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チートだったら神さまになれるって本当ですか?  作者: 上野史華
チートだったら略奪できるって本当ですか?
24/33

トラウマ

クルーズグループの手腕により事態は収まり、なんとか発足宣言は閉幕した。レセプションの準備のため私とマイはイレアの車で、他の4人はエルネストの送迎車とか言う黒塗りの車で迎賓館に向かった。黒塗りの車が来た時、私とフィルマン、マリウスはその車を見つめ多分同じことを思ったと思う。


お金持ちってこの車しか乗らないの?


きっとエルネストにも伝わったのかぼそっと「社用車は全部これなのよ…。」と不満そうに言葉を漏らし、車に乗り込んで行った。

それを我々庶民はそっと見守ることしかできなかった。

そんなことを思い出しているとマイが話し始めた。

「今日の奇襲、犯人たちは何を目的にしてたのかしら。」

「確かに、目的が発足宣言の阻止なのか、たくさん集まってる人達をねらってのものなのかそれによって今後の対策が変わってくるしね。」

私たちの会話にイレアがバックミラー越しに参加する。

「まだわからないわ。犯人と思われる5人を捕まえているから、執行部隊が取り調べを進めていくうちにわかってくることだと思うけれど。」

「そうね…。」

イレアの返答にマイが考えるように軽く握った手を口元にもっていく。そんなマイをみているとある事を思い出した。

「そーいえば明日の活動ってあるの?」

「しない予定だったけれど、今日の事で一度生徒会室に集まってもらおうと思ってるわ。もしかしたら活動が入るかもしれないから。」

「じゃあ活動がなかったら、早めに終わる感じ?」

「ええ。そのつもりだけど、予定があるの?」

「私じゃなくて、マイが予定入れようかなぁって感じぃ、なんだよね?」

その言葉に考えこんでいたマイが少し顔を上げて運転席にいるイレアを見る。

「大した用事じゃないから活動が入るならそれでいいわ。オルネラスの生徒会の様子を見に行こうと思っただけだから。」

イレアがミラー越しにマイをチラッと見る。

「そう。相変わらずなのね。」

マイはその言葉をいなすように窓に目線を送る。

イレアは私よりマイと付き合いが長い。マイのオルネラスに対する想いを目の当たりにする機会があったのだろう。その長いまつ毛を優雅に揺らしながら外を見つめる彼女を横目で盗み見みながらそう思った。

「ついたわよ。」

その言葉に反応して窓の外に目線を向ける。そこには白く上品な建物が佇んでいた。

車が止まり、イレアにお礼を伝えて車を降りる。

「うわぁ。綺麗な建物だねぇ。」

文化を感じさせる造形に手入れの行き届いた石畳。白いその肌は歴史を感じさせながら品を纏っていた。

「当たり前じゃない。普段は国賓を招いたり国事行事を執り行ったり、普通の人間は入ることすらないんだから。」

後ろから説明してくれるのはエルネストだった。どうやら先について外で待っていてくれたみたいだ。

「エルネストも?入るの初めて?」

「そうよ。」

「へぇ、本当にレアなんだねぇ。」

感心しながらその建物を見つめているとはぁ、とため息が聞こえた。エルネストがジト目でこちらを呆れるように見つめる。

「あんたね、なんでそんなに他人事なのよ。普通は入らないところよ?もうちょっと嬉しがってもいいんじゃない?」

「いやーなんか、実感が湧かないと言いますか、凄すぎて凄さがわからないといいますか…。」

責めるような目線に曖昧な笑顔を取り繕い、言い訳する。その言葉にうんうんと賛同してくれたのはフィルマンだった。

「わかるぜぇ、エンジェル。俺らがすごいってわかるのエルネスト、クィーン、マチィまでだもんなぁ。凄すぎてもはや訳わからない存在ってあるよなぁ。」

「そうそう。」

二人でうんうんと頷いているとエルネストが疲れたように呟く。

「何度も言うけど、それ人類唯一のダブルアビリティ保持者よ?国賓超えて人類の宝だから。」

その言葉にファルマンがこちらを向き、優しい微笑みを向ける。


「居たわ。ここに。凄すぎて訳わからない存在。」

「ちょっと、ひどくない?」

「酷いものですか!!天使みたいな微笑みで近づいて!!ぼくをたぶかして!!」

でた、爆速変態モード。呆れた目でフィルマンを見つめ、チラッとマリウスをみると既に手刀を繰り出していた。

「ぐぇ。」

気を失ったファルマンが倒れないようにマリウスが首根っこを掴む。

「絞技は雰囲気に合わないと思ってな。」

うん、この雰囲気にあった気絶方なんてないと思うよ?

そんなことを思ったけれど助けてくれたので黙っておく。

「じゃあそろそろ着替えに行くわよ。」

もはや何事もなかったように業務連絡をするイレアにみんなも平然と返事をする。


厳かな室内に入り進んでいくと広い階段が現れ、イレアが案内するようにそれを登っていく。

「一階は式典に使われるホールがほとんどだけど、2階は客室になっているわ。私たちは客室を控え室に使っていいみたいだからそっちに向かうわよ。」

私たちはイレアの背中についていき、途中で男子部屋についたマリウスは気絶中のフィルマンを連れて入っていった。

そのすぐ奥の部屋のドアを開きイレアが口を開く。

「女子部屋はここよ。」

室内は落ち着いた木目調のフローリングに豪奢な絨毯が客室を彩っていた。中央に置かれている天蓋ベットはその存在感を遺憾無く発揮していた。

姫の部屋だ。

なんとなく部屋に圧倒され奥に入らずにいた私を追い抜いて、エルネストが気に留めない様子で中に入っていった。

それに気がついたのかエルネストが振り返り怪訝そうに言葉を発する。

「何してんのよ?」

「いや…なんかすごい部屋だなぁって。」

「だから国賓とか呼ぶようなんだから当たり前でしょ?」

エルネストは今更何言ってんのよ?と付け加える。そんなエルネストの華々しさとこの部屋が見事にマッチしていて、さらに気圧される。

うん、この部屋の主人感、強めだね?

「…エルネストってお姫様みたいだよね。」

「…。」

エルネストが少し驚いたように目を開き、口は少し空いていた。そんな表情に、なんか変な事をまた言ってしまったかと慌てて付け加える。

「いや、ほら、エルネストって綺麗なブロンドの髪だからさ!ザ!お姫様みたいだなぁって、この部屋の感じもあいまって…。」

言い訳のように伝えた言葉に、エルネストが目線を逸らしその綺麗なカールされたまつ毛をゆったりと付せ目がちに傾ける。

何故か少し悲しげに見えた。普段の彼女は圧倒されるような自信と真の通った気品を身に纏っていて、そんな弱々しい雰囲気なんて滅多に見せない。それがまた余計に私の不安を煽る。

「エルネスト…?」

不安げに彼女の名前を呼ぶと、ハッとしたようにいつもの皮肉るような表情に変わる。

「ま、あんたより私の方がこの部屋にふさわしいことは間違いないわよね。」

「あ、はい、まぁ、そうですけれど…?」

いつもの自信たっぷりな振る舞いに苦笑いを浮かべて返事をする。エルネストはそれに満足そうに頷き、クローゼットを開く。

今のなんだったんだ…?

なんとなくイレアとマチルダを見るとエルネストを思わしげに見つめていた。

やっぱり変だったよね…?そう思いながらエルネストを見つめていると、肩をポンと叩かれる。

「さ、スイもドレスに着替えないと。」

イレアが優しく微笑む。

「あ、うん。」

イレアのこの表情は何かを知ってる顔。きっとエルネストの今の反応について知っているんだろうけど…。それを気づかせないために話を変えたんだ。だとしたら、私はそれに便乗するしかない。クローゼットの近くに行きドレスを見る。

レセプションの招待客はほとんどドレスやパーティー用のジャケットスタイルで出席するとのことで、活動服では流石に浮いてしまう。その為私たちも用意されたドレスに着替えることになっていた。

それぞれの名前がハンガーについており、自分のドレスを手に取る。

邪魔にならないようにみんなより少し離れて着替えを始める。こんな服着る機会がほとんどなく手間取ってしまう私に対して、他の4人はスルスルと着替えていく。


「スイ、背中あげてもらえる?」

イレアが髪の毛を首筋から前に流すような仕草で背中を向ける。細い首筋、うなじがあらわになっていた。

あ、うん。任せて。

「おお、なんか、エロいなぁ」

「…スイ?」

「…心の声がいれくっちゃった。」

「あんたね。」

「いやだって、こんな美女が背中丸出しで、髪の毛前に持っていってなんて、もう…。男の人に見せちゃダメだよ?」

イレアはその言葉に顔だけ振り向き、口の端を持ち上げる。あ、悪い顔してる…。

「もう、見せてるかもしれないわよ?」

その挑発的な笑顔に胸が強制的に跳ね上げられる。

出た、イレアの大人ジョーク。…ジョークだよね?うん、そう、ジョークなはず…。

恥ずかしさと心配なのか不安なのかわからない感情を隠しながら背中のチャックをあげる。

「また、そう言うからかい方する…。やめてよね、教育に悪いよ?」

「最初にセクハラしてきたのはあなたでしょ?」

イレアはまったく悪びれる様子もなく、チャックが上がったのを確認するとこちらに振り向きありがとうと伝える。

イレアの黒のドレスは彼女の上品で艶やかな大人の雰囲気を存分に出している。比較的露出は控えめなデザインだが、足の深く入ったスリットだったり、肩からアームカバーまでの素肌だったり、その手入れの行き届いたきめ細かな肌を見せつけるには充分だった。

「どう?」

イレアが柔らかく微笑み聞いてくる。


…なんとなく、なんとなくだけど。

こうしてイレアが普段着と違う服を着ていると研究室から出たことを実感する。

こんな姿まず研究室で見ないもんなぁ。目に映るその姿がやっぱり嬉しくて微笑み返しながら言葉を紡ぐ。

「凄く綺麗。」

その言葉に満足そうに目を細め言葉を返す。

「ありがとう。」

そんなやり取りをしていると何やら目線を感じた。

そちらを見るとすでに着替えと髪のセットまで終えたエルネストがジトーとこちらを見つめていた。

エルネストのドレスは彼女の堂々とした雰囲気にあった赤のドレスだった。オフショルダーのドレスは彼女の綺麗な金髪をより際立たせ、その瑞々しい肌を鮮やかに彩っていた。その髪はマチルダにやってもらったのだろう、いつもは流れるように降ろしている金髪をゆったりと巻いてもらっていた。その普段から煌びやかなその髪がウェーブがより気品を強め、ドレスの色に合わせた薔薇の髪飾りがその溢れんばかりのオーラをまとめている。

ほんとにどこかのお姫様みたい。いやもはやオーラが王女だけど。

「な、なにかな?エルネスト?」

「いや?いちゃついてんのか感動的なシーンなのか見極めているだけよ?」

「別に、普通に着替えを手伝ってただけだよ?」

エルネストに見つめられるとドギマギしてしまうのは何故なの?その華やかさが私の素朴さを追い詰めるの?

その様子を追い立てるようにジーと見つめてくる。その目線から逃れるように目を逸らすとイレアからため息が出た。

「エルネスト、あまりからかってないで。スイもそんなにオドオドしないの。」

「別にからかってないわよ?本当にどっちかなと思っただけ。」

その言葉にイレアが冷ややかな目線を送り、その目線をいなすようにエルネストがそっぽ向く。そのやりとりを怯えながら見ていたらイレアが再びため息をついてまぁいいわと告げる。そしてイレアはマイの髪をセットしているマチルダに私もお願いできる?と声をかけていた。

エルネストに目線を戻し、抗議の目線をおくる。

「何よ?」

それに対抗するように眉間に皺を寄せてエルネストが見つめてくる。

「二人が喧嘩するの嫌だから、やめてよ。」

「別に喧嘩してないわ。」

「しそうになってたじゃん。」

「しそうになっただけよ?してないわ。」

そんな屁理屈を堂々と言うエルネストに呆れた目線を送り、ため息をつく。その様子に再びエルネストが言葉を紡ぐ。

「大体、私とイレアは喧嘩しないわよ。」

「なんでさ?」

「考え方が似てるから、お互い踏み込んじゃいけないところがわかるの。」

そう言うエルネストは先ほどのように少し寂しげだった。確かにあの時私からエルネストを遠ざけたのはイレアだった。この二人にはこの二人の何かがわかるのだろう。なんだかそれに疎外感を感じながら、私が触れてはいけないことだと自分を納得させる。

「ほら、あんたも着替えるわよ。」

「うん。」

おとなしくそれに頷く私にエルネストが満足そうに微笑み、私のドレスを置いているベットの端に腰掛ける。活動着を脱ぎ捨て、ライトグレーのドレスを手に取る。

こんな綺麗な服、なんだか恥ずかしくなるなぁ。

そんなことを思いながらドレスを見に纏う。チョーカーを首に巻き、背中部分のレースをそれにつけようとするが上手くいかない。

エルネストが立ち上がり私の背後に回ってレース部分とチョーカーを留める。

「ありがと。」

「いいえ。」

そんなやりとりをしたあと、エルネストが上から下までしっかりと見たあとうん、と満足そうに頷く。

「似合ってるじゃない。」

「…そうかな?私には華やかすぎる気がするけど…。」

「…あんた、本当、鏡見たことある?」

呆れるように呟く言葉の意味がわからなかった。

「え?あるよ?毎朝見てるけど?」

「自分整ってる顔してるなぁとか思わないわけ?」

「…へ?」

「だから、自分の顔見て、整ってるなって自覚はしないの?って聞いてんのよ。」

…?……??

「なんて顔してんのよ…。」

エルネストが今日1番の呆れたため息をつく。自分の眉間の皺がこれでもかと言うほど濃くなってるのは気がついている。

「いや、整ってるっていったら、マイとかエルネストとかみんなみたいな感じじゃないの?私は別にそんなだけど?」

「あーもう、いいわ。わかったから。髪の毛、やるわよ。」

強制的に話を切られ、背中をおされながら鏡の前に行く。鏡の前に座り、エルネストに全てを任せ彼女の女性らしい華奢な指先が器用に動くのを見つめていた。

「はい、できたわよ。」

右側の髪が後ろに流れるようにねじりながら耳にかけられ、それが崩れないようにピンでしっかりと留めてある。前髪と左側の髪はふんわりと流れるようにセットされていた。最後につけたエメラルドグリーンの髪飾りがタイトにまとめあげた右側に花を咲かせる。

「なんか、恥ずかしいね。」

鏡に映ったのが自分じゃないみたいでなんだか照れ臭くなる。鏡越しにエルネストが両肩に手を置き、そっと微笑みを浮かべながら言葉を紡ぐ。

「すごく似合ってるから、自信持ちなさい。」

…この人たらし。イレア?私に注意する前にこの人怒ったほうがいいですよ?そんなふうにふざけながら嬉しすぎる言葉をなんとか受け止める。

「うん、ありがとう。」

そんなことをやりとりしていると鏡越しにイレアとマチルダがレセプションの動きを確認しているのが見えた。

あ、みんな終わってたんだ。立ち上がり、二人の元へ向かう。

「ごめん、お待たせ。」

「スイさん、すごく綺麗です。」

「ありがとう。マチルダもよく似合ってるよ。」

ありがとうございますと微笑むマチルダは、その上品な雰囲気にあったローズピンクのドレスに身を包んでいた。胸元までざっくり開かれたVネックのデザインは、純白のシルクのインナーによって上品にまとめ上げられ、本人の優雅な雰囲気をより強調していた。

みんなよく似合うものだなぁと感心していると、イレアが口を開く。

「そろそろ、会場で打ち合わせをしてくるわ。先に行ってるからマイを連れてきてちょうだい。」

「あ、わかったよ。」

そういうと3人はイレアを先頭に部屋を出ていく。なんか、すごい強い絵面だなぁ。他人事のようにその後ろ姿を見つめる。

マイは…あ、いた。ベランダにでて風に当たっているのが窓越しに見えた。ガラスの扉をゆっくり開け、その背中に声をかける。

「マイー、みんな会場に向かったよー。」

ざっくり開いた背中を眺め、その白さと美しさにまだ誰も踏み入れていない雪のようだと思った。長く滑らかな髪はまとめ上げられその折れてしまいそうな首筋があらわになっていた。その背中がゆっくりと向き直り、いつものラベンダー色の瞳が私を映し出す。


息を呑んだ。


世界にはこんなに美しいものがあるのかと目を見開く。その純白の肌に映える深いラベンダー色のドレスは胸元からチョーカーにかけてレースになっており、その美しい肌を見え隠れさせる。露出している肩は彼女の女性らしい華奢な肩を強調させ、その儚さを際立たせていた。しっかり足元まで伸びたロングドレスはタイト目なシルエットで、シンプルだが彼女のスタイルの良さをこれでもかと言うほど主張していた。

その美しさの暴力に目を見開くことしかできなかった。きっとその光景をこの目に焼き付けれるように、多くを見つめることができるように本能が目を開けてしまうのだろうなと他人事のようにそう思った。


「アマミさん、綺麗ね。」

先に言葉を放ったのはマイだった。その微笑みがこちらに向けられる。

あぁ、どうかこの景色を、この瞬間を切り取って私だけのものにしたい。この瞬間を忘れずに鮮明に覚えていれればいいのに。そんな独占欲にまみれた願いが自然と溢れ出てきた。

「マイ、凄く綺麗。」

同じ単語でしか褒められないが悔しくなるぐらい美しく儚かった。

「ありがとう。みんなは会場に?」

その言葉に現実に引き戻される。あ、そうだった。

「そうそう、だから私たちもいこう?」

「ええ。」

そう言ってマイは私の横を通り過ぎて室内に入っていく。先ほどの光景が無性に名残惜しく、決定的な1ピースを失ったその風景を見つめ、胸を締め付けられる。

「アマミさん?」

振り返ると私を待ってくれるマイが居た。それなのにその胸の締め付けは緩まず、ただ切なさが居座っていた。

「今行く。」

笑顔を取り繕い、小走りでマイのもとへ駆け寄る。


会場に着くと先に行っていた3人とフィルマン、マリウスが待ってくれていた。2人はジャケットに着替えていた。ファルマンはその青い髪に合わせたようなネイビー。マリウスは対になるようなワインレッドだった。やっぱり二人とも身長があるからこう言う服が似合うなぁと感心しながらみんなに近づく。マチルダが私たちに気がつき、ニコリと微笑んでくれる。

その姿にみんなが気付いたのかこちらを向く。

「…!」

フィルマンが驚いたように目を見開き両手で口を押さえる。何度か見た反応だったけれど、今回ばかりは賛同する。こんなに綺麗な子が来たらみんな驚くよねぇ。その驚きの顔に親しみを覚えながら目尻を下げ困ったように笑う。

「…っ!かわいすぎ…!天使が降臨された…!」

掠れるような声で紡いだ言葉は私に向かって放たれていた。

マイが綺麗すぎて見れないのかな?

ん?と微笑むと固く目を閉じて辛そうな表情を浮かべる。

「やめて…っ!その笑顔…!!気が狂いそうになる…!」

ん?あ、わたし?こんなに可愛い子隣にいて私?ちゃんと見えてるのかな??

「え?私?」

「…僕の中でエンジェルは君だけだよ…っ!」

とんでもなく恥ずかしいことを言われてる気がするけど、なんでだろう、何にも感じない。

「あ、えっと、ありがとう?」

「こちらこそ…!!」

謎の感謝をもらいつつみんなに話しかける。

「準備はどうかな?」

「滞りなく。」

にこやかにマチルダが応え、言葉を続ける。

「あとは開場の16時を迎えて、マイさんのスピーチ、スイさんの乾杯の音頭を行い、自由解散という形をとっています。一応の締めの挨拶も予定してますが、残っている方は少ないでしょう。」

「大変なのはマイのスピーチだけだね。頑張って。」

そう言ってマイを見つめると淡々とええ、と返事が返ってきた。マイはイレアを見つめてゆっくり言葉を放つ。

「研究局局長は結局どうなったの?」

その言葉が一瞬宙に浮かぶ。研究局局長。つまりリヒル・パトルシオ。私の研究室の室長だ。名前を呼ばないのは私への配慮だろう。名前を呼ぶことさえ震えてしまった私を見ていたから。

「…室長は遅くなるけれど来るそうよ。ただ迎賓館に入る時に執行部隊が来賓をチェックするみたいだから教えてもらえることになってるわ。」

イレアが私の様子を見ながら答える。心配が浮かぶその眼差しに大丈夫だよと微笑む。私の微笑みにイレアが少し苦そうな表情を浮かべる。なんとなくそうなると思っていたけれど、この不安をそのまま表情に出すのはやはりできず、取り繕う笑顔しか作れなかった。

「そう。」

マイがイレアに返事をし、何かを考えるように軽く手を握り口元に持っていく。すぐに顔を上げ、こちらを見つめる。

「その連絡が来たらアマミさんは必ず誰かといた方がいいわ。私もすぐにあなたを探すから。」

そう言うマイの瞳は真っ直ぐにこちらを捉えていた。その真剣な表情が胸をくすぐる。

「うん。迷惑かけてごめんね。」

眉尻を垂らしながら情けない笑顔を浮かべてしまう。その言葉にフィルマンが反応する。

「エンジェルは何にも悪くないだろ。悪くないんだから何かあればちゃんと頼ること!いいな!」

ニカッと笑うその笑顔に不安な気持ちがほどかされる。その笑顔に安心を感じるようになってきた。

「フィルマン、ありがとう。」

「おうよ!」

少し照れたように笑う笑顔に親しみが湧く。

「そろそろ開場よ。みんなで迎える準備をお願い。」

イレアの言葉に各々が返事をして、レセプションが始まろうとしていた。


開場すると続々と人が入ってくる。みなさん慣れたようなお綺麗な格好で優雅に闊歩している。なんか、別世界だなぁ。そんなふうに思っていると脇腹を膝で突かれる。横を見るとエルネストがジッと見つめていた。

「あんた、私が教えたことちゃんとやるのよ?」

「あぁ、そうだった。なんか、雰囲気に圧倒されちゃって忘れてた。」

エヘヘと曖昧に笑ってみると呆れたようなため息が返ってくる。まったくと呟くとこちらを真剣な眼差しで見つめる。

「…何かあればすぐ言うのよ。」

「…うん、ありがとう。」

やっぱりこの人はひとたらしだなぁ。くすぐったくなって照れたように微笑む。


40代ぐらいの男性がこちらに近寄り話しかけてくる。

「スイ・アマミさんですよね?」

「はい。」

品よく見えるように微笑を浮かべ、愛想良く返事をする。その男性は安心するように微笑み言葉を続ける。

「よかった。わたくし、ブリュノ・リシャールと申しまして…」

いわゆるご歓談が始まった。


各自ご歓談をして、なんとなく離れ離れになっていた。マイとマチルダ、イレアはそれぞれ慣れた様子でご歓談に励んでおり、マリウス、フィルマンはセットで色々なご婦人に話しかけられていた。

なにより1番驚かされたのはエルネストだった。前にマチルダが言っていたように多くの人がエルネストをみて絶えず話しかけに来ていた。それをエルネストはいつもとは想像のつかない愛想の良さで受け答えし、時には何か真剣な表情で意見を述べていた。やっぱ、エルネストって凄いなぁ。感心していると横から話しかけられた。

「スイ・アマミさん。」

その声はなぜか上機嫌で、聞いたことのある声だった。

振り向くと、マイの許婚ルエダさんが楽しそうに笑っていた。ジャケットを羽織り、オールバックにしているその姿は清潔感にあふれ、今日も好青年の佇まいだった。

「ルエダさん。」

「名前覚えていてくれたんだ。嬉しいな。」

そう言って彼はニコリと笑う。そーいえば前回私名前隠したんだっけ?気まずくて申し訳なさそうに彼を見つめる。

「あの、前回、名前隠してしまってすみませんでした。」

「いいんだよ!僕も気が付けばよかったんだ。なにぶんアビリティ関係には関心がないものでね。」

「いえ、そんな。」

「それに、あれはマイが君に隠させたんだろう?」

気のせいかもしれないけど、声色が少し変わった気がする。なんだか、どこか、探るような、そんな声だった。

「隠させたとかじゃないんですけど…。」

「大丈夫だよ。許婚だからなんとなく予想がつくさ。」

そう笑う彼の笑顔は先ほどのものと寸分違わないものだった。その笑顔に圧倒されそうですかと言うのが精一杯だった。正直、なんで私のことを探してたのか、なんであの時マイがあんなに怒っていたのか、聞きたいことは沢山あった。でも、見守ろうと決めてしまった以上彼にも聞いちゃいけないだろう。

「それにしても、君がアリストタリア伝説の第一位。ダブルアビリティ保持者の生徒会長だなんてね。」

感心するように紡がれた言葉に少し照れてしまう。

「いや、そんな、私自身は大した事はないんですけど…。」

「いやいや、君で大したことなかったら人類皆大したことない以下になっちゃうよ?」

ご謙遜をと大袈裟に彼は言うが、本当に私自身は何もしてない。

奈月みたいに努力して能力を得たわけでもなく、マイみたいに自らの力で自分の望む立場を手に入れたことがあるわけでも、エルネストのように社会から求められるスキルを手にしたわけでもない。

ただ私には能力があった。それだけだった。私の成果じゃない。そう思いながらも静かに微笑むことしかできなかった。ルエダさんが言葉を続ける。

「それに、あのマイが興味を示すほどの才能なんだ。謙遜されてしまったら困るよ。」

「え?」

私の反応に少し驚いたように目を丸め、説明するように言葉を放つ。

「マイって淡白だろ?そんなマイが隠したくなるほど君に関心を持つなんて、よっぽどその才能に魅了されたんだと思ったんだ。」


…あぁ、なるほど。マイが見せるあの笑顔は、温度は私の才能に対しての物なのか。

これは幾度か経験した私の才能の副産物。今もたくさん私に話しかける人がいるのも、この副産物のおかげ。

わかっていても、それを目の当たりにすると、自分がただの器だと言うことを嫌でも考えさせられる。その事実に胸の奥がどんどん冷たくなっていく。


「マイはそんな子じゃないですよ?」

後ろから聞き覚えのある声がした。振り返ると王子様スマイルを浮かべたアルバードさんが居た。

「おや、アルバードくん。久しぶりだね。」

「お久しぶりです。ルエダさん。」

お互いすごく好印象に微笑みあっているが、なんだろう、この居心地の悪さは。

「マイは、能力や才能で人を判断しません。マイがアマミさんに関心を抱いてるなら純粋に友人としてでしょう。」

そのアルバードさんの言葉に冷たくなっていった胸の奥が温度を取り戻していく。その言葉に反応したのは私だけではなかった。

「さすが幼馴染で元婚約者なだけあるね。マイのことをよく知ってる。確かに、能力で判断する子なら僕じゃなくて君を選ぶはずだ。」

ニコリと微笑むルエダさんはなじるように続ける。

「残念だったね。子供同士の口約束なんて大人になったらなんの意味も持たないし、マイが自ら選んだのは僕だったわけだしね。」

「…ええ。婚約なんて子供の時にやっていた遊びです。お二人の仲を裂こうとなんて思っていませんよ?」

ご勘弁をとアルバードさんが微笑みながら伝える。そのやりとりを見て、二人ともマイに拘っているのがわかる。ルエダさんは許婚だし、アルバードさんは幼馴染だし、当たり前なんだけどお互いそれ以上の何かを感じた。そんなふうに二人を見ていると腕を勢いよく引かれ、誰かに引き寄せられた。


「マイ。」

その話題の人物だった。ルエダさんを睨むように見つめ、彼から私を引き離す。

「…この人に何の用?」

その言葉には警戒が詰まっており、やはり許婚に対する態度ではなかった。その態度に相変わらずその笑顔を崩さず言葉を返す。

「特に何かあったわけじゃないさ。そこにいたから話しかけたって言うのと、君が"アマミさん"だったんだねって話してたんだ。」

少しからかいを含んだその言葉にマイがピクリと反応する。また、あの時みたいになる。私にはわからないあの辛そうな表情を浮かべるのだろう。咄嗟に言葉を紡ぐ。

「そうそう!だから、あの時はすみませんって謝ったんだよ!なんか隠しちゃってってさ!」

私の言葉にマイがまっすぐこちらを見つめる。その瞳に笑いかけ、ね?と微笑む。

何かを訴えるような瞳をしていたが、苦しそうに眉間に皺を寄せ目線を地に這わす。どこか諦めたように再びルエダさんに目線を送り、掴んでいた私の腕を離して言葉を発する。

「…義父様、義母様がいらっしゃったらまた挨拶に行くわ。」

「ああ。呼びに行くよ。」

ニコリとルエダさんは微笑み、マイはその場を去る。

「じゃあ僕も父上、母上を迎えに行ってくるかな。」

そう言ってルエダさんもその場を去っていった。なんとなく緊迫した空気がなくなりふぅーっと息を吐く。その様子を綺麗な碧眼をパチリと瞬かせ、楽しそうに笑い始める。

「アマミさんって以外と怖いもの知らずなところあるんだね。」

「怖いもの知らず?」

「あぁ、あんなに怒ってるマイにあのテンションで話しかけれる人初めて見たよ。」

笑涙を拭いながら愉快そうに微笑む。

「いや、だって、あの時はあぁしないと…。」

マイがまた辛そうにするから…。紡ごうとした言葉は表現するには難しく言い淀んでしまった。アルバードさんはその様子を優しく見守り、ありがとうと呟く。その言葉にアルバードさんを見つめると、彼はマイを見つめていた。

「あの子は不器用なんだよ。目的のために一生懸命で。だから誤解されることもあるし、傷つけられることもある。僕は僕なりに彼女を支えたいと思っているんだけど、なかなか上手くいかなくてさ。だから、アマミさんみたいにマイを大切にしてくれる子が近くにいてくれると嬉しいんだ。」

その瞳にはマイしか写っていなかった。慈しみに溢れたその表情は先日感じた、その好意の根源を断定するには充分だった。おそらく幼馴染に向けてでも、不器用な後輩へ向けてでもないのだろう。

…この人は本当にマイの幸せを願っているんだ。その事実が切なくて苦しくて、彼を抱きしめてしまいたくなる。

その感情が出てしまっていたのだろう、私の表情をみて、困ったように微笑む。

「アマミさんにそんな顔させたら僕がマイに怒られてしまうよ。」

冗談めかしたその言葉をグッと受け止め、笑顔を取り繕う。それを見てアルバードさんが安心したように微笑み言葉を続ける。

「父と母が来ているんだ、紹介しても?」

その言葉にエルネストによって仕込まれた社交界モードに切り替わる。

「もちろん。」

そう言って、優雅に微笑むと少し驚いたようにアルバードさんが目を丸くし、またクスクスと笑い始める。

「マイがアマミさんと仲良くする意味がわかってきた気がするよ。ちょっと待ってて、今呼んでくるから。」

そう言って、人混みに消え、しばらくするとアルバートさんと同じ綺麗な金髪の美男美女が優雅に歩み寄ってくる。

この親にしてこの子ありだなぁ。二人とも綺麗な金髪で丹精な顔立ちに、爽やかな雰囲気。お母さんは瞳の色がグリーンがかっているがよく雰囲気の似た家族だった。

「紹介するよ。こちらが僕の父ウィリアム・ブラッツ。母のクリスティーナ・ブラッツです。」

「いつも息子がお世話になっています。ウィリアム・ブラッツです。」

サッと差し伸べられたその手に初めて会った時のアルバードさんの姿が重なる。その手に応えるようにそっと手を差し出す。

「こちらこそ。スイ・アマミです。アルバードさんにはいつもお世話になっております。」

できるだけ上品にニコリと微笑む。隣にいたアルバードさんのお母様が優しそうに微笑み、優雅に手を伸ばす。その動きから柔らかなローズの香りがした。綺麗な人って香りまで良いよなぁと一人下世話に感心する。

「母のクリスティーナです。先ほどの発足宣言は見事でした。」

その柔らかな微笑みと、目元の細かな皺が親しみを感じさせ安心してしまう。

「とんでもない。観客の皆さんに怪我がなくて幸いでした。」

しばらくアルバードさんの両親と歓談し、そろそろマイのスピーチの時間になる頃だった。ちらっとマイを見ると演壇の前で準備をしていた。そろそろ私も行かないと。そう思っていた時、アルバードさんが口を開く。

「そろそろ始まるみたいだね。アマミさんはここにいて大丈夫なのかい?」

さっすが、オルネラス生徒会長。マイの幼馴染。よくわかっていらっしゃる。

「お気遣いありがとうございます。私は乾杯の音頭を取らないといけないので、お言葉に甘えて一度失礼します。」

そう伝えて礼儀正しくお辞儀をすると、ブラッツ家の皆さんは爽やかな微笑みを浮かべて見送ってくれた。なんとまぁ爽やかな家族。どこかの国の王族ですと言われたら素直に信じると思うなぁとくだらないことを思いながら、マイの横に向かう。

「疲れて無い?」

マイがこちらを見ずにぶっきらぼうに聞いてきてくれた。社交界デビューの私に気を遣ってくれてるのだろう、その不器用な優しさがマイらしくてつい笑顔が溢れる。

「うん。アルバードさんとたくさん話せて良かった。ご両親も素敵な人だし、今のところ楽しいの方が多いかな?」

「そう。よかったわ。」

そう応えるマイはいつもに増して淡々としているようだった。違和感を感じたけれど、踏み込んでいけないところだと直感が伝える。

「では、発足宣言レセプション開催に際しまして、副会長のマイ・フェルバークよりみなさまへご挨拶を述べさせていただきます。」

司会のアナウンスにより、会場の視線が一斉に演壇に注がれる。それに臆することなくマイがその凛とした姿勢で演壇に上がる。スポットライトに照らされてもなお、その輝きはマイから出たものだと感じさせるには充分の堂々たる様だった。

マイの挨拶が滞りなく進み、乾杯の音頭を取るため演壇に上がる。発足宣言のスピーチに比べれば大したことない。そんなことを思いながら、飲めもしないシャンパン片手に"乾杯"と伝え、会場が同じ言葉を発するのを聞き一口だけ口にする。口の中に溢れかえる気泡を感じながらゴクリと飲み込む。えぐみと鼻を抜けるアルコールの香り。これが美味しく感じる時が来るのだろうか…。そんなことを思いながら貼り付けの笑顔で降壇する。

側にイレアが来てくれていた。私の持っているグラスをそっと受け取りクスッと喉を鳴らす。

「美味しくないの?」

「うん、全然美味しくない。」

優雅な微笑みのまま感想を伝える。

アリストタリアでは高校入学の15歳から車の免許取得や飲酒、喫煙が許されている。社交界などの行事が多いこの国ならではなのだろうけど、割と出身国の法律を守ろうとする人も多いため15歳だからと言ってみんながみんな飲み始めるわけではなかった。

私の返答にイレアが再びクスクス笑い、言葉を放つ。

「口に含んだ時、一瞬かたまってたわよ。他の人は気づいてないでしょうけど。」

「バレたかぁ。」

流石にイレアにはバレるよなぁ。おどけたように微笑みイレアの手元に移ったグラスを見る。いくつもの気泡が自然と列を作って上へ上へ向かっていく。

「これは私がもらうわよ。」

「ありがと。…飲みすぎないようにね?」

「誰に言ってんのよ?」

そう言うイレアの顔は上品に微笑んでいた。周りから見たら和やかな雰囲気で話してるように見えるんだろうなぁ。そんなことを優雅に微笑みながら考える。

「イレア・ユーリアルさんですか?」

横から話しかけられ、そちらを見るとなかなかのイケメンが少し照れたようにイレアに目線を送っていた。その言葉にゆっくりと上品に微笑み返す。

「はい。管理局のローマン・ウィドソン様ですね。」

名乗っていないのに名前を言われたのに驚いたのか、イレアのその微笑みに目を奪われたのかわからないが目を丸くして頬を高潮させていた。

「はい。お会いしたのは初めてかと…。」

「ええ。ですがウィドソン様のご活躍はよく耳に入るものですから。」

お褒めの言葉からのー、上品スマイル。綺麗をやりたい放題じゃないの。イレア。

私知ってるよ。朝、イレアが一人一人の名前と顔と経歴を頭に叩き込んでたの。叩き込んでたってよりコーヒー片手にサラッと見てただけだけど。その姿を見てイレアが前に天才って言われていたのに納得したよ。

そんなやりとりを見つつ、邪魔者は退散しようとそっとその場を離れる。

「スイ・アマミさんですよね?」

オレンジジュースをもらい、佇んでいると話しかけられた。そうですと答えると魅惑のご歓談タイムがスタートした。


そこからはあれよあれよと話しかけられ、誰と何を話しているのか段々とわからなくなってきた。

ちょっと、休憩しないと変なことを言ってしまいそうだ…。キョロキョロと当たりを見渡し人影の少ない窓の近くに避難する。ふぅ、疲れたぁ。全然量の減ってないオレンジジュースを口に含みその酸味と爽やかな甘さを味わう。

みんなの様子を見ようと会場を見回す。フィルマンとマリウスは先程と同じように御婦人の人気者になっているようで、奥様方を楽しませていた。エルネストとマチルダはもはや商談してるのではと思うぐらい真剣に何かを聞いていた。さすが大手グループ企業次期社長と幹部。

イレアを見ると、とりあえずもういろんな人に囲まれていて、こちらからはイレアの桜色の髪の毛しか見えなかった。まぁ、あれだけ綺麗をやりたい放題してれば納得だけど。マイは…いたいた。リーアス理事長も来ていたんだ。

マイの隣にいる引き締まった体つきの男性。グレーヘアをオールバックにまとめ上げ、そのスーツには今日もシワひとつ許さない。なんか、完璧親子って感じ。その親子と話しているのはマイの許婚ヴェルメール家のみなさんだろう。ルエダさんと似た雰囲気のお母様と、威厳のあるお父様って感じがする。あれ?マイのお母さん来てないのかな?大体こう言うのって夫婦で参加する気がするけど。なんか事情があるのかな?

そんなことを思いながら再びオレンジジュースを口にして、グラスの中身を飲み干す。近くのテーブルにグラスを置き、ご歓談に戻ろうとした時後ろから声をかけられた。


「スイ・アマミ、こんなところに居たのですね。」


私に優しく話しかけるこの声。耳の中で優しく反響するその落ち着いてるその声は、私の背中をゆっくりと逆撫でする。忘れかけた恐怖をしっかり繋ぎ止め、その存在感を強めるこの声は、6年間何度も何度も聞いた声だった。飲むことを忘れた唾が口の中で溜まる。それをゴクリと飲み込み、覚悟を決めその声の主に振り返る。

「パトルシオ室長。こんばんは。」

「ええ、こんばんは。スイ・アマミ。」

なんとか笑顔を取り繕い返事をする。パトルシオ室長はそれに対し満足そうに微笑み返す。優しく微笑むその眼差しは慈しみに溢れ、私に向けられる。

いや、私の才能に向けられていた。

私の身体がこの場から逃げたいと小さく震え出したのに気づき、腕を押さえて、その震えを止めようとする。

その事はなんの関心もないかのようにパトルシオ室長は言葉を続ける。

「どうですか?外は?」

「すごく楽しいです。色んな人と出会えて、良い刺激をもらってます。」

「それは良いことですね。確かにイレアくんから送られてくる数値は徐々に成果を上げてきているようです。この1年間は数値の伸びも芳しありませんでしたからね。やはりあなたを外に出すことは正解でしたね。」


今、私は、にこやかに会話ができているのだろうか。腹の底から湧き上がる冷たい物がどんどん私を支配していく。私はただ頬に力を入れているだけだった。確か笑う時の力の入れ方はこれであっていたはず…。恐怖にいつもできていることがわからなくなる。それを隠すように返事をする。

「ええ。これからも成長できるように努力したいと思います。」

「素晴らしい心がけですね。」

そう言って優しく微笑む彼は嬉しそうだった。その姿に少し安堵する。凍てついた体の芯が少し温度を感じるようだった。

「しかし、先日の事件。あの結果はいただけませんね。」

そう伝える彼の表情は先ほどまでそこにあった慈しみがストンと抜け落ちたようだった。

その変化に体が強張る。

「能力の使用過多、体の損傷。なぜあそこまで追い詰められたのですか?」

私を見つめるそのコバルトブルーの瞳は底が抜けてしまってるかのように、見つめても見つめても捉えることができないように思えた。

考えが上手くまとまらない。本当が早く返答しないといけないと脳が慌てて信号を出すが、口が思うように開かない。

「あれは…、今後の再発の可能性を考えて…。」

「再発?」

「はい、彼の犯罪行為の根源は高位アビリティに対する…」

「そんな事はどうでも良いでしょう?」

ゆっくりと放たれた言葉は確実な断絶を孕んでいた。その言葉に私は言葉を紡ぎ直すことができなかった。身体の震えが大きくなるのを感じ抑える手に力が入る。


「再発なんて事、起こさなくさせればいい。あなたは他者生命の剥奪が許されているでしょう?」

そう優しく諭す言葉はあまりに残酷で、リヒル・パトルシオその人らしさに溢れていた。自分の目的、興味、興奮のためならそれ以外のモノはどうでも良い。痛み、尊厳、生命すら軽んじる。それがこの国の実権を握る研究局局長リヒル・パトルシオだった。


もう笑顔を取り繕うなんてことはできなかった。ただ、どうにか息をする。恐怖に足元を掬われないようにするのに精一杯だった。

「あなたは、ただ能力を伸ばすことを考えていれば良い。ただの器であるあなたがその身体を、その才能を危険に晒す事は許されないのですよ。」

その言葉が耳に何度も反響する。彼にとって私はダブルアビリティを入れた器でしかない。この6年間で嫌と言うほどその扱いを受けてきた。ただの器がその才能を傷つけるなと言っているのだ。体の底から湧き出ている凍てつく恐怖が肺まで喉まで迫る。呼吸が浅い。肺が膨らまない。


怖い。


そう自覚すると体を冷たくさせる恐怖が一気に身体を包み込む。追い立てるように彼は続ける。

「もし、その身体を、才能を大きく損なうことがあれば、研究室で再び管理しなくてはいけません。」

その言葉に震えヒュゥと息を吸う。

「僕としては残念です。数値の結果も出ているのですから。その時は、そうですね、イレアくんは別の研究に移ってもらいましょうか。」

なんとなしに伝えられたその言葉は私の中で絶望を意味していた。その事が顔に出ていたのだろう、それに気がついた様子で彼は続ける。

「彼女は優秀ですからね。君の元では彼女の能力を活かしきれていません。人類の宝である君だから彼女をそばに置いてますが、そうでなくなった時、わざわざ彼女を君の元へ置く必要もないでしょう。」

イレアがいなくなる…?あの研究室でイレアがいない…?思い出される研究の日々に彼女がいないなんてこと、耐えられるわけがない…。体が拒否するように彼から目を逸らし、何もない床を見つめる。

わかりやすい脅しだった。ただその脅しに私は恐怖するしかなかった。冷や汗は次々頬をつたい、身体の震えはもはや抑えることすらできなくなっていた。本能が訴える、許しを請う言葉を紡ぐように口がどうにか開かれる。

「すみま…」


「お久しぶりです。パトルシオ室長。」

そう言葉を放ちながら私の横を通り過ぎたのは赤いドレスだった。顔を上げ通り過ぎたその背中をみると綺麗な金髪が波打っていた。

「…エルネスト。」

唇から落ちるようにその名前を呼ぶ。私を遠ざけるように彼と私の間に入り、彼に握手を求める。パトルシオ室長はそれに優しく微笑みエルネストの手を優しく握り返す。

「お久しぶりですね。エルネストくん。あなたの活躍は様々なところで耳にしていますよ。」

「パトルシオ室長にそうおっしゃっていただけるなんて、光栄です。ところで、本日はどちらから?ご挨拶をと思っていましたので、執行部隊の方にいらっしゃったら連絡するようにお願いしていたのですが。」

いつもの気だるさを全く見せないその姿は、笑顔で完璧に武装しているようだった。

「僕ですか?表が混んでいたのでいつも使う裏口から。早く終わらせてきたのに待たされるなんて勿体無いですからね。」

「そうでしたか。さすがは研究局局長で在らせられる。迎賓館に裏口があったなんて初耳です。ところで…」

そう言って、話を続けるエルネストを縋るように見ていたら、後ろからトントンと肩を叩かれた。

「スイさん、こちらに。」

マチルダが優しい微笑みを浮かべて、小声で声をかけてくれる。

彼のものとは違う、私を安心させようとする微笑みだった。そのあたたかさに身体の芯がすこしほどかされる。手を差し伸べられ、震える手を差し出す。そっと握られ、先導されるまま彼女についていく。


頭がまだ整理できず、しばらく歩くと先ほど着替えた客室についていた。マチルダがドアを開き中に入れてくれる。パタンとドアが閉まった音を聞いて、張り詰められていたものが崩れ落ちていった。

手足の力が抜けその場に座り込む。震えは相変わらず止まることもなく、その大きさを増していっていた。先ほどから出ていた冷や汗も安堵からか噴き出るように流れ出し、息はどんどん荒くなる。

「ーっ!ハァ!ハァ!ハッ!」

「スイさん!大丈夫ですか?」

息が苦しく胸が痛くなる。手で押さえるが痛みは引かない。マチルダの心配してくれる声が耳に反響する。

扉が弾けるように開かれ、慌てたイレアの姿が目に入った。

「スイ!!」

私を見つけるとその黄色い瞳を心配でいっぱいにさせながら駆けつけてくれる。

あぁ、来てくれた。まだ、そばにいてくれる。それだけで安心して、この恐怖から逃げることができそうだった。

まだ息が整わず、それでも目の前の二人を安心させたくて、無理やり笑顔を作ろうと目を細める。息を整えようと大きく息を吸う。

大丈夫、あの人はいない。エルネストが助けてくれた。マチルダが、イレアがここに居てー。


『わざわざ彼女を君の元へ置く必要もないでしょう。』


その言葉が耳に残り、反響させる。恐怖があっという間に私を飲み込む。

いやだ。聞きたくない。

耳を押さえて聞こえないようにするが、彼の優しい声色がざらりと耳の中で繰り返させる。

『身体を、才能を大きく損なうことがあれば、研究室で再び管理しなくてはいけません。』

『イレアくんは別の研究に移ってもらいましょうか。』

『君の元では彼女の能力を活かしきれていません。』

ボトリ、ボトリと汗が床に落ちる。喉がヒューヒューと風を送る。視界がぼやけイレアとマチルダの慌てた顔が歪む。お腹の底から込み上げるものがあった。

やばっ…。

そう思い、口元に手を当てなんとか耐えようしたが、体が前のめりに倒れ込む。もう片方の腕でなんとか受け身を取るが込み上げてくるものが存在感を増して喉のところまで迫ってくる。

イレアが声を上げてるが何を言っているのかわからない。あーだめだぁ。そう思った時、口元にさっと袋が当てられた。

「ヴェッエッ!!」

ビチャビチャッと胃から遡って体内の液体が吐き出される。

気持ち悪い。

「ゲホッ!!ハァーッハァーッ!ヴッ!」

パチャっと小さな音を立てて吐き出されるそれは、胃の中のものがなくなるまで音を立て続けた。もう出すものも無くなったと言うのに私の体は拒否を示して胃液でさえも吐き出そうとする。腕の力が抜け横たわるように倒れ込む。自分の嘔吐したものが頬に着くのを感じながら、ドアが開く音が遠くに聞こえた。その様子を見ることもできず吐き続ける。

「ア゛ッ、ヴッーッ。」

またドアが開かれる音が聞こえる。パタパタと誰かが近寄り額に手を当てる。やがて緑の暖かい光に包まれていく。痙攣を起こしていた胃腸が落ち着くのを感じ、呼吸が整っていく。

「はぁー、はぁー。」

ぼやけていた視界が鮮明さを取り戻していく。そこには心配と不安にまみれたイレアと珍しく慌てたエルネストがいた。

「スイ…。」

弱々しくイレアが私の名前を呼び、冷たい指が頬を撫でる。研究室での実験の時もそうだった。心配で不安になるとイレアの指先は冷たくなる。それが本当に私を心配してくれてるのだと、なんだか嬉しかった。力無く微笑み、もう大丈夫だと伝える。

エルネストはその光を絶えずに私に向けてくれる。どんどん身体の調子が戻っていくのを感じる。

本当にエルネストのアビリティってすごいなぁ。そんな感心していると身体に力が入っていくのを感じる。

ゆっくり身体を起こし、頬についた自分のものを軽く拭う。顔ベタベタだなぁ。

「…エルネスト、ありがとう。イレアも。ちょっと顔洗ってくるね。」

ふらつく体で立ちあがろうとするとイレアが支えてくれる。重いだろうというのとと汗と色々でベタベタしてる身体に触らせるのが悪くて大丈夫と伝える。心配そうに見つめるその瞳を情けなくいなしながらシャワールームに向かう。二人が心配そうな目線を感じながら扉を閉める。


洗面台に行き蛇口を捻る。蛇口がキュッという悲鳴をあげながら水を出す。それを手に掬い顔につける。冷たくて気持ちがいい。ただ、こびりついたその気持ち悪さを拭うにはまだ足りない気がして何度も顔を洗う。何度か水につけたあと、備え付けのタオルで顔を拭く。前を向くと肌の色がくすみ、目の下が窪むようにたるんだ酷く疲れ果てた顔をした銀髪の少女がいた。

「ひっどい顔。」

あまりの酷さに笑いが込み上げてくる。洗面台に両手をつき、しゃがみ込むように腰を落とす。込み上げるため息を吐き、体の空気が全部抜け切るのを感じる。まだ胸の底に冷たい何かが渦巻いているのを感じる。


…イレア達が心配してる。戻らないと。そう思い、鏡を見ないように立ちあがりベットルームに戻る。

「スイ…!」

イレアが心配そうに駆け寄ってくる。笑顔を作り安心させられように答える。

「心配かけてごめんね?もう落ち着いたから。」

「…っ。」

その言葉にイレアが苦しそうに顔を歪める。エルネストが座りなさいとベットに案内してくれる。

「まさか、裏口があったなんてね…。」

エルネストが悔やむように呟く。その言葉にイレアがゆっくりと頷き、責めるように俯きがちに呟く。

「ごめんなさい。私の調査不足よ。」

いつまでも私はこの人を傷つけてしまう。

イレアの悔やむように握りしめられたその拳を見つめる。力が込められ皮膚が触れ合う部分が白くなっている。その手を包み込むように触れる。イレアがゆっくりとこちらに目を向ける。

「イレア、大丈夫だから。自分を責めないで。」

顔を歪め、そのお願いを伝える。

切実な"お願い"だった。

イレアは優秀で、その知識を、発想を、色んな人から求められてる。ダブルアビリティを持っていると言うだけで、そんなあなたを私は独占している。その上に、私といる事で傷つけてしまうなんて、許されるはずがない。


あの人が言う事はもっともなことだった。わざわざ私のお世話係にそんな優秀な研究員をつける必要もない。それなのにそばに居させてくれるのはきっとイレアといると数値が上がるから。器としての私は、またその才能によってイレアという存在にすがる事ができている。

「スイ、でも…」

「良いの!」

イレアの言葉にピシャリと否定をしてしまう。

初めてだった。誰かに、拒絶するように言葉を放つのが。それもイレアになんて。

イレアが驚いたように目を見開くが、私の言葉は止まることなく吐き出すように出て行ってしまう。

「イレアはそばにいてくれるだけで…!それ以外は望まないから…。」

語尾は消えいるように力無く言葉を詰まらせる。私の様子にイレアが戸惑いを顔に浮かべていた。

あぁ、そんな顔させたくないのに。もうどうしてもダメな気がしてイレアの手から自らの手を離す。その手を自分の膝に置こうとした時、そっと華奢な指が私の手を掬い取った。


「望んでいいの。」

その言葉に顔を向けるとローズピンクの瞳がこちらを真っ直ぐ捉えていた。その意思が伝わるようなブレない視線。その視線から目をそらせなかった。

「良いのよ。そばにいて欲しいでも、助けて欲しいでも、外に出たいでも、実験を受けたくないでも、望んで良いの。あなたが望むなら私は全力でそれを叶えるわ。」

何を…。そんなこと望んだら、それを叶えようとしたら何を敵に回すかわかってる…?

…いや、わかってないエルネストじゃない。だからこそ、その言葉が信じられなかった。

まっすぐ意思を持って向けられる視線にその場しのぎの励ましをしているのではないのだろうと思った。ずっと秘めてたこと、それがただ言葉になっただけのようだった。

なんでそんなに…?知り合ってばかりの私に…?

その真っ直ぐな瞳には疑念とその希望に縋りたい気持ちが出ている私の表情が映っていた。

その様子にいつものようにため息をつき、呆れたように微笑む。

「まったく、少しは嬉しそうな顔しなさいよ。」

「あっ。」

「あ、じゃないわよ。」

そう言って目を細め微笑んでくれるその姿にピンと張っていた警戒と緊張の糸が緩んでいくのを感じる。

「ごめん、ありがとう。」

なんだか恥ずかしいのと申し訳ないのと伏せ目がちに微笑む。イレアの顔をオズオズと覗き込み先程のことを謝罪する。

「イレア、変な言い方してごめん…。室長に言われた事で色々考えちゃって…。」

そう言って困ったように微笑むとイレアはもどかしいように眉間に皺を寄せ、その瞳は私を慈しむように見つめる。

「気にしないで。私はスイのそばにいるから。」

そう言ってそっと添えられるイレアの手を離さないように絡め取る。その様子をみてエルネストが言葉を紡ぐ。

「無理しなくて良いわ。ただあいつになんて言われたか簡単にでも言える?」

「…うん。」

スゥーと息を吸って落ち着いて話を思い出す。エルネストが緑の光を当ててくれていた。この光はやっぱりあたたかく優しい光。その安心する優しさに当てられ、彼の優しいざらついた言葉は少しずつ耳から消えていっていた。

「最初はね、外の世界はどうとか、数値が伸びてて良いとかだったんだけど…。ジルさんの事件で、沢山能力使ったり、怪我したりしたでしょ?なんでそんなことになったんだって。私だったら…。」

ゴクリと唾を飲み込む。その口触りの悪い言葉をなんとか口の中で転がす。

「生命剥奪が許可されてるのにって…。」

「それって、あんたに犯人を殺させるってこと…?」

エルネストが嫌悪の表情で聞き返す。その言葉に俯きがちに頷き、言葉を続ける。

「ただの器の私が身体を、才能を傷つけることは許さない。もしそうなったら研究室に戻すしかないって…。今の私だから、イレアを側に置いてるけど、そうじゃなくなった時、わざわざイレアを私のそばに置いておく必要はないって。」

全てを話し終えて沈黙が訪れた。絡めていたイレアの指先に力が籠るのを感じた。ゆっくりイレアの顔を見ると怒りに顔を歪めていた。

「スイに人を殺させる…?スイがただの器…?私をそばに置いておく必要がない…?」

確かめるようにイレアは言葉を辿る。受け入れられないと言うふうに言葉を吐き出し、指先にさらに力が込められる。

「あの人は…!どこまでこの子を…!!」

いつも私を優しく見つめるその瞳は、烈火の如く怒りに染め上げられ口元を歪ませる。

その時扉からノックが聞こえた。

イレアが扉を見つめ、自分の感情を整理できないままに立ち上がる。扉を警戒するように少し開き、返事をする。

「お久しぶりです。イレアさん。ビート・ゲルツです。」

「…ビート。」

イレアの警戒の色が強くなる。ビート・ゲルツ。若くして室長補佐に任命されるほど優秀な研究員。あの研究室の一員だった。

「悪いけど、今、手が離せないの。また今度にしてくれる?」

拒絶のはらんだその言葉をビートはいなすように言葉を返す。

「そうですか。室長がイレアさんとお話ししたいとのことでしたが、都合つきませんか?」

“都合”そう言って私をチラッと見つめる。彼が私に向けるその目は研究室時代から淡白だった。まるで問題のあるモルモットを見つめるような瞳。その瞳に恐怖がぶり返される。

キュッと服を握り、その皺に深い影ができる。

「つかないわ。室長には今度メールすると伝えておいて。」

扉を閉めようとするイレアに対し、ビートは靴を挟みそれを阻む。

「室長から誰かにお話をしたいなんてほとんどないことです。それだけあなたに期待しているのにその対応はいかがかと思います。」

その言葉にイレアは不快感を露わに睨みつける。

「そんなのどうだって良いわよ。その足を退けてちょうだい。」

「良くないです。僕からしたらイレアさんの“都合”の方がどうでも良いことかと。」

その言葉に胸がどきりと跳ね上がる。チラッと向けられる視線でさえ恐ろしいものに感じ、目を逸らす。また、ドクドクと脈を打つ音が聞こえ始め、恐怖に身体が揺さぶられる。

「あなたね…!」

そう言って、イレアが何か気づいたように振り返るのがわかった。何か考えるように黙ったあと再び言葉を紡ぐ。

「…わかったわ。行くわよ。」

その言葉に咄嗟に顔をあげる。喜ばしそうに微笑むビートに連れられ、イレアが顔を歪ませついていこうとする。


イレアが行っちゃう。

何されても我慢してきた。足を切られても腕を潰されても生殖活動を強要されても。我慢できたのは、我慢してきたのは、イレアがいたから。抵抗したらイレアがいなくなると思ったから。

なのに…。連れてかないでよ…。


気づいたら空間内の全てを認識していた。扉を力任せに大きく開き、私の大切な人を包み込むように捉える。行ってしまう彼女を私の元へ手繰り寄せるように引っ張る。

私の元へ背中から飛び込む彼女を抱きしめるように受け止める。奪われないように、連れてかれないように彼女の細い肩と腰に手を回す。

恐怖だか、興奮だかわからないその胸の高鳴りを収めるように、ずっと守ってきてくれたその香りに顔を埋める。

「…スイ?」

6年間呼び続けてくれたその声は驚きと心配に色つけられていた。その声に顔をあげる。胸の高鳴りが収まらず、フゥーフゥーと呼吸が荒くなる。私のこの姿に最初に反応したのはビートだった。

彼はツカツカと部屋に入り、ベットの近く、私の目の前に立つ。私と目線を合わせるように腰を屈めその淡白な瞳を私に向ける。またイレアを連れてかれるのではないかとその瞳を睨みつけ、抱きしめる腕に力が籠る。先に口を開いたのはビートだった。


「君はいつまで彼女を縛りつけるつもりだい?」


その言葉に胸が掴まれたようにドクリと音を立てる。気にしていたこと。彼女の生活を、仕事を、未来を私が独占してしまってるのではないかと。

彼女に伝えたらそれは自分の意思だと言ってくれた。こうやって縋り付いてみてわかる。私は私が思っている以上にイレアに執着している。この執着が彼女の優しさにつけ込んでいるのではないか。もう考え出したらドツボにハマるだけだった。抵抗できる言葉が思い付かず、ただ息が荒れ、汗が溢れ出る。

「ビート!変なことスイに言わないで!」

抗議するようにイレアが言葉を放つが、お構いなしにビートは続ける。

「才能を授かった。それは君の1番の成果だ。ただそれだけでしかない。器は器らしく粛々と実験されていれば良いものの、不安定になったり、成長を望まなかったり。そのせいでイレアさんを煩わせて。そろそろ彼女を解放してあげたらどうだ?」

その言葉はズバズバと胸に突き刺さる。私の痛いところ全てを的確に捉えて刺してくる。全部その通りだった。わかっていたことを他人から指摘されるのは傷口を踏みつけられるようで苦しかった。唇を噛みその痛みに耐えようとするが、息が上手くできなくなってくる。熟されたように瞳が澱むのがわかる。

「人間扱いしてくれるイレアさんに縋って。そろそろ気づけよ。自分が希少価値の高いだけのモルモットだって事を。」

その言葉に爛れた胸がギュゥと潰されるようだった。痛みに目を固くつぶる。


パシンッ。

その音に目を開く。ビートの整った顔が傾き、片頬を赤く染めていた。横には手を振り切り、怒りと軽蔑の目で彼を睨むエルネストがいた。

「…スイが何も言わないからって、調子乗ってんじゃないわよ。」

その言葉は重く深く響いた。叩かれたことすら特に気に留めない様子でビートは冷ややかな目をエルネストに向ける。

「何も言わない?言い返せないの間違いじゃないですか?」

「そうね、言い返せないの。スイはね、馬鹿なの。馬鹿みたいに優しくて、お人好しなの。自分のことよりも人の事を気にしちゃうから言い返せない。あんたの言葉にきっと返す言葉なんて無数にあるわよ。そんな才能すら持ってない自分らが偉そうにするなとか、実験に付き合ってやってるだけ喜べとか。私だったらあんたを傷つけても言い返してやるわよ。スイはそれをしないの。それはあんたでさえ傷つけたくないから。そんなこともわからず、好き勝手言ってるあんたなんて器の小ささを露呈してるようなもんね。」

そう言い捨てるエルネストは彼を侮蔑していた。エルネスト、なんでそんなに怒ってくれるの?そう思って彼女を見つめるが、彼女はビートを軽蔑するように見つめるだけだった。

「なるほど。僕を傷つけたくないから。心底くだらない理由ですね。それで他の人に縋り付いてては元も子もない。」

ビートは馬鹿にするように吐き捨てる。その言葉にエルネストが冷たく言い返す。

「くだらないかどうかは人それぞれよ。少なくとも私とイレアはそんなスイが大切。それでスイに頼られるなら嬉しいぐらいだわ。だから。」

こんなにも冷たく軽蔑をはらんだ目をすることができるのか。そのローズピンクの瞳が負の感情で満たされていく。

「この子を私の目の前で傷つけることは許さない。」

敵意に溢れたその言葉は優しく私を包み込む。不愉快そうにビートがエルネストを見つめる。

「一度実験に関わった程度でよくもまぁ、そこまで。まぁ、あなたに何ができるかわかりませんが。」

実験に関わった…?エルネストが…?私の記憶にはそんな…振り返ろうとすると頭が締め付けられるようにそれを拒否する。なんだこの感じ…その痛みに顔を歪ませる。

ビートがエルネストから目を離し、再びイレアに目線を向ける。

「とりあえず、イレアさんは後で必ず来てください。室長からお話があります。」

ビートが私をチラッと見つめて口の端を歪に持ち上げ、ボソッとと耳元で囁く。

「このタイミングで話ってなんだろうな。」

ーっ!不安を煽るようなその一言で思い出される室長とのやりとり。すでに乱され続けた精神状態ではその言葉ですら容易に崩される。ゼェーゼェーと喉が鳴り、呼吸が浅く肺が広がらないのがわかる。

もう限界だった。視界が揺れ手足から力が抜ける。世界が崩れるように視界がぐるりと回転する。ボヤけた視界で心配するイレアとエルネストの顔とその場を去ろうとするビートの姿が映った。

あーもう、今日は災難だなぁ…。そんなことを思いながら繋ぎ止めていた意識を手放す。

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