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チートだったら神さまになれるって本当ですか?  作者: 上野史華
チートだったら略奪できるって本当ですか?
19/33

プロローグ

中学3年生の時、許婚の家から同棲の提案が出た。“フェルバーク”として当然のように受け入れた。


父には何度か本当に良いのかと聞かれたが、良いか悪いかはどうでもよかった。フェルバーク家が大きくなるために必要な事。それを受け入れるのは当然だった。私が私であるために、その人と結婚する。そこに抵抗はなかった。


いつからだろう、これはフェルバークのためと、私がフェルバークであるためと、自分を説得するようになったのは。


いつからだろう、その説得が難しくなったのは。


問いかけの答えは知っていた。

その説得が難しく感じるようになったのは、高校に入ってから。あの人に会って、忘れていた感情が再び動き出したから。


それでもまだ、説得できているのは私があなたへ抱いている感情をやり過ごせているから。どうか、この想いが大きくならないように。でないと、きっと、辛いだけだから。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「マイ、おはよう。」

ル・エールの少し先、木が植えられている木陰で彼女を待つ。彼女の柔らかな声が耳を掠め、本から目を離す。銀髪のふわふわとしている髪が朝日に照らされ細く輝いている。エメラルドグリーンの瞳を優しく細め、柔らかな頬を緩めるその姿は初めて会った時と同じように神秘的とすら思える。

「おはよう。」

その声の主に挨拶をして、一緒にパンを買う。生徒会として初めての事件を解決した週明け、一人力を使い果たし疲れ切っていた彼女はいつも通り登校していた。

あんなにボロボロになっても、何事もなかったかのように。

思い出されるのは、私を庇い腕を負傷した姿。ジル中佐に腹部を突き刺された姿。血まみれになり、イヴァン連隊長におぶられていた姿。どれも思い出すと胸がキリリと痛む。

あの後、彼女がいつも着けているリングをイレアが確認し、特に問題ないと病院にも行かず、帰って行った。彼女に対してひどく心配性になるイレアが言っていたのだから問題ないのだろうけど、近くで傷つくところを見ていた身としてはやはり心配だった。

この2日間もそれを思い出し気に病んでいた。

何かをゴソゴソと探している姿をチラッと見ながら問いかける。

「…体は大丈夫なの?」

「ん?」

なんのことかと不思議そうにした後、思い出したように平然と話す。

「あぁ、あのぐらいだったら大丈夫だよ。流石に次の日は体がだるくって寝てるか食べてるかしかしてないけど。」

「あのぐらいって…。」

その言い方に少し腹が立った。心配していた自分が馬鹿だったと、彼女を責めるような言い方をしてしまう。

「腕を噛まれて、腹部を刺されてあれぐらいなのね。」

「えっと、まぁ、そうだね。」

それに気づいたような彼女は苦笑いを浮かべながら気まずそうに目を逸らす。その姿にため息をつく。

「アリストタリアきっての才女も考えものね。」

笑って誤魔化す姿を見て、この人は…とひとりごちる。この人は自分の痛みに鈍感すぎる。


…いや、鈍感になってしまったのだろう。ジル中佐を説得する時に聞いてしまった研究室の出来事。腕をちぎられ、脚をつぶされ、生殖活動を強いられる。それが才能の代価だと。他を羨んでも仕方ないことだと、彼女は言った。壮絶すぎる出来事をそれで片付ける。たくさんの傷を負い、それが塞がってないまま彼女は進もうとする。その強さが彼女を鈍感にしてしまったのだろう。

ただ、何故か、その鈍感さが私の胸に悲しく響く。

神秘的で、純粋で、優しすぎる彼女が、一方的に世界に傷つけられ、それを当たり前のように受け入れる。それが苦しかった。


「その次の日なんだけど、割と体の調子も戻ったから奈月に買い物付き合ってもらってさ」

突然話が変わり、彼女が気を遣ったのだろうと気づく。それに少し後ろめたさを感じながら相槌をうった。

「…ええ。」

言葉を探しているように目が泳ぐ彼女を不思議に思いながら見つめる。

「えっと、これ、マイに。」

「私に?」

差し出された小さな巾着型のラッピングをおもむろに受け取る。一体なんのプレゼントだろうか…。じっと考えるように見つめていると彼女が補足するように話す。

「その、ハンカチを汚しちゃったから。」

ハンカチ…?思い出したのは血まみれの彼女を拭いたハンカチだった。汚くなると制止した彼女に構わず使ったため、使い物にならなくなってしまったあのハンカチの事か。

「開けてみても?」

「あ、うん!もちろん!」

ラッピングを開けるとラベンダー色のハンカチが入っていた。

『これはマイとお母さんの色ね。』

ふと、母の声が聞こえた。その声は耳からは聞こえず、頭の中で再生されたものだった。

そう言った母のラベンダー色の瞳は優しく細められていた。そんなことを思い出していたら、彼女が何故か慌てて言葉を紡ぐ。

「趣味じゃなかったらごめん、でもなんか、マイ持ってそうだなぁとか思って…。」

持ってそうと言うことは彼女が選んだのだろうか。

「アマミさんが選んでくれたの?」

「あ、うん。奈月にも聞いたんだけど、私知らないからってあんたが選びなさいって…。」

「そう。」

彼女が選んでくれた事、この色を見つけてくれた事、考えすぎなのだろうけれど、会っていなかった間もそれを気にして考えてくれていた事、胸が包み込まれるように暖かくなる。

私があなたの身体を心配している間、あなたは汚れてしまったハンカチを気にしていたのね。

少しおかしく思えて、胸の奥がくすぐられたみたいだった。色々な感情でいっぱいになってしまったその胸の心地よさを逃がさないようにそのハンカチで抑える。この想いが少しでも伝わるように言葉にする。

「嬉しいわ。ありがとう。」

「あ…どういたしまして!」

こちらを見つめ、思い出したように返事をする彼女が少しおかしかった。このハンカチは大切にしよう。そう思いながら、ラベンダー色のハンカチを見つめる。


午前の授業が終わりカシア、アーリア、アマミさんと昼ご飯を食べていた。アマミさんはル・エールで買ったパンを並べて今日も美味しそうにチーズパンを食べていた。半分くらい食べていたあたりで、きっと先週の会話を彼女が忘れているのだろうと、その手のチーズパンを見ながら思い出していた。

『そしたら、来週一口あげるよ!』

あの日はそんなことを忘れてしまうぐらい色々あったから仕方ない。そう思って自分のパンを齧る。アマミさんが自分の手の中にあるその約束のパンを見つめ、思い出したかのようにこちらに言葉を放つ。

「あ、マイ、ごめん。食べかけでも良い?」

どうやら思い出してくれたらしい。それに少し胸が弾んだ。カシアがなんの話かと楽しそうに聞いてくる。

「えー?なになに?半分この予定だったの?」

「いや、一口あげるって言ったんだけど、さっきまで忘れてて…」

やっぱり、忘れていたのか。少し弾んだ胸がしゅんと小さくなるのを感じた。

「でも、そこ1番美味しいところだよねぇ。」

「そうだね!マイがよかったらだけど食べる?」

その言葉にアマミさんが、ちょうどよかったと言うように聞いてくる。そんなに気に入ってるものの1番いいところをもらうのは気が引けたし、そこはアマミさんに食べて欲しかった。

「悪いから、端でいいわ。」

「じゃあ、その1番良いところカシアが食べたいー!!」

…この子は…。

カシアは人懐こっくて、いい子だ。ただ、甘えすぎることが多くある。主にそこでうっとりしてるアーリアのせいではあるのだけれど。

「あ、良いよ。じゃあ、はい。」

…良くない。

カシアの方に伸ばされる、その細く引き締まった腕を掴み、こちらへ手繰り寄せる。さっきまでアマミさんが食べていた形跡が柔らかく残っている、1番美味しいところ。パンに触れず、アマミさんの手に収まっているそれを、パクりと一口食べた。周りからクリームチーズが出て口の端に着いたのを感じ、親指ですくい、舐める。

「確かに、美味しいわね。」

その甘塩っぱいまろやかな味を、勝利の美酒に酔いながら味わう。カシアに取られなくてよかった。無意味にそんなことを思った。アマミさんを見ると少し驚いたように目を丸くして、心なしか頬が赤かった。どうしたのだろう、聞こうと思ったらカシアが突っかかってきた。

「マイー!端っこでいいって言ったじゃん!」

「それは、アマミさんが食べるならって話よ。カシアが食べるなら話が別だわ。」

そもそも私がもらうって話だったのに、横入りしたのはあなたよ?

そんな事を考えながら、甘え上手なこの子を少しずるいと思った。まだ文句を言っているカシアをアーリアがなだめる。

「ほら、カシア、元々マイがもらう予定だったんだから。カシアにはこの特製肉団子をあげようー。」

「やったーー!」

流石のアーリアにカシアの相手を任せる。アーリアがこちらを優しく見つめ、柔らかな微笑みを浮かべながらしみじみ言う。

「マイが楽しそうで嬉しいわぁ。」

この子達は、私の表情を見逃さない…。それが恥ずかしく、こそばゆく、気にしないように目の前のパンを口に運んだ。



放課後、二人で生徒会室に入るとイレアとイヴァン連隊長が向かい合うように座っていた。アマミさんがイヴァン連隊長の後ろをチラッと見て、表情を少し歪ませたのを見た。ジル中佐がいなくなった事に心を痛めているのだろう。この人は、自分を傷つけて、殺そうとしていた人にまで寄り添ってしまう。どこまでもお人好しで、優しすぎる。

表情を隠すようにイヴァン連隊長に突っかかる。

そのやりとりを遠巻きに見ながら、前にイヴァン連隊長に言われた事を思い出す。

『副会長、才女のこと好きなんじゃないの?』

その言葉が胸の中で漂う。


違う。そんなんじゃない。ただ、私は、役割だから。役割だから彼女の側にいる。強く、優しい彼女を眩しく思う事はある。だけど、それじゃない。これはただの憧れ。

心の中で深く考えないように、踏み込まないように強く否定する。


先の事件の不審点をイヴァン連隊長から聞き、帰ろうとした時、アマミさんがイレアとイヴァン連隊長の邪魔をした。

前に彼女はイレアがイヴァン連隊長と仲良くするのが気に食わないからと言っていた。姉が取られるようでと。きっと今もそうなのだろう。不貞腐れたようにアマミさんが言葉を紡ぐ。

「…会長は私でしょ?」

「そうだったなぁ。それは失礼しました。」

「…。」

「才女、あんまりイレアちゃんを束縛しちゃダメよ?」

イヴァン連隊長がニヤつきながら、揶揄うように話す。その言葉にアマミさんがピクッと反応した。

「束縛じゃない。おっさんがイレアに触れようとするのがやだっただけだし。」

「そーれが束縛なのよ。イレアちゃんだってもうちゃんと大人よ?才女に守ってもらわなくてもねぇ?」

「まぁ、そうね。私も24よ?」

「そうだけど…!」

前に私が言った言葉だった。それをイレアにも言われて少し動揺していた。やはり、彼女はイレアに固執しすぎてる気がする。姉がと言うなら、相当なシスコンだろう。そんなことを思いながらやり取りを見つめていた。

「それはそれとして、イレアちゃん今度おっさんとご飯でもどう?」

「なっ!!」

目の前でイレアを誘われたのが、よっぽど驚いたのか慌ててイレアの方をみつめた。アマミさんの反応がおかしいのがクスッと嬉しそうに笑い、頭を撫でる。

その姿に胸にモヤがかかったように、違和感を覚えた。

「ええ。是非。」

「ぜひ?」

まさかイレアが承諾するとは思わなかったのか、驚きを隠せないようにイレアの言葉を繰り返した。

「おっ、うれしいねぇ。じゃあまた連絡するわ。」

「ええ。お願いします。」

イヴァン連隊長が帰りやっとアマミさんが反応した。

「え、イレア?本当におっさんとご飯行くの?」

「ええ、行くわよ?何か問題でも?」

アマミさんの様子を少し嬉しそうにイレアが揶揄う。胸の中のモヤが色濃くなる。

「え?いや、問題は…ないんだろうけど…」

「何も心配することないわよ。スイのことを疎かにするつもりはないわ。」

「あ…別に…!そういうわけじゃないんだけど…。」

その言葉にアマミさんが戸惑いながら寂しそうな顔をした。


嫌だった。そんな表情をしているのも、それをさせてるのがイレアだと言うことも。これ以上彼女が振り回されてるのを見ていたくなかった。イレアが口を開き言葉を紡ごうとした時、無意識に言葉が出ていた。

「ス…」

「アマミさん、今日は業務をやらないの?」

いつも通り、そのモヤを見られないように、アマミさんを見つめる。

「あ、うん!やろう。」

「じゃあ、行きましょう。」

アマミさんの手を引き、イレアから引き離すように生徒会長室へ向かう。

パタンとドアが閉まり、アマミさんと二人っきりの空間になる。この部屋は私とアマミさんの作業部屋になっていた。この部屋に来ると、心地よく、安心する。


それはきっと昔から使ってるから。生徒会長だった時からこの部屋で作業していたから。


「マイ?もしかして、気を遣ってくれた?」

アマミさんが覗き込むように聞いてくる。気を遣ってのかと言われるとそうではない。どちらかと言うと私が耐えられなかった。でもそのことを口にするといけない気がして、言葉を取り繕う。

「…返答に困ってるようだったから。」

「そっか、ありがとう。」

その笑顔に良心が痛む。

「別に、たいしたことないわ。それに…。」

「ん?」

その良心の呵責を和らげるように聞こえないように本音を呟く。

「アマミさんの反応みて嬉しそうだったのが気になったのよ…」

聞き取れなかったのか聞き返してきたけれど、業務の話をしてやり過ごす。


イレアがノックをして、みんなが揃ったことを伝えてくれた。

彼女の顔を見て、冷静になった私は先ほどの自分の行動を少し反省した。アマミさんを引き離すように連れて行った時、イレアの声は少し寂しそうだった。私はイレアがどれだけアマミさんを大切に思っているか知ってる。彼女を思ってどれだけ傷ついてきたのかを知っている。それを大した理由もなく無理やり引き離した。

…何をしているんだろう。胸の中が整理できてないように混沌としていた。


定位置化してきたお決まりの席に腰をかけると、マチルダがアマミさんの心配をし始めた。どうやら生徒会メンバー全員彼女のことを気にかけていたらしい。エルネストは否定していたが、少し付き合いがあれば、あれが彼女なりの照れ隠しだと言うことはすぐにわかる。

あれだけ疲れ切って、ボロボロになっていれば誰でも心配する。だからわたしの心配も特別なことはなく、当たり前のことだと言い訳をするようにひとりごちる。


事件の不審点を共有した後、フィルマンが感心したようにアマミさんに言葉を送る。

「わからないことは多いけどさ、でも、まぁ、よく説得できたよなぁ。エンジェル。」

エルネストが珍しく彼女なりの賞賛を送っていた。

「そうね。あそこまでの事件を一人で起こすような思い込みの激しいタイプは話を聞かせるのでさえ一苦労よ?」

アマミさんの表情が照れるように頬を緩めるのを真正面から見た。その表情にむらむらと腹が立つ。不快な感情な訳は、人の気も知らないような、ふやけた笑顔だった。

「いやーなんだろう。聞いて欲しいっていう思いを真っ直ぐ伝えるって言うか。」

その言葉を聞いて、苛立ちが鮮明になった。こちらがどれだけ心配したか、どれだけ恐ろしかったか。この人はちゃんと怒られないとわからないのだろう。彼女の言葉を補足するように、告げ口をする。

「ええ、刀でまっすぐ突き刺されて言ってたものね。」

「は?」

イレアの声が低く、耳に響いた。やはり、この人は隠したんだ。でないと、イレアが先ほどの言葉を平然と聞けるはずがないとおもっていた。アマミさんの照れた笑顔が固まり、緊急事態を察知したようだった。

「マイ、どういうこと?」

イレアが恐ろしいぐらい冷静に聞いてくる。きっと彼女と私の気持ちは一緒なのだろう。共感しながら真実を告げる。

「おそらく、耳を傾けてくれないジル中佐を止めるためにわざと刺されたのかなと。特段、他に怪我もなかったようですし。」

「へぇ。」

「説得しながら、ジル中佐に近寄るのでどんどん傷が広がっていって、最後には頬に触れながら優しく諭すように説得してました。」

今も鮮明に思い出せるあの光景。刺しているジル中佐が狼狽え始めた時、彼女は腹部を刺されながらも歩き続け、優しく頬に触れた。その光景を、私はひどく美しいものを見たように感じた。儚く、弱々しく近づき、それでも慈しみと優しさに溢れた瞳を向け、その者さえ救おうとする。あの時、その強さに私は目を奪われてしまった。


そんな彼女はイレアの問い詰めに必死の抵抗を図りながら、エルネストに縋り付く。それがまるで別人のようで、つい彼女を観察してしまう。

「マイ…なんで…?」

アマミさんがこちらに向き直り、情けなく疑問を口にする。

全く、この人は…。心の中でため息混じりにつぶやく。

「わざわざあんなにボロボロになって。見ているこっちのみにもなって。」

「だって、マイが見てるなんて…。って、いつから見てたの?」

アマミさんが何かを気づいたように、こちらに問いかけてくる。

「…ジル中佐の事が羨ましいっていうところかしら。」

「じゃあ、その、研究室のくだりも…?」

言い淀むその言葉に、少しどう答えようか悩んだ。彼女の壮絶すぎる過去を私は許可なく聞いてしまった。彼女の才能に対する本音を盗み聞いてしまった。その事実を彼女はどう捉えるのだろうか。それでもその事実を曲げてはいけないと思った。

「…ええ。」

「…そっか。」

彼女の目線が地を這う。少し悲しげにも見えるその表情は凪いでる水面のように物静かだった。一同の目線が自分に向いてると気がついて彼女はおどけるように笑顔をつくる。

「いやー、これが結構な熱弁だったからさぁ。ちょっと恥ずかしいわぁ。」

「俺も聞きたかったぜぇ。エンジェルの熱弁!ちょー心に染みるんだろうなー!」

フィルマンが彼女を気遣うように明るく振る舞う。それに気づいたように、アマミさんがフィルマンを少し驚いたように見つめ、お互い微笑みあっていた。二人がわかり合ったような、二人だけのやり取りがなんとなく不愉快だった。


再びイレアに呼ばれ、戦々恐々としながら受け答えをしている彼女をじっと見つめていた。きっと帰ったらイレアに諭されるのだろう。それをちゃんと理解するかは別だろうけれど。自分を守る、その行動をどれほど周りが望んでいるか、彼女は正しく理解できるのだろうか。自分が傷ついても、危ない目にあっても、他の人のことを考えて心配してしまうような彼女にそれが伝わるのはずいぶん先なように感じる。


校門のところで別れ、気まずそうにイレアと帰る彼女の後ろ姿を見つめる。あの2人は隣の部屋に住んでいるのだという。その二人の姿を、歩む距離より遥か遠くに感じる。胸の中に抱える淡い痛みと、二人のその後ろ姿が眩しく縋りたくなる様なその甘えを振り切るように、私の帰るべき方向へ向き直る。


その方向に一歩進めるたびに胸の奥が冷たくなっていく。きっとこれは自己防衛。暖かく熱を持ったその胸を、急な冷たさに傷つけないように。


大きな屋敷の前に立ち、自分の感情が冷え切った事を確認する。花が咲き誇り、見るものを圧倒する豪奢なその屋敷に、彩を感じなかった。それに安心し、その屋敷に入ろうとした時、思い出したように立ち止まる。

ポケットに入れていたそのラベンダー色のハンカチをバックの奥に入れて、大切に隠した。そのラベンダーの色だけは鮮烈に色づいて見えた。


再び前を向き、その色彩の無い世界に帰る。

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