃない。その子を元に組織された中央生徒会もだ。ルミリアではなくオルネラスがそれを手に入れたのはヴェメール家のおかげ、許嫁の僕がいるから支援をした。それを忘れてしまっているんじゃないか?」
全ての答えがルエダさんから放たれ、その言葉に恐る恐るマイを見つめる。
苦しそうに目を歪め、その瞳には悔恨が揺れていた。
事実なんだとそう突きつけられたようだった。
今度こそかける言葉が見つからない。わからなかった彼女を苦しめている原因。それは私だった。
また…。また、私は大切な人を苦しめる。イレアの次はマイ。その事実が胸を鮮烈に切り裂く。
「全く。マイは世話が焼けるなぁ。まぁ、いつも最後にはわかってくれるから良いんだけどね。」
ルエダさんは呆れたように呟くと扉に手をかけ、思い出したように振り返り、私を意味深に見つめる。
「アマミさん。くれぐれもマイをよろしく。」
そういう彼の表情はいつも通り爽やかな微笑みに飾られていた。その言葉を残して彼は生徒会室から帰って行った。
部屋を沈黙と動揺が埋め尽くしていた。
二人のことを見守ろうと思ったのに、また踏み込んでしまった。
いや、それだけじゃない。
聞いてはいけないことまで、触れてはいけないところまで触れてしまった気がした。
どうすれば良いのかわからない。どう声をかければ良いのか。戸惑っているとマイの腕が私を引き離す。
「ごめんなさい。」
紡いだのはマイだった。私から離れた腕は自分を支えるようにもう片方の腕を強く握りしめていた。
「あなたを巻き込んでしまって。」
低く小さく紡がれた言葉は後悔と懺悔の色をしていた。
その姿が儚く、あまりにもいたたまれなかった。
「私は、大丈夫。私こそ、変なタイミングで入っちゃってごめん。」
「アマミさんは悪くないわ。」
傷ついたように目を細め、握る手が掴んだ制服の皺を深める。
なんとなくわかった。マイのどこか儚く感じるそれは、この子の自信のなさだ。ルエダさんに、ヴェメール家に頼ってる自分、オルネラスに貢献できてない自分、この状況をどうにもできない自分。それらの事がマイはよくわかってる。だから、自信がない。フェルバーク家として強くあろうとする自分と、わかってしまってる自分の弱さ。それがマイを不思議な子にしている原因。
どうか、この子を自由にしたい。そんな衝動に駆られる。
…ただ、そんな無責任なことは、できない。
それは彼女が積み上げてきたもの、我慢してきたものを否定することだから。
衝動を理性が抑えながら、マイに微笑みかける。
「じゃあ、マイも悪くないよ。」
「そんな事ないわ。私がルエダをここに連れて来てしまったから。」
「んー、まぁ、いた時はびっくりしたけど、そこからはルエダさんの暴走でしょ?まさか示し合わせてた?」
おどけて、大袈裟に驚いたように聞いてみる。マイは苦しそうに歪めてた顔を少し和らげ否定する。
「そんなことはないけれど…。」
その様子に少し安心して、自分の口角が少し上がるのがわかった。
「じゃあ、そういう事で。それにさっきのことは無かった事にするって言ったしね。」
そう言うと、マイは申し訳なさそうに目線を逸らし、頷いてくれた。
「じゃあ、部屋、片付けようか?」
マイの風に煽られて資料なら本やらが散らばってしまった。その光景を笑いながら眺める。
「…ごめんなさい。」
今日何度目かの謝罪。今日1番恥ずかしそうな謝罪だった。そんな姿にまた笑いが出る。
「あははっ。良いよ、一緒に片付けよう?」
そう言って二人であらかた片付け終わった頃、マイの目線が私の首元にあるのに気がついた。
「ネクタイ。」
「うん?あぁ、綺麗に結べてるでしょ。」
「ええ、さっきの不格好のとは全然違うわ。」
…不格好って思ってたんだ。ま、そうなんだけど、そうなんだけどね。あまりのストレートさに悔しさと切なさがこんにちはしてるよ。
「…ルーナがやってくれたんだ。さっき。少し変だからって。」
ルーナも優しく全否定してたけどね。
その言葉にマイが何か考えるように黙り、数秒後に、そう、とだけつぶやいた。
そこは、ごめんなさいではないのね。良いけど。下手くそなのは事実だから。良いけど。
それでも少し抗議の目線を送りながら彼女を見つめていると扉がノックされた。
「スイ?もういるの?」
ドアの外からイレアの声が聞こえた。どうやらイレアが管理局から帰ってきたらしい。
ドアを開け、イレアの問いかけに答える。
「いるよー。マイもいるよー。」
「そう。そろそろ、みんな集まる頃だから。」
イレアがそう言って生徒会室に私たちを招くように扉を大きく開く。
それに従うように移動するとちょうどエルネスト達が入ってきた。
「あ、エルネスト、マチルダ、おはよー。」
「もうおはようって時間じゃないけど。」
もちろん言い返してくるのはエルネストだった。そんなエルネストを諌めながらマチルダが上品にごきげんようと挨拶をしてくれる。
「なるほど。ごきげんよう。」
満面の笑みで初ごきげんようをかましてみるとエルネストがうさんくさっと言い捨てる。
ひどいなーと笑っていると、マイが何事もないかのようにソファーに座るのが見えた。
良かった、いつも通りだ。その姿に安堵して、すでに定位置化してる場所に腰掛け、メンズ二人を待った。




