事件の捜査
朝日の光を感じ、目が覚める。瞼がいつもより重く感じた。
まぁ、あれだけ泣けばそうなるよねぇ。
うっすらと開いた瞳で前を見ると、白のタンクトップと随分手入れをされているんだろうキメの細かい肌が視界に広がっていた。
あの後二人とも疲れてすぐ寝てしまったのだった。その綺麗な肌の持ち主を見上げるとまだスースーと寝息をたて心地良さそうに眠っていた。6年間一緒にいて初めてまともに寝顔を見たかもしれない。研究室で疲れてうたた寝していたことはあるけど、こんな風に安心して寝ている所は初めてだった。イレアがそばに居てくれるのがいつもより嬉しく思い、その体温をもっと感じれるように顔を擦り付ける。イレアの柔らかな香りが鼻腔に広がり胸がくすぐったくなった。
「…スイ、おはよう。」
イレアはまだ起ききってない喉を鳴らし、掠れ声で優しく呟く。耳にその声が届きまた胸の中かじわっと絆される。
「おはよう、イレア。ごめん、起こしちゃった?」
「いいの、どうせすぐ起きたんだから。」
そういうとイレアは目を開けず、私の背中に回っていた腕を移動させ、私の頭を抱き寄せる。私の髪に顔をうずめ、息を深く吸いながら顔を軽く擦り付ける。きっとイレアも私の存在を確かめてるんだろう。昨日帰ってこないかと思ったって言ってたし、不安にさせたんだろうな。
イレアを安心させれるようにキュッと腕に力を入れる。
「昨日はごめんね?」
昨日のこと謝らないとと思いながら疲れて寝てしまったのを思い出した。
「いいのよ。私の方があなたに甘えてしまったから。私の方こそごめんなさい。」
その声は自分を責めるものでなくなっていた。それが嬉しくて、キューっとまた腕に力を込める。まだ起ききってない声でイレアが続けた。
「あなたの我慢は私だけのためじゃなかったのね。あなた自身のものでもあった。あなたが今でも私と一緒にいたいと思ってくれてるのがやっとわかった。もう、きっと昨日みたいに取り乱すことはないと思うわ。」
頭を撫でながら優しく呟くその言葉に胸の奥がじわっと温かくなり、頬が緩む。
「うん、よか…」
「ただ、恋人と過ごしていいって言ってたの覚えてるわよね?」
完全に起きた声のイレアが言葉を遮る。
おや?なんの話かな?
「あなた、友達と恋人と過ごすべきなのに私に時間を費やさせてって言ってたわよね?」
…確かにそんなふうなことを言った気がする。お風呂上がりのイレアを見て恋人とかいないのかなとか思ったし…多分言ってる。
「あ…うん、言ったかな?」
「余計なお世話よ。」
ピシャリと言い放つ。変わらず手は私の頭を撫で続けいて、そのチグハグな行動が恐怖を際立たせる。
「あ、いや、それだけ、私に時間割かせていて申し訳ないなあって…。」
「あなたに時間を割いてなかったら他の研究に時間を割いてるわよ。」
淡々と言う言葉が24歳の麗しい女性の言葉とは思えず目をぱちくりさせる。24歳の人ってこんなに落ち着いてるもんなの?彼氏ほしーとかいうのはやっぱり学生までなの?
「その、イレアって美人だし、おしゃれだし、美容にも気を遣ってるでしょ?昨日お風呂上がりイレアを見た時になんかドキってしちゃって…ふと付き合ってる人とかいないのかなぁって思って。」
なんだか焦って早口になってしまう。
「だから、あの時下手くそな作り笑顔を張り付けたのね。」
え?下手なの?私の笑顔って?動揺しているとイレアが言葉を続ける。
「私、誰かのために身だしなみ気をつけてるんじゃないのよ。自分が着たい服を着ているだけだし、自分がそうありたいからいろんなことに気を遣ってる。誰かと付き合いたいからじゃなくて、自分がしたいからやってるの。」
「いや、イレアがそうでも、周りがほっとかないでしょ…」
よく言った私!いくらイレアが自己実現のためにやってても、こんな美人で、芯が通ってて、優しい人ほっとけないもの!私だったらほっとかないね!!
「…まぁ、確かに学生時代は何人かと付き合ったけど、時間の無駄だったわ。それだったら研究に没頭した方が楽しかった。研究室に入っても何度かそんな話されたけど、お断りしたわ。」
ごめん。ほっとかなかったみなさん。勇気を持って手は出してたんだ。しかも付き合えたんだ。よかったね。でもごめん、この人、思った以上に自分に素直みたい。
て、え??
「研究室でも告白されたりしてたの!?」
驚きに条件反射でバッとイレアの顔を見上げる。突然動いた頭に手は弾かれ、イレアはキョトンとしていた。
「…ええ。ただでさえ時間の無駄だと思っているのに、あなたのあの研究を後押しする人となんて、ありえないわ。」
「だれ?!」
「ちょっと、話聞いてるの?」
「うん!聞いてるけど誰?!」
イレアが怪訝そうな顔で見つめてくる。言うんじゃなかった、その後悔が目から読み取れた。呆れたようにめんどくさそうに呟く。
「…ビートよ。室長助手の。」
ビートって確か…いつも室長の横に立ってた研究室にいるには若めのイケメンで…
「え!?あの!?なんで断ったの!?」
その言葉にイレアが再び怪訝そうに眉間に皺を寄せる。
「だから、話聞いてたの?」
呆れるように呟く。
「聞いてたけど…!研究室の女子たちがキャーキャー言ってたし…!」
「まぁ、外見はいいから、騒がれてたけど…。言ったでしょ?時間の無駄だし、あの研究を後押ししてる人なんでごめんだわ。」
なんか、イレアって、本当にさっぱりしてるなあ。そんな人に告白されたらちょっとは嬉しいもんじゃないの?
「ブレないなぁ」
「まぁね。それに。」
弾かれた手が居場所に戻るように私の髪を弄ぶ。イレアが柔らかく微笑む。
「私今幸せって言ったでしょ?」
その言葉に、その表情に胸の温度がカッと上がる。頬の熱が上がり口元が緩みそうになりぎゅっと閉じる。顔を見られたくなくてイレアの胸にうずめる。
「…でも、ほら、こういう幸せもあって、さらにパートナーがいるともっと幸せなんじゃない…?」
あまりにもストレートな言葉に逃げ道を探す。
「そうねぇ、そうかもしれないけど、今、十分すぎて必要ないもの。」
変わらず撫でる手が優しい。きっと今も優しい顔をしてるんだろう。声でその表情がわかる。耳を掠めるその声がくすぐったかった。
「それに、恋人がいたら、こんなふうにあなたを抱き寄せて撫でられなくなってしまうでしょ?」
「え?そうなの?」
え?なんでそうなるの?
キョトンとしている私に、イレアがやっぱりと微笑み強く抱き寄せる。
「人って案外嫉妬深いものなのよ?」
「そういうもん?」
「そうよ。」
そういうものなのかぁ。それはちょっとこまる。イレアの温もりに、優しい声に、撫でる手に心地よくなりうとうとしてしまう。
「まだ早いから、もう少し寝ていいわよ。」
イレアにそう言われて何とか、うん、とだけ返し意識を手放す。
「自分より誰かを大切にしている恋人なんて嫌でしょう?私、あなた以上に誰かを大切にできる自信、ないもの。」
何かつぶやくイレアの声は慈しみに溢れていて私をさらに眠りの世界へ誘った。
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目覚めの時間を知らせる電子音が鳴り響く。
あぁ、起きなきゃいけない時間ですか…?さっきも開きずらかった瞼がさらに下瞼とくっついてしまったかのように重く開かない。
けたたましいその音を止めようと離れたがらない両瞼を無理やり引き剥がす。視界にそれをとらえてなんとかボタンを押す。
朝あった温もりがいないことに気がつく。いつもよりダルい体を無理やり起こし、片手で頬をパチンと叩く。扉を開くといつものようにコーヒーとパンの焼けた香りがした。
「イレアーおはよう。早いねぇ。」
眠い目を擦りながらいるであろうイレアに挨拶する。
「おはよう。あのまま起きてたのよ。」
「え、めっちゃ早起きじゃなかった?」
確かまだ外の光は白んでいた気がする。
「私大体あの時間に起きてるから。」
「研究員の朝は早いってかー」
言い捨てて、ふぁぁとあくびをしながら顔を洗いに行く。冷たい水で顔を洗い、鏡の自分をみる。やっぱり腫れてるのわかるなぁ。無駄な抵抗だと思うけど、冷たい水にもう一度つけてみる。ま、何も変わらない。
リビングに戻るとイレアの顔を見る。あれ?そんなに腫れてない?
「…イレア、昨日泣いてたよね?」
「何よ、急に。」
イレアが目を怪訝そうに細めて聞いてくる。
「いや、私の目めっちゃ腫れてるでしょ?イレアも腫れてんのかなーって思ったら全然腫れてないからさ。」
ほら、と言いながら自分の瞼を閉じて指を刺す。
「起きてからしばらく氷で冷やしてたから。だいぶ引いたわよ。」
「なんと!ズルい!私も!」
「何がずるいのよ。いいからご飯食べて。メディカルチェックいくわよ。」
ええーと批判の声を上げたが、大人しくいつも通り朝ごはんを食べる。"いつも通り"それがやっぱり嬉しくイレアに見つからないように微笑む。
朝のルーティンが終わり、登校しようと玄関に向かう。イレアが一緒に玄関まで来てくれる。ローファーを履いている最中にイレアが話し始める。
「昨日の東の森について少し調べてみるわ。また、生徒会室に先にいるわ。」
「そうだね。私とマリウスが気づかないのも気かがりだし、私も考えてみるよ。」
そういうとイレアがブレザーのシワを直してくれながら注意をする。
「ダメよ?授業はちゃんと聞きなさい。」
「あ、そうか」
イレアが呆れたように微笑む。それにエヘヘと笑顔で誤魔化す。気を取り直して挨拶をする。
「じゃあ行ってきます。」
「ええ、いってらっしゃい。」
そう言ってくれるイレアを確認して外に出る。
「今日もいい天気だねぇ」
朝の差し込むような綺麗な光に目を細めながら、その幸せを噛み締めた。
校門の前に行くと約束通りマイが立っていた。昨日と同じように小さな本を真剣に読んで目を上下させている。
「マイ、お待たせ。おはよう。」
「待ってないわ。おはよう。」
淡々と話ながら、本を閉じてこちらをみる。不思議そうにこちらを観察して、もしかしてと言うように言葉を発する。
「…目が腫れてるの?」
「あぁ、やっぱりわかるかぁ。」
目を両手で隠すように覆う。やっぱりちょっと冷やしただけじゃどうにもならないよねぇ。
「何かあったの?」
「んーちょっとイレアとケンカ?じゃないな、思い違い?しちゃって」
「イレアと?」
マイが驚いたように目を開く。
「あぁ、うん。まぁ、仲直りしたからみんなに迷惑かけないよ。」
「そうなの…」
思わしげに目線を斜め下にさげる。
「どうしたの?」
マイは少し考えるように、ゆっくり言葉にしていく。
「私の知ってるイレアは、そう言うことに距離を置く人だったから。」
「距離?」
「そう。トラブルが起きそうだったら先回りして納めて、どうにもならなそうであれば、勝手にして、終わったら報告してって言う感じで。いつも冷静だったから、イレア自身が喧嘩してる事なんて見たことないわ。」
そうなんだ…。どちらかと言うと、昨日はイレアから始まった気がする。そのおかげで長年のしこりがなくなったんだけど。不思議しそうにしているマイはきっと答えが出ないとスッキリしないんだろう。
「ほら、私、問題児だから!流石のイレアも手に負えなかったんじゃないかなぁ。」
エヘヘと笑ってみると、マイはこちらをじっと見つめて、一言、そうねと呟いた。うん、自分から言ってみたけど肯定されるとちょっと傷つく。この感情を見せないように頬を上げるけどどう考えても引き攣ってる。
「変な顔よ?」
「…わかってる。」
また不思議そうにしているマイにため息をつき、教室に行こうと提案し、そうねと、無事教室に辿り着いた。
初めての通常授業は何事もなく過ぎていき、これが日常になるのかとどこか他人事のようだった。昼休みになってカシアとアーリアがお弁当をもって集まってきた。
「おーなかすいたよーー早く食べよーー」
カシアがぺこぺこだよヘトヘトだよとお腹をさすりながらアピールする。
「マイとスイはご飯持ってきたの?」
「私は購買で何か買おうかと思ってるんだ。」
お弁当を作る技術を持っている人間はうちにはいません。私に続いてマイも淡々と答える。
「私もよ。」
「え!?マイも!?」
カシアがオーバーすぎるであろう反応をする。
「えぇ、密かにマイのお弁当楽しみにしてたのになぁ。」
「なんでカシアが楽しみにするの?」
「そんなん、スィッチ決まってるよ。おかずのぶつぶつ交換ですよ。」
あぁ、なんとも高校生ぽい発想。そうか、お弁当にすればそんな楽しみもあるのね。うちにはそのお弁当を作れる人いないけど。
「マイのご飯って美味しいんだよねぇ。」
アーリアが思い出しながらうっとりしていた。アーリアって意外と表情に全て出るなぁ。カシアを見る目もそんな目だし。
「マイ、料理上手なんだ、羨ましい。」
「そんなことないわよ。早く行かないと購買売り切れちゃうわ。」
「あ、そうなの?ちょっと待って。」
慌てて財布を取り出してマイについていく。
「ちょっと行ってくるね!」
カシアとアーリアに一言伝え、教室を出る。
購買かぁ、どんなの置いてるんだろうなぁ。色んな想像を膨らませてワクワクしていると、突然人だかりが見えた。
「え?なにあれ?」
「購買よ。」
「あれが…!」
アーチ状に人だかりができており、その人たちが必死に前の何かを求めるように押し合っていた。
『おばちゃん!焼きそばパン2つね!』
『あんぱんとベーコンパン!』
必死におばちゃんに伝え、おばちゃんにお金を渡す。いろんなところから声が上がっているけど、おばちゃん一人で捌いてんの?凄いな。
「…マイ、買えるかな…?」
あの激戦が行われてるところに行くのかと思うだけで怖気付く。
「買えなかったら昼ごはんなしよ。」
そう淡々と言って前に進んでいく。マイ、もう澱みなさすぎてサムライだよ。マイの背中に苦笑いを浮かべていると後ろから声をかけられた。
「スイ?」
「セスト!」
財布を握りめたセストが片手を挙げてよっと挨拶をしてくる。
「スイも購買?」
「そうなんだけど、まさかこんなに激戦になっているとは…」
げんなりしながら目の前の光景を見つめる。
「だよなぁ。俺もビビった。」
同じようにげんなりと見つめて、気を取り直したかのようによしっ!と発する。
「スイの分も買ってくるわ!あ、あと、生徒会長もいるのか?」
セストがマイに当たり前かのように聞く。マイは急に話を振られ少し驚いたのか目をピクッとさせたが、いつも通りの冷静さで答える。
「…もう生徒会長じゃないのだけれど、私も買うつもりだわ。」
「あ、悪い悪い。ずっと生徒会長だったからさ。じゃあ、二人ともここで待っててくれよ。適当に買ってくるから!」
人の良さそうな笑顔を浮かべ、セストは人混みの中に果敢にはいっていった。
「セスト大丈夫かなぁ」
「…。」
セストのオレンジのツンツン頭がぴょこぴょこしているのが見える。少しずつ前に進んで行き、前で止まったかと思うと後ろへ引き返し人混みの中から吐き出される。
「うへぇーー。すごい人だったぁ。」
セストが疲れたように帰還してきた。
「セストお疲れーー私たちの分まで買ってくれたの?」
「おう!俺の好きなの適当に選んだから、好きなの選んでくれ。」
セストの腕の中には7つほどのパンが収まっていた。
「あ、悪い、2つぐらいで足りるかなって思ったんだけど…」
「うん、充分だよ!ありがとう!マイはどれがいい?」
「いいの?」
マイが申し訳なさそうに聞き返す。さっきまでの勇ましさがなくなり普通の女の子だった。
「もちろん!なんでも選んでくれ。」
そうしたらと言ってパンの袋の端を掴み二つ選ぶ。
「セストは何食べたいの?」
「んー気にしなくていいけど、甘いのとしょっぱいのがあると嬉しいかな。」
「じゃあ…」
セストのがいいバランスになるようにメロンパンとチーズパンを選ぶ。
「お、いいのが残った!」
セストはニカッと嬉しそうに笑う。
「セストありがとうね!いくらだった?」
お金のやり取りをして、セストがしみじみ言う。
「行ってみればあっという間で買えたなぁ。慣れればどうってことなさそうだ!」
「そうなの?」
「おう!また買いたい時は言ってくれよ!多分ほぼここで買うと思うから!」
「セスト、ありがとう!」
「ありがとう。」
「全然!じゃあ!」
セストと別れ、教室へ向かっている途中、マイがポツリと呟く。
「いい人なのね、彼。」
「ね!ユーニスの時もそうだけど、面倒見がいいんだよね。」
「…そうね。」
入学式の時のことを思い出しているのか少し考えるように答えた。
「そうそう、初めて会ったときもー…」
突然目線を感じた。嫌な目線。ベタベタ体を触られるような探るような目線。さっきまで感じなかったのに…。
「アマミさん?どうしたの?」
マイが言葉の途中で止まった私を不思議そうに見る。
周りを見渡すと私とマイを見て楽しげに話している生徒がちらほらいたが、あの目線じゃない。もっと、観察するような、凝視するようなそんな目だった。
「よう、才女。最近よく会うなぁ。」
昇降口の方から声がして、勢いよく振り返る。
「おぉ、そんな勢いで…。校舎内は勘弁してくれよ?」
「…おっさん…。」
おっさんが部下を連れて校内に入ってきていた。なんとなく、さっきの目線がこっちから送られたように感じたが、もう目線の残滓しか感じられなかった。さっきまでの感覚が拭えず全身の神経が尖らさせられたようだった。皮膚が細かな感覚まで拾い、その処理がうまくできず喉が水分を求め、唾を飲む。
その様子にマイが一歩前に出る。
「イヴァン連隊長昨日ぶりです。本校へはどのようなご用件ですか?」
私を背に隠しておっさんに丁寧に聞く。その背に安心して、少しずつ調子が戻ってくる。
「いやーさ、おたくら、あの後結構魔物に襲われたんでしょ?それの報告を受けるのと、逆にうちらの調査の時の話を詳しく教えてくれって昨日の美人なお姉さんが。」
美人なお姉さん?そのワードに調子が戻るどころか、おっさんにくってかかった。
「イレアのこと?」
「そーそー、イレアちゃんって言うんだ。あの子美人さんだよねぇ。」
なんだろう、むかつく。イレア褒められてむかつくのなんて初めてだわ。イレアちゃんとか言われんのもむかつく。
その感情が全て表情に現れていたらしく眉間に力が入っていることに気がついた。
「おーおー、そんな怖い顔すんなよ。何もとって食おうなんて思ってねぇよ。」
「おっさんにとって食われるイレアじゃないから。」
「あらやだこの子、おっさんの魅力に気づいてないのかしら!?むしろおっさんの方がとって食われるかもしれないわよ!」
汚い裏声でふざけ倒したことをのたまう。
眉間の皺が緩み、目の感情が抜けていくのがわかる。
「ちょっと?才女?そんな死んだ目で見ないでよ。」
「あーごめん、あまりにも哀れで。で?生徒会室に行きたいの?」
「で?じゃないよ。おっさん女子高生に哀れでなんて言われてすんなり次に進めないよ。全然立ち直れないよ?」
なんだこのめんどくさいおっさん。余計なことを言わない方がスムーズだな。
「はいはい、ダンディズム溢れるおじさま?どちらへ行きたいのですか?」
「それもそれで取り繕った感すごいけど…まぁ、いいや。理事長の所に行きたいんだわ。流石に挨拶なしでお邪魔するのどうかと思うし。」
その言葉にマイがピクッと目を動かす。
「あーご息女様がいらっしゃいましたね。」
「…はい。父でしたら学園内西奥の管理棟にいます。管理棟入り口でお名前とご用件をお伝えいただければ父のところへ通されると思います。」
「誰かさんと違って、丁寧で礼儀正しいこと。」
「うっさい。」
おっさんの絡みを適当にあしらう。
「悪かったって。じゃあ、行くわ。もしかしたらまた会うかもしれないな。」
「うん、管理棟あっちだから。」
「おうよ。ありがとうな。マイ・フェルバーグさんもありがとう。」
気の抜けたような笑みを浮かべて感謝してくる。その抜け感といったら本当に連隊長なのか疑問に思うほどだ。
「いえ。」
マイが淡々と答えると、おっさんは部下を連れて管理棟に向かって行った。
おっさんと絡むと不思議とため息が出る。て言うか疲労が溜まる。全然不思議じゃないんだけど。
「アマミさん、さっきは大丈夫だったの?」
マイの言葉に先ほどの目線を思い出す。確かに感じたあの目線は誰からのものだったんだろうか。目線の名残も無くなった空間を見つめるが答えが出そうになかった。
「うん…なんか、見られてる気がしたんだけど…。気のせいだったかな?」
「そうなの?」
「うん、でも、もう感じないから。さっきはありがとうね。隠そうとしてくれて。」
思い出すと自然と頬が緩む。
「いえ、あのぐらいなんでもないわ。」
マイにとってはそうかもだけど、私にとっては凄く嬉しいことなんだよ。いつもサラッと出る言葉がなぜかうまく喉を抜かずに胸の中をぐるぐる回っていた。
「教室に帰りましょう。お昼ご飯食べる時間がなくなるわ。」
「あ、そうだったね、急がなくちゃ。」
そう言って教室に戻るとカシアとアーリアがほとんどご飯を食べ終えて最後のデザートを交換こしているところだった。
「あ、やっと帰ってきたー。」
「購買混んでた?」
「混んでたっちゃ混んでたけど、終わったあとに知り合いに会って、それで遅くなっちゃったんだよね。」
カシアとアーリアがへぇと二人同時に返事し、同じタイミングでデザートを口に運ぶ。いや仲良しだな。
もぐもぐしながらカシアが私たちが買ってきた物をみて、ほっぺたに食べ物を入れながら聞いてくる。
「マイ、今日お腹空いてるの?」
なんでそんなこと聞くんだろうマイの方をチラッと見ると目を逸らされた。
「マイって少食だから、パン二つも珍しーなーって思って。」
「え?そうなの?」
その言葉に驚きマイの顔を見ようとしたら、目線を合わせないよう横を向いていた。
「…彼に悪いと思って。」
ボソと呟いた言葉は私が聞こうとしていた問いの答えだった。なんだかその姿がいじらしく、少し面白かった。
「マイって、本当優しいよね。」
声が笑いで震えた。それがわかったのかマイがむすっとむくれた。意外とマイって感情豊かだな。変なことで楽しそうにしたり、笑ったり、目を丸めて驚いたり、不思議そうにしたり、むすっといじけたりよく見るとたくさんの表情を持っているんだ。彼女の表情が見れるとなんだかすごく嬉しかった。もっとマイのことを知りたいな。自然とそう思わせるのは彼女の魅力なんだろう。
「マイ、どちらかもらおうか?それとも二つとも半分もらうよ?私逆に2つじゃ足りないなぁって思ってたから。」
「本当に?」
「うん!むしろ食べたい!」
「よく食べるのね。」
「そう、割と大食いなの。」
ニコッと微笑むとマイがそれぞれのパンを半分ずつくれた。
「なるほど、パンも交換こできるわけか!」
カシアが世紀の発見かのように手をポン!と叩き目をキラキラさせていた。
「カシア、よかったね、また一つ発見できて。」
そう微笑みカシアを撫でるアーリアはもはや母だった。
「にしても、毎日あれを戦い抜くのは大変だなぁ。」
購買のあの激戦を思い出し、ゲンナリする。
「朝買ってくる人も多いみたいよ?」
アーリアがおっとり教えてくれる。
「私もそうしようかなー。学校の手前にパン屋があるし、そこで買ってこうかなぁ。」
学校の手前にやたらいい匂いをさせるパン屋がある。あの激戦を見てしまったら朝早く出て買った方が良いのではと思う。
あ、でも、そしたら、マイが一人で購買に買いに行くのか。あの感じだと、マイ1人だったらセストに頼みにくいだろうし…。
「マイ、明日から私パン屋で買ってから行くけど、マイの分も買って行こうか?」
私の提案に少し考えるように目線を上に回し、ゆっくり口を開く。
「いえ、いいわ。私も一緒に買いに行くわ。」
「ん?学校の手前って私の方から手前だよ?」
マイの方向から言うと反対になるはずだけど。
「ええ、わかってるわ。ル・エールでしょ?」
「あ、確かそんな名前。でも、反対だから、一回校門通り過ぎるよ?」
「構わないわ。朝早く出るのは得意だもの。」
「あ、そう?じゃあ明日からパン屋のところで待ち合わせにする?」
「じゃあ、そうしましょう。」
このやりとりをカシアとアーリアは何故かニコニコしながら聞いていた。
「なんだか、私は嬉しい!マイが楽しそうで!」
カシアが目をキラキラさせて言う。それにアーリアがうんうんと頷いていた。楽しそうなの?いろんな表情あるなぁとは思ってたけど、正直今のは淡々としてるようにしか思えなかった…チラッとマイの方を見たらまた目を逸らされた。どうやらカシアが言ってるのは本当らしい。胸の奥が誰かにくすぐられてるようにこそばゆかった。
「二人はマイのことよくわかるんだね。」
「そりゃもちろん!幼稚園からの仲ですから!」
自信満々にカシアが胸を張る。私と奈月みたいなものか。確かにそれだったら多少の感情の変化も敏感にわかるかもしれない。なるほどと思っていると予鈴がなった。いけない。まだパンが1つ残っている。
「やばっ!」
そう言って急いでパンを口に放り込み、もぐもぐしているとマイがクスッと笑った。
「リスみたいね。」
目を細めながら、笑いを隠すように手を軽く握り口元に持ってきている。その姿はどこから見ても美少女でそんな子にこんな姿見られるのがなんだか恥ずかしかった。なんて返せばいいのかわからず、口の中にあるパンを食べるのに集中した。
午後の授業も終わり、やることもなかったのでマイと一緒に生徒会室に向かっていた。中庭を歩いている時、昼休みに感じたのと同じ目線を感じた。バッと周りを見渡したが、それを発する人はいなかった。
「アマミさん、また?」
「うーん。見られてる感じはするんだけど…。なんか、過敏になってるのかも。」
なんだか、自意識過剰な気がして恥ずかしくなり笑顔で誤魔化す。
「不思議ね。誰かに見られてる気がするのにその相手がいないなんて。」
「私の勘違いかもしれないし…変に心配させてごめん。」
照れ笑いのまま伝えると、マイがずいぶん真剣な眼差しでこちらを見つめる。あまりにもまっすぐ見つめられ、そのまま見続けるとそのラベンダーの瞳に吸い込まれてしまいそうで目を逸らす。
「…気持ち悪いんでしょう?」
マイの呟きにピクッと反応してしまう。
「…うん。」
「じゃあ、きっと勘違いじゃないと思うわ。勘違いでも、勘違いってわかるまでは不安になるでしょう?どちらにせよ原因は調べるべきよ。」
淡々と放たれた言葉は暖かい温度で私に届く。カシアとアーリアが見たらどういう表情に見えるのだろう。願わくば役割としてでなく、友人として心配してくれていて欲しい。
「アマミさん?」
アマミさんね…。
…なんでマイは頑なに名前を呼んでくれないんだろう。先ほどの願いはおそらく叶ってはくれてないとなんとなく理解し、胸がズキンと傷んだ。
心配そうに見ているマイを放置するのは悪いと笑顔を作って答える。
「確かに原因は知りたいかなぁ。」
「まだ時間もあるし、ちょっと探してみましょう。」
マイが辺りを見渡し、考え込むように顎に拳をつけ、思わしげに目線を地面に沿わす。何か思いついたようにゆったりとまつ毛をあげ、私の手をそっと握った。
「上から見てみましょう。」
「あ、うん!?」
返事をし終える前に風が私たちを舞い上がらせ、私の返事を地上に置き去りにする。
「びっくりしたよ!!」
突然のことに胸が緊急事態を知らせるようにバクバク言っている。そんなことは知らないと言うようにマイが地上を探るように見ていた。
「アマミさん、アビリティで目線の主がいるかわからない?」
ガン無視ですか、そうですか。不満に思うけど、私のためにやってるんだもんね。その端正な横顔をなんとも言えない気持ちで見つめる。
「…ちょっと見てみる。」
意識を張り巡らせ、物質を認識する。
「…こっちを凝視している人はいないかなぁ。みんな驚いて見上げてる感じだし…。」
観察している人は動きを止めて見ている。今私が認識している人たちはみんな歩きながらだったり、本を読んでいる仕草をしている途中だったり何かをしている最中だった。
「そう…。」
「ただ、あの目線が若干遠のいた感じがする。」
見られてる気がするけど、随分薄くなった気がする。
マイがその言葉に再び考えるように目を細め、顎に拳をつける。ゆっくりと風が私たちを地上へ戻してくれる。
「今は?地上の方が目線が濃いかしら?」
マイが考えながら聞いてくる。
「いや、目線を感じなくなったかな…?」
さっきまでべっとりまとわりついていた目線がもう感じられなくなっていた。やっぱり勘違いだったのかな…?そう思っていたらマイがポツリと呟いた。
「探されてると思って逃げたのかしら…?」
「そんなに後ろめたい感じ?」
逃げるほど後ろめたい気持ちで見ていたのだろうか。そう考えるとちょっと怖い。そうなると少なくとも好奇心だけではないのだろう。何故?どう言う目的で?さらに疑問は深まっていく。
地上に戻り、マイが考え込みながら聞いてくる。
「アマミさん、何か変なものだったり、逃げてる人がいないかわからない?」
「ちょっと待ってね。」
上に行って遠のいたとするなら調べるのは水平方向。意識を円心に広げる。
「…ん?」
「何かあった?」
「なんか、玉?みたいなのが何個か落ちてる?」
「玉?」
「そう…あと、逃げてる人はいないけど…こっちに向かってくる人がいる…!」
目線の先に走ってくる人影を確認した。マイが私を庇うように前に立ち応戦しようと身構える。
距離が近くなり、その人をしっかり認識できるようになった。
「あれ?あの人はさっきの…。」
その人はさっきおっさんの後ろについて歩いていた男の人だった。黒髪を清潔感ある長さで切り揃えた、すらっとしたザ・真面目な体育会系という感じの人。
「何か、起こりましたか?」
その人は走ってきたのに息が整っており、常にトレーニングしているのがそれだけで伺える。
「あ、いえ、ちょっと。」
人に見られてた気がして…なんて言いづらくて言い淀んでしまった。
「こちらは大したことありませんので。むしろ何かありましたか?」
マイが温度なく応答する。その人はまっすぐ目線をこちらへ向け、その目線から真面目さが滲み出るようだった。
「いえ、イレア様から事情をお伺いしている際にお二人が空へ舞い上がっているのが見えまして、トラブルが起きているのではないかと駆けつけました。」
「失礼しました。少し探し物をしていたもので。」
まぁ、探し物ちゃぁ探し物なんだけどね。マイって大人のあしらい方上手いよね。
「そうですか。それではあればよかったです。今連隊長とイレア様は昨日のお話をしている最中ですのでよかったらお二人も参加されたらいかがですか?」
今、おっさんとイレアが話してんのね。まぁ、イレアだから後でちゃんと教えてくれると思うけど…。
…ん?
「え?今、あなたが抜けたらイレアとおっさんが2人きり?」
「?ええ?」
生真面目そうなまっすぐな瞳が、何を聞いてるんだ?と不思議そうにしていた。いや、さっき、おっさんがあんな変なことのたうちまわってたじゃないの!
マイを見たら彼と同じ顔をしていた。何この二人は世間から切り離された世界で生きているの?
「生徒会室に急ごう!!!」
「アマミさん?イレアだったら…!」
マイが話している最中に二人の手を引いて私が学生棟に走っていくもんだから、今度はマイの声が置き去りにされていた。
エレベーターに飛び乗りマイが息を整えている。もう一人の男の人も少しびっくりしたのか胸を押さえていた。
「イレアだったら…ちゃんと後で教えてくれると思うわよ…?」
「そう言うことじゃないんだよ!」
報告を早く聞きたいとかじゃないのよ!変なことされてないか確認しに行くのよ!
マイが思いっきり眉間に皺を寄せて強めのクエッションマークを浮かべてた。一言で言うとはぁ?って顔。
お育ちがいいとはぁ?とかいわないんだね、奈月だったらはぁ?あんた何言ってんのよ?ってところまで言うと思う。…奈月のお育ちが悪いってわけじゃないんだけどね!
そんなことを思っていたらエレベーターが生徒会室に止まり、扉が開いた。開き切る前に飛び出し、生徒会室の扉を開ける。
「イレア!変なことされてない!?」
突然の登場に手前に座ってたイレアが目をまんまるにしてこちらを見つめていた。心なしか…いや、絶対に顔が赤い。
おっさんの方は全力の苦笑いを浮かべていた。
赤面するイレアに、苦笑のおっさん。それだけが答えだった。
…こいつ、やったな…。
「…おっさん、覚悟、できてんだよね?」
空間全てを認識。身体もすぐに全力が出せるように血が巡る。
「違う!違う!!違う!!!才女!!落ち着きなさいって!!おっさん無罪だよ!?」
誰が信じるか…。床を壊さない程度に蹴り上げおっさんの顔面をアイアンクローのように手のひらで掴み、勢いを殺さず後ろの壁まで叩きつける。
「ぐぇ」
「何をやったか吐きなさい。嘘を言ったらこのまま握りつぶします。」
「…おっさん…本当に…なにも…やってまてん…。」
手に力を込める。
「いだい!!いだい!!いだい!!!ちょっと!!!本当に潰れちゃう!!!」
「本当に潰す。」
さらに力を込める。
「お姉さん!!!ちょっと!!!止めて!!!」
その言葉にハッとしたのかイレアが声を上げる。
「スイ!手が汚れちゃうわ!」
「そっち!?潰れた後のことなの!?ブラックジョークがすぎるよ!?」
「汚れたら洗えばいいから大丈夫。」
「才女!!その考え危険!!」
「じゃなくて、本当に何にもされてないわ!」
イレアの言葉に手に力を込めるのをやめる。もちろん顔面は掴んだまま。イレアの方を向き真偽を確かめる。
「本当に…?」
「ええ、本当よ。」
イレアの瞳をじっと見る。…どうやら本当らしい。掴んでいた手をパッと離す。
「オッフ」
変な言葉を吐いておっさんが膝から崩れ落ち四つん這いになっていた。
「…ひどい、ひどいよ!!才女!!」
恨めしそうに顔を上げたおっさんは私の手形がしっかり刻まれていた。
「…だって、イレアの顔が赤かったから!おっさんがさっきも変なこと言ってたし…!変なことしたんじゃないかって!!」
「だから違うって言ってるでしょうに!!」
息を吹き返したように猛抗議をする。
「おっさんのことなんて誰が信じるか!!」
「おっさん、才女に嘘ついたことないでしょう!?」
「そんなの覚えてないね!!」
「なっ!?」
二人して大声で言い合ったもんだからゼェーゼェー肩で息をする。息を整え、先ほどのイレアの顔を思い出す。
「…じゃあ、なんでイレアの顔が赤かったのさ。」
「そんなん、本人からききなさいよ…。」
ちらっとイレアを見るとまた顔が赤くなっていた。
私から目線を逸らすように顔を背ける。何か言おうとあ、その、と口をもごもごさせていた。イレアらしくない反応だった。それを見て再びおっさんを睨みつける。
「たんま、たんま!たんま!!もうやめて!!おっさん本当に顔変わってみんなに気づかれなくなっちゃう!」
怯えるようにおっさんが両手を前にして勘弁してくれとアピールする。
「…昼、イヴァン隊長と会った時の話聞いたの。」
イレアがやっと言葉を吐き出した。その言葉はモゴモゴと生み出され、宙に留まるかのように響かなかった。
「その時にスイがイヴァン隊長が私の名前を呼んだり仲がどうこうって話をしたら怒ったって言うから。」
あぁ、昼のこと?なんでそれで顔が赤くなるの?意図が読み取れず首を傾げる。
「イヴァン隊長が、あなたは私のことが取られたくないぐらい好きなんですねって言って。そのタイミングであなたが焦って入ってきたから余計に恥ずかしくなってしまって…。」
「ん?なんで恥ずかしいの?」
何を今更。私はイレアのこと大好きだって昨日も散々言ったじゃない。
「え?才女、正気?さっきもおっさんの顔無くす勢いで来たじゃない。愛ゆえの行動かとおもったけど?」
おっさんが目と口をぽかーんと開けてまじかって顔をしていた。正気も正気だけど?
「え?だって私イレアのこと大好きだよ?何度も言ってるし、昨日の夜だって…」
「スイ。」
一緒に寝たじゃないって言おうとしたらイレアに遮られた。
「え?」
「スイ?」
イレアは顔をさらに赤くしながら、満面の笑みで喋るなと言う圧を加えてくる。おっさんがふざけるように言葉を発する。
「え、やだぁ。ハレンチ。」
なんだこのおっさん。
「ハレンチなことしてないわよ?」
イレアが主にマイに向けて伝える。その顔はやはり赤く、それでも明確に伝わるように言葉を発していた。マイはよく理解してなさそうに曖昧にええ。と返事をする。
その様子を見ておっさんが私に目を向ける。
「してないの?ハレンチなこと?」
「してないよ?何言ってんのおっさん。」
「いやだって、大好きなんでしょ?そーゆー意味で。」
なに?どう言う意味なの?自分の眉間に深い皺ができてることがわかる。意味がわからずイレアの方を見ると顔を赤くして目を逸らされた。
「え??何この子?無意識なの?こわっ。」
おっさんが目を細め、ないわーといってくる。
「この子…こういうことするんです。」
イレアがため息を吐きながら言う。おっさんが大変だねぇと呆れながら答える。さっきもおっさんにイレアが変なことされてないかって心配になっただけなんだけど…そう思ったけどこれ以上言うとイレアに本当に怒られそうだから黙っておく。
「…まぁ、我々の報告は終わったから、おっさんたちはお暇するよ。そういえばジル青年はなんで急に下に降りてったの?」
ジルと呼ばれた青年がびっしっと効果音が聞こえるように背を正し、答える。
「スイ・アマミさん、マイ・フェルバーグさんが空を飛んでいて、探し物をしているようだったのでトラブルかと思い駆けつけました。」
「そうだったの。偉い偉い。今度からちゃんと言ってから行くんだよ。バルコニーから戻って急にちょっと下行きますじゃなくてね。」
「はい。失礼いたしました。」
「構わんさ。じゃあ、戻ろうか。」
「はい!」
ジルは忠犬のように返事をしてエレベーターを呼びに行った。
「全く、とんだ勘違いでおっさんの素敵な顔面が潰されるところだったよ。」
大袈裟にやれやれと呟きながらため息をつく。
「元はといえばおっさんがいらんこと言うからでしょ?」
「あーいえばこーゆーですね。最近の若いもんは反省という言葉を知らないのかね?」
「うるさいなぁ。」
「まぁ、いいや。とりあえず事件のことはイレアちゃんに言ってあるから、捜査の方は頼んだ。無理すんなよ。」
「イレアちゃんゆーな。わかったよ。」
このおっさんにだけはイレアを任せられない。ええ、絶対に。
「はいはい、そう言う嫉妬とかお子ちゃまらしくていいですなぁ。」
「…おっさんだから腹立つんだわ。」
「…おいおい、イレアちゃんに対しての嫉妬じゃなくて俺に対しての嫉妬だったわけ?可愛いところあるじゃん。」
このおっさん。仕留める。
再び手をアイアンクローに構え、走り出す準備をした時エレベーターの音が鳴った。
「連隊長エレベーターが参りました!」
ジルが語尾までしっかり言い切り、これぞ軍人という振る舞いで、全く軍人に見えないおっさんを呼ぶ。
「お、ジルくんナイスぅ。またアイアンクローをくらうところだったよ。」
ヘラっと笑ってエレベーターにのり、じゃーねーといって手をだらしなく振ってくる。ボタンのところにビシッと立っているジルとは正反対でエレベーターが不思議な空間になっていた。
おっさんが帰り、急に生徒会室は静かさを取り戻した。
「なんか、疲れた。」
どっと疲労感を感じソファに身を投げる。
「あんまりイヴァン隊長に失礼しちゃだめよ?」
イレアが諌めるように言う。イレアがおっさんの肩を持つのなんか不服だ…
不貞腐れたようにほっぺを膨らませて抗議する。
「イレアがおっさんに変なことされてないかと心配したんじゃん。」
「されてないわよ。別にされても構わないし。」
「!?」
…え?イレアおっさんみたいなのがタイプなの?あのイケメン助手を振っといて…?…イレアのセンスがわからない。いや、だとしたら私はとんでもない邪魔を…。
きっと表情に全部出ていたのだろう。イレアがクスクスと笑い始め、マイは観察するようにこちらをみている。
「冗談よ。そんな驚かなくてもいいじゃない。」
なんだよ…。よかったぁ。
「むぅ。おっさんだけはだめだよ…信用ならない。」
「あら、私が誰と付き合おうとも自由でしょ?」
イレアが楽しそうに目を細める。完全に私で遊んでる。
「もう!マイ!生徒会長業務手伝って!」
逃げるように、マイの手首を掴んで昨日教えてもらった業務をやりに生徒会長室に向かった。
「みんなが来たら呼ぶわね。」
相変わらず愉快そうに話すイレアに不満を覚えながら返事をする。
「…うん。」
生徒会長室に入り扉を閉める。ズンズンとソファのところまで行き荷物を置いて、必要なものを取り出す。
「なんだよ!イレアったら!」
プンプンしている私にマイがまた顎のところに手を握り不思議そうにしていた。熟考したあとマイがポツリと呟く。
「アマミさんて…イレアと付き合ってるの?」
「ブフォ!!」
勢いよく肺から空気が飛び出す。
な、な、な、な、何を言ってるのこの子!?
顔がカッと赤くなるのがわかり、耳まで熱をはらむ。
「何を言ってるの?!」
なんとか心の声を絞り出した。
マイは不思議そうに首を傾ける。
「凄く嫉妬している様子だったから。付き合っているのかしらと思っただけよ?」
その言葉にまた熱が上がる。
「し、嫉妬?!してた!?」
「イレアちゃんって呼ぶなとか、イレアに変なことしてないかとか。」
「いやだって!おっさんが変なこといってたから!」
「…イレアも大人よ?アプローチされても自分でどうにかできるはずでしょう。それにイヴァン隊長は相手にそんなに悪くないと思うけれど?」
…そうなんだけど…!そうなんだけど…!いや、おっさんは悪くないことないけどね…!!なんか胡散臭いんだよ…!
前半がその通り過ぎて、ぐぅの音も出ない。…確かに誰とも付き合ったことのない、ましてや好きな人ができたことのない私がイレアを守るなんて見当違いにも程があると気づき始めた。
頬に帯びていた熱が不完全燃焼を起こしたかのようにぐずつく。
「だって、なんか、気に入らなかったんだもん。」
拗ねるように口を尖らせ、ボソボソ言う。全く子供みたいなことを言っているのが自分でもわかる。
「アマミさんはイレアが好きなのね。」
ふむふむとマイが納得している。この子は揶揄ってるわけじゃないだろうなぁ…。はぁ、とため息が出る。
「好きだけど、恋愛って意味じゃないよ?」
マイがこちらに目線を向け、キョトンと目を大きくしてこちらの様子を見ている。
「そうなの?」
「うん、なんて言うかイレアは研究室の頃から私の面倒を見てくれて、守ってくれて安心できる相手なんだ。だから、なんで言うんだろう、親?お姉ちゃん?多分それに近いんじゃないかなぁ。」
マイはその言葉に再び熟考を始める。マイのこれは危険だ。そろそろわかり始めたぞ。急いで次の言葉を紡ぐ。
「お姉ちゃんが他の人に取られそうな感覚?それも気にくわない人に?そんな感じだよ!それに、そもそも私たち女だし!」
マイはゆっくり目線を上げ、こっちを捉えてしっかりと言う。
「別に、良いんじゃないかしら。そう言うの。私も女子生徒から告白されたことあるもの。」
「え、あ、そうなの?まぁ、マイは美少女だし優しいもんね。わかるかも。」
確かに何度か私もドキッとしたし、こんなに美人でリーダーシップもあって優しかったら男女問わず惹かれるよね。逆に私がふむふむし始め、マイがその様子を目を見開き見つめる。その視線に気付き、ふとその大きく開かれたラベンダー色の瞳を見る。パッと目線を逸らされ、少し寂しい気持ちになる。
「…早く業務を終わらせましょう。」
マイがそそくさと準備を始める。マイって急に拒絶するよなぁ…。私がなんか気に触る事を言ってんだろうけど。まぁ、話が逸れたからいいか。気を取り直し業務を二人で行う。
「みんな揃ったわよ。」
イレアが呼びに来てくれた。あれから黙々と書類を捌き続け、期限が長いものも処理している頃だった。生徒会長業務って終わる日が来るのだろうか…。
イレアはいつのまにかメガネをかけていた。おそらく伊達メガネだと思うけど。若干目の腫れが残っていたから一応かけたんだろうな。そんなことを思ってイレアを見ていたらさっきの会話を思い出す。
『アマミさんて…イレアと付き合ってるの?』
思い出すだけで頬がまた熱をはらむ。
なんだかイレアを見るのが恥ずかしくなってサッと目線をそらし、ぶっきらぼうに返事をする。
「ん。」
思春期か。思春期の少年か。自分に自分でツッコミさらに自爆する。
その様子をイレアが不思議そうに見つめるが、それを弁明する器量は私にはなかった。
できるだけイレアの顔を見ないようにそそくさと生徒会室にはいる。
ソファにはお馴染みになりかけているメンバーが座っていた。
「エンジェルちゃん!こっ…」
フィルマンが呼んでる最中にマイがフィルマンの隣に座る。
「…。」
じっと見つめるフィルマンにマイが無視を決め込む。私は私で空いてるところに座ろうと思ってみると昨日同様エルネストの隣が空いていた。
「…エルネスト、今日も気だるそうだね。」
「…なによ、悪い?」
エルネストがチラッと目線だけ私に投げかけ不満そうに呟く。
「いや、逆に安心する。なんか、ありがとう。」
「何言ってんの?」
思春期の私が落ち着きを取り戻す。ありがとう、エルネスト。
怪訝そうな顔で見つめてくるエルネストがポツリと呟く。
「あんた、眼、変よ?」
言い方。ちょっと言い方があると思うの。
「え!エンジェルちゃん!何かあったの!?誰かに泣かされた?!」
フィルマンが大袈裟に心配する。やめて、泣かされたとしたらそこにいるお姉さんだから。
「いや、ちょっと…」
なんて誤魔化そうと笑顔を取り繕うとフィルマンが手を伸ばしてくる。
「ああ、エンジェル。その美しい瞳から流れる涙さえも愛おしい。僕が隣で拭きとってしまいたいよ。」
フィルマンの手が私に触れる前にマイによって叩かれ、イレアが睨みつけよしなさいと伝える。2人のピリついた雰囲気にうっと息をのみフィルマンが必死に抵抗する。
「…俺、めげないからね!!ほんとに!!」
お決まりになりかけてるフレーズを叫びマチルダ以外みんなのため息を引き出す。
呆れ顔のエルネストがこちらを向き眼をじっと見つめる。こんな派手な子に見つめられるの慣れてなくてちょっとドギマギする。
「ちょっと目、閉じなさい。」
やれやれと言うふうに伝えてくる。言われるがまま目を閉じると瞼の裏に優しい緑の光を感じる。暖かくて心地いい光だった。この温かさどこかで…。そう思い出しているとエルネストの声が聞こえた。
「いいわよ。」
その言葉に目を開けると、さっきよりずっと瞼が軽かった。
「え?」
驚きに瞼を触ると心なしかさっきより薄く感じた。
「治してあげたのよ。感謝しなさい。」
興味なさげに呟くエルネストは、たいしたことないように目線を遠くにやっていた。
「凄い!エルネスト!!瞼が軽いよ!!」
「そうです。エルは凄いんですよ。」
これまた誇らしそうにマチルダが言う。その言葉にうんうんと頷く。当の本人は当然と言うふうにつまらなそうにしているけど。
「当たり前じゃない。」
「当たり前じゃないよ!緑の光が心地よくて、エルネストの能力ってなんで言うか、あったかくて優しいんだね!」
その言葉に興味なさそうにしていたエルネストがバッとこちらを向きまじまじとみてくる。
「え?」
あまりにもまじまじみられすぎて、ドギマギする。変なこと言った…?何か考えるように目を巡らせ、ふぅとため息をつく。その姿をイレアがじっと見つめていた。
「なんでもないわ。そー言えば昨日ソメヤさんが夜中抜け出してたなって思い出してただけよ。」
その言葉にギクリとする。奈月、こっそりって言ってたけど、バレてないかな…。
「それにあちらの方も何やら隠すようにメガネをしていらっしゃいますし?」
口元を緩め、やけに丁寧に紡ぐ言葉は揶揄っていた。
「何?私も治してくれるの?」
イレアがその喧嘩買ったと言わんばかりににっこり微笑む。
「ご所望であれば?」
それににこやかに答える。
沈黙が部屋を埋め尽くす。その様子にマチルダはオロオロとしていた。エルネストがそれをみて疲れたように言い放つ。
「わかったわよ。悪かったわ。」
「引いてくれてよかったわ。」
にっこりと微笑むイレアは、変なことで突っかかってくるんじゃないわよと顔に張り付いていた。それをエルネストはチラッと見て、フンと目線を逸らす。
気を取り直してイレアが話を進める。
「昨日はみんなお疲れ様。あまりにも実態と乖離が大きかったため、東の森の魔物の件で執行部のイヴァン連隊長から再び話をきいたわ。」
「魔物がいなくなったなんて、そんなことなったよな。あんなに囲まれでびびったぜ。」
フィルマンが思い出し、両手を広げて勘弁してくれよと言うふうにアピールする。
その言葉にイレアが頷く。
「ええ、それについて担当者含めて話を聞いたわ。」
イレアの言葉を全員が待つ。
「彼らの調査ではやはり魔物の減少は間違いないと言う結論に至ったわ。」
「はぁ?あんなに居て?元々どんだけいる森だったのよ?」
エルネストが眉間に皺を寄せ、疑うように言い放つ。
イレアがそれに頷く。
「そうなるわよね。我々が遭遇した魔物の数と彼らが調査した際に目撃した数、比べてみたわ。そうしたらある違和感が浮かんだわ。」
「違和感?」
確認するようにつぶやいた私の言葉に反応するかのようにイレアがまっすぐこちらを見つめる。
「彼らの調査時より、昨日私たちが調査した時の方が4倍近く魔物が出現したのよ。」
「は?4倍?」
エルネストが怪訝そうに聞き返す。
「4倍なんて異常値、どちらかの調査が間違ってるとしか言えないじゃない。」
「そう。でも彼らの報告書に不審点がなかったのよ。調査方法、報告内容ともに通常に行ってるものと差異がなく、ただ、魔物だけがいなかった。」
「じゃあ俺らの調査が間違ってるってこと?」
フィルマンが良くわからないというように眉間に皺を寄せている。
「なわけないじゃない。誰が指示して調査してると思ってるの?」
イレアが自信に満ち溢れる言葉をさらっと告げる。その言葉にフィルマンがそうですよねーと苦笑いを浮かべていた。
「つまり、4倍と言う異常値は正しい数値ということよ。」
イレアが導き出された結論を伝える。
「異常値が正しい。」
イレアの言葉を反復し、その真意を想像する。不自然に減少した魔物が、短期間に不自然に増加した。それってつまり…
「人為的現象。」
マイがポツリと呟く。その言葉に頷き、受け取るように言葉を紡ぐ。
「誰かが意図的に魔物を減らして、私たちが調査したときに襲わせた…。」
私の言葉に反論はなく、みんなの同意を得たのだと理解する。
「でも、誰が?なんのためにでしょう?」
マチルダが困ったように頬に手を当てる。
「私たちは昨日活動を始めたばかりで、誰かに狙われるようなことはしてませんよ?」
マイが考えを巡らせているのか、マチルダの方を向かずに言葉を放つ。
「そうね。でも、その調査を行うこと自体、狙われる行動だった可能性があるわ。」
「調査を行なって欲しくなかった…?」
あの森の何かを知られたくなかったの…?考えを巡らせている最中にエルネストがふぅとため息をつく。
「別に何もしなくても狙われることはあるじゃない。」
エルネストに全員の目線が集中する。
「ここにいる全員経験したことあるでしょ?言われもない噂を立てられたり、誰かに貶められそうになったり。私たちは全員高位能力者なのよ?」
エルネストの言葉に全員心当たりがあるのか無言になる。
確かに昨日のアビリティチェックの盛り上がりを考えると、高位能力者は憧れの的になることも多いのだろう。それは逆に羨望から、妬みの的になることもある。きっとみんなもそんな経験をしてきたんだろう。
「でもさ、魔物がいなくなったのって中央生徒会設立を公にした前のことだろ?しかも、俺らがそこに行くって知ってるやつの方が少ないだろうし、俺らが狙われたってよりも何か隠したかったじゃねーの?女神は考えすぎじゃね?」
フィルマンが明るく言い放つ。その明るさの裏にチラリとから元気なのが見え隠れする。
「あんたねぇ…。」
そんなフィルマンに呆れ顔でエルネストが見つめる。その目線から逃げるようにフィルマンはエルネストから目を逸らす。その姿がいたたまれなくて、助け舟をだす。
「まぁ、確証が高い事実は、今回の一件は人為的である、と言うことだね。なんのために私たちに魔物を襲わせたのかって言うのは調べないとなんとも言えないし、もう一つ不自然な点から考えた方が良いかもしれないね。」
「もう一つ不自然な点?」
マチルダがなんのことか、答えを求めてくる。
「俺も、スイも気が付かなかったことだな。」
マリウスの言葉に頷く。
「そう。私は物質のアビリティを持ってるんだけど、基本的に身の回りの物質は無意識にでも感じ取ることができる。マリウスは聴覚の特化。近くの音に反応できないことの方が少ない。なのに、魔物に囲まれた時も、マイが怪我した時も気づかなかった。」
「それはあんたたちアビリティチェックで疲れてたんじゃないの?」
エルネストが聞いてきて、その言葉にイレアが反応する。
「スイのそれは疲れてどうこうなるものじゃないわ。確かに反応が鈍くなることはあるけれど、気を張っているあの状態で認知できないことはないわ。それにマリウスも小さいな物音であれば難しいかもしれないけれど、木々が擦れるようなあの森の中、魔物が動いていたら聞き逃さないわよね?」
「ああ。」
マリウスが淡々と肯定する。
「そうなると、突然魔物がそこに現れたと言うことになるのでしょうか?」
マチルダの問いに明確に答えられる人はここにはいなかった。
「うーん、そうなるのかな…。例えばテレポートのアビリティ保持者が送ったとか?」
「そしたら、テレポートのアビリティ保持者をあたればすぐなんでね?」
フィルマンが楽観的にヘラっと笑う。その様子に再びエルネストが呆れたような目線をおくる。
「ちょっと女神、俺にきびしんじゃ…」
フィルマンがいつものように扱いに抗議しようとした時、外から空気を割るような悲鳴が発された。
「うぉ!!」
それにフィルマンが驚きで反応する。
咄嗟にベランダにでて下をみると、すぐ横にマイが来たことに気がつく。何事か確認すると、青い芝生には驚きで足をすくませている生徒や倒れている生徒、なんとか逃げようとしている生徒がいた。その恐怖の先にはここにいるはずのない生物、魔物がいた。
マイが室内にいるメンバーに向かって状況を伝えようと振り返る。
「魔物がいるわ!おそらく怪我している人も!」
マイの言葉を聞きながら手すりを越え、重力に従い地上に落下していく。
地面を歪め衝撃を吸収させる。前をむき、状況を把握する。避難が必要な学生は2人、うち一人は怪我をしている可能性がある。まずは魔物からこの二人を引き離す。
地面を蹴り上げ、倒れている生徒と魔物の間に入り、氷の刃で切り裂く。うめき声をあげてよろめく魔物は傷口から凍てついていく。それを横目で認識しながら倒れている男子生徒の様子を見る。足から赤い血が出ている。
「大丈夫!?一旦ここから離すから持ち上げるよ!」
「ゔぅ、いだい…。」
「すぐ治せる人が来るから!」
顔には大量の汗が吹き出しており、痛みが見て取れる。他の魔物がこちらに向かってきているのを感じて急いで背中と足に手を回し持ち上げる。もう一人は…!
足がすくんでしまい立ち上がることができなくなってしまった女子生徒が魔物と向かい合っている。涙を浮かべ、ただ恐怖に震えていた。
魔物が地面を蹴り勢いよく飛びかかる。魔物を追い抜くスピードが出せるよう地面をより強固にし、全力で地面を蹴る。魔物の横に走り込み思いっきり蹴り飛ばす。
「ギッ!!」
声だけ置き去りにして学生棟に勢いよくぶつかり、壁にめり込む。
「怪我は?!」
女子生徒は突然の出来事にただ蹴り飛ばされた魔物を凝視していた。
「あ…」
まだその瞳は恐怖に震えていた。そりゃ今のいままで魔物に襲われそうになっていたんだから当たり前だ。安心させるように目線を合わせて微笑む。
「もう大丈夫、少しここで待っててくれる?すぐ終わらせるから。」
その言葉に溜めていた涙が流れ、大きく頷く。
「ありがとう。君も一回おろすね。」
男子生徒は変わらず大粒の汗を流している。エルネストを早く呼ばないと…。そう思った瞬間頭上からその人の慌てた声が聞こえた。
「ちょ、ちょ、ちょ!!あんた!!まちなさ…っ!!!」
え?パッと上を見上げると、綺麗な黒髪と金髪が風に煽られて激しく揺れていた。
マイがエルネストを抱き抱え生徒会室から飛び降りてきた。
マイのことだからなんの許可なしにエルネスト抱えて飛び降りたんだろうなぁ。縋り付くようにマイの制服を掴んでいるエルネストが不憫に思えた。
「あんたねぇ!!行くなら行くって一言言いなさいよ!!」
「言ったわ。」
「あんた近寄ってきたと思ったら、エルネスト、早く。っていっただけよ!!」
「…怪我しているの、治してあげて。」
「こんの…!」
エルネストは元々ある目力を全力で使い睨みつけたがマイはなんのそのだった。諦めたように男子生徒の方へ向かい、治療をし始める。
「今治すわ。足以外に痛むところは?」
彼はエルネストにお任せしよう。今は残りの魔物の処理だ。あとおそらく4体。ただでさえ怯えている彼女たちに衝撃的な処理は見せれない。だとすると…
「マイ、4体、1箇所に集まることできる?」
「ええ、できるわ。」
「じゃあお願い。」
マイは片手を斜め前に伸ばすと、それに応えるかのように風がヒュッと駆け抜ける。マイの手が目の前の何かを掴み取るように右から左へ勢いを持って振られる。風がそれに応える。風が弧を描くように吹き抜け、徐々に小さな竜巻になり、4体が竜巻の中心に集まっていく。
「ありがとう。」
1箇所に集めてもらった4体を認識。彼らの水分をフリーズさせる。動きが手足から止まっていき、最終的には全ての動きを凍らせる。全てが凍てついたことを確認すると、さっき倒した2体も認識に含む。念には念を、彼らの脳の血管を認識し、血液で血管を切り裂く。
氷化状態を解除し、崩れ落ちるように倒れるのを確認した。
「終わったよ。」
「…ええ。」
マイの方を振り返ると何をやったのか考えているのか難しそうに眉間に皺を寄せていた。その様子が生徒会室にいる時と変わらず少し呆れてしまう。マイには後で説明してあげよう。
今は彼らのフォローだ。
「エルネスト、どう?」
「結構、スッパリいかれてるわ。時間が少し必要ね。」
彼の方を見ると先ほどよりは痛みが引いているのか目を開け、エルネストの手を苦しそうに見つめていた。それに気がついたのかエルネストが微笑みながら伝える。
「大丈夫よ、時間少しかかるけどちゃんと私が治すわ。安心しなさい。」
その言葉に男子生徒はエルネストの手から顔へ目線を移し、ただその顔面をうっとり見つめていた。こりゃ、落ちたな…。エルネストが女神って言われる意味がわかった気がした。
これはエルネストにお任せしておこう。そう思い、私は女子生徒の方を…。彼女の方を見ると泣きじゃくっていた。そりゃ怖かったよね…。
「怖かったよね。もう大丈夫だよ。」
しゃくり上げ、大きく揺れる背中を安心させるように優しくさする。小さい頃良く奈月がやってくれたんだよなぁ、すっごい安心するんだぁこれが。何度か撫でると顔をあげ、こちらを見つめてきた。子供をあやすように優しく微笑む。
「大丈夫、安心するまでついてるよ。」
そう伝えると彼女の目が大きく開かれた。
「ん?」
その反応に何かあったのか、優しく聞いてみる。そうすると彼女は思いっきり首を横に振り何にもない旨をアピールする。
そういている間に生徒会メンバーが降りてきた。
「スイ!大丈夫!?」
イレアが慌てたように駆けつけてくる。
「うん、全部片付いたよ。」
「怪我はないの?」
「怪我をしたのは彼だけ、他は特に怪我してないみたい。」
「あなたも?」
「ん?あぁ、うん。なんともないよ。」
「そう、よかったわ。」
イレアは安心したように微笑んだ。心配性だなぁ。そう思いながらも嬉しくて胸がこそばゆく感じた。
「いやーエンジェル、飛び降りた時はゾッとしたぜぇ。」
フィルマンがやれやれと呆れたように伝えてくる。彼も心配してくれたんだろう、謝罪をする。
「ごめんね?マイが報告してくれてるって思って、私は急いで駆けつけないとって夢中で…」
曖昧な笑顔でエヘヘと責められないように微笑む。
マチルダはエルネストの所へ駆け寄り何か話していた。
「それにしても、急に魔物がここに…?」
マリウスが訝しげに呟く。その通りだ。ここはさっき目線を感じてマイと一緒に調査をしたところだ。あの時は特にそんな事感じなかったのに…。
背中をさすっている彼女に話を聞くのはまだ無理だろう。きっとメンバーも同じことを思ったのか、各々頭を悩ませていた。
「あの…大丈夫ですか…?」
申し訳なさそうに話しかけてきたのは、違う女子生徒だった。この子、そういえばさっき…。
「あ、あなたさっき、ここにいた?」
さっきなんとか走って逃げていた生徒は確かこの子だった気がする。
「あ…はい…。さっきは必死で…。」
彼女はすごく申し訳なさそうに答える。きっと見捨てたやように思い申し訳なさがあるんだろう。
「そうだよね…。あなたは怪我とかない?」
「あ、それは全然。急に魔物が出てきてびっくりしました…。」
その言葉にフィルマン以外がバッと反応する。
「もしかして、出てきたところもみてた!?」
「あ、えっと、はい…?」
不思議そうに頷く女子生徒をみて、イレアに目を向けると了解したように話し出す。
「話を聞きたいので生徒会室まで一緒に来てくれますか?」
「あ、はい。」
彼女は最後までオドオドしたように答え、イレアと一緒に生徒会室に向かって行った。その姿を泣いている女子生徒の背中をさすりながら見送っていると芝生の周りには少し人だかりができていた。
「マイ?」
マイの名前を呼ぶのは爽やかな声だった。
「アル。」
アルバードさんが小走りで人だかりのなかから抜けてきた。
「これは…?」
事情がつかめていないアルバードさんにマイが説明をする。やっぱこの二人お似合いだよなぁ。まさに美男美女って感じ。芝生の周りにいる生徒もざわついているし、わかるわかる。
人だかりの方に耳を傾ける。
『何があったの…?』
『急に魔物が出たらしいよ?それをキングとクィーンが合わせ技で倒したらしい…!』
『え!?何それ!始めての共同作業ってやつ!?』
『やばい胸熱…!でも、ほらみて!プリンスがクィーン取っちゃってキングが怒ってない?』
『やきもちかしら…!でもキングもキングで違う女の子の背中さすったりしてるし…』
『ルミリアの女神もいるじゃん!』
…キングって誰だろ…。
…。
なんとなく察しはつくけど…状況的に一人しかいないもんね。
目から感情が抜けていくのがわかる。エルネストが治療を終えたのか彼に一言つたえ、マチルダと共にこちらにやってくる。
「キング?クィーンにヤキモチですか?」
それを発する口元は全力で上がっており、揶揄ってますと顔に書いてあった。
「女神様…。やはりそうでしたか…。」
ガックリうなだれる。キングってなんかゴツくない…?良いんだけどさ…勝手だけどさ…なんか、ゴツい…。その様子にエルネストは楽しそうにクスクス笑う。
『待って、次は女神と話してるわよ…!』
『さっきの女神見たかよ…!俺もう、虜だよ…!』
『キングとクィーン、プリンス、女神…えぇこれからどうなっちゃうのぉ!!』
どうもならん!!!エルネストのファンが増えたのは何よりだと思いますけど!!
全力でツッコミたかったけどその気力さえ奪われた。
「あの…もう、大丈夫です。」
背中をさすっていた女子生徒が顔を赤ながらおずおず伝えてくる。
「本当?大丈夫なの?」
あんなことが突然起きて、本当に大丈夫なのか顔を覗き込む。そうするとさらに顔が赤みを帯びて顔を晒される。
「本当に!大丈夫なので!!」
彼女がバッっと立ち上がりそれに驚いてパチクリと見つめる。
「あの、本当に、ありがとうございました…。あなたに助けてもらって、本当に嬉しかったです…。」
ぽつりぽつりと感謝を伝えてくれる。それが嬉しく、自然と頬が緩む。
「ううん、怖い思いさせてごめんね。なんかあったらまたすぐ助けに行くから。」
そう伝えるとさらに顔を赤くしながら慌てたように、もう行きますね!と人混みの中に消えていってしまった。心なしかさっきから人混みがうるさいように思える。
「あんた…そのうち刺されそうよね。」
エルネストがしみじみ言う。それにフィルマンが同意する。
「そうだな…エンジェルちゃん、ほどほどにな。」
「え?」
エルネストとフィルマンが呆れたような同情するような目線を送ってくる。決して良い気持ちにはならない目線だった。
その間にマイがアルバードさんに報告を終えたのかこちらに寄ってくる。
「どうしたの?」
マイが雰囲気を察して質問してくる。
「…わからないの。」
そういうとマイはエルネストとフィルマンの顔を見て人だかりのざわつきをサッと見たあと、なるほどと呟き私に向かって話してくる。
「あなたは色々気をつけた方がいいわね。」
マイに言われるの解せないと思いつつも、アウェイなので黙っておく。
「…アルバードさんなんだって?」
「ここの処理はやってくれるって、だから生徒会室に戻って良いらしいわ。」
悪いなと思いつつもアルバードさんを見ると既にテキパキ指示を出していた。ここはお言葉に甘えておくか。
「そう、じゃあお礼だけ言ってくるね!」
アルバードさんに駆け寄り話しかける。
「アルバードさん、色々ありがとうございます。」
アルバードさんはこちらを向き感じ良く微笑む。
「構わないよ。むしろうちの生徒を守ってくれたらしいね。ありがとう。」
「あ、いえ、私も一応オルネラスの学生ですし…。」
その言葉にあぁ、そうだったねと微笑む。
「ごめん、確かにそうだ。でも、"オルネラス"の生徒会長としてお礼を言うよ、ありがとう、中央生徒会長さま。」
なんだかその言葉が私と一線を引くようで、表情の柔らかさと相反して固く冷たいように感じた。
「いえ…。もし何か気になるものとかあれば教えていただけると嬉しいです。今事件の調査中で…。」
「あぁ、マイから聞いたよ。もし何か見つけたら中央生徒会室に持ってくよ。」
「ありがとうございます。では。」
愛想よく笑顔を作ると、アルバートさんからも笑顔でお疲れ様と返ってきた。良い人なんだけど、一瞬、壁を感じた。入学式はそんなことなかった気がするけど…。そんなことを思いながらマイたちのところへ戻る。
生徒会室に帰るとイレアがさっきの女子生徒を送っているところだった。
「あ、話は終わったの?」
「ええ、ちょうど。この子が目撃してくれて助かったわ。」
イレアは微笑みながらその女子生徒を見る。照れるようにいえいえと微笑み、彼女はエレベーターに乗り込み帰って行った。
「で、本当はどうだったの?」
「へ?本当は?」
私の問いに疑問で返したのはフィルマンだった。
「イレア、さっきの子が罪悪感を感じてるの気がついてたみたいだから、助かったわって言ったのかなって。」
「なるほどできる女ということですな。」
二人でふむふむとイレアを見る。呆れ顔でイレアは私たちを見ていた。
「まぁ、良いわ。部屋で報告するわね。」
イレアに促され再び席に着く。
「彼女の話からすると、やはり魔物は突然現れたみたいよ。」
「やっぱりテレポート?」
「それはないわ。マイから魔物がいることを聞いてすぐにアビリティ測定したけれど、反応は残ってなかったわ。」
「うぉ、イレアさんなんかやってると思ったらそんなことしてたんすか。」
フィルマンが素直に感心している。そうだろう、そうだろう、うちのイレアはしごでき女子なんだから。なんだか誇らしく感じる。
「その話が出てたら普通確認するわよ。」
イレアが当たり前でしょう?とサラッと伝える。
この人はもっと素直になった方が良いと思うの。ほら、フィルマンが全力の苦笑いを浮かべてるじゃない。
「じゃあ、どうやってあの魔物はこの都会の学校に迷い込んできたんだ?」
マリウスがみんなの疑問を代弁する。
「結局、彼女の目撃情報じゃなにもわからなかったと言うことかしら?」
エルネストが確認する。それに対してイレアが少し険しい顔で頷く。
「んー、あの子はなんて言ってたの?」
イレアが苦笑いを浮かべて言いづらそうに言葉を紡ぐ。
「…魔物が地面から生えてきたみたいだったって…。」
「あー…。なるほどねぇ。」
イレアの苦笑いがうつる。なんとも言えず全員が黙り込む。
「あの魔物は東の森の魔物だったわ。」
ぽつり、マイが呟く。
「え?魔物ってみんなああじゃないの?」
「魔物は大体が決まった生息地にすんでいるのよ。あの狼型は東の森の魔物になるわ。ランクアルファのアビリティチェックで捕まえる魔物も東の森の魔物よ。」
「あ、そうなの?アビリティチェックの魔物も見たことある魔物も狼型だったり、猪型だったりしたからみんなああなのかと思ってた。」
あ、またも世間知らずって言われるやつ?そう思い面々を見渡すとマチルダもフィルマンもへぇと感心していた。あ、みんなも知らない情報なのね。
「じゃあ、今回の件はアビリティチェックの生き残りだったとか?」
フィルマンがポンと手を叩いて思いついたように伝える。
「それはないわ。魔物の用意は管理局が行なっていて、今回の用意数と残数の差異はなかったと報告をうけてるわ。」
「じゃあなんなんだぁ?」
フィルマンがお手上げというように両手をあげる。その言葉を最後に他の人から提案はなく、今日はお開きになった。
イレアと帰路についていると明日からマイと行くパン屋の前を通った。看板にル・エールの文字を見てやっぱりここであってたのかと確認する。やっぱり、校門から少し離れていた。わざわざこっちまで来てもらうのなんか悪いなぁ。そんなことを思ってパン屋をじっと見ていたらイレアが話しかけてきた。
「あそこのパン屋美味しいのよね。」
「あ、そうなの?」
「ええ、そうよ。学生時代はよく昼ごはんに買って行ったわ。」
イレアは懐かしむように少し目を細めてパン屋を眺めていた。その表情はなんだか穏やかだった。
「あ、イレアも?」
「ええ、購買がすごい混むから。スイもそうするの?」
「うん、今日行ったら購買すっごくて、マイと買ってから行こていってて、明日からここで待ち合わせなんだ。」
「今も変わらないのね。」
イレアがクスッと笑う。私も昔のイレアと同じことをしてるのがなんだか嬉しくてそうだねと微笑む。
「二人、仲良くできてるわね。」
「え?」
「スイとマイ。」
イレアは穏やかな表情のまま、こちらを向く。
「そうかな?」
「ええ、少なくとも私にはそう見えるわ。東の森の時も、今日だって息ぴったりだったじゃない。生徒会業務も黙々と二人でやっていたし、安心したわ。」
イレアにはそう見えているのか。なんだか頬が包まれたようにほわっと温かくなった。
「でも、マイはずっと私のことアマミさんって呼ぶからさ…」
照れ隠しついでにずっと一人で気にしてたことをイレアに相談してみる。
「あぁ、それね。きっとマイは何にも気にしてないんだと思うわよ?」
「え?そうなの?」
「多分ね。あの子そう言うの無頓着だから、めんどくさいからわざわざ変えないってだけとかよ?」
「なんだぁ、わざと壁を作られてるのかと思ったぁ。」
安心して肺の空気がへなへなと抜けていく。その様子にイレアがまたクスッと笑う。
「気にしすぎなのよ、スイは。」
「そう言うもんかぁ。」
「そうよ。」
イレアは優しく同意し、少し考え込むようにぽつりと話す。
「…気にすると言ったらだけど、私は今日のスイの態度が気になったわよ?」
今日の態度?今日も今日とていろんなことがあったからどれのことだ?
私がはてなマークを浮かべているとイレアが続ける。
「生徒会長室から出てきた時のことよ。」
生徒会長室から出てきた時?確か、あの時部屋を出ようと思って、イレアの前を通った時恥ずかしくなったんだったよな…。
「…。あのことか。」
生徒会長室でのやりとりを思い出して、また恥ずかしくなりそうだった。それを目をジト目にして感情を表に出さないようにする。
「思い出したのね。」
「…うん。ごめん、変な態度とって。」
「反抗期が来たのかと思ったわ。」
「そんな、イレア様に滅相もございません。」
「本当よ。反抗期だったらトレーニングの量増やしてやろうと思ったわ。」
あ、うん、絶対反抗なんてしないでおこう。そう心に決めた。ちらっとイレアを見ると言葉とは裏腹に優しい目でこちらを見ていた。なんだかその顔につい恥ずかしくなってしまい目を逸らしてしまった。その様子を見てイレアが噛み締めるように呟く。
「最近スイについて知らないことが増えていっていてちょっと戸惑うのよ。スイが、色んな人と関わって、スイとその人だけのやりとりが積み重なって、スイだけの世界ができていくんだと思ったの。それを望んでいたのに、どこか寂しいような。」
その言葉を反映するかのように相変わらず優しい表情をしていたがどことなく寂しげな切ない表情だった。
「今この瞬間も過去に変わっていって、次はここをスイと歩いたなって思い出す日が来るのかと思ったら、ちょっと寂しいの。今この瞬間を瓶に入れて留められれば良いのにって子供みたいなことを思ってしまうのよ。」
眉尻を下げ、困ったように笑うイレアはオレンジの夕日に照らされて綺麗だった。綺麗すぎてもどかしくて、儚くて、切なかった。いつもより素直なイレアに私もちゃんと答えたかった。
「私も当たり前だけどずっと高校生でいられないし、イレアもずっと私の研究をしてるだけじゃダメになるかもだしね。いつかはこの関係が終わる時が来るんだろうね。」
「…そうね。」
同意するイレアの横顔は変わらず困ったように笑っていた。その笑顔は胸をキュっと締め付けるように切なかった。その締め付けから解放されたくて言葉を続ける。
「でもね、その時が来ても、イレアは隣にいてほしいな。今日が過去になって、今日を懐かしむようになっても、隣でそんなことがあったわねってイレアに言ってほしい。私が大人になって、イレアが私の研究をしなくなっても、この関係が終わってしまっても、私の保護者として一緒にいてよ。」
これは、そうだな、私からイレアへの告白。
昨晩の一件があって、イレアが居てくれる理由がわかって卑屈にならずに伝えれる言葉。やっぱり恥ずかしくて照れたようにヘラっと笑ってしまう。こう言うところバシッて言えるとかっこいいんだろうなぁ。
そんなことを思っていると隣にいたイレアを後ろに感じ、振り返る。イレアは足を止め、少し驚いたように目を開けていた。その表情はゆっくりと崩れていった。目が細まり頬が上がる、優しい表情へ移り変わっていく。
「そうね。スイがそう言ってくれるなら、これからもあなたの隣であなたの成長を見ていきたい。どんな関係になってもあなたをそばで見守るわ。」
そう言うイレアは夕暮れの風に優しく髪が弄ばれ、オレンジの光に包まれていた。その中で静かに微笑むイレアはまるで聖母のようで、尊い風景を見ているかのように思えて言葉が出てこなかった。ただそこにある愛が風にのって、夕日に暖められ胸に入ってくる。この愛をどれだけ返せるかな。わからないけど、今私にできることはこの思いを素直に言葉にすることだけ。
「イレア、ありがとう。これからもよろしくね。」
「ええ。こちらこそ。」
そういうとイレアは再び隣に立って、優しく微笑む。
「今日の夜ご飯どうしましょうか?」
「んーー、とりあえずスーパーいってみる?」
そうしてまた日常を繋いでいく。それがたまらなく嬉しくて、洒落っ気のない会話すら愛おしく感じた。




