初任務の夜
イレアがそれぞれ近くまで送っていきその日はお開きになった。
「お疲れ様。帰ったらメディカルチェックをするからそれまで寝てていいわよ。」
イレアが運転をしながら声をかけてくれる。過ぎ去っていく電灯がイレアの頬を彩る。
「ほんと?もう今日はクタクタだよ…。」
「でしょうね。着いたら起こすから寝なさい。」
「うん、ありがとう。」
そう言って目を閉じるとすぐに意識を手放した。
体感5分でイレアに起こされた。
「スイ、起きて、着いたわよ。」
「あぁ、もう?」
「30分ぐらいは寝れてるわよ。」
「そんな気がしないや…。」
車のシートに張り付いてしまったような体を引き剥がすように起こし、車を降りる。その様子にイレアがつぶやく。
「疲れてるのね。」
「アビリティチェックって疲れるからねー。それに今日は最後の最後でずっと気を張ってたからね。」
ふぁーとあくびをしながらマンションに入り、メディカルチェックへ向かう。
ひと通りメディカルチェックを行い、シャワーを浴びて部屋に戻るとご飯が置いてあった。
「あれ?いつの間に?」
ビジョンを広げ、忙しなく手を動かしているイレアを見る。イレアは動きを止める事もなく返事をする。
「あなたが寝てる間に買ってきてたのよ。どうせ動きすぎてお腹すいてるでしょ?」
「さすがイレアー。お腹と背中がくっつくところだったよ。」
「そう、よかったわ買っておいて。」
イレアはふっと頬を緩め、食べるそぶりを見せず相変わらず手を忙しそうに動かす。
「イレアは食べないの?」
「後少しでデータ送れるから、その後食べるわ。」
「ん。わかった。」
そう言って席につき、用意してくれたご飯を一口、口に運ぶ。ふわっと甘さを感じ、栄養がちゃんと口に広がるのがわかる。疲れたなぁ。疲労感の中、夜ご飯を一人で食べながらイレアを眺める。イレアも疲れてるだろうに。
…これ、口元にご飯持って行ったら食べるんじゃないか?
イレアが買ってきてくれたハンバーグを小さく切って、イレアの口元に運ぶ。
チラッとそれを見て、無言で食べる。なんだか胸がこそばゆくなった。嬉しくなり、どんどんイレアの口元に持っていく。
「ちょっと、もうお腹いっぱいだわ。」
気がつくと半分くらいイレアに食べさせていた。
「あ、こんなになくなって!」
お腹が自然と鳴る。
「知らないわよ…自分が勝手に食べさせてきたんでしょ…」
イレアは呆れるようにこちらを見る。
「だってなんか、嬉しくてつい…。」
「何が嬉しいのよ…。」
呆れた笑顔を向けて微笑み、ビジョンを閉じて立ち上がる。
「あ、終わったの?」
「ええ、しかもあなたのおかげで食事まで終了したわ。」
「なんと…!」
ニヤリと笑って得意げに話す。
「これでまた一つ時短術を手に入れたわ。」
…なんか、やめときゃよかった。そんな後悔をジト目で訴える。
イレアが固まった体を伸ばすように両手を天井に突き上げる。その長い腕を存分に伸ばし、ゆっくり下ろしながら息を吐く。こちらをちらっと見つめイレアが聞いてくる。
「スイ、シャワー借りても良いかしら?」
「あ、うん?いいよ?」
隣なんだから、わざわざウチで入らなくてもいいのに。そう思いつつもイレアに頼られると嬉しくてどうぞとタオルを渡す。何かあった時ように置いてあるイレアの着替えを渡してごゆっくりーと伝える。イレアがありがとうと、お風呂セットを両手に抱えて洗面所に向かい、扉が閉まる。ふと、静寂がリビングに訪れる。
今日は今日で色々あったなぁ。奈月がランクアルファになっていたり、みんなの能力を見れたり、いろんな人に囲まれたり、あのおっさんと再会したり、初めての生徒会の活動したり、思い出すだけで精一杯になる。
後それから…
『マイっては細いのに大きいの!』
…ダメダメ。しみじみ思い出したらほんとにアウトな気がする。
ご飯を食べることに集中しよう。
ご飯を食べ終えるとちょうどイレアがお風呂から出てきていた。まだしっとりと濡れてる髪の毛はいつものイレアを艶やかに彩っていた。
「シャワーありがとう。」
「…あ、いや、とんでもない。」
「…?」
こうやってみるとイレアは年相応な女の人なんだなぁと実感する。いつも私の事で疲れさせたり、悩ませたり、時たま同世代より年上に見えてしまう。
…普通の生活してたらこんな素敵な人、周りがほっとかないだろうな。
なんだか胸が苦しくなって、それを気づかせないように微笑む。
「風邪ひいちゃうから髪の毛乾かしてきたら?」
「ええ…お言葉に甘えて。」
そういうとイレアはドライヤーをかけに洗面室に戻った。
イレアって付き合ってる人いるのかな?知る限り私に全ての時間を割いてる気がする。
その自惚に近い考えに胸が浮つくのと、反対に何かがベットリくっつくような感覚を覚える。胸の中に優越感と罪悪感が共存していた。
ダメだ。イレアに私の事で多くの時間を割かせてるなんて。
そんなことを考えているとイレアが戻ってきた。なんとなしにイレアが言葉を紡ぐ。
「今日この部屋に泊まっても良いかしら?」
「え?なんで?」
シンプルな疑問だった。イレアのお家すぐ隣なのに?
「嫌だった?」
「そんなことはないけど?」
「じゃあ、泊まらせてもらうわね。」
半ば強引な気がするけど、まぁ、いいか。とりあえず寝る準備をする。
部屋を暗くし、ベットに入るとイレアも一緒に入ってきた。まぁ、元々一人では大きすぎるベットだからいいんだけど。向かい合うように横になる。
「イレア、どうしたの?」
「なにが?」
「いや、なんか、様子が変かなって。」
「そう?」
「うん?」
だって急に泊まると言い始めるし。そんなことを考えていたらイレアの手が背中に回るのを感じる。
抱きしめられる形になってイレアの匂いに包まれる。シャワーを浴びたばかりだからか、いつもより体温が高く、シャンプーの香りがする。
「やっぱり、変だよ?」
「そうね。」
「何かあった?」
「…。」
黙ったイレアが心配になる。どうしたんだろう。
私の不安をよそに、イレアの手が頭に乗せられそのまま手が髪を優しく撫でる。さらに抱き寄せられる形になり、イレアの柔らかな胸に顔が埋まる。
やばい、心地良すぎる。
うとうとしはじめたら、イレアが言葉をゆっくり紡ぎ始める。
「知らなかったから。」
「うん?」
「スイがあんな風に人に悪態つくなんて。」
あんな風?…あぁ、おっさんのことね。
「だって、あのおっさんいちいち逆撫でするような言い方をするんだもん。」
思い出し拗ねるように呟くとイレアの体が細かく揺れるのがわかる。
「そうね、相当腹を立てていたわね。」
コロコロと喉を鳴らし楽しそうに笑う。それに拗ねるようにむぅとイレアの胸に顔を埋める。
イレアの髪を撫でる手が止まり、頭に添えられる。
「初めて知ったの。スイがあんなふうにいろんな感情を露わにするなんて。」
その言葉に、重い声色に、顔をあげイレアの表情を見ようとするが、イレアの手によって上を向けないようにされる。
「うにゃ」
勢いよく顔を胸に押し当てられ変な声が出る。
「ダメよ。今変な顔してると思うから。」
少し笑いながら放たれた言葉は、どこか困っているようで、どんな顔してるの?そう聞きたかったけれど、それは言葉にしていけないことのようだった。ためらっているとイレアが先にポツリ、ポツリと言葉を紡ぐ。
「スイは、出会ってから、辛い時も、嫌な時も、笑顔で隠して、大丈夫だよっていつもいってた。我慢しなくていいのにって、何度も思ったの。」
「うん。」
「でも今日、彼にあなたは我慢せずに全ての感情をぶつけてた。きっとあれは全部本心よね?」
「…うん。」
「それがね、私は羨ましかったの。」
その声は羨望というよりも悲しみの色が強かった。おっさんと別れる前にふと見たイレアの表情を思い出す。傷ついたようなあの顔。あれは責任を感じて傷ついてたんじゃなかった。私のおっさんに対する態度に驚いて戸惑って傷ついたんだ。
「きっと、もしかしたら、辛いことも私には言えなくて彼には言えたんじゃないかって。弱音も吐けたんじゃないかって。あなたのそばにいるのは私でない方が良かったんじゃないかって。そう思ってしまったら不安になって、今は少しでも近くにいたかったの。」
そういうとイレアは抱きしめていた力を込める。
…痛い。イレアが傷ついている。その事実が私の胸をじくじく痛めつけた。
「…そんなことしても意味ないってわかってるのに。縋ってしまったの。」
その声は震えていて、懺悔するようだった。その言葉を理解するように込められていた力が抜けた。顔が動かせるようになり、その痛みを見つめようと、イレアの顔を見上げる。
目に映るモノをが信じられず、自分の目がゆっくり開かれるのを感じた。驚きに息をするのを忘れ、表情も抜け落ちていく。
イレアはその瞳を震わせ、涙を流していた。
初めてだった。イレアのこんな姿。涙を流し弱々しく震える。
その姿に胸が切り裂かれるように鮮烈な痛みを感じた。
その傷をおさえるように、イレアが私の中に入ってくるように今度は私がイレアを強く抱きしめた。
「違うよ?イレアに隠してたんじゃない。心配かけたくなかったの。イレアは私が傷つくたびに自分を責めるから。私、イレアが好き。大好きだから私のことでイレアが傷ついてほしくなかった。だから、辛くても悲しくても笑顔でいれたんだよ?イレアに弱音を吐かなかったんじゃない。イレアがいればよかったから。」
思い出されるのは優しい姿ばかり。恐ろしい実験から必死に私を守ろうとする姿、傷ついた私を悲しみながら抱きしめてくれる姿、心配そうに見つめる姿、入学式の日嬉しそうに笑う姿。
「だからさ、私はイレアがそばにいてくれて良かったんだよ…」
その言葉にイレアは口を強く結ぶ。何かを胸の中に隠すように息を吸い込み、優しく微笑む。私を抱き寄せ優しい声色が耳に響く。
「そうよね、ごめんなさい。スイはほんとに優しいわね。」
「…っ。」
胸が突かれたように痛む。
違う。そうじゃない。私は優しさで言っていない。この人に何も伝わってない。きっと今の言葉もイレアが傷つかないように取り繕ってる思ってる。私の本心はここにあるのに。伝わらない事に悲しみ、苛立ちを覚える。
でも。そうなってしまったのは私のせいだ。
私はいつも、本心を隠してきた。そのせいでイレアは傷ついてきたんだ。私が優しいだけだと思って。イレアを守ろうと思ってやっていたことは、付け焼き刃でしかなかった。それはいつの日か、常にイレアを傷つけるものになっていたんだ。
そう理解すると胸がすり潰されるようにどうしようもなく痛み、虚しさでいっぱいになる。
抱き寄せられた腕を引き剥がすようにイレアの体を遠ざける。
「スイ?」
声を振るわせ、今にも崩れてしまいそうな顔のイレアがこちらを覗く。その黄色い瞳は傷つききり、不安そうに揺れ、縋るように私を見つめていた。
イレア、そんなにボロボロになって…私はあなたに傷ついてほしくなかった。
…ほんとの気持ちを伝えないといけない。これを伝えた先何があるのかわかっていても、逃げちゃいけない。
伝えよう。正しく、真っ直ぐあなたに伝わるように。
気づけばイレアに馬乗りになっていた。イレアの服をギュッと握り、深い皺をつくる。
顔が情けなく歪み、肺から息が上がってくる。言葉を息が堰き止める。
私の瞳から雫が落ちイレアの綺麗な頬を転がる。まるで私の涙でイレアが泣いているようだった。
「… イレアは何にもわかってない。私は優しくないよ…!自分勝手で最低なんだ!さっきもイレアが私に沢山の時間を割いてくれてるの嬉しがってた!本当だったらイレアは普通に友達と遊んで、恋人と過ごすべきなのにイレアを独占してる優越感に浸ってた!私は…、私は…。」
喉に言葉が張り付いて出てこない。
わかっていた真実。
私が目を逸らしていた事実。
あまりにも残酷すぎるその言葉は何度も私の中で紡がれ、恐ろしさのあまり何度も何度も解かれた。でも、もう逃げちゃいけない。この人を解放しなきゃいけない。
こんなにボロボロにしてしまった私の大切な人。
「私は、イレアを不幸にしてる。」
吐き出されるように、その言葉は震えながら私の口から弱々しく生まれていた。その言葉にイレアはどんな顔をしているのだろう。それを見ることができず、ボトボトと落ちるように言葉を紡ぐ。
「イレアはこんなに傷つかなくていいのに。イレアが私を思ってくれる。守ってくれる。大切にしてくれる。それが嬉しくてその事実から逃げてた。イレアが私に関わるたびに傷ついていたのはわかってた。でも…。その優しさを、温もりを手放すことができなかった。せめて、その傷が少なくなるように隠すのはいけないことだった?せめて、少しでも長く一緒にいれるように気にしないでっていうのはいけないことだった?」
目に映るのは力無く布を掴む自分の手だった。視界がぼやけ、涙が落ち、視界が少し鮮明になる。それの繰り返しだった。もう体の全てが抜けてしまったようにどこにも力が入らない。
「わかってた。そもそもイレアみたいな優しい人が私に関わっちゃいけないって。私の存在はイレアを傷つけるものでしかない。私はイレアに大切にされるのが嬉しかった。同じくらい大切にしたいって思ってるのに、何をしても傷つけるだけなんだ。だから…私は私からあなたを解放したい。」
紡ぐたびに私の胸を何度も引っ掻く言葉たちは、この人に届いたのだろうか。どうかわかってほしい。あなたが大切だということ。心からあなたがいてくれて嬉しかったということ。こんなにも傷つけてしまったあなたに私はどう償えばいいのか。これがどれほどの償いになるのかわからないけど、これ以上あなたを傷つけたくないんだ。
「イレア…もう自由になって良いんだよ?」
きっと、最後の最後だから、もう慣れた作り笑いをあなたに送るよ。
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初めての活動が終わり、生徒会の面々を送り届け帰路に着く。助手席に座るスイは疲れ切っている様子だった。
眠っていいと伝えるとすぐにスーッスーッと規則正しい寝息が聞こえた。
「本当に疲れてたのね。」
思い出すと今日もほんとに色々あった。
アビリティチェック。昼ごはんを届けにいったらソメヤさんとマイと一緒に他の人の様子を見ていた。スイの日常が確実に動き始めてるようで素直に嬉しかった。
あの施設でスイはずっと一人だった。スイをスイとして扱う研究者は私だけで、きっとスイにとってあの施設には私しかいなかった。だからスイは私に固執している。たまたまそれが私だっただけ。
それでも嬉しかった。一人で耐えてるあの子が私を拠り所にしてくれてるのが。研究室から完全に解放できなくても、少しでも楽にしてあげられてるのが。この罪を少しは償えているようで。
横目で可愛い寝息を立てているその子をみる。
きっとたくさん動いたからお腹空かせて起きるんだろう。どこかで夜ご飯を買って行こう。
スーパーにより惣菜を買って帰る。車に戻っても先ほどと何も変わらない状態で寝ている。見慣れた寝顔に愛おしさを感じる。
スイは研究室の頃とは違い本心から笑うことが増えた。そんなスイを近くで見れているのは幸せだった。
ただ。
今日、東の門で出会ったイヴァン・ウルキオラ。スイは彼に対して"素直"だった。全力で敵意を見せ、悪態をつき、言葉を取り繕わなかった。それでもスイは彼を恨んでなどいない。悪い人間だと思っていない。
悪意を持たず取り繕いもしないあの行動はスイなりの甘えなんだろう。私には見せない姿を彼はいとも簡単に引き出していた。
「私には我慢してる姿しか見せないくせに…」
スイは私に辛くても怖くても我慢して笑顔で大丈夫と伝える。今日だってパニックになってもすぐに笑顔を貼り付け、震える手を抑えながら大丈夫と伝えてきた。
もし、私じゃなく彼だったら?怖い、助けてと彼女は伝えるのだろうか。
それを考えると胸が何かに引っ張られるような重みを感じた。ついハンドルを握る手に力がはいる。あの施設に私ではなく彼がいたら?スイはもっと幸せだったんじゃないのか。
…あり得ないことを考えて不安になるなんて馬鹿げてる。そう思い、思考を止める。
マンションにつき、スイを起こそうと助手席をみる。綺麗な寝顔が月光に照らされていた。その月明かりにスイを取られてしまうのではないかと思うぐらい、儚く輝いていた。さっきまで愛おしく感じていたその寝顔がどこか遠くに感じてしまった。
ハンドルに手をかけて思わず俯く。
何、不安になってのよ。スイは変わらずここにいるじゃない。今更私じゃなかったらなんて考えても仕方ないのに。
何を思っても一回こびりついた不安は簡単に取れそうになく、処理するより無視した方が良いと思った。
息を吸い、自分を取り戻すように肺を動かす。不安が少し影を潜めたのを感じ、スイを起こす。
「スイ、起きて、着いたわよ。」
彼女の肩を叩くと、その長いまつ毛がゆったりと持ち上げられる。
「あぁ、もう?」
そういう彼女は私の知っているいつものスイだった。
それに少し安心していつも通りの会話をする。
メディカルチェックを済ませて、スイがシャワーを浴びにいった。結果を見ながら報告書を書く。外に出てから、彼女の数値は上々だった。中でも今日は疲労が見えるけれど全体の能力値は非常に高い水準で測定されていた。アビリティチェックの結果も良かったし、マイを治すために新しいアビリティの使い方をしたとも聞いた。きっとそれらが影響しているんだろう。そう報告書に記載する。他に何か…。
思う浮かべてしまうのは彼の顔だった。
…それはないはず。頼れる相手に会ったからって数値がここまで伸びることはない。どう考えても気にしすぎている。
一人になった途端こんなに不安になるなんて。さっきまでスイと話していた時は忘れていたのに。今日は少し一人になるのは危険だわ。不安定自分を笑うようにフッと口元が緩む。
そう考えているとスイがシャワーから戻ってきた。
スイがテーブルの上に置いてあるハンバーグをみて不思議そうにしていた。寝ている間に買ってきていたことを伝えると嬉しそうに微笑んでいた。
「さすがイレアー。お腹と背中がくっつくところだったよ。」
予想通りの反応に安堵で力が抜けるように表情が和らぐ。
「そう、よかったわ買っておいて。」
食べる様子のない私を見ながらスイが聞いてくる。
「イレアは食べないの?」
「後少しでデータ送れるから、その後食べるわ。」
「ん。わかった。」
そういうと、買ってきたハンバーグと白いご飯を交互にもぐもぐ食べ始める。何か考えるように、ハンバーグを細かくきって、箸で器用に掴む。それを自分の口に持っていかず、私の口の前に持ってきた。
くれるのね。少しおかしく思ったけれど、報告書を早く終わらせてしまいたかったので、運ばれるハンバーグと白いご飯を交互に食べビジョンに集中する。
「ちょっと、もうお腹いっぱいだわ。」
結構な量食べ、スイが勝手にショックを受けていた。
「あ、こんなになくなって!」
「知らないわよ…自分が勝手に食べさせてきたんでしょ…」
「だってなんか、嬉しくてつい…。」
「何が嬉しいのよ…。」
この子は本当によくわからない。でも、全ての反応が私の知ってるスイで安心して、あの胸の重みを感じなくて済む。今日はスイと一緒にいよう。そう思い、スイに問いかける。
「スイ、シャワー借りても良いかしら?」
「あ、うん?いいよ?」
スイは不思議そうにして、でもまぁいっかと色々準備してくれた。
シャワーを浴びてる時も今日の事を思い出し、不安になり、考えるのをやめるを繰り返していた。
スイには今まで私しかいなかった。その優越感は外の世界に出たらすぐになくなってしまった。きっとそれが不安の元凶。
私たちの関係はうまく言葉で言い表せない。母と子でなければ姉妹でもなく、友達でもなければ恋人でもない。強いて言えば研究者と被験者。スイは呼び方なんて気にしないのだろうけど、私はその淡白な響きが恐ろしかった。
シャワーから出て、髪を乾かさないまま熱のこもってる洗面台から逃げ、不安を拭うようにスイの存在を確認する。
「シャワーありがとう。」
「…あ、いや、とんでもない。」
スイがじっとこちらを見つめて、何かを考えてるようだった。
「…?」
どうしたの?そう聞こうと思ったが、スイが何かを隠す時の笑顔を貼り付けて言う。
「風邪ひいちゃうから髪の毛乾かしてきたら?」
「ええ…お言葉に甘えて。」
あの笑顔を今見るのは、ダメだった。また、胸の奥が何かに引っ張られる。振り払おうとした不安が脳裏にくっついて離れない。…少しでもスイの側にいたい。この不安を和らげる方法はそれしか浮かばなかった。
「今日この部屋に泊まっても良いかしら?」
「え?なんで?」
不思議そうにスイが聞いてくる。まぁ、確かに隣に家あるのにわざわざよね。
「嫌だった?」
そう聞くとそんなことはないという彼女に甘え、半ば強引に泊まることにした。
電気を消して、スイのベットにはいり、向かい合うように横になる。
「イレア、どうしたの?」
「なにが?」
「いや、なんか、様子が変かなって。」
「そう?」
「うん?」
やっぱり強引すぎたかしら。不思議そうにしているスイが私の知っているスイだった。
今日はもうそれだけで嬉しかった。スイがそこにいることをちゃんと確かめたくてスイの体を抱きしめる。スイの柔らかな髪からシャンプーの香りがする。
「やっぱり、変だよ?」
「そうね。」
「何かあった?」
「…。」
心配そうにこちらを覗き込む。その姿が愛おしくて、その柔らかな髪を撫でる。スイをさらに抱き寄せる。
何かあったか…ね。
言えばこの不安は無くなるのかしら?あなたのそばは私で良かったと確信が持てるのかしら?
「知らなかったから。」
「うん?」
「スイがあんな風に人に悪態つくなんて。」
「だって、あのおっさんいちいち逆撫でするような言い方をするんだもん。」
思い出し拗ねるように呟くスイが子供みたいでおかしい。
「そうね、相当腹を立てていたわね。」
むぅとさらに顔を埋めるスイを愛おしく思うのと、この存在を取られるかもしれないという不安と胸の中は乱雑に散らかっていた。
「初めて知ったの。スイがあんなふうにいろんな感情を露わにするなんて。」
これは不安の断片。断片を伝えるのも精一杯だった。眉間に力が入り、目が苦しみに歪むのがわかる。スイが顔を覗き込もうと頭を動かすのを感じ強く抱き寄せる。
「うにゃ」
「ダメよ。今変な顔してると思うから。」
その言葉にスイの動きが止まるのを感じる。
「スイは、出会ってから辛い時も嫌な時も笑顔で隠して大丈夫だよっていつもいってた。我慢しなくていいのにって何度も思ったの。」
「うん。」
「でも今日、彼にあなたは我慢せずに全ての感情をぶつけてた。きっとあれは全部本心よね?」
「…うん。」
「それがね、私は羨ましかったの。」
自分の吐き出した言葉に胸が締め付けられる。自分の言葉でその事実を再確認させられた。
「きっと、もしかしたら、辛いことも私には言えなくて彼には言えたんじゃないかって。弱音も吐けたんじゃないかって。あなたのそばにいるのは私でない方が良かったんじゃないかって。そう思うと不安になって、少しでも近くにいたかったの。」
吐き出すのが怖いほど、本音だった。思わず腕に力が入る。私が近くにいてっていうとあなたは笑顔で近くにいてくれるでしょう?それはあなたが優しいから。人を傷つけたくない、傷ついてほしくないそう思っているあなたなら私のそばにいてくれる。でもね。そうじゃないのよね。この不安はそれで解消されない。
「そんなことしても意味ないってわかってるのに。縋ってしまったの。」
この不安はきっと私はどうにもできない。ずっとあなたを助けられなかった私だから。ずっとあなたに許されたくて一緒にいた私だから。ずっとあなたに我慢させて笑顔を作らせてた私だから。
あなたを支えることなんてちっともできていない私に不安になる資格すら本当はないのに。
この子は、この手で触れていい相手じゃない。あなたのそばには私みたいな弱い人間じゃダメなの。私がいるだけであなたはずっと我慢することになる。
腕の力が入らなくなり、スイが私の顔を見上げる。
何度も見つめたエメラルドグリーンの瞳は瞳孔が開いたようにゆっくり大きく開かれ、いつもやわらかく笑うその頬から温度がなくなっていた。
驚愕。この表情に相応しい表現はこれだろう。その綺麗な瞳に映る自分の顔はこの子に見せてはいけない弱い人間の顔だった。
スイが私の弱さを覆うように強く抱きしめる。
「違うよ?イレアに隠してたんじゃない。心配かけたくなかったの。イレアは私が傷つくたびに自分を責めるから。私、イレアが好き。大好きだから私のことでイレアが傷ついてほしくなかった。だから、辛くても悲しくても笑顔でいれたんだよ?イレアに弱音を吐かなかったんじゃない。イレアがいればよかったから。だからさ、私はイレアがそばにいてくれて良かったんだよ…」
ああ、私はきっとスイにこう言って貰えると思ったのね。だから話し始めたんだ。
この子はどこまでも優しすぎる。あれだけのことをされて、誰も恨まず、自分を傷つけた研究者たちにも寄り添おうとする。
本当に、私は、弱くて最低だ。
研究者たちより、この国の奴らより、タチが悪い。
許されようと必死にスイに縋り付く。それをスイは拒まず、かけて欲しい言葉をかけてくれる。そう、今だって。
「そうよね、ごめんなさい。スイはほんとに優しいわね。」
スイが私から離れようと手を引き離す。
初めてのスイからの拒絶だった。
「スイ?」
恐ろしかった。とうとうスイに見限られてしまったんじゃないかって。本当にこの子が私から離れていってしまうんじゃないかって。
スイの顔を見ると傷ついたような、怒っているようなそんな感情が整理できてない顔をしていた。勢いに任せスイが馬乗りになる。
顔を歪ませ、震える息をゆっくり出す。その綺麗なエメラルドグリーンの目から雫が落ち私の頬に伝い、まるでスイの涙が私に移ったかようだった。
「… イレアは何にもわかってない。私は優しくないよ…!自分勝手で最低なんだ!さっきもイレアが私に沢山の時間を割いてくれてるの嬉しがってた!本当だったらイレアは普通に友達と遊んで、恋人と過ごすべきなのにイレアを独占してる優越感に浸ってた!私は…、私は…。」
スイの言葉を待つ。こんなに恐ろしい時間があっただろうか。どうか次の言葉が紡がられる前に逃げ出したい。そう思っても体が動いてくれなかった。
「私は、イレアを不幸にしてる。」
全ての思考を拭き取られたように頭が真っ白になった。この子は何をいっているの…?理解できるのは胸の痛みだけ。理解するのを待たずにスイは話し続ける。
「イレアはこんなに傷つかなくていいのに。イレアが私を思ってくれる。守ってくれる。大切にしてくれる。それが嬉しくてその事実から逃げてた。イレアが私に関わるたびに傷ついていたのはわかってた。でも…。その優しさを、温もりを手放すことができなかった。せめて、その傷が少なくなるように隠すのはいけないことだった?せめて、少しでも長く一緒にいれるように気にしないでっていうのはいけないことだった?」
強く私の服を握りしめていた手は力無く緩まり、ボトボトと顔から雫が落ち続ける。涙と共に力が抜けてしまったようなその体は、存在が消えてしまいそうなほど弱々しく見えた。
「わかってた。そもそもイレアみたいな優しい人が私に関わっちゃいけないって。私の存在はイレアを傷つけるものでしかない。私はイレアに大切にされるのが嬉しかった。同じくらい大切にしたいって思ってるのに、何をしても傷つけるだけなんだ。だから…私は私からあなたを解放したい。」
考えたらすぐに答えが出てしまいそうな、その言葉の意味を理解したくなかった。
言葉を紡ぐたびに、弱々しくなるその体を抱きしめて安心させたい。でも、あまりにも弱々しく儚いその存在は触れてしまったら崩れてなくなってしまいそうで、触れることすらできなかった。
あぁ、紡がれる。彼女が私に対して送る優しく残酷すぎる一言が。
「イレア…もう自由になって良いんだよ?」
そう笑う彼女の笑顔は私の胸を貫き、呼吸を妨げる。
苦しい。痛い。辛い。
視界がぼやけ、涙が流れる。呼吸が浅く、酸素が脳までいかないのか思考がまとまらない。
違うのよ。私はあなたのそばにいたかった。それは償いでもなく、義務でもなく、ただあなたを愛してたから。だからあなたを支えるのは私で合ってほしかった。彼でなく、私で良かったと心から信じたかった。じゃないと私のこの気持ちは独りよがりになってしまうから。
6年間も一緒にいたのにこの気持ちは伝わってなかった。だからこの子はこんなに自分を責めてる。自分を傷つける言葉をこんなにも紡がせてしまった。こんなに傷つききるまで…
「スイ…ごめんなさい…。」
その言葉に彼女は軽く息を吸う。その息をもらさないよう硬く口を閉ざした。
傷つき、弱々しく震える愛しい存在に手を伸ばす。
その存在によって私の手は阻まれた。私の手を両手で優しく包み、何かを耐えるようにグッと力を込める。
「ううん。いいの。イレアは私に充分優しくしてくれたよ。もう、イレアは充分傷ついた。だからもう、普通の24歳に戻って?」
宝石のような瞳に涙をいっぱいにため、微笑もうと頬がゆっくり持ち上げられる。
「スイ、違うの…」
限界だったのだろう。いつもの笑顔がグシャリと歪み、ポロポロと涙がこぼれ落ちる。スイが引き攣るように空気を吸い上げる。
「…っ!ごめんっ!」
吐き出すように謝罪の言葉が発せられた。
握られていた手が離され、体が軽くなる。
スイが目の前からいなくなっていた。逃げるようにバルコニーに向かうスイを呼び止める。
「スイ!待って!」
制止を聞かず扉が開かれる。
「スイ!!」
追いかけるように向かったバルコニーにはその姿はもうなかった。
ヘタリとその場に座り込む。やってしまった。
私はただ安心したいがためにあの子を利用した。それなのにあの子の言葉を信じきれなかった。スイを追い詰め傷つけてしまった。
自分の足に無数の水滴が落ちるのを感じる。
それが涙だと気づくのはもう少ししてからだった。
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夢中で飛び出してきてしまった。
イレアに泣いてる姿を見せたら、優しいイレアのことだからきっと一緒にいてくれるというんだろう。それじゃだめなんだ。
行く当てもなく、空気中に漂う水分を床にして氷の板で滑る。幾分そうしていただろうか、誰もいなそうなビルのが視界に入り、その屋上に降りる。
まだ外は肌寒く部屋着のまま飛び出して来たため、体がブルッと震える。
「あーさむっ」
何事もなかったかのように呟いてみる。なんとなくそうすれば、さっきまでのことが無くなるんじゃないかって馬鹿みたいなことを思った。
「そんなわけないのよねぇ。」
胸の底からため息が出る。肺の全ての空気が出て、いつも通り空気を入れようとするのを喉が堰き止める。今吸ったら悲しみが動き出すのがわかる。それでも耐えることができずに息を吸う。
喉が震える。動き出すように感情が溢れ出る。
悲しい。
胸から痛みが広がり、全身にうつる。痛みに耐えるようにしゃがみこみ体を抱きしめる。痛みに耐えられず涙が落ちる。その水滴が地面に跡を作る。
なんで、イレアを自由にするなんていってしまったのだろう。きっと、一緒にいてって言えば今も仲良く寝ていたのに。
「ごめんなさいかぁ」
さっきのイレアの言葉をなぞる。結構くるなぁ。最後まで私はイレアの枷でしかなかった。その事実を浮き彫りにする言葉。
この悲しみを正当化するために、これで良かったといろんな理由をあげる。
これでイレアは普通の24歳に戻る。私の事で悲しまなくてすむ。自分を責めなくてすむ。傷つかなくてすむ。
そう、これは合ってたんだ。
その理由を並べるほどに胸はまた、チリチリと痛みを感じた。その悲しみを直視しないように、思考が止まらない。
これからはイレアがいない生活かぁ。イレアは、私のことはいつ頃から忘れるんだろうか。イレアは優しくて責任感が強いから、しばらくは私のことを思い出して心を痛めるんだろう。でも何ヶ月も経ったら?何年もたったら?きっと一日何も思い出さない過去に変わる。イレアの中で私は何者でもなくなる。きっと起こるその未来が恐ろしい。
自分の体を抱きしめる力を強くする。自分の決断を自分で納得させる。
イレアに充分甘えたじゃん。変なこと考えるのをやめないと。これからのことを考えなきゃ。
どうすればイレアが私の担当から外れるかなぁ。やっぱり室長に言うしかないか。あの人怖くてやなんだよなぁ。でも普通に考えると方法はこれだし。あぁ…、これからは本当に一人で耐えなきゃいけないのか…。
あぁ、また、ダメな方向に向かってる。大丈夫、今は外にいて、嫌なことがあったら奈月と遊びに行って発散できるし、生徒会の活動で忘れることができるはず。
…必死だなぁ。自分の情けなさにフッと笑いが溢れる。
情緒不安定とはこのことだ。必死に鼓舞しても不安がひょっこり顔を出して感情をぐらつかせる。
そのことに気がつくとまた情けなくて涙が出てくる。
ザッ。
何が床を滑り砂が声を上げる。
…イレア?
胸に光がさすようにパッと甘い期待が広がる。
その期待が勢いよく裏切られないように恐る恐るその音の方向をみる。
「まったく、何してんのよ?」
そこにいたのはスウェット姿の奈月だった。
呆れたように呟く親友に落胆と安堵を感じた。
「…奈月、なんで?」
「なんでって…あんたねぇ。」
そう言いながらゆっくり歩いて隣にくる。なぜか持ってた私の上着を肩にかけてくれ、ふぅと疲れたように座る。
「わざわざこんな遠いところまで来てネガってんじゃないわよ。」
私の髪をくしゃくしゃにしながら、諌める。
怒られたように思い、腕の中に顔を埋める。
「イレアから連絡が来たのよ。」
「…。」
その名前に少し顔をあげる。
「凄い取り乱してたんだから、ビビったわよ。いつもあんなに冷静なのに、あんまりにも取り乱してたから、またあんたが施設に入れられたのかと焦ったわよ。」
そういえば飛び出してきた時も、イレアは私の名前を必死に呼んでいたな。夢中だったから無視してしまった。
「どうしよう、ソメヤさん、スイが、スイがって。らちあかないから、寮こっそり抜け出してあんたんちまで行ったら、ひどい顔のイレアがいるじゃないの。あんた、あんまりイレアに心配かけんじゃないわよ。」
「…逆だもん。もう心配かけないようにしたの。」
その言葉に奈月は大きなため息を吐く。
「本当にあんたは…。」
その言葉に反抗するように奈月のいない方を向く。
「聞いたわよ?自分がイレアを不幸にするとか、自由になっていいとか言ったんでしょ?」
「…。」
責めるように言ってくるその言葉になんで返せばいいのかわからなかった。
私はイレアにこれ以上傷ついて欲しくなかった。奈月に責められてもこの気持ちだけは本当だったから、間違ってるって言ってほしくなくて、答えたくなかった。
「スイ。言ったんでしょ?」
奈月が真剣な声で言ってくる。この調子の奈月には観念しないといけない。小さな頃から真剣な奈月からは逃げられないってわかっている。
「…言ったよ。だって本当だもん。私といるとイレアはたくさん傷つくし、私につきっきりなっちゃう。イレアは私と違ってもっと普通に過ごしていい人なのに。」
「そう。」
また、奈月は大きなため息をつく。
「あんたたちどうしてそんなにすれ違えるのよ?」
「すれ違ってなんて…」
「すれ違いまくりよ。」
奈月がピシャリと言い放つ。声が低くなっている、怒っているんだ。
「私言ったわよね?イレアはあんたを大切に思ってるって。なんでそれを信じられないの?」
その言葉に情けなく言葉を吐き出す。
「…そんなこと…。信じるのが怖いから…。」
「何が怖いのよ?」
「そうじゃなかった時、耐えられない。辛い時、いつもいてくれるのはイレアだった。それを信じてしまったら、きっと全力でイレアに頼っちゃう。その時にもし、違ったら、その時にまで、傷を負ったら…。きっと、私は、普通じゃいられない…。」
そう言葉にするともっと恐ろしく感じ、自分を守るように自然と手に力が入る。
「…そう。」
奈月はそう一言呟き、私に寄りかかる。その体から体温が私にうつるようで、安心した。奈月が空を遠くに見ながら、何かを想像し、噛み締めるように言葉を発する。
「辛かったわね。」
その言葉に胸が絆される。今日何度も流した涙とは違う、温かい涙が頬を伝う。
「でもね、翠。」
奈月が諭すように、よく聞くようにと名前を呼ぶ。
「イレアはあんたを本当に大切に想ってると思う。それはあんたが1番わかるんじゃないの?」
奈月が優しく語りかける。
「イレアが翠を見る目はあんたの言うように罪悪感だった?あんたを守ろうとしてるのは責任感からだった?私はそうは思わない。イレアがあんたを見る目は大切なものを見る目だった。あんたが楽しそうに嬉しそうにしてたら慈しむように、辛そうに苦しそうにしてたら歯痒そうに、それに耐えようとする姿を見たら心配そうにしてた。」
イレアの目。あの黄色く光を放つ綺麗な瞳はたくさんの表情を持っていた。奈月の言う通り、私が1番イレアのことを見ていた。その表情も。その瞳も。
「今日のアビリティチェックもそう。翠、自分の番の前にパニックになったでしょ。その時あんたを抱きしめてたのは責任感からだった?私はただ、あんたを心配して、守りたくて、支えたくて抱きしめてるように見えた。あんたは知らないかもしれないけど、アビリティチェック中イレアはずっと手を握って祈るようにして見てたのよ?私はイレアと長い付き合いじゃないからこのぐらいしか見てきてないけど、翠、あんたはもっと見てきたんじゃないの?」
6年間。イレアは私を守り続けてくれた。確かにその根底にはイレアの優しさがあるんだろう。でも、その瞳が、その行動が表すのは万人に対しての優しさではなく、私に向けてのものになっていった。
その瞳と行動は私を大切にしてくれてるという証明だった。
「奈月…それでも怖いんだ。私もイレアが大切。そんな人を信じて、裏切られてしまったら…。」
そう思うとその甘い期待に手を伸ばすことなんて…。
「その時は私がイレアをしばくわよ。」
サラッと言い放った言葉に不意を突かれたように顔を上げる。
…今なんて?
「当たり前でしょ?人の親友裏切んのよ?私しばく権利あるわよ?」
変わらず、当たり前かのように、何言ってんのよ?と伝えてくる。
その様子に思わず笑ってしまう。
「ちょっと、こっちは真剣なんだけど。」
「何言ってんのよ、こっちも真剣よ?」
目がぱっちりあい、お互いに堪えられなくてぷっと吹き出し合う。
「やめてよ。イレアに乱暴したら許さないよ?」
「こっちだって、親友傷つけられて黙ってられないわよ。」
ふざけるようにいう奈月はやっぱり1番の味方でそばにいてくれるそれだけで心強かった。
「だから、あんたは安心して信じればいいのよ。」
ニッと笑う奈月に胸が熱くなる。私に寄りかかっていた奈月に私も体重をかける。
「うん、ありがとう、奈月。」
目を閉じて胸の痛みが引いたことに気がつく。冷たい夜風が頬をなで、心地よかった。
「それに」
「ん?」
奈月が優しい記憶を思い出すかのように微笑み、ゆっくり語る。
「さっき家に行ったって言ったでしょ?部屋に入るなり、イレアなんて言ったと思う?どうしよう、翠今日すごく疲れてるのに、もし事件に巻き込まれたら、オーバースキルおこしてたらってそれはもう取り乱してたわよ。挙げ句の果てに、部屋着で出て行ったから風邪を引いてしまうかもって言い始めて…。あんたのこと、いろんな心配してわよ。」
そう言う奈月は過保護すぎでしょと笑っていた。
「それで、その羽織持ってきたのよ。」
なんだか、嬉しすぎて耐えられなかった。頬が熱くなり、頬がついつい持ち上げられる。嬉しさに耐えるように持ってきてくれた羽織を握りしめる。
その様子を見てまた面白そうに笑う奈月にむっとなって話を逸らす。
「なんでここってわかったの?」
「あーそれ聞いちゃう?」
「え、なに?」
さらに奈月がニヤつき話し始める。
「そのリング、GPSもついてるでしょ?だから、イレアがすぐに調べてわかってたのよ。でも、私だとまた翠を傷つけてしまうかもしれないからって、今にも駆けつけたいって顔しながら私にお願いしてきたのよ。」
ちゃんと目を向けるとイレアの私に対する想いが伝わる。こんなにも大切にしてくれていたんだ。きっとこれまでもそうだったんだろう。ただ私がそれを認識しないようにしていただけ。
「愛されてるわねぇ。」
「奈月、うるさい。」
あははと楽しそうに笑う奈月は、はーっと笑い疲れたようにこちらを向き嬉しそうに話す。
「私がイレアをしばく日は随分先のようね。」
「…きっと来ないよ。そんな日。」
その言葉を聞くと満足そうに微笑み髪の毛をわしゃわしゃ撫でる。
「じゃ、帰りましょうか。」
「うん。」
そう言ってお互い空を駆けて帰る。
バルコニーまで着き、奈月にお礼をいう。
「奈月、送ってくれてありがとう。」
「いいのよ、過保護のイレアになんて言われるか考えたらこっちの方がいいしね。」
大袈裟に肩をすくめる。
「あと、その、色々もありがとう。」
ふふっと笑い嬉しそうに微笑む。
「久々親友の仕事できて嬉しかったわよ。」
「…ありがとう。」
本当に私の親友はかっこいい。私も奈月を支えられるようになりたいなぁ。そう思いながらたった一人の親友を見つめる。
「じゃ、行くわね。寮監にバレたらめんどくさいもの。」
「うん!気をつけて!」
そういうと奈月はまた空を駆けて帰って行った。
この扉の向こうにはイレアがいるのだろうか。会いたいけど会いたくないそんな両極端な気持ちが胸の中で混ざり合おうとしていた。
部屋のあかりがついてないことを確認し、少し安堵した。
疲れて待っていられなかったのか。気を遣って部屋に帰ったのか。きっと後者だろうな。明日ちゃんと謝りに行かないと。
バルコニーから部屋に入るとソファに人影があった。
イレアが膝を抱え顔をうずめ、暗い部屋の中で小さくなっていた。
物音にバッと顔を上げ、疲れ切り憔悴したイレアが私を見つけた。今にも泣いてしまいそうに眉尻を垂らし、駆け寄ってきた。私の首に縋り付くように手を回し、力無く首元に顔をうずめる。
「スイ…。もう、帰ってきてくれないかと思った…。」
その声は掠れて弱りきっていた。
「イレアごめんね。心配かけて。」
「いいの。帰ってきてくれたから。」
そういうイレアの体は細かく震えていた。
「スイ、私、スイに伝えないといけないことがあるの。」
「…うん。」
「スイは、あなたが私を不幸にするって言ってたけど、そんなことないの。私はあなたといて、自分のいろんな感情に出会ったわ。自分がこんなに人を大切に思えるなんて、自分の無力さを恨むことがあるなんて、こんなに心が温まることがあるなんて自分のいろんな初めてを知れた。私は、あなたといて幸せになれたの。」
ゆっくり噛み締めるように語るイレアの言葉は温かった。
「だから、だからこそ、あなたが傷つくのがつらかった。大丈夫だと微笑むあなたに何もできないのが悔しかった。でも、その痛みより、あなたがいなくなってしまうかもしれない、そう思っただけでずっと痛みが強くて胸が張り裂けそうだったわ。」
イレアの震えが大きくなる。腕にグッと力が込められるのを感じた。
「最低よ。あなたの痛みより、あなたを失う痛みの方が強いなんて。あなたのことを考えたら、大切に思うならあなたの痛みに寄り添わないといけないのに。でもね、やっぱり私あなたを失うのは耐えられないの。だからお願い。」
震えるイレアは息をグッと吸って、震えるように息を吐く。
「そばに居て。」
あぁ、その言葉だけで充分だった。あなたがそう望んでくれるなら、私はあなたのそばから離れない。私の大切な人、私を大切に思ってくれる人。そんな人の近くにいれるなら私は何にでもなれる。
それに応えるようにイレアを抱きしめる。この震える体を壊さないように優しく包むように。
「イレア…ごめんね、私、怖くて。」
「怖い?」
「そう、イレアが責任感と罪悪感から一緒にいてくれるって思いたがってた。優しいから私のこと可哀想で、一緒にいてくれるんだって。そう思った方が、傷つかなくて済むから。」
イレアの頭が頷くように縦に揺れる。
「でもね、奈月に怒られた。イレアの何を見てたんだって。あんたが1番イレアのことみてたでしょって。そうなんだよ。思い返してみるとイレアはたくさんの愛情を送ってくれてた、私のことを大切にしてくれてた。それを私は怖いからって見て見ぬふりをしてた。」
さっき伝えなきゃいけなかったのはきっとこの言葉。
「イレア、これからも一緒にいてくれる?」
イレアの腕がキュっとしまる。
「ええ、もちろん。」
「たくさんまだ強がるかもしれない、傷つくかもしれない。そのせいでイレアを傷つけるかもしれない。それでも、一緒にいて。イレアがいてくれるだけで、耐えられるから。」
その言葉にイレアは顔をあげて、私をまっすぐ見つめる。イレアの黄色く綺麗な瞳は月の光が入り宝石のようだった。その瞳に真っ直ぐ私を写し、微笑む。
「ええ。一緒にいるわ。」
聖母のようだった。愛おしいという感情がイレアに伝わってほしかった。その思いが伝わるように強く抱きしめた。




