日本での生活準備
「さて、これで荷解きは済んだか」
───あのバスジャックの一件からしばらく。
俺は《《用意してもらった》》マンションの───八階建ての最上階、その一室へと辿り着いていた。
海外から渡ってきた身。荷物は少ないとはいえ、日用品や諸々を揃えるにはかなり時間がかかった。
おかげで、外はすっかり茜色の陽射しが差し込んできており、窓から入る風は程よく心地よいものであった。
(にしても、日本の買い物は楽でいいな……セルフとか、盗みの件数が少なきゃ実施できないだろ)
俺がいたところなんて、目を離したらすぐに誰か持っていくし。
ある程度技術が進歩しているからできることなのだろうが、便利すぎて戻った時が大変だ。
おかげで、なんとか《《明日の用事》》の前に諸々終わらせられたんだが。
「それと、まぁ……その、色々と言いたいことはあるわな」
チラッと、部屋を見渡す。
間取り的には2LDK。広さはざっと70㎡はあるだろうか? 一人暮らしであるにもかかわらず、この広さ。内装も新築かと思うほど綺麗で、加えて言うのであれば俺が来た時にはすでに家具家電一式すべて配置された状態で謎に揃っていた。
(正直、雑魚寝できるスペースさえあれば俺は充分だったんだが……これ、俺に友達ができることを期待されてるが故か?)
日本の学生は気軽に友達の家に遊びに行くらしい。
それであれば、これぐらいの広さがあれば助かる話ではあるが……友達ができなかったらどうするつもりなのか。
「ま、まぁ! これも《《厚意》》だ! ありがたくちょうだいしよう!」
一ヶ月後から通う学校の制服が何故かクローゼットに入っており、明日取りに行く予定があった教材一式がすべて自室の机に置かれていたけども。
取りに行かなくても済んだのは楽ではあったが……正直、事前に言ってほしいことではあるがッ! きっと、厚意だ。《《明日お礼を言って》》ありがたくちょうだいしよう。
とりあえず、俺はソファーに座ってテレビを点ける。
ちょうどニュース番組をやっていて……画面には、見覚えのあるバスが中継されているの映像が。
(そりゃ、日本では珍しいバスジャックが起こったんだ。警察にも通報したし、騒ぎにならない方が無理な話だろう)
ボーッと、頬杖をつきながらニュースを聞く。
『調べによると、負傷者が一名。ただ、乗り合わせた乗客の話によると、学生らしい少年が一人でバスジャック犯を捕まえたと口にしており、さらにその少年はすぐにバスを降りてしまったとのこと。警察は詳しい状況を引き続き調べる方針とのことで───』
………………。
……よかった、本当にあの場からさっさと離れて。
(残ってたら、顔を晒すことになったかもしれ
ん。あとは、危機管理能力のない戦場のパパラッチさんがいないことを祈るだけだ)
戦場では無線がメインではあったが、スマホは普通に俺達も持っていたしそこら辺の話には大方理解はある。
今時はSNSで情報が簡単に出回ってしまう時代。
誰かが録画か写真さえ撮らなければ、俺だとバレることはないだろう。
……まぁ、撮られたとしても万が一があった時用にあの時はマスクもフードも被ってたし、俺だと身元が割れることはないはず。
(せっかく送り出してくれたのに、もう騒ぎの中心に……ってなったら、うちの人達が心配するかもしれないからな)
子供らしく、日本の学校で普通の生活をしろ。
そう言って送り出してくれたうちの皆の期待に応えるためにも、こういう騒ぎには極力関わらないようにしなければ。
《《致し方ないことにこれから出会す》》かもしれないが、それはそれである。
「………………」
い、一応……SNSは確認しておこうかな。
友達とのやり取りとかトレンドの把握とかは今時SNSだと教えてもらったし、アカウントは事前に作成済みだし、もし撮られていたら今のうちに対策を考えなきゃいけなくなるし。
「ふむ、どれどれ……」
スマホを開き、SNSにワードを添えて検索する。
すると───
『あのバスジャック犯を捕まえたの、誰なんだろうね』
『正義のヒーロー、現る!』
『どうせガセでしょw 子供が捕まえられるかっての、アニメかよw』
『実際に見てる人が何人もいるんだから事実だろ。ニュース見ろ』
『《《あのお嬢様も乗ってたらしい》》。もしかしたら関係あり』
『本物の銃だったらしいよ! 警察でも無傷で取り押さえるの不可能なのに凄い!』
『日本人とは思えねぇ。しかも華麗に名乗らず立ち去る』
『ほんと、アニメかよw』
『誰なんだろ、名乗り出てくれねぇかな』
……思った以上に引っかかってしまった。
しかも、トレンド入りしてるし。
「うーむ、これはこれは」
…………………………………………………………………………………………見なかったことにしよう。
しっかりとした騒ぎだ。日本人とは思えないとか言われてるし。だからこそ、きっと他人の空似でちょっとはっちゃけた人の仕業に違いない。俺とは無関係だ。そういうことにしておいた方がいいよねうん。
(っていうか……あのお嬢様?)
ふと、俺の脳裏に隣に座っていたあの女の子の姿が思い浮かぶ。
ボディーガードっぽい人と一緒にいたし、その可能性は高い。
こうしてSNSで言われるぐらいだ、よっぽど有名か……メディアで顔を出している人なのだろう。
(まぁ、名乗ってないし会うこともなさそうだし、気にすることでもないか)
とりあえず───
「日本では引越しの際に隣人へ挨拶するもんだと聞いた」
いわゆるご近所付き合いというものである。
日本ではそういうことを大事にするという風習があるらしい。
───日本の生活に溶け込むのであれば、郷に入って郷に従わなければ。
それに、俺は日本での生活にはまだ不慣れだ。
日本へ染まるための期間を予め用意しているとはいえ、困ったことが起こった際に意見をいただけるよう前もって親睦を深めておくのは悪くない。
(フッ……そのために、国の特産物の手土産を買ってきたんだ。これで仲良くなってみせる!)
そうと決まれば、早速。
俺は腰を上げて、用意した手土産を手に部屋を出る。
そして、そのままお隣へと足を進め、インターホンを押した。
しかし───
「ん? 留守か?」
押したが、なんの反応もない。
念の為もう一度押すが、結局誰も出てくる様子はなくて。
(反対側には住んでる気配はなかった。逆にこっちは生活している形跡がある……いるとは思うんだが、お出掛け中か?)
まぁ、急に押しかけたのだ。
予定を押さえているわけでもないし、出掛けていてもおかしくはない。
「明日でもいいか」
そう思い、俺はとりあえず引き返すことに。
……機会は、これからいくらでもある。
───高校生活は三年。
秋という中途半端な時期に来てしまったが、それでも二年以上は残っている。
ご挨拶する機会なんて、明日会えなくてもいくらでもあるのだ。
(……これから)
俺は日本の学生として生きていく。
傭兵稼業を辞め、平和な日本で。
学生として違和感なく過ごしていくためには、傭兵という肩書きも経験も邪魔になる。
そのため、俺はこれから『上京してきたただの学生』として生活するのだ。
「楽しみだ」
想像して思わず口許が緩んでしまう。
期待感に胸を膨らませ、俺は用意された玄関の扉を開ける。
───夜もふけ、翌日用事を済ませ。
ちょっと《《驚かされることはあったが》》、現地で色々と準備と下調べを行い、無事にすべてが整い。
ついに一ヶ月後を迎え、俺は高校一年───時森望として、学校に通うことになった。
なお、お隣さんとは明後日を迎えても結局会えなかった。




