表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
チートだったら神さまになれるって本当ですか?  作者: 上野史華
チートだったら略奪できるって本当ですか?
20/33

決められた相手

私がヴェメール家の長男と許婚になったのは、私が中学に入ったばかりの時だった。

その頃の私は、ランクアルファになり、オルネラスの生徒会長を任されていた。自分の思い描いていたフェルバークとしての道を進め始めていた。


そこにきた、許婚の話。自分がフェルバーク家の一員として、認められたようで嬉しかった。

もとより、許婚の話が来たら断るつもりも無かった。オルネラスを守り続けるフェルバーク家に必要な事ならば、私に断る理由はない。


相手のヴェメール家は代々研究機器を取り扱っているヴェメール社を営んでおり、その製品はこのアルストタリアの中でも多くのシェアを誇っている。そんな大企業の次期当主、ヴェメール・ルエダが突然、私に婚約を申し込んできた。

教育機関としてアルストタリア1の規模を誇っているオルネラスと研究機関を支えているヴェメール社。

オルネラスのブランドとヴェメール社の経済力。婚約には申し分ない相手だった。

父からその話をもらった際、なんの迷いもなく承諾した。父が眉間に深く皺を作り険しい顔をしていたのを覚えている。


そこから何回か顔合わせをし、許婚の相手を知っていった。許婚のルエダは私より4つ上で、その当時はオルネラス高等部に通っていた。入学式の際に私を知り、婚約を申し入れたとのことだった。ルエダは何故婚約を了承してきたか聞いてきたが、断る理由がなかったからとしか言いようがなかった。その言葉を聞いて、ルエダは満足そうに頷き、いかに自分が優秀か、いかに素晴らしいかを語っていた。正直、私には関係ない話だと感じた。ヴェメール家は代々家業として研究機器の製造を行っており、アリストタリアの研究局と強い繋がりがある。大きな問題が起きないかぎりそのパイプは切れることがなく、大きな問題が起こり得てもその歴史ある企業の優秀な社員がどうにかするだろう。ヴェメール社はこのルエダが優秀かそうでないかで揺らぐような、歴史と企業規模ではなかった。


何度か顔合わせを重ね、中学3年になろうとしていた春先、ヴェメール家から同棲の話がでた。それに対して、どうせ結婚する相手、それが同棲をする事でそれが早まるならと承諾した。フェルバークの人間として役に立てる、オルネラスの存続、繁栄を手伝える。それが早まるだけ。


そう思っていた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ヴェメール家の門をくぐり、色彩の無い屋敷に帰る。使用人が私に気付き規律正しく頭を下げる。

「おかえりなさいませ、マイ様。」

「ただいま帰りました。」

その言葉に決められたようにニコリと微笑み、使用人は口を開く。

「ルエダ様はもうお帰りです。マイ様が帰られたらお部屋に来るようにと言伝をいただております。」

「…わかりました。」

その言葉を聞いて胸の奥がさらに冷たくなるのを感じた。帰宅し、荷物も置かずにルエダの部屋に向かう。扉に前に立ち、暗然とする気持ちを抱えながらノックをする。

「…私よ。」

ギシっとベットが弾むように音を立て、ゆっくり足音が近づいてくるのを感じる。ゆっくり扉が開かれ、そこにはニコリと微笑む青年がいた。その見た目は好感を持てるような清潔感のある佇まいで、その笑顔は人の心を緩ませる。彼を見て悪く言う人など見たことがない。

「おかえり、マイ。」

その優しい声色は私の耳にザラつきを覚えさせる。




同棲を始めてすぐだった。彼が夜、自分の部屋に私を誘ったのは。許嫁になったと言うことは、そう言う事もすると言うこと。理解はしていた。


しかし、それが現実になった時、私の心は身体と引き剥がされたような感覚になった。触れる指が、肌が、唇が私の心を引き剥がしていった。


何度か夜を重ねた時、私は初めてその誘いを断った。その時期は生徒会活動が忙しく、疲れていた事もあり、その誘いに耐えれるほど心に余裕がなかった。

その日の夜、自室で休んでいるとルエダがいつものようにニコリと微笑みながら尋ねてきた。最初は学校の事、生徒会の事、取り留めのない会話をしていた。会話が途切れ、夜も深くなった時、突然ベットへ押し倒された。疲れているからと目を合わせずに伝えると、その人の良さそうな笑顔の仮面がパキッと音を立てて割れ落ちた。


「マイ?誰に言っているの?僕はマイの許嫁で、将来夫婦になるんだよ?」

「…それでも、今日は疲れているの。」

「…だから?僕は今したいのだけど?」

その目の奥は欲望に当てられ熱を籠らせたようにぐずつき、彼の顔はそれと相反するように冷却するような冷ややかな表情をしていた。

その瞳には嫌悪感をあらわにした私が写っていた。

「私は嫌。」

その言葉を聞いて、彼の表情はさらに冷たさを増した。ひどく無粋なことを言われた。そんな顔だった。

「わかっているのかい?僕が婚約破棄をすれば、オルネラスとヴェメールの関係は傷つく。オルネラスは今、ルミリアに炎のランクアルファを取られて危ういんだろう?幸いなことにルミリアは由緒正しい女子校で、僕に見合う家柄の子も多いんだ。」

わかりやすい脅しだった。

しなければ、オルネラスでなくてルミリアを取るぞと。それを紡ぐ口は歪むように持ち上げられ、私の答えが一つしかないのを確信していた。

「マイ?わがまま言わないでくれるかな?」

その目は勝利を確信して、ニコリと細められていた。その笑みに酷く嫌悪感を抱きながら、顔を強張らせる。返事をしない私を愛おしそうに触れ、独りよがりのその行為を始めた。


そんな毎日が続いた。


いつしかこの屋敷に入ると胸の奥から冷気を感じ、感情が動きを止める。その日々が積み重ねられ、私の感情は屋敷以外でも動かなくなっていった。


止まってしまった感情が動き出したのは高校に入学してからだった。才能に溢れた強く優しい彼女を知るほど、その温もりを感じるほど胸の奥が温められ、柔らかく動き始めた。


ただその温もりはあまりにも暖かすぎて、現実との温度差に胸が締め付けられていく。私の胸を冷たくさせる行為をするたびに、彼女の体温を、表情を思い出す。優しく慈しむ瞳、困ったように笑う眉、照れたような頬の赤らみ、そして私を安心の中に温めてくれるその手。きっと動き出した感情が再び凍りつかないように彼女に逃げていたのだろう。


しかし、私はそれに縋りすぎてしまった。


朝を迎え、身体にその憂鬱さを残しながら起き上がる。早くこの屋敷を出ようと、早く彼女との待ち合わせ場所に行こうと、身体の重たさを無視してシャワーに向う。その時、まだ横たわっていたルエダが言葉を発した。

「アマミって誰だい?」

その名前に身体が反応してしまった。

目を見開き、咄嗟に振り返る。

なぜその名前を…。

隠す事なく驚愕をあらわにしてしまった。

その反応に歪な笑いを作る。

「アハハ!珍しいね!マイがそんな顔するなんて!」

まるでイタズラに成功したような笑顔だった。ひとしきり笑い終えた後、起き上がり、私の嫌悪と疑問の目線に答えるように口を開く。

「寝てる時に言ってたよ。アマミさんって。」

そう言う彼の表情は面白いオモチャを手に入れた。そんな喜びをはらんだ笑顔だった。

その名前が彼から発せられる事、まるで大切にしていた白い靴を踏み躙られたようなそんな気持ちになった。

「で?アマミってやつはどこのどいつなんだい?僕の大切なマイにちょっかいかけているんだろ?」

そういうルエダは歪な笑いを作り、その目は重く冷酷な輝きを放っていた。彼女をルエダに関わらせてはいけない。直感がそう伝える。どうすればいいのか思考を巡らせているとルエダが呆れたように口を開く。

「まぁ、いいさ。マイが僕の許嫁なのは変わらないんだから。」

まるで自分に言い聞かせるように呟き、再び眠りにつこうと横になり、瞳を閉じた。その顔をじっと彼が動き出さないことを観察するように見つめた。その表情から、読み取れる情報はなく、逃げるように彼女を待つあの木陰に行こうとその部屋を出た。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「ふぁぁぁ」

暖かい朝日を頬に浴びて、抑える事なく欠伸をする。春の空気が入り、体に溜まった空気が鼻から抜けていく。昨日しっかりイレアに怒られた後、たくさん寝たはずなのに眠気が身体にまとわりついている。なんやかんやまだ疲れが抜けてないのかなぁ。そんなことを思いながらマイとの約束の場所に向かう。


マイがいつもの所に佇んでいた。いつも早いなぁ、そう思いながら彼女を見つめる。

あれ?今日は本、読んでないんだ。

いつも読んでいる本はその手に無く、何か思わしげに遠くを見つめている。その憂いを帯びた横顔に違和感を覚えながら、絵画のように美しく雰囲気のあるその姿に目を奪われる。

そんなことを考えながらマイの元に向かう。よっぽど考え事をしているのだろう、近づいても気が付かないマイに声をかける。


「マイ?おはよう。」

やっと気がついたように、こちらを向く。その目線を纏わせるように、私をじっと見つめる。そのラベンダー色の瞳が少し不安そうに揺れていた気がした。

「…アマミさん、おはよう。」

なんだかおかしい。その違和感をこぼれ落とさないように言葉を紡ぐ。

「マイ、どうしたの?元気ない?」

その言葉にマイの瞳がさらにぐらついたように見えた。すぐに目線をそらし、何でもないように言葉を紡ぐ。

「そんな事ないわ。昨日イレアにちゃんと怒られたの?」

「…うん、ちゃんと怒られたよ。」

それを気にしてたのかな?それにしても、ちゃんとって…。やっぱりイレアに怒ってもらうためにあの時いったのか…。

ジト目でマイを見つめる。私の目線に気がつき、マイがフッと力が抜けたように微笑む。

「そう、それは良かったわ。」

あ、出た、悪魔。入学式の時のアルバードさんを思い出す。彼はその日諦めて走り去って行ってたっけ?幼馴染の彼がそうしたなら、きっと諦めるのが正解なのだろう。

「…お店、入ろっか。」

「ええ。」

そう言って、昼ごはんを買うためにお店に入る。いつも通り悩む私と、すぐにお会計に行くマイ。その様子がいつもと変わらないように見えて、少し胸を撫で下ろす。


午前の授業が終わり4人で昼ごはんを食べる。パンを並べてどれから食べようか吟味しているとカシアが驚いたように声を上げた。

「マイ!塩パンじゃないの!」

その声にマイの手に握られた丸い小麦色を見つめる。

「あ、本当だ、チーズパンにしたんだ。」

そこには、私お気に入りのチーズパンが収まっていた。カシアが私にコソコソ聞いてくる。

「スィッチ、今日チーズパンどこに置いてあったの?扉の前?」

「いや、いつもの端のところだけど。」

「じゃあ、目の前にあった訳じゃないんだね。」

確か前にマイが塩パンを選んだ時、目の前に置いてあったからと言っていた。今回はちゃんと選んだと言う事なんだろう。

「スイちゃんにもらったの美味しかったんだ。」

アーリアが朗らかに言う。確かあの時、マイは勝ち誇ったように嬉しそうに笑い、美味しいと言っていた。正直、なんか恥ずかしくてボヤァとしか覚えていないんだけど。

「…そうね。」

マイがなぜか一拍置いて答える。その間に違和感を覚えつつも、マイにつられてチーズパンを食べ始める。幼馴染二人が少し怪訝そうな顔をしていた。

「マイ?何かあった?」

アーリアが優しく問いかける。あ、やっぱり今日のマイは変だよね?その言葉にマイを見つめる。

「何もないわ。少し疲れてるだけ。」

「そう?無理しないでね?」

アーリアがマイを心配そうに見つめ、カシアが頭を大きく縦に揺らし、うんうんと同意する。

「ええ、ありがとう。」

その言葉に幼馴染二人が優しく微笑む。いい友達だなぁ。その3人の雰囲気に入れずに、どこか遠くから見てるような気持ちになる。なんとなく手持ち無沙汰になって、パンを齧る。その姿をカシアがじっと見つめてきた。

「ん?どうしたの?」

「美味しそう…。」

そう言えば、昨日、カシアちゃんににあげ損ねたっけ?そんなことを思い出し、カシアちゃんに聞いてみる。

「食べる?」

「いいの!?」

その勢いについつい吹き出してしまう。

「あはは!いいよ。」

「いやったー!」

すでに齧り付いてしまったそのパンをカシアに渡そうとした時、マイが口を開いた。

「カシア、私のをあげるわ。」

「え?いいの?」

「ええ。」

え?本当に?一個しか食べないのに?私3個も食べるから私があげるよ?

「マイ、私3個も買ってるから…。」

「いいの、もう結構お腹いっぱいだし、アマミさん好きなんでしょう?」

もうお腹いっぱいなの?まだ一個も食べ終わってないのに…?マイの少食さに愕然としながら答える。

「うん、好き。」

「…そう。」

また、謎の一拍があった。何の間なんだろう、幼馴染二人を見ると、その4つの瞳は私を見つめていた。

「罪な人…。」

アーリアが残念そうに呟き、カシアちゃんが大きく頷いていた。

「え?なんの…」

「カシア、はい。」

「ありがとうー!」

…。

マイに言葉を遮られ、悲しい気持ちになった。

…いいんだけどね!!いいんだけど!!

そんなこんなで昼休みを4人で楽しく過ごした。


放課後、生徒会室に向かいながらマイを横目で見る。なんとなく朝の憂いを帯びた横顔と、昼の時のアーリアのカシアの心配が気になった。

「なに?」

「え?」

マイがこちらを見つめ問いかけてくる。

「こちらを見てるようだったから。」

あ、バレてましたか。観念してもう一度聞いてみる。

「ほら、昼さ、アーリアとカシアが心配してたし、朝もなんか様子変だったから無理してないかなぁって。確か今日は明後日の中央生徒会の発足宣言の打ち合わせだけらしいし、今日早めに帰らせてもらえばどうかなって…。」

「…嫌よ。」

「え?」

「早く帰る必要なんて無い。」

キッパリと言い切ったその言葉はどこか鋭さを持ち合わせていた。あまりにも頑なな様子にさらに心配になる。

「でも、今日やっぱり様子が変だから。まだ前の事件の疲れが抜けてないんじゃない?私もなんとなく朝そんなこと思ったし、ずっとマイに頼りっぱなしだからさ。心配なんだよ。」

この学校に入学してから私はマイに助けられっぱなしだ。困ってたら手を引いて庇ってくれたり、わからないことは全部教えてくれる。甘えすぎてる実感があるから余計心配になる。

「…疲れ抜けてないの?」

マイがこちらをじっと見つめ、少し心配そうに問いかける。

「あ、まぁ、ちょっとね。なんかだるいなぁってぐらいだけど。」

「無理してるんじゃないの?」

「いや、いや、してない、してない。毎日メディカルチェック受けてるし、イレアも問題ないって。」

「…そう。」

その目はじっとこちらを写し、私の様子を伺っていた。

…違う、違う。逆なのよ。

「私の事じゃなくて、マイだよ。無理してない?」

「大丈夫よ。…ありがとう。」

そう言うマイは口元を少し上げ、静かに微笑む。感謝されるようなことじゃないんだけど…、その笑顔に頬が少し熱をはらむ。

「ううん、マイがなんともないなら…」

「マイ!」

後ろから突然男の人の声がした。誰だろ?そう思い振り返るとそこにはスラッとした背の高い男性が、マイを見つめて人の良さそうな笑顔で微笑んでいた。

服装からどうやら大学生だろうと想像がついた。オルネラス学園は初等部から大学まであるため、時たま私服の人を見かけることがある。ただ大学が学園の端にあり、私たちの校舎のあるところで見かける事はなかった。

マイの知り合いかな?そう思い、彼女の顔を見ると、そのきれいなラベンダー色の瞳が動揺したように大きく開かれ、先ほどまで静かに微笑んでいた表情が冷たく固まっていた。その表情を見つめていると、驚きから嫌悪の表情に変わっていくのに気がついた。

「…ルエダ。」

マイがそうつぶやく。不機嫌そうなマイとは正反対に、彼はにこりと楽しそうに微笑んでいた。

「こんなところで会うなんて奇遇だね。」

人が良さそうに微笑むその笑顔は恐ろしいほど崩れなかった。そんな2人のやりとりを不思議そうに見つめていたら、彼に目を向けられた。

「マイの友達?」

そういう彼の笑顔はどこから見ても好青年の笑顔でつい、心を許してしまいそうだった。ただ、その瞳を除けば。その瞳の奥は重く、冷たく輝いていた気がした。

「あ、はい。スイ・ア…」

自己紹介をしようと私も笑顔作り、言葉を発する。

「スイ。」

突然名前を呼び、言葉を遮ったのはマイだった。急に下の名前で呼ばれたものだから少し動揺してマイの顔を見つめた。

どうしたのと聞くように、マイの顔を覗き込む。マイが私から逃げるように目線をそらし彼の方を見つめる。

「何の用?」

マイが冷たく言い放った。その冷たさに驚くことなく、彼は言葉を紡ぐ。

「いや?マイが高校生になってちゃんと馴染めてるかなと心配になったんだ。でも、新しい友達ができたみたいでよかった。」

「そう。」

マイの反応が心配で来てくれた人に少し冷たすぎる気がして、違和感を覚える。マイの表情を見ると、彼に向けて眉間に深い皺を作り、敵意にまみれている表情していた。それに構うことなく、彼は私の方を見つめる。

「はじめまして。ヴェメール・ルエダです。オルネラス大学2年で一応マイの許婚なんだ。」

あぁ、この人が噂の許婚なんだ。

この人が、マイと結婚する人。ついつい上から下まで見つめてしまった。人の良さそうな笑顔に、スラッとした長身に清潔感のある格好。かっこいい人だな。純粋にそう思った。感心して彼を見つめていたら返事を忘れていた。慌てて言葉を紡ぐ。

「あ、はじめまして。マイとは生徒会で一緒で…。」

「あぁ!そうなんだ!じゃあ君も優秀なんだね!」

その人の良さそうな笑顔で心地よく褒めてくれる。ついつい口元がニヤける。

「いや…そんなことはないですよ。」

「いやいや、中央生徒会で選ばれるなんて詳しくは知らないんだけれど、相当優秀だと思うよ?なんでもルミリアからも2人選ばれているんだろう?あそこも優秀な高校だし、確か光のメンタルアビリティの…。」

「エルネストですね。」

「そうそう。ランクアルファの子が選ばれて、うちのマイもアルファだからね。」

そういう彼はどこが自慢げだった。うちのマイか…。まぁ、許婚だもんね。その響きが、なぜか羨ましくて口の中で反芻する。

「そういえば、中央生徒会に男の子はいるのかい?」

「あぁ、まぁ、はい。」

「どんな子なんだろう?マイは美人だし、言葉足らずだから心配なんだよ。」

確かに。言葉足らず。ピッタリな表現だなぁ。脈絡もなく質問してくることも多いし、怒ってるのかと聞いてみると考え事してるだけだったり。

さすが許婚。それにこんなにいい子、確かに心配になるよなぁ。そう思い、二人の説明をする。

「2人ともいい人ですよ。フィルマンもマリウスも。マイに変なちょっかいをかけてないですよ。」

安心させるように微笑み、伝える。どちらかと言うと、フィルマンは私に変態な気がするけど。…流石に自分の口からは言えないな。

それを聞き、安心したかのように大袈裟に胸をなでおろす仕草をしていた。そんな彼は、やはり人の良い笑顔をしていた。

「それはよかった。スイちゃんだっけ?アマミってやつのこと知らないかな?」

え?私?突然、自分の名前が出てきて、キョトンとしてしまう言葉を発そうと口を開くと紡がれたのは自分の声ではなかった。

「知らないわ。」

え?え?どう言うこと?そのままの顔でマイを見つめる。マイは刺し貫くように彼の顔を睨みつけていた。え、こんわ…。

「行きましょう。」

「あ、うん。すみません、もう行きますね。」

マイに手首を掴まれ、引っ張られる。その手のひらは冷たく、指が私の皮膚に食い込むのがわかる。突然の終了に謝罪をしながらその場を去る。

気にしないで、と変わらず人のいい笑顔で手を振る彼にぺこっと一礼してマイの後ろをついていく。

無言のままエレベーターを待つ。今日は本当に様子が変だ。そう思ってマイを見つめるがその視線に気づくようなそぶりはない。何か思い詰めるような、それでいて気が立ってるようなそんな触れたら破裂してしまいそうな横顔だった。何に怒ってるんだろう…?

エレベーターが降りてきて、急かすマイの目を嘲笑うかのようにゆっくりと扉が開かれる。マイの手の力がさらに込められる。その力が込められた指先は白くなり、色が抜けているようだった。

マイに手を引かれながらエレベーターに乗り込み、ゆっくりと扉が閉められる。二人だけの空間になり、不思議な沈黙が私たちを包む。


「…マイ?どうしたの?」

「どうもしないわ。」

こちらを見ずにピシャリと言い放つその言葉に、言葉が詰まる。

どうもしてないようには見えないけど…。

あ、あれかな?ルエダさんと喧嘩したとか?それで朝から変だったの?さらにルエダさんが私と喋って怒ったとか?結構やきもち焼きなのか…?あ、じゃあこんなに怒ってるのって私のせいでも…?て、言うか、ルエダさんなんで私の名前聞いてきたんだろう…。

次々浮かんでくるその疑問に、その答えを唯一知る彼女は背中で拒否を示していた。

…とりあえず、二人が喧嘩してマイが不機嫌なら、外堀が二人を支えてあげよう。そう思って二人お似合いだよ作戦を実行する。

「それにしても、ルエダさんかっこいいね!大人の男性って感じで!マイとお似合いって…。」


その言葉の途中で握られていた手首が強く引っ張られ、背中と後頭部が壁に打ち付けられた。その手首は握られたまま壁に押さえつけられるようにさらに力を込められた。

「いっつぅ…」

その衝撃につい言葉が漏れる。そこまで痛くなかったけれど、驚きで咄嗟に目を細め、眉に力が込められる。

目を開くと、近くにラベンダー色の瞳が哀しみと虚しさでぐらついていた。酷く辛そうな、もどかしそうな顔をして、きゅっと唇を噛み締める。

「…。」

苦しそうに言葉を発さないその表情が、私の胸にも入ってきたかのようでギュッと締め付けられた。

その苦しみが私に移るように、陶器のような白い頬に触れる。その強張った頬はひんやりと冷たかった。

どうしてそんな顔…。

…わからない。私はマイのことを知らない。今日なんで様子がおかしいのか。許嫁になんで冷たくするのか。…許嫁だって今日初めて会った。改めて思う。私はマイを知らない。

それなのに勝手に理解したふりをして、マイを怒らせた。私の不用意な一言でその瞳を曇らせたのかもしれない。それさえわからない。ただ私にできるのは、その辛そうな顔にたいして謝罪をすることだけだった。

「ごめん。」

その苦痛の表情を見ていられず目線を逸らしてしまう。マイの息を呑む声だけが聞こえた。

エレベーターが最上階に着いたことを知らせる。

ピクッとマイの手が少し離れる。握られていたその手首はジンジンと淡い痛みを残し、手の跡が赤く縋るように色づいていた。

エレベーターの扉がゆっくりと開かれる。

マイのことを少しずつでも知っていきたい。そしたらきっと、こんな顔をさせずに済む。きっと、アーリアやカシアちゃんみたいにマイの少しな変化にも気がつける。それまでは、この子を傷つけないようにそっと隣で見守ろう。そう思った。


マイの横を通り過ぎ、エレベーターを降りる。振り返って何事もなかったかのように笑顔を作る。

「マイ、行こう?」

私を追うように振り返っていたマイは、何か言葉を飲み込み、ゆっくり返事をする。

「…ええ。」


生徒会室に入るとイレアが忙しなく指を動かし、たくさんの資料を用意していた。イレアに見つからないように左手を隠す。

「イレア、お疲れ。」

その言葉にイレアはこちらをチラッと一度見て、再びビジョンに目線を移す。

「二人ともお疲れ様。明後日の資料を作ってるところだからみんな集まるまで、会長業務をやっておいてくれる?」

いつもにましてお仕事モードのイレアに少し圧倒される。

「わ、わかった。じゃあ隣にいるね。」

「ええ。」

ビジョンがそろそろ悲鳴を上げて壊れてしまうのではないかと思うぐらい、その両手は動き続けているのを苦笑いで見ながら生徒会長室に移動する。


扉が閉まり、いつも通り業務を始めようと準備をしているとマイが扉の前に立ちつくしてるのに気がつく。

マイを見ると目線が合い、そらされる。先程みたいに不用意に傷つけないように。どうすればいいのかわからずマイに微笑み、業務を始める。

「…なんで?」

「ん?」

マイは苦しそうに言葉をつぶやく。

「なんでアマミさんが謝るの?なんで何も聞かないの?なんで怒らないの?私が巻き込んでるのになんでアマミさんがそんな顔するの?」

矢継ぎ早に紡がれる言葉は、鋭くそれでいて弱々しかった。マイそのものみたいだ。凛として、それでもどこか儚い。そんな言葉だった。つい、その強がりに近いその言葉に微笑みが溢れる。

「なんでかぁ。多分マイと一緒なんじゃないかな。」

「私と一緒?」

「うん。マイの事を私は多く知らない。なんでそんな顔をしてるのか、なんで様子が変なのかわからない。だから、どうすればいいかわからないだけだよ。ただ、マイを不用意に傷つけたくない。だからかな?」

あまりにも情けない理由に、笑顔でダサいでしょ?とおどけて言う。きっとヒーローなら、どうしたのか聞いて、かっこよく解決するんだろう。私にはその自信がない。それを聞いて解決できるのか、マイを笑顔にできるのかその確信がない。だから怖くて聞けないんだ。

「…そんなこと無いわ。」

そう言ってマイはまた耐えるように唇を噛む。また、そんな顔…。どうすればいいのか困ってしまう。少なくとも私を気にしてそんな顔をしてほしくない。マイに近づき、唇に触れる。

「唇切れちゃう」

驚いたようにそのラベンダー色の瞳を見開き、口元を緩め、目を逸らす。唇を噛むのをやめたことをみて、手を離す。

「私は、マイを傷つけるぐらいだったら何も知らなくていいし、知らないまま巻き込まれてもいい。ただ、マイが私のことで自分を責めるのはやめて欲しいな。」

諭すように伝える。マイがこちらをジッと見つめる。その瞳に弱いんだよなぁ。困ったように笑い、ね?と返事を待つ。また悩むように目線を逸らし、こちらを見つめ直す。

「…わかったわ。」

「よかった。」

その言葉に安堵から微笑みが溢れる。マイが私の左手をみて申し訳なさそうに言葉を紡ぐ。

「それでも、ごめんなさい。強く握ってしまって…。」

「あぁ、大丈夫だよ?すぐ治ると思うけど、逆にこれくらいの方が治すの大変だから…」

手を振って、痛くないことをアピールする。そう、と呟くマイに気を取り直して言葉を紡ぐ。

「じゃあ、やろっか!」

「ええ。」

そう言ってマイは準備を始める。とりあえず大丈夫だったみたいだ。安堵の中作業を始める。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

漠然とここまで来るとは思っていなかった。自分の想像の甘さを苦く思った。


放課後、いつものように生徒会室にアマミさんと向かっていた。

アマミさんが私の様子を気にしてるようで、無理してないか?と心配そうに覗きこむ。自分だって疲れが抜けてないのに、また、人のことばかり…。それが彼女らしくて、どうしようもなく愛しく思い頬が緩まる。


「マイ!」

先程まで優しい温もりを感じていた胸を冷ややかに凍てつかせる。その声が聞こえる。

なんでここに…。朝の一件でわざわざここまで来たの?その行動に嫌悪感が沸々と湧き上がってくる。

「…ルエダ。」

私の嫌悪感など気に留めないように、にこりと楽しそうに微笑んで、人の良さそうな笑顔を浮かべる。

「こんなところで会うなんて奇遇だね。」

そんなわざとらしいセリフを堂々と話す彼をその嫌悪の眼差しで見つめる。

「マイの友達?」

「あ、はい。スイ・ア…」

ダメ。そこから先はあなたを巻き込んでしまう。咄嗟に口から言葉がこぼれ落ちた。

「スイ。」

アマミさんはいつもとは違う呼び方に少し動揺したのか、こちらを向いて不思議そうにこちらを見つめる。今は彼に気づかれたくない。そう思って彼女の目線を無視して、わざわざ高等部まで足を運んだ彼に目を向ける。

「何の用?」

「いや?マイが高校生になってちゃんと馴染めてるかなと心配になったんだ。でも、新しい友達ができたみたいでよかった。」

「そう。」

嘘だ。よくもそんなわかりやすい嘘を…。"アマミさん"を探しにきたのだろう。私の神経を逆撫でする張り付いた仮面を睨みつける。それに構うことなく、ルエダはアマミさんを見つめる。それだけの行動に、わたしの敵意と危機感が色濃く彼に向かう。

「はじめまして。ヴェメール・ルエダです。オルネラス大学2年で一応マイの許嫁なんだ。」

"許婚"その言葉にアマミさんがからをまじまじ見つめる。返事を忘れていたかのように、慌てて言葉を紡ぐ。

「あ、はじめまして。マイとは生徒会で一緒で…。」

「あぁ!そうなんだ!じゃあ君も優秀なんだね!」

張り付いた仮面の笑顔にアマミさんが照れたように口を緩ませる。その笑顔に胸の中が酷く掻き回せたように重い感情が渦巻く。二人の会話を冷静に遮ることができず、ただじっと見守る。

どうやら彼は"アマミさん"を男性だと思っているらしい。逆立っていたその神経が少し撫でられたように落ち着かせられる。


「それはよかった。スイちゃんだっけ?アマミってやつのこと知らないかな?」


胸が突然掴まれたように跳ね上がる。彼のその笑顔はいつもの笑顔から少しご機嫌のように口元が立ち上げられていた。この人は"アマミさん"を探しているだけではない。きっと見つけたらそれだけでは済まないだろう。彼のその微笑みに危険信号が灯る。腹の底から沸々と上がっていた熱が、勢いを上げて沸騰する。

アマミさんはキョトンと目を丸くさせ、突然自分の名前が出てきて驚いていた。彼女が口を開こうとした時、咄嗟に代わりに答える。

「知らないわ。」

アマミさんが不思議そうにこちらを向く。エメラルドグリーンの透き通る瞳がこちらを映す。

この人を、この優しすぎて、傷つきすぎたこの人を、あなたに触れさせない。その腹の底の熱源が瞳を通して彼に突き刺さる。彼は仮面の笑顔を崩さずこちらをまっすぐ見つめる。

「行きましょう。」

今はこの人を遠ざけなければ。そう思い、その健康的に引き締まった手首を掴む。

エレベーターを待つ。いつもはなんとも思わないその時間がもどかしく、エレベーターの居場所を急かすように見つめる。

わざわざ、彼はアマミさんを探しに来た。そして私は対応を間違えた。彼女を隠すように言葉を発し、咄嗟に彼女の名前を隠してしまった。もう少し先、明後日の生徒会挨拶で彼女の名前が知れ渡るはずなのに。上手く言い訳をする事もできたのに。その自分の行動と判断に苛立ちが募る。


エレベーターがやっと着き、その扉がゆっくりと開かれる。彼女の手を引いて、彼のいる空間から逃げるようにその箱に入り込む。二人だけの空間になり、張り詰めた沈黙が私たちを包む。


「…マイ?どうしたの?」

アマミさんがやっと言葉を発した。ルエダに名前を呼ばれてからずっと不思議そうにしていた。きっとさっきからずっと聞きたかったのだろう。彼女の目線は先ほどから私に疑問を唱えていた。

ただ、その言葉が紡がれるとわかっていても、なんて言っていいのか答えが出ずに、拒絶するように言葉を放つ。

「どうもしないわ。」

その言葉に息を呑む彼女を横目で見ていた。私の反応に何か思慮深く眉間に皺を寄せ何理解するように言葉を放つ。


「それにしても、ルエダさんかっこいいね!大人の男性って感じで!マイとお似合いって…。」


何も知らないくせに…。


その言葉は私の腹の底の沸騰を急熱させた。その熱源は彼女の無知を責めるものでなく、ルエダを褒めるその言葉だった。

いつのまにかその感情は行動に移されていた。アマミさんを彼から守ろうとしたその手は彼女を壁に叩きつけ、責めるように彼女の手首を握りしめていた。その反動で彼女は体を壁に打ちつけ、痛みに顔を歪ませた。

「いっつぅ…」

彼女から声が漏れる。


彼は、あなたが褒めるような人ではないのに。ましてや、褒められてあなたが照れるようなそんな人でない。

あなたにお似合いとなんて言われたくない。私は彼と並びたいわけじゃない。私が隣で求められたいのは…。

多くの否定の中に紛れ込む願望に思考を止める。私の中の認めてはいけない想い。どうしようもないこの残酷な感情が生まれてきてしまう。その感情を生み出しては否定し、すり潰すように消し去る。その作業がただただ苦しい。耐えるように唇を噛む。

「…。」

アマミさんが苦しそうにこちらを見つめ、疑問と心配が混ざり合ったかのように眉間に皺を寄せ目を細める。その苦しそうな瞳で真っ直ぐ私を映し、その女の子にしては大きな手のひらを私の頬に当てる。


暖かい。


彼女の手はその優しさを、強さを表すようにいつだって熱を持っていた。この温もりを何にも囚われずに感じることができたらどれだけ幸せなのだろう。その夢のような願望を抱くたびにその現実との差に心がすりつぶされる。それを理解するたびに彼女の温もりがガラス越しのように感じ、冷たさをより際立たせる。

「ごめん。」

その言葉に息を呑む。その言葉を紡いだのは私ではなかった。本来は私の言葉。彼女は私から目を逸らし、傷ついたように床を見つめる。なんであなたが謝るの…?そう問いかけようとした時、エレベーターがタイムアップを知らせる。その音に咄嗟に手を離す。その手首は私の手の跡が赤く張り付いていた。


アマミさんは何事もなかったかのように私の横を通り過ぎて、いつもの笑顔で振り返る。

「マイ、行こう?」

その笑顔にこれまでの出来事が消し去られたようで、抱いた疑問を言葉にすることはできなかった。

「…ええ。」


生徒会室に入るとイレアが作業をしていた。アマミさんがいつものようにイレアに話しかけている。先ほどまでのことがなかったかのようにいつも通りな彼女を見て、混沌とした感情は薄らいでいた。

イレアと話している彼女を眺める。苦笑いを浮かべる彼女のその左手はさりげなく背中で隠されていた。私が彼女につけてしまった跡。その跡が先ほどの出来事が確実にあったのだと私を責めるように見つめる。


生徒会長室に入り、いつも通り準備を進める彼女をまるで別の所にいるように感じる。


突然私の許婚が来て、

訳の分からない事を聞かれて、

それに答えることもせず、

話を遮るように引っ張って、

挙げ句の果てにエレベーターに叩きつけられて。


こんなに振り回されてるのに文句一つ言わずに、傷ついたように謝ってくる。何もなかったかのように振る舞う。わからない。なんであなたが謝って、そんな顔をするの?


そう思いながら彼女を見つめる。その目線に気がついたのかこちらを向き、目が合いどうすればいいのかわからずに目を逸らしてしまう。何事もなかったように振る舞う彼女に聞いていいのだろうか。

目線を逸らし何も言わない私に彼女は困ったように微笑むと、いつも通り準備を再開させた。日常に戻っていく彼女を見逃すことができなかった。


「…なんで?」

「ん?」

「なんでアマミさんが謝るの?なんで何も聞かないの?なんで怒らないの?私が巻き込んでるのになんでアマミさんがそんな顔するの?」

堰を切ったように言葉が自然と溢れ出た。困った子供を見るように微笑んだ彼女は悩みながら言葉を紡ぐ。

「なんでかぁ。多分マイと一緒なんじゃないかな。」

「私と一緒?」

「うん。マイを私は知らない。なんでそんな顔をしてるのか、なんで様子が変なのかわからない。だから、どうすればいいかわからないだけだよ。ただ、マイを不用意に傷つけたくない。だからかな?」

笑顔でダサいでしょ?とおどけて言う彼女はまっすぐに私を見てくれていた。

「…そんなこと無いわ。」

あなたはダサくない。あなたは私を興味本位で知ろうとしない。私の中に土足で入ってこない。ただ私を傷つけないように距離をとってくれる。振り回されても、疑問に思っても自分の感情より、私を優先してくれる。その優しさが胸の奥に深く入り込んでその温もりを私に植え付ける。

そんなあなたを私は巻き込んでしまった。あなたの温もりに縋って、彼の前で名前を呼んでしまった。


彼はきっとあなたの存在に気がつくだろう。もしあなたがそのせいで傷付いたら、穢されてしまったら、自分自身を許せそうにない。


自分のしてしまったこと、この先のことを考えると自分を責め立てずにはいられなかった。思わず唇を噛み、後悔を噛み締める。

「唇切れちゃう」

困ったように眉尻をたらし、彼女はゆっくり手を伸ばす。その温かい指先が私の唇に触れる。その姿に目を奪われ、噛んでいた力が緩まる。まるであなただけ違うところにいるようだった。オレンジの色に変わろうとしている太陽の光を背に浴びて微笑むあなたと、電気のついてない部屋に影の中に立っている私と。眩しくてつい目を逸らしてしまった。


「私は、マイを傷つけるぐらいだったら何も知らなくていいし、知らないまま巻き込まれてもいい。ただ、マイが私のことで自分を責めるのはやめて欲しいな。」

私を傷つけるなら知らなくていい。だからあなたは何も聞かない。アマミさんらしいのかしら…。

ほんとにあなたは、優しすぎて強すぎる。多くのことを背負って、多くの傷を負って、それでも静かに前を向く。誰かを傷付けるのではなく、自分がその痛みを受け止めるそんなあなたの強さを羨ましく思った。そんなあなたを私はもっと知りたい。

知れば私もあなたみたいになれる気がして、強くしなやかになれる気がして。


視線の先のその人は困ったように笑い、諭すよう返事を待つ。また、この笑顔。本当にこの人は困ったように笑うことが多い。優しすぎるこの人をあまり困らせたくない。

「…わかったわ。」

「よかった。」

安心したように微笑む彼女を見て、つられて笑ってしまう。その左手に残る手の跡が視界に入る。胸の奥がチリッと痛む。

「それでも、ごめんなさい。強く握ってしまって…。」

「あぁ、大丈夫だよ?すぐ治ると思うけど、逆にこれくらいの方が治すの大変だから…」

手を振って、痛くないと伝える彼女を見つめる。また困らせないように、いつものように返事をする。満足そうに微笑むと気を取り直したように言葉を発する。

「じゃあ、やろっか!」

「ええ。」

そう言って準備を始める。彼女と一緒に日常に戻れるように。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ